リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

日曜日の夕方が少し寂しく感じられるのはなぜなのか~17時台のニュースと18時台のアニメの不思議

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 日曜日の夕方になると、特に悲しい出来事があったわけでもないのに、何となく寂しい気持ちになることがある。休日を十分に楽しめなかったからなのか、翌日から始まる仕事や学校が気になるからなのか。それとも、日が傾き、町の風景が少しずつ夜へと変わっていく時間帯そのものに、人の心を沈ませる何かがあるのだろうか。

 筆者には、若い頃の日曜日について、今でも不思議に思う記憶がある。夕方17時台、テレビのニュースを何気なく見ていると、理由のはっきりしない淋しさが胸の中に広がってくる。ニュースの内容が特別に悲しかったという記憶ではなく、テレビを眺めているうちに、休日の楽しい時間が遠ざかっていくような、何とも説明しにくい感覚が生まれていたのである。ところが、18時台になってアニメが始まると、その淋しさが不思議と収まった。画面に登場人物が現れ、物語が動き始める頃には、先ほどまでの気分を忘れていた。

 考えてみれば、奇妙なことである。17時から18時へと時計が進めば、月曜日はさらに近づく。休日の残り時間は確実に減っているのだから、時間の経過そのものが寂しさの原因なら、18時台の方が気持ちは沈んでいてもおかしくない。しかし、実際には逆だった。わずか1時間ほどの間に、同じ日曜日の夕方が、寂しい時間から楽しい時間へと変わっていたのである。

 この小さな記憶を手掛かりに考えてみると、日曜日の夕方の寂しさには、休日が終わるという予感だけでなく、時間の受け止め方、翌日への心理的な準備、テレビ番組の性格、そして人間の注意や記憶の働きが関係している可能性が見えてくる。ただし、心理学の研究で確かめられている事実と、一人の体験を説明するための仮説は区別しなければならない。その違いを意識しながら、あの夕方の不思議を考えてみたい。

休日は、まだ終わっていないうちから終わり始める

 人間が感じる時間は、時計の針が示す時間と必ずしも一致しない。好きなことに夢中になっている時間は短く感じられ、退屈な時間はなかなか進まないように感じられる。日曜日の夕方には、それとは少し異なる現象が起こることがある。現在の時間を過ごしているにもかかわらず、気持ちだけが翌日の生活へと先回りしてしまうのである。

 例えば、日曜日の午前中なら、休日はまだ十分に残っている。朝食を終えてから出掛けてもよいし、何もせずに過ごすこともできる。昼食後の午後にも、散歩や買い物、読書などに使える時間がある。ところが夕方になると、翌日の予定や準備が現実味を帯び始める。明日の朝は何時に起きなければならないのか、仕事や学校で何をするのか、まだ済ませていない用事はないか。そうした考えが浮かぶと、日曜日が終わっていないにもかかわらず、心の中では月曜日が始まりかけている。

 この感覚を理解する手掛かりとして、米国ロチェスター大学のリチャード・ライアンらが2010年に発表した心理学研究がある。研究では、さまざまな職業に就く男女74人を対象に、3週間にわたって気分や活動状況などを繰り返し調べ、週末と平日、仕事中と仕事をしていない時間の違いを検証した。その結果、週末や仕事をしていない時間には、心理的な状態が良好になる傾向が確認された。

 研究者たちは、こうした違いを、単純に仕事があるかどうかだけでは説明していない。自分の行動を自分で選べるという自律性や、人とのつながりを感じられることが、心理的な良好さと関係していると考えたのである。休日には、平日よりも自分の意思で時間を使える機会が多くなる人がいる。誰かに決められた予定ではなく、自分で選んだ予定に従って生活できることが、心の余裕につながる可能性がある。

 興味深いのは、この研究で、週末を金曜日の夕方から日曜日の午後までと捉え、日曜日の夕方を平日側に分類していることである。研究者たちは、翌日に仕事を控えた時間帯が、心理的にはすでに週末とは異なる性格を持つと考えた。ただし、これは分析のために設定された時間区分であって、日曜日の17時になった瞬間に人間の感情が変化すると証明されたわけではない。研究対象も就業者74人であり、すべての人に同じ傾向が当てはまるとは限らない。

 それでも、休日の終わりが単に休みの時間を失うことではなく、自分で自由に使える時間が減っていく感覚と関係しているという考え方は、日曜日の夕方を理解するうえで参考になる。日曜日の夕方に何となく寂しくなるのは、翌日の仕事や学校が嫌だからという理由だけではなく、自分の意思で過ごせる時間が残り少なくなることへの惜しさなのかもしれない。

17時から18時への1時間は、本当に短いのだろうか

 しかし、休日の残り時間が減ることによって寂しさが生まれると考えると、筆者の記憶には説明できない部分が残る。17時台よりも18時台の方が、休日は確実に終わりへ近づいている。それにもかかわらず、ニュースからアニメに切り替わると気分が回復したのである。ここには、時計で測る時間と、人間が心理的に受け止める時間の違いが隠れているのではないだろうか。

 仮に、土曜日の0時から月曜日の0時までの48時間を休日と考えてみよう。日曜日の17時には41時間が経過しているため、休日全体の約85.4%が過ぎたことになる。18時には42時間が経過して87.5%となるので、この1時間で休日全体の経過率は約2.1ポイント上昇する。

 ところが、同じ1時間でも、残された時間を基準にすると違った数字になる。17時の時点では休日が7時間残っているのに対し、18時には6時間しか残っていない。つまり、17時時点の残り時間を基準にすれば、わずか1時間で約14.3%が失われたことになる。休日全体を基準にすれば小さく見える変化も、残り時間を基準にすると、必ずしも小さくないのである。

 もちろん、現実の休日は土曜日の0時から始まるとは限らず、日曜日の何時までを自由時間と考えるかも人によって異なる。この計算は、実際の生活を再現したものではなく、時間の捉え方によって同じ1時間の重みが変わることを示すための仮定にすぎない。さらに、人間の寂しさが休日の残り時間に比例するという証拠もない。残り時間が一定の長さを下回ったときに急に寂しくなる人もいれば、翌日の予定が気にならない限り、夕方になっても気分が変わらない人もいるだろう。

 したがって、17時から18時への気分の変化を、休日の経過率だけで説明することは難しい。むしろ重要なのは、残された時間をどう使おうとしているのか、あるいは、その時間に何が始まると期待しているのかという点なのかもしれない。17時に感じていた寂しさが18時に和らいだとすれば、単に時計が進んだのではなく、時間の意味そのものが変わった可能性がある。

夕方のニュースは、休日の外にある世界を連れてくる

 ここで改めて考えたいのが、筆者が寂しさを感じていたとき、テレビのニュースを見ていたという点である。ニュースは、世界で実際に起きている出来事を知らせる番組であり、視聴者を社会の現実へと向かわせる。休日を家でゆっくり過ごしている人にとって、ニュースは、自分の周囲とは別の場所で社会が動き続けていることを思い出させる機会にもなる。

 ニュースの内容が人間の気分に及ぼす影響については、実験研究が存在する。英国の心理学研究者ウェンディ・ジョンストンとグラハム・デイビーが1997年に発表した研究では、肯定的、中立的、否定的な内容に編集した14分間のテレビニュースを、異なる参加者群に視聴させて比較した。その結果、否定的なニュースを見た人では、不安や悲しみが増加し、自分自身の心配事をより深刻に受け止めやすくなる傾向が確認された。

 この研究が示しているのは、ニュースという番組全般が人間を憂うつにするということではない。否定的な内容を含むニュースが、一定の実験条件のもとで、視聴者の感情や心配事の捉え方に影響したということである。明るいニュースや身近な出来事を伝えるニュースには、異なる作用があるかもしれない。また、筆者が若い頃に見ていたニュースの内容を詳しく記録しているわけではないため、当時の寂しさが報道内容によって直接引き起こされたと断定することもできない。

 ただし、ニュースが人の意識を現実の社会へ向けさせるという性格については、考える余地がある。日曜日の午後、家の中で自由に過ごしていた時間に、テレビから社会の出来事が流れてくる。事件や事故だけでなく、政治や経済、天気、翌日以降の予定に関係する情報などを聞くうちに、休日の内側にいた感覚から、平日の社会へ戻っていく感覚が生まれる可能性がある。

 もちろん、これは筆者の記憶を説明するための一つの仮説であり、ニュース番組の視聴が必ず月曜日への不安を生むという科学的な結論ではない。それでも、夕方のニュースが終わる頃には、休日の静けさと、まもなく始まる日常とが、心の中で重なっていたのかもしれない。

アニメが始まったとき、何が変わったのだろうか

 17時台のニュースを見ていると寂しくなるのに、18時台のアニメが始まると気分が回復する。この変化を考えるとき、最も分かりやすい説明は、意識を向ける対象が変わったというものである。ニュースを見ている間は社会の出来事や翌日の生活に気持ちが向いていたとしても、好きなアニメが始まれば、登場人物の会話や物語の展開に注意が引き寄せられる。月曜日が近づいているという現実は変わらないが、そのことを意識する時間は少なくなる。

 こうした感情の変化に関連する研究として、2006年に台湾の研究者チンチン・チャンが発表した、メディア視聴と気分の改善に関する実験がある。研究では、先に接したメディア内容によって悲しい気分になった参加者が、好ましい広告に接することで、気分を改善させる効果が確認された。別の実験でも、肯定的な表現の広告が、悲しい気分の人の否定的な感情を弱める結果が得られている。

 この研究で使われたのは広告であり、ニュースからアニメへの切り替えを直接調べたわけではない。しかし、メディアの内容が変わることで、それまでの否定的な感情が和らぐ場合があるという点では、筆者の経験を考える手掛かりになる。特に、物語を楽しむことによって不安や寂しさから注意が離れれば、気分が自然に変化する可能性がある。

 アニメには、映像や音楽、登場人物の声、物語の展開など、人の注意を引き付ける多くの要素がある。見慣れた番組なら、放送開始の音楽を聞いただけで、これから楽しい時間が始まるという期待が生まれることもあるだろう。そうした期待自体が気分を変えている可能性もある。まだ休日が終わったわけではなく、今から楽しめる時間が残っていると感じられれば、夕方の寂しさは薄らいでも不思議ではない。

 もっとも、ここで注意すべきなのは、アニメが気分の回復を引き起こしたと断定できるわけではないという点である。17時台から18時台にかけて変化したのは番組だけではなく、時間の経過、夕方の明るさ、気分の自然な揺れ、番組が始まることへの期待なども同時に変化している。もし17時台からアニメを見ていたら同じ寂しさが生じたのか、あるいは18時台もニュースを見続けていたら寂しさが残ったのかを確かめなければ、番組の効果だけを切り離すことは難しい。

 それでも、筆者が経験した気分の変化そのものには意味がある。休日が終わりに近づいているという状況が同じでも、その瞬間に何を見て、何を楽しみ、何を考えているかによって、時間の感じ方は変わり得るということである。あの18時台のアニメは、未来に向かっていた意識を、もう一度、目の前の時間へ引き戻してくれたのかもしれない。

日曜日は、本当にほかの曜日より寂しいのか

 ここまで考えると、日曜日の夕方には多くの人が同じような寂しさを感じるように思えてくる。しかし、心理学の研究を詳しく調べると、そのような単純な結論にはならない。曜日による気分の違いは確認されているものの、その傾向は研究方法や対象者によって異なっている。

 米国の研究者アーサー・ストーンらは、2012年に発表した研究で、約34万人の電話調査データを分析し、曜日による気分の違いを調べた。その結果、金曜日や週末には気分が良好になる傾向が認められた一方、土曜日と日曜日の間には明確な差が見られなかった。また、月曜日の気分が火曜日から木曜日より特別に悪いという、いわゆる月曜日の憂うつについても、強い裏付けは得られなかった。

 これに対して、2011年に発表されたチャールズ・アレニらの研究では、複数の先行研究を統合するメタ分析が行われ、月曜日の気分がわずかに悪化する傾向が確認されている。現在の気分を曜日ごとに報告した34標本の分析では、標準化平均差という、平均値の違いを標準偏差で調整した指標で、約-0.06~-0.08という小さな効果が示された。これは統計的には検出され得る差であっても、一般的な日常生活で誰もがはっきり感じるほど大きな差とは限らない。

 この2つの研究は、必ずしも完全に矛盾しているわけではない。調査対象者や気分を尋ねる方法、曜日の比較方法が異なれば、検出される差も変わり得る。そもそも、ある研究で統計的に明確な差が見られなかったことは、その差が存在しないと証明されたことを意味しない。一方、小さな差が確認されたとしても、すべての人に同じ現象が起こると結論付けることはできない。

 何より、これらの研究で比較しているのは主として曜日単位の感情であり、日曜日の17時台という短い時間に限定した寂しさではない。日曜日の午前中には楽しく過ごしていても、夕方の数十分間だけ気分が沈む人はいるだろう。1日を通した平均値を比較すると、こうした短時間の変化は見えにくくなる。統計的な平均と、一人の人間が特定の時間帯に感じる感情とは、分けて考える必要がある。

2025年の研究が示した、時刻と心の意外な関係

 人間の感情を曜日だけでなく、時刻との関係から調べた研究もある。2025年2月に公表されたユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究では、イングランドの成人49,218人について、約90万件の反復観測データを分析し、回答した時刻や曜日、季節と、心理的な健康状態との関係を調べている。

 この研究では、全体として午前中に心理的な状態が良好で、深夜には悪くなる傾向が確認された。また、幸福感や生活満足度などの一部の指標では、日曜日より月曜日や金曜日の方が良好な結果も示された。一方、孤独感については、曜日による明確な違いが確認されなかった。人間の感情は曜日だけで一律に決まるわけではなく、何を測定するかによっても見えてくる姿が異なるのである。

 ただし、この研究を読む際には重要な注意点がある。調査は2020年から2022年にかけて実施され、新型コロナウイルス感染症の流行期と重なっていた。また、回答時刻と心理状態の関連を分析した観察研究であり、同じ人の感情が1日の中でどのように変わったかを、常時直接測定した実験ではない。幸福感などの質問には過去1週間を振り返るものも含まれており、結果をそのまま「朝は楽しく、夕方は寂しい」という瞬間的な感情の変化と同一視することはできない。

 さらに、研究で測定された孤独感と、筆者が若い頃に日曜日の夕方に感じた淋しさも、必ずしも同じ感情ではない。人とのつながりが不足していると感じる孤独感と、楽しい時間が過ぎ去ることを惜しむ寂しさでは、その背景が異なる可能性がある。日曜日の夕方の感覚を科学的に理解するためには、曜日や時刻だけでなく、その人が何を考え、どのような生活を送り、何を楽しみにしているのかまで調べる必要があるだろう。

日本人の日曜日は、生活時間の数字から見えるのか

 日本に目を向けると、総務省統計局が実施する社会生活基本調査が、人々の曜日別の生活を知るための重要な資料となる。2021年の調査では、平日、土曜日、日曜日を区別した生活時間の集計に加えて、1日を15分単位に区切り、各時間帯にどのような行動をしている人が多いかを調べている。こうした統計を用いれば、日曜日の夕方に仕事や家事、食事、休養、テレビ視聴などをしている人の割合を比較することができる。

 ただし、生活時間の統計から、人々の感情をそのまま読み取ることはできない。例えば、日曜日の18時にテレビを見ている人の割合が分かったとしても、その人たちが楽しい気分なのか、寂しい気分なのかまでは分からない。また、同じテレビ視聴でも、ニュースとアニメでは内容が異なり、同じ番組を見ていても受け止め方は人それぞれである。

 さらに、日曜日の夕方がどのような意味を持つかは、働き方によっても変わる。月曜日から金曜日まで働く人にとっては、日曜日の夕方が翌週の仕事を意識する時間になりやすいだろうが、日曜日に働いて月曜日に休む人には、異なる時間感覚があるかもしれない。退職後の生活でも、曜日による自由時間の違いが小さくなれば、日曜日の夕方の受け止め方は変わる可能性がある。

 2012年のストーンらの研究でも、高齢者や退職者では曜日による気分の違いが小さくなる傾向が報告されている。もっとも、これは米国の調査結果であり、そのまま日本人全体に当てはまると断定することはできない。年齢を重ねれば必ず日曜日の寂しさが消えるということでもない。曜日の感覚は、就業状況だけでなく、家族との生活、地域の行事、余暇の習慣などによっても形作られるからである。

 統計は、多くの人々に共通する生活の傾向を教えてくれる。しかし、一人の人間が日曜日の17時台に感じた寂しさが、18時台のアニメによって収まったという記憶を、そのまま数字で説明してくれるわけではない。社会全体の時間の流れと、一人ひとりの心の中にある時間の流れは、同じとは限らないのである。

「サザエさん症候群」とは逆だった、筆者の日曜日

 日曜日の夕方の憂うつを表す言葉として、「サザエさん症候群」が知られている。日曜日の夕方に放送されるアニメを見て、休日が終わりに近づいていることを実感し、翌日からの仕事や学校を思って気分が沈む現象を表す俗称である。医学的に確立された独立の診断名ではないが、日曜日の夕方特有の気分を表現する言葉として広く用いられてきた。

 ところが、筆者の若い頃の記憶は、この一般的な説明とは正反対だった。アニメが始まることで休日の終わりを意識したのではなく、むしろアニメが始まると、それまでの寂しさが収まったのである。日曜日の夕方という同じ時間帯でありながら、ある人にとっては休日の終わりを告げる番組が、別の人にとってはまだ楽しめる時間が残っていることを知らせる番組になる。

 日本のテレビ放送史を振り返ると、日曜日の18時台とアニメとの結び付きが長い歴史を持つことが分かる。フジテレビが公表した1969年10月5日の番組編成では、18時から『ハクション大魔王』、18時30分から『サザエさん』が放送されていた。『サザエさん』のテレビアニメが放送を開始したのも、この日である。日曜日の夕方にアニメを見る習慣は、長い年月を通じて、日本の家庭生活の一部分となってきた。

 かつてのテレビは、現在のように好きな番組を都合のよい時刻に自由に再生できる環境とは異なり、基本的には放送時刻に合わせて視聴するものだった。見たい番組が始まる時刻を待つこと自体が、日常の小さな楽しみになっていた人も多かっただろう。日曜日の18時台にアニメが始まることは、単にテレビの番組表が切り替わるという以上に、家庭で過ごす時間の雰囲気が変わるきっかけになっていた可能性がある。

 このような習慣を長く繰り返していると、特定の時刻や音楽、番組の始まりと感情が結び付くことも考えられる。いつも同じような時間帯に同じ種類の番組を見ていれば、その時刻が近づくだけで楽しみを予期するようになるかもしれない。反対に、ある番組の終了が休日の終わりを思い出させるようになる場合もあるだろう。

 つまり、同じ18時台のアニメでも、人によって心の中で果たす役割は異なるのである。ある人にとっては月曜日が近づく合図になり、別の人にとっては日曜日の楽しみが続いている証しになる。この違いを考えると、日曜日の夕方の寂しさを理解するには、番組の内容だけでなく、その人が番組とともに過ごしてきた時間や記憶にも目を向ける必要がある。

日曜日の夕方の寂しさを、実際に測るとしたら

 筆者の記憶が示しているような変化を科学的に確かめるには、どのような方法が考えられるだろうか。例えば、複数の日曜日について、17時台と18時台の気分を同じ基準で測定し、そのときに見ていた番組や活動内容、翌日の予定、睡眠状況などを記録する方法がある。気分を0から10までの数値で評価し、何週間か続ければ、少なくとも本人の中でどのような変化が繰り返されているかを確かめる手掛かりになる。

 ただし、アニメを見ている日曜日だけ気分が良かったとしても、それだけでアニメに原因があると結論付けることはできない。アニメを見る余裕のある日は、そもそも仕事の心配が少なかった可能性があるし、天気や体調、家族との過ごし方が影響していたかもしれない。より厳密に調べるなら、異なる番組を見る条件を設け、視聴する順序を変えて比較する必要がある。それでも、番組への好みや期待を完全に取り除くことは難しい。

 日曜日の寂しさを説明するには、未来への予期、現在の活動、過去の記憶という異なる働きを考える必要がありそうである。翌日のことを思えば、これから始まる生活が気になる。目の前の物語に集中すれば、その間は現在の楽しみが意識の中心になる。そして、昔から親しんだ番組に接すれば、過去の楽しかった経験が感情に影響する可能性もある。これらは互いに排他的な説明ではなく、同じ人の中で重なり合っていても不思議ではない。

 ただし、それぞれの影響の大きさを、この体験談だけから数値化することはできない。どの要因が最も重要だったのかも分からない。それでも、あの夕方の気分の変化は、単純な時計の経過だけではなく、人間が時間に与える意味によって感情が変わり得ることを考えさせてくれる。

あの夕方、寂しかったのは何を失うからだったのか

 ここまで心理学の研究や生活時間の統計を調べてみても、若い頃に筆者が17時台のニュースを見ながら感じた淋しさを、完全に説明することはできない。ニュースの内容が影響していたのか、夕暮れの雰囲気が関係していたのか、翌日からの生活を予期していたのか。どの説明にも考える価値はあるが、当時の心の中で起きていたことを、後から一つの原因に決めることはできない。

 それでも、18時台のアニメが始まると寂しさが収まったという記憶は、今でも興味深い。もし休日が終わりに近づくことだけで感情が決まるなら、時間が進むほど寂しさは強くなるはずだが、人間の心はそのように単純には動かない。これから楽しいことが始まると感じれば、休日が終わりに近づいていても、気分が明るくなることは十分に考えられる。

 考えてみれば、人間はまだ失っていないものを、まもなく失うと感じただけで寂しくなることがある。楽しい旅行の最終日、帰り道の車窓、久しぶりに会った人と別れる前の時間などにも、似た感情が生まれることがあるだろう。そこでは、現在が不幸だから寂しいのではない。むしろ、現在の時間に何らかの価値を感じているからこそ、それが過ぎ去っていくことを惜しむ気持ちが生まれるのかもしれない。

 日曜日の夕方にも、それと似たところがある。土曜日から続いていた自由な時間が、いつまでも続くわけではないことを実感する。夕方のニュースは、筆者にとって、その現実を意識するきっかけになっていた可能性がある。一方、18時台のアニメは、まだこの時間にも楽しみが残っていることを思い出させてくれたのかもしれない。休日は終わりに近づいているけれど、今この瞬間まで終わってしまったわけではない。その小さな違いが、寂しさと楽しさの境目にあったようにも思える。

 年齢を重ねると、日曜日の夕方の意味も少しずつ変わっていく。仕事や学校が生活の中心だった頃と、時間の使い方が変わった後とでは、同じ17時であっても感じ方は異なるだろう。それでも、昔見ていたテレビの声や音楽、夕暮れの雰囲気を思い出すと、当時の気分がふとよみがえることがある。生活が変わっても、記憶の中にある日曜日の夕方だけは、昔の時間のまま残っているのかもしれない。

 日曜日の夕方が少し寂しく感じられるのは、必ずしも翌日が嫌だからとは限らない。自由に過ごせる時間が減っていくこと、今の楽しさがいつまでも続くわけではないこと、そして新しい1週間が始まることを、まだ休日の途中にいながら感じ取っているためなのかもしれない。もちろん、すべての人がそう感じるわけではなく、人それぞれの生活や記憶によって、日曜日の夕方は異なる表情を見せる。

 若い頃の筆者にとって、17時台のニュースは、何となく寂しさを感じる時間だった。しかし、18時台になってアニメが始まると、その感覚は静かに消えていった。月曜日が遠ざかったわけでも、休日の残り時間が増えたわけでもない。ただ、明日という未来に向かっていた心が、もう一度、目の前にある日曜日へ戻ってきたのかもしれない。

 そう考えると、あの不思議な淋しさは、日曜日が嫌だったから生まれたものではなく、日曜日という時間をどこかで惜しんでいたからこそ生まれたものだったようにも思える。

 そして18時台のアニメは、過ぎていく時間を惜しむよりも、まだ残っている時間を楽しむことを、知らず知らずのうちに教えてくれていたのかもしれない。

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