リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

~高校時代に読んだ太宰治を、六十代になった今から考える~

 高校生のころ、私は本格的に文学を読むようになった。小学生のころは学校から与えられた課題図書を読む程度だったが、中学生になると朝日新聞の「天声人語」を読むようになり、文章を通して社会や時代について考える機会が増えていった。そして高校生になると、書店の文庫本の棚から自分で本を選び、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家を読むようになった。文学史を体系的に学ぼうとしていたわけではなく、興味を持った本を手に取り、読み終えるとまた次の本を探すという、ごく自然な読書だった。

 そのなかに太宰治がいた。いま振り返ってみると、太宰という作家には、高校生という年代の読者を引き寄せる何かがあるように思う。それは単に文章が読みやすいからでも、暗い物語を描いているからでもない。高校生という、自分が何者なのかを模索しながら周囲との関係を築いていく時期に抱きやすい感情と、太宰の文章が描く人間の矛盾や不安定さが、どこかで重なるからではないだろうか。

 もちろん、すべての高校生が太宰に共感するわけではなく、ほかの作家より太宰が特別に好まれることを示す十分な比較データがあるわけでもない。それでも、自分自身の高校時代を振り返り、青年期の心理について現在分かっていることも考え合わせると、太宰文学が若い読者に近く感じられる理由を、ある程度説明できるように思う。

 太宰治は1909年に青森県に生まれ、本名を津島修治という。戦後には『斜陽』や『人間失格』などを発表し、1948年6月13日、39歳の誕生日を6日後に控えて亡くなった。文学史上では坂口安吾らとともに「無頼派」などと呼ばれることがあるが、その作品を理解するには、こうした分類や波乱に満ちた生涯だけでは足りない。高校生だった私が向き合っていたのも、作家の伝記ではなく、まず目の前にある文章だったからである。

高校生は、大人でも子どもでもない

 高校生という時期は、子どもとして扱われることに抵抗を覚えながらも、大人として社会のなかに確かな位置を持っているわけではない、独特の年代である。進学するのか、何を学ぶのか、どのような仕事をするのか、自分には何ができるのかと、将来について考える機会が増えていく。しかし、その問いに答えられるほど自分自身を理解しているわけではなく、周囲から求められる将来像と、自分の内側にある漠然とした希望や不安との間で揺れることもある。

 友人との関係も変化し、人からどう見られているのかが気になり始める。勉強や運動の成績、友人の多さ、異性との関係、将来の目標など、他人と比較する材料はいくらでもある。周囲から見れば些細な出来事であっても、本人にとっては自分の存在そのものに関わるほど重大に感じられることがある。もちろん、こうした葛藤の程度には個人差があり、高校生だから誰もが強い不安や自己嫌悪を抱くわけではない。それでも、自分と他人との関係を考えながら、少しずつ自分自身の輪郭を形成していく時期であることは確かだろう。

 発達心理学でも、青年期には自分の価値観や将来の方向性、社会のなかでの役割を探索することが重要だと考えられている。この過程は一般にアイデンティティの形成と呼ばれ、青年期に限らず成人後も続いていく。自分が何者なのかという問いに、一度答えを出せばそれで終わるわけではなく、進学、就職、人間関係、社会的な経験などを通じて、自己理解は何度も組み替えられるのである。

 こうした時期に太宰の文章を読むと、大人になってから読む場合とは違った形で言葉が入ってくるのかもしれない。太宰の作品には、自信を持って世界を説明する人物だけでなく、他人とうまく付き合えず、自分の弱さを自覚しながらも、その弱さから簡単には抜け出せない人物が現れる。人からどう見られているかを過剰に意識し、自分を肯定できず、それでも他人から理解されたいと望む人間の姿は、自分自身について考え始めた高校生の感覚と重なる部分がある。

「弱い人間」が文学の主人公になる

 高校生になるまでに接してきた物語を振り返ると、努力する人、勇気のある人、困難を克服する人が肯定的に描かれる作品が、私の記憶には多く残っている。もちろん、児童文学や古典文学にも弱さや矛盾を抱えた人物は数多く登場するし、困難を乗り越える人間を描くことにも大きな意味がある。ただ、高校時代に太宰を読んだときには、それまでとは違う角度から人間を描く文学に出会ったような感覚があった。

 実際の人間は、それほど単純ではない。努力しなければならないと分かっていても努力できず、向き合うべき問題から逃げてしまうことがある。嫉妬したり、見栄を張ったり、人に好かれたいと思いながら人付き合いに疲れたりすることもある。自分を理解してほしいと願う一方で、本当の自分を知られることには恐怖を覚える。太宰文学には、そうした人間の矛盾が、きれいに整理されないまま描かれている。

 文学のなかでは、立派ではない人間も主人公になれる。自信のない人間にも言葉が与えられ、迷っている人間にも物語がある。これは十代の読者にとって、一つの発見になり得る。文学は理想的な人物や優れた行動だけを書くものではなく、人に見せたくない感情や、自分でも認めたくない弱さまで描くことができる。太宰を読むことによって、そんな文学の一面を知る読者もいるのではないだろうか。

 ただし、太宰文学のすべてが自己嫌悪や孤独を描いているわけではない。『走れメロス』には友情や信頼をめぐる人間の行動があり、『女生徒』には少女の日常の感覚や揺れ動く意識が描かれている。『富嶽百景』のように、生活のなかでの心情の変化をユーモアや繊細な観察を交えて描いた作品もある。太宰文学の魅力は一つの主題に集約できないが、私が高校時代にとりわけ引き寄せられたのは、人間が自分自身とうまく折り合えない姿を描く部分だったように思う。

自己嫌悪をここまで文章にしてよいのか

 太宰の作品を考えるとき、「自己嫌悪」という言葉は避けて通れない。しかし、太宰文学を単に自分を嫌っている人間の文学として整理してしまえば、あまりにも一面的である。重要なのは、自己嫌悪という感情そのものよりも、普通なら隠したくなる感情を、他人が読むことのできる文章に変えているところにある。

 格好の悪さ、臆病さ、虚栄心、他人への依存、自分自身に対する疑いといった感情は、程度の差こそあれ、多くの人間に生じ得るものである。それでも、そうした感情を人前で認めることは容易ではない。特に他人との比較を通じて自分の位置を確かめようとする時期には、自分の弱点が必要以上に大きく感じられることもある。太宰の文章には、人間はそれほど立派な存在ではなく、矛盾や不完全さを抱えたまま生きているのだという感覚が流れているように見える。

 それは積極的な励ましでもなければ、人生の解決策でもない。しかし、自分だけが不完全なのではなく、自分のなかにある説明しにくい感情も文学の対象になり得ると知ることには、一定の意味があるだろう。文学によって問題そのものが消えるわけではないが、これまで自分のなかで漠然としていた感情に、言葉を通して向き合うきっかけが生まれることはある。

 読者と登場人物の関係については、心理学的な研究も行われている。2024年に学術誌に掲載された、39研究、延べ11,077人を対象とするメタ分析では、読者と登場人物との類似性が、登場人物への同一化に与える影響は小さいながらも統計的に認められ、特に心理的な類似性が重要であることが示された。ただし、これは太宰文学や日本の高校生だけを対象にした研究ではなく、読者が登場人物に似ていると感じれば必ず共感するという意味でもない。

 この知見を太宰文学に当てはめるなら、読者が登場人物と同じ境遇にいなくても、恥や不安、他人の目を気にする感覚などに共通するものを見いだしたとき、作品との心理的な距離が縮まる可能性はある。太宰の描く人間が高校生にとって身近に感じられるとすれば、その理由の一つは、年齢や社会的な立場の一致ではなく、感情のあり方に似たものを発見することなのかもしれない。

「道化」という感覚

 太宰文学を考えるうえで、もう一つ重要なのが、人前で演じる自分と、自分自身が感じている内面との距離である。代表作『人間失格』は1948年に雑誌『展望』の6月号から8月号にかけて連載され、同年に筑摩書房から単行本として刊行された。作品は「はしがき」、主人公・大庭葉蔵の三つの手記、「あとがき」という構成を持ち、葉蔵が他人との関係を築くために道化を演じる姿が重要な要素となっている。

 学校生活では、誰もがある程度の役割を持っている。明るい生徒、真面目な生徒、面白い生徒、優秀な生徒、おとなしい生徒といった評価は、本人が意識していなくても周囲との関係のなかで形成される。教師から見た自分と友人から見た自分は異なり、家庭での自分とも違う。それらは必ずしも偽りの姿ではないが、ときには周囲が期待する人物像に合わせて振る舞い、自分の本当の感情を表に出さないこともある。

 人間は社会のなかで、状況に応じて異なる役割を担いながら生活している。それ自体は社会生活に必要な能力であり、人前で振る舞いを変えることが、ただちに不自然さや不誠実さを意味するわけではない。しかし、自分の内面と周囲に見せている姿との距離が大きく感じられるとき、人は自分が何者なのか分からなくなることがある。

 高校生くらいの年代では、周囲に見せている自分と、自分自身が感じている自分との関係について、強い関心を持つことがある。明るく振る舞っていても内心では不安を抱え、周囲に合わせて笑っていても、本当はその場になじめていないと感じることがある。そうした経験を持つ読者にとって、太宰の描く「道化」は、単なる小説上の奇妙な行動ではなく、自分にも理解できる人間の振る舞いとして映るのではないだろうか。

 もっとも、『人間失格』の葉蔵が抱える恐怖や疎外感を、一般的な高校生の日常心理と同一視することはできない。作品に描かれる苦悩は深刻であり、道化という行動も複数の意味を持っている。それでも、他人の前で演じる自分と内面とのずれという問題は、作品の極端な状況から離れても考えることのできる、人間関係の基本的な問いである。

太宰の文章には、読者との距離が近いところがある

 文学作品には、読者が少し離れた位置から風景や人物を眺めるように読む作品がある。客観的な描写を積み重ね、人物の行動や社会の構造を通して物語の世界を築いていく小説である。一方、太宰の作品には、語り手が読者のすぐ近くから自分の内面を打ち明けているように感じられるものがある。

 大きな思想や社会の仕組みを最初から説明するのではなく、語り手の恥ずかしさや戸惑い、他人には言いにくい感情から物語が始まることがある。そのため読者は、登場人物の行動を外側から観察するだけでなく、自分にも似たところがあるのではないかと考えながら読むことになる。もちろん、これは太宰だけに見られる技法ではなく、一人称の語りが常に読者との距離を縮めるわけでもない。しかし、太宰には、語り手の弱さや自己弁護、ときには矛盾そのものを読者に意識させる巧みさがあるように思う。

 ここで忘れてはならないのは、小説の語り手と作者本人は同じではないということである。太宰の作品には作者の経験を思わせる部分もあるが、それらは作品として構成され、言葉を選び、読者にどのように伝わるかを考えて書かれている。自分の弱さを率直に告白しているように見える文章にも、語る順序や表現の選択、ユーモアや皮肉などの文学的な技術が働いている。

 太宰の文章が身近に感じられるとすれば、それは単に内面をさらけ出しているからではなく、その内面を読者が理解できる形に変える表現の力があるからだろう。高校生だった私には、そうした技術を分析する知識はなかったが、それでも文章を読むなかで、人間の内側に近づいていくような感覚があったことは記憶に残っている。

三島由紀夫とは違う入り口

 高校時代に読んだ作家のなかで、三島由紀夫と太宰治を並べて考えると、その違いは興味深い。三島の文章には、言葉の選び方や構成の緻密さ、美しさを強く意識させられるところがあった。美、身体、思想、死といった主題には、高校生だった私には十分に理解できない部分も多かったが、それでも文章そのものの力を感じることができた。

 一方、太宰の場合は、まず人間の側から入ってくるように感じられた。弱さや恥、孤独、自己嫌悪、他人との距離といったものが、文学の主題として直接迫ってくる。三島を読んで「こんな文章があるのか」と驚いたとすれば、太宰を読んだときには「人間はこんなことまで書いてよいのか」と感じたのではないかと思う。

 もちろん、この比較は二人の文学全体を分類するものではない。三島にも自己意識や孤独、人間の弱さを描いた作品があり、太宰にも文章の美しさや構成の巧みさ、豊かなユーモアがある。どちらが優れているという話でもなく、高校生だった私が、それぞれの作品にどのような入り口から接していたかという違いである。

 当時は、こうした区別を意識していたわけではなかった。太宰や三島、芥川や川端だけでなく、片岡義男や三田誠広のような、当時の空気を感じさせる作家も同じ本棚のなかにあった。古典的な文学と同時代の文学を、現在のように明確に分類して読んでいたわけではなく、書店の棚に並んだ文庫本から興味を持った一冊を取り、その一冊が次の一冊へつながっていった。

 文学とは本来、そのようにして読者のなかに入ってくるものなのかもしれない。文学史や作家論を先に学ばなくても、文章から何かを感じ取り、自分なりの理解を持つことはできる。後になって知識が増えれば、そのときには分からなかった別の意味が見えてくることもある。読書の価値は、最初から作品を正確に分析できるかどうかだけで決まるものではない。

高校生だった私は、太宰をどこまで理解していたのか

 六十代になった現在から高校時代の読書を振り返ると、一つ注意しなければならないことがある。それは、当時読んだ本を、現在の知識によって十分に理解していたことにしてしまわないことである。人間の記憶は、過去の出来事をそのまま保存しているわけではなく、その後に得た知識や経験、現在の感情によって、思い出し方が変わることがある。何十年も前の読書体験を語る場合には、この点を意識する必要がある。

 高校生だった私は、太宰が生きた昭和前期の社会を十分に理解していたわけではない。戦前と戦後の価値観の変化、地主階級をめぐる社会背景、当時の文学状況、太宰自身の複雑な人生などについて、体系的に勉強してから読んだわけではなかった。作品のなかで理解できたところまで読み、感じられたところまで感じていただけである。

 しかし、それによって読書の価値が失われるわけではない。文学との最初の出会いは、必ずしも十分な知識に支えられている必要はなく、分からない部分を残したまま読むことにも意味がある。高校生のころには人物の感情に強く反応した作品が、年齢を重ねてから読むと、社会背景や作者の表現技術という別の角度から見えてくることもある。

 同じ作品であっても、読む人間が変化すれば、そこから受け取るものも変わっていく。高校生の私が太宰から何を感じ取ったのかと、現在の私がその読書体験をどう解釈しているのかは、厳密には別の問題である。現在の理解をそのまま過去に投影するのではなく、その違いを認めながら振り返ることが、何十年も前の読書を考え直すうえで大切なのだと思う。

太宰の人生と作品を同一視しない

 太宰治について語ると、どうしてもその生涯が話題になる。複雑な人間関係、心中未遂、酒や薬物をめぐる問題、そして1948年の死など、太宰の人生には文学作品の理解と関係する出来事が数多くある。実際、作者が生きた時代や個人的な経験を知ることによって、作品に描かれた人物や社会のあり方を、より深く理解できる場合もある。

 しかし、作者の人生を知れば作品のすべてが説明できるわけではない。さらに注意しなければならないのは、太宰が苦悩に満ちた人生を送ったから作品が優れているのだと考えてしまうことである。苦しんだから文学者になれるわけではなく、破滅的な生き方そのものに文学的な価値があるわけでもない。

 太宰の作品が読み継がれてきた理由を考えるなら、個人的な経験をそのまま記録したことよりも、それを物語として構成し、人間の感情や矛盾を言葉によって表現する技術に目を向ける必要がある。作品に描かれた苦悩が読者に届くのは、作者が実際に苦しんだからという理由だけではなく、読者がその感情をたどることのできる文章が存在するからである。

 高校生が太宰を読むときにも、作者の人生と作品の価値は分けて考えた方がよい。太宰の生き方をまねる必要はなく、作品に描かれた人物の行動を肯定する必要もない。それでも、人間がなぜ自分自身を否定してしまうのか、なぜ他人との関係に苦しむのかを考えることはできる。文学作品を読むとは、作者や登場人物の生き方をそのまま受け入れることではなく、そこに描かれた人間について自分自身で考えることなのである。

なぜ太宰文学は現在も読まれているのか

 太宰治の『人間失格』や『走れメロス』などは、現在も青空文庫を通じて読むことができる。青空文庫が公開している2022年の年間アクセスランキングでは、ウェブ閲覧版で『走れメロス』が2位、『人間失格』が10位、『斜陽』が34位に入り、複数の太宰作品が多くのアクセスを集めていた。紙の文庫本だけでなく、インターネット上でも太宰作品に接する機会が存在してきたことを示す数字である。

 ただし、このアクセス数を、そのまま読者数や読了者数と考えることはできない。同じ人が異なる時期に作品へアクセスすることもあり、学校の授業や課題のために閲覧する場合もある。さらに、アクセス記録から読者の年齢を特定することはできないため、この数字だけを根拠に、太宰が現在の高校生に特別な人気を持っていると結論づけることはできない。

 太宰文学が若い読者に接する機会を持ち続けている背景には、学校教育の影響も考えられる。『走れメロス』は中学校の国語教材として広く知られており、授業を通じて太宰という作家を知る生徒もいる。一方で、高校の国語教育における文学作品の扱いは、科目や学校の教育課程によって異なる。学校で読むことと、自分の関心から作品を選んで読むことは、読書の動機として区別する必要があるだろう。

 私自身の高校時代を考えると、書店の棚から自分で文庫本を選んでいたことは、読書体験の重要な部分だった。誰かから読むように指示されたのではなく、題名や作家の名前、あるいは何となく気になった一冊を手に取る。そのようにして出会った作品だからこそ、当時の自分の関心や心理状態と結びついて記憶に残った可能性もある。

 太宰が生きた昭和と、現在の高校生が生きる令和では、社会環境は大きく違う。私が高校生だったころには、スマートフォンもインターネットもなく、本を探す場所は主に書店や図書館だった。現在は作品名を検索すれば、本文だけでなく、解説や感想、作者の経歴など、多様な情報に容易に接することができる。その変化は読書への入り口を広げる一方で、作品を読む前に他人の解釈を知る機会も増やしている。

 しかし、情報環境が変わったからといって、人間が他人の目を意識することや、自分自身について考えることがなくなったわけではない。自分は何者なのか、人間関係のなかでどこまで自分を出してよいのか、他人に合わせている自分と内面で感じている自分はどのような関係にあるのか。こうした問いは、昭和の高校生にも令和の高校生にも生じ得るものであり、そこに太宰文学を現在の読者が理解するための接点があるように思う。

SNS時代の高校生と「他人に見せる自分」

 現代の高校生を考えるとき、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)の存在を無視することはできない。プロフィールや写真、短い文章、他人からの反応などを通じて、自分が周囲にどう見られているかを意識する機会がある。学校や家庭とは異なる場で自分を表現できる一方、他人の生活や評価が目に入りやすく、比較の対象が身近な友人関係の外側にまで広がることもある。

 2025年に刊行された、32研究、延べ19,658人を対象とする青年期のSNS利用と自己形成に関する体系的な研究レビューでは、SNS上での他人との比較が、自己探索やアイデンティティに関する苦悩と関連していることが報告されている。一方、自分をありのままに表現することは、自己理解の明確さと関連しており、SNSの利用時間の長さだけでなく、そこで何をするかが重要であることも示されている。

 ただし、これらの研究結果は、SNSが必ず心理的な不安を強めることを意味しない。利用する人の性格や生活環境、交友関係によって影響は異なり、心理的な特徴がSNSの利用行動を左右している可能性もある。また、昭和の高校生と令和の高校生のどちらが、他人の目をより強く意識しているのかを、この研究だけで判断することもできない。

 それでも、太宰文学に描かれた、人前で演じる自分と内面との距離という問題は、現代の情報環境のなかでも考える価値がある。他人からどう見られているかを気にし、周囲に合わせて自分を表現しながら、ときには本当の自分が分からなくなるという経験は、時代が変わっても起こり得る。『人間失格』に描かれた道化のあり方を、そのまま現代のSNS利用に当てはめることはできないが、他者との関係のなかで自己を形成するという問題には、共通する部分があるのではないだろうか。

 太宰文学が古くならない理由を考えるなら、社会の仕組みが変わっても、人間が自分と他人との関係に悩むことはなくならないという点に注目したい。もちろん、それだけで太宰が若い読者に支持される理由をすべて説明できるわけではない。作品の知名度、教育環境、入手しやすさ、読者の趣味など、さまざまな条件が重なって読書は成立する。それでも、作品に描かれた感情を自分自身の経験と結びつけられることは、時代を超えて文学が読まれる理由の一つになり得ると思う。

太宰を読むことは、自分の弱さを肯定することではない

 太宰を若いころに読むことについては、一つ注意しておきたいことがある。それは、弱さを描いた文学を読むことと、弱さそのものを美化することは違うという点である。孤独を描いた作品を読むことは、孤独であることを価値ある生き方として選ぶことではなく、自己嫌悪を描いた作品に共感することも、自分を否定し続けることを肯定するものではない。

 文学は人生の処方箋ではない。太宰を読めば悩みが解決するわけでもなく、作品に強く共感したからといって、その人の心理状態が改善するとは限らない。反対に、暗い作品を読むことがすべての読者に悪い影響を与えると考えるのも、根拠の乏しい単純化である。文学との関わり方は読者によって異なり、同じ作品でも、そのときの心情や経験によって受け取り方が変わる。

 大切なのは、作品に描かれた感情を、自分自身や他人について考える材料にできることである。人は、自分の感情をいつでも正確に説明できるわけではない。漠然とした不安や違和感、人には言えなかった恥ずかしさなどが、文学のなかで言葉になっているのを見つけたとき、これまで説明できなかった自分の感覚を考え直すきっかけが生まれることがある。

 しかし、その感覚を得られるかどうかは、作品と読者の関係による。太宰の文章に救われたように感じる人もいれば、理解できない人や、むしろ距離を置きたくなる人もいるだろう。いずれも読書の反応として不自然ではなく、太宰を理解できることが人間への理解の深さを示すわけでもない。

 文学の価値は、読者全員に同じ感情を与えることではない。作品を通じて、これまで自分が気づかなかった考え方や感情に触れ、人間についての理解を広げる可能性があることに意味がある。太宰文学もまた、人間の弱さを肯定するためではなく、弱さや矛盾を含めた人間の姿を考えるために読むことができるのである。

六十代になった今、太宰を考える

 高校生だったころと現在とでは、私自身が生きてきた時間がまったく違う。仕事をし、社会の仕組みを知り、科学や医学、経済、政治、技術など、文学以外のさまざまな分野の本も読むようになった。成人後の読書は、特定の分野にとどまることなく広がっていったが、それでも高校時代に文学を読んだ経験は、いまも自分のなかに残っている。

 その意味を現在から考えると、文学は正しい人間像を教えるものではなかったのだと思う。太宰治の文学も、人間はこう生きるべきだという明確な答えを示しているわけではない。むしろ、人間は弱い部分もあれば強い部分もあり、善良なこともあれば、ずるいこともあるという、簡単には整理できない現実を描いている。人を求めながら人から離れたいと思い、自分を理解してほしいと願いながら、自分を知られることを恐れる。そうした矛盾を抱えていることが、人間の一つの姿なのだろう。

 十代のころは、その矛盾を自分自身の問題として感じることがある。自分だけが周囲とうまくかみ合わないのではないか、自分だけが不完全なのではないかと考えることもある。しかし、年齢を重ね、さまざまな人間と接し、社会のなかで経験を積むと、そうした矛盾は自分だけに特有のものではなく、人間一般に生じ得るものだと理解できるようになる。もちろん、年齢を重ねれば誰もが人間を深く理解できるというわけではないが、経験によって物事の見え方が変わることは確かである。

 現在の私が太宰を考えるとき、高校生だった自分が作品のどこに引き寄せられたのかを、当時よりも少し整理して説明できるようになった気がする。ただし、それは当時の自分が太宰を十分に理解していたという意味ではない。むしろ、理解できない部分を残しながら読んでいたからこそ、何十年も経った現在になって、別の意味を見いだす余地があるのだと思う。

 太宰治の文学が高校生の心に入り込む理由も、そこにあるのかもしれない。高校生に人生の答えを教えるからではなく、自分でもまだ説明できない問いや感情が、すでに文学のなかに描かれているからである。登場人物に共感することもあれば、理解できないこともある。それでも、その作品を読んだ経験が記憶に残り、後になって自分自身を振り返る手がかりになることがある。

 太宰がすべての高校生に特別な作家であるとは思わないし、どの作家の作品が心に残るかは人によって違う。ただ、少なくとも私にとって、高校時代に太宰を読んだことは、人間の弱さや矛盾を文学として考える入り口の一つになった。それが当時の自分にどのような影響を与えたのかを正確に測ることはできないが、六十代になった現在も、その意味について考えていること自体が、あのころの読書が残したものなのだろう。

 本を読むということは、作品を読むだけではない。何十年も経ってから同じ作品を思い返すとき、そこには現在の自分の理解だけでなく、かつてその作品を手に取った自分の姿も重なっている。高校生のころには分からなかったことが、年齢を重ねてから見えてくる一方で、当時にしか感じられなかったものもある。その両方を含めて、読書は人生のなかに残っていく。

 本を読むということは、かつてその本を読んだ、自分自身を読み返すことでもあるのだと思う。

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 三島由紀夫について論じるとき、その政治的な言動や晩年の行動が大きく取り上げられることは少なくない。しかし、それらが強い印象を残しているために、小説家として三島が何を描き、どのような言葉によって文学世界を構築したのかが、十分に検討されないままになることもある。

 本稿では、三島の政治的主張や行動、その最期については扱わない。それらを軽視するためではなく、考察の対象を意識的に小説作品の内部へ限定するためである。三島の小説では、美しいものはどのように描かれているのか。美は登場人物を幸福にするのか、それとも現実との距離を広げるのか。また、人物の容貌や肉体、自然、建築物、季節、恋愛といったものが、三島の言葉によってどのような「美」へと組み替えられているのかを考えてみたい。

 三島を「美の作家」と呼ぶことは難しくない。しかし、その一言だけでは三島文学の特徴を明らかにしたことにはならない。三島の小説に現れる美は、必ずしも人を慰めたり、幸福へ導いたりするものではない。ときには見る者を圧倒し、自分の不完全さを意識させ、現実との間に越えがたい隔たりを作る。一方で、『潮騒』のように、肉体、自然、労働、恋愛が比較的調和した作品も存在する。

 したがって、三島文学における美を単純な一つの原理だけで説明することは難しい。本稿では、『金閣寺』『仮面の告白』『潮騒』『春の雪』という性格の異なる四作品を中心に、美と人間との関係を比較する。ただし、この四作品だけから三島文学全体について普遍的な法則を導くことはできない。ここで示すのは、あくまで四作品を比較することによって浮かび上がる一つの読み方である。

三島由紀夫は本当に「美の作家」なのか

 三島由紀夫は、しばしば「美の作家」と評される。その評価には、少なくとも三つの意味を区別する必要がある。第一に、美しい人物、美しい肉体、美しい建築物、美しい自然が数多く描かれていること。第二に、その文章自体が視覚的で、比喩や語彙を精密に組み合わせて構築されていること。そして第三に、美とは何か、美しいものに接した人間がどのように変化するのかという問題そのものが、小説の重要な主題になっていることである。

 したがって、三島を「美しいものを描いた作家」と理解するだけでは不十分である。重要なのは、美そのものだけではなく、それを見た人物が何を感じ、何を欲望し、どのように行動し、現実との関係をどのように変化させていくのかという点にある。

 美は快や喜びと結びつけられることが多い。しかし、人間が美しいものを経験したときに生じる感情は、単純な幸福だけではない。感動、畏れ、悲しみ、懐かしさ、不安、劣等感などが同時に生じることもある。美的経験は、対象そのものだけによって決定されるのではなく、それを見る人の経験、記憶、欲望、価値観や置かれた状況にも左右される。

 三島の作品には、こうした美の複雑さが繰り返し現れる。『金閣寺』では建築物としての美が主人公を圧迫し、『仮面の告白』では美しい肉体が欲望と自己認識を引き起こす。『春の雪』では、美は若さや時間、距離、喪失と強く結びつき、『潮騒』では肉体や自然の美が労働や共同体の中に置かれている。

 本稿で扱う四作品を比較する限り、美は対象だけに固定された性質としてではなく、対象とそれを見る人間との関係の中で変化するものとして描かれているように見える。美しいものそのものだけでなく、美しいものを前にした人間こそが、三島文学を読むうえで重要なのである。

『金閣寺』~完全な美は人間を幸福にするのか

 『金閣寺』は、三島文学における美を考えるうえで最も重要な作品の一つである。主人公の溝口は吃音を抱え、自らの容貌や他者との関係について強い劣等感を持っている。彼にとって金閣は単なる歴史的建築物ではない。父から「この世で最も美しいもの」として語り聞かされ、実物を見る以前から、すでに想像の中で特別な存在となっている。

 この点は重要である。溝口は、実物の金閣を見てから美の観念を形成したのではない。言葉と想像によって作られた「完全な金閣」が先に存在し、その後に現実の金閣を見る。したがって、現実の建築物としての金閣と、溝口の内面に存在する金閣とは完全には一致しない。

 現実の建築物には古さも傷みもあり、天候や光、見る位置によって姿が変わる。しかし、観念の中の金閣は変化しない。そこには人間の日常生活を超えた、完全な美が与えられている。この完全性と、溝口自身が感じている不完全さとの間に、強い緊張が生まれる。

 美しいものを見ることは、自分もまた美しくなれるという希望を与えるとは限らない。むしろ、自分がそこからどれほど遠い存在であるかを意識させる場合がある。溝口にとって金閣は憧れの対象であると同時に、自分自身の不完全さを繰り返し確認させる存在にもなっていく。

 さらに、金閣の像は溝口の現実生活へ侵入してくる。女性との関係を築こうとする場面でも金閣が意識に現れ、目の前の現実と向き合うことを妨げる。ここでは、美が現実を豊かにするというよりも、観念として完成された美が現実の人間や出来事を価値の低いものに見せるように働いている。

 ただし、ここから「美は人を不幸にする」という一般的な結論を出すことはできない。『金閣寺』で問題となっているのは、美そのものよりも、溝口が美とどのような関係を結んだかである。彼は金閣を変化する現実の一部として受け入れることができず、絶対的な美として自らの内面に固定していく。

 したがって、『金閣寺』は「美しいものは人間を善い方向へ導く」という単純な考えを揺さぶる作品として読むことができる。美は人を高めることもあれば、自分の不完全さを意識させ、現実との距離を広げることもある。三島が描いたのは建築物の美しさだけではなく、その美に圧倒され、ついには耐えられなくなっていく人間の内面なのである。

『仮面の告白』~美しい肉体と、見る者との距離

 『仮面の告白』では、美の中心が建築物から人間の身体へ移る。この作品の語り手である「私」は、自らの欲望や内面を他者から隠しながら、社会の中で求められる姿を演じようとする。題名にある「仮面」は、単純な嘘というより、自分の内面と社会に見せる自己との間に生じる距離を象徴していると読むことができる。

 作品に登場する美しい男性の肉体は、「私」が自然に近づき、触れ、日常を共有できる対象として描かれるとは限らない。むしろ、多くの場合、それは見る対象である。ここには『金閣寺』との共通点がある。金閣が溝口にとって自由に所有することのできない美であったように、美しい肉体もまた、「私」にとって距離を伴う存在として立ち現れる。

 しかし、『仮面の告白』の距離は物理的な距離だけではない。社会的な距離であり、心理的な距離であり、自分の内面と他者に示す自己との距離でもある。しかも、「私」が美しいと感じる肉体は、単なる健康な身体や均整の取れた身体として描かれるのではない。絵画や宗教的図像、物語、死のイメージなどと結びつき、現実の身体以上の意味を帯びていく。

 ここから、美が対象だけによって成立しているのではないことが分かる。同じ人物や同じ身体を見ても、すべての人間が同じ美を感じるわけではない。「私」の記憶、欲望、孤独、想像力が、その肉体に与えられる意味を変化させる。

 また、美しい肉体を見ることは、自分自身を意識することでもある。自分が持っていないもの、自分とは異なるもの、自分が簡単には近づけないものほど、強い美として感じられる場合がある。『仮面の告白』では、距離や禁忌が美を増幅していると読むことができるが、それを人間一般に成立する法則と考えるべきではない。

 この作品で重要なのは、美を見つめることによって、語り手が自分自身について考えざるを得なくなることである。美しい対象は単なる鑑賞物ではなく、欲望、社会規範、孤独、自己認識を浮かび上がらせる装置として働いている。その意味で、『仮面の告白』における美は、人間を外の世界へ解放するというより、自分自身の内面へ深く向かわせる美だと言える。

『潮騒』~生活の中に置かれた美

 『金閣寺』と『仮面の告白』では、美は人物と現実との間に距離を生み出す方向へ働く。しかし、三島の作品に登場する美が、常に人間を孤独にし、現実から遠ざけるわけではない。その対照として重要なのが『潮騒』である。

 『潮騒』の舞台は伊勢湾の小島であり、若い漁師の新治と島へ戻ってきた初江との恋愛を中心に物語が進む。周囲には海、太陽、風、星、漁船、漁業、家族、島の共同体が存在し、人物の身体や恋愛はそれらから切り離されていない。

 新治の肉体は、単なる鑑賞の対象ではない。船を動かし、海で働き、危険に対応する身体である。初江の美しさも、現実から切り離された人工的な美として存在するのではなく、島の日常生活や共同体の中に置かれている。ここでは、身体の美しさと、その身体が現実の生活の中で果たす働きとが分離していない。

 海についても同じことが言える。海は美しい風景であると同時に、人間の生活を支える場所であり、危険をもたらす場所でもある。自然は単なる背景ではなく、人間の身体、労働、勇気、成長に直接関わる現実の環境なのである。

 新治と初江の恋愛も、二人だけの観念的な世界で完結しない。島の噂、家族、経済的立場、嫉妬、結婚など、現実的な条件にさらされる。それでも二人は現実を拒否して逃げるのではなく、行動することによって関係を成立させようとする。

 ここには『金閣寺』との興味深い対照がある。溝口は美を見つめ、その意味を内面で増幅していく。『仮面の告白』の「私」も、美しい対象を見ながら自己の内側へ向かう。それに対して新治は、見るだけではなく、働き、判断し、危険に立ち向かい、他者との関係の中で責任を引き受ける。

 本稿で扱う四作品を比較する限り、『潮騒』では美と幸福との距離が比較的近い。しかし、それを単純に「労働と結びついた美は幸福を生む」という因果関係として一般化することはできない。むしろ、『潮騒』では、美が自然、身体、労働、人間関係など現実の生活の複数の要素と分離せずに存在しているため、美と人間との間に『金閣寺』ほど深刻な断絶が生じていない、と考える方が適切だろう。

 『潮騒』は、三島が美を苦悩や孤独だけでなく、人間と世界との調和としても描くことのできた作家であることを示している。

『春の雪』~美はなぜ失われると強く感じられるのか

 『春の雪』は『豊饒の海』四部作の第一巻であり、華族の家に生まれた松枝清顕と綾倉聡子の関係を中心に物語が展開する。二人は互いに惹かれながらも、清顕の自尊心やためらいによって関係を素直に進めることができない。清顕が聡子を遠ざけた後、聡子は皇族との婚約を受け入れ、それによって二人の関係は社会的、制度的にも許されないものになっていく。

 『春の雪』では、美は若さ、季節、身分、恋愛、距離、時間と密接に結びついている。題名の「春の雪」は、この作品の性質を象徴するものとして読むことができる。春の雪は美しいが、長くとどまることはできない。季節の暖かさによって消えていく存在であり、その美しさには最初から消滅の予感が含まれている。

 清顕と聡子の関係にも同じような構造を見ることができる。自由に結ばれる可能性が残されているとき、清顕は自分の感情を十分に受け入れることができない。ところが聡子が皇族との婚約によって遠い存在となると、その感情は激しさを増す。

 ここには、対象との距離と感情の強さとの関係が描かれている。身近で失う可能性の少ないものより、失われようとしているものの方が強く意識されることはある。しかし、『春の雪』から直ちに「人は失うものほど美しく感じる」という普遍的な心理法則を導くことはできない。あくまで、この作品の物語構造の中で、距離と禁忌、喪失の可能性が、美と恋愛の強度を高めていると読むべきである。

 さらに、『春の雪』を単なる「はかない恋愛の物語」に限定することも適切ではない。聡子の皇族との婚約には、個人の恋愛を超えた身分制度や皇室との関係が存在する。清顕と聡子の恋愛は、二人の感情だけではなく、華族社会の秩序、家同士の関係、制度的な禁忌によって形を変えていく。

 また、この作品では若さそのものも美の一部として描かれている。清顕の繊細さ、傲慢さ、ためらい、気まぐれは、若さの魅力であると同時に未熟さでもある。三島は清顕を道徳的に完全な人物として描いてはいない。彼は判断を誤り、相手を傷つけ、自分の感情を扱いきれない。それでも、二度と戻らない時間の中に存在する若者として、その人物全体が美しく造形されている。

 この作品では、美と善は一致しない。善良であるから美しいわけでも、正しい判断をするから美しいわけでもない。矛盾や欠点を含みながら、失われていく時間の中に存在することそのものが、美を作り出している。

 自然、庭園、衣服、建物、儀礼などの描写も、失われていく時間を意識させる。登場人物が属する旧い貴族社会の形式も永続するものではなく、時代の変化の中にある。美しく整えられた世界であるからこそ、それが長く続かないことへの予感が強くなる。

 その意味では、「雪は溶けるから美しい」「春は過ぎるから美しい」「若さは失われるから美しい」という表現は、『春の雪』の一つの読みを簡潔に示している。ただし、作品全体をこの原理だけに還元するべきではない。『春の雪』には、美と喪失だけでなく、禁忌、身分、制度、時代の変化、そして後の『豊饒の海』全体へつながる生と死や輪廻の問題も存在しているからである。

三島由紀夫の文体はどのように美を作るのか

 三島文学について考えるとき、美しい人物や建築物、自然、恋愛といった「何が描かれているか」だけを見るのでは不十分である。同じ海や庭園、人物を扱っても、文章の選び方によって読者が受け取る印象は大きく変わるからだ。三島文学の美を理解するためには、「何を描くか」と同時に「どのように描くか」を見る必要がある。

 三島の文章には、色、光、影、輪郭、表面の質感など、視覚的な要素が多く現れる。ただし、それは写真のように現実をそのまま複写する描写ではない。現実の風景から特定の部分を選び、強調し、配置し直すことによって、一つの構図を作り出している。海や庭園、建築、身体は、単なる現実の対象ではなく、文章によって造形された対象として読者の前に現れる。

 比喩も重要な役割を果たす。比喩とは単に説明を分かりやすくするための道具ではない。ある対象を別のものに重ねることによって、その対象に新しい意味を与えることができる。身体が彫刻のように見え、自然物が人工物のように描かれ、人工物が生き物のように感じられるとき、現実そのものが別の形へ組み替えられる。

 三島の文章では、具体的な感覚と抽象的な観念も密接に結びついている。光、色、音、触覚といった具体的な感覚の描写が、美、時間、孤独、欲望、幸福、死といった抽象的な問題へ結びついていく。『金閣寺』の金閣は建築物でありながら、溝口にとって美の観念となる。『仮面の告白』の肉体は身体であると同時に、欲望や自己認識を引き出す存在となる。『潮騒』の海は自然環境であると同時に、新治の能力や勇気を試す現実の場となる。『春の雪』の雪は自然現象でありながら、時間や若さ、恋愛のはかなさと結びついている。

 人物についても、心理だけで作られているわけではない。容貌、身体、衣服、姿勢、視線、動作、周囲の風景が組み合わされることによって、人物そのものが一つの造形物のように作られていく。清顕や聡子は個人であると同時に、失われていく若さや時代を象徴する像でもあり、新治と初江もまた、一人の若者と少女であると同時に、海と太陽の下に置かれた若い男女の姿として構成されている。

 この方法には、人物を現実の人間以上に整った存在として見せる作用もある。文学上の人物が造形的に完成されればされるほど、日常生活を送る普通の人間から遠ざかる可能性もある。しかし、その人工性は欠点というより、三島文学の重要な特徴の一つだろう。三島は現実の人物をそのまま文章へ移すのではなく、言葉によって人物を作り直している。

 ただし、三島の文体についてより厳密に論じるのであれば、本来は作品本文の具体的な文章を比較する必要がある。「視覚的である」「比喩が多い」「人工的に構築されている」という評価だけでは、それ自体が批評者の印象にとどまる可能性があるからだ。したがって、ここで述べた特徴は三島の文体を理解するための仮説的な整理であり、厳密な文体研究では個々の語彙、比喩、文の構造を具体的に検討する必要がある。

美と幸福を単純な因果関係で結べるのか

 ここまで四作品を見てくると、美と幸福の関係には一定の違いが見えてくる。『金閣寺』では、美は溝口を現実から遠ざける方向へ働く。『仮面の告白』では、美しい肉体が欲望と孤独、自己認識を強める。『潮騒』では、美は身体、自然、労働、人間関係の中に置かれ、幸福との距離が比較的近い。『春の雪』では、美は距離、時間、禁忌、喪失によって強められている。

 しかし、この四作品から「美と現実が結びつけば幸福になり、現実から切り離されれば不幸になる」という法則を作ることはできない。対象となる作品は四つにすぎず、しかも無作為に選ばれたものではない。文学作品について統計的な因果関係を推定しているわけでもないため、ここで示せるのは四作品に見られる構造上の傾向である。

 より慎重に言えば、本稿で扱った作品では、美が人間の日常生活から切り離され、絶対化された観念になるほど、人物と現実との緊張が大きく描かれる傾向がある。一方、『潮騒』のように、美が身体、労働、自然、共同体の中に置かれる作品では、その緊張が比較的小さい。

 ただし、美的経験そのものも、対象だけから生まれるわけではない。美しいと感じられる対象の特徴、それを見る人の性格や経験、記憶、欲望、社会的背景、その場の状況などが相互に作用する。したがって、「美が人間を幸福にするか」という問いには、単純な「する」「しない」という答えを与えることは難しい。

おわりに~美は人を救うのか

 『金閣寺』では、美は溝口を現実から遠ざけ、自分の不完全さを意識させる。『仮面の告白』では、美しい肉体が欲望の対象となると同時に、語り手自身の孤独や自己認識を浮かび上がらせる。『潮騒』では、美は現実の生活、労働、自然、共同体の中に存在し、人間の行動と結びついている。そして『春の雪』では、美は若さ、距離、禁忌、時間、喪失とともに強められていく。

 この四作品を比較すると、三島文学における美を、対象に固定された一つの性質として捉えることは難しいことが分かる。美は、見る者との距離、生活との関係、所有できるかどうか、失われようとしているかどうか、そして美を前にした人物がどのように行動するかによって、その意味を変えていく。

 だからといって、「美とは完全に主観的なものである」と結論することも適切ではない。人間が美を感じるためには、対象そのものの形、色、身体、自然、建築、言語表現なども重要である。美的経験は、対象だけでも、見る者だけでも成立するものではなく、対象と人間との関係の中で生じると考えた方がよい。

 三島由紀夫は、美しいものを数多く描いた。しかし、三島文学の重要性は、美しい人物や景色を並べたことだけにあるのではない。美しいものを前にした人間が、どのように自分を知り、どのように現実との距離を測り、どのように欲望し、ためらい、行動するのかを描いたところにある。

 そして、その美は作品の外部からそのまま持ち込まれるわけではない。光、色彩、身体、自然、建築、季節、比喩を選び、文章の中へ配置することによって、美は作られる。三島は、美について説明しただけの作家というより、言葉によって美が成立する瞬間そのものを小説の中に構築した作家だったと考えることができる。

 美は人を幸福にするのか。この問いに、三島の小説は一つの答えを与えない。美は人を幸福にすることもあれば、自分の不完全さを意識させることもある。現実を豊かにすることもあれば、現実を色あせて見せることもある。美しいものが人間に何をもたらすかは、美そのものだけによって決まるのではなく、人間がその美とどのような関係を結ぶかにも大きく左右される。

 三島文学の美が現在まで読者を引きつけている理由の一つは、美を単なる慰めや装飾として扱わなかったところにあるのだろう。三島が描いた美は、見る者を静かに満足させるだけのものではない。それは欲望、劣等感、孤独、若さ、幸福、時間、喪失といった、人間が生きるうえで避けることのできない問題を浮かび上がらせる。

 だからこそ、三島由紀夫の小説における美は、「美しい」という言葉だけでは終わらない。美を描きながら、その美を見ている人間そのものを問い返すところに、三島文学の大きな力があるのである。

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本を読む人間として始まったわけではなかった

振り返ってみると、私は幼い頃から本ばかり読んでいた子どもではない。

小学生の頃に読んだ本といえば、学校から指定された課題図書が中心だった。夏休みになると、感想文を書くために本を読む。自分から書店へ行き、棚の中から一冊を探し出して読むというより、まず読むべき本が先に決められていた。

課題図書には、子どもが自分では選ばない本に触れられるという意味がある。しかし、当時の私にとって、読書はまだ自発的な楽しみというより、学校生活の一部だった。

本を読めば、読書感想文を書かなければならない。

何を感じたのか、どこが印象に残ったのかを、原稿用紙の升目に合わせて書く。実際に深い感動があったかどうかより、感想として成立する文章を作ることの方が先にあったようにも思う。

私は、最初から読書家だったわけではない。

後年の自分から過去を振り返り、幼い頃から文学に親しんでいたように話を整えることもできる。しかし、それは正確ではない。

私の読書は、課題として与えられた本を読むところから始まった。

文学は、まだ遠くにあった。

中学生の私が読んだ『天声人語』

中学生になると、新聞の『天声人語』を読むようになった。

『天声人語』は、朝日新聞の朝刊に掲載されてきたコラムで、その起源は1904年にさかのぼる。掲載が中断された時期や名称の変遷はあるものの、長く日本の新聞コラムを代表する存在の一つとして読まれてきた。

中学生の私は、その長い歴史を意識して読んでいたわけではない。

一回の文章は長すぎず、時事問題、社会、歴史、文化、季節の話題などが、限られた文字数の中でまとめられていた。学校の教科書とは違い、その時に社会で起きていることが文章の題材になっていた。

一つの出来事から別の話題へ移り、最後には最初の話へ戻ってくる。短い文章の中に引用や比喩が置かれ、時事的な事実と書き手の見方が組み合わされる。

その論調にいつも賛成していたわけではない。

当時は、賛成や反対を明確に判断できるほど、政治や社会を理解してもいなかった。それでも、出来事をただ知らせる新聞記事とは異なり、出来事をどう読み、どのような言葉で捉えるかという文章の働きを知った。

小学生の頃、文章は課題図書の感想を書くためのものだった。

中学生になると、文章は社会について考えるためのものになった。

文学を読む前に、私は新聞の短いコラムを通じて、文章の形に触れていたのである。

後になってブログで政治、経済、地域社会、文化について書くようになったことを考えると、この時期の経験は小さくなかったのかもしれない。

一つの出来事だけを孤立させず、その背景や別の問題とのつながりを考える。短い話題から、より大きな社会を見ようとする。

その方法を、十分に自覚しないまま『天声人語』から学んでいたように思う。

高校生になって、ようやく文学へ入った

私が本格的に文学を読むようになったのは、高校生になってからである。

太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成。

日本文学の名著と呼ばれる作品を、少しずつ読むようになった。

学校の授業や文学史の中では、彼らはすでに評価の定まった作家だった。しかし、高校生の私は文学史上の位置づけを確認するためだけに読んでいたのではない。

むしろ、なぜこれほど多くの人が読み続けているのかを知りたかった。

太宰治の作品には、人間の弱さや自己嫌悪、他人からどう見られるかという不安が、隠されずに書かれていた。

三島由紀夫の文章には、美しさと緊張感があり、その思想や人生を十分に理解できなくても、言葉そのものに強い力を感じた。

芥川龍之介の作品は比較的短いものが多かったが、その短さの中に、人間の利己心、矛盾、不安、残酷さが凝縮されていた。

川端康成の作品では、説明し尽くされない感情や、情景の背後に残る沈黙が印象に残った。

もちろん、高校生の私が、これらの作品を深く理解していたとは思わない。

年齢を重ねてから読み返せば、当時は見えていなかったものが多くあるはずだ。

しかし、文学はすべてを理解してから読むものではない。

よく分からない部分があっても、言葉や場面だけが記憶に残ることがある。作品全体の意味はつかめなくても、そこに自分の日常とは違う世界が存在することは感じられる。

高校生の私にとって文学は、知識として理解する対象というより、まだ自分では言葉にできない感情に触れる場所だった。

新潮文庫と角川文庫の棚

当時の読書を思い出すと、個々の作家だけでなく、新潮文庫や角川文庫の存在を抜きにすることはできない。

新潮文庫の歴史は古く、最初の創刊は1914年で、ドイツのレクラム文庫にならい、海外の名著を一般読者へ普及させる意図を持って始められた。戦後には昭和文学を中心とする文庫として再出発している。

角川文庫は1949年に創刊され、第1回配本にはドストエフスキーの『罪と罰』が含まれていた。1950年には現在につながる小型の判型へ改められ、戦後の文庫本普及に大きな役割を果たした。

しかし、高校生だった私が、そのような出版史を考えて文庫本を選んでいたわけではない。

書店の棚に並んでいる本を見て、題名、作家名、表紙、裏表紙の紹介文などを手掛かりに選んだ。

文庫本は単行本よりも小さく、比較的購入しやすかった。

一冊を鞄に入れて持ち歩くことができる。読んだ本を本棚に並べれば、自分がどのような本を読んできたのかが背表紙によって見える。

現在では、検索すれば作品のあらすじも評価もすぐに分かる。読者の感想を読み、内容を比較してから購入できる。

当時は、店頭で偶然目に入った本を手に取ることが多かった。

よく知らない作品を買い、読み始めてから、自分に合うかどうかを知る。

外れることもあった。

最後まで読めない本もあった。

それでも、書店の棚には、自分がまだ知らない考え方や人生が無数に並んでいるように見えた。

名著と同時代の文学を一緒に読む

高校生の頃に読んだのは、近代日本文学の名著だけではなかった。

当時読まれていた片岡義男や三田誠広の作品も手に取った。

文学の読書歴を語るとき、後世に評価された名作だけを並べると、実際の読書生活とは違うものになる。

現実の読書は、文学史の順番には進まない。

太宰治を読んだ次に、片岡義男を読む。

芥川龍之介の短編を読んだ後で、当時書店に並んでいた現代小説を読む。

古典的な作品と流行している作品が、同じ読者の中で混ざり合う。

片岡義男の小説には、車やオートバイ、音楽、男女の関係、都市的な生活など、当時の若者にとって新しく見える世界があった。

日本を舞台にしながら、どこかアメリカ文化の影響を感じさせる軽さや映像的な感覚があった。

太宰や三島とは違う。

しかし、違うからこそ読んだ。

文学には重い人生論や苦悩だけでなく、時代の空気、生活様式、会話、服装、乗り物、音楽なども含まれる。

三田誠広は、1977年に『僕って何』で第77回芥川賞を受賞している。自己とは何かという問いを題名そのものに掲げた作品が、当時の若い世代の感覚と重なる時代だった。

私は、後世に残る作品だけを選別して読んでいたのではない。

その時代に生きながら、その時代に売られ、その時代に話題になっている本を読んでいた。

それは、昭和という時代を、文学を通じて同時進行で読むことでもあった。

フランス文学とロシア文学で立ち止まる

日本文学を読むようになると、次第に海外文学にも関心が向いた。

フランス文学やロシア文学にも挑戦した。

しかし、ここで私の読書が順調に広がったわけではない。

途中で挫折した作品も少なくなかった。

海外の名作は、題名も作家名もよく知られている。文学を読むのであれば、一度は通らなければならないようにも感じられた。

ところが、実際にページを開いてみると、簡単には入っていけない。

国の歴史、社会階級、宗教、政治、家族制度、恋愛観など、日本の高校生にはなじみの薄い背景がある。

登場人物の名前を覚えるだけでも苦労することがある。特にロシア文学では、一人の人物が複数の呼び名で呼ばれることがあり、物語の関係を追うだけでも集中力を要した。

長編作品では、物語がすぐに動くとは限らない。

人物の思想や社会状況について長い記述が続く。読んでいる間は理解したつもりでも、少し間を置くと誰が誰だったのか分からなくなる。

文学史上の名作であることと、当時の自分が読み通せることは別問題だった。

フランス文学にも同じ難しさがあった。

洗練された恋愛や心理を描いた作品であっても、その背後には階級社会や当時の道徳、宗教、結婚制度がある。

言葉だけを追っても、人物がなぜそのように行動するのかを十分に理解できない。

私は、名作だから読めるのではなく、読む側にも経験や背景知識が必要なのだと知った。

最後まで読めなかった本は、読書歴の失敗として忘れられがちである。

しかし、挫折したこともまた読書の一部である。

本には、読むのに適した時期がある。

高校生の自分には難しかった本が、成人してから読むと理解できることもある。反対に、若い時に強く響いた作品が、後年にはそれほど響かないこともある。

読書は、作品だけで決まるものではない。

読む人間の年齢、経験、知識、生活状況によって変わる。

高校生には難しかったスタンダール『恋愛論』

フランス文学の中でも、特に記憶に残っているのが、スタンダールの『恋愛論』である。

スタンダールは『赤と黒』『パルムの僧院』などで知られるフランスの作家である。『恋愛論』は1822年に刊行され、恋愛を心理、社会、文化、階級など複数の面から考察した作品である。恋愛によって相手を理想化していく精神の働きを「結晶作用」と表現したことでも知られている。

私は、この本を高校生の頃に読もうとした。

題名だけを見れば、恋愛について説明した本である。

高校生にも身近な題材のように思える。

しかし、実際には簡単な恋愛指南書ではなかった。

人はなぜ恋をするのか、恋する相手をどのように理想化するのか、恋愛と虚栄、社会、身分、習慣がどのように結びついているのか。

その分析は抽象的で、歴史的・社会的背景も含んでいた。

当時の私には難しかった。

文章を追っても、スタンダールが何を分類し、何を証明しようとしているのか、十分には理解できなかった。

恋愛という題材を扱っているのだから、感情的に分かりやすい本だろうと思っていた。しかし、そこで論じられていたのは、単純な恋の喜びや悲しみではない。

恋愛を観察し、分類し、心理の働きとして分析する文章だった。

高校生の私は、恋愛についての経験も、当時のヨーロッパ社会についての知識も乏しかった。

恋愛における理想化や虚栄といわれても、それを自分の経験と結びつけることができない。

名著とされる本を手に取ったものの、読み進めるほど、自分の理解が追いついていないことを感じた。

私は途中で挫折した。

しかし、『恋愛論』を読み通せなかったことは、不思議に記憶に残っている。

容易に読めた本よりも、歯が立たなかった本の方が、後になって思い出されることがある。

それは、自分の外側に、まだ理解できない広い世界があることを知らせるからだろう。

高校生の私には、『恋愛論』は早すぎた。

けれども、早すぎる本に出会ったこと自体には意味があった。

本は、いつでも読者に合わせて分かりやすく書かれているわけではない。

理解できない文章に出会い、自分の知識や経験の不足を知ることも読書なのである。

雑誌によって社会へ出ていく

小説や文庫本とともに、『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』などの雑誌も読んだ。

これらは性格の異なる媒体だった。

『朝日ジャーナル』は1959年に創刊され、1992年まで発行された週刊誌で、報道、解説、評論を掲げ、戦後日本の政治、社会、思想を論じる媒体の一つだった。

『文藝春秋』は菊池寛が1923年に創刊した月刊総合誌で、文学だけでなく政治、社会、人物論、座談会などを広く扱ってきた。創刊号には芥川龍之介や川端康成らも寄稿している。

『サンデー毎日』は1922年4月2日に創刊され、『週刊朝日』と並ぶ日本の初期の週刊誌の一つである。

私は、それぞれの雑誌を体系的に比較研究していたわけではない。

小説とは異なる文章を読みたかった。

政治、社会、文化、事件、教育、人間について、新聞記事よりも長く、書籍よりも早く論じる文章が雑誌にはあった。

雑誌には、その時代の熱があった。

後から歴史書を読めば、出来事の原因と結果が整理されている。しかし、その時代に発行された雑誌では、まだ結論が出ていない問題が扱われている。

何が正しいのか分からない。

社会がどこへ向かうのかも分からない。

書き手の主張には偏りもある。

しかし、未確定な時代の中で、人々が何を問題だと考えていたのかが見える。

文学が人間の内面を読むものだとすれば、雑誌は、その人間が生きている社会を読むものだった。

私は、小説から社会へ、社会からまた小説へと行き来するようになった。

学生時代には理系雑誌へ

学生時代になると、読むものは理系雑誌へ広がった。

文学から理系へ転向したというより、関心の対象が増えたといった方が正確だろう。

文学は、人間の感情や行動を言葉によって描く。

理系雑誌は、自然、技術、医学、数学、機械などの仕組みを説明する。

一見すると、この二つは遠く離れている。

しかし、私にとっては、どちらも知らない世界を文章によって理解しようとする行為だった。

文学作品を読むときには、登場人物がなぜそのように考え、行動したのかを追う。

科学や技術の記事を読むときには、現象がなぜ起こり、どのような仕組みで成り立っているのかを追う。

対象は違っても、「なぜ」を考えることは共通している。

学生時代の読書では、楽しみだけでなく、学習や専門知識の獲得という性格が強くなった。

分からない用語を調べる。

図や数式を読み直す。

一度では理解できない説明を、前のページへ戻って確認する。

フランス文学やロシア文学で感じた「分からなさ」と、理系雑誌で感じる「分からなさ」は性質が違う。

しかし、理解できない文章の前で立ち止まるという経験は同じだった。

文学での挫折も、無駄ではなかったのかもしれない。

成人してから、ジャンルの境界がなくなった

成人してからは、特定のジャンルに限らず、あらゆる分野の本を広く読むようになった。

文学、政治、経済、歴史、科学、医学、宗教、社会問題、資格、技術、実用書。

仕事や生活の中で必要になった本もあれば、純粋な関心から読んだ本もある。

高校生の頃には、文学を読むことに、一種の背伸びがあった。

名著を読まなければならない。

有名作家を理解しなければならない。

難しい本を最後まで読まなければならない。

成人後は、そのような義務感が少し薄れた。

必要な本を読む。

関心を持った本を読む。

難しければ、関連する入門書を先に読む。

途中で読むのをやめることもある。

一冊の本をすべて理解しなくても、必要な部分から何かを得ることができる。

読書に対する考え方が柔軟になった。

一方で、広いジャンルを読むことには問題もある。

一つの作家を長く追い続けることが難しくなる。

次々に別の分野へ関心が移り、知識が断片化する。

文学作品をゆっくり味わうより、必要な情報を探す読み方が増える。

多くの本を読んでも、それぞれの内容が深く残るとは限らない。

広く読むことと深く読むことは、必ずしも両立しない。

それでも、さまざまな分野を横断して読むことで、一つの問題を一つの視点だけで見ない習慣が生まれた。

医療の問題には、医学だけでなく、経済、倫理、家族、制度が関係する。

地域社会の問題には、人口、交通、産業、行政、教育、文化が関係する。

人間の生活は、学問の分類どおりには分かれていない。

文学、科学、社会、実用の本を分けずに読んできたことは、複数の視点を結びつける基礎になったと思う。

昭和の読書は、書店と紙の中にあった

昭和の読書を思い返すと、本に出会う場所は限られていた。

書店、図書館、学校、新聞広告、雑誌の書評、友人や教師の紹介。

自分が知らない本は、存在しないのと同じだった。

現在のように、作家名を検索すれば著作一覧が出てくるわけではない。読者の感想や評価をすぐに読めるわけでもない。

地方では、書店に置かれる本の種類にも限界があった。

取り寄せには時間がかかる。

外国文学の背景を知りたいと思っても、関連資料を簡単に集めることはできない。

その不便さを美化する必要はない。

情報が少ないために、理解できないまま終わった本もあったはずである。

スタンダールの『恋愛論』も、現在なら作品解説、時代背景、「結晶作用」の意味などを調べながら読むことができる。

高校生だった当時は、難しいと感じても、その難しさを解くための手掛かりを簡単には得られなかった。

しかし、情報が少なかったからこそ、一冊の本を長く手元に置くこともあった。

分からなくてもページをめくる。

途中でやめても、本棚に残しておく。

何年か後に、もう一度開く。

本は、すぐに答えを出す道具ではなく、理解できないまま自分のそばに存在するものでもあった。

平成、本を探す方法が変わった

平成になると、読書を取り巻く環境は大きく変化した。

大型書店が増え、書店の品ぞろえは広がった。

やがてインターネットが普及し、書名や作家名を検索して本を探せるようになった。オンライン書店を使えば、近くの書店にない本も購入できる。

昭和には「本が見つからない」ことが問題だった。

平成以降は、「本が多すぎて選べない」ことが問題になった。

書評や読者の感想を読んでから購入できるようになったことは便利だった。

一方で、他人の評価を先に知ることによって、自分だけの印象で作品と出会う機会は減ったかもしれない。

作品のあらすじを詳しく知りすぎれば、読む前から理解したような気持ちになることもある。

情報が増えれば、読書が必ず深くなるわけではない。

選択肢の増加は、一冊の本へ集中する時間を奪うこともある。

平成の読書は、入手の自由を広げると同時に、注意を分散させる時代でもあった。

令和、読む側から書く側へ

令和の現在、文章を読む環境はさらに変わった。

紙の本だけでなく、電子書籍、ウェブ記事、電子資料、個人ブログなど、さまざまな形で文章を読める。

スマートフォン一台で、多くの文章へ接続できる。

そして、読むだけでなく、個人が文章を公開することも容易になった。

私はいま、自分が読んできた本、使ってきた機械、聴いてきたラジオ、暮らしてきた時代について文章を書いている。

小学生の頃、課題図書を読んで感想文を書くことから始まった。

中学生では『天声人語』を読んだ。

高校生では太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成を読み、片岡義男や三田誠広を読んだ。

新潮文庫と角川文庫の棚を眺めた。

フランス文学やロシア文学に挑み、途中で挫折した。

スタンダールの『恋愛論』は難しく、最後まで十分には理解できなかった。

『朝日ジャーナル』『文藝春秋』『サンデー毎日』から社会を読んだ。

学生時代には理系雑誌を読み、成人してからは、ジャンルを限定せず幅広い本を読んだ。

そして今度は、自分が文章を書く側にいる。

もちろん、読むことと書くことは同じではない。

多くの本を読んだからといって、優れた文章を書けるとは限らない。

しかし、これまで読んだ文章は、自分の中に残っている。

文章のリズム。

場面の始め方。

一つの事実から考えを広げる方法。

人間を簡単に善悪で決めつけない視点。

理解できないものを、理解できないまま抱えておく姿勢。

それらは、一冊の本から直接教えられたものではない。

長い読書の中で、少しずつ形づくられたものだと思う。

読み通せなかった本も、読書遍歴に含まれる

読書歴を語るとき、人は読み終えた本を並べたくなる。

何を読破したか。

どの作家を理解したか。

どれほど難しい本を読んだか。

しかし、本当の読書遍歴は、もっと不完全なものである。

読み始めたまま、途中でやめた本がある。

内容をほとんど覚えていない本がある。

当時は感動したのに、なぜ感動したのか説明できない本がある。

難しくて理解できなかった本がある。

読み終えたつもりでも、実際にはほとんど分かっていなかった本もある。

フランス文学やロシア文学での挫折も、スタンダールの『恋愛論』を読み通せなかったことも、私の読書遍歴から除く必要はない。

むしろ、そこで初めて、本には自分の理解を超えるものがあると知った。

すべてを理解できると思うことの方が危うい。

文学は、簡単に答えを与えるものではない。

人間の感情や社会は複雑で、一度読んだだけでは理解できない。

年齢を重ねても、完全に理解できるとは限らない。

だからこそ、もう一度読む意味がある。

三つの時代を通じて残ったもの

昭和、平成、令和を通じて、読書の環境は大きく変わった。

昭和には書店の棚から本を選び、紙の文庫本を持ち歩いた。

平成にはインターネットで本を探し、遠くの書店やオンライン書店から購入できるようになった。

令和には電子書籍やウェブ上の文章を読み、自分自身もブログや電子書籍を通じて文章を発表できる。

本の形は変わった。

本を探す方法も変わった。

読む速度や、文章へ向き合う時間も変わった。

それでも、人が文章を読む理由の根本は、それほど変わっていないのかもしれない。

自分とは違う人生を知りたい。

自分の中にある感情を言葉にしたい。

世界がどのようにできているのかを知りたい。

過去の人が何を考えていたのかを知りたい。

自分が一人ではないことを確かめたい。

文学は、人生の問題を解決してくれるわけではない。

病気、仕事、家族、孤独、老いといった現実は、本を読んだだけで消えるものではない。

しかし文学は、自分だけが抱えていると思っていた感情が、別の時代、別の国、別の人間にも存在していたことを教えてくれる。

答えを与えるというより、問いに言葉を与えてくれる。

それが文学の役割なのだと思う。

課題として始まった読書が、人生の一部になるまで

小学生の頃、私は課題図書を読む程度だった。

その時点では、読書がその後の人生にこれほど長く関わるとは思っていなかった。

中学生で新聞のコラムを読み、高校生で文学に出会った。

名著を読み、流行作家を読み、文庫本を買った。

外国文学に挑み、挫折した。

雑誌を読み、社会へ関心を広げた。

理系雑誌を読み、自然や技術の仕組みを知ろうとした。

成人してからは、ジャンルを越えて本を読んだ。

振り返れば、読書の対象は変わり続けている。

しかし、知らないものを文章によって知ろうとする姿勢は変わっていない。

読み終えた本だけが、自分を作ったのではない。

理解できなかった本も、途中で閉じた本も、書店で手に取っただけの本も、自分の中に何らかの痕跡を残している。

高校生には難しかったスタンダールの『恋愛論』も、その一冊である。

内容を十分に理解できなかった。

それでも、理解できない本が世界には存在することを教えてくれた。

そして、いつかもう一度開けば、当時とは違うものが見えるかもしれないと思わせた。

課題として始まった読書は、やがて自分から本を選ぶ読書になり、社会を知る読書になり、専門を学ぶ読書になった。

そして令和の今、それは、自分が生きてきた時代を文章として残すための読書へつながっている。

昭和に開いた一冊の文庫本も、平成に探した専門書も、令和に読む電子書籍も、すべてが同じ形で記憶に残るわけではない。

けれども、読み終えて本を閉じた後、自分の人生や社会について少し考える時間が残るなら、その読書は無駄ではなかった。

本を読む人間として始まったわけではない私が、長い時間をかけて本を読む人間になった。

それが、昭和、平成、令和を通じた、私の読書遍歴である。

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