リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

 孤独という言葉には、あまりよい響きがない。孤独死、孤立、ひきこもり、社会からの断絶といった言葉がその周囲に並び、できることなら避けるべき状態として語られることが多い。友人が多く、家族との関係が良好で、誰かと食事をし、休日にも予定がある人を見ると、私たちはそこに幸福の姿を重ねる。その反対に、一人で過ごす時間の長い人を見ると、何か問題があるのではないかと考えてしまう。

 しかし、三木清の『人生論ノート』を読むと、こうした単純な図式が崩れてくる。三木は孤独を、一人でいることそのものとは考えなかった。「孤独は山になく、街にある。」というよく知られた言葉が、その考えを象徴している。誰もいない山奥より、人々が行き交う街の方に孤独があるというのだから、常識とは反対である。

 けれども、少し自分の経験を振り返れば、この言葉はそれほど奇妙ではない。誰もいない部屋で本を読んでいる時より、大勢の人が楽しそうに話している席で、自分だけがそこに入れないと感じた時の方が孤独は強いことがある。職場で毎日何人もの人と話していても、自分の言葉が誰にも届かないと感じることはあるし、家族と暮らしていてさえ、自分だけが別の世界にいるように思える瞬間もある。人間の数が増えれば孤独が減るというほど、人の心は単純にはできていない。

 三木が見ていたのも、まさにこの奇妙な構造だった。彼は孤独を「独居」と区別し、一人で暮らすことを孤独そのものとはしなかった。むしろ孤独とは、人と人との間に生じるものだと考える。孤独が一人の人間の内部だけにあるのではなく、人間同士の関係の中に現れるとすれば、友人の数を増やすだけでは解決できない孤独があることになる。

一人になることで、孤独から離れることもある

 私たちは日常語では「一人でいる」と「孤独である」をほとんど同じ意味で使うが、この二つを分けてみると景色が変わる。人付き合いに疲れた日に一人で散歩すると、不思議に気持ちが落ち着くことがある。休日を誰とも会わず、本を読み、音楽を聴き、何も話さず過ごしたことで、むしろ心が回復する場合さえある。

 これは一人になったから孤独になったのではない。反対に、人間関係の中で感じていた孤独から、一時的に離れられたと考えることもできる。

 現代の心理学でも、ここには重要な区別がある。社会的孤立とは、人との接触や関係が客観的に少ない状態を指すのに対し、孤独感とは、自分が望んでいる人間関係と実際の人間関係との間に隔たりがあると感じる主観的な経験である。一人暮らしだから必ず孤独になるわけではなく、家族や友人に囲まれているから孤独ではないとも限らない。

 もちろん、三木が『人生論ノート』で論じている「孤独」と、現代心理学が測定する孤独感は同じ概念ではない。三木が考えていたのは、健康指標として測られる孤独というより、人間が他者や世界とどのように関わるかという哲学的な問題である。それでも、「一人でいること」と「孤独であること」を単純に同一視しない点では、八十年以上前の三木の考察と現代の研究は、不思議なほど近いところに立っている。

人とつながれば、孤独はなくなるのか

 三木の時代と比べれば、現代人ははるかに簡単に他人とつながることができる。遠く離れた友人とも瞬時に連絡が取れ、見知らぬ人の生活まで画面越しに知ることができる。人間同士を隔てていた物理的な距離は、確かに小さくなった。

 しかし、つながる手段が増えたからといって、孤独が同じ割合で減ったわけではない。これは、交流の回数と人間関係の充足感が別のものだからである。

 誰かが旅行していることを知り、誰かが仕事で成功したことを知り、誰かが家族と楽しそうに過ごしていることを知る。そうした情報は人との距離を縮めることもあるが、ときには自分と他人との違いを意識させることもある。ただし、ここで「インターネットや交流サイトが孤独を生み出す」と単純化するのは正確ではない。現代の研究でも、デジタルな交流そのものが孤独の直接原因だとは一概に言えず、どのような使い方をしているか、対面での交流を置き換えているかなどによって結果は異なると考えられている。

 三木の言葉を現代に置き換えて言うなら、「街」はもはや道路や建物だけでできているのではないのかもしれない。人々の言葉や生活が絶え間なく流れてくる画面の中にも街があり、そこでも私たちは他人と出会い、ときにはその出会いの中で孤独を感じる。

孤独には、どこか人を惹きつけるものがある

 三木の孤独論が興味深いのは、孤独を単なる苦痛として扱っていないことである。彼は孤独には「美的な誘惑」があると書いている。

 確かに孤独という言葉には、どこか文学的な美しさがある。夕暮れの海岸を一人で歩く人、深夜の書斎で本を読む人、大勢に理解されなくても自分の考えを守り続ける人。文学や映画は昔から、こうした孤独な人物を魅力的に描いてきた。集団から少し距離を置いている人物は、周囲に流されない独立した人間のように見える。

 そこには危うさもある。「誰にも自分は理解されない」という思いは苦しいが、同時に、自分は普通の人とは違うという感覚を与えることもある。孤独に傷つきながら、その孤独を自分自身の物語として愛してしまうことがあるのである。

 三木が「美的な誘惑」と呼んだものを現代の言葉に置き換えるなら、孤独そのものよりも「孤独な自分」に魅力を感じてしまう心理に近いのかもしれない。

 しかし三木は、そこで止まらない。孤独を味わうことから、その倫理的な意味へ進まなければならないと考える。孤独を美しいものとして眺め続けるだけなら、それは自己陶酔になる。大切なのは、孤独な自分をどのように見せるかではなく、その孤独から何を考え、何をするかということである。

なぜ孤独は「知性」に属するのか

 さらに三木は、現代人から見るといっそう奇妙に聞こえることを書く。孤独は感情ではなく、知性に属するものでなければならないというのである。

 普通に考えれば、孤独ほど感情的な経験はない。寂しさ、取り残された感じ、自分が誰からも必要とされていないような感覚。それらはいずれも感情として経験される。それなのに、なぜ三木は知性と言うのだろうか。

 ここで注意したいのは、三木のいう知性を、単なる論理的思考能力や冷静な自己分析と同じものとして読むべきではないことである。彼のいう知性は、自分自身だけでなく、他者や世界との関係を客観的に捉えようとする働きまで含んでいる。

 「私は寂しい」「私は理解されない」という思いの中にとどまっている限り、意識の中心にはいつも自分がいる。しかし、その経験から少し距離を取り、なぜ自分はこのような孤独を感じているのか、自分は他人に何を求めているのか、自分と他人との間にはどのような隔たりがあるのかと考え始めた時、孤独は単なる感情ではなくなる。

 孤独が世界を見るための場所に変わるのである。

 ここに三木が孤独を「知性」に結びつけた意味の一つを見ることができる。ただ悲しむだけではなく、その悲しみを通して自分と世界の関係を考える。孤独を感情として味わうことから、孤独について考えることへ移る。その時、人は少なくとも孤独に完全に支配されてはいない。

孤独を超えるところに「表現」がある

 三木の孤独論は、孤独とは何かを説明して終わらない。そこからどう進むかという問題へ向かっていく。

 その鍵になるのが「表現」である。

 三木は、人間が孤独を超えることのできる場所を、自己の表現活動の中に見ようとした。表現と聞けば、文章を書くことや絵を描くことを思い浮かべるが、この言葉を三木の思想全体に沿って広く捉えるなら、自分の内側にあるものを何らかの形で世界に差し出す行為と考えることもできる。

 人は孤独になると、「誰も自分を理解してくれない」と考えやすい。しかし、その問いを反対向きにしてみることもできる。誰かが自分を理解してくれることだけを待つのではなく、自分は世界に向かって何を表そうとしているのか、と考えるのである。

 文章を書くことでもよい。誰かと話すことでもよい。仕事をすることや、誰かのために何かを作ることも、広い意味では自分と世界との関係を形にする行為になり得る。ただし、これは三木が料理や仕事を具体例として挙げているという意味ではない。彼のいう「表現」を現代の日常生活まで広げて考えれば、そのような理解も可能だということである。

 表現したからといって、必ず理解されるとは限らない。文章を書いても読まれないことがあり、話しても伝わらないことがある。それでも、自分から世界へ何かを差し出す方向が生まれれば、孤独は完全に閉じた空間ではなくなる。

 孤独の中で自分自身だけを眺め続けていた人が、もう一度世界の方を向く。その転換を、三木は表現という言葉によって考えようとしたのではないだろうか。

孤独と愛は、本当に反対なのか

 ここで三木の孤独論は、さらに意外な場所へ進む。

 普通なら、孤独の反対は愛だと考える。愛してくれる人がいるから孤独ではない。家族や友人との関係があるから、人は孤独から救われる。そのように考えるのが自然である。

 ところが三木は、「孤独は最も深い愛に根差している」と書く。

 これは「孤独を深く経験すれば、その先に愛が待っている」という単純な意味ではない。むしろ、愛と孤独が最初から深いところで結びついているという考えである。

 人は、どうでもよい相手から理解されなくても、それほど傷つかない。自分にとって大切な人だからこそ、理解されないことが苦しくなる。世界に何の関心も持っていない人なら、世界との隔たりを問題にする必要もない。人や物事と深く関わろうとするからこそ、その距離を痛みとして経験することがある。

 そう考えれば、孤独は必ずしも愛が欠けている証拠ではない。愛そうとするからこそ生じる孤独もある。

 親しい者同士であっても、相手の心の中へ完全に入ることはできない。夫婦でも、親子でも、長年の友人でも、他者は最後まで自分とは異なる人間である。その違いがなくなれば、愛することも理解しようとすることも意味を失ってしまうだろう。

 人と人との間には、どうしても埋めきれない空間が残る。

 三木が孤独を人間の「間」に見たことと、孤独を深い愛に結びつけたことは、おそらく無関係ではない。人間の間に距離があるから孤独が生じる。しかし、その同じ距離があるからこそ、人は相手を知ろうとし、言葉をかけ、理解しようとする。

 孤独と愛は、単純な反対語ではないのである。

孤独を美化してはいけない

 ただし、ここまで読んで「孤独には価値があるのだから、一人でいる方がよい」と考えるのは早すぎる。

 現代医学や心理学の研究では、慢性的な孤独感や社会的孤立が、心身の健康と関連することが繰り返し報告されている。長期間にわたって他者との関係を失い、望んでも援助を得られず、強い孤独感を抱えている状態を哲学的な美しさによって正当化することはできない。

 三木の孤独論も、そのような医学的問題について書かれたものではない。

 ここで区別しなければならないのは、自ら選んで一人になる時間と、自分の意思とは関係なく社会から切り離されてしまう状態である。一人でいる時間が心を落ち着かせることもある一方、望まない孤立が長く続けば苦痛になる。それらをすべて「孤独」という一語でまとめてしまうと、議論を誤る。

 したがって、「孤独は悪いものなのか」という問いへの答えは、「孤独は良いものだ」ということではない。

 むしろ三木を読むことで分かってくるのは、孤独を善か悪かという二択だけで判断することの危うさである。

人間はなぜ言葉を必要とするのか

 人間同士が互いの内面を完全に知ることができないと考えるなら、そこには必ず距離が残る。その距離を私たちは言葉によって越えようとする。

 「私はこう思う」と話し、「あなたはどう思う」と尋ねる。説明し、聞き返し、誤解し、もう一度説明する。その繰り返しが人間関係を作っている。

 完全に分かり合えることが最初から保証されているなら、対話する必要はない。しかし実際には、分からないから話すのである。相手が自分とは違う人間だからこそ、言葉を渡す必要がある。

 そう考えると、孤独と対話は同じ場所から生まれていることになる。

 三木がいうように孤独が人間の「間」にあるのなら、その「間」は単なる空白ではない。その空間を越えようとして、表現が生まれ、対話が生まれ、理解しようとする努力が生まれる。

 孤独は、人間関係が失敗した時だけに現れるものではない。人間が他人と関係を結ぼうとする限り、ある程度の孤独は避けられないのかもしれない。

孤独をなくすのではなく、孤独から何をするのか

 『人生論ノート』を読んでも、孤独にならない方法は書かれていない。友人を増やしなさいとも、一人の時間を楽しみなさいとも書かれていない。三木は人生相談の回答者ではなく、人間が生きるということの構造を考えようとした哲学者だからである。

 彼の文章を読んでいると、孤独という言葉が少しずつ姿を変えていく。

 一人でいることだけが孤独なのではない。人の中にも孤独はある。そして孤独には、自分自身の中へ閉じこもり、「孤独な私」という物語に浸りたくなる誘惑がある。しかし、その孤独について考え、自分と世界との関係を問い直し、そこから何かを表現することができれば、孤独は単なる苦痛とは違う意味を持ち始める。

 だから三木の議論からは、孤独を「良い」「悪い」という二つの箱に簡単に分けることはできない。

 問題は孤独が存在することそのものより、孤独が自分をどちらへ向かわせているかにある。

 世界から遠ざかり、誰の言葉にも耳を閉ざし、自分の中だけへ沈んでいく孤独もある。一方で、一度立ち止まり、自分が何を考え、何を求め、他人とどのような関係を結びたいのかを考えるための孤独もある。

 そしておそらく、この二つは外から見ただけでは区別できない。

 一人で静かに本を読んでいる人が孤独とは限らず、大勢の人に囲まれて笑っている人が孤独ではないとも限らない。孤独とは人数で測ることのできない、人と世界との関係の問題なのである。

 「孤独は山になく、街にある。」

 この短い言葉が今なお印象に残るのは、私たちが孤独について抱いている常識を逆さにしてしまうからだろう。

 人のいない場所だけに孤独があるのではない。人と人との間にあるからこそ、孤独はなくならない。しかし、その「間」が存在するからこそ、私たちは言葉を使い、表現し、相手を理解しようともする。

 孤独とは、人間関係が終わった場所ではないのかもしれない。

 むしろ他人は自分とは違うのだという事実を認め、それでもなお、その隔たりを越えようとするところから、人間の関係は始まる。

 三木清の『人生論ノート』が孤独について考えさせるのは、孤独から逃げる方法ではない。孤独を抱えた人間が、それでも世界へ向かっていくとはどういうことなのかという、もっと難しい問いである。

 そして、その問いが残るからこそ、八十年以上前に書かれたこの文章は、人とつながる手段がかつてないほど増えた現在にも、奇妙なほど古びていないのである。

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 部屋の本棚を眺めていると、ときどき小さな後ろめたさを覚えることがある。書店で見つけたときには確かに「読みたい」と思い、財布を開いて持ち帰ったはずなのに、その後一度も開いていない本が何冊も並んでいるからだ。一冊だけならまだよいが、二冊、十冊、数十冊と増えてくると、それらは次第に「これから読む本」ではなく、「読めなかった本」のように見えてくる。読み終えた本には達成感があるのに、未読の本には宿題のような気配がまとわりつき、積み上がった冊数そのものが、自分の計画性のなさを告発しているようにも感じられる。

 日本では、この状態を古くから「積ん読」と呼んできた。「積んでおく」と「読書」を掛け合わせたしゃれのような言葉だが、その歴史は意外に古く、明治時代にはすでに「つんどく家」「つんどく先生」といった表現が現れている。つまり、本を買いながら読まずに置いておくという行為は、現代の大量出版やインターネット通販によって突然生まれたものではなく、本を所有する文化が広がったかなり早い時期から、人々が自覚していた現象だったのである。

 それでも私たちは、積ん読をどこか失敗として考えやすい。本は読むためのものなのだから、買っただけで読まなければ目的を果たしていない、という考え方は分かりやすい。購入を入力、読了を出力とするならば、未読本とは処理されないまま残ったデータのようなものになる。年間何冊読んだか、月に何冊読破したかという数字で読書を管理する習慣が強くなれば、積ん読の山は「未達成」の量として数えられてしまう。

 しかし、人間が本を買う理由は、本当に最後のページまで読むことだけなのだろうか。書店で一冊の歴史書を手に取った人は、その瞬間に歴史を学んだわけではないが、「いつかこの時代について知りたい」と思っている。難しそうな哲学書を買った人も、その日のうちに哲学者になるわけではない。それでも、その本を持ち帰るときには「いつかこの問題を考える自分」が、かすかに想像されている。そう考えるなら、本を買うという行為には、現在の自分が未来の自分にひとつの可能性を渡すという側面がある。

 もちろん、「未読本を所有すれば未来の自分が豊かになる」という因果関係が科学的に証明されているわけではない。それでも、所有物が単なる物ではなく、人間の自己像と結びつくことは、心理学や消費者行動研究で長く論じられてきた。アメリカの研究者ラッセル・ベルクは、人間が所有する物を「拡張された自己」として捉え、所有物が「自分はどのような人間なのか」という感覚に関係すると論じた。本もその例外ではなく、個人の本棚についての研究では、蔵書が他人への自己演出だけでなく、持ち主自身が自分をどのような読者だと考えるか、その確認にも関わることが指摘されている。

 本棚を見れば、その意味は直感的にも分かる。そこには、実際に読んだ本だけでなく、かつて読みたいと思った本が残っている。若い頃に買った社会思想の本、仕事のために必要だと思って買った専門書、旅先で偶然見つけた地方出版社の本、新聞の書評を読んで衝動的に購入した小説。現在の自分なら選ばない本が並んでいることさえあるが、それらを眺めていると、「あの頃の自分は、こんなことに関心を持っていたのか」と思い出す。本棚とは知識の倉庫である以前に、選択の痕跡が堆積した場所なのかもしれない。

 この意味で、積ん読された本は少し奇妙な存在である。読了した本ならば、「面白かった」「難しかった」「途中から退屈だった」と何らかの評価を下すことができる。しかし未読本には、それができない。その本が人生を変える一冊なのか、二十ページで投げ出す本なのか、まだ何も決まっていない。読まない限り、その本は内容を持ちながら、持ち主にとっては可能性のまま存在し続ける。

 だから未読本には、既読本とは違う時間が流れている。買った直後には読みたかったのに、数年間まったく興味を失うこともあれば、十年前には退屈そうに見えた本が、ある日突然必要になることもある。社会で大きな出来事が起きたとき、かつて買った歴史書が気になり始めるかもしれない。親を亡くした後で、以前なら何も感じなかった小説の題名が急に胸に引っ掛かることもある。仕事を辞めた後で、若い頃に買った思想書が突然身近な問いを語り始めることさえある。

 本は変わっていない。変わったのは読者の方である。

 このことは、単なる文学的感傷とも言い切れない。読解に関する心理学研究では、年齢や人生経験によって文章の受け取り方が変わり得ることが示されている。若い読者が文章そのものの情報を比較的忠実に追うのに対して、年齢を重ねた読者では、物語の心理的意味や背景を自分の経験と結びつけて再構成する読み方が現れることがある。文学を読んでいる途中で、自分自身の過去の経験が呼び起こされ、それが作品への共鳴に影響することも研究されている。

 そうであるならば、「買ったときにすぐ読むこと」が、必ずしもその本と出会う最良の時期とは限らない。二十歳で読んでも通り過ぎてしまった一節が、六十歳では立ち止まらずにいられない言葉になることがある。反対に、若い頃には鮮烈だった小説が、何十年後かに読み返すと驚くほど平板に感じられることもある。本の内容が変わったわけではなく、読む側の記憶、経験、価値観が変化したことで、同じ文章から取り出される意味が変わったのである。

 ここで積ん読という現象を考え直してみると、未読本は「読むべきなのに放置された本」というだけではなく、「まだ読者との時間が一致していない本」と見ることもできる。もちろん、それは美しい解釈にすぎない場合もある。実際には、単に買ったことを忘れているだけの本もあるし、二度と興味を持たない本もあるだろう。それでも、購入から読書までの間に時間が空くこと自体を、直ちに失敗と判断する必要はない。

 紙の本では、この時間差が特に目に見える。電子書籍にも未読本はいくらでも存在するが、端末やアプリを開かなければタイトルを見ることさえない。それに対して紙の本は、読まれていなくても机の上にあり、本棚に背表紙を向け、時には床に積まれながら、所有者の生活空間に居続ける。紙の本と電子書籍の心理的所有感には違いが生じ得ることも研究されており、紙の本棚が読者としての自己認識に関係することも指摘されている。

 その物理的な存在は、記憶との関係でも興味深い。心理学には、将来しようと思っている行動を適切な時点で思い出す展望記憶という研究分野があり、人間は環境にある手掛かりによって、以前の意図を思い出すことがある。本棚の背表紙を目にしたからといって必ず「読もう」と思い出すわけではないが、そこに本が存在し続けることが、かつて抱いた関心を呼び戻す手掛かりになる可能性はある。「そういえば、これを読みたかったのだ」という小さな再発見は、紙の本が生活空間に残っているからこそ起こりやすい場面の一つだろう。

 考えてみれば、積ん読本は不思議なほど控えめである。読めとは命令しないし、読まなかったからといって罰も与えない。ただそこに置かれている。それでも、ときどき背表紙が目に入り、「あなたは以前、この世界に興味を持ったことがあります」と思い出させる。過去の自分から現在の自分へ届く、非常に遅い手紙のようなものとも言える。

 さらに興味深いのは、未読本が知識ではなく「無知」を可視化する点である。本棚に読了した本だけが並んでいれば、それは自分が知った世界の展示室になる。しかし未読本が混じっていれば、そこには「まだ知らない世界」も並ぶ。分厚い世界史、古典哲学、知らない国の小説、理解できる自信のない科学書。それらの背表紙を眺めれば、自分が知っている範囲がどれほど限られているかを思わされる。

 もっとも、「本をたくさん読むほど人間は自分の無知を正確に認識する」とまで科学的に断定することはできない。だが、読書を続けていると、一冊を読むたびに新しい知らない本へたどり着くという経験は珍しくない。ある歴史書を読めば参考文献に別の本が並び、その本を読めばさらに別の思想家が現れる。知識の世界は、奥へ進めば壁に突き当たるのではなく、むしろ新しい通路が増えていく。その結果として本棚に未読本が増えるなら、それは必ずしも読書の敗北とは言えない。

 むしろ、未読本がまったくない状態を想像すると少し奇妙である。読みたいと思った本をすべて読み終え、新たに読みたい本も一冊もない。本棚にあるのはすべて理解済みの本だけで、知らない領域への入口がどこにも残されていない。その状態は整然としていて気持ちがよいかもしれないが、知的生活という点では、どこか閉じているようにも見える。

 もちろん、ここから「積ん読は多いほど優れている」という話にはならない。家には広さがあり、家計にも限界がある。本を買う行為そのものが目的になれば、読書ではなく収集に近づく場合もあるし、本棚を自分の知性を誇示する舞台として使うこともできる。読まない本を大量に所有しているだけで、知識が増えるわけでもない。未読の医学書を百冊持っていても医療知識が身につくわけではなく、哲学全集を並べても哲学を理解したことにはならない。

 それでも、読んでいないという一事だけで、その本との関係を「失敗」と判定するのも早すぎる。本は情報を受け取るための媒体であると同時に、文化を保存する物でもあるからだ。このことは図書館を考えるとよく分かる。図書館にある何十万冊という本のすべてが毎年読まれているわけではない。何年も誰にも借りられない本もある。それでも、必要とする人が現れたときに取り出せるよう保存されていること自体に意味がある。

 もちろん、公共図書館と個人の積ん読を同じものと考えることはできない。図書館には収集・保存・提供という制度的な目的があり、個人の本棚にはそこまで整然とした使命はない。しかし、個人の本棚にも「いま必要ではないが、いつか必要になるかもしれない本を残しておく」という働きが生じることはある。その意味では、本棚は極めて私的で偏った小さな図書館に似ている。

 その偏りこそが面白い。公共図書館なら分類体系に従って並ぶところを、個人の本棚では、哲学書の隣に旅行記があり、その隣に料理本があり、さらに昔好きだった推理小説が挟まっていることもある。そこには体系ではなく人生の偶然が並んでいる。仕事のために買った本、失恋したときに買った本、旅先の古書店で何となく手に取った本、友人に勧められたまま読まずにいる本。その無秩序には、本人にしか分からない時間が保存されている。

 文化全体に視野を広げれば、「いま読まれていない」という状態が、その作品の最終的な価値を決めるわけではないことにも気づく。文学史を振り返れば、刊行当時に十分評価されなかった作品や、一時期ほとんど読まれなくなった作品が、後世の研究や復刊によって再評価されることがある。逆に、ある時代には広く読まれながら、その後ほとんど忘れられた本も少なくない。作品の価値と、その時代にどれだけ読まれているかは、必ずしも一致しないのである。

 だから文化には、読まれない時間も必要なのかもしれない。本は常に誰かに読まれ続けなければ存在価値を失うものではなく、書庫や図書館や個人の本棚で長い沈黙を過ごしながら、別の時代の読者を待つことができる。一冊の本から見れば、人間の十年や二十年はそれほど長い時間ではない。持ち主が買った直後に読まなくても、その本が消えてしまうわけではない。

 現代では、読書にも効率が求められやすい。一冊を短時間で読み、要点をまとめ、次の本へ進む。何冊読んだかが数字になり、読了冊数が成果のように扱われる。しかし、人間の読書は本来、それほど直線的ではない。途中でやめることもあれば、二十年後に読み直すこともあり、買ったことさえ忘れていた本に突然救われることもある。

 本には本の時間があり、読者には読者の時間がある。その二つが重なる瞬間は、必ずしも本を買った日ではない。

 積ん読された本の中には、生涯開かれない一冊も当然あるだろう。その本については、最後まで「読む可能性」のまま終わる。それでも、それを完全な失敗と呼ぶかどうかは、本というものを何だと考えるかによって変わってくる。情報を効率よく摂取する道具だと考えれば失敗かもしれないが、人間の関心、記憶、自己像、文化への入口として考えれば、未読であることにも別の意味が現れてくる。

 積ん読は、知識を獲得できなかった痕跡であると同時に、まだ知ることのできる世界を手元に残している状態でもある。すべての本を読み終え、未読の本が一冊もない本棚には確かな達成感があるだろう。しかしそこには、ほんの少しだけ未来が足りないようにも見える。

 本棚の隅で何年も眠っている一冊を見つけたとき、「まだ読んでいない」と自分を責める必要はない。その本は単なる宿題ではなく、過去の自分が未来の自分に残した問いなのかもしれない。明日開くかもしれないし、十年後かもしれない。あるいは最後まで開かないかもしれない。それでも、その本がそこにある限り、自分の知っている世界の外側に、まだ別の世界が残っている。

 積ん読とは、読書の失敗というより、読むことのできないほど多くの本と、そのすべてには決して追いつけない有限な人間との間に生まれた、ごく自然な文化の風景なのかもしれない。

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日本の戦後文学を読んでいると、実際には日本を舞台にしているにもかかわらず、その向こう側にアメリカが見えてくる作品がある。登場人物がアメリカへ行くわけでもなく、物語そのものがアメリカ社会を描いているわけでもない。それでも、自動車、オートバイ、道路、音楽、コーヒー、服装、会話の仕方、男女の距離といった細部を通して、日本とは少し違う生活の感覚が伝わってくる。

そのことを考えるとき、私には片岡義男と村上春樹という二人の作家が思い浮かぶ。

二人を「アメリカの影響を受けた日本人作家」という一言でまとめることはできる。しかし、それではあまりにも大ざっぱである。二人の作品に現れるアメリカは、同じものではないからだ。

片岡義男の小説に感じられるアメリカは、道路の向こう側にあり、オートバイや自動車とともに移動する。それに対して村上春樹の文学では、アメリカは必ずしも遠くにある国として登場しない。音楽や小説や言葉のリズムを通して、日本で暮らしている人物の内側にまで入り込んでいる。

同じアメリカを見ていながら、片岡義男はそこへ向かって走り、村上春樹はそこから言葉を取り込み、日本語の文学そのものを組み替えていったように見える。

この違いを考えると、戦後の日本人にとって「アメリカ」とは何だったのかも、少し違って見えてくる。

高校生だった私に片岡義男が運んできたアメリカ

私は高校生の頃、太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介、川端康成といった作家とともに片岡義男を読んでいた。

現在から考えると、この組み合わせは少し不思議に見えるかもしれない。しかし当時の高校生にとって、文学史上の作家と同時代の人気作家が明確に別々の棚に存在していたわけではない。書店の文庫本の棚には過去と現在が同時に並んでいて、こちらもそれほど厳密に区別せずに読んでいた。

そのなかで片岡義男は、太宰や三島とは明らかに違った方向へ私を連れていった。

そこにあったのは、自分の内面を掘り下げていく文学というより、外へ向かって移動していく感覚だった。道路があり、オートバイがあり、自動車があり、海があり、音楽があり、男女が出会う。人間の心理を長く説明するよりも、人物がどこにいて、何をして、何を身につけ、何に乗っているのかによって、その人の生き方が伝わってくる。

以前の記事「片岡義男の小説が運んできた、昭和のアメリカ」でも考えたように、そこにあったのは現実のアメリカそのものというより、昭和の日本人がアメリカに重ねていたイメージだった。

自由、移動、乾いた風景、個人主義、男女の対等な距離、そして日本の生活とは少し違う軽さ。

もちろん、現実のアメリカ社会がそのような単純な場所でなかったことは言うまでもない。人種問題も貧困も政治的対立もあり、アメリカを自由な社会としてのみ捉えることはできない。

しかし文化は、必ずしも外国の現実をそのまま輸入するわけではない。外国について断片的に得た情報から、その時代の人々が自分たちなりの外国像を作り上げることがある。

片岡義男の作品に現れるアメリカは、そのような「日本から見たアメリカ」の一つだったのだと思う。

片岡義男のアメリカは「風景」として見える

片岡義男を考えるとき、私が特に重要だと思うのは、アメリカ的なものが目に見える形で現れやすいことである。

オートバイ、自動車、ジーンズ、道路、海岸、飲み物、音楽、カメラといったものが、単なる小道具ではなく人物の生き方と結びつく。

たとえばオートバイは、ある地点から別の地点へ移動するためだけの機械ではない。それに乗るという行為そのものが、一人でいること、自分で行き先を決めること、都市から離れること、誰かと出会い、また別れることとつながっていく。

自動車も同じである。

日本の文学では、家や学校や会社といった固定された場所が人間関係の舞台になることが多かった。しかし自動車の中では、人は家庭にも会社にも完全には属していない。

移動している途中にいる。

この「途中にいる」という感覚は、片岡義男の文学に感じるアメリカを理解するうえで重要なのではないかと思う。

そこでは人間は共同体から少し離れ、自分自身の意思で動くことができる。

だから片岡義男が描いたアメリカ的世界は、思想として説明される前に風景として見える。

道路の向こうへ行けそうだという感覚そのものが、一つの自由を表していた。

村上春樹のアメリカは、少し違う場所にある

村上春樹にも、アメリカ文化との深い関係がある。

村上は1979年に『風の歌を聴け』でデビューし、その後、小説を書く一方で翻訳を継続してきた。新潮社の著者紹介でも、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーなど、多くの英語圏作家を翻訳してきたことが確認できる。

本人も翻訳について「主として現代アメリカ小説」を長年訳してきたと述べており、アメリカ文学との関係は単なる読書上の趣味ではなく、作家活動のもう一つの大きな柱になっている。

ここからすでに、片岡義男との違いが見えてくる。

片岡義男の作品では、アメリカ的なものが外側の世界として見えやすい。それに対して村上春樹の場合、アメリカ文学は日本語の文章を書く行為そのものにまで入り込んでいる。

『パリ・レビュー』のインタビューでも、村上文学とアメリカのポピュラー文化との強い関係が論じられ、村上自身がフィッツジェラルド、カポーティ、カーヴァーなどを翻訳してきたことが語られている。

つまり村上春樹にとってアメリカとは、物語のなかに登場させる外国文化である以前に、文章を作るための一つの言語的経験でもあったと考えることができる。

「アメリカを見る」のと「アメリカを通して日本語を書く」の違い

ここに二人を比較するうえで最も興味深い違いがある。

片岡義男の場合、日本の若者がアメリカ文化を見る。

村上春樹の場合、アメリカ文学を通して日本語そのものを見る。

もちろん、この区別は完全なものではない。片岡義男にも言葉への鋭い感覚があり、村上春樹の作品にも自動車、音楽、服装、食べ物など具体的な生活文化が数多く登場する。

それでも、重心は違うように思える。

片岡義男を読むと、人物が何に乗り、どこへ行き、どのように人と関わるのかという外側の動きが印象に残る。

村上春樹を読むと、日常生活のなかに音楽や外国文学や料理や酒が自然に入り込み、それらが人物の孤独や記憶や喪失と結びついている。

アメリカが「向こう側」にあるのではない。

すでにこちら側の生活に入り込んでいる。

これが二人の大きな違いではないだろうか。

片岡義男には道路があり、村上春樹には部屋がある

二人の違いをかなり単純化するなら、片岡義男には道路があり、村上春樹には部屋がある、と表現することもできる。

ただし、これは作品を二分するための分類ではない。二人の文学に漂う方向性を考えるための比喩である。

片岡義男の人物は移動する。

道路を走り、都市を離れ、海へ向かい、別の場所へ行く。その移動のなかで男女が出会い、関係が生まれ、やがてそれぞれの方向へ進んでいく。

一方、村上春樹の人物には、部屋で音楽を聴き、料理をし、本を読み、電話を受け、何かを考えている姿がよく似合う。

そこにもアメリカ文化は存在する。

しかしそれは巨大な星条旗のように目立って存在するわけではない。レコードや小説やウイスキーの名前として、あるいは文章の呼吸として、静かに日常へ埋め込まれている。

この違いは、戦後日本におけるアメリカ文化の受け入れ方の変化とも重なっているように思う。

アメリカが「憧れ」から「日常」へ変わっていく

戦後しばらくの日本にとって、アメリカは圧倒的に大きな存在だった。

政治や軍事だけではなく、映画、音楽、ファッション、家電、自動車、食生活などを通して、アメリカ式の生活は豊かさや新しさと結びついて見えることがあった。

しかし高度経済成長を経て日本が豊かになり、1970年代から1980年代へ進むにつれ、アメリカ文化との距離は少しずつ変化していく。

外国映画を見ることも、ロックやジャズを聴くことも、ジーンズを履くことも、コーヒーを飲むことも、特別な行為ではなくなっていった。

アメリカ文化は、遠くから眺めるものだけではなく、日本の日常生活の一部になっていく。

片岡義男と村上春樹の違いは、この変化を考える材料にもなる。

片岡義男の世界では、まだアメリカ的な生活様式そのものに新鮮さがある。

オートバイで移動すること、男女が互いに自立していること、乾いた会話を交わすこと、持ち物や服装によって個人のスタイルを示すことが、それまでの日本的生活とは違うものとして見える。

ところが村上春樹になると、それらの文化はすでに説明する必要さえないほど生活の内部へ入っている。

ジャズを聴く人物が出てきても、それだけで「アメリカ人のような人物」を意味するわけではない。

アメリカ文化を取り入れているという意識さえ薄くなり、日本の日常のなかに異文化が普通に存在している。

それは日本がアメリカ化したという単純な話ではなく、文化の境界そのものが曖昧になったということなのだろう。

音楽の役割も二人では少し違う

音楽は、二人を比較するときにも興味深い。

片岡義男の世界では、音楽はオートバイや自動車や服装と同じように、生活のスタイルを構成する要素として見えてくる。

何を聴いているかは、その人物がどのような世界に属しているかを示す。

これに対して村上春樹の作品では、音楽は人物の記憶や時間とより深く結びついていく。

一つの曲を聴くことによって過去が戻り、失われた人物や時間が現在へ入り込んでくる。

したがって同じアメリカ音楽であっても、それが物語の中で果たす役割は必ずしも同じではない。

片岡義男では音楽が「どのように生きるか」というスタイルに近づき、村上春樹では「どのように記憶するか」という内面に近づいていく。

こう考えると、外側と内側という二人の違いが、音楽の扱いにも現れているように見える。

二人とも「日本から逃げた作家」ではない

アメリカとの関係を強調しすぎると、もう一つの誤解が生まれる。

片岡義男も村上春樹も、日本的なものを嫌い、アメリカへ逃げようとした作家だったという見方である。

これは単純すぎると思う。

むしろ二人が行ったのは、外国文化を利用して日本を違う角度から見ることだったのではないだろうか。

外国を見ることによって、自分が暮らしている社会の特徴が見えてくることがある。

日本の家族、日本の男女関係、日本の会社、日本の集団、日本語の文章。

そのなかにずっといると当たり前に見えるものでも、別の文化と比較すると急に輪郭が現れる。

片岡義男が描く男女の距離や移動の自由さが新鮮に感じられたのは、それを読む側が同時に日本社会の人間関係を知っていたからである。

村上春樹の文章が従来の日本文学と違って感じられたのも、それ以前の日本語小説の文体が読者の中に存在していたからだろう。

アメリカは日本を消すために使われたのではなく、日本を別の角度から見るための鏡になったのである。

片岡義男の「軽さ」と村上春樹の「軽さ」

二人には、もう一つ共通して語られやすい言葉がある。

それが「軽さ」である。

片岡義男の文章や人物関係には、従来の日本文学にあった重苦しい心理説明とは違う軽さを感じることがある。

村上春樹も、デビュー当時から、それまでの純文学とは異なる会話や文章のリズムを持った作家として受け止められてきた。

しかし、この二つの軽さも同じものではない。

片岡義男の軽さは、人物を過度に共同体へ縛りつけないところから生まれているように思う。

人は出会うが、永遠に相手を所有しようとはしない。

場所を離れれば、関係も変化する。

その軽さは、移動することのできる身体の軽さでもある。

一方で村上春樹の軽さは、深刻な問題を深刻な言葉だけで語らないことにある。

孤独や喪失や死といった重い題材があっても、文章そのものが必要以上に感情を説明しない。

日常的な行動や音楽や食事の描写の間から、少しずつ重いものが現れてくる。

だから表面が軽いからといって、内容まで軽いとは限らない。

この点でも二人は似ているようで違っている。

アメリカを描きながら、二人が描いていたのは日本だった

結局のところ、片岡義男と村上春樹が描いてきたものを「アメリカ文学的」とだけ呼ぶと、大切なものが抜け落ちてしまう。

二人が書いていたのは日本語であり、その読者の多くも日本で暮らしていた。

だから作品に現れるアメリカ的なものは、常に日本との関係のなかで意味を持つ。

片岡義男の道路が魅力的に見えるのは、日本社会の固定された人間関係から離れられる可能性を感じさせるからである。

村上春樹の人物が一人で音楽を聴き、料理をし、自分の時間を守る姿が印象に残るのも、日本社会における集団と個人の関係を私たちが知っているからだろう。

アメリカを描くことによって、二人はむしろ「日本人が個人として生きるとはどういうことなのか」を別々の方法で考えていた、と見ることもできる。

ここで二人は意外なところで近づく。

片岡義男の人物も、村上春樹の人物も、集団の中心で大声を上げる人物ではない。

自分の好きなものを持ち、自分の時間を持ち、必要以上に他人へ入り込まない。

その人物像には、戦後日本が少しずつ発見していった「個人」というものが映っているように思える。

道路の向こうにあったアメリカと、すでに自分の中にあるアメリカ

高校生だった私に、片岡義男の小説はそれまでとは違う方向の風景を見せた。

そこには道路があり、オートバイや自動車があり、音楽があり、海があった。

それはアメリカそのものではなかった。

昭和の日本から見たアメリカだった。

しかし若い読者にとって、現実のアメリカと完全に一致している必要はなかったのだと思う。

重要だったのは、自分が暮らしている場所とは違う生き方があるかもしれない、と想像できることだった。

村上春樹になると、そのアメリカはさらに近くなる。

外国へ向かって走る必要さえない。

アメリカ文学を読み、翻訳し、ジャズやロックを聴き、その感覚を日本語の文章へ持ち込むことで、国境は文学の内部で越えられていく。

だから二人が描いた「アメリカ」の違いを一言で表すなら、片岡義男のアメリカは道路の向こう側に見えるアメリカであり、村上春樹のアメリカはすでに自分の内側に入り込んでいるアメリカなのかもしれない。

前者には、まだ知らない世界へ出ていく魅力がある。

後者には、外国文化と日本文化を分けること自体が次第に難しくなっていく時代の感覚がある。

そして二人のあいだにあるこの違いは、単なる作家の個性だけではなく、戦後の日本人とアメリカ文化との距離が変化していった過程とも重なっている。

かつてアメリカは、海の向こうにある巨大な外国だった。

やがて映画や音楽や商品を通して身近になり、さらに文学や言葉の中へ入り込んでいった。

片岡義男と村上春樹を続けて読むと、その変化が二人の作品の向こう側に見えてくる。

文学とは、作家が物語を作るだけのものではない。

一つの時代が外国をどのように見ていたのか、そして外国を見ることによって自分たち自身をどのように見直したのかを残すものでもある。

片岡義男と村上春樹が描いた二つの「アメリカ」の間には、昭和から平成へと移っていった日本人の感覚の変化も、静かに記録されているように思う。

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~日本文学でありながら、国境を越えて読まれる理由を考える~

日本の作家でありながら、世界の多くの国で名前を知られている作家がいる。村上春樹である。

村上春樹の作品は、現在では50を超える言語に翻訳され、アジア、ヨーロッパ、北米をはじめ、さまざまな地域で読まれている。日本で人気のある作家が外国語に翻訳されること自体は珍しくないが、村上春樹の場合は、単に「日本の有名作家が海外でも紹介されている」という段階を越えている。国によって読者層は異なり、作品の受け止め方も違う。それでも長く読み継がれ、新作が出れば世界各地で話題になる作家になっている。

なぜなのだろう。

日本文化への関心が高いからなのか。翻訳に恵まれたからなのか。文章が読みやすいからなのか。それとも、世界の読者が共感できる何かが作品の中にあるからなのか。

おそらく、そのどれか一つでは説明できない。

村上春樹の小説には、日本で書かれた文学でありながら、日本社会について詳しい知識を持たなくても作品の中へ入っていける特徴がある。その一方で、物語の中心には孤独や喪失、自分が自分であることへの違和感、他人との距離といった、人間が国籍に関係なく抱きうる感情が置かれている。

そして、そこには音楽があり、食事があり、仕事があり、恋愛があり、都市生活がある。極めて日常的な生活が続いていると思うと、そのすぐ隣に説明のつかない世界が開く。

この現実と非現実の混ざり方に、村上春樹が世界で読まれる理由の一つがあるのではないかと思う。

日本を説明しなくても読める日本文学

外国文学を読むとき、その国の歴史や宗教、社会制度についての知識がないために、作品へ入りにくいことがある。

私自身、高校生のころにフランス文学やロシア文学へ挑戦したことがあるが、作品そのものの難しさに加えて、そこに描かれている社会の仕組みや階級、宗教観、人物の複数の呼び名などが理解を難しくした。

その経験から考えると、村上春樹の小説には、外国人読者にとって比較的入りやすい部分があるように思う。

登場人物は音楽を聴く。食事を作る。コーヒーを飲む。本を読む。仕事をする。誰かからの電話を待つ。失われた人を思い出す。

もちろん舞台は日本であり、日本社会の中で人物は生活している。しかし、それらの日常は、日本にしか存在しないものではない。

ニューヨークでもロンドンでもパリでも、あるいは上海でもソウルでも、人は一人で食事をし、音楽を聴き、誰かを思い出す。

つまり、村上作品には、読者が自分の生活から物語へ入っていける入口がある。

外国文学を読むときに必要になることのある「まずその国を理解しなければならない」という壁が、比較的低いのである。

だからといって、村上春樹の文学が日本的でないということではない。

むしろ重要なのは、日本社会の中にいる人物を描きながら、そこに普遍的な生活感覚が存在していることではないだろうか。

西洋文化の影響だけでは説明できない

村上春樹については、しばしば「西洋的な作家」という評価がなされる。

実際、作品の中にはジャズやクラシック音楽、ロックなどが頻繁に登場する。外国文学への言及も多く、本人自身が英語圏文学から強い影響を受けてきたことも知られている。

しかし、「西洋的だから西洋でも読まれた」と考えるだけでは、説明としては不十分である。

もし外国文化を取り入れるだけで世界的な作家になれるのであれば、同じことをしている作家は世界中に数多く存在するはずだからである。

村上春樹の場合に興味深いのは、西洋文化を異物として描くのではなく、日本の日常生活の中へ自然に置いているところだと思う。

登場人物がジャズを聴いていても、それは外国文化を紹介するためではない。クラシック音楽について語っていても、教養を示すためだけに登場するわけではない。それらは人物の生活の一部として存在している。

考えてみれば、現在の私たちの生活そのものがそうである。

日本人がアメリカの音楽を聴き、ヨーロッパの映画を見て、外国製のコンピューターを使い、海外の情報に日常的に接する。

同時に、外国の人々も日本のアニメや小説に触れ、韓国の音楽を聴き、世界中の文化を混ぜながら生活している。

現代社会では、文化はすでに国境できれいに分かれてはいない。

村上春樹の小説は、そうした時代の生活感覚をかなり早い段階から文学の中に取り込んでいたのではないかと思う。

孤独は国境を越える

しかし、文化的に入りやすいというだけなら、村上作品がこれほど長く世界で読まれている理由にはならない。

もっと重要なのは、物語の中心に置かれている人間の問題である。

村上春樹の小説には、孤独な人物がしばしば登場する。

ただし、その孤独は社会から完全に排除された人間の孤独とは限らない。

仕事を持っている。住む場所もある。恋人や配偶者がいることもある。日常生活も送っている。それでも、どこか世界と完全にはつながっていない。

周囲と普通に会話をしながら、自分だけが少し別の場所にいるように感じる。

誰かを失った記憶が残っている。

過去の出来事から完全には離れられない。

自分は何者なのかと考える。

この感覚は、日本人だけのものではない。

むしろ、都市化が進み、人間関係が複雑になった現代社会では、多くの国の読者が理解できる感情ではないだろうか。

大勢の人に囲まれていても孤独を感じることがある。

SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流し情報を発信するサービス)で多くの人と接続していても、心の距離が縮まるとは限らない。

社会が便利になれば、人間の孤独が自動的に消えるわけでもない。

むしろ、社会との接続が増えるほど、自分自身の内側にある孤独がはっきり見える場合もある。

村上春樹の小説には、そのような現代人の感覚が繰り返し現れる。

だから読者は、作品の舞台が日本であっても、自分自身の問題として読むことができるのだと思う。

日常のすぐ隣に、別の世界がある

村上春樹の小説を特徴づけるものの一つが、現実と非現実の境界の曖昧さである。

主人公は普通に生活している。

朝起きて、食事をし、音楽を聴き、仕事をする。

ところが、その日常の中に突然、説明のできない出来事が入り込んでくる。

現実には存在しないような場所へ行くこともある。夢と現実の境界が曖昧になり、不可解な人物と出会うこともある。

しかし、それらは完全なファンタジー世界として切り離されてはいない。

あくまでも現実の続きとして現れる。

昨日まで普通だった世界の床板が一枚外れ、その下に別の世界があることに気づくような感覚である。

この構造もまた、国境を越えやすい。

特定の宗教や神話について詳しい知識を持っていなくても、「今、自分が見ている世界だけが本当なのだろうか」という感覚は理解できるからである。

人間は現実の中で生きているが、頭の中では常に記憶や想像、夢と一緒に生きている。

過去に起きたことを現在の出来事のように思い出すこともある。

存在しない未来について不安になることもある。

現実だけで人間の内面を説明することはできない。

村上春樹の小説は、その内面を異世界や夢のような形にして見せているとも考えられる。

音楽が作品の中に流れている

村上春樹の作品について語るとき、音楽を無視することはできない。

ジャズ、クラシック、ロックなど、多くの音楽が作品の中に登場する。

興味深いのは、この音楽が世界の読者をつなぐ共通の記号になることである。

日本語の文章は、外国の読者が読むためには翻訳されなければならない。

しかし、作品の中に登場する音楽そのものは翻訳する必要がない。

日本の登場人物が聴いている曲を、アメリカの読者も知っているかもしれない。ヨーロッパの読者も同じ演奏家を聴いているかもしれない。

すると、日本語で書かれた小説の中に、読者がすでに知っている世界が現れる。

これは作品への距離をかなり縮める。

また、音楽は単なる固有名詞ではなく、作品の時間や感情を作る役割も持っている。

文章を読みながら、読者の頭の中では音が鳴る。

本来、文字だけで作られている小説の中に、音楽によるもう一つの層が生まれる。

この感覚も、村上作品の独特な読みやすさと世界性に関係しているように思う。

翻訳されても残りやすい文章

世界文学として広がるためには、当然ながら翻訳が必要になる。

村上春樹の作品が多くの言語で読まれているということは、作品そのものの魅力だけでなく、それを別の言語へ移した翻訳者の仕事があって初めて成立する。

ただ、それと同時に、村上春樹の文章には、他言語に移しても一定の骨格を保ちやすい特徴があるのではないかとも思う。

文章は比較的明確で、過度に古典的な日本語表現に依存していない。

難しい修辞を幾重にも重ねるというより、比較的平明な文章を積み上げながら独特のリズムを作る。

もちろん、日本語で読む場合と英語やフランス語で読む場合とが同じであるはずはない。

翻訳は必ず何かを変える。

しかし、孤独や喪失という主題、人物の会話、音楽、食事、都市生活、現実と異世界の境界といった作品の大きな構造は、言語が変わっても比較的残りやすい。

さらに、村上春樹自身が長く翻訳を行ってきた作家であることも興味深い。

自分の文章を書く一方で、別の言語で書かれた文学を日本語へ移す仕事を続けてきた。

一つの言葉を別の言葉に移すと何が残り、何が失われるのかを、作家自身が経験してきた。

それが自分の文章にも何らかの影響を与えていると考えるのは、不自然ではないだろう。

本当に「無国籍」なのか

村上春樹については、「無国籍的な文学」という表現が使われることがある。

確かに、世界中の読者が入りやすいという意味では理解できる。

しかし、完全に国籍のない文学というものが本当に存在するのだろうか。

村上春樹は日本語で書いている。

日本社会の中で生きてきた。

東京をはじめ日本の都市も作品に登場する。

日本の歴史や社会と関係する作品もある。

したがって、日本性がないから世界で読まれると考えるのは適切ではない。

むしろ、村上作品の特徴は、日本の中にいながら世界と接続しているところにあるのではないか。

その姿は、現在の日本人の生活そのものにも近い。

私たちは日本語で暮らし、日本の社会制度の中で生活している。しかし同時に、外国の音楽を聴き、海外の映画を見て、世界中の情報に接している。

完全に日本だけで閉じた生活でもなければ、国籍を失った生活でもない。

村上春樹の文学は、その中間にある現代人の感覚を早い時期から描いていたのだと思う。

説明されないことが残る

村上春樹の作品を読んでいると、最後まで説明されないことが残る。

なぜあの出来事が起きたのか。

あの人物は何を意味していたのか。

なぜあの場所へ行かなければならなかったのか。

すべてが論理的に整理され、読者に答えとして提示されるとは限らない。

この点は評価が分かれる。

余韻と考える読者もいる。

曖昧だと感じる読者もいる。

謎が残ることで作品について考え続ける人もいれば、結末がはっきりしないことに不満を持つ人もいる。

世界で読まれている作家だからといって、すべての読者が同じように高く評価しているわけではない。

これは当然のことである。

世界的人気と文学的評価は別であるし、販売部数と作品の完成度も同じではない。

村上作品には、同じような人物設定やモチーフが繰り返されるという批判もある。

孤独な人物、失われた誰か、音楽、料理、猫、井戸、地下空間、夢、別世界。

長く読み続けている読者から見れば、また同じ世界が現れたと感じることもあるだろう。

しかし、その反復そのものが「村上春樹らしさ」を作っているとも言える。

音楽家が新しい曲を作っても、その人の音だと分かるように、文学にも作者固有の世界がある。

数ページ読めば村上春樹だと分かる。

それほど明確な作家性を持つことは、世界中に固定読者を作るうえでも大きな力になる。

世界で読まれるのは、世界を書いているからではない

村上春樹が世界で読まれる理由を考えていくと、少し逆説的なことに気づく。

世界を説明しているから世界で読まれるのではない。

国際政治を書いているからでもない。

世界各地を舞台にするからでもない。

むしろ、一人の人間の内側を書いているから世界へ広がっているのではないかと思う。

誰かを失った記憶。

自分は何者なのかという問い。

他人と完全には理解し合えない感覚。

社会の中に居場所を持ちながら、どこか違和感が残ること。

過去から離れたつもりでも、突然その記憶が戻ってくること。

これらは国籍を問わない。

人間であることそのものに関係する。

文学が国境を越えるとき、本当に読者をつなぐものは異国情緒だけではない。

「この感覚は自分にも分かる」

という瞬間である。

日本人の登場人物が感じている孤独を、別の国の読者が自分自身の孤独として読む。

日本の都市で起きた物語が、外国の読者の人生と重なる。

そのとき小説は、日本文学でありながら日本だけのものではなくなる。

世界文学とは何なのか

村上春樹について考えていると、最後には「世界文学とは何か」という問いに行き着く。

世界文学とは、国籍を失った文学ではない。

どこの国のものでもなくなることでもない。

むしろ、一つの土地、一つの言語、一人の作家から生まれた物語が、別の土地にいる人間にも届くことなのではないだろうか。

村上春樹は日本語で書く。

翻訳者がそれを別の言語へ移す。

アメリカの読者が読む。

中国の読者が読む。

ヨーロッパの読者が読む。

しかし、それぞれの読者がまったく同じ村上春樹を読んでいるわけではない。

日本人には当たり前に見える場面が、外国の読者には強い日本性として感じられるかもしれない。

逆に、日本人には特別ではない音楽や生活の描写が、外国の読者にとって親近感を生むこともある。

同じ文章でも、読者の経験によって意味は変わる。

文学は、作者が一つの正解を世界へ配るものではない。

読者が自分自身の人生を持ち込むことで、一つの作品が何通りもの意味を持つ。

そこに文学が国境を越える本当の力があるのだと思う。

日本から世界へではなく、人間から人間へ

では、村上春樹はなぜ世界で読まれるのか。

日本文化への関心もあるだろう。

翻訳の力も大きい。

文章の読みやすさも関係している。

音楽や都市生活の描写が国境を越えやすいことも理由の一つである。

しかし、その中心にあるのは、人間の孤独と喪失、自分自身への違和感ではないだろうか。

誰かを失うこと。

誰かを求めること。

世界とうまくつながれないこと。

それでも日常を続けていくこと。

その感覚を、日本の作家が日本語で書き、それを別の国の読者が自分の問題として読む。

そのとき文学は、日本から外国へ輸出される商品というだけではなくなる。

一人の人間から、別の一人の人間へ言葉が届く。

それが翻訳文学なのだと思う。

村上春樹が世界で読まれているという事実は、文学というものが、国境や言語の違いを越えて人間の内側へ入っていくことができることを示している。

世界のどこかで、一人の読者が本を開く。

そこには日本で書かれた物語がある。

けれども読み進めるうちに、その人が見ているのは遠い日本だけではなくなる。

いつの間にか、自分自身の孤独や記憶や喪失を読んでいる。

おそらく、村上春樹が世界で読まれる最大の理由は、そこにあるのだと思う。

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