五木寛之の『青春の門』を、私は第3部「放浪篇」まで読んだ。第1部「筑豊篇」で伊吹信介の少年時代に引き込まれ、第2部「自立篇」で筑豊から東京へ出た信介を追い、そのまま北海道へ向かう「放浪篇」まで進んだのだが、そこでいつの間にか本を閉じてしまった。作品が急につまらなくなったという記憶があるわけではなく、「続きを読まない」と決めたわけでもないのに、何か別の本を読み、別のことに関心を持ち、気がつけば『青春の門』そのものから遠ざかっていたのである。
ところが、あらためて調べてみると、私が本を閉じた「放浪篇」は、この長大な物語から見ればまだ前半だった。その後には第4部「堕落篇」、第5部「望郷篇」、第6部「再起篇」、第7部「挑戦篇」、第8部「風雲篇」が続き、2019年には第9部「漂流篇」の単行本まで刊行されている。私の記憶の中では北海道をさまよっていた青年・伊吹信介が、その後も何十年という現実の時間を超えて歩き続けていたことになるのであり、そう考えると、累計2200万部という巨大な数字を持つこの大河小説を、実際の読者たちはいったい何篇まで読んでいるのかが急に気になってくる。
果たして第1部「筑豊篇」だけを読んだ人が圧倒的に多いのか、それとも一度物語に入り込んだ人は、第5部、第6部と意外なほど遠くまで信介についていったのか。そして私のように第3部あたりで、特別な理由もなく離れてしまった人は、この巨大な読者の流れの中で、どのあたりに位置しているのだろうか。
2200万部売れたからといって、2200万人が読んだわけではない
『青春の門』は累計2200万部に達した大ベストセラーである。しかし、2200万部という数字から「何人が読んだのか」や「何人が最後まで読んだのか」を知ることはできない。第1部から第6部まで1人が購入すれば、それだけで6冊として数えられるうえ、単行本、文庫本、改訂版などを買い直した読者もいるため、シリーズ累計部数と実際の読者数は、似ているようでまったく違う数字なのである。
もっと知りたいのは、「第1部を読んだ人のうち何%が第2部へ進み、そのうち何%が第3部まで読んだのか」という数字だが、出版社が個々の読者を追跡した調査を公表しているわけではない。そのため、『青春の門』の本当の読了率や途中離脱率を正確に計算することは、現在公開されている資料だけではできない。
それでも、まったく手掛かりがないわけではなく、読書記録サービス「読書メーター」には各巻を登録した人数が残っているため、同じ講談社文庫の系列を比較すれば、読者がどのあたりまで作品に関心を持っているのか、その痕跡を見ることはできる。ただし、この数字は「その巻を最後まで読み終えた人数」ではなく、第1部を登録した同じ人が第2部、第3部へ進んだことを追跡した数字でもないため、これから示す数字は読了率ではなく、あくまで「同じ作品の各篇にどの程度の登録が残っているか」を比較した参考値として扱う必要がある。
数字は便利だが、意味を取り違えると、いかにも科学的に見える誤解を生んでしまう。だからこそ、どこまでが観察された事実で、どこからが推測なのかを分けながら見ていくことが重要になる。
第1部855、第2部503、第3部445という数字が示すもの
同じ系統の講談社文庫について読書メーターの登録数を調べると、第1部「筑豊篇」は855、第2部「自立篇」は503、第3部「放浪篇」は445、第4部「堕落篇」は405、第5部「望郷篇」は382、第6部「再起篇」は364、第7部「挑戦篇」は322となっている。
第1部を100とする単純な指数に直せば、第2部は約59、第3部は約52、第4部は約47、第5部は約45、第6部は約43、第7部は約38となる。これをそのまま「第1部を読んだ100人のうち38人が第7部まで読んだ」と解釈することはできないが、少なくとも各篇の登録数がどのような形で減少しているかは分かる。
そして、この並びには1つ際立った特徴があり、最も大きく数字が落ちるのは、第1部「筑豊篇」から第2部「自立篇」へ移るところである。第1部855から第2部503への減少率は約41%に達する一方、第2部503から第3部445への減少は約12%、第3部445から第4部405へは約9%、第4部405から第5部382へは約6%、第5部382から第6部364へは約5%にすぎない。
形だけを眺めれば、なだらかな坂道が続いているというより、最初に大きな段差を1度下り、その後は比較的緩い坂が続いているように見える。つまり『青春の門』には、第1部から第2部へ進むところに、作品名そのままの「もう1つの門」が存在しているようにも見えるのである。
なぜ「筑豊篇」だけで本を閉じる人が多く見えるのか
第1部「筑豊篇」に特別な力があることを考えれば、この大きな差はそれほど不思議ではない。筑豊の炭鉱町に生まれた伊吹信介が、父・重蔵の伝説を背負い、母や周囲の大人たちに育てられ、牧織江への思いを抱きながら成長し、やがて故郷を離れて東京へ向かうという物語には、少年の誕生から旅立ちまでという明瞭な円環があり、第1部だけでも1つの長編小説としてかなり強く完結している。
しかも「筑豊篇」は1975年と1981年に映画化されているため、作品全体を読んでいなくても、「青春の門といえば筑豊」というイメージを持つ人は少なくないだろう。シリーズの入口でありながら、それだけで大きな満足を得られる作品であることが、第2部以降との登録数の差を生んでいる可能性は十分に考えられる。
ただし、ここで「第1部読者の41%が脱落した」と結論づけるのは早い。読書メーターが普及した時代は、『青春の門』が最も盛んに読まれた1970年代よりはるかに後であり、当時第1部から第6部まで読んだ人でも、現在その記録を読書メーターに登録していなければ数字には現れない。一方で、後年になって有名作品だからという理由で「筑豊篇」だけを読んだ新しい読者は登録されるため、その結果、第1部だけが相対的に大きくなる可能性もある。
統計の世界では、こうした現象を選択バイアスと考えることができる。観察できる集団そのものが、日本中の『青春の門』読者を無作為に抽出した集団ではない以上、そこから全読者の行動をそのまま推定することはできないのである。
したがって正確に言えるのは、「第1部から第2部へ進むところで登録数が大きく減っている」という事実までであり、「なぜ減ったのか」については、作品の完結感、映画化、後世の新規読者など、いくつもの理由を重ね合わせて考える必要がある。
私が離れた「放浪篇」は、実はまだ読者が大勢歩いている場所だった
私は第3部「放浪篇」で『青春の門』から離れたので、長い間、何となく「かなり先まで読んだ」という感覚を持っていた。しかし数字を見てみると少し印象が変わり、第3部「放浪篇」の登録数445を100とすると、第4部「堕落篇」の405は約91、第5部「望郷篇」の382は約86、第6部「再起篇」の364でさえ約82に相当する。
もちろん、これも同じ445人を追跡した数字ではないため、「放浪篇を読んだ人の82%が再起篇まで読んだ」とは言えない。しかし各篇の登録規模を見る限り、第3部から第6部にかけて急激な崩れは起きておらず、私は「放浪篇」という場所で1人、道を外れたような気分でいたけれど、実際にはそこはまだ長い読者の列が続いている場所だったらしい。
第1部から第2部へ進むところでは登録数が大きく落ちたのに、その門を越えた人々の痕跡は、第3部、第4部、第5部、第6部と意外なほどしぶとく残っている。言い換えれば、『青春の門』は誰も彼も最後まで引っ張っていく小説というより、最初の段階で読者を大きく選別し、そこを越えた人には長く付き合われる小説だった可能性がある。
多くの長編シリーズでは、巻を重ねるごとに少しずつ読者が減っていく姿を想像するが、『青春の門』の登録数を見る限り、最初に大きな落差があり、その後は比較的緩やかに減少している。厳密な統計調査ではないものの、「どこで読者が離れるのか」を考える材料としては、十分に興味深い形である。
本当なら「生存分析」をしたくなるデータである
この問題を数理的に考えると、本来は生存分析に近い方法で調べたくなる。生存分析とは、ある状態がどれくらいの期間続き、どの時点で終わるのかを調べる統計的方法で、医学なら治療後の生存期間、工学なら機械が故障するまでの時間などを分析するが、これを読書に置き換えれば、「第1部から読み始めた人が何篇まで読み続けたのか」という問題になる。
理想的には、第1部を読んだ人を100人集め、その同じ100人について、第2部へ進んだか、第3部へ進んだか、どの篇で読むのをやめたかを追跡すればよい。そうすれば、本当の意味で「読者がどこで離れたのか」を計算できるが、今回使える登録数は個人を追跡したデータではないため、生存分析そのものを行うことはできず、「第1部から第2部への登録数の減少が大きい」「第3部から第6部までは比較的安定している」という探索的な観察にとどめるべきである。
数字を使う記事では、計算すること以上に、どこまで計算してよいのかを見極めることのほうが難しく、その境界を守ることが、記事全体の信頼性を支えることになる。
第7部から先では、作品の面白さだけでは説明できない壁が現れる
さらに『青春の門』を複雑にしているのが、刊行された時間である。第7部「挑戦篇」は1993年6月に単行本化され、第8部「風雲篇」は1993年7月から1994年4月にかけて『週刊現代』に連載されているため、第7部のあと物語そのものが23年間完全に止まっていた、と書くのは正確ではない。
しかし、第8部がまとまった書籍として刊行されたのは2016年12月であり、雑誌連載を追わず、単行本や文庫本だけで『青春の門』を読んできた人にとっては、第7部の書籍刊行から第8部の書籍化まで約23年という時間が流れたことになる。この23年は単なる「長い刊行間隔」と書いて済ませるにはあまりにも長く、43歳の人が66歳になるほどの時間である。
その間には、小学生だった子供が社会人になっていても不思議ではなく、仕事の立場も、家族構成も、住んでいる場所も変わるだろうし、健康状態が変わる人もいれば、小説を読む習慣そのものを失う人もいる。読者は本棚の前で23年間静止して待っているわけではないのだから、ここまで時間が空けば、続きを買わなかった理由を「作品に飽きたから」とだけ説明するのは無理がある。
作品から読者が離れたというより、現実の時間そのものが、作品と読者の間をゆっくり引き離していった人も少なくなかったのではないだろうか。
第8部の登録数が減るのは、本当に「読者離れ」なのか
第7部「挑戦篇」の読書メーター登録数は322、第8部「風雲篇」の講談社文庫は205となっており、単純に割れば第8部は第7部の約64%の規模である。しかし、この差をそのまま「第7部を読んだ人の36%が第8部へ進まなかった」と解釈することはできない。
第7部と第8部では刊行された年代が大きく違い、単行本と文庫本の刊行事情も異なるうえ、第8部は1993~1994年に雑誌で読んだ人もいる。さらに後年になれば、同じ作品でも単行本、文庫本、電子書籍などに読者が分散するため、特定の1冊だけの登録数は小さくなりやすい。
第9部「漂流篇」になると問題はさらに複雑で、2017~2018年に雑誌連載され、2019年に『新 青春の門 第九部 漂流篇』として単行本が刊行され、2021年には文庫化されているため、同じ第9部の読者であっても、どの版で読んだかによって読書記録が別々に残る。したがって、第1部から第6部までと同じように登録数を一直線に並べ、減少率だけで読者離れを説明するのは危険である。
だから第7部以降については、数字だけで読者離れを語るよりも、「長い刊行時間そのものが読者行動を変えてしまった」と考えるほうが、現実に近いのではないかと思う。
伊吹信介は青年のままなのに、読者だけが年を取っていった
『青春の門』について考えていると、統計以上に奇妙な事実に気づく。第1部「筑豊篇」の単行本が刊行されたのは1970年11月であり、仮に当時20歳だった読者が、その年に伊吹信介と出会ったとすれば、その人は第8部が書籍化された2016年には66歳になり、第9部が単行本になった2019年には69歳、2026年の現在なら76歳である。
小説の中では、信介は青年として悩み、恋をし、世界を見ようともがいている。しかし、その青年を追い続けた読者の側では、就職があり、結婚があり、子育てがあり、定年があり、親との別れがあり、場合によっては自分自身の老いと向き合う時間まで流れている。
1970年に20歳で「青春の門」をくぐった読者が、第9部を手に取るころには70歳を目前にしているというのは、普通のシリーズ小説とはかなり違う読書体験だろう。青年の物語を青年として読み始め、その続きを老年になって読むという現象は、作者が作り出した時間とは別に、読者自身の人生というもう1本の時間が作品の横を流れ続けているからこそ生まれる。
そう考えると、『青春の門』を途中で読むのをやめた人を、単純に「脱落した読者」と呼ぶこと自体が、少し違って見えてくる。
「途中でやめた」のではなく、人生のどこかで別れたのかもしれない
長い小説を最後まで読めなかったと言うと、どうしても「挫折した」という感じがつきまとうが、『青春の門』ほど長い時間をかけて書かれた作品の場合、その言葉は必ずしもふさわしくない。
第1部「筑豊篇」だけを読んだ人には、筑豊から東京へ旅立つ信介で終わる『青春の門』があり、第3部「放浪篇」で離れた私には、北海道の冷たい風の中で自分の生き方を探す信介が残っている。第6部「再起篇」まで読んだ人には、挫折から立ち上がろうとする信介がいて、第8部まで行った人には、ついに日本を離れシベリアへ向かう信介がいる。
どこまで読んだかによって、それぞれの読者の中に存在する伊吹信介は少しずつ違う。それは不完全な読書というより、長大な作品だからこそ生まれる現象なのかもしれない。
人間は1冊の本を読む間にも年を取るが、『青春の門』の場合は、その続きを待つ間に人生そのものが変わってしまうほどの時間が流れた。読む側が作品を捨てたのではなく、仕事、家族、別の本、別の興味、そして時間そのものに連れられて、いつの間にか信介とは違う道を歩き始めていた人も多かったのではないだろうか。
それでも「筑豊篇」を越えた読者は意外に遠くまで歩いている
結局、『青春の門』の読者が平均して何篇まで読んだのかという問いに、正確な数字で答えることはできない。累計2200万部という販売部数からも分からず、読書メーターの登録数から厳密な読了率を計算することもできないが、そこから何も分からないわけではない。
第1部「筑豊篇」の登録数855に対して、第2部「自立篇」は503まで大きく減っている一方、第3部445、第4部405、第5部382、第6部364と、その後の減少はかなり緩やかである。この数字が示しているのは、「第1部を読んだ人の何%が脱落した」という確定的な答えではなく、最初の門を越えた人々が、意外なほど長く伊吹信介について歩いた痕跡である。
そして私が離れた第3部「放浪篇」は、その長い行列がまだかなり続いている地点だった。あのとき私は、自分ではかなり深いところまで『青春の門』を読んだつもりでいたが、実際には信介の旅はまだずっと先まで続いており、多くの読者の痕跡もその先に残っていたのである。
何十年も前に本を閉じた読者が、ある日突然、「そういえば伊吹信介は、あのあとどうなったのだろう」と思い出すことがある。物語から離れたつもりだったのに、登場人物だけは心のどこかで年を取らずに待っているというのは、長編小説ならではの不思議さなのだろう。
読者が『青春の門』を離れたのか、それとも時間が2人を引き離したのか
『青春の門』という題名をあらためて眺めると、少し不思議な気持ちになる。作品を読み始めたころ、「青春の門」をくぐるのは伊吹信介だと思っていたはずなのに、50年以上という時間の中で、門を通り過ぎてしまったのは読者のほうでもあった。
信介は小説の中で青年であり続ける。しかし、1970年代に彼と出会った読者は青年から中年となり、やがて老年へ向かった。その途中で本を閉じた人もいれば、何十年ぶりに続きを手に取った人もいるだろう。
だから、『青春の門』の読者は何篇まで読んでいるのだろうか、という問いに対する最も正確な答えは「分からない」である。しかし、その「分からない」の中身を調べていくと、第1部で本を閉じた人が多くいるように見え、その最初の門を越えた人々は意外なほど遠くまで信介についていき、第7部以降になると、物語の魅力だけでは説明できないほど長い現実の時間が、作品と読者の間に流れ込んでくるという、かなり面白い景色が見えてくる。
私自身は第3部「放浪篇」で『青春の門』から遠ざかったが、この記事を書くために第4部「堕落篇」、第5部「望郷篇」、第6部「再起篇」と、その先に続く題名をあらためて眺めているうちに、「あのあと信介はどうなったのだろう」という気持ちが少し戻ってきた。何十年も続きを読まなかった小説なのに、主人公の名前を見れば記憶がよみがえるのだから、それだけでも大した小説なのだろう。
読者のほうはとっくに青春の門を通り過ぎてしまったのに、本の中では今も伊吹信介が、その門の向こうを歩き続けている。

