リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

一人称小説の「私」は、作者本人とどこまで同じなのか

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 1913年10月18日、志賀直哉が療養のために訪れた城崎温泉は、必ずしも静かな温泉町ではなかった。直前の豪雨によって水害が発生し、町を流れる川の橋も多数流失していた。志賀自身の日記には、その被害の様子が記録されており、当時の新聞も城崎周辺の浸水や鉄道の不通を伝えている。ところが、後に発表された小説『城の崎にて』を読むと、そのような災害の光景はほとんど現れず、読者の前には静かな秋の温泉町と、そこで生と死について思索する人物が浮かび上がってくる。

 不思議なのは、志賀直哉自身が、この作品を実際の体験に基づくものだと説明していることである。作者は確かに城崎を訪れ、そこで小さな生き物の死を目撃し、自らの生死について考えた。しかし、その経験を描いた小説と、当時の日記や新聞が伝える現実との間には、無視できない違いがある。実際に見たはずの風景が作品から消え、現実に起きた出来事が特定の意味を持つように配置されているとすれば、そこに登場する「自分」は、果たして志賀直哉本人とどこまで同じなのだろうか。

 この問いは、『城の崎にて』だけに限らない。小説を読んでいて「私は」という言葉に出会うと、私たちはしばしば、その声を作者自身のものとして受け取ってしまう。家族との不和、恋愛の失敗、人に言えなかった後悔などが生々しく語られていれば、なおさら作者の告白を読んでいるように感じられる。しかし、同じ一人称で書かれた文章でも、作者自身の経験を語るものもあれば、まったく架空の人物に語らせたものもある。その違いを考え始めると、単に実話か創作かを判定するだけでは、一人称小説の仕組みを十分に説明できないことが見えてくる。

同じ小説の中で、「私」が別人になってしまう

 夏目漱石の『こころ』は、一人称小説における作者と語り手の関係を考えるうえで、興味深い作品である。1914年に発表されたこの小説は、若い青年が「先生」と呼ぶ人物との出会いを振り返るところから始まる。青年は先生に強く引かれながらも、その人物が抱える過去の事情を知らず、不可解な言動に戸惑い続ける。読者も青年の目を通して先生を見ているため、先生がなぜ孤独を好み、人間関係に複雑な感情を抱いているのかを、最初から理解できるわけではない。

 ところが、物語が下巻「先生と遺書」に入ると、青年が受け取った長い手紙を通じて、今度は先生自身が「私」として過去を語り始める。作品の前半で「私」と語っていた青年と、手紙の中で「私」と語る先生は、もちろん別人である。しかも、先生の手紙は単にそれまでの謎を説明するためだけのものではなく、青年には見えていなかった過去の出来事を、当事者自身の視点から描き直す役割を果たしている。

 ここで重要なのは、漱石が自分の人生を2人の人物に分割したということではない。作者は現実に存在する夏目漱石である一方、青年も先生も作品の内部に構成された人物であり、それぞれが異なる立場から「私」と語っているのである。もちろん、そこに漱石自身の経験や思想が反映されている可能性を否定する必要はないが、そのことと、作中人物が漱石本人であるという判断は別問題である。

 さらに考えてみれば、先生の手紙に登場する「私」も、単純な存在ではない。過去の出来事を語っている先生は、それを経験した当時の若い先生とは異なる時間を生きている。かつては自分を正当化していたかもしれない人物が、長い年月を経て自らの行動を悔やむようになったとすれば、過去を経験した「私」と現在それを語る「私」との間にも、認識の違いが生まれる。つまり、小説の「私」を理解するためには、作者と語り手の区別だけでなく、出来事を経験した人物と、その出来事を後から説明する人物との時間的な距離まで考える必要があるのである。

「私」と書かなくても、一人称小説は成立する

 一人称小説という言葉からは、「私」という代名詞が繰り返し登場する文章を想像しやすい。しかし、語りの形式を決めるのは代名詞の有無だけではない。物語が誰の経験や認識を中心に語られているか、語り手が出来事にどのような立場から関わっているかによって、一人称の語りかどうかを考える必要がある。

 例えば、志賀直哉の『城の崎にて』では、語りの主体を示す言葉として「自分」が使われている。冒頭では電車事故と療養の経緯が説明されるものの、最初から「私は」と自己紹介するわけではなく、出来事を経験した人物の視点が、主語を明示しない文章や「自分」という言葉によって示されていく。したがって、この作品を一人称の小説として読むことは妥当であっても、文字どおりの「私」という代名詞を手がかりにした分類では、その特徴を十分に捉えられない。

 もう1つ区別しておきたいのが、一人称小説と私小説の違いである。一人称小説は、主として物語がどのような視点から語られるかという形式上の分類であり、私小説は、作者自身の生活や経験との関係、日本近代文学における歴史的な慣習などを含む概念である。私小説には三人称で書かれた作品も存在するため、両者は完全には一致しない。作者に似た人物が「私」と語っているからといって、直ちに私小説と判定できるわけではなく、反対に三人称で書かれているという理由だけで、作者自身の人生との深い関係を否定することもできないのである。

 この違いが重要になるのは、作者と主人公の関係を調べる際、私たちがしばしば異なる問題を混同してしまうからである。作者と主人公が同一人物なのかという問題と、作者の経験が主人公の人生にどれほど取り入れられているかという問題は、似ているようで同じではない。ある作品の出来事が作者の経歴と数多く一致していても、それだけで語り手が作者本人であると決まるわけではなく、逆に作者が自分自身の人生を語ると明示している文章でも、書かれた内容がすべて正確であると保証されるわけではない。

志賀直哉が「事実ありのまま」と語った小説の謎

 『城の崎にて』に戻ってみよう。志賀直哉は1913年8月に東京で電車事故に遭い、同年10月に城崎温泉を訪れた。小説は1917年に発表され、1928年の「創作余談」で、志賀はこの作品を「事実ありのままの小説」と説明している。作品に登場する鼠、蜂、いもりの死についても、実際に目撃した出来事であり、そこから受けた感情を率直に書いたという趣旨を述べている。

 作者自身がここまで明確に体験との関係を認めているのであれば、読者が『城の崎にて』を志賀の自伝的な作品として受け取ることには、十分な根拠がある。しかし、志賀の日記や草稿を詳しく調べていくと、作品に書かれた「自分」と現実の志賀直哉とが、あらゆる点で重なっているわけではないことが分かってくる。

 小説では、電車事故の後に療養のため1人で城崎を訪れた人物が、静かな温泉町で生き物の死を見つめるという構成になっている。一方、1913年10月の日記によれば、志賀は東京から城崎へ直行したわけではなく、大阪などを経由し、知人との交流を重ねながら旅を続けていた。城崎への移動も、作品の冒頭から想像されるほど単純な経過ではなかったのである。

 さらに、1913年10月18日の城崎到着時には、前述した水害が発生していた。志賀の日記には、町の中央を流れる川の橋が多数流失していたことが記されている。当時の新聞にも、周辺の鉄道被害や城崎町の広範囲に及ぶ浸水が報じられており、その日の町が被害の痕跡を残していたことには、史料上の裏付けがある。

 それにもかかわらず、『城の崎にて』の読者が主として出会うのは、災害への対応に追われる温泉町ではなく、秋の静けさの中で自らの死を想像する人物である。志賀直哉の研究では、こうした日記と小説の違いを、現実の出来事が文学作品として構成される過程から検討する試みが行われてきた。洪水の痕跡がなぜ作品の中心に現れないのかという疑問に対して、作品の静かな世界を成立させるために、そのような要素が取り除かれたのではないかという解釈も示されている。

 ただし、この解釈を志賀本人の意図として断定することはできない。日記と作品に違いがあることは確認できても、作者が何を考えて特定の出来事を省いたのかについては、別の証拠が必要になるからである。水害に触れなかったことを意図的な隠蔽とみなす根拠もなく、作品の主題に関係する経験を選択した結果だと考える余地もある。それでも、日記に記録された現実と小説の世界が一致しないという事実そのものは、作者本人の体験が文学になるときに何が起きるのかを考えるうえで、重要な手がかりになる。

死んだ蜂と鼠といもりは、なぜその順序で現れるのか

 『城の崎にて』には、蜂、鼠、いもりという3種類の小さな生き物が登場する。主人公は、動かなくなった蜂を見て死後の静けさを思い、苦しみながら逃れようとする鼠の姿に生への執着を感じ、偶然に自分が死なせてしまったいもりを通じて、生死が人間の意思とは無関係に決まることを考える。これらの場面は、主人公が電車事故によって命を失いかけた経験と結びつくことで、単なる動物の観察以上の意味を帯びていく。

 ここで見逃せないのは、3つの出来事が蜂、鼠、いもりという順序で描かれていることである。蜂の場面では、すでに死んで動かなくなった存在が中心になり、鼠の場面では、まだ生きているものが必死に死から逃れようとする姿が現れる。そして、いもりの場面では、何の前触れもなく死をもたらす偶然そのものが主人公の前に現れる。ある研究では、この配列を、死後の状態から死の直前へ、さらに死をもたらす原因へと、時間を遡るような構成として捉えている。

 もちろん、作者がこのような設計を意識的に行ったと確定できるわけではない。しかし、作品に描かれた順序が読者の理解に影響することは、本文の構造から検討できる問題である。もし3つの出来事が別の順序で配置されていたなら、主人公の生死に対する思索の流れも、現在とは違ったものになった可能性がある。

 実際、草稿「いのち」と発表された『城の崎にて』を比較すると、動物の場面の扱いや表現に違いが見られる。現実に体験した出来事が最初から完成された文学作品の形を持っていたのではなく、執筆や改稿を経て、現在知られる構成に近づいていったことがうかがえるのである。

 こうして見ると、作者の経験を忠実に描くことと、その経験を文学として構成することは、必ずしも対立しない。志賀が蜂や鼠やいもりを実際に見たという事実は、それらの出来事を作品の中で特定の順序に配置し、主人公の思索と結びつけたことによって失われるわけではない。むしろ、現実に存在した経験が作者の選択を経て新しい意味を持つところに、小説という表現の特徴が現れている。

 日記の中に存在していた水害の町と、小説の中に現れる静かな温泉町との違いも、同じ問題につながっている。現実の城崎には、作中に描かれたもの以外にも、多くの人の生活や出来事が存在していた。しかし、作者はそのすべてを小説に取り込んだわけではない。何を残し、何を描かず、どのような経験に焦点を当てるかという選択を経た結果、実際の城崎とは異なる、文学の中の城崎が成立したのである。

太宰治の『人間失格』は、誰の告白なのか

 作者と語り手の距離を別の角度から考えるなら、太宰治の『人間失格』も重要な作品になる。1948年に発表されたこの小説は、主人公の大庭葉蔵が自らの人生を振り返る手記を中心に構成されている。人間関係への恐怖、自分自身への嫌悪、他者との間に生じる埋めがたい隔たりなどが語られ、その切実な告白は、読者に太宰本人の声を聞いているような印象を与えることがある。

 実際、葉蔵の人生には、太宰自身の経歴や経験と重ねて読まれてきた部分がある。しかし、作品を注意深く読むと、最初から最後まで葉蔵1人が語り続けているわけではないことに気づく。冒頭の「はしがき」は、ある男の写真を見たという別の「私」によって語られ、その後に葉蔵の3つの手記が置かれ、最後の「あとがき」では再び外側の語り手が登場する。葉蔵の手記が「自分」という言葉を中心に進むことも、冒頭と末尾の「私」との違いを際立たせている。

 この構成は、葉蔵の告白をそのまま太宰本人の自伝として受け取ることに慎重さを求める。物語の外側にいる語り手は、葉蔵を直接知っている人物として描かれているわけではなく、写真や手記などを通して、その男の人生に接近している。読者は葉蔵自身の言葉を読む一方で、その言葉が別の人物の手を経て届けられたものであることも意識させられるのである。

 特に興味深いのは、「あとがき」に千葉県船橋市が登場することである。外側の語り手は、船橋市に疎開していた友人を訪ねたことをきっかけとして、葉蔵の手記を入手する。現実に存在する船橋という地名が使われ、友人との往来や日常的な用事が描かれることによって、架空の手記が現実世界のどこかに存在していたかのような感覚が生まれる。

 しかし、船橋市という実在の場所が登場することと、そこで語られた出来事が実際に起きたこととは、論理的に別である。実在する地名を小説に取り入れることは、読者に具体的な生活の風景を想像させる表現上の方法にもなる。現実の地理と架空の人物が同じ文章の中に存在できるからこそ、小説は読者に、実際に誰かが経験したことを聞いているような感覚を与えられるのである。

 そして『人間失格』では、物語の最後に、葉蔵自身の自己評価とは異なる人物像が示される。葉蔵は自らを厳しく否定しているが、彼を知っていた女性は、葉蔵についてそれとは違う評価を語る。読者はそこで、葉蔵本人の告白だけが彼という人物を説明する唯一の答えではないことを知る。自分について最も詳しく語れるはずの人物が、必ずしも自分について最も公正な判断を下せるわけではないという問題が、作品の結末に組み込まれているのである。

自分のことを語る人物は、自分を正しく理解しているのか

 一人称小説には、読者を語り手の内面へ近づける力がある。登場人物が何を恐れ、何を望み、何を後悔しているのかを自分の言葉で説明するため、読者はその人物の意識を通して世界を見ているように感じやすい。しかし、語り手の心理に近づけることと、その語り手が世界を正確に認識していることとは、別問題である。

 人間は、自分にとって不都合な出来事を説明するとき、無意識のうちに都合のよい事情を強調することがある。他人の行動を誤解したり、自分の判断が正しかったと考えたりすることもあり、そのような心理は、小説の登場人物にも表現される。語り手が意図的に嘘をついていなくても、本人の理解と、他の人物の言動や物語全体から読み取れる事情との間に、食い違いが生じることはあり得る。

 文学研究には、このような語りの問題を考えるための「信頼できない語り手」という概念がある。ウェイン・ブースの物語論では、語り手の判断や価値観と、作品全体から読み取れる規範との関係が重視されている。ただし、主観的に語る人物をすべて「信頼できない語り手」と呼べるわけではなく、単に記憶違いや知識不足があるだけで、その分類が自動的に決まるわけでもない。語り手の発言と作品全体の構造との間に、どのようなずれが存在しているかを、具体的な本文に即して検討する必要がある。

 『人間失格』の葉蔵についても、本人の告白と最後に示される他者の評価が一致しないからといって、葉蔵の語りがすべて虚偽だと結論することはできない。葉蔵が自分を厳しく見つめている可能性もあれば、他者には見えていない苦しみを抱えている可能性もある。反対に、葉蔵自身が自分の人生のある側面を過度に否定しているとも考えられる。作品は、どちらか一方を絶対的な真実として示すのではなく、複数の見方を読者の前に置くことによって、人間が自分自身を理解することの難しさを浮かび上がらせている。

 このように考えると、一人称小説の魅力は、語り手の言葉をそのまま信じられるところにだけあるのではない。むしろ、語り手が自分をどのように理解しているのかを知り、その理解が他者の視点や出来事の経過とどのような関係にあるのかを考えられるところにもある。作者本人と語り手を区別することは、単なる文学理論上の形式的な問題ではなく、作品に描かれた人間を一面的に理解しないための手がかりになるのである。

経験した「私」と、思い出す「私」は同じなのか

 作者自身の経験に基づく作品であっても、書かれた文章が過去の現実と完全に一致するとは限らない。その理由の1つとして、人間の記憶の性質を考えることができる。認知心理学では、自分の人生で経験した出来事に関する記憶を自伝的記憶と呼び、その想起の仕組みや、記憶が持つ詳細さ、再構成的な性質などが研究されている。

 私たちは過去の出来事を思い出すとき、当時の風景や会話を録画のようにそのまま再生しているとは限らない。後から得た知識や現在の感情、自分の人生に対する理解などが、思い出し方に影響する場合がある。ある出来事を経験した当時には何の意味も感じなかったのに、数年後になって重大な転機だったと考えるようになることもある。出来事そのものが過去に存在していたとしても、その出来事に与えられる意味は、時間の経過とともに変化し得るのである。

 ただし、記憶が再構成的な性質を持つという一般的な研究結果から、特定の作家が過去を誤って記憶していたと結論することはできない。例えば、『城の崎にて』に水害の情景が描かれなかった理由について、志賀が水害を忘れていたのだと説明する根拠はない。むしろ日記にはその記録が残っているのであり、作品との違いを考える際には、記憶の問題と文学的な選択の問題を分けて検討しなければならない。

 それでも、過去の経験を後から語るという行為には、時間の隔たりが存在する。1913年に城崎を訪れた志賀直哉と、1917年に『城の崎にて』を発表した志賀直哉は、現実の人物としては同一人である。しかし、その間に時間が経過しており、経験した出来事をどのような言葉で語るかについては、執筆時点の理解や表現上の判断が関わる。そのため、作品に書かれた「自分」を1913年の志賀直哉の心理状態そのものとして扱うことには、慎重さが必要になるのである。

 この時間的な距離は、作家だけに特有のものではない。私たちも、自分の人生を振り返るとき、過去の出来事を現在の立場から説明し直している。若い頃には失敗だと思っていたことを、後になって重要な経験だったと感じる場合もあれば、当時は正しいと信じていた判断を悔やむ場合もある。過去を経験した本人であることと、過去を完全に理解していることとは一致しないという問題が、そこには存在している。

自伝と小説を分ける境界線は、どこにあるのか

 作者の実体験を描いた小説と、自分の人生を記録した自伝との違いを考えると、もう1つの疑問が生まれる。実際の出来事が多く含まれていれば自伝で、創作された出来事が多ければ小説になるのだろうか。しかし、そのような分類方法では、作者と作品の関係を十分に説明できない。

 仮に、ある小説に描かれた10の出来事のうち8つが、作者自身の経歴と一致していたとする。それでも、残る2つの出来事が作品全体の意味を大きく変えている可能性がある。また、出来事が一致していても、作者と主人公の関係について何も明示されていなければ、読者が両者を同一人物と判断できるとは限らない。出来事の一致率と人物としての同一性は、そもそも同じ尺度で測定できるものではないのである。

 フランスの文学研究者フィリップ・ルジュンヌは、自伝を考えるうえで、作者、語り手、主人公の同一性を重視し、「自伝契約」という概念を提示した。これは法律上の契約ではなく、作者が自分自身の人生を語るものとして作品を提示し、読者もその前提を受け入れるという、文学的な約束を意味している。重要なのは、作品の人物が作者に似ていることだけではなく、作者と語り手と主人公が同じ人物であるという関係が、読者にどのように示されているかという点である。

 ただし、自伝契約が成立していることは、作品のすべての記述が史実として正確であることを保証しない。自伝であっても記憶違いや認識の偏りは起こり得るし、出来事の選択や記述の仕方にも作者の判断が関わる。ここで区別されるのは、書かれた事柄がすべて真実であるかどうかという問題と、作者が自分自身の人生について語っているものとして作品を提示しているかどうかという問題である。

 さらに、日本の私小説では、作者と主人公が同じ名前であることを明示しなくても、同時代の読者が作者の生活や経歴を知っており、その重なりを意識して作品を読む場合がある。作者と主人公の関係は、作品の内部だけでなく、発表された時代、文学的な慣習、作者の社会的な位置づけなどによっても受け取られ方が変わる。そのため、ルジュンヌの自伝契約は重要な理論的手がかりになるものの、日本の私小説を例外なく分類できる単純な規則として扱うことは適切ではない。

 作者と作中の「私」が同じかどうかという問いは、事実の一致、人物としての同一性、作者による自己提示、読者が受け入れる読み方という、複数の問題に分けて考える必要がある。そして、それらを区別することによって、かえって一人称小説の表現がどれほど多様であるかが見えてくるのである。

作者の人生を知ることで、見えなくなるものもある

 小説を読むとき、作者の人生を知ることは無意味ではない。むしろ、作品が書かれた時代の社会状況や、作者が経験した出来事を知ることによって、文章の細部が新しい意味を持つ場合がある。『城の崎にて』について、志賀直哉が実際に電車事故を経験していたことを知れば、主人公が死を身近に感じる背景を理解しやすくなるだろうし、当時の城崎の水害を知れば、小説が描いた風景と現実の町との関係に新たな疑問が生まれる。

 しかし、作者の人生が作品を理解するうえで重要であることと、その人生だけで作品の意味を説明できることとは異なる。作者が家族との不和を経験していたからといって、作品に登場する家族がすべて実在の家族を再現したものとは限らない。恋愛や友情の破綻を描いた作品についても、作者の経歴と似た出来事が見つかったというだけで、登場人物の感情や会話のすべてを史実として扱うことはできない。

 特に注意が必要なのは、文学の中で構成された人物像を、そのまま現実の個人に結びつけることである。作品に描かれた非難や秘密を、十分な根拠もなく作者の家族や知人に当てはめれば、文学的な解釈と現実の人物に関する事実認定とが混同される。作者と主人公の関係を検討することには意味があるが、そこから実在する他者の行動や人格まで断定することには、別の慎重さが求められる。

 また、伝記的な事実を作品の唯一の説明にしてしまうと、語りの形式や視点の転換、出来事の配置といった文学固有の表現を見落とす危険もある。『人間失格』を太宰治の人生だけから説明しようとすれば、葉蔵の手記を外側の語り手が読者に届ける構造や、最後に現れる他者の評価の意味が十分に検討されなくなる。『こころ』を漱石自身の思想の表明として読むだけでは、青年と先生という異なる語り手を配置したことの意味を捉えきれないかもしれない。

 作者を知ることは作品への入り口を増やすが、その入り口が唯一の答えになってしまえば、読書の可能性を狭めることにもなる。大切なのは、確認できる史実と作品内部の表現を照らし合わせながら、両者が一致する部分と異なる部分を見分け、その違いがどのような意味を持つのかを考えることである。

作者本人でなくても、なぜ「私」の言葉は心に届くのか

 そもそも、私たちが一人称小説に引き込まれる理由は、語り手が実在の作者と同一人物であるからだけではない。架空の人物が語る悲しみに心を動かされることもあれば、現実の作家が経験した出来事を題材とする作品から、自分自身の生活に通じる問題を読み取ることもある。文学における感情移入や読者の反応には個人差があり、すべての読者に同じ効果が生じるとは限らないが、少なくとも、作品の価値を作者の経験との一致だけで説明することはできない。

 『こころ』の先生が抱えた後悔を読むとき、読者は漱石が同じ出来事を経験したかどうかを知らなくても、過去の判断がその後の人生に影を落とすことの重さを考えられる。『城の崎にて』で小さな生き物の死を見つめる人物に接するときには、作者が実際に経験した事故の事実を知ることによって理解が深まる一方、自分自身の生と死について考える余地も生まれる。『人間失格』に描かれた葉蔵の孤独についても、それが太宰本人の感情とどこまで一致するのかという問題とは別に、人間が他者との関係の中で抱える不安や自己評価の難しさを考えることができる。

 このことは、作者の経験が作品から消えてしまうという意味ではない。むしろ、作者の経験や思想が作品の中で特定の人物や出来事として表現されることによって、作者の個人的な事情を知らない読者にも理解できる形を持つ場合がある。作者が自分自身を直接語らず、別の人物に「私」と語らせることも、現実の経験を一度文学の中へ移し替え、異なる立場から見つめ直すための方法になり得るのである。

 ここで、最初の城崎温泉の風景を思い出してみたい。1913年10月の城崎には、豪雨によって橋が流され、浸水の被害を受けた現実の町があった。そこには志賀直哉だけでなく、多くの住民の生活があり、災害への対応や日々の仕事が存在していたはずである。一方、小説『城の崎にて』の中心にあるのは、その現実の全体ではなく、死に近づいた経験を持つ人物が、小さな生き物の姿を通して自分の命について考える時間である。

 どちらか一方が真実で、もう一方が偽物なのではない。日記や当時の新聞によって確かめられる歴史上の事実と、小説によって構成された経験の意味は、異なる性格を持つものとして存在している。前者を調べることによって、作品が描かなかった現実を知ることができ、後者を読むことによって、作者がどのような経験を選び、どのような言葉で人間の生死を考えようとしたのかを検討できるのである。

「私」は作者から生まれ、作者の外へ歩き出す

 一人称小説の「私」は、作者本人とどこまで同じなのだろうか。この問いに、すべての作品に共通する数値や明確な境界線で答えることはできない。作者と語り手がまったく異なる人物として構成される場合もあれば、作者の実人生と深く重なる場合もあり、作者自身の経験を使いながら架空の人物の人生として表現される場合もある。そこで問うべきなのは、単に似ている部分がどれほど多いかということだけでなく、作者がどのような関係を作品の中に作り出しているかという問題である。

 それでも、これらの作品には共通する特徴がある。どれほど作者自身に近い人物が語っていても、読者の前に現れる「私」は、文章として構成された存在だということである。作者は人生のすべてを同時に語ることはできず、何を選び、何を省き、どの出来事を先に置き、どのような言葉で感情を表すかを決めなければならない。その結果として成立する「私」は、作者の経験や思想を受け継いでいることがあっても、現実に生きている作者と完全に置き換えられる存在ではない。

 この距離は、文学が現実から遠ざかることだけを意味しているのではない。作者が自分の経験を少し離れたところから見つめ、他者の人生を借りて自分の感情を表現し、あるいは実際に経験した出来事から個人の事情を超えた問題を描き出すための余地にもなる。読者はその文章を通じて、作者の人生について考えるだけでなく、自分とは異なる人物の内面を想像し、自分自身の記憶や経験を新しい角度から捉え直すことができる。

 小説を閉じたあと、あの「私」は本当に作者本人だったのだろうかと考えることがある。しかし、その疑問を追い続けていくと、別の問いが浮かび上がってくる。作者と同じ人生を生きたわけではない人物の言葉を、なぜ私たちは、時には自分自身の経験のように受け取ることができるのだろうか。

 志賀直哉の日記に記された城崎の流された橋は、小説の中ではほとんど姿を見せない。しかし、小説に描かれた蜂や鼠やいもりは、1世紀以上を経た読者にも、生きることと死ぬことについて考える機会を与えている。現実に存在した風景のすべてを再現しなくても、人間の経験について伝えられるものがあるという事実は、文学の働きを考えるうえで示唆的である。

 小説の「私」は、作者の人生から生まれることがあっても、その人生だけに閉じ込められているわけではない。作者によって与えられた言葉が読者の前に届いたとき、その「私」は現実の作者との関係を保ちながらも、作品の中で独自の声を持ち始める。作者本人とどこまで同じなのかという問いは、やがて、異なる人生を生きる人間同士が、なぜ言葉を通して互いの経験に近づけるのかという、文学そのものの不思議へとつながっていくのである。

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