リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 誰かについて「あの人は仕事ができる」「文章はうまいが内容が浅い」「この作家は昔ほど面白くない」と語るとき、私たちはごく自然に他人を評価している。映画を見れば星を付け、本を読めば感想を書き、店に行けば口コミを残す。インターネットとSNS(Social Networking Service・社会的ネットワークを形成するサービス)の普及によって、私たちは以前よりもはるかに多く、商品や作品だけでなく、人間そのものまで数値や短い言葉で評価し、その評価を他人と共有するようになった。

 そのため「批評」という言葉にも、どこか採点に似た響きがまとわりついている。優れているか劣っているか、正しいか間違っているか、見る価値があるかないかを判定することが批評なのだと思われやすい。しかし、小林秀雄の文章を読んでいると、批評という仕事はそのような単純な採点とはかなり違うことに気づかされる。むしろ、他人を簡単に評価してしまう態度から離れ、目の前にある人物や作品が本当はどのようなものなのかを見続けるところに、批評の核心があるのではないかと思えてくる。

評価することは、案外簡単である

 人を評価するためには、何らかの物差しが必要になる。文章なら分かりやすさ、映画なら面白さ、政治家なら政策や実績、料理なら味や価格というように、私たちは意識するかどうかにかかわらず、何らかの基準を持ち出して対象を測っている。その基準そのものが悪いわけではない。試験に採点基準がなければ点数は付けられないし、商品を比較するときにも価格や性能という尺度は必要である。

 問題は、物差しを持った瞬間に、その物差しで測れる範囲だけを対象そのものだと思ってしまうことである。たとえば、ある小説を「展開が遅い」という理由で低く評価するとする。その判断自体は間違いとは言えない。しかし、なぜその小説は遅く書かれているのか、その遅さによって作者は何を感じさせようとしているのか、さらに考えれば、自分はいつから「展開が速い作品ほど面白い」という基準を持つようになったのかという問いまで現れてくる。

 ここまで来ると、対象を測っていたはずの物差しそのものが、今度は問いの対象になる。評価は対象を物差しの上に置くが、批評はときとして、その物差しを握っている自分の手まで見ようとするのである。

小林秀雄にとって、批評は欠点探しではなかった

 文春文庫版『考えるヒント』に収められた「批評」で、小林秀雄は、対象を正しく評価することを、その対象に固有の性質を明らかにすることとして考えている。ここでいう評価は、現在よく見かける「5点満点で3.8」といった意味とはかなり異なる。対象を外側から序列に並べるのではなく、「これはいったい何なのか」と、そのものにしかない性質へ近づいていこうとするのである。

 これは、今日の感覚からすれば少し不思議な批評観かもしれない。一般に批評家という言葉から想像するのは、作品の弱点を鋭く指摘し、作者も気づかなかった矛盾を暴き出す人物ではないだろうか。しかし小林の考えでは、単に貶すことそのものには、それほど大きな批評性はない。欠点なら比較的簡単に挙げることができるからである。文章が長い、説明が足りない、論理が弱い、古臭いといった言葉を並べれば、それらしい批評文は作れるが、その言葉だけでは対象の固有性についてほとんど何も発見していないこともある。

 他人の欠点を指摘しているとき、私たちはしばしば安全な場所に立っている。自分は観察する側であり、相手は観察される側である。その距離が保たれているかぎり、自分自身の価値観が揺さぶられることは少ない。ところが、本当に強い作品や人物に出会うと、その安全な距離が崩れることがある。理解できないのに無視できず、嫌いなのに気になり、間違っていると思うのに、そこには自分の知らない何かがあるように感じる。そのような抵抗のある対象に出会ったときこそ、批評は始まるのかもしれない。

「分からないもの」をすぐ裁かない

 人間には、曖昧な状態を長く抱えるよりも、何らかの結論を得て不確実性を小さくしたいという傾向がある。心理学でも、曖昧さに耐えながら判断を保留することには個人差があり、はっきりした答えを早く求めようとする傾向が研究されている。

 そのため、分からないものに出会ったとき、評価によってひとまず結論を与えてしまうことは、不確実さから逃れる一つの方法になる。「つまらない」「時代遅れだ」「難しいだけだ」と名前を付ければ、その対象について考え続けなくても済む。しかし、名前を付けたことと、理解したことは同じではない。

 小林秀雄の文章を読んでいると、一つの作品、一人の人物、一つの思想の前で長い時間立ち止まっているような感覚を覚えることがある。それは結論を出せないからではなく、簡単な結論によって対象を処理してしまうことを警戒しているからだろう。考えるとは、すぐに答えを出すことではなく、答えが出ない状態にも一定の時間とどまることなのかもしれない。

 ある人物について「私はこの人が嫌いだ」と感じる場合も同じである。嫌いという感情を否定する必要はない。しかし批評するのであれば、「嫌いだから価値がない」というところで止まることはできない。なぜ自分はその人を嫌うのか、その人物のどのような性質が自分に抵抗を感じさせるのか、その抵抗の中に自分自身の価値観がどのように現れているのかまで考え始めれば、批評の矢印はいつの間にか対象だけでなく自分にも向かっている。

 批評とは、他人を裁くために高い場所へ上ることではなく、対象と自分との間に何が起きているのかを注意深く見ることなのではないだろうか。

星の数では見えなくなるもの

 インターネット以後、私たちは対象そのものに触れる前から、その対象についての評価を目にすることが増えた。本を買えば星が並び、映画を選べば点数が表示され、飲食店を探せば口コミの平均値が先に目に入る。数字は便利である。知らない店が100軒並んでいれば、一軒ずつ確かめることなどできないから、評価は大量の情報を圧縮してくれる。

 しかし、その便利さには代償もある。心理学や行動研究では、事前に示された他者の評価が、その後の判断に影響することがあると知られている。つまり、星が高いと知らされてから作品を見る場合と、評判が悪いと知らされてから見る場合では、私たちは必ずしも完全に同じ条件で対象を見ているわけではない。

 「これは傑作なのだ」と思って見れば、傑作らしい理由を探しやすくなり、「評判が悪い」と聞いて見れば、欠点へ注意が向きやすくなる可能性がある。もちろん、人間が完全な白紙の状態で何かを見ることは難しい。だからこそ、自分が何を見ているのかだけでなく、どのような先入観を通して見ているのかまで意識する必要がある。

 SNSでは、この問題がさらに分かりやすい形で現れる。ある人物が発言したとき、その内容を十分に読む前に、「この人は信用できる側か」「信用できない側か」と分類してしまうことがある。一度そのような人物像を作ると、その後の発言も、その人物像に沿って解釈されやすくなることがある。批評しているように見えながら、実際には目の前の発言ではなく、自分の中ですでに完成している人物像を批判しているのである。

 評価があふれる時代だからこそ、小林秀雄的な意味での批評、すなわち評価より先に対象そのものを見ようとする態度は、むしろ以前より難しくなっているのかもしれない。

「褒める」とは、お世辞を言うことではない

 小林秀雄は批評について、「人をほめる特殊の技術」とまで表現している。これは一見すると奇妙に聞こえる。批評家が何でも褒めてしまったら、批評ではなくなるようにも思えるからである。しかし、ここでいう「褒める」は、お世辞を言うことではない。

 本当に誰かを褒めようとすると、それは意外に難しい。「すごいですね」「素晴らしいですね」と言うだけなら簡単だが、何がどのように優れているのかを正確に言葉にしようとすれば、その人物や作品をかなり注意深く見なければならない。他人にはない特徴を見つけ、それがどのように働いているのかを理解しなければならないからである。

 反対に、人を貶す言葉には、対象を取り替えてもそのまま使えるものが少なくない。「能力がない」「浅い」「古い」「分かっていない」といった言葉である。もちろん、褒めることが常に貶すことより難しいという科学的法則があるわけではない。しかし、小林秀雄のいう批評という観点から見れば、対象の固有性を発見するためには、単に欠点を並べるよりも、その対象がなぜそのような形をしているのかを丁寧に見なければならないということなのだろう。

 優れた批評とは対象を無条件に称賛することではなく、その対象が「それである理由」を探し当てることなのである。その過程で欠点が見えることもある。しかし欠点を見つけること自体が目的なのではなく、一つの人間、一つの作品、一つの思想がなぜそのような形になったのかを理解しようとした結果として、その限界も見えてくるのである。

批評されるのは、実は自分でもある

 ここまで考えると、批評という行為には奇妙な反転が起きる。他人を批評していたはずなのに、最後には批評している自分自身の姿が見えてくるのである。

 なぜ自分はこの小説を退屈だと感じたのか。なぜこの人物の言葉には腹が立つのか。なぜこの音楽には心を動かされ、この絵には何も感じなかったのか。対象について真剣に考えれば考えるほど、自分が当然だと思っていた感覚や価値観が姿を現してくる。

 これは、小林秀雄が「批評とは自分自身を批評することである」と単純に定義しているという意味ではない。ただ、小林の批評観を押し広げて考えるならば、対象を正確に見ようとする行為は、同時に、その対象を見ている自分の判断基準を浮かび上がらせる行為にもなる。

 だから本当の批評には、どこか危険なところがある。相手を評価して終わるつもりだったのに、自分の考えの狭さを発見してしまうかもしれない。間違っていると思っていた人物の中に、自分にはなかった視点を見つけることもあるだろう。嫌っていた作品を読み続けるうちに、自分の方が変わってしまうことさえある。

 採点なら、採点者は変わらなくてもよい。しかし批評は、ときに批評する側まで変えてしまう。

他人を評価する前に、もう少し見てみる

 私たちは評価から逃れて生きることはできない。仕事では判断が必要であり、選挙では候補者を選び、買い物では商品を比較しなければならない。何も評価しないことが知的に優れた態度なのではない。問題は、評価した瞬間に考えることまで終えてしまうことである。

 「あの人はこういう人だ」と言ったあとに、本当にそうだろうかともう一度見る。「この作品はつまらない」と感じたあとに、なぜ自分にはつまらなかったのかを考える。「間違っている」と判断した相手についても、なぜその人にはその考えが必要なのかを考えてみる。そのわずかな余白に、単なる評価から批評へ移る入口がある。

 批評とは、他人に点数を付ける技術ではないのだろう。むしろ、点数を付けたくなる自分を少し疑いながら、目の前の対象が本当は何であるのかを見続ける技術なのである。

 人を見ることと、人を評価することは同じではない。評価は一瞬でできることがあるが、見ることには時間がかかる。そして小林秀雄が私たちに残した「考えるヒント」の一つは、おそらくその時間を惜しまないことにある。誰かを理解したと思ったところから、もう一度その人を見る。作品について結論を出したところから、もう一度読み始める。そうして見直すたびに、対象についての理解だけでなく、自分が何を基準に世界を見ていたのかまで少しずつ変わっていく。

 批評の終わりに残るものは、他人について下した判決ではないのかもしれない。むしろ、「分かった」と思っていた相手が以前より複雑に見え、自分自身についても以前より簡単には説明できなくなったという感覚ではないだろうか。もしそうだとすれば、批評とは他人を評価するための技術である以上に、世界を簡単に決めつけないための技術なのである。

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 世の中には、知っていても人生がそれほど便利にはならない知識がある。鉄道の線路のわずかな違い、専門業者しか使わない道具の名称、街角に残された妙な設備、外国の歌が偶然日本語のように聞こえる一瞬。試験には出ないし、履歴書にも書けない。それを知ったからといって給料が上がるわけでもなければ、仕事が速くなるわけでもない。それなのに人間は、そういう知識に出会ったとき、なぜか少し嬉しくなる。

 『タモリ倶楽部』という番組は、40年以上にわたって、その不思議な喜びをテレビの中に残していた。

 1982年に始まり、2023年に終了したこの番組を振り返ると、普通のテレビ番組とは少し違った場所に立っていたことに気づく。世間で話題になっているものを急いで追いかけるわけでもなければ、社会的に重要な問題を真正面から論じるわけでもない。むしろ、普通なら企画会議で「それを誰が見るのだろう」と心配されそうな題材を、面白そうだからという理由で拾い上げ、そこに時間を費やしていた。

 鉄道、地図、地形、楽器、機械、工具、道路、建築物。ある分野では知られていても、世間一般にはほとんど名前の通っていない専門家が現れ、普通の人には見分けのつかない違いについて熱心に語る。するとタモリも、その細部へ面白がって入っていく。そこでは「この知識は何の役に立つのですか」という問いが、ほとんど必要とされていなかった。

 いま考えると、それこそがこの番組の珍しさであり、同時に知識というものの本来の面白さを映していたのかもしれない。

「何の役に立つのか」と聞かない世界

 私たちは子どものころから、知識には何か目的が必要だと教えられている。学校で勉強するのは試験のため、資格を取るのは仕事のため、外国語を学ぶのは海外で使うため、情報を集めるのは判断のためというように、知ることにはいつの間にか「その先」が要求される。

 もちろん、それ自体は間違っていない。知識が生活を便利にし、仕事を助け、社会の問題を解決してきたことは疑いようがない。しかし、知識の価値を役に立つかどうかだけで測り始めると、まだ用途の分からないもの、あるいはそもそも用途を必要としないものは、知らなくてもよいものとして扱われやすくなる。

 ところが人間の好奇心は、それほど実用一点張りにはできていないらしい。心理学では、直接的な報酬や意思決定に役立たなくても情報を知りたがる行動が研究されている。すぐに得になるわけでもないのに、人は結果を知りたがり、答えを確かめたがり、知らなかったことを知った瞬間に満足を感じる。こうした性質は、知識を単なる道具として考えるだけでは説明しきれない。

 『タモリ倶楽部』は、その人間の性質を番組の形式にしていたように思える。

 何かを知る理由は、それが面白いからでもよい。道路の片隅にあるものの名前を知りたくなったら調べればよく、普通の人には見分けのつかない機械の違いを見分けられる人がいるなら、その人の話を聞いてみればよい。その世界に入ったところで明日から人生が変わらなくても、昨日まで存在すら意識していなかったものが、今日から少し違って見えるなら、それだけでも知る価値はある。

 考えてみれば、子どもの学びにはそのような場面がいくつもある。将来何かに使えるからという理由ではなく、ただ気になるから質問し、石を拾い、雲を眺め、乗り物の名前を覚え、同じことを何度も確かめる。もちろん子どもの好奇心にも個人差はあるが、少なくとも人間には、外から目的を与えられなくても「知りたい」と感じる力がある。

 大人になるにつれて、私たちはその感覚を少しずつ忘れてしまうのかもしれない。

世界には、自分の知らない専門家がいる

 『タモリ倶楽部』を見ていると、もう一つ不思議なことに気づかされた。世の中には、こちらが存在さえ知らなかった世界について、驚くほど詳しい人がいるということである。

 普通のテレビでは、出演者の価値は知名度によって左右されやすい。有名な俳優、有名な歌手、有名な芸人が画面の中心になる。しかし『タモリ倶楽部』では、題材によって主役が簡単に入れ替わった。ある専門分野について話し始めれば、その瞬間だけは芸能人よりも、その世界を何十年も見続けてきた人の方が圧倒的に面白くなる。

 そこには、知識についての小さな民主主義のようなものがあった。

 世間的な地位や知名度とは別に、人は誰でも何かについて詳しくなることができる。一見すれば狭すぎる趣味であっても、長い時間をかけて観察し続ければ、そこには固有の知識と見方が生まれる。そして、その世界を本当に好きな人の話には独特の熱がある。

 面白いのは、知識そのものより、その熱が伝染することである。こちらにはまったく興味のなかった分野なのに、詳しい人が嬉しそうに話しているのを聞いているうちに、なぜかこちらまで面白くなってくる。それは単に新しい情報を受け取っているのではなく、「こんなふうに世界を見ることができるのか」という別の視点を教えられているからだろう。

 同じ道路を歩いていても、建築に詳しい人は建物の形を見るかもしれず、道路設備に詳しい人は標識やガードレールを見るかもしれない。鉄道好きなら線路の構造に目が向き、電気設備に関心があれば電柱や配線が気になる。人間の注意や識別能力は経験によって変化し、知識を持つことで、それまで一つにしか見えなかったものの違いが見えるようになることがある。心理学では、こうした経験による知覚や識別の変化は知覚学習という考え方から研究されてきた。

 知識とは、頭の中に情報を蓄えることだけではなく、世界の解像度を少し上げるものなのかもしれない。

「空耳アワー」が見せた、間違えることの豊かさ

 その意味では、長く親しまれた「空耳アワー」も、この番組を象徴する存在だった。

 外国語の歌詞が偶然日本語のように聞こえる。冷静に考えれば、それは聞き間違いである。外国語の学習なら訂正すべき対象になるし、正確な情報伝達なら誤りとして扱われる。

 ところが『タモリ倶楽部』は、その間違いを捨てなかった。むしろ「そう聞こえてしまう」という人間の耳の曖昧さを面白がり、そこへ映像まで付けて一つの作品にしてしまった。正しい歌詞を確認すれば数秒で終わる話を、わざわざ遠回りして遊び、その無駄の中から笑いを作ったのである。

 これは考えてみれば、少し不思議な態度である。

 現代では、情報へ到達する速度は以前よりはるかに速くなった。検索すれば短時間で大量の情報に触れることができ、機械は誤字を訂正し、人工知能は質問に即座に回答する。しかし、正解へ早く到着できることと、途中に現れた間違いや偶然を面白がることは同じではない。

 人間の文化を振り返れば、勘違い、聞き間違い、言葉遊び、偶然の連想から、新しい冗談や表現や物語が生まれることもある。だからといって間違いそのものが価値を持つわけではないが、間違いをただ捨てるのではなく、そこから何かを見つける能力は、正解へ到達する能力とは別の種類の知性なのだろう。

 「空耳アワー」は、そのことを難しい理屈ではなく、笑いとして見せていた。

検索できる時代ほど、偶然に出会うことが重要になる

 インターネットが普及してから、「知識を覚える必要は以前ほどない」という考えを耳にすることが増えた。分からなければ検索すればよいというわけで、実用という観点だけなら、その考えには十分な合理性がある。

 しかし、検索という行為には構造上の特徴がある。検索は、すでに言葉になっている疑問を調べることには非常に強いが、そもそも自分が存在を知らないものについては、検索語を思いつくことさえ難しい。

 街の片隅に奇妙な設備があったとして、その存在に気づかなければ調べようとは思わない。誰かが鉄道について楽しそうに話しているのを見なければ、自分が鉄道の構造を面白いと思う人間だったことに、一生気づかなかったかもしれない。

 もちろん現代のインターネットには、検索だけではなく、関連情報や推薦などを通じて偶然未知のものに出会う仕組みも存在する。そのため、デジタル化によって偶然の発見が消えたと考えるのは正確ではない。それでも、自分が探していなかった情報に偶然出会い、そこから新しい関心が生まれる現象が、知識を広げるうえで重要であることに変わりはない。

 情報研究の世界では、こうした偶然の情報との出会いそのものが研究対象になっている。人間は必ずしも、最初から明確な目的を持って情報を探しているわけではない。別のものを探している途中に気になるものを見つけたり、偶然目にした話題から新しい関心を持ったりする。その寄り道から、自分でも予想していなかった知識の領域が開くことがある。

 『タモリ倶楽部』が毎週のように差し出していたものも、答えというより、そのような入口だったのではないだろうか。

 知らなくても困らない。しかし、知ってしまえば少し気になる。その小さな気掛かりから別の知識へ進み、さらに別の世界へ横道をそれていく。そこには、最短距離で答えを得ることとは違う、知識との付き合い方があった。

好奇心は、記憶にも影響する

 役に立つ知識には、多くの場合、学ぶ理由が外側から与えられている。試験に合格するため、仕事をするため、収入を得るため、生活を便利にするためである。それに対して、すぐには何の役に立つか分からない知識の場合、そうした外側の目的が弱くても、人はただ知りたいという理由だけで調べることがある。

 心理学では、活動そのものを面白いと感じて行動することを内発的動機づけとして捉えてきた。好奇心もその一つとして考えることができ、興味を持って知ろうとしているときには、情報の記憶が促されることを示した研究もある。

 興味深いのは、好奇心を抱いている状態では、知りたかった情報だけでなく、その周辺で偶然触れた情報まで記憶されやすくなる場合が報告されていることである。つまり「面白いから知りたい」という状態は、単なる気分ではなく、学習そのものにも影響する可能性がある。

 そう考えると、「誰にも覚えろと言われていないのに覚えてしまう」という経験にも、少し説明がつく。

 もちろん、役に立たない知識だから記憶に残るわけではない。重要なのは、その情報に対してどれだけ好奇心や関心を持ったかである。それでも、試験にも仕事にも関係のないことを何十年も覚えているという経験は、多くの人にあるのではないだろうか。

 そして、そのような知識こそ妙に自分らしい。

無駄だからこそ、自分で選んだものになる

 誰にも覚えろと言われていないのに覚えてしまう。試験に出ないのに調べてしまう。人に話せば「それを知ってどうするの」と言われそうなのに、なぜか気になる。

 もちろん、趣味の知識であっても、仲間との交流や社会的評価など外側の目的と結びつくことはある。それでも、少なくとも始まりのところでは、「面白いから」という理由だけで十分な場合がある。

 趣味というものも、おそらくそのような場所から育っていく。

 効率だけを考えれば、模型を作る必要も、古いレコードを集める必要も、廃線を歩く必要も、珍しい道具を調べる必要もない。しかし人生からそうした「必要ではないこと」をすべて取り除けば、残るのは食事と睡眠と仕事と事務手続きばかりになってしまう。

 人間の生活を豊かにしているもののかなりの部分は、生存だけを基準にすれば不要である。音楽も、小説も、旅行も、趣味も、それがなければ生命を維持できないという意味では必要不可欠ではない。それでも私たちは、それらのために時間を使う。人間はただ生き延びるだけではなく、世界に意味や面白さを見つけながら生きているからだろう。

 「役に立たない」という言葉は、ときに「価値がない」という意味で使われる。しかし、役に立つことと価値があることは、本来同じではない。

「無駄」を許せる場所は残っているか

 そのように考えると、『タモリ倶楽部』が40年以上続いたこと自体が、少し不思議に思えてくる。

 テレビ番組にも視聴率があり、広告には効果が求められ、インターネットの記事には閲覧数があり、動画には再生回数が表示される。何かを作れば、その成果が数字になって返ってくる場面は増えている。

 数字が悪ければ改善し、成果の出ないものを見直す。それは組織を運営するうえで当然の判断であり、効率を求めること自体が悪いわけではない。

 ただ、その合理性をあまりに広い範囲へ押し広げていけば、「何の役に立つかは説明できないが、なぜか面白い」というものが存在できる場所は、少なくなっていくのではないだろうか。

 『タモリ倶楽部』には、その反対側にある空気があった。

 大げさな感動を作る必要もなく、社会的意義を宣言する必要もなく、人生の教訓へ結びつける必要もない。ある世界について異様に詳しい人がいて、タモリが興味を示し、周囲の人間も面白がる。それだけで番組になる。

 そこには、知的好奇心を急いで成果へ変換しない自由があった。

「役に立たない」という言葉を疑ってみる

 しかし、ここまで考えてくると、そもそも「役に立たない知識」という言い方自体が少し怪しくなってくる。

 知ったことで仕事の能率が上がるわけではない。収入も増えない。資格も取れない。しかし、それまで見えていなかったものが見えるようになるなら、その知識はまったく役に立っていないのだろうか。

 道路を歩いているとき、それまで単なる鉄の箱にしか見えなかったものの意味が分かる。電車に乗ったとき、線路の形が少し気になる。音楽を聞いていると、妙な聞こえ方に気づく。それだけで、昨日とまったく同じ街が少し違って見える。

 知識には、問題を解決するための道具としての役割だけではなく、世界の見え方そのものを変える役割もある。

 そう考えるなら、「役に立たない知識」とは本当に役に立たないのではなく、役立ち方を簡単には数字にできない知識なのかもしれない。

知識とは、世界を少し面白くするもの

 『タモリ倶楽部』が2023年に終了したとき、テレビ朝日は、1982年の放送開始以来40年という節目を迎え、番組としての役割を十分に果たしたと説明した。実際、どんな長寿番組にも終わりはある。

 しかし、番組が残した見方まで終わったわけではない。

 街を歩いているとき、誰も気にしていない看板が気になる。電車に乗っているとき、線路の分岐を眺めてしまう。知らない専門用語を見つけると意味を調べたくなる。外国の歌を聞いて、妙な日本語が聞こえたような気がして、一人で笑ってしまう。

 その瞬間、私たちは少しだけ『タモリ倶楽部』の視聴者に戻っている。

 役に立つかどうかを決める前に、まず面白がってみる。知らないものに出会ったとき、それをすぐ自分には関係のないものとして閉じるのではなく、もう少し眺めてみる。

 すると世界は、思っていたよりずっと細かくできていることに気づく。道路には道路の事情があり、鉄道には鉄道の事情があり、工具には工具の事情があり、歌には聞き間違える余地があり、それぞれについて驚くほど詳しい誰かがどこかにいる。

 人生に本当に必要なのは、すぐに役に立つ知識だけなのだろうか。

 「こんなことを知っていて何になるのだろう」と笑いながら覚えたことの方が、何十年も記憶に残っていることがある。その知識は仕事を助けなかったかもしれないし、お金にもならなかったかもしれない。しかし、それを知ったことで世界の一部分が昨日より面白く見えたのなら、それを完全に「役に立たなかった」と呼ぶことは難しい。

 『タモリ倶楽部』が長い時間をかけて見せてくれたのは、知識にはもう一つの使い道があるということだったのかもしれない。問題を解くためでも、誰かに勝つためでも、効率よく目的へ到達するためでもなく、知らなかった世界に一歩だけ入り込み、その世界を昨日より少し面白く見るために知るのである。

 役に立つかどうかは、そのあとで考えればいい。

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 歴史に詳しい人、と聞いて私たちはどのような人物を思い浮かべるだろう。戦国武将の生没年を知っている人、幕末の出来事を年代順に語れる人、歴代の首相を順番に言える人、あるいは世界大戦の戦場や条約について細かな知識を持っている人かもしれない。もちろん、それらは歴史を理解するための重要な材料である。しかし、知っている事柄が増えていけば、それに比例して歴史について深く考えられるようになるのかというと、話はそれほど単純ではない。

 たとえば、ある戦争が始まった年、その直前に締結された条約、参戦した国々、戦争を終結させた講和条約までを正確に覚えている人がいたとしても、それだけでは「なぜ戦争は避けられなかったのか」という問いには答えられない。逆に、細かな年代をすべて記憶していなくても、人々が何を恐れ、政治家がどのような選択肢を持ち、それぞれの国が相手の行動をどう理解し、どこで誤認したのかを考える人は、歴史についてかなり深いところまで近づいている可能性がある。

 ここには、歴史を「知ること」と「考えること」の間にある、小さいようでいて重要な違いがある。歴史を知るとは、過去についての事実や背景を身につけることであり、歴史を考えるとは、その事実同士を結びつけながら、なぜその出来事が起きたのか、ほかの可能性はなかったのか、当時の人々には世界がどのように見えていたのかを問い続けることである。

過去を知っている私たちは、当時の人より賢いのか

 歴史を読むとき、私たちは奇妙な特権を持っている。結末を知っているのである。関ヶ原の戦いなら徳川家康が勝つことを知っているし、江戸幕府がやがて倒れることも、日本が太平洋戦争に敗れることも、ソビエト連邦が20世紀末に崩壊することも知っている。歴史の教科書を開くと、出来事は1本の線の上に整然と並べられ、まるで最初からその結末へ向かって進んでいたかのように見える。

 しかし、実際にその時代を生きていた人々には、その1本の線は見えていなかった。明日何が起こるのか分からず、自分が手に入れられる限られた情報を頼りに判断し、その判断が正しいかどうかも分からないまま生活していた。その意味では、過去の人間も現在の私たちと変わらない。私たちは20年後の日本がどのような社会になっているのか知らないし、現在重大だと思われている出来事のうち、どれが100年後の歴史教科書に残るのかも知らない。

 ところが、人間には結果を知った後になると、その結果が以前から予測できたように感じやすくなる傾向がある。認知心理学では、こうした傾向を後知恵バイアスと呼ぶ。戦争が起きた後でその前史を振り返れば、戦争へ向かう兆候だけが目につきやすくなり、政権が倒れた後には、崩壊の原因となった弱点ばかりが大きく見える。しかし当時には、戦争を回避する可能性も、政権が存続する可能性も、人々の前に同時に存在していた。

 だから歴史を考えるためには、結果を知っている自分の立場をいったん横に置く必要がある。結末を知らなかった人々が、その時点でどのような情報を持ち、どのような選択肢の中から判断していたのかを考えるのである。それは過去の人間に無条件で共感することではない。むしろ、結果を知っている現在の自分が持つ優位を自覚することによって、過去の判断をより公平に見るための作業である。

年号の向こう側には、まだ歴史になっていない現在があった

 学校の歴史では、年号が重要な役割を持っている。出来事の順序を理解するためには欠かせないからである。しかし年号によって歴史を整理すると、その日に生きていた人間の時間が見えにくくなることがある。

 「1945年8月15日」と書けば、それは1つの日付である。しかし、その日に生きていた1人ひとりにとって、その日は同じものではなかった。家族を失った人もいれば、疎開先にいた子どももおり、兵士として遠い土地にいた人もいた。敗戦を絶望として受け止めた人もいれば、ようやく死なずに済むかもしれないという安堵を感じた人もいただろう。教科書の1行は、それら無数の経験を1つの日付へ圧縮する。

 歴史を学ぶためには、その圧縮が必要である。何千万もの人生をそのまま記述することなどできないからだ。しかし歴史を考えるときには、ときどきその圧縮を逆向きに開いてみる必要がある。「1945年」という数字の中には、実際には何千万もの異なる1945年が存在していたのである。

 小林秀雄が歴史について考えたときにも、過去を単なる知識として処理するだけでは捉えられないものへの関心があった。これは小林自身の言葉をそのまま言い換えたものではないが、歴史を生きた人間の実感や、過去と現在を結ぶ「歴史感情」を重視した彼の思考と重なる部分がある。

 過去は最初から「歴史」だったわけではない。それは、かつて誰かにとって現在だった。私たちが今日を「2026年の歴史」と思いながら朝食を食べないように、明治の人も「私はいま明治史を生きている」と考えていたわけではない。その人にとって重要だったのは、給料が足りるか、子どもが病気から回復するか、商売がうまくいくか、徴兵された息子が帰ってくるかという切実な現在だった。

 その現在が、後世から見ると歴史になる。この時間の反転を意識した瞬間、歴史は年表から少しずつ人間の世界へ戻ってくる。

「原因」を1つ見つけると、歴史は分かりやすくなる

 私たちは複雑な出来事に出会うと、原因を求める。「なぜ江戸幕府は倒れたのか」「なぜ日本は戦争へ向かったのか」「なぜある国家は衰退したのか」と問い、その答えが1つ見つかると、世界が急に整理されたように感じる。

 しかし、大きな歴史的出来事を1つの原因だけで十分に説明できるとは限らない。政治制度があり、経済状況があり、人口構造があり、技術の変化があり、国際関係があり、その中で個々の人間が判断する。さらに、偶然や予想外の出来事が結果を左右することもある。歴史の因果関係は、1つの原因が1つの結果を生む単純な鎖というよりも、いくつもの条件が重なり合って1つの方向へ動いていく複雑な網に近い。

 それでも後世の人間は、物語を作りたがる。「腐敗したから滅びた」「外国の圧力によって変革が起こった」「指導者の判断ミスによって戦争になった」と説明すれば、話は理解しやすくなる。しかし理解しやすい説明が、最も正確な説明とは限らない。

 ここで歴史を知ることと考えることが再び分かれる。知識を集めるだけなら、出来上がった説明を覚えることができる。しかし考えるためには、その説明そのものを疑わなければならない。「それだけで十分なのだろうか」「別の条件は作用していなかったのか」「当時の人自身は何を原因だと考えていたのか」と問い直す必要がある。

 歴史を考えるとは、答えを1つに決めることではなく、簡単すぎる答えに満足しなくなることなのかもしれない。

過去そのものは変わらない。しかし歴史像は変わる

 同じ明治維新でも、近代化の成功物語として読む人と、社会構造の大転換として読む人では見えるものが違う。戦後史を経済成長の物語として読むこともできれば、都市への人口集中、家族構造の変化、女性の社会的地位、地域間格差という観点から読むこともできる。視点を変えるだけで、同じ時代から別の景色が浮かび上がってくる。

 過去に起きた出来事そのものが後から変化するわけではない。しかし、新しい史料が発見されたり、既存の史料が再評価されたり、研究者が新しい問いを立てたりすれば、私たちが描く歴史像は変わる。つまり変わるのは単に現在の価値観だけではなく、利用できる証拠と、そこから何を問うかという研究上の視点でもある。

 現在の社会で地方の人口減少が問題になれば、過去の人口移動が気になるようになる。働き方が変化すれば、近代以降の労働制度を読み返したくなる。戦争が起これば、過去の外交危機の中に似た構造を探そうとする。私たちは過去を無色透明な目で眺めているのではなく、現在の問題意識を持ったまま過去へ問いを投げている。

 だから歴史とは、過去を保存しておく巨大な倉庫ではない。現在から過去へ問いを投げ、その返ってくる答えによって、再び現在を見直す営みでもある。

現在の常識で過去を裁ると、歴史は道徳劇になる

 もっとも、現在から過去へ問いかけることには危険もある。現在の価値観や知識だけで過去の人々を裁けば、その人たちが置かれていた条件を見失ってしまうからである。

 現在なら当然と思える考え方が、100年前には当然ではなかった場合もある。当時利用できる情報が限られていたこともあれば、社会制度そのものが現在とは大きく異なっていたこともある。その違いを無視し、「なぜ彼らはこんなことも分からなかったのか」と考え始めれば、歴史は善人と悪人だけが登場する簡単な道徳劇になってしまう。

 歴史を考えるために、現在の倫理観を捨てる必要はない。過去の差別や暴力を「当時は普通だった」という理由だけで正当化する必要もない。ただし、その行為を評価することと、その行為がなぜ可能になったのかを理解することは別の作業である。

 歴史的に理解するとは、現在の自分をその時代へそのまま送り込んで、「自分だったらこうした」と考えることではない。当時の人が持っていた情報、制度、社会的常識、恐怖、利益、選択肢をできるだけ再構成し、その条件の中でなぜその判断がなされたのかを考えることである。

 過去を理解することと、過去を肯定することは同じではない。その2つを区別できることも、歴史を考えるための重要な能力である。

知識がなければ考えられない。しかし知識だけでも考えられない

 では、年号や人物名を覚えることには意味がないのだろうか。もちろん、そんなことはない。事実についての知識がなければ、歴史について自由に考えているつもりでも、それは単なる想像になりかねない。誰がいつ何をしたのか、どの制度が存在していたのか、当時の経済や国際情勢がどうだったのかという基礎がなければ、歴史的な議論は成立しない。

 問題は、知識を終着点にしてしまうことである。

 地図をいくら詳しく眺めても、それ自体が旅になるわけではない。しかし地図がなければ、どこへ向かっているのかも分からない。歴史の知識もそれに似ている。知識は思考の代わりにはならないが、思考が迷子にならないための地図にはなる。

 むしろ面白いのは、歴史を深く知るほど、最初に抱いていた単純な説明が崩れていくことがある点である。

 最初は「幕府が弱体化したから明治維新が起こった」と理解していたものが、知識を増やしていけば、幕府内部にも改革を進めようとする人々がいたことを知り、諸藩の利害が互いに異なっていたことを知り、外国勢力との関係を知り、経済構造の変化や社会の流動化を知るようになる。すると、それまで1本に見えていた因果関係が枝分かれし始める。

 深く知るということは、ときに単純な説明を失うことである。しかし、それは理解が後退したのではない。むしろ現実の複雑さに近づいた証拠なのだろう。

歴史は実験室ではないが、因果関係を調べることはできる

 歴史から教訓を得るためには、「なぜそうなったのか」を考えなければならない。しかし歴史研究には自然科学とは異なる難しさがある。

 徳川幕府をもう1度成立させ、ある条件だけを変えて結果を比較することはできない。第1次世界大戦を再現して、ある国の外交判断だけを変更した場合に戦争が回避されたかどうかを実験することもできない。歴史上の出来事は基本的に1度しか起こらず、研究者が条件を自由に操作することもできない。

 だからといって、歴史的な因果関係について何も検討できないわけではない。

 現代の歴史研究や経済史では、地域ごとの差、制度変更の前後、偶然に生じた境界線や政策差などを比較し、ある条件が結果にどの程度影響したのかを推定する研究が行われている。研究者自身が実験を行うわけではないが、現実の中で生じた条件差を利用する自然実験や統計的な因果推論によって、歴史的な出来事の因果関係へ近づこうとするのである。

 ただし、それでも歴史上の出来事を完全に再現することはできない。この限界があるからこそ、「原因はこれ1つだった」と断定することには慎重さが必要になる。

過去から「教訓」を取り出すことはできるのか

 歴史を学ぶ理由として、「歴史から教訓を得るため」という言葉がよく使われる。たしかに過去には多くの成功と失敗が記録されており、そこから現在に役立つ示唆を得ることはできる。

 しかし、「過去にこうした結果、失敗した。だから現在も同じことをしてはいけない」という推論は、それほど単純ではない。2つの時代で条件が本当に同じなのかを確かめなければならないからである。技術も人口も制度も国際環境も異なるなら、外見の似ている出来事が同じ結果を生むとは限らない。

 歴史から学ぶとは、過去の答えをそのまま現在へコピーすることではない。

 むしろ重要なのは、過去の人々がどの情報を持ち、何を合理的だと考え、どの段階で判断を誤り、どこまでなら別の選択肢が残されていたのかを考えることである。その思考を通して、現在の私たち自身もまた、限られた情報の中で判断している存在なのだと気づく。

 歴史は未来の答えを教えてくれる予言書ではない。しかし、現在を単純化して見る癖から私たちを遠ざけることはできる。

「もし自分がそこにいたら」という問いの危うさ

 古い写真を見ると、不思議な感覚に襲われることがある。100年前の駅前で人々が歩いている。店先に立つ人がいて、こちらを向いている子どもがいる。その1人ひとりに名前があり、家族があり、心配事があり、その日の予定があった。しかし写真を見ている私たちは、その後に戦争が起こったことも、大地震があったことも、町の姿が変わったことも知っている。

 写真の中にいる人々は、それを知らない。

 ここで「もし自分がそこにいたら」と考えてみたくなる。しかし注意しなければならないのは、2026年の知識や価値観をそのまま持った自分を100年前へ送り込むことには、あまり歴史的な意味がないということである。

 本当に考えるべきなのは、「その人がその時代に持てた情報だけを持ち、その時代の制度や社会常識の中で生きていたなら、世界はどのように見えただろうか」という問いである。

 この違いは小さいように見えて、決定的である。

 現在の知識を持った自分なら、過去の人々の失敗を簡単に避けられるように思える。しかし、その知識の多くは、彼らが失敗した結果を私たちが後から知ったことによって得られたものでもある。

 だから歴史上の人々を簡単に笑うことはできない。彼らもまた、未来を知らない現在を生きていたからである。

私たちもまた、未来から見れば歴史の中にいる

 100年後の誰かから見れば、私たちも古い写真の中の人間になる。

 2026年に何を重要だと思い、何を恐れ、どの問題について議論し、どの問題をほとんど気にしていなかったのかを、未来の人々は「歴史」として読むだろう。そして彼らは、私たちがまだ知らない結末を知った上で、「なぜ当時の人は気づかなかったのだろう」と考えるかもしれない。

 その未来の視線を想像すると、歴史を見る目も少し変わる。

 歴史を知るとは、過去についての情報を持つことである。しかし歴史を考えるとは、その情報の向こう側に、未来を知らずに生きていた人間を見ることであり、同時に、自分自身もまた未来を知らない1人の人間として歴史の途中に立っていることに気づくことである。

 年号を覚えるだけなら、過去は遠い。しかし、過去の人々が私たちと同じように迷い、誤り、ときには十分に合理的だと思われた判断によって予想もしなかった未来を作ったのだと理解したとき、歴史は突然こちら側へ近づいてくる。

 そのとき歴史は、すでに終わった出来事の一覧ではなくなる。

 それは、過去の人間を裁くための帳簿ではなく、未来を知らない現在を生きる私たちが、自分たちは何を見落としているのかを考えるための巨大な鏡になるのである。

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 私たちは小説を読むとき、表紙に記された作家の名前を見て、その人がこの作品を作ったのだと自然に考える。夏目漱石の小説は夏目漱石が、ヘミングウェイの小説はヘミングウェイが書いたのであり、それ自体は間違っていない。物語を発想し、人物を生み出し、言葉を選び、何百枚もの原稿を書いた中心人物は作家であり、著作権や文学史の上でも作品の作者は基本的に明確である。

 しかし、本が実際に出来上がるまでの過程を少し覗いてみると、「作家が書いたものが、そのまま本になる」という素朴なイメージは崩れ始める。原稿は編集者に読まれ、長すぎる部分を削るよう勧められ、説明不足を指摘され、章の順序を変えるよう提案され、ときには題名や結末にまで意見が及ぶ。作家がその提案を拒むこともあれば、受け入れることもあり、さらに互いの意見をぶつけながら第三の形へ原稿が変わっていくこともある。

 そう考えると、一冊の本とは、一人の人間が頭の中に思い描いた完成形をそのまま紙に移したものとは限らない。むしろ、最初に書かれた文章が他人の視線を通過し、書き直され、削られ、選び直された末に読者の前へ現れたものだと考えた方が、実際の出版という営みに近い。

 では、名作を作ったのは本当に作家一人なのだろうか。ここで姿を現すのが、完成した本からはほとんど痕跡を消してしまう編集者という存在である。

原稿を書いた人と、作品を完成へ近づけた人

 編集者は、通常は作家に代わって物語を書く人ではない。何も書かれていない白紙に登場人物を生み出し、物語を始めるのは作家である。しかし文学作品の印象は、素材だけで決まるものでもない。同じ出来事が書かれていても、どこまで説明するか、どこで文章を切るか、どの場面を先に置くかによって読者が受け取るものは変わる。

 映画を考えてみれば分かりやすい。撮影された映像が同じでも、どの場面を残し、何秒で切り替え、どの順序につなぐかによって作品の速度も緊張も変わる。文学における編集も、それに似た働きをすることがある。文章を一から生み出すのではなく、すでに存在する文章の中から何を残し、何を取り除き、どこを際立たせるかによって作品の姿を変えるのである。

 しかも作家には、自分の原稿だからこそ見えにくいものがある。作者の頭の中には人物の過去や情景や感情が存在するため、原稿に十分書かれていなくても無意識に補って読むことができる。逆に、思い入れが強すぎるため、読者には必要のない説明を残してしまうこともある。

 そこで編集者は、作者ではない目で原稿を読む。まだ世に出ていない作品を読む最初の職業的な読者の一人として、「ここでは読者が迷うのではないか」「この説明はなくても伝わるのではないか」「この場面はもっと後に置いた方が効くのではないか」と問いかける。編集とは、正しい文章に直す仕事というより、作品とまだ存在していない読者との間に橋を架ける仕事なのかもしれない。

『荒地』には、エズラ・パウンドの鉛筆の跡がある

 20世紀を代表する詩の一つであるT・S・エリオットの『荒地』は、作品が一人だけで現在の姿に到達するとは限らないことを示す有名な例である。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、エズラ・パウンドを現代の出版社にいる担当編集者と同じ意味で「編集者」と呼ぶのは正確ではないということである。パウンドは詩人であり、エリオットの友人であり、作品に対する強力な助言者、あるいは編集協力者として『荒地』の形成に関与した人物だった。

 残されている草稿を見ると、その関与が単なる感想の域を越えていたことが分かる。パウンドは長い箇所を削り、表現や構成に手を入れ、作品を現在知られている姿へ近づける重要な役割を果たした。エリオット自身も、その貢献を高く評価していた。

 もちろん、このことによって『荒地』がエリオットとパウンドの共同著作になるわけではない。詩の世界を構想し、その言葉を生み出した中心人物はあくまでエリオットである。しかし、もしパウンドによる助言と編集がなかったなら、現在私たちが読む『荒地』とはかなり異なる形で世に出ていた可能性がある。

 この「可能性」という言葉は重要である。歴史に存在しなかった作品を実験的に比較することはできないため、パウンドがいなければ『荒地』がどうなったかを証明することはできない。それでも草稿と完成稿を比較すれば、完成した作品の形にパウンドの判断が深く関わっていたことだけは確認できる。

 表紙にはエリオットの名前がある。しかし、その作品の内部には、名前のない別の判断が残っているのである。

カーヴァーの「余白」は誰が作ったのか

 作家と編集者の関係を考えるうえで、さらに刺激的なのがアメリカの短編作家レイモンド・カーヴァーと編集者ゴードン・リッシュの関係である。

 カーヴァーは、説明を極端に抑えた簡潔な文章と、日常生活の中に突然現れる不穏な空白によって知られるようになった。ところが後に原稿や書簡が詳しく検討されるようになると、初期作品の切り詰められた印象にはリッシュによる非常に大きな編集が加わっていたことが明らかになった。

 特に短編集『愛について語るときに我々の語ること』では、リッシュは単に誤字を直したわけではない。文章を削り、題名を変え、心理描写を減らし、場面の構成や結末にまで大きく手を入れている。研究によれば、二度にわたる編集を経て、作品集全体では原稿の語数のおよそ55%が削られたとされる。

 半分以上である。

 もっとも、そこから「カーヴァーの文体はリッシュが作った」と結論づけるのは行き過ぎだろう。カーヴァー自身にも簡潔な表現を好む傾向があり、リッシュと出会う以前からその萌芽は存在していた。したがって、より慎重に言えば、リッシュの編集はカーヴァーの初期作品に見られる簡潔で切り詰められた印象を大きく強化した、と考えるのが妥当である。

 それでも問題は残る。私たちが長い間「これこそカーヴァーだ」と感じてきた文章の一部が、編集者による削除の結果でもあったとすれば、作家の文体とは一体どこまでを指すのだろうか。

 さらに興味深いことに、カーヴァーとリッシュの関係は「作家が編集者に作品を壊された」という単純な物語でもない。カーヴァーはリッシュの編集能力を高く評価し、その洞察に感謝していた時期がある一方、編集があまりにも大きくなったことに強い不安を感じ、出版を止めてほしいと訴えた書簡も残している。

 つまり、同じ作家が編集者の才能に感謝しながら、その力を恐れていたのである。

 ここに文学編集の最も難しい境界が現れる。編集者が文章を削れば、作品は鋭くなるかもしれない。しかし削りすぎれば、作者が書こうとしたものまで消えてしまう。説明を減らせば余韻が生まれることがあるが、その余韻が作者自身の美学なのか、編集者によって作られた美学なのかは簡単には切り分けられない。

編集とは、作品を良くすることなのか

 編集について語るとき、私たちはつい「悪い原稿を編集者が良くする」という単純な図を想像してしまう。しかし現実はそれほど分かりやすくない。

 そもそも文学作品の「良さ」を客観的な一つの尺度で測ることは難しい。短くすれば必ず良くなるわけでもなく、分かりやすくすれば文学的価値が高まるわけでもない。ある読者にとって冗長に見える説明が、別の読者には人物の厚みとして感じられるかもしれず、編集前と編集後のどちらを優れていると判断するかは、文学観によって変わりうる。

 だから編集者の仕事は、正解を知っている人が間違いを直す作業ではない。それよりも、作品が何を目指しているのかを読み取り、その方向を邪魔しているものを見つける仕事と考えた方が近い。

 ここで編集者に必要になるのは、自分ならどう書くかという能力だけではない。むしろ、自分ならこう書くという誘惑を抑えながら、この作家ならどう書くべきなのかを考える能力である。

 作家の文章を編集者自身の好みに染めてしまえば、編集者の存在は強くなるかもしれないが、作家の声は弱くなる。反対に、作家自身にも見えていなかった作品の可能性を発見し、それを邪魔するものだけを取り除くことができれば、編集者は自分の姿を消しながら作品を強くすることができる。

 この違いは小さいようで決定的である。

マクスウェル・パーキンズが残したもの

 アメリカ出版史で名編集者として知られるマクスウェル・パーキンズは、この問題を考えるうえで象徴的な人物である。彼はF・スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、トマス・ウルフなど、20世紀アメリカ文学を代表する作家たちに関わった。

 パーキンズについて語られる逸話には後世の英雄化が混じっている可能性もあるため、編集者一人が作家を「作った」と考えるべきではない。しかし作家との往復書簡や草稿が残っていることから、作品の構成や出版の方向について継続的に意見を交わしていたことは確認できる。

 その姿から見えてくるのは、名編集者とは必ずしも文章を大量に書き換える人物ではないということである。作家ごとに異なる才能を見つけ、その作品がどこへ向かおうとしているのかを読み取り、必要なときには削ることを勧め、別のときには書き続けるよう励ます。

 もし編集という仕事に理想形があるとすれば、それは自分の文章を作品に残すことではなく、作家自身の文章が以前よりはっきり見える状態を作ることなのかもしれない。

編集者が成功すると、編集者は消える

 完成した本には、制作途中で交わされた膨大なやり取りのほとんどが残らない。原稿の余白に書かれた疑問、削除された数十ページ、何度も変更された題名、章の順序をめぐる議論、作家が怒って拒絶した助言、翌日になって受け入れた修正案などは、多くの場合、読者の目には触れない。

 最後に残るのは、整然と印刷された一冊の本である。

 そのため私たちは、完成した作品を見ると、最初からこの形で存在したように感じてしまう。しかし草稿や書簡を読めば、文学作品がそれほど整然と生まれてくるわけではないことが分かる。そこには迷いがあり、書きすぎた文章があり、説明不足の場面があり、作者自身にも作品の向かう先が見えていない時間がある。

 編集者は、その不安定な段階に立ち会う。

 作家ほど作品の内側にはおらず、一般の読者ほど遠くにもいない。その中間に立っているからこそ、「ここで読者は止まるだろう」「この説明はなくても分かる」「この場面を残せば作品の中心がぼやける」といった判断ができる。

 そして皮肉なことに、その判断が成功するほど、完成した本から編集者の存在は見えなくなる。

 削られた文章を読者は読むことができない。しかし削られたことで生まれた速度は感じることができる。変更前の章立てを見ることはなくても、変更された構成が生んだ緊張は味わうことができる。編集者の文章そのものは印刷されていなくても、その判断が作った沈黙を、読者は作品として読んでいるのである。

編集者は共同作者なのか

 ここまで考えると、編集者を「共同作者」と呼びたくなる。しかし、この言葉にも注意が必要である。

 どれほど優秀な編集者でも、何も書かれていない白紙を編集することはできない。人物を生み、世界を構想し、文章を書き、失敗を重ねながら作品を前へ進める中心的な創作行為は作家が担っている。したがって、編集者の影響力が大きいという理由だけで、作家と編集者を完全に同等の作者とみなすのは適切ではない。

 しかし逆に、完成した作品を作者一人の完全に孤立した創造物と考えることも、出版の実態とは一致しない。

 現代の本文研究や書誌学には、文学作品を作者だけではなく、編集者、出版社、印刷者、装丁家など複数の人間と制度を通して成立する「社会的なテクスト」として捉える考え方がある。これは、作者の重要性を否定する理論ではない。むしろ、一つの作品が社会へ出て読者に届くまでには、作者以外の判断も重なっていることを明らかにする考え方である。

 その意味で「共同制作者」という言葉は、編集者を第二の作者に格上げするためのものではない。それは、私たちが完成した本だけを見て忘れてしまいがちな、創作の途中に存在した他者の知性を思い出すための言葉なのである。

名作は、一人の天才が作るという物語

 文学史は作家の名前で整理される。漱石、鴎外、太宰、川端、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドという具合に、人の名前によって時代や作品を覚える。その方法は便利であり、間違っているわけでもない。

 しかし、その整理の仕方には一つの副作用がある。文学作品が一人の人間から完全な形で生まれたように感じさせることである。

 私たちは天才の物語を好む。孤独な作家が部屋にこもり、苦悩し、ある瞬間に何かをつかみ、名作を書き上げる。その物語は美しく、理解しやすい。しかし実際の創作はもっと雑然としている。原稿を誰かに読ませ、批判され、反論し、書き直し、ときには助言を捨て、ときには自分では思いつかなかった方向へ進んでいく。

 文学は孤独な営みであると同時に、他人の目によって変化する営みでもある。

 もちろん、編集によって作品が必ず良くなると科学的に証明できるわけではない。文章の長さや構成、情報量の違いが読者の理解や印象に影響することは実証的に研究できるとしても、どちらの版が文学的に優れているのかを実験だけで決めることはできない。カーヴァーの編集前と編集後の作品について、どちらを好むかが読者によって異なるのは当然である。

 だからこそ、編集者について考えることは面白い。

 編集とは作品を「正解」にする仕事ではない。まだ完成していない作品に対し、別の人間が一つの可能性を示す仕事である。その可能性を受け入れるかどうかを最後に決めるのは本来作家であり、そこに作家と編集者の緊張関係が生まれる。

 名作を作ったのは誰なのかと尋ねられれば、最も正確な第一の答えは、やはり作家である。

 しかし、そこで話を終えてしまえば、文学が本になるまでの重要な部分が見えなくなる。名作とは、一人の人間が書いた作品であると同時に、その文章を誰かが読み、疑い、問い返し、削ることを提案し、ときには削りすぎ、またあるときには作者自身にも見えていなかった作品の姿を発見した結果でもある。

 私たちが一冊の本を開いたとき、目に見えるのは作家の言葉である。しかし、その言葉と言葉の間には、ときどき別の人間の判断が潜んでいる。

 その人の名前は表紙にはない。

 けれども、消された文章が作った余白の中に、編集者は確かにいる。

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