リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

表紙だけで本を買う「ジャケ買い」は浅い読書なのか

 書店を歩いていると、ときどき妙なことが起こる。買う予定などなかった一冊が、こちらを見ているように感じるのである。作者の名前に覚えはなく、書評を読んだ記憶もなく、話題になっている本でもない。それなのに棚の前を通り過ぎようとした足が止まり、気がつけばその本を手に取っている。なぜ気になったのかと尋ねられても、うまく説明できない。ただ表紙が気になった。それだけである。

 こうして本を買うことを俗に「ジャケ買い」という。もともとはレコードやCDのジャケットだけを見て購入する行為から広がった言葉だが、本についてもすっかり定着した。ただし読書の世界では、この買い方にはどこか後ろめたい響きがつきまとう。「内容も知らずに買うのは浅い」「本は中身で選ぶものだ」「デザインに釣られているだけではないか」と言われれば、たしかにもっともらしく聞こえる。

 しかし、その批判には一つ奇妙な前提が隠れている。それは、本の「中身」と「外見」は完全に別のものであり、優れた読者ほど外見を無視して中身だけを判断するはずだ、という考え方である。ところが実際の読書という行為を少し丁寧に眺めてみると、私たちは本文だけを読んでいるわけではないことが分かってくる。

本は、一行目より前から始まっている

 一冊の本を手に取った読者はいきなり本文の第一行へ到達するわけではない。最初に目に入るのは表紙であり、そこに題名があり、作者名があり、書体があり、色があり、場合によっては帯や推薦文がある。それらを眺めたあとでようやくページを開き、本文へ入っていく。

 フランスの文学理論家ジェラール・ジュネットは、題名、序文、著者名、表紙など、本文そのものではないように見えながら作品を読者へ提示する周辺的な要素を「パラテクスト」として論じた。パラテクストとは単なる飾りではなく、読者が作品へ入っていく入口でもある。この考え方に立てば、表紙は本を保護する包装紙ではなく、本文を読む以前に「これはどのような本なのだろう」と読者に予想させる装置でもあることになる。

 しかも、こうした考え方は文学理論だけにとどまらない。物語を読む前に、それが事実として書かれた文章なのか、それともフィクションとして書かれた文章なのかという情報を与えると、同じような文章を読んでいても認知処理の仕方が変化することを示した研究がある。つまり、人間は文章だけを真空状態で読んでいるのではなく、「これはどのような文章なのか」という事前情報を持った状態で本文へ入り、その枠組みを使いながら理解している。

 そう考えると、「本は一行目から始まる」という言い方さえ、少し正確ではないのかもしれない。本は読者が表紙を見た瞬間から、すでに始まりかけている。

表紙は中身を教えているのか

 もちろん、表紙だけを見て小説の内容を正確に知ることはできない。しかし、それは表紙にまったく情報がないことを意味しない。

 文学研究者のピーター・ディクソン、マリサ・ボルトルッシ、ブレイン・マリンズらは、サイエンス・フィクションやミステリーの表紙を使い、読者がそこからジャンルをどのように読み取るかを調べている。その研究では、ジャンルに慣れた読者ほど表紙から一定の特徴を読み取り、どの種類の本なのかをある程度判断できることが示された。つまり表紙には、出版社やデザイナーが意図するか否かにかかわらず、読者にジャンルや雰囲気を伝える情報が含まれている。

 たとえば、暗い色調の中に一つだけ人物の影が描かれていれば、読者はサスペンスや犯罪小説を連想するかもしれない。余白の多い白い表紙に小さな題名だけが置かれていれば、静かな文学作品を想像するかもしれないし、鮮やかなイラストと大きな文字が並べられていれば、軽快な物語を予想するかもしれない。それらの推測が正しいとは限らないが、人は何も感じずに表紙を見るわけではない。

 ここで重要なのは、「表紙には内容についての手がかりがある」ということと、「表紙を見れば作品の文学的価値まで分かる」ということを区別することである。前者には一定の実証的な裏付けがあるが、後者まで証明されているわけではない。美しい表紙だから優れた小説であるとも、地味な表紙だから退屈な本であるとも言えない。表紙が教えてくれるのは、作品そのものの価値というより、作品へ入る前に形成される予想なのである。

「中身で選ぶ人」は、本当に中身だけを見ているのか

 それでも、「私は表紙では本を選ばない」と言う人はいるだろう。書評を読み、あらすじを確認し、文学賞を調べ、作者の経歴を見たうえで本を選ぶ方が、ずっと慎重で知的な行為に思える。

 だが、ここには少し厄介な問題がある。まだ読んでいない本の中身を、購入する前に完全に知ることはできないからである。もし本文を最後まで読んでしまえば、その時点ではもう「買う前の判断」ではない。したがって本を選ぶという行為そのものが、必ず何らかの外部情報から未知の内容を推測する作業になる。

 ある人は表紙を使い、ある人は作者名を使い、ある人は書評を使う。芥川賞を受賞したから読む人もいれば、好きな評論家が推薦したから読む人もいるし、新聞の書評欄で高く評価されていたから手を伸ばす人もいる。しかし文学賞、批評、推薦文もまた、本文そのものではない。

 しかも実験研究では、文学作品を読む前後に与えられた批評情報によって、その作品に対する評価が変化することも示されている。つまり読者は本文だけを完全に独立して評価しているわけではなく、誰がどのように評価した作品なのかという情報からも影響を受ける。

 そうなると、表紙の色に惹かれて本を買う人だけを「外見に左右されている」と批判するのは少し不公平である。文学賞に左右される人も、評論家に左右される人も、ベストセラーランキングを参考にする人もいる。違うのは、判断に利用している手がかりの種類なのである。

美しい表紙は、文章まで美しく見せるのか

 もっとも、表紙には明らかに販売戦略という側面がある。本は文学作品であると同時に商品でもあり、出版社は読者に手に取ってもらうために装丁を考える。色、写真、イラスト、書体、紙の質感、題名の位置までが、本を売るための設計の一部になり得る。

 心理学には、対象の目立った特徴に対する評価が別の特徴の判断にまで影響する「ハロー効果」と呼ばれる現象が知られている。人間や商品について、美しい、信頼できそうだ、洗練されているといった第一印象が、その対象についての別の評価へ波及することがある。

 ここから考えれば、美しい装丁を見た読者が、文章にもどこか洗練された印象を抱く可能性はある。ただし、この部分は慎重に考えなければならない。一般的なハロー効果の研究があるからといって、「美しい本の表紙を見せれば、その小説の文章評価が必ず上がる」とまで直接証明されたことにはならない。外見と中身の情報が食い違った場合には、単純な好印象の波及とは異なる判断が生じることもある。

 したがって問題は、「表紙に影響される読者は愚かだ」ということではない。人間の認知そのものが、第一印象や周辺情報からある程度の影響を受ける。その事実を知ったうえで、自分がいま何を根拠に作品を評価しているのかを考え直せるかどうかの方が重要なのである。

 美しい表紙に惹かれ、「なぜ自分はこの本を文学的だと感じたのだろう」と振り返る読者と、有名作家の新刊だから優れているに違いないと考える読者のどちらが深く読んでいるかは、表紙を見たかどうかだけでは決められない。

ジャケ買いに残されている「偶然」

 ジャケ買いにはもう一つ、現代の読書環境だからこそ興味深く見える側面がある。それは、本との出会いに偶然を残していることである。

 現在、本を選ぶ方法は驚くほど合理化されている。インターネットで題名を検索すれば感想が並び、購入履歴をもとに次の本が薦められ、SNS(Social Networking Service・交流型ソーシャルメディア)を開けば「今年読んでよかった本」や「絶対に読むべき十冊」が次々と流れてくる。失敗を避けたい読者にとって、これほど便利な時代はない。

 しかし推薦という仕組みには、別の問題もある。過去の好みとの類似性ばかりを強く重視すれば、ミステリーを読む人にはミステリーが、歴史書を読む人には歴史書が薦められ続けることになり、推薦が過度に専門化する可能性がある。そのため推薦システムの研究では、単に利用者の好みに合うかどうかだけではなく、新しさ、多様性、そして「予想していなかったが価値のある発見」を意味するセレンディピティも重要な評価対象になっている。

 もっとも、推薦アルゴリズムそのものが必ず偶然を奪うわけではない。現在では意外性や多様性を意図的に取り入れる推薦も研究されているため、「アルゴリズムがあるほど読書の世界は狭くなる」と単純に言い切ることはできない。

 それでも書店を歩いていて、普段なら検索すらしなかった一冊の表紙に突然引っかかるという経験には、推薦とは違う種類の偶然がある。これまで詩集を買ったことのない人が、奇妙な表紙だけを理由に詩集を買うこともあれば、名前さえ知らなかった海外作家の小説を持ち帰ることもある。その選択は合理的とは言いにくいかもしれないが、本を読む価値の一つが「自分では選ばなかった世界に連れていかれること」にあるなら、この非合理性は必ずしも欠点とは言えない。

 よく調べなかったからこそ出会える本がある。これは、情報不足というジャケ買いの弱点が、そのまま偶然性という長所へ反転する瞬間でもある。

期待は読書を邪魔するのか

 表紙だけでなく、書評や帯や口コミも読者に期待を与える。「感動する小説」「最後に驚く結末が待っている」「人生観が変わる一冊」と先に知らされれば、読者はその情報を持った状態で本文を読むことになる。

 認知心理学的に考えれば、これは不思議なことではない。人間は先に持った知識や期待を利用しながら、新しい情報を理解するからである。物語について事前に与えられた情報が読み方や評価に影響する研究もあり、読書とは文章をただ受動的に受け取る作業ではなく、予想し、修正し、意味を組み立てながら進んでいく行為だと考える方が自然である。

 ただし、期待を与えられれば必ず作品がつまらなくなるわけでもない。物語の結末を事前に知らされた場合でも、条件によっては楽しさが失われず、むしろ評価が高くなることを示した実験さえある。つまり事前情報は読書を単純に「悪くする」のではなく、注意の向け方や物語の理解の仕方そのものを変える可能性があると考える方が適切である。

 その意味では、表紙という事前情報には少し独特なところがある。書評のように「ここが素晴らしい」と具体的な答えを示すのではなく、色や形や雰囲気によって漠然とした予感を与えるからである。表紙を見た読者は何かを期待するが、その期待にはまだ多くの余白が残っている。

表紙と中身が違ったとき、読書は失敗なのか

 もちろん、ジャケ買いには失敗がある。表紙は素晴らしかったのに、読み始めるとまったく好みに合わないこともあれば、静かな文学作品だと思って買ったら想像とはまるで違う物語だったということもある。

 しかし、その失望さえ少し面白い。なぜ自分はこの表紙からこんな物語を想像したのか、出版社はなぜこの作品にこの装丁を選んだのか、表紙が予感させた世界と本文が作る世界はなぜずれたのか。そこまで考え始めれば、失敗だったはずのジャケ買いが、読者の期待と作品との関係を考える材料へ変わる。

 そもそも読書とは、予想が何度も修正される行為でもある。最初は嫌な人物だと思った主人公に途中から共感することがあり、軽い物語だと思った小説が思いがけず重い問題へ踏み込むこともある。第一印象が間違っていたという経験そのものが、作品を読む面白さになることさえある。

 だから表紙から受けた印象と本文が一致しないことを、ただ「装丁にだまされた」と片づける必要はない。そのずれに気づくこと自体が、すでに読書なのである。

「浅い入口」から深く入ることはできる

 ここまで考えてくると、そもそも「ジャケ買いは浅い読書なのか」という問いの中に、少し不自然な飛躍があることが分かる。

 本を購入するときに持っている情報の量と、その本を読んだあとにどこまで深く考えるかは、本来別の問題だからである。

 表紙だけを見て買った人が作品を何度も読み返し、作者のほかの作品へ進み、その時代背景まで調べることはあり得る。一方で、書評を読み、文学賞を確認し、作品研究まで調べて慎重に選んだ本を、数ページ読んだところで本棚へ戻すこともある。

 つまり、「購入時の情報が少ない」という事実だけから、「読後の理解も浅い」と結論することはできない。

 むしろ私たちは、読書という行為に知らないうちに妙な道徳を持ち込んでいるのかもしれない。名作を読む方が知的であり、難しい本を読む方が立派であり、流行している本より古典を選ぶ方が深く、表紙ではなく書評を読んで選ぶ方が正しい。そのような価値観が強くなればなるほど、本を読むことは楽しみではなく、自分がどれほど文化的な人間であるかを証明する行為へ近づいてしまう。

 だが、本との出会いの理由など、もっと雑然としていてよいのではないだろうか。題名がおかしかったから、友人が読んでいたから、装丁が美しかったから、書店の隅に一冊だけ残っていたから、好きな人が読んでいたから、あるいは何となく気になったから。そんな偶然の入口から、一生忘れられない一冊に出会うこともある。

浅いのは「ジャケ買い」ではなく、そこで判断を止めること

 では、表紙だけで本を買うジャケ買いは浅い読書なのだろうか。

 買う瞬間だけを見れば、たしかに持っている情報は少ない。表紙しか見ていないのだから当然である。しかし、それは「情報が少ない」ということであって、「読書が浅い」ということとは同じではない。

 本当に浅いと呼ぶべきなのは、むしろ最初の印象を最後まで修正しない態度なのかもしれない。おしゃれな表紙だから文学的に優れていると決めつけ、難しそうな装丁だから自分には理解できないと避け、かわいらしいイラストだから軽い作品に違いないと片づける。そこで判断を止めてしまえば、たしかに表紙しか見ていない。

 反対に、表紙に惹かれて本を買い、読み進めながら「思っていた本とは違う」と気づき、その違いによって最初の印象を書き換えていくなら、ジャケ買いは立派な読書の入口になる。

 考えてみれば、人との出会いにも少し似ている。最初は顔や服装や声に惹かれることがあるが、付き合いが始まれば、その人の考え方や弱さや意外な一面を知り、第一印象は何度も修正されていく。入口が外見だったからといって、その関係全体まで浅いとは限らない。

 本も同じなのだろう。

 書店の棚の前で、知らない一冊が妙に気になることがある。その理由をうまく説明できなくてもよい。表紙が美しいからでも、色が好きだからでも、題名との組み合わせが不思議だからでもいい。その本を手に取った瞬間、私たちはまだ作品についてほとんど何も知らない。

 けれども、読書とはもともと「まだ知らないもの」に手を伸ばす行為である。表紙という薄い一枚の向こう側に何があるのか分からないからこそページを開き、予想し、裏切られ、考え直しながら先へ進む。そう考えるなら、ジャケ買いとは読書から最も遠い行為なのではなく、知っている情報の少なさを承知のうえで未知の世界へ入っていくという意味で、むしろ読書という行為の原型に意外なほど近いのかもしれない。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ

 難しい本を読み始めると、ときどき読書とは別の何かが始まる。最初の十数ページではまだ余裕があり、分からない言葉が出てきても「そのうち分かるだろう」と先へ進めるのだが、三十ページ、五十ページと進むにつれて知らない概念が増え、同じ段落を二度、三度と読み返しても意味がつかめず、気がつけば目だけが文字の上を移動している。それでも本を閉じることには、なぜか敗北に似た後ろめたさがつきまとう。せっかく買ったのだから、ここまで読んだのだから、名著と呼ばれているのだから、最後まで読まなければならないという声が、本の中からではなく、自分の中から聞こえてくるのである。

 しかし考えてみると、これは少し奇妙である。本を読む目的が理解することにあるのなら、理解できないまま最後の一ページへ到達することに、どれほどの意味があるのだろう。反対に、一冊の三分の一しか読んでいなかったとしても、その中の一節が何年も頭に残り、その後の考え方や物の見方に影響を与えたなら、それを「読書として失敗した」と言い切ることはできない。私たちはいつの間にか、「本を読む」という行為と「本を読み終える」という行為を、ほとんど同じものとして扱うようになっている。

 読書には、ほかの娯楽や学習にはあまり見られない、奇妙な完走主義がある。映画なら途中で退屈になれば見るのをやめることがあり、料理なら口に合わなければ残すこともあるのに、本だけは途中で閉じると「読めなかった」という言葉を使うことが多い。この言い方には、作品との相性やタイミングではなく、読者の能力に問題があったかのような響きがある。

 しかも、その感覚は本が難しくなるほど強くなる。娯楽小説を途中でやめても、それほど自尊心は傷つかないが、哲学書、思想書、古典文学のように「教養のある人が読む本」という雰囲気をまとった本になると話が変わり、「自分にはまだ早かったのではないか」「本当に頭のよい人なら理解できるのではないか」という不安が入り込む。その瞬間、読書は本との対話ではなく、自分自身の知性を測る試験へと姿を変え、理解することよりも最後まで到達することが目的になり始める。

「最後まで読んだ」という事実の誘惑

 難しい本を読み終えたときには、確かに独特の満足感がある。内容のすべてを理解できていなくても、何百ページもの本を閉じた瞬間には、「とうとう読んだ」という達成感が残る。その感覚そのものを否定する必要はなく、険しい道を歩き切った経験が人に自信を与えるように、一冊を最後まで読み通した経験も、次の読書に向かう力になることがある。

 しかし問題は、その達成感が理解の代用品になったときである。たとえば五百ページの思想書を三週間かけて読み終えたとしても、「結局この本は何を問題にしていたのか」と尋ねられた途端、うまく説明できないことがある。途中では何度も分かったような気になっていたのに、最後まで来たころには冒頭の議論をほとんど忘れており、それでも「読了した」という事実だけは確かな記憶として残っている。

 認知心理学の研究が繰り返し示してきたのは、教材を読んだことと、それを理解し、後から取り出せることとは同じではないということである。文章を何度も眺めるだけではなく、何が書かれていたのかを自分の言葉で思い出したり、説明したり、問い直したりする過程を伴ったほうが、長期的な記憶や理解につながりやすいことが知られている。つまり、ページを進めた距離は簡単に測れても、理解の深さまではページ数から分からない。

 ここには、本という物体の持つ少し厄介な性質が関係しているのかもしれない。本には最初のページと最後のページがあり、残りの厚さを見れば自分がどこまで進んだかが一目で分かる。百ページ読めば、確実に百ページ進んだことになるため、本来は理解の変化によって測るべき読書が、ページ数という目に見える数字へ置き換えられやすい。

 人間は、測れるものを目標にしやすい。一冊読んだ、十冊読んだ、年間百冊読んだという数字は分かりやすいが、「ある一冊について三年間考え続けた」という読書経験は数字にしにくい。それでも文学や思想との関係では、後者のほうがはるかに深い場合がある。百冊を通過した人よりも、一冊につまずき、その問いをいつまでも手放せなかった人のほうが、その本から多くを受け取っていることさえあるのである。

「難しい」という一言の中には、いくつもの理由がある

 ただし、「理解できない本は途中でやめればいい」と単純に結論づけてしまうのも危険である。難しさには少なくともいくつかの顔があり、文章が自分に合わないために難しい場合もあれば、語彙や背景知識が足りないために難しい場合もあり、さらに、それまで使ったことのない考え方を要求されるために難しいこともある。

 読解研究では、文章を理解するとき、読者がすでに持っている知識が大きな役割を果たすことが知られている。同じ文章でも、その分野について前提知識のある人とない人では、そこから読み取れるものが大きく変わる。本の難しさは文章だけの性質ではなく、本と読者との間に生まれる関係でもある。

 だから、十年前には退屈にしか感じられなかった本を読み返したとき、「こんなに面白い本だったのか」と驚くことがある。本そのものは一文字も変わっていないのに、読者が経験を重ね、別の本を読み、人生の中でいくつかの失敗や喪失を経験した結果、以前には見えなかった文章が突然こちらを向いてくる。

 これは読書の不思議なところである。本は同じ場所に置かれているのに、読む側が変われば、本の姿まで変わって見える。

 したがって、分からないという感覚は必ずしも読書の失敗を意味しない。むしろ自分がまだ持っていない知識や、慣れていない思考の型に触れたとき、人は「分からない」と感じることがある。難しい本を読む経験には、ときに知識を増やすだけではなく、知識を整理する枠組みそのものを見直させる働きがある。

 普段とは違う地図を渡され、最初は現在地さえ分からなかったのに、しばらく歩いているうちに、離れて見えていた道と道が突然つながることがある。それに似た瞬間が読書にもあり、だからこそ「分からない」という理由だけであまり早く本を閉じてしまえば、その先にあった理解の変化に出会えないこともある。

分かった「気がする」という罠

 難しい本を読むとき、もう一つ気をつけたいのは、「理解したこと」と「理解した気になったこと」は必ずしも同じではないという問題である。

 同じ文章を繰り返し読むと、文字列そのものには次第に親しみが生まれる。二度目には見覚えがあり、三度目には文章の展開も予想できるようになるため、人はそれを「理解が深まった」と感じることがある。しかし、いざ本を閉じて「何が書いてあったのか」を説明しようとすると、思ったほど言葉が出てこないことがある。

 読解や学習についての研究では、人間は自分自身の理解度を必ずしも正確に判断できないことが知られている。再読が役に立つ場面はもちろんあるが、ただ同じ文章を何度も目で追うことと、理解を深めることは同じではない。むしろ読み返しながら、「なぜ著者はここでこの言葉を使ったのか」「前の章との関係は何か」「この主張を自分の言葉で説明できるか」と考えるほうが、読書はずっと能動的になる。

 だから、同じページを何度読んでもよい。ただし、それは同じ道をただ往復するという意味ではなく、一度目とは違う問いを持って戻ってくるという意味である。

途中でやめることは敗北なのか

 それでも、すべての難しい本を最後まで読む必要はない。

 ここで区別したいのは、「読めなかった」と「いまは読まないと判断した」という二つの状態である。前提知識が足りないと感じていったん閉じる場合もあれば、何十ページか読んだ結果、今の自分がこの本から得たいものは十分得たと判断することもあるし、世間で名著とされていても自分にはそれほど重要ではないと分かることもある。

 それらをすべて敗北と呼ぶ必要はない。

 むしろ本を途中で閉じるという行為には、ときにかなり高度な判断が含まれている。何を読むかだけではなく、何を読まないかを決めなければ、一人の人間に与えられた読書時間はすぐに尽きてしまう。人生の時間には限りがあり、世界には一生を費やしても読み切れないほど多くの本がある以上、「読み始めた本は必ず最後まで」という規則を守ることは、必ずしも合理的ではない。

 それなのに、一度読み始めた本には最後まで付き合わなければならないと思い込むと、奇妙なことが起こる。本を買って最初の十ページを読んだ過去の自分が、まだ読んでもいない残り四百九十ページに使う未来の時間まで決定してしまうのである。

 途中で本を閉じることは、その本を否定することでもない。数年後にもう一度開けば、以前とは違う本に見えるかもしれないし、別の本を読んでから戻れば、それまで理解できなかった一節が急に意味を持ち始めることもある。未読のページを残したまま本棚へ戻すことは、本との関係を終わらせることではなく、「この本を読む時期はまだ来ていない」と判断することでもある。

それでも、最後まで読まなければ見えない本がある

 一方で、途中でやめる自由ばかりを強調すれば、読書のもう一つの大切な側面を見失う。

 本によっては、最後まで読まなければ姿を現さないものがある。

 小説では、冒頭では何気なく見えた場面が、終盤になって突然別の意味を帯びることがある。思想書でも、最初に提示された問いが何百ページもの議論の中で少しずつ形を変え、最後に至って初めて、著者が何を問題にしていたのかが見えることがある。文章の一部分を理解することと、一冊の構造を理解することは同じではない。

 本は単なる情報の容器ではない。

 もし本の価値が情報だけにあるなら、要約を読めば十分だということになる。しかし一冊の本には、著者がどの順序で問いを立て、どこで立ち止まり、何を繰り返し、どの地点まで読者を連れていくのかという時間の構造がある。途中を飛ばせば結論だけを知ることはできても、その結論にたどり着くまでの思考の運動を経験することはできない。

 難しい本を最後まで読むことに意味があるとすれば、その大きな理由の一つはここにある。読了とは答えを受け取ることではなく、一人の他人が長い時間をかけて考えた道筋を、自分の足でも一度歩いてみることなのである。

本が「知性の証明書」になったとき

 読書には、もう一つ厄介な誘惑がある。難しい本は、ときに知性や教養を象徴するものとして扱われるため、哲学書や古典文学、大部の思想書を読んでいるという事実そのものが、「自分はこういう人間である」という自己像と結びつくことがある。

 本の所有や読書習慣が文化的な自己表現になることは珍しくない。本棚は単なる保存場所ではなく、そこに何を置くかによって、自分自身の知的な姿を外へ示す場所にもなり得る。

 もちろん、難しい本を読む人が人に知的に見られたいから読んでいる、と単純に決めつけることはできない。しかし読書が自己証明に近づいたとき、本と読者の関係は少しずつ逆転する。

 本来、本は読者の考え方を揺さぶるものだったはずなのに、いつの間にか読者が自分のイメージを守るために本を利用し始める。難しくて退屈なのに閉じられず、意味が分からないままページだけを進め、最後まで読み終えたあとで「難しかったが勉強になった」と言いながら、具体的に何が変わったのかは自分でも分からないとすれば、その読了は知的経験というより、少し儀式に近づいている。

 儀式にも意味はある。苦労して一冊を読み切った経験が自信につながり、その後さらに難しい本へ向かう入口になることもある。しかし、完走そのものが目的になれば、読書は本との対話ではなく忍耐力の測定に変わってしまう。

 読むことと耐えることは、似ているようで同じではない。

読書の意味は、読み終えた日に決まらない

 昔読んだ本を思い出そうとすると、不思議なことに気づく。最後まできちんと読んだはずなのに、題名以外はほとんど何も覚えていない本がある一方、途中で読むのをやめた本の一節だけが、何年たっても突然頭に浮かぶことがある。

 読書の価値は、読了した瞬間には決まらないのかもしれない。

 ある言葉が数年後になって、自分の経験と突然結びつくことがある。若いころには理解できなかった登場人物の気持ちが、年齢を重ねた後になって初めて分かることもある。一度読んだ本を何年か後に開き、「こんなことが書いてあったのか」と驚くのも珍しいことではない。

 本を閉じたからといって、その本の働きまで終わるわけではない。

 読んでいる最中には理解できなかったものが、人生のどこかで遅れて意味を持つこともある。そう考えると、読書とは本の最後のページで完結する行為ではなく、本を閉じた後も読者の中で静かに続いていく長い作用なのだろう。

 だから「何冊読んだか」という問いは、読書を語るには少し粗すぎる。「どの本が自分の中に残ったのか」「どの本によって以前とは違う問いを持つようになったのか」「どの本について、いまも結論が出ていないのか」と尋ねたほうが、本当の読書経験には近い。

難しい本は、征服するものではない

 では結局、難しい本を最後まで読むことには意味があるのだろうか。

 おそらく答えは、「意味はある。しかし最後まで読むこと自体が、その意味なのではない」という少し面倒なものになる。

 最初には理解できなかったものが、最後まで読み続けることでつながり、自分の見方が少し変わったなら、読了には大きな意味がある。一方で、理解することよりページを進めることが目的になり、本との対話がすでに途切れているのなら、途中で立ち止まることにも意味がある。

 大切なのは、本に勝つことではない。

 難しい本を前にすると、私たちはつい「理解してやろう」「読み切ってやろう」と考える。しかし本は山ではなく、最後のページは山頂でもない。読了したからといって、その本を征服したことにはならず、むしろ本当に面白い本ほど、読み終わった後になって分からないことが増えていく。

 読む前には単純だった問いが、読み終えた後には複雑になる。正しいと思っていたことに迷いが生まれ、自分には関係ないと思っていた問題が気になり始め、それまで一つしかないと思っていた世界に別の見方があることを知る。もし一冊の本がそんな変化を残したのなら、たとえ内容のすべてを理解できなかったとしても、その読書には十分な意味があったのではないだろうか。

 反対に、最後の一ページまできちんとたどり着きながら、何も疑わず、何も迷わず、何も残らなかったとすれば、「読み終えた」という事実ほど頼りないものもない。

 難しい本を最後まで読むべきかどうかを決める基準は、読了できるかどうかではなく、その本がまだ自分に何かを問いかけているかどうかにあるのかもしれない。問いかけが残っているなら、ゆっくり読めばよく、同じページへ何度戻ってもよく、別の本を読んでから帰ってきてもよい。そして問いかけが完全に消えてしまったなら、そのときはいったん本を閉じればよい。

 読書とは、最後のページまで到達する競技ではない。一冊の本と出会ったことで、それまでとは少し違う問いを持つようになり、その問いが本を閉じた後にも残り続けるのなら、たとえ栞が本の途中に挟まれたままであっても、その読書はすでに読者の中で何かを始めているのである。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ

 山手線の田端駅を降りても、そこに「文学の町」らしい華やかさがあるわけではない。駅前にはごく普通の東京の日常があり、電車が行き交い、人々は足早にそれぞれの目的地へ向かっていく。この場所にかつて芥川龍之介や室生犀星が暮らし、萩原朔太郎や菊池寛、堀辰雄らが行き交ったことを知らなければ、そのまま通り過ぎても不思議ではない。

 けれども、むしろその何でもなさこそが、田端文士村を考える入口なのかもしれない。彼らは「日本文学の拠点をここにつくろう」と相談して田端へ集まったわけではなかった。行政が文学者のための文化地区を整備したわけでも、出版社が作家村を造成したわけでもない。人が人を呼び、その人を訪ねて別の人がやって来るうちに、後世の私たちが「文士村」と名前を付けるほど濃密な人間関係が、一つの町に形づくられていったのである。

 では、そのような文士村は、もう二度と生まれないのだろうか。

 インターネットがあれば、北海道に住んでいても東京の編集者と原稿をやり取りでき、海外の読者ともその日のうちに交流できる。作品を発表するために出版社の近くへ住む必要もなくなった。そう考えれば、文士村とは通信や交通が不便だった時代だからこそ成立した、過去の文化現象に見える。

 ところが田端の歴史をたどると、文士村を成立させていたものは単なる情報伝達の不便さではなかったことが分かってくる。そこにあったのは、もっと人間的で、ときには煩わしく、それでも創作に何らかの刺激を与える「近さ」だった。

文士村になる前の田端

 田端は最初から文学者の町だったわけではない。明治中頃まで、この地域には田畑や雑木林が残っていた。その後、上野に東京美術学校、現在の東京藝術大学が開かれると、その周辺には若い芸術家たちが暮らすようになる。明治33年には画家の小杉放庵が田端に下宿し、明治36年には陶芸家の板谷波山が窯を築いた。やがて画家や彫刻家、工芸家たちが集まり、その交流の場として「ポプラ倶楽部」も生まれていく。

 つまり田端は、文学者が集まる以前に、すでに芸術家たちが互いに行き来する土地になっていた。その場所へ大正3年に芥川龍之介が移り住み、大正5年には室生犀星がやって来る。その後、萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄、佐多稲子ら文学者の往来が重なり、芸術家村だった田端には、やがて文士村というもう一つの顔が加わった。

 室生犀星は後年、この時期の田端を「詩のみやこ」と呼んだ。ただし、この言葉から洗練された文学サロンだけを想像すると、おそらく実態を美化しすぎる。そこにいたのは、後世から見れば文学史上の巨人であっても、当時はまだ二十代、三十代の若者たちだった。互いの作品を読み、批評し、刺激を受け、ときには反発しながら、自分が何者になるのかも分からない時期を過ごしていた。

 田端に文学を生み出す特別な磁場が最初から存在していたわけではない。むしろ、人が人を呼び、その人間関係そのものが土地に意味を与えていったと考える方が自然だろう。会いたい人の家が歩いて行ける場所にあり、そこを訪ねれば別の誰かが来ている。その偶然が重なることで、普通の住宅地の一角が文化的な場所へ変わっていった。

作家には孤独と他者の両方が必要なのか

 小説を書くことも詩を書くことも、最後は一人でする仕事である。一篇の詩の最後の一語を決めるとき、作者に代わって誰かが決断することはできない。それなら、創作者は孤独であればあるほど優れた作品を書けるのかというと、文学史を見るかぎり、それほど単純でもない。

 田端で興味深いのは、一人で仕事をする空間と、他人に会う空間が近接していたことである。自宅へ戻れば孤独になれるが、少し歩けば別の書き手や芸術家がいる。昨日書いたものを見せれば、褒められることもあれば、首をかしげられることもある。腹を立てて帰ったとしても、翌朝原稿を読み返せば、昨夜聞いた一言が頭から離れないこともあっただろう。

 もちろん、これは当時のすべての会話が創作に有益だったという意味ではない。人間が集まれば友情だけでなく嫉妬も生まれ、競争も起こり、作品観の違いから不和になることもある。しかし創作にとって重要なのは、必ずしも気持ちよく褒めてもらうことではない。自分とは違う価値観や感覚を持つ人間が、簡単には消えてくれないことそのものが、思考を揺さぶる場合がある。

 この点では、現代の創造性研究にも興味深い示唆がある。対面で会話した場合と映像を通して会話した場合を比較した実験では、遠隔環境では、新しいアイデアを数多く生み出す課題で対面より成績が低くなる傾向が報告されている。また、大規模な遠隔勤務への移行を調べた研究では、組織内の人間関係が固定化し、異なる集団を結ぶ交流が弱まった例も確認されている。

 ただし、これらの研究から「対面で会えば優れた小説が生まれる」と結論づけることはできない。実験で測られているのは主としてアイデア生成などであり、文学作品の質そのものを測定した研究ではないからである。田端の文学者たちが近所に住んだから名作を書けた、とまで因果関係を断定することはできない。それでも、個人で考える時間と他者から刺激を受ける時間を往復する環境が創造性に関係するという研究結果と、田端で行われていた生活の形が、興味深く重なっていることは確かである。

 文士村が提供していたものは、全員が常に一緒にいる共同生活ではなかった。それぞれが一人になれるにもかかわらず、他者から完全には切断されない環境だったのである。

インターネットは巨大な文士村なのか

 この点だけを見れば、現代の方が圧倒的に有利である。作家志望者が東京へ引っ越さなくても作品を発表でき、同じ作品を好む人を探し、感想を交換し、編集者と連絡することができる。百年前なら一生出会わなかったかもしれない相手と、数分後には会話できる。

 これは創作者にとって非常に大きな自由である。かつて文化的な情報や人脈が都市へ集中していた時代に比べれば、地方に住むことによる不利は確実に小さくなった。作品公開の入口を出版社や文芸誌だけが独占する時代でもなくなり、個人が直接読者へ届く道も増えている。

 しかし、便利になったからといって、昔の人間関係をそのまま上位互換したわけではない。オンラインでは、関心のある人物を検索し、好きな作品を発表する人をフォローし、自分と似た趣味を持つ人と効率よく結びつくことができる。その一方で、物理的な場所では、自分が会おうと思っていなかった人と出会うことがある。友人を訪ねたところ、知らない人が座っていたという種類の偶然である。

 とはいえ、「インターネットには偶然の出会いがない」と考えるのも正しくない。推薦の仕組みが、思いがけない作家や作品を提示することもあり、オンラインを通じて偶然の発見を生み出す仕組みも研究されている。したがって、田端と現代の違いは「偶然があるか、ないか」ではなく、偶然の生まれ方が変わったと考えた方がよい。

 田端では、同じ町に住んでいるというだけで、関心の異なる人間が同じ道を歩き、ときには同じ家に集まった。現代では地理的な距離を超えて、自分と強い関心を共有する相手に出会うことができる。前者は狭い代わりに身体的な偶然が多く、後者は広い代わりに選択する自由が大きい。どちらが優れているというより、人間関係の構造そのものが変わったのである。

創作に必要なのは「会議」ではない

 現代では、会おうと思えばオンラインでも対面でも会うことができる。しかし、田端の人間関係について考えていると、「会うこと」と「会議をすること」は別のものだという当たり前の事実に気づく。

 午後三時から四時まで創作について意見交換する、と予定表に登録すれば、それは効率的である。しかし効率的に設計された交流では、話す目的も終了時刻も最初から決まっている。昔の文士たちの家で交わされた雑談のすべてが重要だったはずはなく、むしろ大半は後世から見れば何の意味もない時間だっただろう。それでも、その無駄な時間の中で聞いた一言が、数日後の作品に残る可能性はある。

 効率化された社会では、目的のない時間は削られやすい。ところが創作は、何が役に立つかを事前に判断できない仕事でもある。資料を探しに行った書店で関係のない本を手に取り、友人との雑談で思いがけない言葉を聞き、散歩の途中で見た風景が数年後の文章に戻ってくる。創作にとって本当にぜいたくなのは、高価な設備ではなく、まだ意味のないものを意味のないまま置いておける時間なのかもしれない。

文士村は消えたのではなく、住所を失った

 それでも、現代の文学者が孤立していると考える必要はない。文学を介して人が集まる場所そのものは、現在も活発に存在している。

 その一例が文学フリマである。2026年5月に東京ビッグサイトで開かれた文学フリマ東京42には3509の出店があり、出店者を含む総来場者は1万8689人に達した。純文学、詩歌、評論、エッセイなど、商業出版だけでは捉えきれない多数の書き手と読み手が一つの会場へ集まったことを考えれば、少なくとも文学フリマという現象を見る限り、文学を媒介に人が集まる力が失われたとは言いにくい。

 ただし、イベントが終われば人々はそれぞれの町へ帰っていく。そこが田端との大きな違いである。かつての文士村では、交流の後にも翌朝同じ町が残った。現代の文学イベントでは、交流の後には連絡先やオンライン上の関係が残る。

 文士村は消えたというより、住所を失ったのかもしれない。

 かつて「どこに住んでいるか」によって形成されていた創作共同体は、現在では「誰とつながっているか」「どのイベントへ参加するか」「どの媒体で作品を発表するか」という複数の関係へ分散している。一人の書き手が、小説では一つの集団と交流し、短歌では別の人々とつながり、オンラインでは海外の読者とも関係を持つことができる。それは昔の村よりもはるかに広く、自由で、境界の曖昧な共同体である。

 その代わり、一つの場所を長期間共有することによって生まれる濃さは、意識してつくらなければ失われやすくなった。

本当に田端が作家を育てたのか

 ここで一度、文士村という物語そのものを疑ってみる必要もある。

 後世の私たちは、芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄という名前を知っている。彼らが後に文学史へ残ったことを知っているから、その人々が一つの地域にいた事実を見ると、どうしても「田端には創作を生む特別な力があった」と考えたくなる。

 しかし、これは結果を知った後から過去を見る視線でもある。

 田端に暮らしたすべての文学青年が後世に名前を残したわけではないし、成功した文学者ばかりを抜き出して田端を眺めれば、場所の効果を実際以上に大きく見積もる危険がある。いわゆる生存者バイアスである。また、才能や人脈を持つ若者たちが、すでに文化的な交流の存在した田端を選んで移り住んだ可能性もある。その場合、「田端が才能を生んだ」という一方向の関係だけではなく、「才能を持った人々が田端へ集まった」という逆向きの関係も考えなければならない。

 さらに厳密に言えば、芥川龍之介が田端に住んだ世界と、まったく同じ芥川龍之介が田端以外に住んだ世界を比較することはできない。歴史では実験ができないからである。

 したがって、田端文士村が名作を生み出したと科学的に証明することはできない。しかし、だから田端の環境に意味がなかったということにもならない。文学者たちの実際の交流記録と、現代の創造性研究が示す知見を重ねれば、田端のような環境が創作を刺激する条件の一つだった可能性は十分に考えられる。重要なのは、その可能性と因果関係の証明を混同しないことである。

有名作家を集めれば文士村になるのか

 こうして考えると、現代に文士村を再現しようとして、著名な作家を一つの施設へ集めればよいという発想にも疑問が生じる。

 創造産業の研究では、人や企業が地理的に集まることで知識交換が活発になり、生産性や新しいアイデアにつながる可能性が指摘されている。しかし同時に、単に距離が近いだけでは十分ではなく、人間同士の信頼や継続的な関係といった社会的な近さも重要であることが分かっている。

 考えてみれば当然である。同じマンションに小説家が十人住んでいても、誰も互いに話さなければ文士村にはならない。逆に、少し離れて暮らしていても、頻繁に会い、作品を読み合い、別の人を紹介し合う関係があれば、そこには創作共同体が生まれる可能性がある。

 田端を文士村にしたのも、住所だけではなかった。芥川がいて、犀星がいて、その人を訪ねて朔太郎や堀辰雄らがやって来るという、人と人との関係が動いていたからこそ一つの文化的な場所になった。

 文化政策によって創作施設を建てることはできるし、作家を招聘することもできる。しかし、そこで誰かが長話をし、その人が別の誰かを連れてきて、昨日まで知らなかった二人が話し始め、その会話が数年後に思いがけない作品へ姿を変えるところまでは設計できない。

 本当の文士村には、少しばかり計画不能な部分が必要なのである。

それでも、新しい文士村は生まれる

 田端とまったく同じ文士村が、現代に再現される可能性は高くない。作家や芸術家が一つの町へ移り住み、生活そのものを長期間共有しながら創作するという形には、当時の住宅事情、交通、出版、通信、都市構造が深く関わっていたからである。歴史的条件が違う以上、同じ文化だけを切り取って再現することはできない。

 しかし文士村を、文学者が住む町ではなく「創作を生む人間関係の構造」と考えれば、話は変わってくる。

 一人で集中できる場所がありながら、必要なときには誰かに会える。同じ分野の人だけではなく、文学、絵、音楽、映像、研究など違う仕事をしている人が混じる。すでに成功した人だけでなく、まだ何者でもない人もいる。そして何より、交流するたびに目に見える成果を求められるのではなく、何も起こらない午後を許す時間がある。

 現代の文士村は、一つの町である必要さえないのかもしれない。普段はオンラインでつながり、ときどき同じ場所へ集まり、しばらく濃密な時間を共有して、再び各地へ帰っていく。住所ではなく、人間関係と時間によって一時的に出現する村である。それなら、インターネット以前には成立しなかった新しい形の文士村とも考えられる。

田端に残ったもの

 現在の田端を歩いても、芥川龍之介が暮らした当時の町そのものが残っているわけではない。東京は変わり続け、家は建て替わり、人は去り、戦争によって失われた風景もある。それでも田端文士村記念館には彼らの資料が残り、町には旧居跡を伝える痕跡があり、芥川をめぐる文化活動も続いている。さらに芥川龍之介の旧居跡地では新しい記念館の建設が進められており、2027年7月の開館が予定されている。

 しかし、田端から本当に受け継ぐべきものは、昔の町並みだけではないように思える。

 芥川龍之介や室生犀星を生んだ町と説明すれば、田端は偉人の記念碑になる。けれども田端が興味深いのは、すでに偉人だった人々を集めた場所だからではない。まだ将来が決まっていなかった若い芸術家や文学者が近くに暮らし、互いの存在によって少しずつ変わっていった場所だからである。

 文学史を振り返るとき、私たちは完成した作品から作者を眺める。『羅生門』を書いた芥川龍之介、詩人として名を残した室生犀星、近代詩を代表する萩原朔太郎というように、結果から逆向きに人物を見る。しかし当時の田端を歩いていた彼らには、自分が文学史に残る保証などなかった。

 それでも書き、誰かを訪ね、話し、また一人になって書いた。そして翌日になれば、再び誰かと出会った。

 文士村とは、有名人が住んでいる町の名前ではなく、まだ何者になるか分からない人間同士が、互いの未来へ少しずつ介入してしまう場所だったのではないだろうか。

 そう考えるなら、文士村がもう生まれないと決めつけるのは早い。

 ただし次の文士村を探すとき、地図だけを眺めていても、おそらく見つからない。それは小さな書店かもしれず、共同の仕事場かもしれず、文学イベントとオンラインの交流を往復する、まだ名前すら付いていない共同体かもしれない。

 そして、もし本当に新しい文士村がどこかで生まれつつあるとしても、現在の私たちはまだ、それを文士村とは呼ばないだろう。

 田端もまた、最初から「田端文士村」という看板を掲げて始まったわけではなかったのだから。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ

 部屋の壁一面に本棚がある人を見ると、それだけで少し賢そうに見えることがある。哲学書や歴史書が並んでいればなおさらで、まだ話をしていないのに、「この人は物事を深く考える人なのだろう」と想像してしまう。一方で、家にほとんど本がなく、「本はあまり読みません」と言う人に対して、私たちは同じ種類の知性を期待するだろうか。もちろん、本を読まなくても鋭い判断力を持つ人はいるし、大量に読書をしていても思い込みの激しい人はいる。それでも「読書家」という言葉には、単に本をよく読む人という以上に、教養があり、語彙が豊富で、思考が深いという人物像がまとわりついている。

 しかし、ここには一つの飛躍がある。本をたくさん読むという行動と、その人が賢いという評価は本来なら別のものだからだ。年間百冊読む人が年間一冊しか読まない人より優れた判断をするとは限らないし、文学全集を読破した人が金銭管理や機械修理にも強いとは限らない。それにもかかわらず、読書と知性は長いあいだ、ほとんど当然のように結びつけられてきた。

 では、「読書家は知的」というイメージは単なる文化的な思い込みなのだろうか。心理学や読書研究を見ていくと、答えは意外に複雑である。このイメージには一定の実証的な根拠がある。しかし、それは「本をたくさん読めば、その分だけ頭がよくなる」という単純な話ではない。

本を読む人は、なぜ「知的」に見えるのか

 そもそも「知的」という言葉そのものがかなり曖昧である。数学の難問を素早く解ける人、豊かな語彙を持つ人、歴史や科学について多くを知っている人、複雑な問題を筋道立てて考えられる人、他人とは違う視点から物事を眺められる人を、私たちはまとめて「頭がいい」と表現することがある。しかし心理学的には、これらは必ずしも同じ能力ではない。

 知的能力を考える際には、未知の問題に対処し、規則性を見つけたり推論したりする能力と、長年の学習や経験を通じて蓄積された語彙や一般知識とを区別する考え方がある。前者は流動性知能、後者は結晶性知能と呼ばれる。読書経験と特に強く関連するのは、語彙、言語知識、一般知識など、後者に近い能力であると考えられている。

 これは日常感覚とも一致する。読書量の多い人は、会話の途中で少し珍しい言葉を自然に使ったり、ある事件について歴史上の似た出来事を思い出したり、小説の一場面を例に出したりする。その瞬間、私たちはその人の頭の中に、自分には見えない巨大な倉庫があるように感じる。知識そのものだけでなく、知識を言葉として取り出し、説明できることが、「知的に見える」という印象を強くするのである。

 実際、心理学者キース・スタノヴィッチらによる一連の研究では、印刷物への接触量が多い人ほど、語彙や一般知識などで高い成績を示す傾向が確認されている。一般的な認知能力や教育歴などを統計的に考慮しても、読書経験と語彙や知識との関連が残る研究もある。その一方で、推論力や作業記憶のような能力については、語彙や一般知識ほど一貫して強い関連が示されるわけではない。

 つまり、読書家が「知的に見える」のは、完全な錯覚ではない。読書経験と強く結びつく能力そのものが、私たちが日常生活の中で「知性」と認識しやすい形をしているのである。

本を読むから賢くなるのか、読むのが得意だから本を読むのか

 ただし、ここで話は一段難しくなる。読書家の語彙が豊かだったとしても、それだけでは「読書によって語彙が豊かになった」とは言えない。本をよく読む人は、そもそも文字を読むことが得意だった可能性があるからである。

 背の高い人ほどバスケットボールをしているからといって、「バスケットボールをすれば背が高くなる」とは言えないのと少し似ている。活動の結果として能力が伸びることはあっても、その活動を選ぶ人の側にも、もともとの特徴がある。読書でも、文字を速く処理でき、文章を比較的容易に理解できる子どもほど本を読むことを楽しみやすく、読むことが楽しいからさらに読むという循環が生まれる可能性がある。

 スタノヴィッチはこうした現象を「マタイ効果」という考え方で説明した。読むことが得意な子どもは読む機会を増やし、その経験を通じて語彙や知識をさらに増やす一方、読むことに苦労する子どもは本を避けやすくなり、結果として経験の差まで広がっていくという考え方である。ただし、この差がすべての子どもで必ず同じように拡大するわけではない。重要なのは、能力と経験が互いに関係しながら長期間にわたって差を形づくる可能性があるという点である。

 大規模な双生児研究でも、読書量と読書能力の因果方向が検討されている。そこでは、少なくとも研究対象となった年齢では、「多く読むから読書能力が高くなる」という方向だけでなく、「読書能力が高いから自主的に多く読む」という方向が強く示された。つまり、読書量そのものだけを見て「この人は読んだから能力が高くなった」と考えるのは単純すぎるのである。

 他方で、別の長期的な研究では、読書能力と自主的な読書経験が相互に影響し合う可能性も示されている。読むことが得意だから読む。読むから語彙や知識が増える。語彙や知識が増えることで、さらに難しい文章が読めるようになり、読むことそのものが楽しくなる。この循環が何年も続いた結果を、私たちは大人になった一人の「読書家」として見ているのかもしれない。

読書能力は、その後の知的発達とも関係する

 では、読書は単に「もともと読むのが得意な人の趣味」にすぎないのだろうか。そう言い切ることもできない。

 英国の長期追跡調査を用いた研究では、子どものころに楽しみとして本を読んでいた人ほど、その後の語彙の伸びと関連するだけでなく、数学の成績の伸びとも一定の関連が見られた。家庭の社会的背景や親の教育歴などを考慮しても、その関係が残ったとされている。

 ただし、ここは慎重に読む必要がある。このような研究は観察研究であり、「読書だけが数学や認知能力を向上させた」と断定することはできない。読書を好む家庭には、親子の会話が多い、教育への関心が高い、知的刺激を受けやすいといった別の特徴があるかもしれず、それらを完全に切り離すことは難しいからである。

 さらに、一卵性双生児を長期的に追跡した研究では、遺伝的にはほぼ同じ双生児の間でも、早い時期に読書能力が高かった側が、その後の知能検査で高い成績を示す傾向が報告された。この結果は、読書能力がその後の認知発達と関係している可能性を示すものとして注目された。

 しかし、その後に同じデータを別の統計モデルで再分析した研究では、この関係が読書そのものの因果効果だけで説明できるとは限らず、読書能力と知能の双方に長期的に影響する安定した環境要因が存在する可能性も指摘された。つまり、「早く読めるようになれば知能そのものが高くなる」とまで言い切るのは、現在の研究から見れば慎重さを欠く。

 ここで分かるのは、科学が私たちの期待するほど単純な答えを与えてくれないということである。読書能力と知的発達には確かに関係がある。しかし、その関係の中には、遺伝、家庭環境、学校教育、本人の興味、読書経験そのものが複雑に入り込んでいる。一本の矢印で説明するより、相互作用する循環として考えた方が現実に近い。

それでも本を読む行為は、頭の中ではかなり忙しい

 因果関係を慎重に考えることと、読書という行為そのものの認知的な複雑さを過小評価することは別問題である。文章を理解するためには、直前まで読んだ内容を保持し、新しい情報と結びつけ、曖昧な部分を推測し、自分が持っている知識と照合しながら意味を構成し続けなければならない。

 小説であれば、登場人物の感情や動機を想像し、過去の出来事を記憶しながら現在の行動を理解する必要がある。歴史書であれば、複数の出来事の因果関係を整理しなければならない。評論であれば、筆者の主張と根拠を区別しながら、自分が同意できる部分と疑うべき部分を見極める必要がある。

 椅子に座ってページをめくるという外見だけを見ると、読書は非常に静かな行為に見える。しかし、その内部では記憶、予測、推論、語彙処理、意味理解が絶えず動いている。読書が長期的な知識形成と関係しやすい理由は、このような認知活動が何度も繰り返されることとも無関係ではないだろう。

本を百冊読んでも「賢明な人」になるとは限らない

 ここで、もう一度「知的」という言葉を疑う必要がある。語彙が豊かであることと、正しい判断ができることは同じではない。歴史に詳しいことと、自分に都合の悪い事実を公平に検討できることも違う。

 心理学研究では、人は自分がもともと持っている立場に有利な情報を高く評価し、反対する情報を低く評価しやすいことが知られている。これはマイサイド・バイアスと呼ばれるが、興味深いことに、この偏りは一般的な認知能力が高ければ自動的に小さくなるとは限らないことが示されている。

 つまり、頭の回転が速い人だから、自分の思い込みから自由になれるとは限らないのである。知識や認知能力が高くても、それだけで自分の立場を公平に疑えるようになるわけではない。

 この点は読書について考えるときにも重要である。本を読むことによって知識を増やすことはできても、自分と同じ考えの本ばかり選び続ければ、世界観そのものは狭いままかもしれない。百冊読んだ人が一冊しか読まなかった人より偏見が少ないとは限らないし、難解な哲学書を読み通した人が、反対意見に寛容であるとも限らない。

 結局、問題は「何冊読んだか」だけではなく、「読んだものによって自分の考えを修正できるか」に移っていく。本は知識を与えてくれるが、その知識をどのように扱うかまでは決めてくれない。

「読書家」という肩書きが作る、もう一つの錯覚

 それでも私たちが読書家を知的だと感じやすいのには、もう一つ理由があるのではないだろうか。読書によって得られる知識は、他人から見えやすいのである。

 たとえば、数学的な直感に優れた職人が、仕事の中で複雑な角度や寸法を瞬時に判断しても、その能力は本棚には並ばない。長年商売をしてきた人が客の表情から微妙な心理を読み取っても、それを難しい言葉で説明するとは限らない。機械の音を聞いただけで故障箇所を推測できる技術者にも高度な知識体系があるが、それはしばしば「教養」とは別のものとして扱われる。

 一方、読書によって得た知識は言葉として表れやすい。会話の中で引用でき、文章として説明でき、本棚という物理的な形で他人に見せることもできる。だから読書によって形成された知識は、ほかの種類の知識より「知性」として発見されやすい可能性がある。

 これは、読書家だけが知的だという意味ではない。むしろ、私たちが知性として見つけやすいものに偏りがある、という話である。社会は、言葉で説明できる知識を評価しやすい。そのため、本を読む人が持つ能力は「知的」として認識されやすく、経験や身体技能の中に埋め込まれた知性は見落とされやすいのかもしれない。

「本を読む人ほど賢い」ではなく

 結局、「読書家は知的」というイメージを完全に否定する必要はない。読書経験の多さが語彙や一般知識と関係し、その蓄積が長期的な知的発達と結びつく可能性を示す研究は多く存在する。その意味では、本を読むことと知的能力の間には確かに関係がある。

 しかし、「読書家だから賢い」と言った瞬間、その関係は粗雑になる。もともとの読書能力が高いから本を好む人もいる。家庭環境や教育によって本に触れる機会が多かった人もいる。読書と強く関連するのは、とりわけ語彙や知識のような能力であって、人間のあらゆる知的能力が一様に高くなるわけでもない。まして、合理性や判断力、人格まで本の冊数から推測することはできない。

 より正確に言うなら、「本を読む人ほど賢い」のではなく、「長期間にわたって読書を続けてきた人は、語彙や一般知識など、社会から知的だと認識されやすい能力を豊富に持っていることが多い」ということである。

 それでも読書には、数字では測りにくい奇妙な力が残る。本を開けば、自分より賢い人だけでなく、自分とはまったく違う時代を生きた人、間違った人、愚かな人、嫌いな人の頭の中にまで入ることができる。そこで何を受け取り、何を疑い、何を捨てるかは読者自身に委ねられている。

 知性とは、本棚の長さではないのだろう。何冊読んだかでもない。むしろ、自分が知らなかったことに気づき、自分が正しいと思っていた考えを疑い、それまでより少し複雑な世界を複雑なまま受け止められるようになることの方が、知性という言葉には近い。

 本は人を自動的に賢くしてくれる機械ではない。しかし、考える材料をこれほど大量に、しかも他人の人生や経験ごと運んでくる道具は珍しい。だから読書家が知的なのではなく、読書には知性が育つための条件を何度も作り直す力がある、と考えた方が正確なのかもしれない。

 そしておそらく、本当に知的な読書家とは、自分が何冊読んだかを誇る人ではない。一冊読むたびに、「自分はまだ知らないことの方が多い」と気づける人なのである。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ

 美術館へ行き、これまで画集やテレビ、インターネットで何度も見てきた絵の前に立ったとき、「こんな絵だったのか」と思うことがある。想像していたより小さいこともあれば、反対に、こちらの身体を包み込むほど大きく感じることもあり、色についても、画面で見ていたものより暗く見えたり、ある部分だけが不思議なほど明るく浮き上がったりする。何度も見たはずなのに、実物を前にした瞬間、初対面の作品のように感じられるのである。

 ここには少し奇妙な問題がある。私たちは美術館へ行く前から、その絵を知っていたはずだからだ。構図も知っている。描かれている人物も知っている。作者の名前も知っている。それどころか、デジタル画像なら拡大して細部まで見たことがあるかもしれない。それでも原画を見ると、画像とは違う経験をしたように感じる。このずれを考えていくと、「絵を見る」とは何をしていることなのか、という思いのほか難しい問いに行き着く。

私たちは絵を見ているのか、それとも絵の情報を見ているのか

 スマートフォンに表示された一枚の絵にも、人物、風景、構図、色彩、線、明暗は存在している。何が描かれているのかを知ることが目的なら、画像でもかなりのことが分かるし、むしろ画像には実物にはない利点すらある。作品を自由に拡大でき、複数の絵を並べて比較でき、世界中の美術館に散らばった作品を数秒で行き来できるからである。

 したがって、「画像は偽物であり、原画を見なければ本当の鑑賞ではない」と考えるのは、科学的にも文化的にも単純すぎる。実際、原物と複製を比較した心理学的研究では、美的評価に明確な差が現れなかった例がある。2015年に行われた研究では、110人の参加者を、美術館か実験室か、原物か複製かという条件に分け、作品への好み、興味、感情的な反応、理解度などを比較したが、場所にも原物性にも明確な効果は確認されなかった。

 ただし、この結果をそのまま「原画と画像は同じである」という証明に使うこともできない。この研究で扱われたのは主として現代のコンセプチュアル・アートであり、油絵の絵具の厚みや表面の質感そのものが重要になる作品とは条件が異なるからである。つまり、研究が示しているのは「原物なら必ず高く評価されるわけではない」ということまでであり、「あらゆる作品において原画と画像は同じである」とまでは言えない。

 さらに2023年に発表された複数研究のメタ分析でも、原物が複製より高く評価される傾向そのものは小さいながら認められたものの、その差の多くには、美術館で原物を見た場合と実験室で複製を見た場合を比較しているという問題が含まれていた。原物だから評価が高まったのか、美術館という環境だから高まったのか、それとも両方なのかを区別しにくかったのである。

 ここから分かるのは、本物と画像の問題が、意外なほど単純ではないということである。

絵は平面に見えて、実は平らではない

 油絵を近くで見ると、画像では分からなかったものが現れる。絵具は場所によって厚く盛られ、筆が通った跡が残り、表面には細かな凹凸があるため、見る位置や照明によって光の反射が変わる。画面では一枚の平らな長方形に見えていたものが、実際には表面を持つ物体として存在しているのである。

 この違いは、単純に画像の解像度を上げれば消えるとは限らない。どれほど精密に撮影しても、その画像を通常のディスプレイで見るとき、私たちは絵具の表面で反射した光そのものではなく、ディスプレイが発した光によって再構成された像を見ることになる。さらに、本来数十センチしかない作品も、数メートルの大作も、同じスマートフォンの画面に表示すれば似た大きさになってしまう。

 この「大きさ」は、単なる作品データではない。作品と鑑賞者の身体との関係そのものを変えるからである。小さな絵なら自然に近づき、大きな絵なら少し離れなければ全体を見ることができない。近づけば筆触や絵具の盛り上がりが現れ、離れればそれまで断片にしか見えなかった色や形が一つの構図に戻っていく。その往復が、原画を見る行為の一部になる。

 ところが画像では、作品へ身体を近づける代わりに、指で拡大することができる。これは非常に便利だが、作品との距離を身体によって調整する経験とは違っている。画像は私たちを作品の大きさから解放する一方で、作品の大きさに身体を従わせる経験も失わせるのである。

美術館で感動しているのは、本当に絵だけなのか

 ここで逆方向から疑ってみる必要もある。原画を見て感動したとして、その感動は本当に原画そのものだけから生まれているのだろうか。

 美術館には、静かな展示室があり、照明があり、壁があり、額縁があり、その横には作品名と作者名が記されている。そこへ行くまでに電車に乗り、入館料を払い、いくつもの展示室を歩き、ようやく有名な作品の前へたどり着くこともある。そのとき私たちは、ただ色と線だけを見ているのではなく、「いま本物を見ている」という知識も含めて作品を経験している。

 実際、美術館で作品を見る場合と、実験室で画像を見る場合を比較した研究では、美術館にいる参加者の方が一つの作品を長く眺め、作品をより好ましく、より興味深いものとして評価した例がある。また別の研究では、美術館で鑑賞した作品の方が後から思い出されやすく、作品が展示されていた場所などの空間情報も記憶の手掛かりとして利用されていた。

 ただし、ここで慎重でなければならないのは、その差をすべて「原画の力」と呼ぶことはできないという点である。美術館という場所そのもの、展示空間の雰囲気、周囲に他の作品が存在していること、鑑賞するために時間を取って訪れたという行動など、多くの条件が同時に変わっているからである。

 つまり、美術館での鑑賞体験が豊かになることを示す研究はあっても、それが作品の原物性だけによって生じたと断定できるわけではない。むしろ現在の研究からは、作品そのものと、それを取り囲む環境との組み合わせが鑑賞体験を作っている、と考える方が自然である。

 旅先で飲んだ一杯のコーヒーが、自宅で同じ豆を使って淹れた一杯とは完全には同じ経験にならないのと少し似ている。成分だけを分析すれば同じでも、経験は成分だけから作られているわけではない。

「これは本物だ」と知るだけでも、絵の見え方は変わる

 さらに興味深いのは、原物そのものだけでなく、「これは本物である」という知識が人間の評価に影響することである。

 目の前に見分けがつかないほど似た二枚の絵があり、一方には「作者本人が描いた作品」、もう一方には「後世につくられた複製」と説明されていたら、私たちは本当にまったく同じように見ることができるだろうか。

 心理学や神経科学の研究では、作品が本物だと思われているか、コピーだと思われているかという情報が、その作品に対する判断や脳活動に影響する可能性が示されている。レンブラントとレンブラント風作品を用いた研究では、参加者に「本物」「コピー」という情報を与えたところ、作品を見るときの脳活動に違いが現れた。

 もっとも、ここでも注意が必要である。この結果は、人間の目に入ってくる色や形そのものが別物に変化したことを示しているわけではない。むしろ、作品に対する期待、価値判断、作者についての知識などが、鑑賞体験を構成する認知過程に加わっていると考える方が適切である。

 考えてみれば、百年以上前に描かれた絵の前に立つとき、私たちは色と線だけを見ているわけではない。このキャンバスの前に実際に作者が立ち、ここへ筆を置いたのだという事実を想像する。その後、作品が所有者を変え、戦争や移動や保存の時間を通過し、それでも同じ物体として目の前にあると知れば、作品には視覚情報だけでは説明しきれない時間の感覚が重なってくる。

 ここから先は、科学というより哲学の領域に近づいていく。

ベンヤミンが考えた「アウラ」

 20世紀の思想家ヴァルター・ベンヤミンは、写真や映画のような複製技術が発達する時代に、芸術作品の「アウラ」という問題を考えた。単純化して言えば、それは作品が「いま、この場所にしか存在しない」という一回性や真正性と結びついた独特の存在感である。

 原画は同時に世界中へ存在することができない。東京にあればパリにはなく、美術館に展示されていれば自宅にはない。ところが画像なら、一つの作品をほぼ無限に複製し、世界中で同時に見ることができる。この差は単なる技術の違いではなく、作品と人間との関係そのものを変える。

 ただし、ベンヤミンの議論を「複製は悪く、本物だけが優れている」と読むのは適切ではない。彼が見ていたのは、複製によって作品が特定の場所や権威から解放され、多くの人が芸術へアクセスできるようになる変化でもあった。複製技術は、作品から何かを失わせる可能性を持つ一方、作品を社会へ開く力も持っていたのである。

 この問題は、スマートフォンの時代にはさらに大きくなっている。かつて王侯や富裕層、一部の旅行者しか見ることのできなかった作品を、現在では世界中の人が日常的に見ることができる。それは美術史の中でも、きわめて大きな変化である。

画像だからこそ見えるものもある

 ここまで読むと、原画の方が豊かで、画像はその不完全な代用品に思えるかもしれない。しかし、それも正確ではない。

 高精細なデジタル画像なら、作品の一部分を極端に拡大できる。人間の目では気づきにくい筆触や細部を比較し、同じ作者の複数作品を並べて見ることもできる。さらに美術保存や修復の現場では、通常の写真だけでなく、赤外線撮影、X線撮影、分光技術、三次元表面計測などが用いられ、肉眼では見えない下描きや修正跡、顔料の違い、表面の微細な形状まで調べることができる。

 つまり、画像技術は原画の代用品であるだけではない。人間の目では見えない作品の側面を発見するための道具にもなっているのである。

 ここで、本物と画像を「本物は100点、画像は60点」といった一本の尺度で比べることの不自然さが見えてくる。原画には原画にしか得られない情報や経験があり、画像には画像だからこそ可能になる観察や比較がある。それぞれが同じ目的を不完全に果たしているのではなく、そもそも得意とすることが少し違っている。

原画の方が本当に感動するのか

 では、もっと素朴な問いに戻ってみよう。本物の絵を見た方が、画像を見るより人は感動するのだろうか。

 これについても、科学的には単純な答えは出ていない。2018年に行われた研究では、抽象絵画の原物と高品質なデジタル複製を美術館内で比較し、心拍や心拍変動などの生理的反応を測定した。その結果、高品質な複製でも原物に近い自律神経系の覚醒が起こりうる一方、原物の方が「感情の強さ」や「作品に触れてみたい」という一部の主観的評価で高い値を示した。

 これは興味深い結果である。身体が示す生理的反応という意味では高品質な複製でもかなり原物に近づける一方、原物だという認識や物質的な存在感に関係する感情では差が出る可能性があるからである。

 しかし、そのことから「原画なら必ず画像より感動する」と結論することはできない。作品の種類、鑑賞者の知識、展示方法、画像の品質などによって結果は変わる可能性があり、現在の研究でも原物の絶対的な優位性が確立しているわけではない。

本物と画像は同じなのか

 最初の問いに戻る。

 本物の絵を見ることと、その画像を見ることは同じなのだろうか。

 何が描かれているかを確認し、構図を理解し、色の組み合わせを調べるという意味では、画像でも相当なところまで作品を知ることができる。場合によっては、拡大や比較によって原画の前では見落としていた特徴を発見することさえある。その意味で、画像を見ることも確実に「絵を見ること」の一つである。

 しかし、作品の大きさ、表面の凹凸、光の反射、鑑賞距離、自分の身体の動き、その物体が長い時間を経て現在ここに存在しているという認識まで含めれば、画像と原画を完全に同じ経験だと考えることも難しい。

 そしてここで重要なのは、「同じ経験ではない」ということと、「原画の方が優れた経験である」ということは別の問題だという点である。科学的研究は前者を考えるための材料を数多く与えてくれるが、後者については一つの答えを与えてはいない。作品によっても、見る人によっても、見る目的によっても違うからである。

 画像で見ることによって初めて好きになる作品もあるだろう。美術館へ行くことのできない人が画像によって作品と出会うこともある。一方、画像で何十回見ても特別な印象を持たなかった作品が、原画の前に立った瞬間、突然こちらへ迫ってくることもある。

 画像は作品を私たちのところまで運んでくるが、原画は私たちを作品のところまで運ばせる。その違いは、おそらく思っている以上に大きい。

 スマートフォンなら、寝転がったまま世界中の名画を見ることができる。しかし美術館では、自分の方が歩かなければならない。作品に近づき、立ち止まり、離れ、もう一度近づく。その途中で別の作品に目を奪われることもあれば、理由も分からないまま一枚の前から動けなくなることもある。

 そのとき私たちは、単に絵に含まれた視覚情報を受け取っているのではない。自分の身体と時間を使って、一つの物体と向き合っている。

 だから、本物の絵を見ることと画像を見ることは、同じ作品を見る二つの方法ではあっても、完全に同じ経験ではないのだろう。しかし、だからといってどちらか一方を本物の鑑賞と呼ぶ必要もない。

 むしろ画像の時代になったからこそ、私たちは以前より多くの作品を知ることができ、その中から「一度、本物を見てみたい」と思う作品を見つけられるようになった。そして実際にその絵の前に立ったとき、何度も画面で見たはずの作品がまるで違って見えたなら、画像は原画の敵だったのではなく、その出会いを準備していたことになる。

 絵を見るという行為は、目だけで行われているのではない。私たちは色や形だけでなく、大きさを見て、距離を感じ、物質を意識し、作品が通過してきた時間まで想像している。そして同時に、画像を通じて肉眼だけでは到達できない細部を見ることもできる。

 そう考えると、本物と画像のどちらが優れているかという問いよりも、「それぞれによって、私たちは作品の何を見ることができるのか」と問う方が面白い。

 画像がこれほど身近になった時代だからこそ、本物を見るとは何なのかという古い問いが、以前より鮮明に浮かび上がっているのである。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ

 古本屋で昭和の中公文庫を眺めていると、ときどき時間の感覚がおかしくなる。少し黄ばんだ紙、小さな活字、いまより地味な装幀、その背表紙の中に三島由紀夫の名前を見つけると、三島という作家が昔からずっと「中公文庫の作家」であったように思えてくる。しかし年代を確認してみると、この印象には一つ大きな錯覚が含まれている。

 現在につながる中公文庫が創刊されたのは1973年6月10日、昭和48年のことである。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決したのは1970年11月25日だから、三島は現在の中公文庫を見ることなく亡くなっている。自分の本に中公文庫のカバーが掛かり、本屋の文庫棚に並び、電車の中で読まれる光景を、三島本人は一度も見ることがなかった。

 つまり三島由紀夫は中公文庫に何冊もの本を残しているのに、「中公文庫の時代」を一日も生きていないのである。

 この小さな時間のねじれから、中公文庫と三島由紀夫という組み合わせを眺めてみると、単なる出版社と作家の関係とは少し違ったものが見えてくる。中公文庫は三島という現役作家とともに歩いた文庫ではない。すでに死者となった三島の文章を選び直し、形を変え、昭和後期の読者へ渡していった文庫だったのである。

三島が死んだあと、中公文庫が始まった

 1973年の創刊時、中公文庫には谷崎潤一郎訳『源氏物語』、司馬遼太郎『豊臣家の人々』、安部公房『榎本武揚』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、ニーチェ『ツァラトゥストラ』などが並んでいた。日本の古典から現代文学、外国思想までが同じ文庫の棚に収まっているところを見ると、特定のジャンルだけを集めるのではなく、文学や思想を広く読者へ届けようとする志向を読み取ることができる。

 その中公文庫に三島由紀夫が登場したのは早かった。創刊からわずか二か月後の1973年8月、『文章読本』が中公文庫になっている。

 ここで興味深いのは、最初に文庫になったものが三島の代表的小説ではなかったことである。『仮面の告白』でも『金閣寺』でも『潮騒』でもなく、文章とは何か、文体とは何か、文学作品をどう読むのかについて三島自身が論じた『文章読本』だった。

 現在、三島由紀夫という名前を聞けば、小説とともに1970年11月25日の出来事を思い浮かべる人は少なくない。しかし『文章読本』を開いたときに現れる三島は、そのような後世のイメージとはかなり違う。文章の構造を考え、散文と韻文について論じ、美しい文章とは何なのかを分類し、優れた文章をどのように読めばよいかを執拗なほど考えている。

 そこにいるのは、劇的な死を選んだ思想家というより、文章という精密機械の構造を一つずつ分解して確かめようとしている職業作家である。

 中公文庫から三島へ入ると、こんな三島が最初に現れてくる。そのこと自体が、三島由紀夫という作家を考えるうえで案外大きな意味を持っているのではないだろうか。

しかし、三島と「中公」の関係はもっと古い

 もっとも、三島と中央公論社との関係が1973年に突然始まったわけではない。ここには少しややこしい出版史がある。

 現在の中公文庫以前に、中央公論社には「中央公論文庫」という別のシリーズが存在していた。その中央公論文庫から1962年、三島由紀夫の『不道徳教育講座』が刊行されている。

 名前が似ているので古書を眺めていると同じシリーズのように見えることがあるが、書誌上は1973年創刊の中公文庫とは区別した方がよい。それでも三島と中央公論社との関係を考えるうえでは、この古い中央公論文庫の存在は無視できない。

 さらにさかのぼれば、『不道徳教育講座』は1959年に中央公論社から刊行され、翌1960年には続編が出ている。同じ1959年には『文章読本』も中央公論社から刊行されている。つまり三島がまだ三十代で、文壇の第一線を猛烈な速度で走っていたころから、中央公論社は三島の小説とは少し違った顔を本にしていたことになる。

 これはなかなか面白い。

 『不道徳教育講座』にいる三島は、後世に作られた重苦しい三島像とはかなり違う。世間一般の道徳をわざと裏返し、「本当にそれは正しいのか」と読者をからかいながら問い直す。もちろん単なる冗談を書いているわけではなく、常識というものを反対側から照らすことで、その不自然さや偽善性をあぶり出しているのだが、そこには軽妙さとサービス精神がある。

 『文章読本』へ行けば、また違った三島がいる。こちらでは文章というものを感覚だけで語るのではなく、文体や構造や表現の働きを分類しながら、自分が文学の何を美しいと思うのかを説明していく。

 今日の私たちは三島由紀夫を、その最期を知ったうえで読む。しかし1959年の読者は違った。彼らにとって三島は死者でも伝説でもなく、次々と新しい文章を書く同時代の人気作家だったのである。

 中央公論社が刊行していた本を年代順にたどると、後世の巨大な三島像の奥から、その時々の「現在を生きていた三島」が少しずつ見えてくる。

中公文庫に残ったのは「小説家だけではない三島」だった

 1973年の『文章読本』に続き、中公文庫では1974年に『作家論』、1975年には『荒野より』や戯曲『癩王のテラス』などが刊行されていく。

 ここから見えてくるのは、単純に「小説ではない三島」ではない。三島はもちろん小説家であり、戯曲も書いた。しかし中公文庫の書目を眺めていると、代表的な長編小説だけでは捉えることのできない三島の輪郭が次第に現れてくるのである。

 たとえば『作家論』で三島が見つめているのは自分自身ではなく、森鴎外や谷崎潤一郎、川端康成をはじめとする先行作家たちである。しかし他人について書いた文章ほど、意外に書き手自身をさらけ出すものはない。誰を高く評価するのか、作品のどこに執着するのか、何を美しいと考え、何を退屈だと考えるのか。その選択を追っていけば、批評されている作家と同時に、批評している三島自身の文学観まで浮かび上がってくる。

 『荒野より』になると境界はさらに曖昧になる。小説だけではなく評論や随筆などさまざまな文章が収められ、作家の日常、社会を見る目、文学についての思考が一冊の中で入り混じる。こうした本を続けて読んでいると、三島由紀夫という人物の輪郭が、代表作の中心からではなく、その周囲から浮かび上がってくる感覚がある。

 これは『金閣寺』一冊を読む経験とはかなり違う。

 小説を読んでいるとき、読者は基本的に作品世界の中にいる。しかし『文章読本』や『作家論』へ移ると、突然その舞台裏へ連れていかれる。さっきまで絢爛たる文章を生み出していた作家本人が机の向こう側へ座り、「文章というものはこうできている」「この作家のここが面白い」と語り始める。

 いわば魔術を見せていた人間が、その魔術の仕掛けまで説明し始めるのである。

 ところが不思議なことに、説明を読んでも魔術は消えない。それどころか、三島がどれほど意識的に言葉を扱っていたかを知ることで、小説へ戻ったとき以前には見えなかったものが見えてくる。

 中公文庫で三島を読む面白さは、この往復運動の中にある。

1970年11月25日から三島を読むという誘惑

 三島由紀夫について考えるとき、どうしても一つの日付が巨大な重力を持つ。1970年11月25日である。

 あの日の出来事があまりに劇的だったため、それ以前の三島の文章まで、すべてが最後の日へ向かって書かれていたように読まれてしまうことがある。『太陽と鉄』を読んでも死への予兆を探し、小説の中に肉体や美や滅びが現れれば、そこから市ヶ谷を逆算したくなる。

 しかしこれは、伝記を読む人間が陥りやすい一種の錯覚でもある。

 人生を最後まで知っている後世の読者と、その途中を生きている本人では時間の見え方が違う。1959年に『文章読本』を書いていた三十四歳の三島は、その文章を1970年11月25日の説明書として書いていたわけではない。そのときの三島には、そのときの仕事があり、締切があり、読んでいる本があり、会っている人があり、次に書こうとしている作品があった。

 だから三島を最後の日から逆向きに読むだけでは、その途中に存在していた多くの三島を取り落としてしまう。

 文庫という形式には、その時間を少しだけ取り戻す働きがあるのかもしれない。文庫本を開けば、歴史的大事件も作者の伝説も、とりあえず表紙の外側に置かれる。そこにあるのは数百ページの活字であり、読者は文章そのものと向き合わなければならない。

 ただし、中公文庫が意図的に「三島を事件から文学へ引き戻した」とまで言うことはできない。そのような編集方針があったことを裏付ける資料や、文庫化によって読者の三島像が実際に変化したことを示すデータがなければ、そこまでの因果関係は証明できないからである。

 それでも、中公文庫に残された書目を眺めれば、少なくとも一つのことは言える。そこには1970年11月25日だけでは説明できない三島由紀夫が、かなり豊富に残されている。

『太陽と鉄』を加えると、話はもっと複雑になる

 そして昭和の中公文庫と三島の関係を考えるとき、見逃せない一冊が1987年、昭和62年に中公文庫となった『太陽と鉄』である。この文庫には『私の遍歴時代』も収録された。

 この本まで視野に入れると、「中公文庫は三島を事件から切り離した」という単純な説明が成り立たないことがよく分かる。

 『太陽と鉄』で三島が考えているのは、言葉と身体、精神と肉体、文学と行動という問題である。それらは晩年の三島を理解するうえで避けて通ることのできない主題であり、1970年の行動とも無関係ではない。

 つまり中公文庫に残った三島は、政治や肉体や死を取り除いた「純粋な文学者三島」ではないのである。

 むしろ逆なのではないか。

 文章について考える三島がいて、他の文学者を批評する三島がいて、世間の道徳をからかう三島がいて、戯曲を書く三島がいて、肉体と言葉の関係を考える三島がいる。それらを読み重ねていくことで、1970年の出来事もまた、それだけが孤立した異常な事件なのではなく、一人の作家が長年考えてきた問題の延長線上から読み直すことができる。

 事件を消すのではない。

 事件だけで作家を説明しないのである。

 この違いは大きい。

昭和の終わりには「三島を覚えている人」の本まで並んだ

 さらに1986年、昭和61年には、澁澤龍彦の『三島由紀夫おぼえがき』が中公文庫になっている。

 ここまで来ると、中公文庫の中の三島は新しい段階へ入る。三島本人が書いた文章を読むだけではなく、「三島を知っていた人が三島について書いた文章」まで文庫棚に加わるからである。

 三島が亡くなってから十六年が経過している。1970年には生々しい現在だった出来事が、少しずつ文学史や記憶の領域へ移り始めていた。

 しかし澁澤龍彦が書く三島は、教科書に載っている「昭和を代表する文学者」ではない。実際に会い、話し、同じ時代の空気を吸った人間が記憶している三島である。死後に巨大化した三島像とは違い、一人の知人としての手触りがそこには残っている。

 ここまで中公文庫の書棚を歩いてくると、文庫というものが単に名作を安価に再刊する仕組みではないことが見えてくる。

 一人の作家が書いた本が残る。その作家が他人について書いた文章が残る。その作家自身について考えた文章が残る。そしてその作家を知っていた人間の記憶まで残る。

 こうして一人の作家は、一冊の代表作ではなく、複数の本の関係として保存されていく。

 三島由紀夫ほど、その仕組みがよく見える作家も珍しいのではないだろうか。

文庫本になると、三島は少し小さくなる

 三島由紀夫という人物には、どうしても巨大な映像がつきまとう。

 鍛えられた肉体、写真、制服、演説、市ヶ谷、割腹、そして死の直前に完成した『豊饒の海』。一つ一つの像があまりに強いため、普通に机へ座り、原稿用紙に文章を書いていた職業作家としての三島が、その陰に隠れてしまうことがある。

 ところが昭和の古い中公文庫を一冊手に取ると、その巨大な三島が不思議なほど小さくなる。

 もちろん価値が小さくなるという意味ではない。手のひらに収まるのである。

 『文章読本』を電車で読み、『作家論』を寝る前に数ページ読み、『荒野より』を喫茶店で開き、『太陽と鉄』を鞄に入れて持ち歩くことができる。歴史映像の中にいた人物が文庫本になると、突然、読者のすぐ隣へやってくる。

 そこには演説の声も制服もない。ページを開けば、活字だけがある。

 文庫というものは、作家を小さくすることによって、かえって長く生かす装置なのかもしれない。

 全集は作家を大きく保存する。何巻も並んだ立派な全集は、その人物が文学史上の重要人物であることを物理的な重さによって示している。しかし文庫本は反対である。作家を小さくして鞄に入れ、電車へ乗せ、旅先へ連れていき、枕元へ置く。

 全集が作家を記念碑にするものだとすれば、文庫は作家を再び読者の生活へ戻すものなのだろう。

中公文庫の棚には「複数の三島」が残った

 考えてみれば、三島由紀夫本人は1973年に生まれた現在の中公文庫を知らない。鳥を図案化したマークを見ることも、自分の『文章読本』が小さな文庫本になって書店へ並ぶところを見ることもなかった。

 それでも昭和48年以降、中公文庫の棚には三島がいた。

 しかも、そこに残ったのは一人の三島ではない。

 文章について考えている三島がいる。他の作家を論じている三島がいる。道徳をひっくり返して読者を挑発する三島がいる。戯曲を書く三島がいる。自分の身体について考えている三島がいる。そして、その三島を覚えている澁澤龍彦のような同時代人までいる。

 こうして昭和後期の中公文庫を年代順に眺めていくと、三島由紀夫という作家が一枚の有名な写真や一日の歴史的事件へ収束するのではなく、反対にいくつもの方向へ広がっていく。

 おそらく、そこが中公文庫と三島由紀夫の関係を考えるとき最も面白いところなのだと思う。

 三島を「事件から文学へ戻した」とまで断言することはできない。しかし中公文庫に残された本を読み継いでいけば、1970年11月25日だけでは到底説明できない三島由紀夫が見えてくる。

 一人の人間について私たちは、どうしても最も劇的だった一場面で記憶してしまう。しかし文学者の場合、その人が死んだあとにも文章は残る。そして文章が読み続けられる限り、その人物についての理解は一つに固定されることがない。

 文庫は、そのための小さな装置なのだろう。

 事件によって作家を記憶することもできる。写真によって記憶することもできるし、伝説によって記憶することもできる。しかし文庫には、それらとはまったく違う方法がある。

 何十年たっても、もう一度その人の文章を読ませるのである。

 三島由紀夫が中公文庫を見ることなく亡くなってから半世紀以上が過ぎた。それでも古本屋の棚から一冊を抜き出してページを開けば、そこにいる三島はまだ過去の人物になりきっていない。

 読者が文章を読み始めた瞬間だけ、作家は再び現在形になる。

 昭和の中公文庫が残したものを考えていると、結局そこへ行き着く。文学者を長く生かすのは巨大な記念碑ではなく、誰かが何気なく手に取ることのできる、小さな一冊なのかもしれない。

著者の関連ブログ

地域分析や暮らし、経済に関する情報をまとめています。

九条レオンの地域分析ブログ