リベラル文庫(九条レオン)

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喫茶店のマッチ箱は、なぜ店の広告以上の存在だったのか

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1980年代、ポケットの中に持ち帰った喫茶店

 1980年代の喫茶店には、砂糖壺や灰皿とともに、その店の名前を印刷したマッチ箱が置かれていることが珍しくなかった。箱の表には店名や住所、電話番号が記され、ときにはコーヒーカップ、女性の横顔、楽器、幾何学模様など、その店らしさを表す小さな意匠まで施されていたため、店にとっては客に名前を覚えてもらうための広告でありながら、客の側から見れば、店で過ごした時間の一部をそのまま持ち帰れるような品物でもあった。

 私自身、タバコをやめてからすでに数十年になるが、20代だった1980年代にはライターを使うこともあれば、マッチでタバコに火をつけることも多かった。喫茶店でもらったマッチを持ち歩き、別の店へ入ったときには、それをわざとテーブルの上へ置いてタバコを吸うこともあったが、火をつけるという実用だけを考えればライターで十分だったのだから、今になって振り返ると、私にとってそのマッチ箱には単なる着火道具とは少し違う意味があったのだと思う。

 どこの喫茶店へ行ったのか、どのような店を気に入っているのかを口に出して説明するわけではないが、店名の入ったマッチ箱をテーブルの上へ置くことで、自分の好みや行動範囲がさりげなく見えることがあり、少なくとも私自身には、そこに小さな自己表現のような感覚があったのかもしれない。もちろん、当時の誰もが同じような意識でマッチ箱を使っていたとまでは言えないが、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人々が交流するサービス)が存在しなかった時代には、店名の入った持ち物が、その人の趣味や訪れた場所を周囲へ伝えることもあった。

 こうした感覚が成立した背景には、1980年代という時代そのものがある。日本の喫茶店数は1981年に約15万5,000店に達し、統計上のピークとなっており、1986年にも15万店を超えていたため、1980年代はまさに喫茶店が街の日常風景の中に数多く存在していた時期だった。現在から見ると、喫茶店のマッチ箱は懐かしい小物のように見えるが、当時は特別な記念品ではなく、街のあちこちで目にすることのできる、ごく身近な広告物だったのである。

ライターが普及しても、マッチはすぐには消えなかった

 1980年代にはすでに使い捨てライターが広く普及しており、タバコに火をつけるという目的だけなら、マッチを持ち歩く必要性は以前より薄れていた。実際、日本では1970年代後半から使い捨てライターが急速に普及し、マッチの生産量も大きく減少していたため、1980年代は「マッチしかなかった時代」ではなく、むしろライターとマッチが併存しながら、少しずつ主役が交代していった時代と考える方が実態に近い。

 それでも喫茶店のマッチがすぐに姿を消さなかったのは、マッチが単なる着火道具ではなく、広告としての役割も持っていたからだろう。客に無料で渡されたマッチ箱は、自宅や会社、別の飲食店へと持ち運ばれ、そのたびに店名や住所が人の目に触れることになるため、店にとっては比較的長く客の手元に残る販促品だった。

 私が別の喫茶店で、以前にもらった店のマッチをテーブルの上へ置いていたことも、今から考えればその仕組みの一部だったことになる。本人には広告をしているという意識などなくても、ある喫茶店の名前が入った箱が別の喫茶店のテーブルに置かれ、そこで人目に触れているのだから、広告として見れば非常に自然な形で店の名前が客の日常生活の中へ入り込んでいたことになる。

 当時のマッチ産業を見ると、1970年代前半を境に生産量は急速に減少しているものの、広告マッチそのものは1980年代にも一定の存在感を保っていた。つまり、ライターが普及したからマッチがただちに不要になったのではなく、実用品としての役割を弱めながらも、広告や店の個性を伝える媒体としてしばらく残り続けたのである。

喫茶店とタバコが近かった時代

 1980年代の喫茶店を語るうえで、タバコの存在を無視することはできない。当時の日本では現在より喫煙率がはるかに高く、1982年には成人男性の約70%、20歳代男性では約76%が喫煙者だったため、喫茶店のテーブルに灰皿があり、客がライターやマッチでタバコに火をつけるという光景は、決して特殊なものではなかった。

 ただし、当時のすべての人が喫煙していたわけではなく、とりわけ女性の喫煙率は男性より低かったため、「誰もがタバコを吸っていた時代」と表現するのは正確ではない。それでも、現在より喫煙が身近で、喫茶店の風景とタバコが強く結びついていたことは確かであり、灰皿とマッチ箱がテーブルの上に並んでいた光景は、1980年代の喫茶店を象徴するものの1つだった。

 その後、使い捨てライターの普及によってマッチの需要が減り、さらに長い時間をかけて喫煙率の低下や禁煙、分煙が進んだことで、喫茶店と灰皿とマッチが一組になった風景は少しずつ姿を消していった。ただし、マッチの衰退をすべて禁煙や分煙の影響で説明するのは時系列として正確ではなく、最初の大きな変化は1970年代後半からのライター普及であり、その後に社会全体の喫煙環境の変化が重なったと考える方が自然である。

喫茶店が街の居場所だった1980年代

 当時の喫茶店は、現在のカフェと完全に同じ役割を果たしていたわけではない。もちろん地域や店によって事情は異なるが、個人経営の喫茶店が数多く存在し、純喫茶、ジャズ喫茶、音楽喫茶、学生が集まる店、会社員が商談や休憩に利用する店など、それぞれに異なる客層と空気を持っていた。

 店ごとに照明の明るさも違えば、流れている音楽や椅子の形、コーヒーカップ、店主の趣味まで違い、入口の扉を開ければその店特有の匂いや雰囲気を感じることができた。コーヒー1杯を注文して新聞や雑誌を読み、人を待ち、仕事の話をし、ときには何をするでもなく時間を過ごすことができたため、自宅でも職場でも学校でもない、いわば第三の居場所となる店も少なくなかった。

 携帯電話もインターネットも1980年代にはすでに技術として存在していたが、現在のように一般の生活へ広く普及していたわけではないため、待ち合わせの感覚も今とは大きく違っていた。約束した時刻と場所へ行った後は相手が来るまで待つしかなく、予定を変更したくてもその場ですぐに連絡することは難しかったため、駅前や繁華街の喫茶店は、飲食店であると同時に、人と人が出会うための中継地点としても機能していた。

 そうした場所でもらったマッチ箱には、自然に個人の記憶が重なっていった。この店で誰かを待った、この店で仕事の相談をした、この店には何度も通ったという経験が、住所や電話番号の印刷された小さな箱と結びつくことで、マッチ箱を見るだけで店内の風景や当時の人間関係まで思い出せるようになることがあり、広告として作られた物が、持ち主にとっては記憶の手掛かりへ変わっていったのである。

小さな箱に店の性格が凝縮されていた

 喫茶店のマッチ箱がおもしろかったのは、ごく限られた面積の中で店の個性を表現しなければならなかったことである。大きな広告なら写真も説明文も載せることができるが、マッチ箱では店名、色、書体、ロゴ、わずかなイラスト程度しか使えないため、それだけに店がどのような雰囲気を目指しているのかが、かえって凝縮された形で表れた。

 少し高級そうな店なら落ち着いた書体を使い、若者向けの店なら洋風のロゴや英文字を取り入れ、音楽を売りにする店なら楽器を描くなど、箱のデザインそのものが店の世界観を伝えていた。電話番号や住所まで含めて1つの図案になっていたため、現在から見ると、その文字の形や色使い、余白の取り方までが、1980年代のデザイン感覚を伝える資料になっている。

 現在なら店のロゴやウェブサイトは比較的簡単に変更できるが、印刷されたマッチ箱は、その時点の店の姿を物として固定してしまう。店が移転してもロゴを変えても、あるいは閉店しても、箱の上には当時の住所や電話番号がそのまま残るため、営業している間は客を呼ぶための広告だったものが、店が消えた後には、その店がかつて存在していたことを伝える記録へと変わっていく。

マッチ箱から昔の街がよみがえる

 街は同じ場所にあり続けるように見えて、実際には絶えず書き換えられている。1980年代に当たり前のように存在した喫茶店が閉店し、その場所に別の店が入り、さらに建物そのものが建て替えられれば、そこに何があったのかを知る手掛かりは次第に失われていくが、古い引き出しや箱の中から喫茶店のマッチが出てくれば、そこに印刷された店名や住所、電話番号が、当時の街の姿をたどる手掛かりになることがある。

 これは古い写真にも似ている。撮影した本人は歴史資料を残そうと思ってシャッターを押したわけではなくても、何十年か後には背景に写り込んだ商店や看板、自動車や服装の方が、その時代を知る重要な資料になることがあり、マッチ箱もまた、当時はありふれた日用品だったからこそ、後になって価値を持つようになる。

 歴史という言葉からは、大きな政治事件や著名人の活動を思い浮かべがちだが、実際の時代を形づくっているのは、そうした出来事だけではない。人々がどのような店で休み、どんな音楽を聴き、どのような文字や色をしゃれていると感じ、誰とどの店で時間を過ごしたのかという日常の積み重ねもまた、その時代を理解するための重要な手掛かりであり、喫茶店のマッチ箱には、そのような日常の痕跡が小さな面積の中に残されている。

なぜマッチ箱を捨てられなかったのか

 マッチ箱を意識して集めていた人もいれば、特に収集していたつもりはないのに、気がつけば机の引き出しに何十個もたまっていたという人もいただろうが、その理由は単にデザインがおもしろかったからだけではない。旅先で入った店、学生時代によく通った店、仕事の途中で立ち寄った店、誰かと待ち合わせをした店というように、それぞれの箱へ異なる経験が重なっていくと、同じような大きさの紙箱であっても、持ち主にとってはまったく違う意味を持つようになる。

 切符や映画館の半券、昔の名刺などをなかなか捨てられないのも似たところがあり、それらの紙そのものに大きな価値があるわけではないのに、手に取った瞬間、その日その場所にいた自分を思い出すことがある。人は物を保存しているようで、実際にはその物に結びついた時間を保存しようとしているのかもしれず、喫茶店のマッチ箱もまた、日用品から記憶の手掛かりへ変わっていく種類の物だった。

 心理学の研究でも、過去の出来事を意図して思い出そうとしなくても、物、場所、匂い、言葉などをきっかけとして、突然そのときの記憶がよみがえることが知られている。とりわけ青年期から成人初期の出来事は、年齢を重ねた後にも比較的思い出されやすいことが知られており、20代のころに使っていたマッチ箱を数十年後に見たことで、その当時の喫茶店や一緒にいた人を思い出すという経験は、記憶の仕組みから見ても不自然なものではない。

検索する情報と、偶然よみがえる記憶

 現在は店の名前さえ分かれば、インターネットで住所や写真、営業時間、口コミまで瞬時に調べることができるため、情報量という点では1980年代とは比較にならないほど便利になった。しかし、情報が大量に保存されていることと、それが人間の記憶として残ることは必ずしも同じではなく、スマートフォンの中に何千枚もの写真があっても、そのすべてを何度も見返すわけではない。

 しかもデジタル情報は、こちらから検索しなければ姿を現さないことが多いのに対し、物として残っているマッチ箱は、机の引き出しを整理しているときなどに突然現れ、こちらが思い出そうとしていなかった記憶まで呼び戻すことがある。箱に印刷された店名を見た瞬間、店内の照明や椅子の形、コーヒーの匂い、そのとき一緒にいた人の顔までよみがえることがあるのだから、検索して取り出す情報と、偶然出会い直す記憶とは、同じ記録であっても性質がかなり違う。

 そう考えると、喫茶店のマッチ箱が持っていた価値は、単に昔の広告だったということだけでは説明しきれない。人間が意識して保存した情報ではなく、長い間忘れていた物が突然目の前に現れることによって、記憶の方から現在の自分へ近づいてくるという経験を生み出せることこそ、物として残る媒体の特徴だったのである。

広告より長く生き残ったもの

 喫茶店がマッチ箱を作った理由そのものは、おそらくそれほどロマンチックなものではなく、店名や場所を覚えてもらい、再び来店してもらうための販促品だったはずである。しかし、物はときに作り手が想定した役割を越えて生き続け、店が閉まり、電話番号が使われなくなり、その住所に別の建物が建った後でも、マッチ箱だけが引き出しの中に残ることがある。

 その時点では、箱に書かれている情報の実用的な価値はほとんど失われており、電話をかけても店にはつながらず、住所を訪ねても昔の喫茶店を見ることはできない。それでも捨てにくい箱があるのは、そこに残っているものが店名や電話番号だけではなく、コーヒーの香りやタバコの煙、流れていた音楽、テーブルの感触、その店で一緒に過ごした人、そして何より、そのころの自分自身まで重なっているからだろう。

 1980年代、喫茶店でもらったマッチを別の店のテーブルに置き、それでタバコに火をつけていたころには、その小さな箱が数十年後まで記憶を運ぶものになるとは考えていなかった。しかし今になって振り返れば、喫茶店のマッチ箱は、広告として生まれ、火をつける道具として使われ、ときには持ち主の好みを示す小さな小道具となり、その後は個人の記憶を呼び戻す手掛かりとなり、さらに年月がたてば1980年代の街や暮らしを伝える資料へと姿を変えていった。

 だから古いマッチ箱を1つ手に取ったとき、そこに見えているのは昔の喫茶店の名前だけではない。その店の灯りがまだ街のどこかにあり、若かった自分がそのテーブルに座り、コーヒーの横へマッチ箱を置いてタバコに火をつけていた時代までが、小さな紙箱をきっかけとして、静かによみがえってくるのである。

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