リベラル文庫(九条レオン)

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新聞が読めない大人たちの読解講座(上巻)

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~新聞を「情報の構造」として読む~

 新聞を読むのが苦手だという人は少なくない。政治の記事を読んでも何が重要なのか分からず、経済の記事では数字が並んだところで止まり、社会問題の記事では事実と意見の境界が見えなくなる。ところが、こうした状態を単純に「読解力がない」と考えてしまうと、どこを直せばよいのか分からなくなる。

 新聞を読む力は、一つの能力だけでできているわけではない。語彙、背景知識、制度の理解、数量感覚、論理的な推論、情報源の評価など、複数の力が組み合わさっている。したがって、新聞が読みにくいと感じたときには、「自分には才能がない」と考えるより、どの部分で処理が止まっているのかを分解した方がよい。

 本書では、読解研究、情報リテラシー、統計的思考、科学的推論などで用いられている考え方を、新聞を読むための実践的な形に組み直していく。ここで示す方法は、実験によって効果が確立された唯一の読解理論ではない。新聞やニュースを読むときに、何を確認すれば思い込みを減らせるのかを整理した、一つの実践的な枠組みである。

第一章 新聞は現実そのものではない

 新聞を読むとき、最初に区別しておきたいのは、「現実に起きたこと」と「記事に書かれたこと」である。私たちは紙面やニュースサイトを眺めると、そこに社会そのものが映し出されているように感じることがあるが、実際の社会では一日に数え切れないほどの出来事が起こっており、そのすべてが記事になるわけではない。

 記者や報道機関は、その中から取材する出来事を選び、関係者に話を聞き、資料を集め、限られた紙面や画面に収まるように情報を整理する。その後、見出しが付けられ、写真や図表が選ばれ、紙面なら掲載位置が決められ、インターネットならトップページや関連記事などとの関係の中で読者に届けられる。現実から新聞記事へ至るまでには、必ず選択と編集が存在する。

 これは新聞が現実をねじ曲げているという意味ではない。あらゆる情報伝達には選択が必要であり、限られた時間と文字数の中で現実のすべてを伝えることはできないからである。重要なのは、読者の側が「記事に書かれていることが現実の全部ではない」と理解しておくことである。

 例えば、ある町で一年間に百種類の出来事が起き、その中の一件だけが全国的に大きく報道されたとする。その一件について書かれた内容が正確であったとしても、その記事だけを繰り返し目にした読者が「この町では同じようなことが頻繁に起きている」と感じれば、現実の構成と頭の中の構成との間にずれが生じる。記事の個々の記述が正しくても、読者が形成する全体像まで自動的に正しくなるわけではないのである。

 新聞記事が成立する過程を理解するため、本書では便宜上、「現実で出来事が起こる→取材される→情報が選択される→記事として編集される→読者が読む」という単純化した流れを考える。ただし、実際には通信社、記者、編集部、情報提供者、公的機関、企業、写真、動画、検索サービス、SNS(Social Networking Service・社会的交流型インターネットサービス)など多くの要素が関わるため、この流れは理解のための簡略モデルにすぎない。

 さらに、記事を読む前には、その文章が何のために書かれたものなのかを見分ける必要がある。新聞には、出来事を伝える報道記事、背景や制度を説明する解説記事、報道機関や執筆者が判断を示す社説や論評、個人の視点を前面に出すコラムや寄稿などがある。同じ新聞に掲載されていても、目的は同じではないため、社説に価値判断が多いことを理由に「偏っている」と即断するのも、報道記事と社説を同じ基準で評価するのも適切ではない。

 したがって、記事を読み始めるときには、まず「これは報道なのか、解説なのか、論評なのか」と考え、そのうえで「この記事で確認できる出来事は何か」「この記事だけでは分からないことは何か」「この一記事から社会全体を判断していないか」を確認するとよい。新聞を読む第一歩は、何でも疑うことではなく、自分が見ているものが現実そのものではなく、現実を一定の方法で切り取った情報であると理解することである。

第二章 記事の中には違う種類の情報が混ざっている

 新聞記事を読み終えたとき、「書いてあることは分かったはずなのに、どこまでが確かな事実だったのか分からない」と感じることがある。その大きな理由の一つは、記事の中に性質の異なる情報が混在していることである。

 本書では、新聞記事を読むときの実用的な分類として、「事実」「解釈」「推測」「評価」の四つを使う。ただし、これは文章のすべてを完全に四分類できるという意味ではなく、読者が情報の性質を見分けるための補助線として用いる。

 まず「事実」とは、一定の方法によって外部から確認できる出来事、数値、記録、発言などである。「人口は前年より二千人減少した」「中央銀行が政策金利を引き上げた」「市長が記者会見を行った」といった記述は、統計資料、公式発表、記録などによって確認できる。

 ただし、発言については一段注意が必要である。「市長が『財政は健全だ』と発言した」という場合、「市長がそのように発言した」ということと、「財政が本当に健全である」ということは別問題である。発言した事実は会見記録などで確認できても、発言内容の正しさは財政資料など別の証拠によって検証しなければならない。この区別を忘れると、有力者の発言がそのまま事実の証明として使われてしまう。

 次に「解釈」は、確認された事実が何を意味するのかを説明する部分である。「人口減少の主な背景には若年層の流出がある」「金利引き上げは物価上昇を抑える意図がある」といった文章は、単に数字や出来事を示しただけではなく、出来事同士の関係を説明している。

 「推測」は、まだ直接確認できない将来、原因、意図などについての判断である。「人口減少は今後も続くとみられる」「投資家は先行きを不安視している可能性がある」といった表現がこれに当たる。推測は新聞から排除すべきものではなく、経済予測や選挙情勢、外交分析などでは不可欠であるが、現在確認できる事実とは確実性が違う。

 最後の「評価」は、ある状態を良い、悪い、望ましい、問題だと判断したり、政策や行動について「~すべきだ」と述べたりする部分である。社説や論評では評価が中心になる場合もあり、それ自体は問題ではない。重要なのは、事実から評価へ移る途中でどのような価値基準が使われているかを見ることである。

 例えば、「出生数は過去最低となった。若者が結婚や子育てに希望を持てなくなっていることが背景にあり、政府は抜本的な対策を急ぐべきだ」という文章を考えてみる。出生数が過去最低かどうかは統計で確認できるが、「若者が希望を持てなくなった」という説明には、意識調査などの根拠が必要であり、最後の「政府は対策を急ぐべきだ」は政策についての評価になる。

 しかも現実の文章では、一つの文の中に複数の性質が混ざることもある。「失業率は低下し、雇用環境は着実に改善している」という文では、失業率低下が統計的事実であっても、「雇用環境が着実に改善している」という部分には解釈が含まれる。このため、無理に一文を一種類に分類するより、「どこまでが確認できる事実で、どこから解釈が始まっているのか」を見る方が実用的である。

 新聞を読むときに必要なのは、「この記事は正しいか、間違っているか」と一気に判定することではない。一つの記事の中でも、数字の部分は確かで、原因の説明はまだ弱く、将来予測は不確実で、最後の政策提言は価値判断であるということが普通にある。記事全体を一色に塗らず、部分ごとの確からしさを分けて考えるところから、情報の読み方は安定していく。

第三章 結論よりも、結論までの距離を見る

 新聞記事では、結論が強いほど印象に残りやすい。「政府の政策は失敗した」「地域経済は回復している」「若者の政治離れが進んでいる」といった言葉は理解しやすく、見出しにも使いやすい。しかし、新聞を読むときに本当に確認したいのは、その結論自体よりも、どの証拠を使ってそこまで進んだのかという途中の部分である。

 例えば「今年の観光客は前年より十%増加したため、地域経済は回復している」と書かれていたとする。観光客数の増加が事実として確認できても、それだけで地域経済全体が回復したとは限らない。観光客一人当たりの消費額が減っているかもしれず、宿泊客ではなく日帰り客だけが増えているかもしれない。観光以外の主要産業が悪化していれば、観光客数だけでは地域経済全体を説明できない。

 さらに「観光客が増えたのだから、自治体の観光政策は成功した」となると、もう一段大きな推論が必要になる。観光客増加の原因が自治体政策なのか、交通網の改善なのか、為替変動なのか、テレビや動画による偶然の話題化なのか、あるいは前年が災害などによって異常に低かったためなのかを区別しなければならないからである。

 本書では、証拠から結論までにどの程度の追加前提や解釈を必要とするかを、便宜上「推論距離」と呼ぶ。ただし、これは数学的に測定できる距離でも、記事の信頼性を数値化する尺度でもない。文章の中に隠れている前提を見つけるための、読解上の補助概念である。

 推論距離が長いからといって、必ず論証が弱いわけではない。複数の段階を踏む議論でも、一つ一つの段階が十分な証拠によって支えられていれば強い論証になる。反対に、「AだからB」と短く書かれていても、AからBへ進む理由そのものが成り立っていなければ、短い推論でも弱い。見るべきなのは段階の数ではなく、途中に必要な前提が明示され、それぞれが確かめられているかどうかである。

 出生数の記事を考えてみよう。「出生数が減った」という統計から「若者が子どもを望まなくなった」と結論づけるには、大きな隔たりがある。出生数には出産年齢人口の減少、婚姻数、所得、住宅事情、雇用、保育環境、価値観など多くの要因が関係するため、出生数だけを見て若者の心理状態を推定することはできない。

 政治記事で「与党の得票率が低下したため、有権者が政策Aを拒否した」と説明されている場合も同じである。投票理由は政策Aだけとは限らず、候補者、政党支持、景気、政治資金問題、外交、地域事情などが同時に作用する可能性がある。このとき、選挙結果そのものは事実であっても、「政策Aを拒否した」という意味づけには追加の証拠が必要になる。

 記事を読むときには、結論から一歩戻り、「何を根拠にしているのか」「その根拠だけで本当にそこまで言えるのか」「途中に省略された前提はないか」を考えるとよい。新聞読解で大切なのは、文章を壊すために疑うことではなく、証拠が支えられる範囲と、まだ追加の根拠を必要とする範囲との境界を見つけることである。

第四章 数字は比較条件と一緒に読む

 新聞には数字が多く登場する。人口、物価、賃金、支持率、死亡率、失業率、予算額、犯罪件数など、社会を説明するうえで数値は欠かせない。しかも数字が示されると、それだけで記事全体が客観的になったように感じることがある。

 しかし、数字が正確であることと、その数字から導かれる印象が適切であることは別である。「利用者が二倍になった」と書かれていても、一人から二人に増えた場合と、一万人から二万人に増えた場合では社会的意味が違う。逆に「利用者が千人増えた」と書かれていても、二千人から三千人になったのか、百万人から百一万人になったのかによって変化の大きさは違う。

 医療記事では、この違いがとくに重要になる。「病気になる危険が五十%減った」と書かれている場合でも、一万人に二人から一人になったのか、百人に四十人から二十人になったのかで実際の効果は大きく異なる。前者も後者も相対的には五十%減少しているが、絶対的な差はまったく同じではないため、相対値と絶対値の両方を見る必要がある。

 経済記事では、名目値と実質値の違いも重要である。賃金が三%増えても物価が五%上昇していれば、同じ賃金で買える商品やサービスの量は減っている可能性がある。高齢化の記事でも、高齢者数が増えたことと高齢化率が上昇したことは別であり、若年人口が急減すれば高齢者数がほぼ変わらなくても高齢化率は上がる。

 さらに、統計記事では「誰を調べた数字なのか」という点も確認したい。全国民を対象とした統計なのか、一部の人を抽出した標本調査なのか、インターネット上の任意回答なのかによって、数字の意味は変わる。標本調査であれば調査人数が少ないほど偶然による変動は大きくなりやすく、支持率のような数字では数ポイントの違いが必ずしも本当の変化を意味しない場合がある。

 調査方法も重要である。固定電話中心の調査とインターネット調査では回答者の構成が異なる可能性があり、同じ質問でも聞き方や選択肢によって回答が変わることがある。統計では「何人が答えたか」だけでなく、「誰が、どの方法で調べられたか」を見る必要がある。

 数字には不確実性もある。標本から母集団を推定するときには、得られた数字の周囲にある程度の幅を考えなければならない。記事では一つの数字だけが示されることが多いが、調査結果には標本誤差、測定誤差、回答しなかった人による偏りなどが入り得るため、〇・数ポイントの差を大きな変化として扱ってよいかは慎重に考える必要がある。

 また、統計上の定義が変わっていないかも重要である。「倒産」「失業者」「犯罪」「待機児童」などは、何を数えるかという定義によって数字が変わる。過去と現在を比較している記事では、同じ基準で数えられているかを確認しなければならない。

 平均値と中央値の違いも見逃せない。所得のように一部の非常に大きな値が平均を押し上げる分布では、平均値だけでは典型的な人の状態が分からない場合があり、そのとき中央値を見ると違った姿が現れる。

 新聞を読むときに毎回高度な統計解析をする必要はないが、少なくとも「分母は何か」「何と比較しているか」「期間は同じか」「絶対数か割合か」「標本は誰か」という基本を押さえ、必要に応じて調査方法、標本数、不確実性、定義、平均と中央値まで確認できると、数字に振り回されにくくなる。

 数字そのものには数量としての意味がある。しかし、その数字が大きいのか小さいのか、異常なのか通常なのか、政策上重要なのかを判断するためには比較条件が必要になる。数字を見るときには、数字そのものより、「この数字は何と比べられ、何を示すために使われているのか」を読むことが大切である。

第五章 「分からない」を分解する

 新聞記事を読んでいて途中で分からなくなると、「自分には読解力がない」と考えてしまうことがある。しかし、新聞理解に必要な能力は一つではないため、理解できない理由も一つではない。むしろ、「どこで止まったのか」を分解した方が改善しやすい。

 もっとも分かりやすいのは語彙の問題である。「債務超過」「行政代執行」「量的引き締め」などの言葉を知らなければ、その文章が理解しにくいのは当然であり、この場合には用語を調べればよい。文章を読む能力そのものが不足しているとは限らない。

 次に背景知識がある。政治記事を読むには国会や選挙制度についてある程度知っていた方がよく、経済記事なら金利、為替、物価、景気の関係を知っているほど理解しやすい。医療記事でも、病気の名前だけ知っている場合と、診断や治療、保険制度まで知っている場合では読み取れる内容が違う。

 制度知識も背景知識の一部だが、新聞ではとくに重要である。住民投票という言葉を知っていても、誰が発議できるのか、議会とどのような関係があるのかを知らなければ、政治的な意味まではつかめない。数字についても同じで、二千億円、〇・五%、人口十万人当たり三十件という数字を見たとき、それを他の数字と比較できなければ量の意味をつかみにくい。

 さらに、単語も制度も分かっているのに理解できない場合には、文章の論理構造で止まっている可能性がある。どの部分が根拠で、どこから解釈になり、どこで結論が出たのかが混ざれば、一文ずつは理解できても記事全体は見えなくなる。

 ただし、新聞読解をこの五つだけで説明できるわけではない。注意力、疲労、読書経験、読む速度、短期的に情報を保持する力、記事そのものの難易度、関心や動機なども理解に影響する。本書で挙げる分類は、「読めない原因は必ずこの中にある」という理論ではなく、どこから補えばよいのかを考えるための実用的な点検表である。

 とくに、「興味がないから読めない」と単純に説明しないことは大切である。関心があれば背景知識を集めやすくなることはあるが、関心が強くても専門知識が不足していれば難しい記事は読めない。一方、もともと興味のなかった分野でも、制度や数字が分かるようになるにつれて面白くなることがあるため、理解と関心は一方向の関係ではない。

 記事の途中で止まったら、「何が分からないのか」を具体的に考える。用語なのか、制度なのか、背景なのか、数字なのか、論理なのか、それとも単純に情報量が多すぎるのか。この切り分けができれば、自分に不足しているものだけを補うことができる。

 上巻で扱ってきたのは、新聞記事をそのまま受け取るのではなく、情報として分解する方法だった。新聞は現実そのものではなく編集された情報であり、記事には事実、解釈、推測、評価が混在し、結論までの途中には追加の前提があり、数字には比較条件と不確実性がある。ここまで理解できれば、新聞記事は巨大な文字の塊ではなく、構造を持った情報として見えるようになる。

 しかし、記事の内部構造を理解しただけでは、その記事が正しいかどうかまでは分からない。次に必要になるのは、新聞の外にある資料や別の説明と照らし合わせることである。下巻では、記事を理解する段階から、記事を検証し、自分の判断を作る段階へ進んでいく。

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