村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が発表されたのは1976年である。村上龍は当時24歳。この作品で第19回群像新人文学賞を受賞し、さらに第75回芥川龍之介賞を受賞した。デビュー作がそのまま芥川賞受賞作となり、大きな社会的反響を呼んだ作品である。
しかし、約半世紀が過ぎた現在、この作品をあらためて読む意味は、当時「若者のセックスやドラッグを赤裸々に描いた小説」として話題になったことだけにはない。
『限りなく透明に近いブルー』が変えたものは、日本文学が描くことのできる対象であり、若者の描き方であり、そして日本人が文学の中でアメリカを見る角度だったのではないか。
1976年、日本文学の中に突然現れた異質な風景
物語の舞台は米軍基地周辺である。そこに暮らす若者たちは、酒、ドラッグ、セックス、音楽などに囲まれながら日々を過ごしている。
重要なのは、それらが特別な事件として描かれていないことである。
何か重大な出来事が起こり、それによって主人公が成長するという、一般的な青春小説の構造とはかなり違う。若者たちは何かを目指しているわけでもなければ、社会を変えようとしているわけでもない。ただ目の前にある刺激の中を漂っている。
有隣堂の情報紙「有鄰」に掲載された芥川賞を論じる記事でも、この作品はでも、この作品は米軍基地を背景として薬物や性の世界に生きる若者を描き、それまでの純文学の枠には収まりにくい視覚性の強い文体によって、当時の空気を伝えた作品として位置づけられている。
ここに、この小説の最初の大きな転換がある。
若者を「未来を持つ存在」として描かなくても、小説は成立するのである。
「反抗する若者」から「空白を抱えた若者」へ
戦後文学にも、既成社会に反発する若者は何度も登場してきた。
しかし、反抗するということは、裏返せば反抗すべき対象を強く意識しているということである。親の世代、社会制度、道徳、政治体制など、何かに対して「否」と言うからこそ反抗が成立する。
『限りなく透明に近いブルー』の若者たちには、その構図が弱い。
彼らが社会に適応しているわけではない。しかし、社会を変革しようとしているようにも見えない。
ここには1960年代的な若者像とは違う感覚がある。
政治的な理想を掲げて社会と対立するのでもなく、高度経済成長の中で立身出世を目指すのでもない。豊かになったはずの社会の片隅で、刺激だけが大量に存在している。
その中で人間の内側が少しずつ空洞になっていく。
『限りなく透明に近いブルー』は、その空洞そのものを青春として描いた小説だったと考えることができる。
アメリカは「憧れ」ではなくなった
戦後日本の若者文化を考えるとき、アメリカの存在は非常に大きい。
音楽、映画、ファッション、自動車、オートバイ、雑誌。1950年代から1970年代にかけて、多くの若者にとってアメリカは豊かさや自由、新しい生活様式を象徴する存在でもあった。
しかし、『限りなく透明に近いブルー』に現れるアメリカは、それほど単純ではない。
ここにあるのは観念としてのアメリカではなく、米軍基地を通じて物理的に日本へ入り込んでいるアメリカである。
音楽がある。酒がある。ドラッグがある。外国人兵士がいる。若者たちは、その文化と直接接触している。
だからこそ、この小説のアメリカには明るい憧れだけではない、生々しさがある。
片岡義男の作品にもアメリカ文化は濃厚に存在する。しかし、片岡義男が描くアメリカが、オートバイや道路、音楽、男女関係などを通じて日本の日常とは少し違う自由な空間を想像させることが多いのに対し、村上龍の初期作品に現れるアメリカはもっと暴力的で身体的である。
同じ1970年代の日本からアメリカを見ていても、その距離感はかなり違う。
この違いを知ると、村上龍と片岡義男を同じ時代に読む面白さが見えてくる。
村上龍は「説明」を減らした
この作品を特徴づけているもう一つの要素が、文章の視覚性である。
登場人物が何を考えているのかを延々と説明するのではなく、身体、光、色、音、匂い、食べ物、昆虫、血液、部屋の中にある物などが次々と視界に入ってくる。
文章を読んでいるというより、カメラで撮影された映像を見せられているような感覚になることがある。
『限りなく透明に近いブルー』を論じた研究者の対談でも、主人公リュウは積極的に行動する人物というより「見る」側の人物として捉えられている。周囲で起きている出来事を観察し続け、自分自身さえ空虚な存在として認識していくという読み方である。
これは重要である。
作者が「この若者たちは間違っている」と説明するわけではない。
逆に「彼らこそ新しい時代の若者なのだ」と賛美するわけでもない。
そこにあるものを見せる。
読者は、その映像の意味を自分で考えなければならない。
この距離感が、『限りなく透明に近いブルー』を単なる風俗小説では終わらせなかった一つの理由だろう。
なぜタイトルは「ブルー」なのか
そして、この小説を単なる退廃的な若者の記録から少し違う場所へ引き上げているのが、タイトルである。
「限りなく透明に近いブルー」。
非常に美しい言葉である。
小説の中で描かれている世界の激しさや汚れとは、一見すると正反対に思える。
物語の終盤ではガラスの破片と「ブルー」が結びつき、主人公自身の空虚さとも重なっていく。この部分についても、作品論では主人公が自分を人形や空っぽな存在として捉えていることと、タイトルの「限りなく透明に近いブルー」が密接に関連していると論じられている。
透明とは、何もないということでもある。
しかし完全に透明なのではなく、わずかに青い。
そこにはまだ色が残っている。
もし、この小説を単なるドラッグやセックスの物語として読んでしまえば、このタイトルの美しさは説明できない。
むしろ作品全体を覆っているのは、刺激の強さとは反対側にある空虚さなのではないか。
激しいことが起き続けているのに、中心には何もない。
その奇妙な感覚を、「限りなく透明に近いブルー」という言葉ほど的確に表した題名はなかったように思える。
芥川賞そのものの見え方も変えた
この作品は文学史だけでなく、出版史の上でも大きな存在になった。
国立国会図書館は、芥川賞受賞を契機として作品がマスメディアに大きく取り上げられ、ベストセラーになった代表的な事例として、石原慎太郎の『太陽の季節』とともに『限りなく透明に近いブルー』を紹介している。
日本ペンクラブの電子文藝館に掲載された文章では、同作が130万部を超えたと紹介されている。
ここで興味深いのは、「純文学」と「若者文化」が大規模に接続したことである。
芥川賞作品は文学好きだけが読むものではなくなった。
若い作家が、若者の現実を、若者自身の感覚に近い文章で描き、それを大量の読者が読む。
文学が社会現象になる。
『限りなく透明に近いブルー』は、その一つの象徴になった。
「純文学らしさ」の境界を動かした
もちろん、一冊の小説だけが日本文学を変えた、と考えるのは正確ではない。
1970年代の文学はすでに大きく変化していたし、村上龍の翌年には村上春樹が『風の歌を聴け』を書き始め、1979年に群像新人文学賞を受賞することになる。
後に「二人の村上」と呼ばれる作家たちは、それぞれ全く異なる方法で、それまでの日本文学とは違う感覚を持ち込んだ。
有隣堂の情報紙「有鄰」に掲載された芥川賞を論じる記事でも、この作品はも、村上龍と村上春樹を、その後の現代文学の状況を変えていった存在として位置づけている。
だから『限りなく透明に近いブルー』を「この作品以前と以後で文学が完全に変わった」と評価する必要はない。
むしろ重要なのは、文学の境界線を動かしたことである。
こんな若者を主人公にしてもいい。
こんな生活を書いてもいい。
思想を語らなくてもいい。
登場人物を成長させなくてもいい。
作者が善悪を説明しなくてもいい。
音楽やドラッグやセックスや米軍基地といった、当時の若者が実際に接触していた文化そのものを純文学へ持ち込んでもいい。
その範囲を大きく広げた作品の一つが、『限りなく透明に近いブルー』だったのである。
半世紀後に読むと、むしろ「静かな小説」に見えてくる
1976年当時、この作品を読んだ人が最初に感じたのは、その刺激の強さだっただろう。
しかし現代から読むと、別の姿も見えてくる。
大量の刺激に囲まれながら、何を求めているのか分からない若者。
人とつながっているようで、深くはつながっていない人間関係。
外国文化や商品や音楽が身の回りにあふれているのに、自分自身が何者なのかは分からない。
これは1976年だけの問題なのだろうか。
スマートフォンを通じて膨大な映像、音楽、商品、情報、人間関係が流れ込み続ける現在の方が、むしろ理解しやすい部分さえある。
そう考えると、『限りなく透明に近いブルー』が残したものは、ドラッグや性を文学に持ち込んだという表面的な新しさではなかったことが分かる。
人間は刺激に満たされれば、満たされるのか。
自由になれば、自分自身を見つけることができるのか。
豊かな社会では、若者は何を求めればよいのか。
村上龍は、その問いに答えてはいない。
ただ、答えのない状態そのものを一冊の小説にした。
だから『限りなく透明に近いブルー』は、1976年のスキャンダラスなベストセラーとして終わらなかった。
この作品が変えたのは、文学の中で「何を書くことができるか」という境界だけではない。
何も見つけられない若者を、その何も見つけられない状態のまま描いても文学になる。
そのことを、日本の読者の前にはっきりと示した。
『限りなく透明に近いブルー』の本当の新しさは、おそらくそこにある。

