リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

太宰治はなぜ高校生の心に入り込むのか

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。

小学生のころは、学校から与えられた課題図書を読む程度だった。中学生になると、朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えた。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。

そのなかに太宰治がいた。

いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがある。

それは、単に文章が読みやすいからでも、暗い物語だからでもない。

高校生という、自分が何者なのかまだ確定していない時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描いている人間の不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年に39歳を目前にして亡くなった。国立国会図書館は、太宰を戦後に『斜陽』『人間失格』などを書き、「無頼派」などと呼ばれた作家として紹介している。

しかし、太宰を読むという経験を、その波乱に満ちた私生活だけから説明してしまうのは、少し違うように思う。

高校生だった私が向き合っていたのは、作家の伝記ではなく、まず文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

高校生という時期は、不思議な年代である。

子どもとして扱われることに抵抗を覚える一方で、大人として社会の中に自分の位置を持っているわけでもない。

将来について問われる。

進学するのか。

何を学ぶのか。

どんな仕事をするのか。

自分には何ができるのか。

しかし、その問いに答えられるほど、自分自身のことを理解しているわけではない。

友人との関係も変化する。

人からどう見られているのかが気になる。

自分だけが周囲とうまくかみ合っていないように感じることもある。

他人から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては大きな問題になる。

おそらく、こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくる。

太宰の作品には、堂々と世界を説明する人間よりも、世界とうまく折り合えない人間がしばしば現れる。

自分を肯定できない。

他人とうまく付き合えない。

人からどう見られているかを過剰に意識する。

自分の弱さを自覚しながら、その弱さから簡単には抜け出せない。

このような人間像は、完成された大人の姿とはかなり遠い。

だからこそ、まだ自分自身が完成していない高校生には、妙に近く感じられるのかもしれない。

「弱い人間」が文学の主人公になる

高校生になるまでに接する物語では、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれることが多い。

もちろん、それ自体に問題があるわけではない。

しかし実際の人間は、それほど単純ではない。

努力できないこともある。

逃げることもある。

嫉妬する。

見栄を張る。

人に好かれたいと思いながら、人との付き合いに疲れる。

自分のことを理解してほしいと思いながら、本当の自分を見られるのは怖い。

太宰の文学には、そうした人間の矛盾がある。

ここに、高校生だった私たちの世代を含め、若い読者が引き寄せられる理由の一つがあるのではないかと思う。

文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。

自信のない人間にも言葉が与えられる。

迷っている人間にも物語がある。

これは、十代の読者にとって意外に大きな発見である。

文学は、優れた人間だけを書くものではない。

むしろ人に見せたくない感情まで文章にすることができる。

太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知ることになる。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。

ただし、太宰の文学を「自分を嫌っている人の文学」とだけ整理してしまえば、あまりにも単純である。

重要なのは、自己嫌悪そのものよりも、それを文章として外へ出していることである。

普通なら隠したくなる感情を、文学として読者の前に置く。

格好の悪さ。

弱さ。

臆病さ。

虚栄心。

他人への依存。

そして、自分自身に対する疑い。

こうした感情は、多かれ少なかれ誰の中にもある。

高校生であれば、なおさら自分と他人を比較する機会が多い。

勉強のできる人。

運動のできる人。

友人の多い人。

異性に好かれる人。

将来の目標がはっきりしている人。

そうした周囲と比較しながら、自分は何者なのだろうと考える。

そのとき太宰の文章には、

「人間は、それほど立派なものではない」

という感覚が流れているように見える。

それは励ましではない。

人生の解決策でもない。

けれども、自分だけが不完全なのではないという感覚を、文学によって知ることはできる。

「道化」という感覚

太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、本当の自分との距離である。

代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』で連載され、同年に筑摩書房から刊行された。作品では主人公・大庭葉蔵の手記という形式が用いられている。

この作品について詳しい内容をここで追うつもりはないが、太宰文学に表れる「人前で自分を演じる」という感覚は、高校生にも理解しやすいものだと思う。

学校では、誰もがある程度の役割を持っている。

明るい生徒。

真面目な生徒。

面白い生徒。

優秀な生徒。

おとなしい生徒。

教師から見た自分と、友人から見た自分も違う。

家庭にいる自分とも違う。

そして本人自身が考えている「自分」とも違う。

人間は、社会のなかで多少なりとも役割を演じて生きている。

大人になれば、それを社会性として受け入れることもできる。

しかし高校生くらいの年代では、

「周囲に見せている自分は、本当の自分なのだろうか」

という疑問が生まれやすい。

太宰の文学が若い読者に響く理由の一つは、この「外側の自分」と「内側の自分」のずれを、非常に鋭く文章にしているところにあるのではないか。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

文学作品には、読者が少し離れた場所から眺めるように読む作品もある。

風景や人物を客観的に描き、世界そのものを構築していく小説である。

それに対して太宰の文章には、ときに読者のすぐ近くから語りかけてくるような感覚がある。

大きな思想を正面から掲げるというより、

「実は私はこうなのだ」

「こんなことを考えてしまう」

という、人間の内側から始まる。

そのため読者は、作品を外から観察するだけでは済まなくなる。

自分にも似たところがあるのではないか、と考えてしまう。

私は高校生のころ、太宰だけを特別な作家として読んでいたわけではなかった。

三島由紀夫も読んだ。

芥川龍之介も読んだ。

川端康成も読んだ。

また、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚の中にあった。

古典的な文学と同時代の文学を、いまのように明確に分類して読んでいたわけではない。

書店の棚に文庫本が並んでいて、そこから一冊を取る。

その一冊が次の一冊へつながっていった。

そのなかで太宰には、他の作家とは少し異なる、人間の弱い部分への近さがあったように思う。

三島由紀夫とは違う入り口

高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。

三島の文章には、文章そのものの完成度や美しさを意識させられるところがある。

美、身体、思想、死。

高校生だった私には理解しきれない部分も多かった。

それでも文章の力は感じた。

一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくる。

弱さ。

恥。

孤独。

自己嫌悪。

他人との距離。

三島を読んで、

「こんな文章があるのか」

と思うとすれば、太宰を読んだときには、

「人間はこんなことまで書いてよいのか」

と感じる。

少なくとも現在の私には、その違いが見える。

高校時代には、そこまで整理して読んでいたわけではなかった。

ただ本を読み、何かを感じ、次の本へ進んでいた。

文学とは本来、そのようにして身体の中に入ってくるものなのかもしれない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。

それは、当時読んだ本を、現在の知識によって「理解していたこと」にしてしまわないことである。

高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。

戦前と戦後の価値観の変化。

地主階級をめぐる社会背景。

当時の文学状況。

太宰自身の複雑な人生。

そうした背景を体系的に勉強してから読んだわけではなかった。

読めたところまで読んだ。

感じられたところまで感じた。

おそらく、それが実際の読書だった。

しかし、だから価値がなかったわけではない。

むしろ文学との最初の出会いは、それでよいのではないかと思う。

すべてを理解してから文学を読むことなど、そもそもできない。

分からないところを残しながら読む。

何十年か経ってから、以前とは別の意味が見えてくる。

それも読書なのである。

太宰の人生と作品を同一視しない

太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。

複雑な人間関係。

心中未遂。

酒や薬物をめぐる問題。

そして1948年の死。

確かに、太宰の人生と作品は無関係ではない。

国立国会図書館や山梨県立文学館の略歴を見ても、その人生が作品形成と深く関係していたことは分かる。

しかし、作者の人生を知れば作品がすべて説明できるわけではない。

さらに危険なのは、

「太宰は苦悩した人生を送ったから、作品も優れている」

というように短絡させることである。

苦しんだから文学者になれるわけではない。

破滅的に生きることに文学的価値があるわけでもない。

太宰の作品が残った理由は、その人生の激しさだけではなく、それを言葉に変える文学的な技術があったからだろう。

高校生が太宰を読むときにも、この二つは分けて考えた方がよい。

太宰の生き方をまねる必要はない。

しかし、太宰が書いた人間の弱さについて考えることはできる。

作品を読むとは、作者の人生を肯定することではないのである。

なぜ今も若い読者に読まれるのか

太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も電子化され、青空文庫などを通じても読むことができる。青空文庫の過去のアクセスランキングでも、『人間失格』『走れメロス』『斜陽』など複数の太宰作品が上位に入っており、デジタル環境になっても継続して読まれていることがうかがえる。

太宰が生きていた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。

私が高校生だったころには、もちろんスマートフォンもインターネットもなかった。

本を探す場所は、まず書店や図書館だった。

現在は作品名を検索すれば、解説も感想も作者の経歴もすぐに出てくる。

しかし、人間そのものがそれほど簡単に変わったとは思えない。

人からどう見られているのか。

自分は何者なのか。

人間関係の中で、どこまで自分を出してよいのか。

他人に合わせている自分と、本当の自分とのどちらが自分なのか。

こうした問いは、昭和の高校生にも、令和の高校生にも存在する。

むしろ現在は、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)によって、他人から見える自分を常に意識しやすくなった。

プロフィール。

写真。

短い文章。

「いいね」の数。

他人の生活。

他人の評価。

そうしたものに囲まれた現代では、「他人に見せている自分」と「自分自身が感じている自分」との距離は、むしろ意識されやすくなっているのかもしれない。

そう考えると、太宰文学が古くならない理由も少し分かる。

時代は変わっても、人間が他人の目を意識することは変わらない。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

太宰を若いころに読むことには、一つ注意すべき点もあると思う。

弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違う。

孤独を描いた作品を読むことと、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことも違う。

自己嫌悪を文章として読むことと、自分を否定し続けることも違う。

文学は人生の処方箋ではない。

太宰を読めば悩みが解決するわけでもない。

むしろ文学は、

「人間には、こういう感情もある」

と示してくれるものではないだろうか。

そして、それに名前を与えてくれる。

漠然と感じていた不安。

自分でも説明できなかった違和感。

人には言えなかった恥ずかしさ。

文学の中でそれに似た感情を見つけると、

「これは言葉にできるものなのだ」

と分かる。

文学が人生の答えを与えるのではなく、問いに言葉を与える。

私が現在、文学について考えるときに重要だと思うのは、その点である。

六十代になった今、太宰を考える

高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。

仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など多くの分野の本も読むようになった。

文学だけを読んできたわけではない。

むしろ成人後の読書は、分野を限定せず広がっていった。

それでも高校時代に文学を読んだ経験は残っている。

その意味を現在から考えると、文学は「正しい人間像」を教えるものではなかったのだと思う。

太宰治の文学もそうである。

人間は弱い。

しかし、強い部分もある。

善良なこともあれば、ずるいこともある。

人を求めながら、人から離れたいと思う。

自分を理解してほしいと思いながら、自分を知られることを恐れる。

人間は矛盾している。

十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じる。

年齢を重ねると、それが自分だけではなく、人間そのものの問題だったのだと少しずつ分かってくる。

太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由は、そこにあるのかもしれない。

高校生に人生の答えを教えるからではない。

むしろ逆である。

自分でもまだ説明できない問いがあることを、そのまま文章にして見せる。

だから若い読者は、その中に自分の一部を見つける。

そして何十年も経ってから読み返せば、今度は高校生だった自分の姿まで、その文章の向こう側に見えてくる。

本を読むということは、作品を読むだけではない。

かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。


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三島由紀夫について論じるとき、その政治的な言動や晩年の行動が大きく取り上げられることは少なくない。しかし、それらの事柄が強い印象を残しているために、三島が小説家として何を描き、どのような言葉によって文学作品を構築したのかが、十分に検討されないままになることもある。

本稿では、三島由紀夫の政治的な主張や行動、またその最期については扱わない。

それらを軽視するためではなく、考察の対象を意識的に文学作品の内部へ限定するためである。三島由紀夫の小説において、美しいものはどのように描かれているのか。美は登場人物を幸福にするのか、それとも現実から遠ざけるのか。また、人物の容貌や肉体、自然、建築物、季節、恋愛といった要素は、三島の文体によってどのような美へと組み替えられているのか。

こうした問題を、小説の描写、人物造形、物語構造、文体表現に即して考えてみたい。

三島由紀夫を「美の作家」と呼ぶことは難しくない。だが、その言葉だけでは、三島文学の特徴を明らかにしたことにはならない。

三島の小説に現れる美は、必ずしも人を慰めるものではない。人を幸福に導くとも限らない。ときには見る者を圧倒し、劣等感を刺激し、現実との間に越えがたい隔たりを生じさせる。

一方で、『潮騒』のように、肉体、自然、労働、恋愛が一つの調和を形成する作品もある。

三島由紀夫の文学における美は、単純な一つの原理によって説明できるものではない。それは幸福であると同時に不安であり、調和であると同時に緊張であり、現実に存在しながら、現実を超えた観念にもなる。

本稿では、『金閣寺』『仮面の告白』『潮騒』『春の雪』を中心に、三島由紀夫が美をどのように小説の中へ組み込み、その美によって人物の内面や人間関係をどのように描き出したのかを考察する。


第一章 三島由紀夫は本当に「美の作家」なのか

三島由紀夫は、しばしば「美の作家」と評される。

その評価には、いくつかの異なる意味が含まれている。

第一に、三島の小説には、美しい人物、美しい肉体、美しい建築物、美しい自然が数多く登場する。

第二に、その文章自体が、華麗で視覚的であり、精密に構築されている。

第三に、美とは何か、美しいものを前にした人間がどのように変化するのかという問題が、物語の中心に置かれることがある。

したがって、三島を「美の作家」と呼ぶ場合、美しい題材を扱った作家という意味だけでは不十分である。

三島文学において重要なのは、美しいものそのものだけではない。それを見た人間が何を感じ、どのような行動を取り、現実との関係をどのように変化させるかという問題である。

一般に、美しいものは人を喜ばせ、慰め、生活を豊かにすると考えられている。

美術館で絵画を見ること、美しい音楽を聴くこと、自然の風景を眺めることは、人間に安らぎや感動を与える。美は、人間にとって肯定的な価値を持つものとして理解されることが多い。

しかし、三島の小説では、美は必ずしも穏やかなものではない。

美しいものを前にした人物は、しばしば自分自身の醜さ、弱さ、未熟さを意識させられる。美は人間を励ますどころか、現実の自分を否定する力として働くことさえある。

この構造が最も明確に現れる作品が『金閣寺』である。

『金閣寺』では、美しい建築物が主人公を救済するのではなく、次第に主人公の現実生活を圧迫する存在となっていく。

一方、『仮面の告白』では、美しい肉体が、見る者の憧れや欲望を喚起すると同時に、見る者と見られる者との距離を明らかにする。

『春の雪』では、美しい人物や恋愛が、日常生活の中に安定して存在するのではなく、距離、身分、時間、失われていく季節によって強調される。

これに対し、『潮騒』では、美しい肉体と自然と労働が比較的調和した関係を形成している。新潮社も同作を、太陽や海、若い男女の肉体と恋愛が結びついた「恩寵的な世界」を描く作品として紹介している。

この違いを見ると、三島文学の美は、単に暗いものでも、破壊的なものでもないことが分かる。

美が人物を苦しめるか、人物の生活と調和するかは、その美が現実から切り離されているか、それとも労働や生活の中に置かれているかによって変わる。

三島由紀夫が描いたのは、美そのものの定義というよりも、美と人間との関係だったのではないだろうか。

美しいものは、そこに存在しているだけでは文学にならない。

それを見る人間がいる。

憧れる人間がいる。

所有しようとする人間がいる。

拒絶される人間がいる。

美にふさわしい自分になろうとする人間もいれば、美を前にして自分の価値を失ったように感じる人間もいる。

三島文学における美は、このような人間の感情や欲望を映し出す鏡として働いている。


第二章 『金閣寺』――美は人間を幸福にするのか

『金閣寺』は、三島由紀夫の美の問題を考えるうえで、最も重要な作品の一つである。

主人公の溝口は、吃音と自らの容貌に強い劣等感を抱いている青年である。彼にとって金閣は、単なる歴史的建造物ではない。

それは父から語り聞かされた、世界で最も美しいものだった。

新潮社の作品紹介でも、溝口にとって金閣は「世界を超脱した美そのもの」であったと説明されている。

重要なのは、溝口が最初から現実の金閣を見て、その美しさに感動したわけではないことである。

金閣は、実物を見る前から、父の言葉や溝口自身の想像によって作り上げられていた。

つまり、金閣の美は、現実の建築物として存在する以前に、溝口の内面に観念として形成されている。

この順序は、『金閣寺』を理解するうえで重要である。

現実の金閣と、溝口の想像の中の金閣は、同じものではない。

現実の建築物には、物質的な古さや傷みがあり、見る位置や天候によって印象も変わる。しかし、観念の中の金閣は完全であり、変化せず、溝口の日常生活を超越している。

そのため、溝口は金閣を自由に見ることができない。

金閣は目の前に存在しているにもかかわらず、溝口にとっては決して日常的な建物にならない。それは常に、現実を超えた美として立ち現れる。

ここに、美と人間との不均衡が生まれる。

溝口は、自分の吃音や外見に悩み、他者との円滑な関係を築くことができない。現実の世界では、自分が不完全な存在であることを意識させられる。

それに対し、金閣は完全な美として存在する。

溝口の不完全さと、金閣の完全さが対比されるほど、金閣の美は彼を幸福にするのではなく、圧迫するものになる。

美しいものは、自分もまた美しくなれるという希望を与えるとは限らない。

むしろ、自分がその美から遠く隔てられた存在であることを、残酷なほど明確に示すことがある。

溝口にとって金閣は、憧れの対象であると同時に、自分の劣等感を絶えず確認させる存在でもある。

また、金閣の美は、溝口が現実の行動を起こすことを妨げる。

溝口が女性と関係を持とうとするときにも、金閣の像が彼の意識に現れ、目の前の現実を遮る。

ここでは、美が現実を豊かにするのではなく、現実への参加を困難にしている。

美しいものを想像することによって、現実の人間関係が色鮮やかになるのではない。反対に、観念として完成された美が、現実の人間や出来事を価値の低いものに見せてしまう。

その意味で、『金閣寺』における美は、一種の絶対的な基準である。

完全な美を基準にすれば、現実の人間も、日常生活も、身体も、恋愛も、すべてが不完全に見える。

だが、人間が生きるのは、完全な観念の世界ではない。

不完全で変化し続ける現実の中である。

溝口の苦しみは、美を愛したことだけから生じているのではない。美を現実とは異なる絶対的なものとして捉え、その美と自分との間に関係を築けなかったことから生じている。

『金閣寺』が示しているのは、美しいものが必ず人間を善い方向へ導くわけではないという事実である。

美は人間を高めることもあるが、人間を現実から遠ざけることもある。

美を前にした人間は、感動するだけではない。嫉妬し、恐れ、支配され、ときにはその美が存在すること自体を重荷に感じる。

三島由紀夫は、金閣の美しさを説明するだけではなく、その美に耐えられなくなる人間の内面を描いた。

そこに、『金閣寺』が単なる建築美の小説ではなく、人間と美との緊張関係を描いた文学作品である理由がある。


第三章 『仮面の告白』――美しい肉体はなぜ遠いのか

『仮面の告白』では、美の対象が建築物から人間の肉体へと移る。

この作品の語り手である「私」は、自らの内面を他者に知られないようにしながら、社会の中で生きている。

題名にある「仮面」とは、単なる嘘や演技を意味するものではない。

人間が社会の中で求められる役割を演じ、自分の内面と外部に示す姿との間に距離を作ることを表している。

新潮社の作品紹介では、この小説は、少年である「私」が自らの性的指向に煩悶し、級友の妹との関係を通して、自分が一般的な幸福に適合できないことを認識していく物語として紹介されている。

『仮面の告白』に登場する美しい肉体は、「私」が自然に近づき、触れ合い、日常を共有できる対象ではない。

それは、遠くから見つめられる対象である。

ここに、『金閣寺』と共通する構造がある。

金閣が溝口にとって所有できない美であったように、美しい男性の肉体は、「私」にとって自由に近づくことのできない美である。

ただし、『仮面の告白』における距離は、物理的な距離だけではない。

社会的な距離であり、心理的な距離であり、言葉にすることのできない内面と、他者に見せている自分との距離でもある。

美しい肉体を見つめる「私」は、その肉体を純粋な自然物として見ているわけではない。

肉体は、想像、物語、絵画、宗教的な図像などと結びつき、現実以上の意味を与えられる。

そのため、肉体の美は、単なる健康や均整だけでは説明できない。

「私」の想像力によって、肉体は現実の身体でありながら、象徴的な像へと変化する。

ここでも、美は見る者の内面によって作られている。

美しい人物が客観的に存在し、その美しさがそのまま語り手へ伝わるのではない。

語り手の欲望、記憶、不安、孤独が、美しい肉体の意味を変える。

同じ人物を見ても、別の人間には同じ美が見えるとは限らない。

美とは対象だけに属するものではなく、対象と見る者との関係の中に成立する。

さらに、『仮面の告白』では、美しい肉体と、語り手自身の身体感覚との間にも大きな差がある。

「私」は、美しい肉体を外側から見つめる。その視線には憧れがあるが、同時に、自分はその美の側にはいないという感覚も含まれている。

美を見るという行為は、自分と対象との違いを確認する行為でもある。

自分が持っていないもの、自分がなることのできないもの、自分が近づくことを許されないものほど、強く美しく見える場合がある。

この意味で、『仮面の告白』における美は、距離によって成立している。

完全に理解し、日常的に接し、自由に所有できるものは、観念的な美を維持しにくい。

遠く、禁じられ、言葉にできないからこそ、美は強くなる。

しかし、距離によって成立する美は、見る者を幸福にするとは限らない。

美が強くなるほど、それに近づけない自分の孤独も強くなるからである。

三島由紀夫は、美しい肉体を描くことによって、単に官能的な世界を作ったのではない。

美を見つめる人間が、なぜ自分を隠さなければならないのか。

なぜ美しいものを欲望することと、社会の中で普通に生きることの間に緊張が生じるのか。

そして、なぜ人間は他者に見せる自分と、自分だけが知る自分との間に仮面を必要とするのか。

美しい肉体は、こうした問いを引き出す装置として機能している。

『仮面の告白』の美は、人間を外部へ導くよりも、自己の内面へと深く沈める。

美しいものを見たために、自分自身が何者であるかを問わざるを得なくなる。

その点に、この作品における美の厳しさがある。


第四章 『潮騒』――生活と調和する美

『金閣寺』と『仮面の告白』では、美は人物と現実との間に距離を生じさせていた。

しかし、三島由紀夫の小説に登場する美が、常に人間を孤独にし、現実から遠ざけるわけではない。

そのことを示す作品が『潮騒』である。

『潮騒』の舞台は、伊勢湾の小島である。

若い漁師の新治と、島へ戻ってきた少女・初江との恋愛を中心に物語が展開する。二人の周囲には、海、太陽、風、星、漁、船、島の共同体が存在する。新潮社の紹介でも、同作は海の若者と少女の恋を中心に、若い肉体と自然が結びついた澄明な作品として位置づけられている。

『潮騒』における美は、現実から切り離された観念ではない。

新治の肉体は、鑑賞されるためだけの肉体ではなく、働くための肉体である。

漁に出て、船を動かし、海の危険に対応する。

初江の美しさも、遠くから眺められるだけの人工的な美ではない。島の自然や日常生活の中に存在し、労働や共同体との関係を持っている。

ここでは、肉体の美しさと、肉体の有用性が分離していない。

現代社会では、美しい肉体は、しばしば日常的な労働から切り離されて表現される。

鍛えられた身体、美しい容貌、若さなどが、それ自体の価値として提示される。

しかし、『潮騒』の肉体美は、海で働き、困難に耐え、他者を守る力と結びついている。

そのため、新治の肉体は観念的な像になりすぎない。

彼は美しい若者である以前に、生活する人間である。

この点が、『仮面の告白』に登場する、遠くから見つめられる肉体との大きな違いである。

『潮騒』では、美しいものが生活の外部に置かれていない。

太陽は人物を照らし、海は人物の生活を支える。

同時に、海は危険をもたらし、若者の力量を試す場所でもある。

自然は単なる背景ではなく、人物の身体、感情、成長に関わる現実の環境である。

また、新治と初江の恋愛は、二人だけの観念的な世界に閉じこもるものではない。

島の噂や家族、経済的な立場、結婚といった現実的な条件にさらされる。

それでも二人は、現実を拒絶して自分たちの世界へ逃げるのではなく、困難を乗り越えながら共同体の中で関係を成立させようとする。

ここでは、美と幸福が比較的近い位置にある。

美しい人物が、美しい自然の中で、互いを愛し、労働し、将来の生活へ向かっていく。

これは三島文学の中では、きわめて明るい美の形である。

ただし、『潮騒』の美を単純な楽観主義と見るべきではない。

二人の恋愛は、最初から無条件に認められているわけではない。嫉妬、噂、身分や経済的な違い、自然の危険が存在する。

それでも美と現実が決定的に分裂しないのは、新治と初江が、観念の中に閉じこもらず、行動によって現実との関係を築いていくからである。

『金閣寺』の溝口は、美を見つめ続ける。

『仮面の告白』の「私」も、美しい対象を見つめ、その意味を内面で増幅させる。

これに対し、『潮騒』の新治は、美しいものを見つめるだけではない。

働き、選択し、危険に立ち向かい、人間関係の中で責任を引き受ける。

『潮騒』が示すのは、美が生活と結びつくためには、美を観念として所有するのではなく、現実の行動の中で経験する必要があるということではないだろうか。

美が日常生活を超越した絶対的なものになるとき、人間は美に支配される。

しかし、美が労働や自然や人間関係の中に存在するとき、それは生活を肯定する力になり得る。

『潮騒』は、三島由紀夫が美を苦悩や孤独だけでなく、人間と世界との調和としても描くことのできた作家であることを示している。


第五章 『春の雪』――美はなぜ失われるときに強くなるのか

『春の雪』は、『豊饒の海』四部作の第一巻である。

物語の中心となるのは、華族の家に生まれた松枝清顕と綾倉聡子である。

二人は互いに惹かれ合いながらも、清顕の自尊心やためらいによって関係を素直に進めることができない。清顕が聡子を遠ざけた後、聡子は皇族との婚約を受け入れる。その後、二人の関係は、許されないものとなったことによって、かえって激しさを増していく。

『春の雪』における美は、若さ、季節、身分、恋愛、距離、時間と密接に結びついている。

題名にある「春の雪」は、その性質を象徴している。

春の雪は美しい。

しかし、長く残ることはない。

降り積もったとしても、季節の暖かさによって間もなく消えてしまう。

その美しさは、永続することではなく、消えてしまうことと結びついている。

清顕と聡子の関係も、安定した日常の中で少しずつ育つ恋愛ではない。

二人が自由に結ばれる可能性があるとき、清顕は自分の感情を十分に受け入れることができない。

ところが、聡子が他者との婚約によって遠い存在になると、清顕の感情は強くなる。

ここには、美と距離の関係がある。

身近にあり、手に入れることのできるものよりも、失われようとしているものの方が美しく見える。

自由に会えるときよりも、会うことを禁じられた後の方が、相手の存在が強く感じられる。

人間は、対象そのものを愛しているのか。

それとも、その対象を失う可能性によって、自分の感情を強めているのか。

『春の雪』は、この判別しにくい問題を描いている。

清顕は、聡子を愛している。

しかし、その愛は、聡子が遠ざかるほど強くなる。

もし聡子がいつでも会える身近な存在であり続けたならば、清顕は同じように彼女を求めただろうか。

この問いに、簡単な答えは出せない。

ただし、三島は、愛や美が対象との距離によって変化することを、物語の構造として明確に描いている。

また、『春の雪』では、若さそのものが美として表現されている。

若さは、永続する性質ではない。

若者は、自分の若さが失われることを十分には理解していない。清顕の繊細さ、傲慢さ、ためらい、気まぐれは、若さの魅力であると同時に、若さの未熟さでもある。

三島は、清顕を道徳的に完全な人物として描いてはいない。

清顕は、自分の感情を扱いきれず、相手を傷つけ、決断を遅らせる。

それでも、その未熟さを含んだ存在全体が、美しいものとして描かれる。

ここでの美は、人格的な善良さと一致しない。

人は善良であるから美しいとは限らず、正しい判断をするから美しいとも限らない。

矛盾や欠点を持ちながら、二度と戻らない若い時間の中に存在していること自体が、美を生み出している。

『春の雪』の自然描写や室内描写も、この失われる時間を強く意識させる。

季節、光、庭園、衣服、建物、儀礼などが細かく描かれ、人物たちは美しく整えられた世界の中に置かれる。

しかし、その世界は安定していない。

旧い貴族社会の秩序と、新しい時代の動きが重なり、登場人物たちが属する世界そのものも変化しようとしている。

美しい形式が存在しているからこそ、それが長くは続かないという予感が生まれる。

三島文学において、美はしばしば、変化しない完全なものとして求められる。

しかし、『春の雪』の美は、変化を拒むことで成立するのではない。

むしろ、失われていくことが、美を強くしている。

雪は溶けるから美しい。

春は過ぎるから美しい。

若さは失われるから美しい。

自由に結ばれない恋愛は、その不可能性によって、日常的な恋愛よりも鮮烈なものになる。

ただし、このような美は、人を幸福にする美ではない。

失われるから美しいものを愛するならば、その美を感じることは、同時に喪失を経験することでもある。

『春の雪』における美は、所有や安定ではなく、時間と距離の中で成立する。

それは完成された幸福の美ではなく、幸福になり得た可能性が失われていく美である。


第六章 三島由紀夫の文体はどのように美を作るのか

三島由紀夫は、美しい建築物、肉体、自然、恋愛を題材にした。

しかし、題材そのものが美しいだけで、文学作品が自動的に美しくなるわけではない。

同じ海、同じ庭園、同じ若者、同じ建築物を描いても、文章の選び方によって、読者が受け取る印象は大きく変わる。

三島文学の美を考えるためには、何が描かれているかだけではなく、どのように描かれているかを見る必要がある。

1 視覚的に構成される文章

三島の文章は、視覚的な印象が強い。

色、光、影、形、輪郭、表面の質感などが細かく描かれ、読者は場面を頭の中に映像として想像しやすい。

ただし、それは写真のように現実をそのまま写す描写ではない。

三島は、現実の風景から特定の要素を選び取り、強調し、配置し直す。

光をどこに当てるか。

何を暗い影の中に置くか。

人物の身体のどの部分を描くか。

背景をどの程度まで説明するか。

こうした選択によって、現実の場面が一つの構図へ変えられる。

三島の自然描写が、単なる写生とは異なるのはそのためである。

海や庭園や雪は、自然のままに存在しているのではなく、文章の中で造形された美として読者の前に現れる。

2 比喩によって現実を変形する

三島の文体では、比喩が重要な役割を持つ。

比喩は、あるものを別のものにたとえる表現である。

しかし、三島の比喩は、単に説明を分かりやすくするためだけに用いられているのではない。

比喩によって、現実のものが別の意味を持ち始める。

身体が彫刻のように見える。

水面が金属や宝石のように見える。

雲や光が布や紙のように見える。

自然物が人工物のように描かれ、人工物が生き物のように描かれる。

この変換によって、読者は日常的な対象を、普段とは異なる角度から見ることになる。

比喩は現実を忠実に再現するのではなく、現実に新しい形を与える。

その意味で、三島の文章は、世界を説明する文章というよりも、世界を作り直す文章である。

3 感覚と観念を結びつける

三島の文章には、視覚、聴覚、触覚、嗅覚などの具体的な感覚が多く現れる。

一方で、美、時間、孤独、欲望、幸福といった抽象的な観念も頻繁に語られる。

三島の特徴は、感覚と観念を別々に書くのではなく、両者を一つの文章の中で結びつける点にある。

たとえば、ある光景が美しく描かれた後、その光景が人物にとって何を意味するかが考察される。

また、人物の感情が抽象的に説明されるだけでなく、身体感覚や風景の変化として表現される。

そのため、読者は単に場面を見るだけではなく、その場面に与えられた思想的な意味まで同時に読むことになる。

『金閣寺』における金閣は、建築物であると同時に、溝口にとっての絶対的な美の観念である。

『仮面の告白』の肉体は、身体であると同時に、欲望、孤独、自己認識を引き出す象徴である。

『潮騒』の海は、自然環境であると同時に、新治の労働能力や勇気を試す場所である。

『春の雪』の雪は、自然現象であると同時に、若さや恋愛のはかなさを表している。

三島の文体は、物と意味を結びつける。

物を物のまま放置せず、その背後に観念を生じさせる。

4 人物を一つの造形物として描く

三島の人物描写では、人間の内面だけでなく、外見、姿勢、衣服、動作、周囲の光景が重視される。

人物は心理だけで作られているのではない。

身体の形、歩き方、視線、服装、置かれている空間によって、一つの視覚的な像として構成される。

この方法によって、登場人物は単なる現実の人間以上の存在感を持つ。

清顕や聡子は、一人の若者、一人の女性であると同時に、失われていく時代や若さを表す美しい像にもなる。

新治と初江は、個人であると同時に、海と太陽の下で生きる若い男女の象徴的な姿としても描かれる。

ただし、人物を美しい像として描くことには危うさもある。

人物が造形的に完成するほど、日常生活を送る普通の人間から遠ざかる可能性があるからである。

三島文学の人物には、ときに現実の人間以上に整いすぎている印象がある。

しかし、その人工性こそが三島の文体の特徴でもある。

三島は、現実の人物をそのまま写すのではなく、言葉によって人物を造形する。

小説の人物を、彫刻や絵画のように配置し、光を当て、輪郭を与える。

5 自然美ではなく、構築された美

三島の文章は、自然に流れ出た感情をそのまま記したような文章ではない。

語句、比喩、文の長さ、場面の配置が強く意識され、人工的に構築されている。

ここでいう人工的とは、不自然で価値が低いという意味ではない。

庭園、建築、彫刻、舞台などと同じように、人間の意志によって形を整えられた美という意味である。

三島の文体は、感情を無加工で表に出すのではなく、感情に形式を与える。

苦悩をそのまま叫ぶのではなく、比喩や構図の中に置く。

恋愛を直接的な感情表現だけで描くのではなく、季節や衣服や建物と結びつける。

人物の孤独を説明するだけでなく、その人物と美しい対象との距離として表現する。

そのため、三島の文章には、感情の激しさと、形式の冷静さが同時に存在する。

内容は激しくても、文章は制御されている。

人物は混乱していても、場面の構成は整っている。

この緊張関係が、三島の文体に独特の美しさを与えている。


おわりに――美は人を救うのか

三島由紀夫の文学における美は、一つの意味に固定することができない。

『金閣寺』では、美は溝口を現実から遠ざけ、その劣等感を強める。

金閣の完全な美は、溝口に幸福を与えるのではなく、自分の不完全さを意識させる。

『仮面の告白』では、美しい肉体は、欲望の対象であると同時に、語り手が自分自身の孤独を知るきっかけとなる。

美しいものは近くにあるのではなく、距離や禁忌によって、いっそう強い美となる。

『潮騒』では、美は現実の生活と調和している。

若い肉体は労働する身体であり、海は美しい背景であると同時に、人間の力を試す生活の場である。

ここでは、美が人間を現実から遠ざけるのではなく、現実の行動や共同体の中で成立している。

『春の雪』では、美は時間と喪失によって強められる。

若さ、恋愛、季節、旧い社会の形式は、永遠に続くから美しいのではない。

失われていくことが避けられないからこそ、強い美として感じられる。

これらの作品を比較すると、三島文学における美は、対象そのものに固定された性質ではないことが分かる。

美は、見る者との関係によって変わる。

近づけるか、近づけないか。

生活の中に置かれているか、現実を超越した観念になっているか。

所有できるか、失われようとしているか。

美を前にした人物が行動するか、ただ見つめ続けるか。

こうした条件によって、美は幸福にもなり、苦悩にもなる。

三島由紀夫は、美しいものを数多く描いた。

しかし、三島文学の本質は、美しい対象を並べたことにはない。

美しいものを前にした人間が、どのように自分を知り、どのように現実との距離を測り、どのように欲望し、ためらい、行動するかを描いたことにある。

また、その美は、文章の外部に最初から存在しているわけではない。

光、色彩、比喩、身体、季節、建築、自然を精密に配置する文体によって、美は小説の中に作り出される。

三島由紀夫は、美を説明した作家というよりも、言葉によって美が成立する瞬間を構築した作家だったと言える。

美は人を救うのか。

三島の小説は、この問いに一つの答えを与えない。

美は人を幸福にすることもあれば、自分の不完全さを意識させることもある。

現実の生活を肯定することもあれば、現実を価値のないものに見せることもある。

美しいものが人間に何をもたらすかは、美そのものによって決まるのではない。

人間がその美と、どのような関係を結ぶかによって決まる。

三島由紀夫の文学が今も読者を引きつける理由の一つは、美を単なる慰めや装飾として扱わなかった点にある。

三島が描いた美は、人間を静かに満足させるだけのものではない。

見る者の内面を照らし、その欲望、劣等感、孤独、若さ、幸福、時間への恐れを浮かび上がらせる。

だからこそ、三島由紀夫の小説における美は、美しいだけでは終わらない。

それは、人間が現実をどのように生きるのかを問い返す、文学の力そのものなのである。

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本を読む人間として始まったわけではなかった

振り返ってみると、私は幼い頃から本ばかり読んでいた子どもではない。

小学生の頃に読んだ本といえば、学校から指定された課題図書が中心だった。夏休みになると、感想文を書くために本を読む。自分から書店へ行き、棚の中から一冊を探し出して読むというより、まず読むべき本が先に決められていた。

課題図書には、子どもが自分では選ばない本に触れられるという意味がある。しかし、当時の私にとって、読書はまだ自発的な楽しみというより、学校生活の一部だった。

本を読めば、読書感想文を書かなければならない。

何を感じたのか、どこが印象に残ったのかを、原稿用紙の升目に合わせて書く。実際に深い感動があったかどうかより、感想として成立する文章を作ることの方が先にあったようにも思う。

私は、最初から読書家だったわけではない。

後年の自分から過去を振り返り、幼い頃から文学に親しんでいたように話を整えることもできる。しかし、それは正確ではない。

私の読書は、課題として与えられた本を読むところから始まった。

文学は、まだ遠くにあった。

中学生の私が読んだ『天声人語』

中学生になると、新聞の『天声人語』を読むようになった。

『天声人語』は、朝日新聞の朝刊に掲載されてきたコラムで、その起源は1904年にさかのぼる。掲載が中断された時期や名称の変遷はあるものの、長く日本の新聞コラムを代表する存在の一つとして読まれてきた。

中学生の私は、その長い歴史を意識して読んでいたわけではない。

一回の文章は長すぎず、時事問題、社会、歴史、文化、季節の話題などが、限られた文字数の中でまとめられていた。学校の教科書とは違い、その時に社会で起きていることが文章の題材になっていた。

一つの出来事から別の話題へ移り、最後には最初の話へ戻ってくる。短い文章の中に引用や比喩が置かれ、時事的な事実と書き手の見方が組み合わされる。

その論調にいつも賛成していたわけではない。

当時は、賛成や反対を明確に判断できるほど、政治や社会を理解してもいなかった。それでも、出来事をただ知らせる新聞記事とは異なり、出来事をどう読み、どのような言葉で捉えるかという文章の働きを知った。

小学生の頃、文章は課題図書の感想を書くためのものだった。

中学生になると、文章は社会について考えるためのものになった。

文学を読む前に、私は新聞の短いコラムを通じて、文章の形に触れていたのである。

後になってブログで政治、経済、地域社会、文化について書くようになったことを考えると、この時期の経験は小さくなかったのかもしれない。

一つの出来事だけを孤立させず、その背景や別の問題とのつながりを考える。短い話題から、より大きな社会を見ようとする。

その方法を、十分に自覚しないまま『天声人語』から学んでいたように思う。

高校生になって、ようやく文学へ入った

私が本格的に文学を読むようになったのは、高校生になってからである。

太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成。

日本文学の名著と呼ばれる作品を、少しずつ読むようになった。

学校の授業や文学史の中では、彼らはすでに評価の定まった作家だった。しかし、高校生の私は文学史上の位置づけを確認するためだけに読んでいたのではない。

むしろ、なぜこれほど多くの人が読み続けているのかを知りたかった。

太宰治の作品には、人間の弱さや自己嫌悪、他人からどう見られるかという不安が、隠されずに書かれていた。

三島由紀夫の文章には、美しさと緊張感があり、その思想や人生を十分に理解できなくても、言葉そのものに強い力を感じた。

芥川龍之介の作品は比較的短いものが多かったが、その短さの中に、人間の利己心、矛盾、不安、残酷さが凝縮されていた。

川端康成の作品では、説明し尽くされない感情や、情景の背後に残る沈黙が印象に残った。

もちろん、高校生の私が、これらの作品を深く理解していたとは思わない。

年齢を重ねてから読み返せば、当時は見えていなかったものが多くあるはずだ。

しかし、文学はすべてを理解してから読むものではない。

よく分からない部分があっても、言葉や場面だけが記憶に残ることがある。作品全体の意味はつかめなくても、そこに自分の日常とは違う世界が存在することは感じられる。

高校生の私にとって文学は、知識として理解する対象というより、まだ自分では言葉にできない感情に触れる場所だった。

新潮文庫と角川文庫の棚

当時の読書を思い出すと、個々の作家だけでなく、新潮文庫や角川文庫の存在を抜きにすることはできない。

新潮文庫の歴史は古く、最初の創刊は1914年で、ドイツのレクラム文庫にならい、海外の名著を一般読者へ普及させる意図を持って始められた。戦後には昭和文学を中心とする文庫として再出発している。

角川文庫は1949年に創刊され、第1回配本にはドストエフスキーの『罪と罰』が含まれていた。1950年には現在につながる小型の判型へ改められ、戦後の文庫本普及に大きな役割を果たした。

しかし、高校生だった私が、そのような出版史を考えて文庫本を選んでいたわけではない。

書店の棚に並んでいる本を見て、題名、作家名、表紙、裏表紙の紹介文などを手掛かりに選んだ。

文庫本は単行本よりも小さく、比較的購入しやすかった。

一冊を鞄に入れて持ち歩くことができる。読んだ本を本棚に並べれば、自分がどのような本を読んできたのかが背表紙によって見える。

現在では、検索すれば作品のあらすじも評価もすぐに分かる。読者の感想を読み、内容を比較してから購入できる。

当時は、店頭で偶然目に入った本を手に取ることが多かった。

よく知らない作品を買い、読み始めてから、自分に合うかどうかを知る。

外れることもあった。

最後まで読めない本もあった。

それでも、書店の棚には、自分がまだ知らない考え方や人生が無数に並んでいるように見えた。

名著と同時代の文学を一緒に読む

高校生の頃に読んだのは、近代日本文学の名著だけではなかった。

当時読まれていた片岡義男や三田誠広の作品も手に取った。

文学の読書歴を語るとき、後世に評価された名作だけを並べると、実際の読書生活とは違うものになる。

現実の読書は、文学史の順番には進まない。

太宰治を読んだ次に、片岡義男を読む。

芥川龍之介の短編を読んだ後で、当時書店に並んでいた現代小説を読む。

古典的な作品と流行している作品が、同じ読者の中で混ざり合う。

片岡義男の小説には、車やオートバイ、音楽、男女の関係、都市的な生活など、当時の若者にとって新しく見える世界があった。

日本を舞台にしながら、どこかアメリカ文化の影響を感じさせる軽さや映像的な感覚があった。

太宰や三島とは違う。

しかし、違うからこそ読んだ。

文学には重い人生論や苦悩だけでなく、時代の空気、生活様式、会話、服装、乗り物、音楽なども含まれる。

三田誠広は、1977年に『僕って何』で第77回芥川賞を受賞している。自己とは何かという問いを題名そのものに掲げた作品が、当時の若い世代の感覚と重なる時代だった。

私は、後世に残る作品だけを選別して読んでいたのではない。

その時代に生きながら、その時代に売られ、その時代に話題になっている本を読んでいた。

それは、昭和という時代を、文学を通じて同時進行で読むことでもあった。

フランス文学とロシア文学で立ち止まる

日本文学を読むようになると、次第に海外文学にも関心が向いた。

フランス文学やロシア文学にも挑戦した。

しかし、ここで私の読書が順調に広がったわけではない。

途中で挫折した作品も少なくなかった。

海外の名作は、題名も作家名もよく知られている。文学を読むのであれば、一度は通らなければならないようにも感じられた。

ところが、実際にページを開いてみると、簡単には入っていけない。

国の歴史、社会階級、宗教、政治、家族制度、恋愛観など、日本の高校生にはなじみの薄い背景がある。

登場人物の名前を覚えるだけでも苦労することがある。特にロシア文学では、一人の人物が複数の呼び名で呼ばれることがあり、物語の関係を追うだけでも集中力を要した。

長編作品では、物語がすぐに動くとは限らない。

人物の思想や社会状況について長い記述が続く。読んでいる間は理解したつもりでも、少し間を置くと誰が誰だったのか分からなくなる。

文学史上の名作であることと、当時の自分が読み通せることは別問題だった。

フランス文学にも同じ難しさがあった。

洗練された恋愛や心理を描いた作品であっても、その背後には階級社会や当時の道徳、宗教、結婚制度がある。

言葉だけを追っても、人物がなぜそのように行動するのかを十分に理解できない。

私は、名作だから読めるのではなく、読む側にも経験や背景知識が必要なのだと知った。

最後まで読めなかった本は、読書歴の失敗として忘れられがちである。

しかし、挫折したこともまた読書の一部である。

本には、読むのに適した時期がある。

高校生の自分には難しかった本が、成人してから読むと理解できることもある。反対に、若い時に強く響いた作品が、後年にはそれほど響かないこともある。

読書は、作品だけで決まるものではない。

読む人間の年齢、経験、知識、生活状況によって変わる。

高校生には難しかったスタンダール『恋愛論』

フランス文学の中でも、特に記憶に残っているのが、スタンダールの『恋愛論』である。

スタンダールは『赤と黒』『パルムの僧院』などで知られるフランスの作家である。『恋愛論』は1822年に刊行され、恋愛を心理、社会、文化、階級など複数の面から考察した作品である。恋愛によって相手を理想化していく精神の働きを「結晶作用」と表現したことでも知られている。

私は、この本を高校生の頃に読もうとした。

題名だけを見れば、恋愛について説明した本である。

高校生にも身近な題材のように思える。

しかし、実際には簡単な恋愛指南書ではなかった。

人はなぜ恋をするのか、恋する相手をどのように理想化するのか、恋愛と虚栄、社会、身分、習慣がどのように結びついているのか。

その分析は抽象的で、歴史的・社会的背景も含んでいた。

当時の私には難しかった。

文章を追っても、スタンダールが何を分類し、何を証明しようとしているのか、十分には理解できなかった。

恋愛という題材を扱っているのだから、感情的に分かりやすい本だろうと思っていた。しかし、そこで論じられていたのは、単純な恋の喜びや悲しみではない。

恋愛を観察し、分類し、心理の働きとして分析する文章だった。

高校生の私は、恋愛についての経験も、当時のヨーロッパ社会についての知識も乏しかった。

恋愛における理想化や虚栄といわれても、それを自分の経験と結びつけることができない。

名著とされる本を手に取ったものの、読み進めるほど、自分の理解が追いついていないことを感じた。

私は途中で挫折した。

しかし、『恋愛論』を読み通せなかったことは、不思議に記憶に残っている。

容易に読めた本よりも、歯が立たなかった本の方が、後になって思い出されることがある。

それは、自分の外側に、まだ理解できない広い世界があることを知らせるからだろう。

高校生の私には、『恋愛論』は早すぎた。

けれども、早すぎる本に出会ったこと自体には意味があった。

本は、いつでも読者に合わせて分かりやすく書かれているわけではない。

理解できない文章に出会い、自分の知識や経験の不足を知ることも読書なのである。

雑誌によって社会へ出ていく

小説や文庫本とともに、『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』などの雑誌も読んだ。

これらは性格の異なる媒体だった。

『朝日ジャーナル』は1959年に創刊され、1992年まで発行された週刊誌で、報道、解説、評論を掲げ、戦後日本の政治、社会、思想を論じる媒体の一つだった。

『文藝春秋』は菊池寛が1923年に創刊した月刊総合誌で、文学だけでなく政治、社会、人物論、座談会などを広く扱ってきた。創刊号には芥川龍之介や川端康成らも寄稿している。

『サンデー毎日』は1922年4月2日に創刊され、『週刊朝日』と並ぶ日本の初期の週刊誌の一つである。

私は、それぞれの雑誌を体系的に比較研究していたわけではない。

小説とは異なる文章を読みたかった。

政治、社会、文化、事件、教育、人間について、新聞記事よりも長く、書籍よりも早く論じる文章が雑誌にはあった。

雑誌には、その時代の熱があった。

後から歴史書を読めば、出来事の原因と結果が整理されている。しかし、その時代に発行された雑誌では、まだ結論が出ていない問題が扱われている。

何が正しいのか分からない。

社会がどこへ向かうのかも分からない。

書き手の主張には偏りもある。

しかし、未確定な時代の中で、人々が何を問題だと考えていたのかが見える。

文学が人間の内面を読むものだとすれば、雑誌は、その人間が生きている社会を読むものだった。

私は、小説から社会へ、社会からまた小説へと行き来するようになった。

学生時代には理系雑誌へ

学生時代になると、読むものは理系雑誌へ広がった。

文学から理系へ転向したというより、関心の対象が増えたといった方が正確だろう。

文学は、人間の感情や行動を言葉によって描く。

理系雑誌は、自然、技術、医学、数学、機械などの仕組みを説明する。

一見すると、この二つは遠く離れている。

しかし、私にとっては、どちらも知らない世界を文章によって理解しようとする行為だった。

文学作品を読むときには、登場人物がなぜそのように考え、行動したのかを追う。

科学や技術の記事を読むときには、現象がなぜ起こり、どのような仕組みで成り立っているのかを追う。

対象は違っても、「なぜ」を考えることは共通している。

学生時代の読書では、楽しみだけでなく、学習や専門知識の獲得という性格が強くなった。

分からない用語を調べる。

図や数式を読み直す。

一度では理解できない説明を、前のページへ戻って確認する。

フランス文学やロシア文学で感じた「分からなさ」と、理系雑誌で感じる「分からなさ」は性質が違う。

しかし、理解できない文章の前で立ち止まるという経験は同じだった。

文学での挫折も、無駄ではなかったのかもしれない。

成人してから、ジャンルの境界がなくなった

成人してからは、特定のジャンルに限らず、あらゆる分野の本を広く読むようになった。

文学、政治、経済、歴史、科学、医学、宗教、社会問題、資格、技術、実用書。

仕事や生活の中で必要になった本もあれば、純粋な関心から読んだ本もある。

高校生の頃には、文学を読むことに、一種の背伸びがあった。

名著を読まなければならない。

有名作家を理解しなければならない。

難しい本を最後まで読まなければならない。

成人後は、そのような義務感が少し薄れた。

必要な本を読む。

関心を持った本を読む。

難しければ、関連する入門書を先に読む。

途中で読むのをやめることもある。

一冊の本をすべて理解しなくても、必要な部分から何かを得ることができる。

読書に対する考え方が柔軟になった。

一方で、広いジャンルを読むことには問題もある。

一つの作家を長く追い続けることが難しくなる。

次々に別の分野へ関心が移り、知識が断片化する。

文学作品をゆっくり味わうより、必要な情報を探す読み方が増える。

多くの本を読んでも、それぞれの内容が深く残るとは限らない。

広く読むことと深く読むことは、必ずしも両立しない。

それでも、さまざまな分野を横断して読むことで、一つの問題を一つの視点だけで見ない習慣が生まれた。

医療の問題には、医学だけでなく、経済、倫理、家族、制度が関係する。

地域社会の問題には、人口、交通、産業、行政、教育、文化が関係する。

人間の生活は、学問の分類どおりには分かれていない。

文学、科学、社会、実用の本を分けずに読んできたことは、複数の視点を結びつける基礎になったと思う。

昭和の読書は、書店と紙の中にあった

昭和の読書を思い返すと、本に出会う場所は限られていた。

書店、図書館、学校、新聞広告、雑誌の書評、友人や教師の紹介。

自分が知らない本は、存在しないのと同じだった。

現在のように、作家名を検索すれば著作一覧が出てくるわけではない。読者の感想や評価をすぐに読めるわけでもない。

地方では、書店に置かれる本の種類にも限界があった。

取り寄せには時間がかかる。

外国文学の背景を知りたいと思っても、関連資料を簡単に集めることはできない。

その不便さを美化する必要はない。

情報が少ないために、理解できないまま終わった本もあったはずである。

スタンダールの『恋愛論』も、現在なら作品解説、時代背景、「結晶作用」の意味などを調べながら読むことができる。

高校生だった当時は、難しいと感じても、その難しさを解くための手掛かりを簡単には得られなかった。

しかし、情報が少なかったからこそ、一冊の本を長く手元に置くこともあった。

分からなくてもページをめくる。

途中でやめても、本棚に残しておく。

何年か後に、もう一度開く。

本は、すぐに答えを出す道具ではなく、理解できないまま自分のそばに存在するものでもあった。

平成、本を探す方法が変わった

平成になると、読書を取り巻く環境は大きく変化した。

大型書店が増え、書店の品ぞろえは広がった。

やがてインターネットが普及し、書名や作家名を検索して本を探せるようになった。オンライン書店を使えば、近くの書店にない本も購入できる。

昭和には「本が見つからない」ことが問題だった。

平成以降は、「本が多すぎて選べない」ことが問題になった。

書評や読者の感想を読んでから購入できるようになったことは便利だった。

一方で、他人の評価を先に知ることによって、自分だけの印象で作品と出会う機会は減ったかもしれない。

作品のあらすじを詳しく知りすぎれば、読む前から理解したような気持ちになることもある。

情報が増えれば、読書が必ず深くなるわけではない。

選択肢の増加は、一冊の本へ集中する時間を奪うこともある。

平成の読書は、入手の自由を広げると同時に、注意を分散させる時代でもあった。

令和、読む側から書く側へ

令和の現在、文章を読む環境はさらに変わった。

紙の本だけでなく、電子書籍、ウェブ記事、電子資料、個人ブログなど、さまざまな形で文章を読める。

スマートフォン一台で、多くの文章へ接続できる。

そして、読むだけでなく、個人が文章を公開することも容易になった。

私はいま、自分が読んできた本、使ってきた機械、聴いてきたラジオ、暮らしてきた時代について文章を書いている。

小学生の頃、課題図書を読んで感想文を書くことから始まった。

中学生では『天声人語』を読んだ。

高校生では太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成を読み、片岡義男や三田誠広を読んだ。

新潮文庫と角川文庫の棚を眺めた。

フランス文学やロシア文学に挑み、途中で挫折した。

スタンダールの『恋愛論』は難しく、最後まで十分には理解できなかった。

『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』から社会を読んだ。

学生時代には理系雑誌を読み、成人してからは、ジャンルを限定せず幅広い本を読んだ。

そして今度は、自分が文章を書く側にいる。

もちろん、読むことと書くことは同じではない。

多くの本を読んだからといって、優れた文章を書けるとは限らない。

しかし、これまで読んだ文章は、自分の中に残っている。

文章のリズム。

場面の始め方。

一つの事実から考えを広げる方法。

人間を簡単に善悪で決めつけない視点。

理解できないものを、理解できないまま抱えておく姿勢。

それらは、一冊の本から直接教えられたものではない。

長い読書の中で、少しずつ形づくられたものだと思う。

読み通せなかった本も、読書遍歴に含まれる

読書歴を語るとき、人は読み終えた本を並べたくなる。

何を読破したか。

どの作家を理解したか。

どれほど難しい本を読んだか。

しかし、本当の読書遍歴は、もっと不完全なものである。

読み始めたまま、途中でやめた本がある。

内容をほとんど覚えていない本がある。

当時は感動したのに、なぜ感動したのか説明できない本がある。

難しくて理解できなかった本がある。

読み終えたつもりでも、実際にはほとんど分かっていなかった本もある。

フランス文学やロシア文学での挫折も、スタンダールの『恋愛論』を読み通せなかったことも、私の読書遍歴から除く必要はない。

むしろ、そこで初めて、本には自分の理解を超えるものがあると知った。

すべてを理解できると思うことの方が危うい。

文学は、簡単に答えを与えるものではない。

人間の感情や社会は複雑で、一度読んだだけでは理解できない。

年齢を重ねても、完全に理解できるとは限らない。

だからこそ、もう一度読む意味がある。

三つの時代を通じて残ったもの

昭和、平成、令和を通じて、読書の環境は大きく変わった。

昭和には書店の棚から本を選び、紙の文庫本を持ち歩いた。

平成にはインターネットで本を探し、遠くの書店やオンライン書店から購入できるようになった。

令和には電子書籍やウェブ上の文章を読み、自分自身もブログや電子書籍を通じて文章を発表できる。

本の形は変わった。

本を探す方法も変わった。

読む速度や、文章へ向き合う時間も変わった。

それでも、人が文章を読む理由の根本は、それほど変わっていないのかもしれない。

自分とは違う人生を知りたい。

自分の中にある感情を言葉にしたい。

世界がどのようにできているのかを知りたい。

過去の人が何を考えていたのかを知りたい。

自分が一人ではないことを確かめたい。

文学は、人生の問題を解決してくれるわけではない。

病気、仕事、家族、孤独、老いといった現実は、本を読んだだけで消えるものではない。

しかし文学は、自分だけが抱えていると思っていた感情が、別の時代、別の国、別の人間にも存在していたことを教えてくれる。

答えを与えるというより、問いに言葉を与えてくれる。

それが文学の役割なのだと思う。

課題として始まった読書が、人生の一部になるまで

小学生の頃、私は課題図書を読む程度だった。

その時点では、読書がその後の人生にこれほど長く関わるとは思っていなかった。

中学生で新聞のコラムを読み、高校生で文学に出会った。

名著を読み、流行作家を読み、文庫本を買った。

外国文学に挑み、挫折した。

雑誌を読み、社会へ関心を広げた。

理系雑誌を読み、自然や技術の仕組みを知ろうとした。

成人してからは、ジャンルを越えて本を読んだ。

振り返れば、読書の対象は変わり続けている。

しかし、知らないものを文章によって知ろうとする姿勢は変わっていない。

読み終えた本だけが、自分を作ったのではない。

理解できなかった本も、途中で閉じた本も、書店で手に取っただけの本も、自分の中に何らかの痕跡を残している。

高校生には難しかったスタンダールの『恋愛論』も、その一冊である。

内容を十分に理解できなかった。

それでも、理解できない本が世界には存在することを教えてくれた。

そして、いつかもう一度開けば、当時とは違うものが見えるかもしれないと思わせた。

課題として始まった読書は、やがて自分から本を選ぶ読書になり、社会を知る読書になり、専門を学ぶ読書になった。

そして令和の今、それは、自分が生きてきた時代を文章として残すための読書へつながっている。

昭和に開いた一冊の文庫本も、平成に探した専門書も、令和に読む電子書籍も、すべてが同じ形で記憶に残るわけではない。

けれども、読み終えて本を閉じた後、自分の人生や社会について少し考える時間が残るなら、その読書は無駄ではなかった。

本を読む人間として始まったわけではない私が、長い時間をかけて本を読む人間になった。

それが、昭和、平成、令和を通じた、私の読書遍歴である。

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