毎年、夏と冬になると「芥川賞」「直木賞」という言葉がニュースに現れる。文学にそれほど関心がない人でも、この二つの名前だけは知っているだろう。受賞者が記者会見を開き、書店には受賞作を積み上げた棚ができ、ときには作品そのもの以上に、受賞した作家の経歴や人物像がニュースになる。
ところが、考えてみると少し不思議である。
なぜ日本には、これほど有名な文学賞が二つ並んで存在しているのだろう。芥川賞は純文学、直木賞は大衆文学やエンターテインメント小説を対象とする、という説明はよく知られている。しかし、それだけでは両賞の「違い」は分かっても、「なぜ二つの賞が必要だったのか」という問いにはまだ答えていない。
その答えを探すには、1935年の第1回授賞より、さらに一年さかのぼる必要がある。
1934年4月、『文藝春秋』の「話の屑籠」で、菊池寛はすでに二つの文学賞の構想を書いていた。直木三十五を記念する賞を大衆文芸の新進作家に、芥川龍之介を記念する賞を純文芸の新進作家に贈りたい、というのである。つまり芥川賞と直木賞は、後になって一つの文学賞を二種類に分割したものではない。構想された最初の段階から、異なる二つの文学領域に新しい書き手を送り出す、二本立ての制度として考えられていた。
ここを起点にすると、芥川賞と直木賞の姿は、現在私たちが抱いている「権威ある文学賞」というイメージとは少し違って見えてくる。
この二つの賞の原点にあったのは、文学作品に順位をつけることだけではない。
まだ名前の知られていない作家を、文学の世界へ押し出すことだった。
二つの賞は、二人の死から生まれた
物語の中心にいるのは、芥川龍之介でも直木三十五でもない。『文藝春秋』を創刊した作家・菊池寛である。
芥川龍之介は1927年に亡くなり、直木三十五も1934年に世を去った。二人はいずれも菊池寛と親しく、『文藝春秋』とも深い関係を持っていた。芥川は創刊号から「侏儒の言葉」を連載し、直木も小説だけでなく多くの記事を寄稿していた。
現在から振り返れば、芥川龍之介は近代日本文学を代表する作家であり、直木三十五は大衆文芸を代表する名前として記憶されている。しかし、当時の二人は教科書や文学史の中にいる「文豪」ではなかった。雑誌という新しいメディアの中で作品を書き、読者に読まれ、同時代の文壇を生きていた現役の作家だった。
その二人を相次いで失った菊池は、1934年の段階で二つの賞を構想し、翌1935年1月号の『文藝春秋』で、その実施を正式に表明する。
その目的について菊池は、亡くなった友人を記念すると同時に、無名、あるいは無名に近い新進作家を世に出したいという趣旨を明確に書いている。さらに当選者については、賞を与えるだけではなく、その後の作家としての進展も文藝春秋社が援助するという考えを示していた。
つまり、この賞の出発点にあったのは、すでに完成した大家を表彰することではなかった。
まだ世間が知らない才能を見つけ、名前を与え、その後の作家人生まで押し出していこうという発想だったのである。
ここを理解すると、芥川賞と直木賞の見え方はかなり変わってくる。
あれはもともと、「その年の日本で最も優れた小説を決める大会」として始まったわけではないのだ。
文学賞というより「作家を世に出す装置」だった
作家になるということを、少し昔の時代に置き換えて考えてみたい。
インターネットはなく、個人が自分の作品を世界中へ公開することもできない。小説を書いた若者がどれほど才能を持っていても、雑誌編集者の目に留まり、作品が掲載され、そこで初めて読者に名前を覚えてもらう。その回路に乗れなければ、優れた作品を書いていても、その存在を知ってもらうことさえ難しかった。
だからこそ、近代以降の文学の世界では、「誰が新人を見つけるのか」という問題が大きな意味を持つ。
菊池寛は、そこに文学賞を置いた。
しかも興味深いことに、芥川賞も直木賞も、公募によって原稿を集める新人賞ではない。その性格は現在まで引き継がれており、芥川賞は雑誌や同人雑誌に発表された新進作家の純文学作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本から選ばれる。
作家自身が「芥川賞に応募します」「直木賞に応募します」と原稿を送る制度ではない。
すでに文学や出版の世界のどこかに姿を現し始めている作品を探し、その中から次に広く世に送り出す作品と作家を選ぶ仕組みなのである。
これは一般的なコンクールとはかなり違う。
文学賞が作品を選ぶ。その名前を新聞や雑誌が報じる。書店が本を並べる。そこで初めて、多くの読者がその作家の存在を知る。読者が作品を読み、出版社が次の本を出し、作家はさらに新しい作品を書く。
そう考えると文学賞とは、作品に栄誉を与える制度であると同時に、才能と読者のあいだに橋を架ける出版文化の仕組みでもあったことが分かる。
菊池寛が創設時に、受賞者について賞を与えるだけでなく、その後の進展まで援助する考えを示していたのは、この賞の性格をよく表している。
賞金を渡して終わりではない。
「この人を世に出す」。
そこまで含めて、文学賞を考えていたのである。
では、なぜ芥川賞と直木賞の二つが必要だったのか
ここでようやく、「なぜ一つではなく二つなのか」という疑問に戻ることができる。
その答えは、1934年に菊池寛が最初の構想を記した時点ですでに示されていた。純文芸の新進作家には芥川の名を冠した賞を、大衆文芸の新進作家には直木の名を冠した賞を与える。二つの文学を一つの物差しで測るのではなく、それぞれの世界から新しい書き手を送り出そうとしていたのである。
現在の制度では、芥川賞は新進作家による純文学の中・短編作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の長編小説や短編集が対象となっている。
しかし、これを「芥川賞の方が文学的に上で、直木賞は読みやすい小説の賞」と理解してしまうと、二つの賞を設けた意味を見失ってしまう。
小説には、そもそも一つの物差ししかないわけではない。
文章そのものをどこまで研ぎ澄ますか。人間の内面をどこまで深く掘り下げるか。これまで存在しなかった表現をどのように生み出すか。そうした方向へ進む小説がある。
一方では、物語をどのように動かし、人物をどのように生かし、読者を何百ページも先へ連れていくのかを追求する小説もある。
両者は重なり合うこともあり、境界が明確に引けるわけでもない。しかし、少なくとも「どちらが上か」という関係ではない。小説という同じ器の中に、異なる価値の方向が存在しているのである。
芥川賞と直木賞が長く並び続けてきた面白さは、一つの基準で文学全体を序列化しなかったことにあるのかもしれない。
文学の新しい表現を探す道と、多くの読者を物語へ引き込む道。
二本の街道を残し、それぞれの先頭に新しい作家を送り出してきたのである。
芥川賞と直木賞では、受賞作が読者に届く道も少し違う
二つの賞の違いは、現在の発表のされ方にも表れている。
芥川賞の受賞作は『文藝春秋』に全文が掲載される。一方、直木賞の受賞作は『オール讀物』に一部が掲載される。
これは単なる編集上の違いではなく、そもそもの対象作品の形とも関係している。
芥川賞は雑誌に発表された中・短編作品が対象であるため、受賞作を一つの雑誌の中に全文収めることができる。読者は「今年の芥川賞は何だろう」と思えば、『文藝春秋』を買い、その場で作品そのものを読むことができる。
これに対して直木賞では、単行本として刊行された長編小説や短編集が対象になる。興味を持った読者は、受賞作が収録された本そのものを手に取ることになる。
その違いは、両賞が読者と出会う風景にも微妙な差を生んできた。
芥川賞では、それまで広く知られていなかった名前が受賞をきっかけに全国的に報じられ、その作品が一気に広い読者の注目を集めることがある。そこには現在も、「無名に近い新進作家を世に出す」という創設時の劇的な構造が残っている。
一方、現在の直木賞は新進作家だけでなく中堅作家も対象としており、芥川賞より作家歴の幅が広い。すでに何冊もの作品を発表し、一定の読者を持っている作家が候補になることも珍しくない。
そのため直木賞には、まったく知られていなかった新人を発見するだけでなく、それまで一部の読者に知られていた作家を、さらに広い読者へ届ける役割も生まれる。
二つの賞は似たように見えて、作家が受賞する時点の位置も、作品が読者へ届く道筋も、少しずつ違っているのである。
「受賞作なし」があることの意味
文学賞を単なる競争だと考えると、もう一つ不思議なことがある。
芥川賞にも直木賞にも「受賞作なし」がある。
競技大会なら、一位は原則として存在する。参加者の中で最も速かった人、最も高く跳んだ人を選べばよい。
しかし文学賞では、候補作品が並んでいても「今回は選ばない」という判断ができる。
これは文学の価値が、タイムや得点のようには測れないことを象徴している。
そして同時に、文学賞が「候補作品の中から機械的に一番を選ぶ仕組み」ではないことも示している。
芥川賞であれば、この作品には純文学の世界へ新しい何かを送り込む力があるのか。直木賞であれば、この作品はエンターテインメント小説の世界に新しい広がりをもたらすのか。
もちろん、実際の選考委員一人ひとりが同じ基準で判断しているわけではない。しかし、両賞が新しい文学や作家を世に送り出すという制度の趣旨から考えれば、問われているのは作品の完成度だけではなく、その作品がこれからの文学に何を加えるのか、ということでもあるのだろう。
だから意見が割れる。
だから選評が面白い。
そして、ときには何十年たってから、「なぜこの作品が受賞し、あの作品が選ばれなかったのか」と再び議論される。
文学賞の選考そのものが、その時代の文学観を記録する批評になっているのである。
文学賞は名作を決めるものなのか
ここまで来ると、さらに厄介な疑問が生まれる。
芥川賞や直木賞を取った作品は、本当に「名作」なのだろうか。
答えは、おそらくそれほど単純ではない。
受賞した瞬間には大きく報道されながら、その後ほとんど読まれなくなった作品もある。一方で、賞とは関係なく何十年も読み継がれる小説もある。
文学賞は、未来の読者まで決めることはできない。
そもそも菊池寛が作ろうとしたものも、百年後まで残る作品を予言する装置ではなかった。
まだ知られていない作家に光を当てることだった。
ここに、文学賞を見るときの重要な違いがある。
文学史は、後世の読者や研究者が長い時間をかけて作っていく。一方、文学賞は、その時代を生きている人間が「いま、この作品を世に送り出したい」と判断する制度である。
だから両者は一致しなくても不思議ではない。
むしろ何十年も前の受賞作を読み返してみれば、その作品が永遠の名作だったかどうかとは別に、「当時の文学者たちは何を新しいと考えていたのか」が見えてくる。
その意味では、文学賞の歴史を読むことは、日本人が小説に何を求めてきたのかを読むことでもある。
二つの文学賞が九十年以上残った理由
1935年に始まった二つの賞は、九十年以上たった現在まで続いている。
文学雑誌の発行部数が縮小し、本が以前ほど売れない時代になっても、芥川賞と直木賞の発表はニュースになる。書店には受賞作の棚ができ、普段は純文学を読まない人まで「今年の芥川賞は何だろう」と作品を手に取ることがある。
それは、この二つの賞が単なる表彰制度ではなく、文学と社会を定期的につなぎ直す「行事」になったからではないだろうか。
毎年、膨大な数の本が出版される。
そのすべてを読むことは誰にもできない。読者はいつも、本の海の前で「何を読めばいいのか」という問題に直面している。
そこへ半年に一度、芥川賞と直木賞が現れる。
今、この作家を読んでみませんか。
今、この小説について話してみませんか。
文学の世界から社会へ向かって、そう問いかける。
文学賞とは作家のためだけに存在しているのではないのかもしれない。読者に対して、まだ知らない一冊と出会う理由を与える制度でもあるのだ。
死者の名前を使って、未来の作家を生み出す
芥川賞と直木賞の歴史には、最後に一つの美しい逆説が残る。
二つの賞は、亡くなった作家の名前を記念するところから始まった。
芥川龍之介はすでにいない。
直木三十五もすでにいない。
それでも菊池寛は、二人の名前を記念碑の上に刻んで終わらせなかった。
芥川の名前を、これから現れる純文学の新進作家へ渡した。
直木の名前を、これから現れる大衆文芸の新進作家へ渡した。
だから芥川龍之介という名前の下から、何十人もの新しい作家が現れた。直木三十五という名前の下からも、時代ごとに新しい物語を書く作家が現れ続けた。
死者を記念するために作られた制度が、新しい書き手を生み出し続ける。
そう考えると、芥川賞と直木賞は過去を顕彰するための賞でありながら、最初から未来へ向かって設計された文学賞だったことが分かる。
では、芥川賞と直木賞は、そもそも何のための賞なのか。
優れた小説を表彰するため、と答えても間違いではない。
しかし、それだけでは、この二つの賞が九十年以上にわたって日本の文学と出版の中心に存在し続けてきた理由までは説明できない。
亡くなった二人の作家の名前を残しながら、その名前を次の世代の作家へ渡す。まだ広く知られていない才能を見つけ、出版社が押し出し、新聞や雑誌が伝え、書店が並べ、そして読者がその名前を覚える。
1934年、菊池寛が考えていたのは、純文芸と大衆文芸という二つの世界へ、それぞれ新しい作家を送り出すことだった。
九十年以上が過ぎても、その基本的な構図は驚くほど残っている。
芥川賞と直木賞が選び続けているものは、完成した「名作」だけではない。
これから誰が小説を書き続け、誰の言葉を私たちが読んでいくのか。
二つの賞が半年ごとに選んでいるのは、いわば日本文学の「次の時間」なのである。

