地方で暮らしていると、119番に電話すれば救急車が来ることは、日常生活を支える当然の公共サービスのように感じられる。消防署や分署が現在と同じ場所にあり、道路網も大きく変わらないのであれば、30年後も救急車の到着時間は現在とそれほど変わらないように思えるかもしれない。しかし、人口減少が進む地方では、消防署の位置や道路が変わらなくても、現在と同じ救急体制を維持できるとは限らない。
その理由は、人口の減少と救急需要の減少が必ずしも同じ割合で進まないことにある。高齢化によって住民1人当たりの救急利用率が変化する一方、消防職員や医療従事者の確保は難しくなる可能性がある。さらに、人口が減っても自治体の面積や集落間の距離は変わらず、医療機関の再編によって搬送先が遠くなる地域も考えられる。こうした変化が重なれば、救急車の台数が現在と同じでも、住民が受けられる救急サービスの水準が変化する可能性がある。
ただし、人口減少によって救急車の到着時間が必ず長くなると断定することも適切ではない。広域的な消防体制の整備や救急車の配置最適化、医療機関との連携によって、サービス水準を維持したり、改善したりできる余地もある。重要なのは、救急車が何台残るかという問題だけではなく、119番通報から現場到着、必要な処置、医療機関への搬送、専門的な治療までを含めた救急医療全体の機能を、人口減少のなかで維持できるかという問題である。
全国では救急車の到着時間が長期的に延びている
総務省消防庁が公表した「令和7年版 救急・救助の現況」によると、2024年の救急自動車による全国の救急出動件数は771万8,380件で、統計開始以来最多となった。119番通報から救急車が現場に到着するまでの平均時間は9.8分で、2019年と比較すると約1.1分長くなっている。また、119番通報から医師へ患者を引き継ぐまでの病院収容所要時間は平均44.6分で、2019年より約5.1分延びている。
もっとも、これらの時間が毎年一方的に長くなっているわけではない。2023年の現場到着平均時間は10.0分、病院収容平均時間は45.6分だったため、2024年にはいずれも短縮している。したがって、2019年と比較して救急搬送に要する時間が長くなっているという事実と、今後も継続的に悪化するという予測は、区別して考える必要がある。
さらに、2026年3月に消防庁が公表した2025年の速報値では、救急自動車による出動件数は768万6,235件となり、前年より3万2,145件、率にして0.4%減少した。搬送人員も676万1,871人で、前年から0.1%減少している。これは速報値であるため今後修正される可能性があるものの、高齢化が進んでいても、救急出動件数が毎年必ず増加するわけではないことを示している。
ここで重要なのは、救急医療に要する時間を正しく区別することである。現場到着所要時間は119番通報から救急車が患者のもとに到着するまでの時間であり、病院収容所要時間は119番通報から医師への引継ぎまでの時間である。後者には現場到着までの時間も含まれるため、9.8分と44.6分を足し合わせて救急搬送の所要時間とすることはできない。
また、医師への引継ぎが完了した時点と、患者に必要な治療が開始された時点も必ずしも一致しない。救急救命士などによる初期処置は病院到着前から始まる場合があり、反対に、専門的な検査や手術などは医療機関への到着後に一定の時間を要することがある。したがって、住民が受けられる救急医療の水準を評価するには、救急車の到着時間だけでなく、必要な医療につながるまでの過程全体を見る必要がある。
人口が減っても救急需要が同じ割合で減るとは限らない
人口10万人の地域が将来6万人になれば、単純には救急出動件数も4割減少するように思える。しかし、この考え方が成立するのは、住民1人当たりの救急利用率が将来も変わらず、年齢構成などの条件も同じである場合に限られる。実際には、年齢によって救急搬送につながる疾病や事故の発生率が異なるため、総人口の変化だけから将来の救急需要を判断することはできない。
厚生労働省が示した2040年の人口構造に関する資料では、2025年から2040年にかけて、全国の15歳から64歳までの生産年齢人口は約15.0%減少する一方、85歳以上人口は約42.2%増加すると推計されている。高齢になるほど心疾患、脳血管疾患、転倒や骨折、呼吸器疾患などによって救急搬送が必要になる機会が増えることから、この人口構成の変化は救急需要を考えるうえで重要である。
実際、消防庁の2024年統計では、救急自動車による搬送人員676万9,172人のうち、65歳以上は428万4,953人で、全体の63.3%を占めている。2025年の速報値でも、65歳以上の搬送人員は426万5,047人で、全体の63.1%に達している。高齢者人口と救急搬送の関係が、現在の救急医療体制において既に重要な要素になっていることが分かる。
ただし、ここで注意しなければならないのは、高齢化率の上昇と高齢者人口の増加は同じではないという点である。高齢化率は、地域の総人口に占める高齢者の割合を示すため、若年人口が急速に減少すれば、高齢者の人数自体が減っていても上昇することがある。この違いを無視すると、地方の将来の救急需要を過大評価する可能性がある。
地方都市と過疎地域では高齢人口の変化が異なる
厚生労働省が示した2025年から2040年までの地域類型別人口推計では、地方都市型の地域で生産年齢人口が平均19.1%減少する一方、65歳以上の高齢人口は平均2.4%増加するとされている。これに対して、過疎地域型では生産年齢人口が平均28.4%減少し、高齢人口も平均12.2%減少するという結果になっている。この地域類型は個々の市町村を単純に分類したものではなく、一定の人口規模や人口密度に基づく地域の区分であるため、各自治体の将来像を直接示すものではない。
この違いは、地方の救急医療を考えるうえで見落とせない。地方都市では高齢人口の増加が救急需要を押し上げる可能性がある一方、人口減少が進んだ過疎地域では高齢人口そのものが減少し、救急需要の絶対数も減少する可能性がある。ただし、その場合でも生産年齢人口がさらに大きく減少すれば、救急サービスを利用する住民と、それを支える労働力との比率は変化することになる。
したがって、地方の救急需要については、総人口、高齢化率、高齢者の絶対数、生産年齢人口をそれぞれ区別して分析しなければならない。高齢化が進むから救急需要が必ず増えるという説明も、人口が減るから救急需要が必ず大幅に減るという説明も、地域差を考慮しない点では不十分である。
救急需要は年齢別人口と救急利用率から考える必要がある
将来の救急需要を数理的に考える場合、基本となるのは、年齢階級ごとの人口と、その年齢階級における1人当たり年間救急出動率を組み合わせる方法である。例えば、65歳未満と65歳以上の二つの集団に分け、それぞれの人口に年間救急出動率を掛け合わせ、その結果を合計すれば、地域全体の年間救急出動件数を推計することができる。
仮に、現在の人口が10万人で、そのうち65歳未満が7万人、65歳以上が3万人の地域を考える。65歳未満の年間救急出動率を3%、65歳以上を12%と仮定した場合、年間救急出動件数は5,700件となる。将来、総人口が6万人に減少し、65歳未満が3万人、65歳以上が3万人になったとすると、同じ出動率を用いた年間救急出動件数は4,500件となる。
この仮想事例では、総人口が40%減少しているのに対して、年間救急出動件数の減少率は約21.1%にとどまる。つまり、高齢人口が維持され、比較的救急利用率の低い若年層が大きく減少する場合には、人口全体の減少率ほど救急需要は減少しないという結果が得られる。
もっとも、ここで用いた年間救急出動率は計算の仕組みを説明するための仮定値であり、全国や特定地域の実際の利用率を示すものではない。また、救急搬送人員と救急出動件数は異なる統計であり、実際の分析では使用する指標を統一する必要がある。将来の救急利用率についても、疾病構造、在宅医療の充実、救急相談体制、予防医療、気象条件などによって変化する可能性があるため、一定の値に固定した推計だけでは十分ではない。
それでも、このような年齢別の需要モデルを用いることで、人口減少と高齢化が同時に進む地域では、総人口だけを基準に救急車の必要台数を決めることが合理的でない場合があると分かる。
人口密度が低下しても救急車が走る範囲は簡単には縮小しない
人口減少地域の救急体制を考えるうえで、もう一つ重要なのが地理的条件である。例えば、人口3万人の自治体が将来1万5千人になったとしても、その自治体の面積が半分になるわけではなく、道路の延長や山間部までの距離も基本的には大きく変わらない。人口が半減しても居住地が広い範囲に残れば、救急車は引き続きその地域をカバーしなければならない。
人口密度は、総人口を地域の面積で割ることで求められる。面積が一定で人口が半減すれば人口密度も半減するが、消防署から離れた集落や山間部への走行距離は、人口減少に比例して短くなるわけではない。このため、人口1人当たりの消防・救急サービスの維持負担は相対的に大きくなる可能性がある。
消防庁も、この問題を制度上の課題として認識している。2024年3月に改正された「市町村の消防の広域化に関する基本指針」では、人口減少によって消防本部の管轄人口が減少し、財政面や人材確保が厳しくなる一方、人口の低密度化が進んでも消防活動に必要な署所などの数は大きく変化しないと考えられるため、消防力の維持が難しくなる可能性があると指摘している。特に、小規模消防本部ほど人口動態の影響が深刻になるとされている。
ただし、人口密度の低下がそのまま救急車の到着時間の延長を意味するわけではない。人口が減少しても住民が市街地や主要道路の周辺に集中すれば、救急需要の発生地点が消防署に近づき、平均到着時間が短縮する可能性もある。反対に、少数の住民が広範囲に分散して暮らし続ければ、平均的な出動件数が減っても、地域の端まで救急車を届けるための体制が必要になる。
したがって、将来の救急体制を考えるときには、人口密度の数値だけでなく、どこに住民が残り、どの道路を通って救急車が到着できるのかという居住分布と道路網の関係を把握しなければならない。
「人口が半分になったから消防署も半分にする」が合理的とは限らない
仮に、人口4万人の地域に消防署や分署が4か所設置されているとする。30年後に人口が2万人になった場合、人口に比例して署所を2か所に減らせば、施設や人員の維持に必要な費用を抑えられるように見える。しかし、署所を統合した結果、残された消防署から遠い集落までの走行距離が延びれば、救急車の到着時間が長くなる可能性がある。
例えば、消防署の統合によって、ある集落までの実際の走行距離が5キロメートル増えたと仮定する。救急車がその区間を平均時速40キロメートルで走行するとすれば、追加で必要になる走行時間は7.5分である。実際の所要時間は交差点や道路の形状、交通状況、天候などによって異なるが、走行距離の増加が到着時間に影響する仕組みは明確である。
もっとも、署所の統合によってすべての地域の到着時間が悪化するわけではない。統合に合わせて救急車の配置場所を見直したり、隣接する消防本部との連携を強化したりすれば、到着時間が短縮する地域も考えられる。したがって、署所の削減数だけで消防体制の効率性を判断することはできず、統合後の各地区への到着時間や、同時に複数の通報が発生した場合の対応能力を検証する必要がある。
救急体制には、利用者数の増減とは別に、一定の地域を常時カバーするための固定的な負担が存在する。この性質は道路や水道などの公共インフラにも共通するが、救急の場合は対応の遅れが患者の生命や予後に関わるため、単純な人口比例による縮小が難しいのである。
救急車の到着時間は、最寄りの救急車が使えるかどうかにも左右される
救急車の到着時間は、消防署から現場までの距離だけで決まるわけではない。近くの救急車が既に別の患者を搬送していれば、遠方の消防署から別の救急車が出動することがあり、その結果として現場到着時間が長くなる場合がある。したがって、地域の救急体制を評価するときには、配置されている救急車の総台数だけでなく、通報が発生した瞬間に利用可能な救急車が何台あるかを考える必要がある。
この問題では、1件の救急活動によって救急隊がどの程度の時間、新しい出動に対応できなくなるのかが重要になる。ここで注意したいのは、消防庁が公表する病院収容所要時間44.6分を、そのまま救急車の拘束時間として扱うことはできないという点である。44.6分は119番通報から医師への引継ぎまでの全国平均であり、救急隊が再び出動可能になるまでの時間を示しているわけではない。
患者を医師へ引き継いだ後にも、必要な記録、資器材の整理や補充、感染対策、待機場所への移動などが発生する場合がある。一方で、医療機関から直接次の救急現場へ出動する運用もあるため、すべての救急車が消防署へ戻るまで利用できないというわけでもない。実際の供給能力を評価するためには、救急隊が次の出動に対応できない時間を把握する必要がある。
例えば、年間1,000件の救急出動があり、1件当たり平均60分間、新しい出動に対応できない地域を考える。この場合、年間の救急活動による稼働不能時間の合計は1,000時間となる。将来、出動件数が800件に20%減少しても、病院までの遠距離化などによって1件当たりの稼働不能時間が90分になれば、年間の合計は1,200時間となり、件数が減少しているにもかかわらず必要な活動時間は20%増加する。
この計算は仮想的なものであり、実際の地域で同じ変化が起きることを示したものではない。しかし、救急需要を件数だけで評価すると、搬送時間の長期化による負担を見落とす可能性があることを説明している。
ただし、年間の総活動時間が増加しただけで、必ず同時出動への対応能力が低下するとも限らない。救急需要が特定の時間帯に集中するのか、比較的均等に発生するのかによって、必要な救急車台数は異なる。また、複数の救急隊を広域的に運用できる場合には、一つの消防署の救急車が出払っていても別の隊が対応できることがある。そのため、将来の必要台数を推計するには、出動件数、稼働不能時間、時間帯別の需要、同時出動の発生状況を組み合わせた分析が必要になる。
病院の再編は救急車の運用にも影響する
人口減少時代の救急医療を考えるとき、消防だけに注目するのは不十分である。救急車が患者をどこへ搬送できるかは、地域の医療機関が持つ診療機能や受入体制によって決まるため、病院の再編や医療機能の集約化は救急車の運用にも影響を及ぼす。
厚生労働省が2040年以降を見据えて進めている新たな地域医療構想では、人口減少や高齢化に対応するため、急性期医療、高齢者救急、在宅医療、介護との連携などを含めた医療提供体制の見直しが重視されている。高度な医療設備や専門医を必要とする治療については、一定の医療機関に機能を集約することで、医療人材の効率的な配置や診療の質の維持につながる可能性がある。
しかし、専門的な医療機能が集約されれば、一部の住民にとって搬送先までの距離が長くなることも考えられる。例えば、従来は20分で到着できた医療機関で対応できなくなり、同じ病態の患者を40分かかる医療機関へ搬送する必要が生じれば、単純な走行時間だけでも20分増加する。このような変化は患者の搬送時間だけでなく、救急車が次の出動に対応できるまでの時間にも影響する可能性がある。
一方、医療機能の集約化には、受入先の専門性を高めたり、搬送先を選ぶ時間を短縮したりする効果も期待できる。さらに、すべての高齢者救急患者を遠方の大規模病院に集める必要があるわけではなく、地域の医療機関が比較的軽い急性期疾患や高齢者の救急入院に対応し、専門的治療が必要な患者を拠点病院へ搬送するという役割分担も考えられる。
したがって、病院再編を単純に搬送時間の長期化と結び付けることは適切ではない。重要なのは、医療の質を維持するための集約化と、住民が必要な医療へ到達するまでの時間との間で、どのような均衡を図るかという問題である。救急医療においては、病院の数だけでなく、病院ごとの診療機能、受入可能な患者の種類、搬送経路、医療機関間の連携が重要になる。
消防職員は全国では増えているが、地方の人材確保には課題が残る
人口減少が進むと消防職員や救急救命士の確保が難しくなるという見方には合理性があるが、現在の全国的な状況を正確に把握する必要がある。消防庁の令和7年版消防白書によると、2025年4月1日現在の全国の消防職員数は16万9,730人で、前年より増加している。また、救急隊の設置数も5,485隊となり、前年より70隊増加した。
この数字から分かるのは、人口減少が進んでいても、全国の消防職員数や救急隊数が直ちに減少しているわけではないということである。しかし、全国で職員数が増えていることは、すべての地域で人材確保が順調に進んでいることを意味しない。大規模な消防本部と小規模な消防本部では採用条件や人員配置の柔軟性が異なり、同じ人口減少でも組織運営への影響には地域差が生じる。
消防業務には、救急だけでなく火災対応、救助活動、災害対応、予防業務などが含まれる。救急隊を増やせばよいという単純な問題ではなく、限られた職員を複数の業務にどのように配置するかが重要になる。特に小規模な消防本部では、一部の職員が欠員になったり、複数の災害が同時に発生したりした場合の対応余力が小さくなる可能性がある。
さらに、救急医療を維持するには、消防職員だけでなく、病院で患者を受け入れる医師、看護師、その他の医療従事者の確保も必要である。消防側が十分な救急車を確保できたとしても、医療機関の受入能力が不足すれば、救急サービス全体の機能は制約される。このため、地方の将来を評価するときには、消防と医療を分離せず、人材と設備の両面から地域全体の供給能力を考える必要がある。
消防の広域化によって救急体制を維持できる可能性もある
人口減少が進む地域にとって、消防の広域化は有力な選択肢の一つである。複数の自治体が消防業務を共同で運営し、通信指令や人員配置、車両運用を一体化すれば、従来の行政区域にとらわれず、より合理的な出動体制を構築できる可能性がある。
消防庁の広域化に関する基本指針でも、消防署所の配置や管轄区域の適正化による現場到着時間の短縮、本部機能の統合による現場活動要員の増強、救急業務の高度化などが期待される効果として示されている。また、広域化した消防本部では、人員配置の効率化や消防体制の基盤強化といった成果が報告されている。
ただし、消防の広域化そのものが、すべての地域で到着時間を短縮するとは限らない。組織を統合しても署所配置や救急車の運用方法が適切でなければ、遠隔地でのサービス水準が悪化する可能性は残る。広域化の効果を評価するには、統合前後の到着時間や救急隊の稼働状況だけでなく、人口構造や救急需要の変化なども考慮する必要がある。
将来的には、通信指令システムの高度化、救急車の動的な配置、搬送先医療機関との情報共有などによって、限られた車両を効率的に運用できる可能性がある。ドクターヘリなどの活用も地域や病態によっては有効だが、天候、運航時間、着陸場所などの制約があるため、地上の救急車を全面的に代替できるわけではない。
重要なのは、現在と同じ数の消防署を残すことと、現在と同じ救急サービスを維持することを同一視しないことである。適切な広域運用によってサービス水準を改善できる場合もあれば、署所の削減によって地域の対応能力が低下する場合もある。どちらの結果になるかは、制度の名称ではなく、具体的な配置と運用によって決まる。
全国平均が同じでも、地域によって救急車の到着時間は大きく異なる
救急体制を評価するときに、平均到着時間だけを見ることにも限界がある。全国平均や自治体全体の平均値は、救急活動のおおまかな状況を示す指標として有用だが、一部の地域で生じる長時間の到着遅延を十分に表さない場合がある。
例えば、ある地域では10件すべての救急車が10分で到着し、別の地域では10件のうち9件が5分で到着する一方、残る1件だけ55分かかったと仮定する。この二つの地域はいずれも平均到着時間が10分となるが、住民が直面する救急サービスの状況は大きく異なる。
特に人口減少地域では、居住地の一部が消防署から遠く離れている場合があるため、平均値に加えて長時間を要する事案の割合を見ることが重要になる。例えば、現場到着時間を短い順に並べ、全体のおおむね90%が収まる時間を示す90パーセンタイル値を確認すれば、平均値だけでは見えにくい到着時間の分布を把握しやすくなる。
さらに、救急車の到着時間が同じであっても、患者の病態によって必要な対応は異なる。心停止や脳卒中、急性心筋梗塞などでは迅速な処置や専門治療が重要になる一方、すべての傷病について数分の差が同じ医学的意味を持つわけではない。そのため、救急医療の質を判断するには、到着時間だけでなく、必要な処置や治療に至る時間、患者の重症度、治療成績などを組み合わせて評価する必要がある。
地方の救急医療については、平均して何分で到着するかという指標に加えて、遠隔地の住民がどの程度の時間を要しているのか、救急車が出払っているときにどの程度遅れるのか、必要な専門医療に到達するまで何分かかるのかという視点が求められる。
2050年の人口推計から30年後の救急体制をどう考えるか
人口減少が進む地方の将来については、既に市町村単位の人口推計が公表されている。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口(令和5年推計)」では、2020年の国勢調査を基に、2050年まで5年ごとの総人口や年齢階級別人口が推計されている。
ただし、2026年現在から30年後は2056年であり、この市町村別推計の対象期間である2050年とは一致しない。したがって、2050年までの公表値をそのまま2056年の人口として扱うことはできず、さらに先の人口構造を分析するには追加の推計条件を設定する必要がある。また、人口推計は一定の仮定に基づく将来人口の推計であり、消防署の配置、救急車の台数、医療従事者の人数、病院の機能まで予測したものではない。
それでも、人口推計は救急医療の将来を検討するための重要な基礎資料になる。市町村ごとの総人口、65歳以上人口、75歳以上人口、85歳以上人口、生産年齢人口を比較し、そこへ消防署所の所在地、救急車の配置、道路網、受入医療機関の診療機能を重ねれば、人口構造の変化が地域の救急体制に与える影響を具体的に検討できる。
例えば、千葉県外房地域の御宿町、いすみ市、勝浦市、大多喜町などを対象にする場合でも、自治体の総人口だけを比較するのでは不十分である。海岸部、市街地、内陸部、山間部では居住地の分布や道路条件が異なるため、救急車の到着時間や搬送先までの距離も一律ではない。市町村の境界だけで分析するのではなく、実際の消防管轄、相互応援体制、搬送先医療機関との位置関係を踏まえて検証する必要がある。
こうした分析では、人口減少が進んでも現在の署所や救急車の配置を維持する場合、人口に応じて配置を縮小する場合、消防の広域化によって配置を再編する場合など、複数の将来シナリオを設定することが有効である。それぞれについて現場到着時間、長時間到着事案の発生状況、救急車の同時利用可能性、医療機関への搬送時間を比較すれば、単に救急体制が悪化するかどうかを議論するよりも、どの政策が有効なのかを検討しやすくなる。
30年後の救急車の到着時間は予測できるのか
将来の人口構造については一定の見通しが得られているものの、それだけで30年後の救急車の到着時間を正確に予測することはできない。救急車の到着時間は、人口や高齢化率だけではなく、消防署所の配置、救急隊数、道路条件、地域ごとの出動頻度、救急車の稼働状況など、多くの要因によって決まるからである。
将来予測を行う場合には、まず年齢別人口と救急利用率から地域の救急需要を推計し、その需要が時間帯別、地域別にどのように発生するかを検討する必要がある。さらに、救急車ごとの活動時間や待機場所、利用可能な車両数を組み合わせることによって、出動が重なったときの影響を評価することができる。
このような分析には、出動の発生状況と救急車の稼働状況を確率的に扱う待ち行列モデルや、道路網と署所配置を考慮したシミュレーションなどが利用できる。ただし、モデルを使えば自動的に正しい将来予測が得られるわけではない。実際の救急活動データを用いてモデルの精度を検証し、人口推計や搬送時間などの条件を変えた場合に結果がどの程度変化するかを確認する必要がある。
例えば、人口が減少しても救急車の配置台数が維持され、1件当たりの活動時間が短縮されれば、到着時間が改善する可能性がある。反対に、救急出動件数が減少しても署所の削減や病院の遠距離化によって救急車が利用できない時間が長くなれば、到着時間が悪化する地域も考えられる。つまり、人口減少という共通の条件があっても、地域の政策や運用によって将来の結果は変わり得る。
この意味で、人口減少は救急車の到着時間を直接決める要因というよりも、救急サービスの需要と供給の構造を変化させる要因と考える方が適切である。
地方の救急体制で重要なのは「距離を支える能力」である
地方の人口減少について議論すると、住民が減れば公共サービスの規模も小さくすればよいという考え方が出てくる。しかし、救急医療では、この考え方を人口に比例してそのまま適用することは難しい。住民が半分になっても地域の面積が半分になるわけではなく、広い範囲に生活する住民へ救急車を届ける必要が残るからである。
しかも、救急サービスに必要なのは救急車という車両だけではない。救急隊員が常時出動できる勤務体制、通報を受ける通信指令機能、患者を受け入れる医療機関、搬送のための道路網などが一体となって機能しなければならない。これらの維持には一定の人員や費用が必要であり、人口減少によって住民1人当たりの負担が増える可能性がある。
消防組織法では、市町村がその区域における消防を十分に果たす責任を負い、消防に要する費用を負担することが定められている。ただし、この法律によって全国一律の救急車到着時間が保証されているわけではない。したがって、地域の安全を維持するためには、消防の広域化や人員配置の見直し、財政負担の調整などを通じて、必要なサービス水準をどのように確保するかが政策課題となる。
一方で、消防署を現在と同じ数だけ維持することが、必ずしも最善の解決策になるわけでもない。人口や居住地の分布が変化すれば、従来の署所配置が将来も最適であるとは限らず、隣接地域との共同運営によって救急車の利用可能性を高められる場合もある。重要なのは、施設の数や行政区域を守ることそのものではなく、地域全体として必要なときに救急車を届け、適切な医療につなぐ能力を維持することである。
さらに、救急医療の維持を考えるうえでは、救急車の需要を減らすための地域医療や介護、疾病予防も無視できない。高齢者の転倒予防、慢性疾患の適切な管理、在宅医療や介護との連携などによって、予防可能な急変や搬送を減らせる可能性がある。ただし、必要な救急要請まで抑制することは望ましくないため、救急需要の適正化は患者の安全を前提として進める必要がある。
30年後も現在と同じ時間で救急車が来るために必要なこと
地方で30年後も現在と同じ水準の救急サービスを維持できるかという問いに対して、人口推計だけから明確な答えを出すことはできない。人口減少や生産年齢人口の縮小によって消防・救急体制の維持が難しくなる可能性はあるものの、救急需要の変化、消防の広域化、医療機関との連携、技術の導入などによって結果は異なるからである。
現在の公的統計から確認できるのは、全国の救急出動件数が長期的に高い水準となっていること、搬送人員の6割以上を高齢者が占めていること、そして人口構造の変化が地域ごとに異なるという事実である。一方、これらの事実だけから、30年後の地方で救急車の到着時間が何分延びるのか、あるいはどの自治体で救急体制が維持できなくなるのかを断定することはできない。
将来を考えるために必要なのは、人口減少を理由に危機を強調することでも、技術の進歩によって問題が自然に解決すると期待することでもない。地域ごとの人口構造、救急需要、署所配置、車両の稼働状況、医療機関の受入能力を把握し、複数の政策選択肢を比較することである。
特に人口減少地域では、救急車が平均して何分で到着するかという問題だけでなく、遠隔地の住民や、複数の救急要請が重なったときに対応を必要とする住民が、どの程度の時間で救急医療にアクセスできるかを確認する必要がある。平均到着時間が維持されていても、一部の地域で長時間の遅延が増えているのであれば、地域全体のサービス水準が十分に維持されているとは言い切れない。
したがって、「地方では30年後も救急車が今と同じ時間で来るのか」という問いに対する現時点での答えは、何もしなくても現在の水準を維持できると保証することはできないが、人口減少だけを理由に必ず遅くなると結論付けることもできない、というものである。
人口減少によって救急医療の需要と供給の関係が変化することは、将来の人口推計からある程度見通すことができる。しかし、消防署をどこに配置し、救急車をどのように運用し、どの医療機関で患者を受け入れるかは、人口統計だけで決まるものではない。これらは自治体や消防機関、医療機関が、地域の実情を踏まえて選択していく政策上の問題でもある。
30年後の救急体制は、30年後になってから検討すればよい問題ではない。人口減少がさらに進み、人材や財政の制約が大きくなってから対応するよりも、現在のうちから実測データを分析し、将来の需要と供給を検証しておくことには合理性がある。
問われているのは、人口が減っていく未来を正確に言い当てられるかどうかではない。人口構造が変わることを前提として、限られた人員と財源のなかで、地域のどこに住んでいても必要な救急医療にアクセスできる体制を、今からどのように設計していくかという問題なのである。








