リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

昭和青春文化・作家再発見シリーズ

昭和青春文化・作家再発見シリーズ

入ったことのない店なのに、なくなると気になる

 いつもの道を歩いていて、昨日まで何となく視界の端にあった店の看板が外され、窓の内側から商品棚や椅子が消え、入口に「閉店しました」と書かれた紙だけが残されているのを見ると、それほど思い入れのある店でもないのに、街の一部が急に冷たくなったような感覚を覚えることがある。何度も利用した店なら、その寂しさは昔の記憶や店員との会話、そこで買った物や食べた料理と結びつけて説明できるが、不思議なのは、一度も中へ入ったことがなく、店主の顔さえ知らない店が閉じた場合にも、「なくなってしまったのか」と少し残念な気持ちになることである。

 さらに奇妙なのは、閉店を知った瞬間になって初めて「あの店、一度くらい入ってみればよかった」と思うことであり、本当に強い関心があったのなら営業している間に入っていたはずなのだから、この感情を単純な後悔と呼ぶには少し無理がある。では、私たちは店そのものを惜しんでいるのか、それとも、その店が存在していた風景や、そこへ行くこともできた可能性や、その店の前を通っていた自分自身の時間まで含めて惜しんでいるのだろうか。

 最初に区別しておきたいのは、「一度も利用したことのない店が閉店すると人は寂しく感じる」という単独の心理法則が科学的に確立しているわけではないという点である。しかし、その感情を構成している可能性のある現象については、心理学、環境心理学、意思決定研究、都市研究などに相当な研究蓄積があり、見慣れた対象への親近感、場所への愛着、環境変化の認識、選択肢を失ったときの心理、場所と自己の記憶との関係などは個別に研究されている。そこで、どこまでが研究によって確認されていることで、どこからがそれらを組み合わせた推論なのかを区別しながら、この小さな寂しさの正体を考えてみたい。

見慣れた店は、利用しなくても日常へ入り込む

 研究で確認されているのは、同じ対象に繰り返し接することによって、その対象への親近感や好意が生じやすくなるMere-Exposure Effect(単純接触効果・繰り返し接触した対象を好意的に評価しやすくなる現象)であり、この効果については多数の実験研究や統合的な分析が行われている。ただし、接触回数が増えれば好意が際限なく高まるという単純な関係ではなく、刺激の種類や接触回数によって効果の大きさが変わることも知られているため、「何度も見れば必ず好きになる」という意味ではない。

 それでも、ここから確実に言えるのは、「店を利用したことがあるか」と「その店を見慣れているか」は別の問題だということである。一度も入ったことのない喫茶店でも、通勤や買い物の途中に5年、10年と前を通り続ければ、その看板や入口、窓の位置、夜につく照明などは視覚的に見慣れたものとなり、本人が意識していなくても「いつもの道」を構成する要素になり得る。

 ここからは推論になるが、そのように長期間見慣れた店が突然なくなれば、「知らない店が1軒消えた」という情報以上に、「いつも存在していたものがなくなった」という違和感が生じ、その違和感の一部が寂しさとして経験される可能性はある。つまり、客としての関係がなかったとしても、風景としての関係までなかったとは限らず、閉店によって失われるのは店舗との利用関係ではなく、長い時間をかけて形成された「見慣れた状態」なのかもしれない。

人は店だけでなく、その店がある場所にも愛着を持つ

 研究で確認されているのは、人間が住宅や故郷だけでなく、地域、道路、広場、店舗などの「場所」にも心理的な結びつきを形成することがあり、環境心理学ではこれをPlace Attachment(場所愛着・特定の場所に対して形成される情緒的、認知的な結びつき)として研究してきたことである。また、ある場所が自分の記憶や自己認識と結びつく現象はPlace Identity(場所アイデンティティ・場所が自己認識の一部になること)という概念からも研究されており、人と場所との関係が単純な利便性や利用頻度だけでは説明できないことについては、多くの研究が蓄積されている。

 店舗についても、利用する店への愛着が形成され得ることや、その店への愛着と地域そのものへの愛着が関連することは研究されているが、ここで注意しなければならないのは、こうした研究の多くが実際の利用者を対象としていることである。したがって、「一度も入ったことのない店にも、利用していた店と同じような場所愛着が必ず生じる」と言うことはできない。

 ここからは慎重な推論になるが、一度も利用していない店そのものへの愛着というより、その店を含む街路や地域全体への愛着の一部として、店の存在が心理的な意味を持つことは十分考えられる。毎日眺めていた店があることで、その通りが「いつもの通り」に見えていたのであれば、閉店によって失われたのは好きだった店ではなく、その店まで含めて成立していた見慣れた風景であり、「あの店が好きだった」というより「あの店がある景色に慣れ親しんでいた」と表現する方が、科学的にはより慎重である。

変化には、気づくものと気づかないものがある

 研究で確認されているのは、人間が環境の変化を正確に認識するためには注意や、変化前と変化後の情報を比較する過程が重要であり、実際にはかなり大きな変化であっても、それに適切な注意が向けられなければ見落とすことがあるということである。この現象はChange Blindness(変化盲・視覚的な変化が起きても、それに注意が向けられていないと気づかないことがある現象)として研究されており、「環境の変化は常に自動的に強く意識される」と考えるのは正確ではない。

 その一方で、いったん「以前と違う」と気づけば、それまで背景として処理していたものを改めて意識することがある。毎日前を通っていた店が営業しているうちは特に気に留めていなかったとしても、看板がなくなり、店内が空になったことに気づいた瞬間、「そういえば、ここにはあの店があった」と以前の状態を思い出し、現在との違いを比較することになる。

 ここからは推論になるが、この「以前」と「現在」の比較が、閉店後の寂しさを生む一つの契機になっている可能性がある。つまり、店がなくなったことで突然その店自体の価値が高くなったのではなく、消失によって過去の状態が意識され、その結果として「昨日まであったものが、今日はもうない」という時間的な差が感情を伴って認識されるのかもしれない。

「いつか入れる」という未来は、営業している間だけ存在する

 研究で確認されているのは、人間の意思決定では、利用できなくなった選択肢がその後の評価や選択に影響したり、選ばなかった選択肢を後から魅力的に感じたりする場合があるということである。また、選択肢が制限されることによって意思決定への満足感が変化することも研究されており、人間は実際に選んだものだけではなく、「選ぶこともできたもの」に対しても心理的な反応を示す。

 ここからは推論になるが、一度も入らなかった洋食店でも、営業している限り、「今度時間があったら入ってみよう」「誰かと一緒なら行ってもいい」という未来は残されているため、実際にはその予定を立てていなくても、行こうと思えば行けるという選択肢そのものは存在している。しかし閉店した瞬間、昨日までなら選べた行動が永久に選べないものへ変わり、「一度くらい入ってみればよかった」という感情が初めて生まれることがある。

 これは必ずしも、本当はその店へ行きたかったという意味ではない。むしろ「行かなかった」という状態から「もう行けない」という状態へ変化したことによって、初めてその選択肢を意識したと考えることもできる。ただし、「選択可能性の消失が閉店時の寂しさを直接引き起こす」という因果関係そのものが実験的に確立しているわけではないため、この説明は意思決定研究から導いた合理的な仮説として扱う必要がある。

知らない店にも、知らない誰かの時間があった

 研究で確認されているのは、人間が他者の行動や意図を推測し、断片的な情報から他人の生活や背景を想像する社会認知能力を持っていることである。しかし、「長年続いた個人商店が閉店すると、店主の人生を想像するため寂しくなる」という特定の因果関係が直接検証されているわけではないため、この部分については科学的知見と文学的な解釈を明確に分ける必要がある。

 ここからは推論になるが、30年、40年と続いてきた店のシャッターが下りているのを見れば、店主の名前を知らなくても、そこには毎朝店を開け、商品を並べ、客を迎え、夕方になると片付けをして店を閉める生活が何十年も続いていたのだろうと想像することができる。開店したころには若かった店主も年齢を重ね、その間に常連客が変わり、周囲の建物も建て替わり、街を走る車や人々の服装まで変化してきたはずであり、その具体的な歴史を知らなくても、「ここで続いていた誰かの日常が終わった」と感じることはあり得る。

 この想像が閉店への寂しさをどの程度強めるのかは統計的に明らかになっていないが、個人商店の閉店が単なる店舗の入れ替わりではなく、そこで長く続いてきた人の生活の終わりとしても見えることがあるという解釈は、人間の社会認知の性質とは矛盾しない。

店が消えると、自分が過ごした年月まで見えてくる

 研究で確認されているのは、場所が過去の自分と現在の自分を結びつける手掛かりとなり、Self-Continuity(自己連続性・過去の自分と現在の自分を連続した存在として感じること)を支える場合があるということである。昔住んでいた家、通学路、古くからある街並みなどを見ると、その場所に結びついた記憶が呼び起こされ、「昔の自分」と「今の自分」が同じ場所を通してつながることがあり、Place-Referent Continuity(場所参照的連続性・場所を手掛かりとして自己の時間的な連続性を感じること)という考え方からも研究されている。

 ただし、「近所の店が閉店すると自分が年を取ったことを実感する」という現象が、閉店店舗を対象とした直接的な実験によって確立しているわけではない。ここからは推論になるが、「この店は自分が若いころからあった」という記憶を持つ人にとって、その店がなくなることは年月の経過を急に意識するきっかけになる可能性があり、「この店もなくなったのか」という感覚の奥に、「あれからそんなに時間がたったのか」という驚きが混ざることは十分考えられる。

 長年変わらなかった店は、本人が意識していなくても街の中に置かれた時間の目盛りのような役割を果たしており、その目盛りが一つ消えたとき、私たちは店の歴史だけでなく、その横を通り続けてきた自分自身の年月まで振り返ることがある。閉店した店がときに自分の過去を映す小さな鏡のように感じられるとすれば、その背景にはこうした場所と自己の記憶との結びつきがあるのかもしれない。

街には、現在だけではなく過去の風景も残っている

 研究で確認されているのは、場所と記憶が強く結びつき、特定の場所を見ることが過去の経験を呼び起こす手掛かりになり得るということである。ただし、「店がなくなれば以前より記憶が鮮明になる」という単純な法則が確立しているわけではなく、何を記憶し、何を忘れるかには個人差があり、時間の経過によって記憶が薄れる場合も当然ある。

 ここからは推論になるが、新しい店になった場所を見ることで、「ここは昔、本屋だった」「その前は喫茶店だった」と過去の風景を思い出す機会が生まれれば、現在と過去の違いそのものが記憶を呼び起こす手掛かりになることは考えられる。新しい店が何年も営業すれば、やがてその新しい風景も日常になるだろうが、以前の店を知る人の記憶から古い風景が完全に消えるとは限らず、同じ場所に複数の時代の街並みが重なって残ることになる。

 街を長く知っている人ほど、「いま目の前にある街」だけを見ているのではなく、その場所に以前あった店や建物を重ねながら歩いているのかもしれない。若い人には新しい店しか見えていない場所でも、長く暮らした人には2つ、3つ前の風景まで重なって見えることがあり、街とは建物の集合であると同時に、それを見る人の記憶の中に積み重なった時間の集合でもある。

制度面でも、商店街は「売買するだけの場所」ではない

 制度面で確認できるのは、日本の商店街政策において、商店街が商品を販売するだけの場所ではなく、地域の賑わい、住民の交流、生活支援、情報発信などを担う「地域の顔」やコミュニティの拠点として位置づけられていることである。また、行政は商店街について空き店舗、来街者、景況などを継続的に調査しており、店舗の減少や空洞化を個々の商店だけの経営問題ではなく、地域環境にも関わる課題として扱っている。

 ただし、制度上のこの評価は主として「商店街」という面的な単位に対するものであり、個々の商店すべてが、それぞれ単独で地域コミュニティの拠点として認定されているという意味ではない。また、1軒の店が閉店したからといって、それだけで地域社会が弱体化すると結論づけることもできず、人口構成、交通、商業集積、代替店舗の有無などによって影響は大きく異なる。

 ここからは記事としての推論になるが、人が街を感じるとき、自分が実際に利用するスーパーや病院や飲食店だけを見ているわけではなく、一度も入らない商店、夕方になると明かりがつく事務所、知らない人が集まる居酒屋、季節によって商品が変わる店先などを含めた全体の風景から「この町らしさ」を感じているのではないだろうか。その意味では、自分が利用しない店であっても、その存在が街の雰囲気の一部を構成していた可能性があり、閉店による寂しさの中には、客としての不便とは別の、景観や地域環境の変化への反応が含まれているのかもしれない。

数理的に考えると、寂しさは一つの原因では説明しにくい

 研究で確認されている各要素を数理的に考えるなら、閉店時の寂しさを一つの原因だけに結びつけるよりも、複数の要因が重なって生じる現象として考える方が自然である。仮に閉店した店に対する寂しさを目的変数とすれば、店の前を通る頻度、店を利用した回数、その地域に暮らしてきた年数、店舗の営業年数、個人店かチェーン店か、その場所への愛着、閉店によって失われる選択肢の大きさなどを説明変数として考えることができる。

 ただし、ここで重要なのは、それぞれの要因が寂しさにどの程度影響するのかという係数が分かっているわけではないことである。店の前を通る頻度が高いほど寂しさが強くなるのか、長く営業していた店ほど影響が大きいのか、利用経験がゼロでも通過頻度が高ければ利用経験のある店と同程度の感情が生じることがあるのかといった点は、実際にデータを集めなければ判断できない。

 したがって、現在の研究状況を数理的に表現するなら、「閉店への寂しさを説明できそうな変数の候補はかなり見えているが、それぞれの変数の重みはまだ推定されていない」という段階に近い。これは理論が間違っているという意味ではなく、理論的なモデルと、そのモデルを検証する実証研究とを分けて考える必要があるということである。

統計的には、まだ分からないことが多い

 統計的に確認されているのは、単純接触効果、場所愛着、場所アイデンティティ、利用不能になった選択肢への反応などについて、それぞれ多数の研究や実験が存在するということである。一方で、「一度も利用したことのない店が閉店したとき、何%の人が寂しさを感じるのか」「その寂しさのうち、見慣れた風景の消失が何%を説明し、選択肢の消失が何%を説明するのか」といった直接的な統計値は、現時点では十分に確立していない。

 もしこの現象を本格的に検証するなら、閉店した店舗について、利用回数、前を通る頻度、店舗の営業年数、その土地への居住年数、個人店かチェーン店か、閉店後に空き店舗になったのか別の店が入ったのかなどを測定し、閉店時の寂しさを5段階や7段階で評価してもらう方法が考えられる。そうしたデータを用いれば、順序ロジスティック回帰などで各要因の影響を推定したり、Structural Equation Modeling(構造方程式モデリング・直接観測できない心理概念を含め、複数の要因の関係を同時に分析する統計手法)によって、見慣れ、場所愛着、自己連続性などが寂しさに至る経路を検証したりすることも可能になる。

 したがって、現在科学的に言えるのは、人が反復接触した対象に親近感を形成し得ること、場所にも心理的な結びつきを持つこと、環境変化の認識には注意と比較が関係すること、場所が自己の記憶や連続性と結びつくこと、利用できなくなった選択肢への評価が変化する場合があることまでである。それらが組み合わさって「一度も入ったことのない店の閉店まで寂しく感じる」という現象が生じるという説明は、科学的知見と整合する有力な推論ではあるが、その現象全体が一つの法則として直接証明されているわけではない。

「一度くらい入ればよかった」という言葉の正体

 ここまで研究で確認されていることと、そこから合理的に導ける推論とを分けて考えてみると、閉店した店を前にして「あの店、一度くらい入ってみればよかった」と感じる心理を、一つの理由だけで説明することが難しいことが分かる。そこには、何年も見てきた対象がなくなったこと、店を含めた場所への愛着、行こうと思えば行けた可能性が失われたこと、その場所が自分の過去を呼び起こすこと、そして長く続いていた他人の日常を想像することなどが、程度の差はあっても重なっている可能性がある。

 ここから先は、この現象全体についての推論になる。閉店した店を惜しんでいるように見えても、実際には私たちは店だけを惜しんでいるのではなく、その店が存在していた状態そのものを惜しんでいるのかもしれない。昨日までは店があり、その前をいつものように通り、行こうと思えば入ることもできたが、今日はシャッターが下り、その未来はもう選べず、昨日まで当たり前だった風景にも戻ることはできないため、そこでは店舗の消失と同時に、小さな時間の断絶が起きている。

 だから、一度も入ったことのない店が閉店したと知ったときにも、私たちはほんの少し足を緩めることがある。その寂しさは、「好きだった店を失った」という単純な感情ではなく、何度も見てきた風景が変わったこと、選べたはずの未来が閉じたこと、その場所に積み重なっていた時間が途切れたこと、そして昨日までその風景の中を歩いていた自分自身も、同じ時間だけ前へ進んでいたことを一度に感じるために生まれるのかもしれない。

 一度も入らなかった店なのに、なくなると寂しいという感覚は、一見すると矛盾しているように見える。しかし、人間が利用したものだけで自分の世界をつくっているのではなく、見慣れたもの、選ばなかったもの、知らない誰かが暮らしている場所、そして自分の記憶と結びついた風景まで含めて日常をつくっていると考えれば、その寂しさはそれほど不思議なものではなくなる。閉店した店の前で失われたように感じるのは、一軒の店だけではなく、その店が何気なく存在していた「昨日までの世界」なのである。

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写真が少なかった時代には、見る時間があった

 昔の家には、たいてい何冊かの重たいアルバムがあり、布張りの表紙を開くと、少し黄ばんだ台紙の上に写真が並び、その上を透明なフィルムが覆っていて、長い年月のうちに写真の角が浮いていたり、日付を書いた文字が薄くなっていたりしたが、押し入れや本棚から久しぶりに取り出してページをめくり始めると、家族の誰かが隣に座り、「これはどこへ行ったときだっただろう」「この服はよく着ていたね」と話し始め、やがて1枚の写真から、その日の天気や食べたもの、帰り道で起きた出来事までが次々によみがえってくることがあった。

 当時の写真を見るという行為は、画像を確認するだけの作業ではなく、家族が同じ過去をもう一度たどる時間でもあり、写真に写っているものだけではなく、そこには写らなかった声や匂い、その場にいた人の性格、その頃の暮らしぶりまでが会話の中から引き出されることで、1枚の写真が単なる記録を超えて、家族の記憶を呼び戻す入口として働いていた。

 現在では、旅行や誕生日のような特別な日だけでなく、夕食、散歩、買い物、子どもの寝顔、ペットの何気ない仕草まで、スマートフォンを取り出せばほとんど費用を意識せずに撮影できるようになり、個人が保存する写真や動画の量も以前とは比べものにならないほど増えているが、それだけ多くの写真を持っているにもかかわらず、家族全員でまとまった時間を使って写真を眺めるという習慣については、同じように増えたとは考えにくい。

 もっとも、「昔よりアルバムを開く回数が何%減った」と示す全国的な長期統計が十分に存在するわけではないため、これは厳密な統計的事実として断定できる話ではなく、写真を取り巻く生活様式の変化から見えてくる1つの傾向として考えるほうが適切であり、それでも、写真が少なかった時代と大量に保存できる現在とでは、写真との付き合い方そのものが大きく変わったことは確かだろう。

写真には、撮る前の「選択」があった

 フィルムカメラの時代には、写真を1枚撮ることにも小さな決断が必要で、フィルムには撮影できる枚数の上限があり、撮り終えれば現像し、さらにプリントにも費用がかかったため、シャッターを押す前には無意識のうちに「この瞬間を残すか」という選択が働き、その選択が写真1枚ごとの意味を自然に大きくしていた。

 現像してみれば、ピントが少し甘かったり、誰かが目を閉じていたり、構図がずれていたりすることもあったが、現在のように撮影直後に確認して簡単に削除することはできなかったため、そのような失敗写真までアルバムに残り、何年もたってから見返すと、整った写真よりもむしろ失敗写真のほうが、その場の慌ただしさや笑い声を鮮明に思い出させることさえあった。

 さらに、現像された写真を受け取ったあとには、どの写真を残すかを決め、順番を考え、台紙に貼り、ときには余白へ日付や場所を書き込む作業があり、この過程で家族は知らず知らずのうちに、何が重要だったのかを選び直し、ばらばらの出来事を1つの時間の流れとして並べ替えていたのである。

 つまり、昔のアルバムには、写真を保存する機能だけでなく、家族の過去を編集する機能があり、写真そのものが少なかったから価値が高かったというより、限られた写真の中から何を残すかを決める作業が、家族の記憶に輪郭を与えていたと考えるほうが近い。

大量に撮れる時代には、選ぶ仕事が後回しになる

 スマートフォンによって撮影の費用と手間がほとんど意識されなくなると、この関係は大きく変わり、失敗すれば撮り直し、気になる場面では同じ構図を10枚でも20枚でも残せるため、かつて撮影前に行われていた「何を残すか」という判断が薄れ、とりあえず大量に撮影して、必要ならあとから選べばよいという行動が自然になった。

 ところが実際には、その「あとで選ぶ」という作業が行われないことも多く、誕生日の写真が数十枚、旅行の写真が数百枚、1年間では数千枚という規模になると、保存すること自体は簡単でも、その中から本当に残したい写真を選び出す作業には時間がかかり、結果として、何も選ばないまま全てが端末やクラウドの中に積み重なっていく。

 写真の整理に負担を感じる人や、大量の写真の中から目的の1枚を見つけにくいと感じる人が少なくないことは各種の利用調査でも確認されており、これは単純に「写真が多いから悪い」という話ではなく、人間が写真を見るために使える時間や注意力には限界がある一方、保存できる写真の量だけが急速に増えているため、その両者の差が大きくなっていると考えれば理解しやすい。

 仮に、家族が1年間にじっくり見返すことのできる写真の枚数がそれほど変わらないとすれば、500枚の中から見る場合と5000枚の中から見る場合では、1枚の写真が再び選ばれる機会は当然違ってくるため、写真が増えるほど思い出まで比例して豊かになるとは限らず、むしろ「何を見返すかを決める」という新しい負担が生まれることになる。

写真が多いほど記憶が薄くなる、とは単純には言えない

 ここで注意したいのは、大量に写真を撮ること自体が人間の記憶を弱くすると単純に考えることはできないという点であり、心理学の実験では、撮影した対象について細部の記憶が弱くなる場合が確認されている一方、自分で撮影する対象を選ぶことで注意が強く向けられ、特定の視覚情報をよく覚えている場合も報告されているため、「写真を撮ると記憶力が落ちる」という一方向の関係では説明できない。

 写真撮影によって、その瞬間を自分の目で十分に観察する前に「記録したから大丈夫」と感じる場合もあれば、反対に、どこを撮るか考えることで対象へ深く注意を向ける場合もあり、さらに、撮った写真をあとから見返すことによって元の出来事を思い出しやすくなることもあるため、大切なのは撮影枚数そのものより、どのように撮影し、その後どのように写真と付き合うかという点にある。

 このことを考えると、昔のアルバムが記憶に残りやすかった理由も、紙だったからという単純な説明では足りず、限られた写真を選び、それを繰り返し見返し、さらに家族との会話の中でその写真について語るという複数の行為が重なっていたことのほうが重要だったのだろう。

デジタル写真は、本当に「見えない写真」なのか

 紙のアルバムには物としての存在感があり、本棚の端に置かれていれば自然に目に入り、大掃除や引っ越しの途中で偶然手に取ることもあれば、子どもが見つけて「この赤ちゃんは誰」と尋ねることもあるため、自分から探しにいかなくても過去の写真と再会する機会が生まれやすかった。

 デジタル写真の場合、何千枚、何万枚保存されていても、端末の中に収まっている限り、その存在は紙のアルバムほど目に見えず、自分から写真を開かなければ長期間見ないままになることもあるが、現在ではこの点も大きく変化しており、スマートフォンや写真管理サービスには、数年前の同じ日の写真や、旅行、人物、場所などを自動的にまとめ、「思い出」として表示する機能が備わっているため、「デジタル写真は自分から探さなければ二度と現れない」とまで言うことはできない。

 むしろ現在では、機械の側が過去の写真を選び出し、私たちに再提示する時代になっており、これは昔のアルバムにはなかった便利さである一方、そのとき表示される写真が、家族にとって本当に重要な写真なのかという別の問題も生まれ、人物認識、撮影日時、位置情報、画像の鮮明さといった機械が判断しやすい条件と、家族自身が「この1枚には意味がある」と感じる理由が一致するとは限らない。

 その意味では、デジタル化によって写真との偶然の再会そのものが失われたのではなく、「何を大切な写真として選ぶのか」という判断の一部を、私たちが機械に委ねるようになったと考えたほうが現在の状況に近いのかもしれない。

家族写真の価値は、画質より会話の中で生まれる

 昔のアルバムを何人かで囲むと、同じ写真を見ながら、それぞれが違う記憶を話し始めることがあり、一人が「これは海へ行ったときだ」と言えば、別の人が「帰りに雨が降った」と付け加え、さらに別の人が「途中で寄った店があった」と思い出すことで、1枚の写真に複数の記憶が重なり、写真には写っていない出来事まで家族の中で共有されていった。

 祖父母の若い頃の写真を孫が見れば、それまで「祖父」「祖母」という現在の役割でしか知らなかった人にも、学生だった時代があり、働き始めた頃があり、友人と遊びに行った時間があったことを知り、父親や母親の子ども時代の写真を見れば、自分が生まれるずっと以前から家族には長い物語が続いていたことに気づくため、写真を見返すという行為には、過去を思い出すだけでなく、世代の異なる人々の記憶をつなぐ役割もあった。

 写真を用いた回想が、人の自伝的な記憶を呼び出したり、会話を促したりする手掛かりになることは心理学や高齢者を対象とした研究でも知られているが、ここでも重要なのは紙かデジタルかではなく、写真が他者との会話の中で使われることであり、タブレットやテレビ画面に映した写真を家族で眺めても、同じような働きは十分に起こり得る。

 したがって、昔の紙のアルバムを理想化して、デジタル写真を劣ったものとして扱う必要はなく、本質的な違いは保存媒体ではなく、写真を見る行為が1人だけで完結するのか、それとも誰かと一緒に過去を語り直す時間になるのかというところにある。

保存できることと、将来見られることは同じではない

 デジタル写真には、紙焼き写真にはない大きな利点があり、複製が簡単で、複数の場所へ保存でき、遠く離れた家族とも瞬時に共有できる一方、保存場所の変更、端末の故障、アカウントの管理、サービスの終了、ファイル形式や機器の変化といった問題があるため、「クラウドにあるから永久に安全」と考えることもできない。

 デジタル資料の長期保存では、重要なものを選び、複数の場所へコピーし、将来も読み出せる状態を確認することが基本的な考え方とされており、これは家族写真にもそのまま当てはまるため、何万枚もの写真をただ保存し続けることと、50年後にも本当に見たい写真を見られるように残すことは、実は別の問題なのである。

 紙の写真にも退色や湿気、火災、紛失といった危険があるため、紙なら安全、デジタルなら危険という単純な比較は成り立たず、むしろ現在は、紙とデジタルの双方に異なる強みと弱みがあり、重要な写真については複数の形で残すことが現実的な方法になっている。

失われたのはアルバムではなく、「編集する時間」なのかもしれない

 こうして考えてみると、現在の家族写真をめぐる変化の中心にあるのは、紙のアルバムが減ったことでも、スマートフォンが普及したことでもなく、写真を選び、順番を決め、誰かと一緒に見ながら過去を1つの物語としてまとめる時間が、以前より生活の中に組み込まれにくくなったことではないだろうか。

 スマートフォンやクラウドのおかげで、私たちはかつてよりはるかに多くの瞬間を残せるようになったが、その便利さによって写真を整理しなくても困らなくなり、結果として、家族にとって何が重要な1枚なのかを考える機会まで減ってしまったとすれば、問題は技術そのものにあるのではなく、記録を作ることと、その記録に意味を与えることを別々の作業として考えなくなったところにある。

 もちろん、数千枚の写真をすべて印刷して昔と同じ分厚いアルバムを作る必要はなく、1年間に撮った写真の中から20枚でも30枚でも選び、「今年の家族」として見返すだけでも、写真は単なる大量のデータから、1年間を代表する記憶へと変わり始めるだろう。

 選ぶという行為は、残さない写真を決めることでもあるため少し惜しい気持ちが生まれるが、その一方で、「この1枚は残したい」と家族が考えた瞬間に、その写真には他の数千枚とは違う位置が与えられ、それまで端末の中で同じ重さで並んでいた画像の一部が、家族の歴史を語る写真へと変わっていく。

写真を保存することと、思い出を残すことは同じではない

 現在ほど家族の日常が細かく記録されている時代は、おそらくこれまでなかったはずであり、朝食から旅行まで、子どもの成長からペットの仕草まで、私たちは過去の世代とは比較にならないほど多くの写真を残しているが、それでも50年後に現在の家族生活が昔より鮮明に思い出されるとは限らず、その違いを決めるのは保存枚数だけではなく、その写真が何度見返され、誰かに語られ、どのような意味を与えられてきたかという時間なのだろう。

 写真を撮ることが簡単になったのは、確かに大きな進歩であり、昔なら残らなかった何気ない日常まで記録できるようになった価値は小さくないが、その一方で、撮影と保存がほとんど自動的になったからこそ、何を残し、何を見返し、何を家族の記憶として次の世代へ渡すのかという作業は、以前より意識的に行わなければならなくなった。

 家族写真は増えたのに、アルバムを開く機会が減ったように感じられるのだとすれば、その理由は私たちが写真に興味を失ったからではなく、写真を大量に保存できるようになった結果、かつてアルバムを作る過程に自然に含まれていた「選ぶ時間」「並べる時間」「一緒に見る時間」が、日常生活の中から切り離されていったことにあるのかもしれない。

 何千枚もの写真を保存することと、1枚の写真について家族で10分間話すことは、どちらも過去を残す行為ではあるが、記憶という面から見れば同じものではなく、アルバムとは本来、写真をしまっておく容器ではなく、家族が自分たちの過去を選び直し、語り直し、ときには忘れていた出来事にもう一度出会うための場所だったと考えれば、デジタル写真の時代になった現在でも、その役割まで失う必要はないのである。

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 五木寛之の『青春の門』を、私は第3部「放浪篇」まで読んだ。第1部「筑豊篇」で伊吹信介の少年時代に引き込まれ、第2部「自立篇」で筑豊から東京へ出た信介を追い、そのまま北海道へ向かう「放浪篇」まで進んだのだが、そこでいつの間にか本を閉じてしまった。作品が急につまらなくなったという記憶があるわけではなく、「続きを読まない」と決めたわけでもないのに、何か別の本を読み、別のことに関心を持ち、気がつけば『青春の門』そのものから遠ざかっていたのである。

 ところが、あらためて調べてみると、私が本を閉じた「放浪篇」は、この長大な物語から見ればまだ前半だった。その後には第4部「堕落篇」、第5部「望郷篇」、第6部「再起篇」、第7部「挑戦篇」、第8部「風雲篇」が続き、2019年には第9部「漂流篇」の単行本まで刊行されている。私の記憶の中では北海道をさまよっていた青年・伊吹信介が、その後も何十年という現実の時間を超えて歩き続けていたことになるのであり、そう考えると、累計2200万部という巨大な数字を持つこの大河小説を、実際の読者たちはいったい何篇まで読んでいるのかが急に気になってくる。

 果たして第1部「筑豊篇」だけを読んだ人が圧倒的に多いのか、それとも一度物語に入り込んだ人は、第5部、第6部と意外なほど遠くまで信介についていったのか。そして私のように第3部あたりで、特別な理由もなく離れてしまった人は、この巨大な読者の流れの中で、どのあたりに位置しているのだろうか。

2200万部売れたからといって、2200万人が読んだわけではない

 『青春の門』は累計2200万部に達した大ベストセラーである。しかし、2200万部という数字から「何人が読んだのか」や「何人が最後まで読んだのか」を知ることはできない。第1部から第6部まで1人が購入すれば、それだけで6冊として数えられるうえ、単行本、文庫本、改訂版などを買い直した読者もいるため、シリーズ累計部数と実際の読者数は、似ているようでまったく違う数字なのである。

 もっと知りたいのは、「第1部を読んだ人のうち何%が第2部へ進み、そのうち何%が第3部まで読んだのか」という数字だが、出版社が個々の読者を追跡した調査を公表しているわけではない。そのため、『青春の門』の本当の読了率や途中離脱率を正確に計算することは、現在公開されている資料だけではできない。

 それでも、まったく手掛かりがないわけではなく、読書記録サービス「読書メーター」には各巻を登録した人数が残っているため、同じ講談社文庫の系列を比較すれば、読者がどのあたりまで作品に関心を持っているのか、その痕跡を見ることはできる。ただし、この数字は「その巻を最後まで読み終えた人数」ではなく、第1部を登録した同じ人が第2部、第3部へ進んだことを追跡した数字でもないため、これから示す数字は読了率ではなく、あくまで「同じ作品の各篇にどの程度の登録が残っているか」を比較した参考値として扱う必要がある。

 数字は便利だが、意味を取り違えると、いかにも科学的に見える誤解を生んでしまう。だからこそ、どこまでが観察された事実で、どこからが推測なのかを分けながら見ていくことが重要になる。

第1部855、第2部503、第3部445という数字が示すもの

 同じ系統の講談社文庫について読書メーターの登録数を調べると、第1部「筑豊篇」は855、第2部「自立篇」は503、第3部「放浪篇」は445、第4部「堕落篇」は405、第5部「望郷篇」は382、第6部「再起篇」は364、第7部「挑戦篇」は322となっている。

 第1部を100とする単純な指数に直せば、第2部は約59、第3部は約52、第4部は約47、第5部は約45、第6部は約43、第7部は約38となる。これをそのまま「第1部を読んだ100人のうち38人が第7部まで読んだ」と解釈することはできないが、少なくとも各篇の登録数がどのような形で減少しているかは分かる。

 そして、この並びには1つ際立った特徴があり、最も大きく数字が落ちるのは、第1部「筑豊篇」から第2部「自立篇」へ移るところである。第1部855から第2部503への減少率は約41%に達する一方、第2部503から第3部445への減少は約12%、第3部445から第4部405へは約9%、第4部405から第5部382へは約6%、第5部382から第6部364へは約5%にすぎない。

 形だけを眺めれば、なだらかな坂道が続いているというより、最初に大きな段差を1度下り、その後は比較的緩い坂が続いているように見える。つまり『青春の門』には、第1部から第2部へ進むところに、作品名そのままの「もう1つの門」が存在しているようにも見えるのである。

なぜ「筑豊篇」だけで本を閉じる人が多く見えるのか

 第1部「筑豊篇」に特別な力があることを考えれば、この大きな差はそれほど不思議ではない。筑豊の炭鉱町に生まれた伊吹信介が、父・重蔵の伝説を背負い、母や周囲の大人たちに育てられ、牧織江への思いを抱きながら成長し、やがて故郷を離れて東京へ向かうという物語には、少年の誕生から旅立ちまでという明瞭な円環があり、第1部だけでも1つの長編小説としてかなり強く完結している。

 しかも「筑豊篇」は1975年と1981年に映画化されているため、作品全体を読んでいなくても、「青春の門といえば筑豊」というイメージを持つ人は少なくないだろう。シリーズの入口でありながら、それだけで大きな満足を得られる作品であることが、第2部以降との登録数の差を生んでいる可能性は十分に考えられる。

 ただし、ここで「第1部読者の41%が脱落した」と結論づけるのは早い。読書メーターが普及した時代は、『青春の門』が最も盛んに読まれた1970年代よりはるかに後であり、当時第1部から第6部まで読んだ人でも、現在その記録を読書メーターに登録していなければ数字には現れない。一方で、後年になって有名作品だからという理由で「筑豊篇」だけを読んだ新しい読者は登録されるため、その結果、第1部だけが相対的に大きくなる可能性もある。

 統計の世界では、こうした現象を選択バイアスと考えることができる。観察できる集団そのものが、日本中の『青春の門』読者を無作為に抽出した集団ではない以上、そこから全読者の行動をそのまま推定することはできないのである。

 したがって正確に言えるのは、「第1部から第2部へ進むところで登録数が大きく減っている」という事実までであり、「なぜ減ったのか」については、作品の完結感、映画化、後世の新規読者など、いくつもの理由を重ね合わせて考える必要がある。

私が離れた「放浪篇」は、実はまだ読者が大勢歩いている場所だった

 私は第3部「放浪篇」で『青春の門』から離れたので、長い間、何となく「かなり先まで読んだ」という感覚を持っていた。しかし数字を見てみると少し印象が変わり、第3部「放浪篇」の登録数445を100とすると、第4部「堕落篇」の405は約91、第5部「望郷篇」の382は約86、第6部「再起篇」の364でさえ約82に相当する。

 もちろん、これも同じ445人を追跡した数字ではないため、「放浪篇を読んだ人の82%が再起篇まで読んだ」とは言えない。しかし各篇の登録規模を見る限り、第3部から第6部にかけて急激な崩れは起きておらず、私は「放浪篇」という場所で1人、道を外れたような気分でいたけれど、実際にはそこはまだ長い読者の列が続いている場所だったらしい。

 第1部から第2部へ進むところでは登録数が大きく落ちたのに、その門を越えた人々の痕跡は、第3部、第4部、第5部、第6部と意外なほどしぶとく残っている。言い換えれば、『青春の門』は誰も彼も最後まで引っ張っていく小説というより、最初の段階で読者を大きく選別し、そこを越えた人には長く付き合われる小説だった可能性がある。

 多くの長編シリーズでは、巻を重ねるごとに少しずつ読者が減っていく姿を想像するが、『青春の門』の登録数を見る限り、最初に大きな落差があり、その後は比較的緩やかに減少している。厳密な統計調査ではないものの、「どこで読者が離れるのか」を考える材料としては、十分に興味深い形である。

本当なら「生存分析」をしたくなるデータである

 この問題を数理的に考えると、本来は生存分析に近い方法で調べたくなる。生存分析とは、ある状態がどれくらいの期間続き、どの時点で終わるのかを調べる統計的方法で、医学なら治療後の生存期間、工学なら機械が故障するまでの時間などを分析するが、これを読書に置き換えれば、「第1部から読み始めた人が何篇まで読み続けたのか」という問題になる。

 理想的には、第1部を読んだ人を100人集め、その同じ100人について、第2部へ進んだか、第3部へ進んだか、どの篇で読むのをやめたかを追跡すればよい。そうすれば、本当の意味で「読者がどこで離れたのか」を計算できるが、今回使える登録数は個人を追跡したデータではないため、生存分析そのものを行うことはできず、「第1部から第2部への登録数の減少が大きい」「第3部から第6部までは比較的安定している」という探索的な観察にとどめるべきである。

 数字を使う記事では、計算すること以上に、どこまで計算してよいのかを見極めることのほうが難しく、その境界を守ることが、記事全体の信頼性を支えることになる。

第7部から先では、作品の面白さだけでは説明できない壁が現れる

 さらに『青春の門』を複雑にしているのが、刊行された時間である。第7部「挑戦篇」は1993年6月に単行本化され、第8部「風雲篇」は1993年7月から1994年4月にかけて『週刊現代』に連載されているため、第7部のあと物語そのものが23年間完全に止まっていた、と書くのは正確ではない。

 しかし、第8部がまとまった書籍として刊行されたのは2016年12月であり、雑誌連載を追わず、単行本や文庫本だけで『青春の門』を読んできた人にとっては、第7部の書籍刊行から第8部の書籍化まで約23年という時間が流れたことになる。この23年は単なる「長い刊行間隔」と書いて済ませるにはあまりにも長く、43歳の人が66歳になるほどの時間である。

 その間には、小学生だった子供が社会人になっていても不思議ではなく、仕事の立場も、家族構成も、住んでいる場所も変わるだろうし、健康状態が変わる人もいれば、小説を読む習慣そのものを失う人もいる。読者は本棚の前で23年間静止して待っているわけではないのだから、ここまで時間が空けば、続きを買わなかった理由を「作品に飽きたから」とだけ説明するのは無理がある。

 作品から読者が離れたというより、現実の時間そのものが、作品と読者の間をゆっくり引き離していった人も少なくなかったのではないだろうか。

第8部の登録数が減るのは、本当に「読者離れ」なのか

 第7部「挑戦篇」の読書メーター登録数は322、第8部「風雲篇」の講談社文庫は205となっており、単純に割れば第8部は第7部の約64%の規模である。しかし、この差をそのまま「第7部を読んだ人の36%が第8部へ進まなかった」と解釈することはできない。

 第7部と第8部では刊行された年代が大きく違い、単行本と文庫本の刊行事情も異なるうえ、第8部は1993~1994年に雑誌で読んだ人もいる。さらに後年になれば、同じ作品でも単行本、文庫本、電子書籍などに読者が分散するため、特定の1冊だけの登録数は小さくなりやすい。

 第9部「漂流篇」になると問題はさらに複雑で、2017~2018年に雑誌連載され、2019年に『新 青春の門 第九部 漂流篇』として単行本が刊行され、2021年には文庫化されているため、同じ第9部の読者であっても、どの版で読んだかによって読書記録が別々に残る。したがって、第1部から第6部までと同じように登録数を一直線に並べ、減少率だけで読者離れを説明するのは危険である。

 だから第7部以降については、数字だけで読者離れを語るよりも、「長い刊行時間そのものが読者行動を変えてしまった」と考えるほうが、現実に近いのではないかと思う。

伊吹信介は青年のままなのに、読者だけが年を取っていった

 『青春の門』について考えていると、統計以上に奇妙な事実に気づく。第1部「筑豊篇」の単行本が刊行されたのは1970年11月であり、仮に当時20歳だった読者が、その年に伊吹信介と出会ったとすれば、その人は第8部が書籍化された2016年には66歳になり、第9部が単行本になった2019年には69歳、2026年の現在なら76歳である。

 小説の中では、信介は青年として悩み、恋をし、世界を見ようともがいている。しかし、その青年を追い続けた読者の側では、就職があり、結婚があり、子育てがあり、定年があり、親との別れがあり、場合によっては自分自身の老いと向き合う時間まで流れている。

 1970年に20歳で「青春の門」をくぐった読者が、第9部を手に取るころには70歳を目前にしているというのは、普通のシリーズ小説とはかなり違う読書体験だろう。青年の物語を青年として読み始め、その続きを老年になって読むという現象は、作者が作り出した時間とは別に、読者自身の人生というもう1本の時間が作品の横を流れ続けているからこそ生まれる。

 そう考えると、『青春の門』を途中で読むのをやめた人を、単純に「脱落した読者」と呼ぶこと自体が、少し違って見えてくる。

「途中でやめた」のではなく、人生のどこかで別れたのかもしれない

 長い小説を最後まで読めなかったと言うと、どうしても「挫折した」という感じがつきまとうが、『青春の門』ほど長い時間をかけて書かれた作品の場合、その言葉は必ずしもふさわしくない。

 第1部「筑豊篇」だけを読んだ人には、筑豊から東京へ旅立つ信介で終わる『青春の門』があり、第3部「放浪篇」で離れた私には、北海道の冷たい風の中で自分の生き方を探す信介が残っている。第6部「再起篇」まで読んだ人には、挫折から立ち上がろうとする信介がいて、第8部まで行った人には、ついに日本を離れシベリアへ向かう信介がいる。

 どこまで読んだかによって、それぞれの読者の中に存在する伊吹信介は少しずつ違う。それは不完全な読書というより、長大な作品だからこそ生まれる現象なのかもしれない。

 人間は1冊の本を読む間にも年を取るが、『青春の門』の場合は、その続きを待つ間に人生そのものが変わってしまうほどの時間が流れた。読む側が作品を捨てたのではなく、仕事、家族、別の本、別の興味、そして時間そのものに連れられて、いつの間にか信介とは違う道を歩き始めていた人も多かったのではないだろうか。

それでも「筑豊篇」を越えた読者は意外に遠くまで歩いている

 結局、『青春の門』の読者が平均して何篇まで読んだのかという問いに、正確な数字で答えることはできない。累計2200万部という販売部数からも分からず、読書メーターの登録数から厳密な読了率を計算することもできないが、そこから何も分からないわけではない。

 第1部「筑豊篇」の登録数855に対して、第2部「自立篇」は503まで大きく減っている一方、第3部445、第4部405、第5部382、第6部364と、その後の減少はかなり緩やかである。この数字が示しているのは、「第1部を読んだ人の何%が脱落した」という確定的な答えではなく、最初の門を越えた人々が、意外なほど長く伊吹信介について歩いた痕跡である。

 そして私が離れた第3部「放浪篇」は、その長い行列がまだかなり続いている地点だった。あのとき私は、自分ではかなり深いところまで『青春の門』を読んだつもりでいたが、実際には信介の旅はまだずっと先まで続いており、多くの読者の痕跡もその先に残っていたのである。

 何十年も前に本を閉じた読者が、ある日突然、「そういえば伊吹信介は、あのあとどうなったのだろう」と思い出すことがある。物語から離れたつもりだったのに、登場人物だけは心のどこかで年を取らずに待っているというのは、長編小説ならではの不思議さなのだろう。

読者が『青春の門』を離れたのか、それとも時間が2人を引き離したのか

 『青春の門』という題名をあらためて眺めると、少し不思議な気持ちになる。作品を読み始めたころ、「青春の門」をくぐるのは伊吹信介だと思っていたはずなのに、50年以上という時間の中で、門を通り過ぎてしまったのは読者のほうでもあった。

 信介は小説の中で青年であり続ける。しかし、1970年代に彼と出会った読者は青年から中年となり、やがて老年へ向かった。その途中で本を閉じた人もいれば、何十年ぶりに続きを手に取った人もいるだろう。

 だから、『青春の門』の読者は何篇まで読んでいるのだろうか、という問いに対する最も正確な答えは「分からない」である。しかし、その「分からない」の中身を調べていくと、第1部で本を閉じた人が多くいるように見え、その最初の門を越えた人々は意外なほど遠くまで信介についていき、第7部以降になると、物語の魅力だけでは説明できないほど長い現実の時間が、作品と読者の間に流れ込んでくるという、かなり面白い景色が見えてくる。

 私自身は第3部「放浪篇」で『青春の門』から遠ざかったが、この記事を書くために第4部「堕落篇」、第5部「望郷篇」、第6部「再起篇」と、その先に続く題名をあらためて眺めているうちに、「あのあと信介はどうなったのだろう」という気持ちが少し戻ってきた。何十年も続きを読まなかった小説なのに、主人公の名前を見れば記憶がよみがえるのだから、それだけでも大した小説なのだろう。

 読者のほうはとっくに青春の門を通り過ぎてしまったのに、本の中では今も伊吹信介が、その門の向こうを歩き続けている。

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小説は同じなのに、読んでいる物語が違ってくる

 20歳のころに読んだ小説を、60歳になってもう一度開く。ページに並んでいる文章は40年前と変わらず、登場人物の年齢も性格も、彼らが選んだ仕事も恋愛も失敗も変わっていない。それなのに読み進めていると、ときどき「こんな話だっただろうか」と思う瞬間が訪れ、以前は魅力的に見えた主人公がひどく身勝手に思えたり、ほとんど記憶に残っていなかった脇役の一言が妙に心に残ったりする。

 変わったのは小説ではなく読者である。しかし、ここで「人は年を取るほど人間を見る目が深くなる」と簡単に片づけてしまうと、おそらく本当の面白さを取り逃がす。心理学の研究を見ても、加齢によって他人の気持ちを読み取る能力が一方向に向上していくわけではなく、むしろ年齢とともに低下しやすい認知能力がある一方で、対人関係の葛藤について複数の立場を考えたり、簡単には答えが出ないことを受け入れたりする傾向が強くなる場合もあることが報告されている。

 したがって、20歳の読者より60歳の読者のほうが優れているという話ではない。同じ文章を前にしても、どこに視線を向けるか、どの人物の事情を想像するか、何を重大な問題だと感じるかが変わっていくのである。

20歳の読者は、主人公のすぐ近くにいる

 20歳前後で小説を読むとき、物語の中心にいる人物と自分との距離は近い。主人公が家を出れば、その先にある自由を感じ、会社や学校に反発すれば、その息苦しさに共感し、恋のために仕事を捨てようとする人物が登場すれば、その選択の危険よりも、そこにある情熱のほうが鮮やかに見える場合もある。

 これは若い人が単純だからではない。20歳前後という年代では、自分自身の人生もまだ大きく開かれており、「これから何になるのか」「どこで生きるのか」「誰を選ぶのか」という問いが現実の問題として目の前にあるため、物語の中でも未来へ向かって走る人物が自然に中心になるのである。

 ところが60歳で同じ場面を読むと、主人公の後ろに別の人々が見えてくることがある。主人公が仕事を辞めれば、その収入を前提として暮らしている家族はいないのかと思い、恋のために家庭を離れれば、残された配偶者や子どもの翌朝まで想像してしまうので、若いころには主人公と一緒に走っていた読者が、いつの間にか少し離れた場所から物語全体を見るようになる。

 ただし、これは年齢だけで起こる変化とは限らない。仕事を続けた経験、結婚、子育て、親の老い、介護、病気、死別、金銭的な責任など、その人が40年間に経験した出来事が読書の中へ入り込んでいる可能性が大きく、60歳という数字そのものより、そこへ至るまでに積み重なった生活のほうが重要なのかもしれない。

昔は邪魔に見えた人物が、急に理解できることがある

 再読で最も不思議なのは、以前は物語の邪魔をしているようにしか思えなかった人物が、突然、存在感を持ちはじめることである。主人公を止めようとする父親、現実的なことばかり言う母親、夢より生活を選ぶ友人、家族を守るために慎重になる配偶者などは、若い読者から見ると臆病で保守的な人間に見えることがある。

 ところが長い時間を生きたあとで読むと、「そんな無茶はやめなさい」という言葉にも別の響きが生まれ、その人物は単に変化を嫌っているのではなく、失敗したあとの生活まで想像していたのではないか、自分自身も若いころには似た夢を持っていたのではないかと考えはじめることで、物語には書かれていない時間まで見えてくる。

 社会心理学の研究では、対人関係の葛藤について考える場合、高齢者のほうが複数の視点、不確実性、妥協といった要素を考慮することがあると報告されているが、これはすべての人に当てはまるわけではなく、文化によっても違いがある。日本の若者と米国の若者を比較した研究では、日本側では若い段階から複数の立場を考慮する傾向が比較的強く、年齢による変化が米国ほど明瞭ではないという結果もある。

 つまり、20歳では単純で60歳では複雑になるという一本道ではない。それでも、長い人生経験が小説の中にある空白を埋める材料になることはあり得るし、読者は書かれている言葉だけではなく、その言葉を言わせた人生まで想像するようになるのである。

悪人が悪人だけではなくなり、善人も善人だけではなくなる

 若いころの読書では、人物の輪郭をはっきりさせることで物語を理解することがある。勇敢な人と臆病な人、誠実な人と卑怯な人、自由な人と古い価値観に縛られた人というように分ければ、物語は分かりやすい。

 しかし現実の人間関係を何十年も経験すると、その分類が少しずつ不安定になる。誠実な人が誰かを傷つけることもあれば、身勝手に見えた選択が長い時間のあとでは別の意味を持つこともあり、愛情から相手を束縛する人もいれば、責任感が強すぎるために冷酷になる人もいるので、現実の人間がそんなに整然とは分類できないことを知ると、小説の登場人物もまた単純な善人や悪人ではなくなる。

 だからといって、年を取れば何でも許せるようになるわけではない。むしろ逆に、若いころには大胆で格好よく見えた行動を、60歳になってから読むと無責任だと感じる場合もあるが、それでも「この人物は間違っている」で思考を止めず、「なぜ、この人物はこういう選択をしたのだろう」と考える余地が生まれる。

 年齢とともに他者の感情や意図を正確に読み取る能力が必ず高くなるわけではないことも、心理学研究では示されている。それでも、正解を当てる能力と、複数の可能性を考える姿勢とは同じものではなく、60歳の読者が20歳の読者より人間を正確に理解できるとは限らないものの、人間を簡単には決めつけなくなる場合はあるのである。

恋愛小説では、物語の「その後」が見えてくる

 恋愛を扱った小説は、再読による変化が特に分かりやすい。20歳で読むとき、「2人は結ばれるのか」という問いが物語の中心に見えることがあり、告白するのか、別れるのか、再会するのかという出来事が大きく見え、恋愛の成否が人生そのものを決めるように感じられる。

 ところが60歳になって同じ物語を読むと、物語が終わった場所の先に、30年、40年の時間を想像してしまうことがある。激しく愛し合った2人が結婚したとして、同じ気持ちのまま何十年も暮らせるのか、病気になったらどうするのか、収入が減ったらどうするのか、親の介護が始まったらどうするのか、どちらかが先に老いたらどうするのかと考えているうちに、20歳では「結ばれた」という場所に結末を感じていたのに、60歳ではそこが人生の入口に見えてくる。

 もちろん、60歳の読者が必ずこう考えるという科学的証拠があるわけではなく、これは人生経験と時間感覚の変化から考えられる、十分あり得る読み方の1つである。しかし、人は年齢とともに将来の時間を無限に感じにくくなり、現在の感情的な意味や重要な人間関係を重視するようになるという心理学の理論は、この変化を考えるうえで示唆的である。

 若い読者が「この恋は始まるのか」を読み、年齢を重ねた読者が「この関係は続くのか」を読むことがあるとすれば、同じ恋愛小説の中で見ている時間の長さそのものが変わったということなのだろう。

親を描いた人物は、自分の立っている場所によって変わる

 親子関係を描いた場面では、読者自身の立場が人物評価に強く影響する。20歳で小説を読んでいるとき、多くの読者は子どもの側から親を見るため、親が進学や就職、結婚に口を出せば、それは干渉に見え、主人公が家を出れば解放に感じられる。

 しかし、その後に自分が親になったり、親の老いを見たり、介護を経験したり、親を失ったりすると、同じ小説の父親や母親に別の表情が見えることがある。かつてはただ口うるさいと思っていた言葉の中に、不器用な心配を感じるようになり、子どもを束縛しているように見えた親にも、自分の手から子どもが離れていく寂しさがあったのではないかと想像する。

 ここでも重要なのは、60歳だから理解できるのではないということである。20代で親の介護を経験する人もいれば、60代でも子どもを持たない人もいるため、登場人物の評価を変えるのは年齢だけではなく、その読者が何を経験したかである。

 年齢は時計で測れるが、人生経験は時計だけでは測れない。同じ60歳でも40年間に経験した出来事はまったく違い、その違いがあるからこそ、同じ小説を60歳の10人が読んでも、10通りの再読になる。

60歳だから変わったのか、それとも2回目だから変わったのか

 再読について考えると、さらに厄介な問題が出てくる。20歳のときが初読で、60歳のときが2回目なら、評価が変わった原因は年齢だけではないからである。

 初めて読む小説では、「次に何が起こるのか」が大きな関心になり、誰が裏切るのか、恋は成就するのか、事件はどう解決するのかを知らないため、物語の展開そのものに注意が向く。しかし2回目には結末をある程度知っているため、細かな会話や脇役の反応、最初の読書では気づかなかった伏線に目を向ける余裕ができる。

 文学作品の再読についての研究でも、2回目の読書では理解の仕方や注意の向け方が変化することが示されているため、60歳になって脇役が気になるようになったとしても、それがすべて40年間の人生経験によるものとは限らず、単純に2回目だから見えるようになった部分もある。

 20歳から60歳までの変化を本当に確かめるなら、同じ人物に同じ小説を何十年も隔てて読んでもらい、そのたびに登場人物への好感度、共感、責任の評価などを記録しなければならないだろう。それほど長い研究は容易ではないため、「20歳と60歳では必ずこう変わる」と科学的に断定できるほど直接的な証拠はまだ十分ではないが、それでも再読という行為に年齢、経験、記憶が同時に入り込むからこそ、昔の本を読むことは興味深いのである。

その典型例の一つが森鷗外『舞姫』かもしれません。豊太郎を若い時に読む場合と、人生経験を重ねてから読む場合では評価が変わる可能性があります。「舞姫の豊太郎は本当にひどい男なのか」でも、この問題を別の角度から考えました。

同じ作品を読むことは、昔の自分を測ることでもある

 40年前に読んだ小説を読み直したとき、昔嫌いだった人物を好きになっていたなら、それは作品が変化したからではないし、かつて憧れていた主人公に違和感を覚えたなら、それもまた、現在の自分と過去の自分との間に何かが起きたということである。

 ただし、その変化を「成長」という一語で片づける必要はない。若いころには見えていたものを、年齢を重ねることで失う場合もあり、20歳だからこそ主人公の衝動を理解でき、60歳になると現実を知りすぎたために、その無謀さの中にあった美しさを感じにくくなることもあるだろう。

 反対に、若いころには退屈だと思った慎重な人物の苦しみが、後になって理解できることもある。つまり読書の変化は、若い自分から成熟した自分へ一直線に進む物語ではなく、何かが見えるようになる一方で別の何かが見えにくくなるという交換を繰り返していくものであり、その交換こそが、年齢を重ねることなのかもしれない。

20歳の読みと60歳の読みは、どちらが正しいのか

 ここまで考えると、最後に奇妙な問題が残る。20歳で「この主人公は正しい」と思い、60歳で「いや、この主人公は身勝手だ」と思った場合、本当に正しいのはどちらなのだろうかという問題であるが、おそらくこの問いには簡単な答えがない。

 20歳の読者には、60歳の読者には戻れない感覚がある。人生がまだ大きく開かれていて、失敗しても先があると思える時期だからこそ、無謀な人物の決断に込められた希望を強く感じることができる一方で、60歳の読者は、選択には代償があり、その代償を本人以外の誰かが引き受けることもあると知っているため、どちらかが物語を誤読しているのではなく、人生の異なる場所から同じ人物を見ているのである。

 だから名作と呼ばれる小説は、一度読んで理解して終わる作品ではないのかもしれない。20歳には20歳の読書があり、40歳には40歳の読書があり、60歳には60歳の読書があって、さらに70歳や80歳になれば、また別の人物が気になり始める可能性さえある。

再読とは、昔の自分に会いに行くことである

 昔読んだ本を本棚から取り出すとき、そこに待っているのは登場人物だけではなく、その本を読んでいた過去の自分もページのどこかに残っている。20歳の自分は、この主人公に憧れ、あの人物を嫌い、ある場面で胸を熱くし、別の場面をほとんど覚えていなかったかもしれないが、60歳になった自分は、その若い読者の隣にもう一度座り、同じ文章を読みながら、少し違う場所で立ち止まる。

 20歳の自分が「この主人公は勇敢だ」と言えば、60歳の自分は「その勇気の代償を誰が払ったのだろう」と考えるかもしれず、60歳の自分が「この父親の気持ちは分かる」と言えば、20歳の自分は「それでも主人公には自分の人生を選ぶ権利がある」と反論するかもしれないが、その2人のうち、どちらか一方だけが正しいわけではない。

 心理学の研究からも、人間の考え方は年齢とともに単純に向上するのではなく変化していくと考えたほうが現実に近く、情報処理の速さや他者の意図を素早く読み取る力が変化する一方で、人生経験や時間に対する感覚が判断に別の奥行きを与えることもあり、読書の場合にはさらに再読そのものの効果が加わる。

 そう考えると、20歳で読んだ小説を60歳でもう一度読むという行為は、「同じ本をもう一度読む」ことではないのだろう。同じ文章を使って、異なる人生を生きた2人の自分が、それぞれの物語を読んでいるのであり、小説は40年間ほとんど同じ場所にいたとしても、読者はその間ずっと生きていた。

 だからページをめくったときに物語が違って見えるのは当然なのかもしれない。本が変わったのでも、登場人物が変わったのでもなく、40年という時間を歩いてきた自分が、かつてとは違う場所から同じ人々を見ているのである。

 再読とは、懐かしい物語を訪ねることではなく、昔の自分と現在の自分を同じページの上で出会わせる、静かな実験なのかもしれない。

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「春はあけぼの」だけではない『枕草子』

 『枕草子』と聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるのは「春はあけぼの」ではないだろうか。春の夜明け、夏の夜、秋の夕暮れ、冬の早朝という季節の美しさを描いた文章は、1000年以上を経た現在でも古びることがなく、むしろ現代人の感覚にも驚くほど自然に入り込んでくる。

 ところが、『枕草子』を少し広く読んでみると、この作品が単なる四季の美しさを記した随筆ではないことが見えてくる。清少納言は、美しいものや心を動かされるものを書く一方で、嫌なもの、腹立たしいもの、興ざめするもの、珍しいもの、かわいらしいものについても細かく書いており、「うつくしきもの」があれば「にくきもの」があり、「ありがたきもの」があれば「すさまじきもの」があるように、身の回りの世界を自分の感覚によって分類しながら文章にしている。

 そう考えると、『枕草子』は急に私たちの時代へ近づいてくる。現代のインターネットにも、店、商品、映画、本、ホテル、観光地などについて、「良かった」「期待外れだった」「ここが気に入った」「ここは残念だった」と評価する文化が広がっているからであり、もちろん清少納言が現代のような星評価をしていたわけではなく、『枕草子』とレビューサイトを同じものだと考えることもできないが、人間が身の回りの出来事を観察し、それを自分の感覚で評価し、その感覚を他者に伝えようとするという点では、両者の間に興味深い共通構造が見えてくる。

清少納言は世界を「評価」しながら見ていた

 『枕草子』のおもしろさは、対象を単なる事実として説明するのではなく、それに対して自分がどう感じたのかを文章の中心に置いているところにある。何かの風景について書くときも、それが何色で、どこにあり、どの程度の大きさなのかという客観的な情報だけではなく、美しいのか、興ざめなのか、気が利いているのか、無粋なのかという評価が加わるため、読み手は単に平安時代の風景を見るのではなく、作品の中につくり上げられた清少納言の視点を通して世界を見ることになる。

 これは現代のレビューにも通じる。レストランのレビューを読むとき、私たちが知りたいのは営業時間や住所だけではなく、「店員の対応が気持ちよかった」「料理はおいしかったが待ち時間が長かった」「写真で見るより店内が狭かった」といった、実際に体験した人がその場所をどう感じたのかという情報であり、客観的な事実だけなら公式情報でも確認できるが、それでもレビューを読む人が多いのは、他人の経験を通して、その場所や商品を疑似的に体験したいからだろう。

 清少納言の文章にも、これとよく似た力がある。何が美しいのか、何が野暮なのかという判断を示しながら、その判断そのものを読み手に追体験させるため、読者は「分かる」と共感することもあれば、「そこまで嫌うのか」と驚くこともあり、その一致やずれを含めて読むこと自体が、『枕草子』のおもしろさになっている。

「嫌いなもの」は、なぜ読んでいて印象に残るのか

 現代のレビューでも、単純に「良かったです」とだけ書かれた評価より、不満の理由や状況が具体的に語られている文章のほうが、読み手の注意を引くことがある。何時に店へ行き、どれくらい待たされ、何を注文し、どのような対応を受け、それによってどのように感じたのかまで書かれると、そこには単なる評価ではなく小さな物語が生まれるからである。

 『枕草子』の「にくきもの」や「すさまじきもの」がおもしろく感じられるのも、同じような事情があるのかもしれない。清少納言が何を嫌い、何に興ざめしたのかを読むと、その対象について知るだけでなく、作品の中の語り手が何を大切にし、どのような振る舞いや状況を好ましくないと感じていたのかが浮かび上がってくる。

 しかも、その対象は大きな悪や悲劇に限られているわけではなく、日常のささいな不快感、間の悪さ、人の気の利かなさ、期待したものが期待どおりに現れなかったときの落胆などが細かく取り上げられており、そこには時代を越えて理解しやすい感情がある。

 現代人が、操作している最中に突然表示された広告に苛立つことと、平安時代の宮廷で清少納言が感じた苛立ちは、もちろん具体的な原因も社会的背景もまったく異なるが、「今それをするのか」「もう少し気を利かせてほしい」「期待していたのに肩透かしだった」という感情そのものには、時代を越えて重なる部分がある。

評価することは、自分の価値観を見せることでもある

 レビューを書くという行為には、対象を評価するだけでなく、書き手自身の価値観を示す働きも含まれている。「静かな店が好き」「接客は丁寧であってほしい」「映画には現実味を求めたい」と書けば、その人がどのような基準で物事を見ているのかが自然に伝わってくる。

 『枕草子』も同じように読むことができる。清少納言が美しいと思うものを追っていけば、その作品の中に表れた美意識が見えてきて、嫌いなものや興ざめするものをたどれば、人間関係や振る舞いに何を求めていたのかも見えてくるため、対象を評価する文章は、その対象だけでなく、評価している側の価値基準も映し出すのである。

 ここには、現代のSNS(インターネット上で人と交流し情報を共有するサービス)にも通じる部分がある。好きな映画、好きな本、好きな店を紹介することは、対象について語るだけでなく、「私はこういうものに価値を感じる」という自己表現にもなり、反対に「これは嫌いだ」という表明も同じで、何を批判するのかによって、その文章の書き手が何を大切にしているように見えるのかが浮かび上がるため、『枕草子』のおもしろさは、そのような価値判断を隠さず、むしろ文章の魅力として前面に押し出しているところにある。

「みんながそう思う」ではなく、「私はそう思う」

 現代のレビュー文化では、評価が数字に置き換えられることが多い。星4.3、満足度87%、高評価率92%といった数字を見ると、そこに客観的な答えがあるように感じられるが、その数字をつくっているのは、結局のところ1人ずつの主観である。

 『枕草子』には、そのような平均点はない。その代わりに、清少納言の視点が強く残っており、統計や世論調査を示すのではなく、「私はこう感じる」という個別の感覚が文章として残されているため、その鮮明さが『枕草子』の個性をつくっている。

 現代のレビューでは、多数の個人評価が集まり、平均点やランキングなどの形で集団的な評判に変わっていく。ある店の低評価が続けば、新しい客の行動に影響することがあり、反対に高い評価が続けば、それを見て商品やサービスを選ぶ人も現れるため、個人的な好き嫌いが集積されることで社会的な影響力を持つようになる。

 しかし、平均値だけを見ると、個々の評価の違いは見えにくくなる。たとえば「5、5、1、1」という4人の評価と、「3、3、3、3」という4人の評価は、どちらも平均値は3になるが、その分布はまったく異なり、この違いを考えると、『枕草子』の魅力の一つは、平均化される前の1人の感覚が、そのまま濃く残されているところにあると言えるだろう。

 清少納言がある瞬間に感じた不快感や喜びは、多数の評価に埋もれて平均化されたのではなく、個別の文章として残されたため、現代の読者は、平安時代の平均的な感覚を知るというより、ある1人の書き手が世界をどう見たのかを、非常に近い距離から読むことができるのである。

レビューがおもしろいのは「正しいから」ではない

 良いレビューとは、必ずしも誰にとっても正しいレビューではなく、むしろ、自分とは違う評価であっても、その人がなぜそう感じたのかが具体的に書かれていれば、対象の別の面が見えてくることがある。

 『枕草子』にも同じことが言える。清少納言の好き嫌いに、現在の読者がすべて賛成する必要はなく、その美意識を正解として覚える必要もないため、むしろ「自分はそこまで嫌いではない」「自分なら別のものを美しいと思う」と感じた瞬間に、1000年以上前の文章と現在の自分との間に、一種の対話が始まる。

 文学のおもしろさは、正解を受け取ることだけにあるのではなく、1人の書き手が具体的に感じたことを読むことで、自分自身の感覚もまた意識させられるところにあり、好き嫌いという極めて個人的な感情が、逆に時代を越えて読者を参加させる力になるのである。

『枕草子』は「1000年前の口コミ」なのか

 『枕草子』を「1000年前の口コミ」と呼びたくなる瞬間はあるが、両者をそのまま同一視するのは正確ではない。現代のレビューサイトは、多数の利用者が同じ商品や店について評価し、それが公開され、検索され、平均点や順位にまとめられる仕組みを持っているが、『枕草子』は、そのような多数者参加型の評価システムではなく、宮廷社会の中で生きた清少納言による文学作品である。

 書き手と読み手の関係も大きく異なり、現代の口コミは不特定多数へ向けて短時間で拡散することがある一方、『枕草子』は写本によって伝えられ、後世の読者や研究者によって読み継がれてきたため、その意味では、社会的な機能も情報の広がり方も、現代のレビューとはまったく異なっている。

 それでも両者を比べる意味があるとすれば、それは制度が似ているからではなく、人間の行動に共通する部分が見えるからである。私たちは何かを経験すると、ただ事実として受け止めるだけではなく、「好きだ」「嫌いだ」「美しい」「野暮だ」「気が利いている」「残念だ」と評価し、その感覚を誰かに伝えたくなり、さらに他人が何を好きだと言い、何を嫌ったのかを読むことにも興味を持つ。

 そう考えると、『枕草子』は、教科書の中に閉じ込められた遠い古典ではなくなり、そこにいるのは、季節を眺め、人を観察し、気の利いた振る舞いに感心し、間の悪い出来事に苛立ち、その感覚を言葉にしようとした書き手である。

星の数ではなく、文章が残った

 現代のレビューは数字に集約されやすい。星5つ、星3つ、平均4.2という形にまとめられると、比較するには便利だが、なぜその評価になったのかという個別の感情や背景までは数字だけでは分からない。

 『枕草子』には星の数がなく、その代わりに文章があり、美しいと感じた瞬間も、腹立たしいと感じた瞬間も、その理由や場面とともに言葉として残されているため、現代の読者は、単に「清少納言はこれが好きだった」と知るだけではなく、その好き嫌いが生まれた感覚そのものに近づくことができる。

 そして、その文章は写本による継承、後世の読書、出版、教育、研究など長い歴史を経ながら、1000年以上たった現在まで読み継がれてきた。作品が残った理由を文章の魅力だけに求めることはできないが、少なくとも、今なお読み手がその言葉に反応し、自分の感覚と比べたくなるという事実は、『枕草子』が単なる歴史資料以上のものとして読まれ続けている理由の一つだろう。

 もし『枕草子』を「昔の人が書いた難しい古典」と感じているなら、「1000年前の人が何を好きだと感じ、何を嫌だと感じたのかを読んでいる」と考えてみるとよいかもしれない。すると「うつくしきもの」も「にくきもの」も急に身近になり、清少納言は歴史上の遠い人物というより、鋭い観察眼と強い美意識を持った書き手として見えてくる。

 道具も服装も社会の仕組みもまったく異なる1000年以上前の文章を読んでいるのに、ときどき「それは分かる」と感じる瞬間があり、その一致とずれを味わうことこそが、『枕草子』を現代から読むおもしろさであり、現代のレビュー文化と重ねてみることで、好き嫌いを言葉にするという人間の営みが、思いのほか長い時間を越えて続いていることにも気づかされるのである。

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800年前の京都から届いた災害の記憶

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という書き出しで知られる『方丈記』は、無常を説く古典として読まれることが多いが、その文章を少し先まで読み進めると、そこには静かな哲学だけではなく、炎に包まれる京都、家を巻き上げる猛烈な風、食べ物を失って衰弱していく人々、地面が裂け、建物が崩れていく光景が次々に現れる。

 鴨長明が生きた時代の京都は、決して平穏な都ではなく、1177年の安元の大火、1180年の治承の辻風、同じ1180年の福原遷都、1181年から1182年にかけての養和の飢饉、そして1185年の大地震という大きな出来事が短い期間に重なっており、『方丈記』はそれらを歴史年表のように淡々と列挙するのではなく、その場にいた人間には世界がどのように見え、暮らしがどのように崩れたのかという形で描いている。

 そこで興味深い問いが生まれるのだが、『方丈記』を文学作品としてだけではなく、現代でいう災害記録として読むことはできるのだろうか。

 もちろん、現代の災害記録と同じものではなく、震度計も風速計もなく、行政が統一した方法で集計した被害統計もなく、災害直後に調査員が現地を歩いて作成した報告書でもないうえ、『方丈記』が成立したのは1212年ごろとされ、1177年の大火からは約35年が経過しているため、そこに書かれた内容には長明自身の記憶、伝聞、後年の再構成が含まれている可能性がある。

 それでも、『方丈記』に残された災害描写には現代の災害研究と重なる視点が数多く存在しており、重要なのは、そこに書かれたすべてを文字どおりの事実として受け取るのではなく、どこまでが確認可能な出来事で、どこからが文学的表現や長明自身の解釈なのかを分けながら読むことである。

安元の大火で長明が見ていたのは、炎だけではなかった

 1177年の安元の大火について、長明は単に「大火事が起きた」と書くのではなく、火が京都のどの方向から起こり、強い風によってどのように広がり、建物が次々に焼失していったのかを描いており、朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などの建物にも被害が及んだとされることから、炎そのものだけでなく、都市の構造と被害の広がりが同時に記録されている。

 この描き方は、現代の火災調査をそのまま先取りしたものではないが、災害を見る視線には共通するところがあり、大規模火災を理解するには火元だけではなく、風向、建物の密集度、道路や空地の配置、延焼経路、人々の避難行動などを考えなければならず、火災の規模は炎そのものの強さだけで決まるわけではないからである。

 『方丈記』には、家々が密集する場所では火災による被害が大きくなることをうかがわせる描写もあり、長明が見ていたのは単なる自然現象ではなく、都市という人間のつくった環境が持つ弱さでもあったと読むことができる。

 現代の災害科学では、自然現象そのものと被害を区別して考え、地震、強風、洪水、火災などの危険な現象が存在しても、それだけで被害の大きさが決まるのではなく、そこに人や建物がどの程度存在しているか、建物がどれほど壊れやすいか、社会がどれほど備えているかによって被害は大きく変わる。

 その意味で、『方丈記』の安元の大火は、炎の記録であると同時に、都市の脆弱性が災害によって露出する過程を記した文章として読むことができる。

1180年の辻風は、どこまで科学的に読めるのか

 1180年、京都を猛烈な辻風が襲い、『方丈記』には家屋が倒れ、門が吹き飛び、屋根や板、家財などが空へ巻き上げられる様子が描かれており、この異常な風については『方丈記』だけではなく、ほかの同時代史料にも記録が残されている。

 したがって、1180年に京都で非常に強い突風現象が発生したこと自体についてはかなり高い確度で史実と考えることができるが、その現象を現代の気象学用語で竜巻、ダウンバースト、あるいは別の突風現象のいずれかに断定することには慎重でなければならない。

 現代では、竜巻などの突風が発生した場合、建物、樹木、電柱などがどのように壊れたかを調査し、その被害状況から風速の強さを評定する方法が用いられているが、800年以上前の文学作品の場合、当時の建物の構造、材料、施工方法、劣化状態、被害の正確な範囲などが十分に分からないため、『方丈記』の記述だけから当時の風速を数値として復元することは困難である。

 それでも、屋根が飛んだ、門が倒れた、家財が巻き上げられたといった具体的な描写は無意味ではなく、正確な風速を計算することはできなくても、現象が通常の強風とは明らかに異なるほど激しいものであったことを判断するための重要な手掛かりになる。

 ここに、古い文学作品を災害史料として読むときの基本姿勢が表れており、数字が書かれていないから価値がないのではなく、数字に変換できる範囲と変換できない範囲を見極めながら利用することが重要なのである。

養和の飢饉では、災害が社会の中を伝わっていく

 1181年から1182年にかけての養和の飢饉になると、『方丈記』の視線は建物から人間の暮らしへと近づいていき、不作によって食料が不足し、地方から京都へ運ばれる物資が減り、人々は家財を売って食べ物を得ようとするが、それでも十分な食料を確保することができず、やがて衰弱し、さらに病気が広がり、路上には亡くなった人々が増えていくという社会の崩壊過程が長明の文章の中には記録されている。

 この部分を現代的に読むと、災害の影響が一段階で終わらないことがよく分かり、不作という最初の異常が食料供給の減少につながり、食料不足が価格や流通に影響し、財産を売らなければ生活できない人が増え、貧困化と栄養状態の悪化がさらに病気や死亡へつながっていくという連鎖が起きている。

 現代の災害研究であれば、こうした現象は災害の連鎖的影響や間接的被害として考えられ、自然現象が起こった瞬間だけを見るのではなく、その影響が経済、流通、健康、生活基盤へどのように伝わっていくかを考えなければ、災害全体を理解することはできない。

 しかも、この飢饉の記録からは災害による被害がすべての人に同じように現れるわけではないことも見えてきて、自然現象そのものが広い範囲を襲ったとしても、食料を蓄えている人、売ることのできる財産を持つ人、支援を受けられる人と、そうでない人とでは、生存の可能性も生活再建の容易さも異なる。

 現代の災害科学では、こうした違いを脆弱性の差として考え、災害は自然現象だけによって生まれるのではなく、社会の内部に存在していた格差や弱さが、危機によって拡大することによって被害が深刻になるのである。

『方丈記』に書かれた死者数を、そのまま統計として扱ってはいけない

 養和の飢饉について、『方丈記』には非常に多くの死者が発生したことを示す具体的な数字も登場するが、これを現代の人口統計や死亡統計と同じように扱うことはできない。

 現代統計であれば、誰を調査対象としたのかという母集団が明確で、どの地域で、どの期間に、どの基準によって死亡者を数えたのかが記録され、さらに集計方法を他者が確認できる必要があるが、中世の記録については、どの範囲を誰がどのように調査したのかが十分に分からず、計数方法そのものを再現することも難しい。

 したがって、長明が記した数字を「実際の死亡者数そのもの」とみなすのではなく、「当時の史料にこのような数量表現が記録されている」と考える必要がある。

 この違いは小さいようでいて非常に重要であり、歴史資料に数字が書かれているからといって、その数字が現代統計と同じ精度を持つわけではないが、だからといって史料として無価値になるわけでもなく、ほかの文献記録、寺社の記録、人口推定、考古学的資料などと照合することによって、その数字が示す災害規模を検討することができる。

1185年の地震は、文学と地震学が接近する

 1185年の大地震については、『方丈記』の災害描写の中でもとくに現代科学との接点が多く、長明は建物が倒れ、地面が裂け、山が崩れ、水辺にも異変が起こったことを書き、人々が建物の中にいても外にいても安全ではない状況に置かれたことを描いている。

 火災であれば火から離れることができ、強風であれば頑丈な場所へ避難するという考え方もできるが、地震では建物も道路も地面も同時に安全性を失うため、人間が頼ってきた空間そのものが信用できなくなる。

 この1185年の地震は、『方丈記』だけに現れる文学的な出来事ではなく、複数の歴史資料にも記録され、現代の歴史地震研究でも大規模な被害地震として扱われている。

 さらに興味深いのは、琵琶湖西岸断層帯南部について行われた地質学的調査であり、この断層帯では西暦1060年から1260年ごろに活動した痕跡が推定されており、その活動が1185年の地震と対応する可能性が高いとする研究が存在する。

 つまり、1185年の地震については、文学作品の文章、同時代の文献記録、現代の地震学、地質学的調査という異なる種類の証拠が接近していることになり、これは『方丈記』を災害記録として読む意味を考えるうえで非常に重要で、古い文章だけを読んで地震の規模や震源を正確に決めることはできなくても、文献史料と地質学的証拠を組み合わせることで、800年以上前の地震の実像を少しずつ復元することが可能になるからである。

長明は「余震」まで記録していた

 1185年の地震について、『方丈記』が興味深いのは、大きな揺れが起きた瞬間だけを書いて終わっていないことであり、地震の後もしばらく揺れが続き、最初のころは頻繁に感じられたものが、時間の経過とともに次第に減っていったことが記されている。

 現代の地震学から見れば、これは大地震後に続く余震活動を想起させる記述であり、歴史地震研究でも1185年の地震後に多数の揺れが続いたことが確認されているが、長明が現代の意味で余震回数を観測していたわけではなく、地震計による測定値も存在しないため、記述された回数や頻度をそのまま地震活動の統計値として扱うことはできない。

 それでも、「大きな揺れの後にも地面の揺れが続き、人々がその変化を感じ取っていた」という時間的な情報は重要であり、災害が一瞬の出来事ではなく、その後も継続する現象として経験されていたことが分かるからである。

「被災者心理」ではなく、長明が観察した人間の心理

 『方丈記』には、地震後に人々が強い恐怖を感じ、しばらくの間は世俗的な欲望や日常への執着を弱めるものの、時間がたつにつれて再び元の生活へ戻っていくという趣旨の描写もあり、これは現代の読者にとって非常に印象的な部分である。

 災害後の心理を記録した文章として読むことはできるが、科学的には「被災者一般の心理」とまで広げることはできず、長明が観察したのは自分自身と自分の周囲にいた人々であり、調査対象を無作為に選び、多数の被災者から回答を集めたわけではない。

 現代心理学の方法であれば、調査対象の人数、年齢、社会的背景、質問内容、回答分布などを確認しなければ集団全体の心理状態を一般化することはできないため、『方丈記』に残されているものは「被災者心理の科学的調査」ではなく、「長明が観察し、記憶し、解釈した被災後の人々の心理と行動の記録」と考える方が正確である。

 それでも、その価値は小さくなく、災害後の人間が恐怖を感じ、その恐怖が時間とともに薄れていくという経験を、800年以上前の文章が伝えていること自体に大きな意味がある。

現代の災害報告書とは決定的に違う

 ここまで見ると、『方丈記』が驚くほど豊かな災害情報を含んでいることが分かるが、それでも現代の災害報告書と同じものとして扱うことはできない。

 最大の理由は、鴨長明が客観的な災害調査を目的として『方丈記』を書いたわけではないことであり、彼が大火、辻風、飢饉、地震を描いたのは、それらの規模を正確に測定するためではなく、人間の住まいも財産も命も永遠ではないという無常の思想を語るためでもあった。

 つまり、長明の文章には最初から世界を見るための枠組みが存在し、印象の強い出来事が選ばれ、記憶の中で整理され、文学的な表現によって強調されている可能性もあるほか、自分が直接見たことと、人から聞いたことが混在している可能性も考えなければならない。

 さらに、『方丈記』の成立は1212年ごろであり、1177年の大火からは約35年、1185年の地震からも約27年が経過しているため、現代の災害調査であれば、災害直後の観測記録と数十年後の回想記録は明確に区別されることを考えると、この時間差は史料を評価するうえで重要である。

 したがって、『方丈記』を災害史料として利用するときには、同時代の日記、公家や寺社の記録、歴史書、考古学的資料、地質学的調査などと照合し、複数の独立した史料が同じ出来事を示し、さらに自然科学的な証拠とも整合すれば、その出来事の信頼性は高くなる。

数字のない記録だからこそ残ったもの

 それでは、震度も風速も正確な死者数も残されていない『方丈記』を、災害記録として読む意味はどこにあるのだろうかと考えると、むしろ数値化されなかったからこそ残った情報があることに気づく。

 現代の地震であれば、発生時刻、震源、地震の規模、震度、死傷者数、建物被害数などが細かく記録されるが、それらをどれほど正確に並べても、その瞬間に人間から世界がどう見えたのかまでは完全には分からない。

 建物が崩れる音を聞いたときの恐怖、地面そのものが信用できなくなった感覚、食べ物が少しずつ失われていく不安、家財を手放しても生活できなくなる絶望、災害後しばらくは人生観まで変わったように感じながら、やがて日常へ戻っていく人間の姿は統計表からは読み取りにくく、長明が残したのはまさにその部分であった。

 災害を科学的に理解するためには数値が不可欠であるが、人間社会が災害をどのように経験するのかを理解するには数量だけでは足りず、数量的記録と人間の経験を記した記録は競合するものではなく、それぞれ異なる側面を保存しているのである。

なぜ『方丈記』では「家」が何度も壊れるのか

 『方丈記』を災害記録として読み直すと、ひとつの重要な共通点が見えてきて、大火でも、辻風でも、地震でも、長明の視線は何度も「家」へ戻っていくのである。

 これは偶然とは考えにくく、『方丈記』は人間の住まいと生き方を重要な主題として持つ作品であり、人は家を建て、そこを安全な場所だと思い、財産を置き、家族と暮らすが、その家は火によって焼け、風によって壊れ、地震によって倒れるため、どれほど大きく立派な住居を持っても、それが永遠の安全を保証するわけではない。

 やがて長明自身は都を離れ、小さな方丈の庵に住むようになるが、ここで「災害を経験したから小さな庵に移った」と単純な因果関係で説明することはできず、長明の隠棲には出家、社会との関係、人生上の挫折、宗教思想、年齢など複数の要因が関わっていると考える必要がある。

 それでも、火災によって焼ける家、風に飛ばされる家、地震で倒れる家を繰り返し見てきた経験が住まいについての長明の思索と無関係だったと考える必要もなく、その意味では、災害の記憶と無常観と住居についての思想が、『方丈記』の中で重なり合っていると読むことができる。

『方丈記』は災害記録なのか

 では結局、『方丈記』に描かれた災害を現代の災害記録として読むことはできるのだろうかという問いに対しては、「現代の災害報告書と同じものではないが、史料批判を行いながらなら、重要な災害記録として読むことができる」と答えるのが妥当だろう。

 『方丈記』だけを使って1180年の風速を計算することはできず、養和の飢饉の死者数を現代統計と同じ精度で確定することもできず、長明が記した人々の心理をそのまま当時の全被災者の心理として一般化することもできない。

 しかし、大火、辻風、飢饉、地震という出来事そのものについては、ほかの歴史資料からも確認できるものが多く、1185年の地震では地質学的な証拠まで歴史記録と接近しているため、『方丈記』は科学的測定の代用品ではないが、科学では測定できなかった過去の社会を知るための重要な観測窓なのである。

 そこに記録されているのは災害の規模だけではなく、都市がどのように壊れ、物流が止まったときに人々の生活がどう崩れ、災害の被害が社会の弱い部分へどのように集中し、大きな揺れのあとにも恐怖が残り、人々がやがてその恐怖さえ忘れて日常へ戻っていく過程までである。

800年たっても変わらないもの

 『方丈記』が書かれてから800年以上が過ぎた現在、災害を観測する技術は比較にならないほど進歩し、地震の発生時刻は秒単位で記録され、台風や豪雨は人工衛星から監視され、被害状況は短時間のうちに全国へ共有されるほか、建物の耐震性能も向上し、強風や洪水の危険地域を地図上で示すこともできるようになった。

 しかし、それでも災害が起きるたび、人間はそれまで安全だと思っていた住まいを失い、日常が突然変化し、自分たちの生活が思っていたほど確かなものではなかったことを知るのであり、技術は変わっても、災害によって世界の見え方が変わるという人間の経験そのものは、800年前とそれほど違わないのかもしれない。

 「ゆく河の流れは絶えずして」と長明が書いたとき、彼が見ていたのは単なる自然の移り変わりではなく、都市も家も財産も人の命も、確かなものとして固定することはできないという現実であった。

 その文章を現代の災害記録として読み直すと、『方丈記』は単なる古典文学ではなく、科学的観測機器の存在しなかった時代に、ひとりの人間が災害によって変わっていく都市と社会と人間を見続け、その記憶を未来へ残した記録なのである。

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