リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 古本屋で昭和の中公文庫を眺めていると、ときどき時間の感覚がおかしくなる。少し黄ばんだ紙、小さな活字、いまより地味な装幀、その背表紙の中に三島由紀夫の名前を見つけると、三島という作家が昔からずっと「中公文庫の作家」であったように思えてくる。しかし年代を確認してみると、この印象には一つ大きな錯覚が含まれている。

 現在につながる中公文庫が創刊されたのは1973年6月10日、昭和48年のことである。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したのは1970年11月25日だから、三島は現在の中公文庫を見ることなく亡くなっている。自分の本に中公文庫のカバーが掛かり、本屋の文庫棚に並び、電車の中で読まれる光景を、三島本人は一度も見ることがなかった。

 つまり三島由紀夫は中公文庫に何冊もの本を残しているのに、「中公文庫の時代」を一日も生きていないのである。

 この小さな時間のねじれから、中公文庫と三島由紀夫という組み合わせを眺めてみると、単なる出版社と作家の関係とは少し違ったものが見えてくる。中公文庫は三島という現役作家とともに歩いた文庫ではない。すでに死者となった三島の文章を選び直し、形を変え、昭和後期の読者へ渡していった文庫だったのである。

三島が死んだあと、中公文庫が始まった

 1973年の創刊時、中公文庫には谷崎潤一郎訳『源氏物語』、司馬遼太郎『豊臣家の人々』、安部公房『榎本武揚』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』などが並んでいた。日本の古典から現代文学、外国思想までが同じ文庫の棚に収まっているところを見ると、特定のジャンルだけを集めるのではなく、文学や思想を広く読者へ届けようとする志向を読み取ることができる。

 その中公文庫に三島由紀夫が登場したのは早かった。創刊からわずか二か月後の1973年8月、『文章読本』が中公文庫になっている。

 ここで興味深いのは、最初に文庫になったものが三島の代表的小説ではなかったことである。『仮面の告白』でも『金閣寺』でも『潮騒』でもなく、文章とは何か、文体とは何か、文学作品をどう読むのかについて三島自身が論じた『文章読本』だった。

 現在、三島由紀夫という名前を聞けば、小説とともに1970年11月25日の出来事を思い浮かべる人は少なくない。しかし『文章読本』を開いたときに現れる三島は、そのような後世のイメージとはかなり違う。文章の構造を考え、散文と韻文について論じ、美しい文章とは何なのかを分類し、優れた文章をどのように読めばよいかを執拗なほど考えている。

 そこにいるのは、劇的な死を選んだ思想家というより、文章という精密機械の構造を一つずつ分解して確かめようとしている職業作家である。

 中公文庫から三島へ入ると、こんな三島が最初に現れてくる。そのこと自体が、三島由紀夫という作家を考えるうえで案外大きな意味を持っているのではないだろうか。

しかし、三島と「中公」の関係はもっと古い

 もっとも、三島と中央公論社との関係が1973年に突然始まったわけではない。ここには少しややこしい出版史がある。

 現在の中公文庫以前に、中央公論社には「中央公論文庫」という別のシリーズが存在していた。その中央公論文庫から1962年、三島由紀夫の『不道徳教育講座』が刊行されている。

 名前が似ているので古書を眺めていると同じシリーズのように見えることがあるが、書誌上は1973年創刊の中公文庫とは区別した方がよい。それでも三島と中央公論社との関係を考えるうえでは、この古い中央公論文庫の存在は無視できない。

 さらにさかのぼれば、『不道徳教育講座』は1959年に中央公論社から刊行され、翌1960年には続編が出ている。同じ1959年には『文章読本』も中央公論社から刊行されている。つまり三島がまだ三十代で、文壇の第一線を猛烈な速度で走っていたころから、中央公論社は三島の小説とは少し違った顔を本にしていたことになる。

 これはなかなか面白い。

 『不道徳教育講座』にいる三島は、後世に作られた重苦しい三島像とはかなり違う。世間一般の道徳をわざと裏返し、「本当にそれは正しいのか」と読者をからかいながら問い直す。もちろん単なる冗談を書いているわけではなく、常識というものを反対側から照らすことで、その不自然さや偽善性をあぶり出しているのだが、そこには軽妙さとサービス精神がある。

 『文章読本』へ行けば、また違った三島がいる。こちらでは文章というものを感覚だけで語るのではなく、文体や構造や表現の働きを分類しながら、自分が文学の何を美しいと思うのかを説明していく。

 今日の私たちは三島由紀夫を、その最期を知ったうえで読む。しかし1959年の読者は違った。彼らにとって三島は死者でも伝説でもなく、次々と新しい文章を書く同時代の人気作家だったのである。

 中央公論社が刊行していた本を年代順にたどると、後世の巨大な三島像の奥から、その時々の「現在を生きていた三島」が少しずつ見えてくる。

中公文庫に残ったのは「小説家だけではない三島」だった

 1973年の『文章読本』に続き、中公文庫では1974年に『作家論』、1975年には『荒野より』や戯曲『癩王のテラス』などが刊行されていく。

 ここから見えてくるのは、単純に「小説ではない三島」ではない。三島はもちろん小説家であり、戯曲も書いた。しかし中公文庫の書目を眺めていると、代表的な長編小説だけでは捉えることのできない三島の輪郭が次第に現れてくるのである。

 たとえば『作家論』で三島が見つめているのは自分自身ではなく、森鴎外や谷崎潤一郎、川端康成をはじめとする先行作家たちである。しかし他人について書いた文章ほど、意外に書き手自身をさらけ出すものはない。誰を高く評価するのか、作品のどこに執着するのか、何を美しいと考え、何を退屈だと考えるのか。その選択を追っていけば、批評されている作家と同時に、批評している三島自身の文学観まで浮かび上がってくる。

 『荒野より』になると境界はさらに曖昧になる。小説だけではなく評論や随筆などさまざまな文章が収められ、作家の日常、社会を見る目、文学についての思考が一冊の中で入り混じる。こうした本を続けて読んでいると、三島由紀夫という人物の輪郭が、代表作の中心からではなく、その周囲から浮かび上がってくる感覚がある。

 これは『金閣寺』一冊を読む経験とはかなり違う。

 小説を読んでいるとき、読者は基本的に作品世界の中にいる。しかし『文章読本』や『作家論』へ移ると、突然その舞台裏へ連れていかれる。さっきまで絢爛たる文章を生み出していた作家本人が机の向こう側へ座り、「文章というものはこうできている」「この作家のここが面白い」と語り始める。

 いわば魔術を見せていた人間が、その魔術の仕掛けまで説明し始めるのである。

 ところが不思議なことに、説明を読んでも魔術は消えない。それどころか、三島がどれほど意識的に言葉を扱っていたかを知ることで、小説へ戻ったとき以前には見えなかったものが見えてくる。

 中公文庫で三島を読む面白さは、この往復運動の中にある。

1970年11月25日から三島を読むという誘惑

 三島由紀夫について考えるとき、どうしても一つの日付が巨大な重力を持つ。1970年11月25日である。

 あの日の出来事があまりに劇的だったため、それ以前の三島の文章まで、すべてが最後の日へ向かって書かれていたように読まれてしまうことがある。『太陽と鉄』を読んでも死への予兆を探し、小説の中に肉体や美や滅びが現れれば、そこから市ヶ谷を逆算したくなる。

 しかしこれは、伝記を読む人間が陥りやすい一種の錯覚でもある。

 人生を最後まで知っている後世の読者と、その途中を生きている本人では時間の見え方が違う。1959年に『文章読本』を書いていた三十四歳の三島は、その文章を1970年11月25日の説明書として書いていたわけではない。そのときの三島には、そのときの仕事があり、締切があり、読んでいる本があり、会っている人があり、次に書こうとしている作品があった。

 だから三島を最後の日から逆向きに読むだけでは、その途中に存在していた多くの三島を取り落としてしまう。

 文庫という形式には、その時間を少しだけ取り戻す働きがあるのかもしれない。文庫本を開けば、歴史的大事件も作者の伝説も、とりあえず表紙の外側に置かれる。そこにあるのは数百ページの活字であり、読者は文章そのものと向き合わなければならない。

 ただし、中公文庫が意図的に「三島を事件から文学へ引き戻した」とまで言うことはできない。そのような編集方針があったことを裏付ける資料や、文庫化によって読者の三島像が実際に変化したことを示すデータがなければ、そこまでの因果関係は証明できないからである。

 それでも、中公文庫に残された書目を眺めれば、少なくとも一つのことは言える。そこには1970年11月25日だけでは説明できない三島由紀夫が、かなり豊富に残されている。

『太陽と鉄』を加えると、話はもっと複雑になる

 そして昭和の中公文庫と三島の関係を考えるとき、見逃せない一冊が1987年、昭和62年に中公文庫となった『太陽と鉄』である。この文庫には『私の遍歴時代』も収録された。

 この本まで視野に入れると、「中公文庫は三島を事件から切り離した」という単純な説明が成り立たないことがよく分かる。

 『太陽と鉄』で三島が考えているのは、言葉と身体、精神と肉体、文学と行動という問題である。それらは晩年の三島を理解するうえで避けて通ることのできない主題であり、1970年の行動とも無関係ではない。

 つまり中公文庫に残った三島は、政治や肉体や死を取り除いた「純粋な文学者三島」ではないのである。

 むしろ逆なのではないか。

 文章について考える三島がいて、他の文学者を批評する三島がいて、世間の道徳をからかう三島がいて、戯曲を書く三島がいて、肉体と言葉の関係を考える三島がいる。それらを読み重ねていくことで、1970年の出来事もまた、それだけが孤立した異常な事件なのではなく、一人の作家が長年考えてきた問題の延長線上から読み直すことができる。

 事件を消すのではない。

 事件だけで作家を説明しないのである。

 この違いは大きい。

昭和の終わりには「三島を覚えている人」の本まで並んだ

 さらに1986年、昭和61年には、澁澤龍彦の『三島由紀夫おぼえがき』が中公文庫になっている。

 ここまで来ると、中公文庫の中の三島は新しい段階へ入る。三島本人が書いた文章を読むだけではなく、「三島を知っていた人が三島について書いた文章」まで文庫棚に加わるからである。

 三島が亡くなってから十六年が経過している。1970年には生々しい現在だった出来事が、少しずつ文学史や記憶の領域へ移り始めていた。

 しかし澁澤龍彦が書く三島は、教科書に載っている「昭和を代表する文学者」ではない。実際に会い、話し、同じ時代の空気を吸った人間が記憶している三島である。死後に巨大化した三島像とは違い、一人の知人としての手触りがそこには残っている。

 ここまで中公文庫の書棚を歩いてくると、文庫というものが単に名作を安価に再刊する仕組みではないことが見えてくる。

 一人の作家が書いた本が残る。その作家が他人について書いた文章が残る。その作家自身について考えた文章が残る。そしてその作家を知っていた人間の記憶まで残る。

 こうして一人の作家は、一冊の代表作ではなく、複数の本の関係として保存されていく。

 三島由紀夫ほど、その仕組みがよく見える作家も珍しいのではないだろうか。

文庫本になると、三島は少し小さくなる

 三島由紀夫という人物には、どうしても巨大な映像がつきまとう。

 鍛えられた肉体、写真、制服、演説、市ヶ谷、割腹、そして死の直前に完成した『豊饒の海』。一つ一つの像があまりに強いため、普通に机へ座り、原稿用紙に文章を書いていた職業作家としての三島が、その陰に隠れてしまうことがある。

 ところが昭和の古い中公文庫を一冊手に取ると、その巨大な三島が不思議なほど小さくなる。

 もちろん価値が小さくなるという意味ではない。手のひらに収まるのである。

 『文章読本』を電車で読み、『作家論』を寝る前に数ページ読み、『荒野より』を喫茶店で開き、『太陽と鉄』を鞄に入れて持ち歩くことができる。歴史映像の中にいた人物が文庫本になると、突然、読者のすぐ隣へやってくる。

 そこには演説の声も制服もない。ページを開けば、活字だけがある。

 文庫というものは、作家を小さくすることによって、かえって長く生かす装置なのかもしれない。

 全集は作家を大きく保存する。何巻も並んだ立派な全集は、その人物が文学史上の重要人物であることを物理的な重さによって示している。しかし文庫本は反対である。作家を小さくして鞄に入れ、電車へ乗せ、旅先へ連れていき、枕元へ置く。

 全集が作家を記念碑にするものだとすれば、文庫は作家を再び読者の生活へ戻すものなのだろう。

中公文庫の棚には「複数の三島」が残った

 考えてみれば、三島由紀夫本人は1973年に生まれた現在の中公文庫を知らない。鳥を図案化したマークを見ることも、自分の『文章読本』が小さな文庫本になって書店へ並ぶところを見ることもなかった。

 それでも昭和48年以降、中公文庫の棚には三島がいた。

 しかも、そこに残ったのは一人の三島ではない。

 文章について考えている三島がいる。他の作家を論じている三島がいる。道徳をひっくり返して読者を挑発する三島がいる。戯曲を書く三島がいる。自分の身体について考えている三島がいる。そして、その三島を覚えている澁澤龍彦のような同時代人までいる。

 こうして昭和後期の中公文庫を年代順に眺めていくと、三島由紀夫という作家が一枚の有名な写真や一日の歴史的事件へ収束するのではなく、反対にいくつもの方向へ広がっていく。

 おそらく、そこが中公文庫と三島由紀夫の関係を考えるとき最も面白いところなのだと思う。

 三島を「事件から文学へ戻した」とまで断言することはできない。しかし中公文庫に残された本を読み継いでいけば、1970年11月25日だけでは到底説明できない三島由紀夫が見えてくる。

 一人の人間について私たちは、どうしても最も劇的だった一場面で記憶してしまう。しかし文学者の場合、その人が死んだあとにも文章は残る。そして文章が読み続けられる限り、その人物についての理解は一つに固定されることがない。

 文庫は、そのための小さな装置なのだろう。

 事件によって作家を記憶することもできる。写真によって記憶することもできるし、伝説によって記憶することもできる。しかし文庫には、それらとはまったく違う方法がある。

 何十年たっても、もう一度その人の文章を読ませるのである。

 三島由紀夫が中公文庫を見ることなく亡くなってから半世紀以上が過ぎた。それでも古本屋の棚から一冊を抜き出してページを開けば、そこにいる三島はまだ過去の人物になりきっていない。

 読者が文章を読み始めた瞬間だけ、作家は再び現在形になる。

 昭和の中公文庫が残したものを考えていると、結局そこへ行き着く。文学者を長く生かすのは巨大な記念碑ではなく、誰かが何気なく手に取ることのできる、小さな一冊なのかもしれない。

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