ある時代が現代に似ているかどうかを考えるとき、政治制度や科学技術だけを比べても、あまり面白い答えにはならない。元禄の日本にはスマートフォンも会社員も住宅ローンもなく、選挙も社会保険も存在しなかったのだから、制度の表面を見れば、三百年以上前の社会と現代日本との距離は途方もなく遠い。それでも、人間が何を欲し、何を恐れ、何のために働き、誰の目を気にしながら暮らしていたのかというところまで降りていくと、その距離は意外なほど縮まり始める。
その奇妙な近さを感じさせる作家が、井原西鶴と近松門左衛門である。二人はほぼ同じ時代の上方社会を眺めながら、まるで別の方向に視線を向けていたように見える。西鶴が繰り返し描いたものの一つは、商売、金銭、損得、信用、成功と失敗であり、その中で欲望をむき出しにする人間だった。一方、近松が舞台に引き出したのは、恋、義理、家、奉公、世間、そしてそれらの間で身動きできなくなる人間の感情である。
ただし、この二人を「西鶴は金、近松は人情」と単純に分けてしまえば、元禄という時代の面白さを半分しか見ないことになる。むしろ重要なのは、西鶴が描いた金の世界と、近松が描いた人情の世界とが、同じ都市社会の表と裏だったということである。金銭は感情から独立しておらず、感情もまた金銭や信用や家から自由ではなかった。その絡み合いこそが、元禄の文学を現代の私たちにも不思議なほど身近なものにしている。
武士の時代に、町人の日常が文学の中心へ近づいてきた
江戸時代という言葉から、私たちはまず武士を思い浮かべる。将軍、大名、侍、城、刀という風景が先に立つのは自然だが、十七世紀後半の京都や大坂、江戸といった都市へ目を向けると、少し違った社会が見えてくる。そこでは商品が動き、金が動き、人が移動し、それに伴って信用や情報までが経済的な価値を持つようになっていた。
もちろん、政治的な身分秩序そのものが消えたわけではない。武士が支配層である構造は変わらず、商人が政治的に武士を上回ったわけでもない。それでも都市の日常生活では、商人や職人を含む町人層の存在感が大きくなり、彼らが文化の重要な担い手となっていった。生きるために必要な物を作り、使うだけではなく、商品を売り、買い、楽しみ、蓄え、時には見栄のために消費する社会が広がれば、人間を見る尺度も少しずつ変わる。どの家に生まれたのかだけではなく、どれだけ商売の才覚があるのか、信用を得られるのか、機会をつかめるのかという別の尺度が、都市社会の中で無視できない意味を持つようになる。
西鶴の文学が今なお生き生きとしている理由の一つは、その変化を敏感に捉えていたからだろう。『日本永代蔵』や『世間胸算用』には、財を築こうと知恵を絞る者、節約によって暮らしを守ろうとする者、欲や見栄によって失敗する者、借金や年越しの算段に追われる者が現れる。そこで金は単なる小道具ではなく、人間の性格や判断を露出させる装置として働いている。
だからといって、西鶴が金持ちになる方法を書いたわけではない。むしろ彼が面白がっていたのは、金に接したとき人間がどのように変わるのかという問題だった。金を持つ者が必ず賢いわけではなく、貧しい者が必ず怠けているわけでもなく、商売には努力だけで説明できない運や時代や情報が絡み込む。その不確実な世界の中で、それでも人々は勘定を続ける。
西鶴が見たのは、金そのものより金に揺れる人間だった
現代では、成功した人間について語るとき、その成功を努力や能力の結果として説明したくなる。しかし実際の経済では、景気、時代、場所、人脈、情報、偶然といった本人には完全に制御できない条件が常に入り込んでいる。西鶴の作品に出てくる商人たちも、勤勉だから必ず報われるわけではなく、頭が切れるから必ず勝てるわけでもない。
それでも彼らは、明日は何を売るか、どこで仕入れるか、何を節約するか、誰を信用するかと考え続ける。ここには、身分秩序の外側に広がり始めた「経済による評価」の世界がある。もちろん、それを現代の資本主義社会とそのまま同一視することはできないが、市場の中で自分の能力や信用を試され、選択の結果によって生活が左右される人間の姿には、現代から見ても理解できる部分が少なくない。
西鶴の登場人物が現代的に見えるのは、彼らが現代人そのものだからではない。むしろ、経済活動の中で機会を探し、失敗を恐れ、信用を守り、将来を計算するという人間の姿が、すでに都市の物語の中心に現れているからである。
近松の世界では、正しい計算だけでは人は救われない
西鶴の世界では、計算の失敗によって人生が傾くことがある。ところが近松の舞台へ移ると、たとえ損得を冷静に計算できたとしても、それだけでは抜け出せない人間が現れる。近松が見つめたのは、金銭だけでは処理できない感情と、その感情を取り囲む社会関係だったからである。
元禄十六年、1703年に初演された『曽根崎心中』では、徳兵衛とお初が追い詰められていく。そこには恋愛があるが、二人を苦しめているのは恋そのものだけではない。金銭問題、奉公関係、信用、面目、家、世間の目が絡み合い、一つずつ逃げ道をふさいでいく。現実に起きた町人の心中事件を題材としたこの作品が大きな反響を呼んだことは、英雄や歴史上の人物だけではなく、都市で暮らす普通の人間の日常が、大きな悲劇の主題になり得る時代になっていたことを示している。
ここに近松の大きな意味がある。国家の命運を背負った英雄ではなく、ごく普通の町人が、恋愛や金銭や信用や社会関係によって人生の行き場を失っていく。それは国家的な大事件ではなくても、当人にとっては世界全体が崩れるほど重大な出来事である。近松は、その「個人にとっての世界の終わり」を舞台に載せた。
人を縛るものは、法律だけではなかった
近松の世話物を現代から読むと、なぜそこまで追い詰められるのかと感じることがある。逃げればよい、別れればよい、奉公先を変えればよいと思いたくなるが、その感覚は現代社会の選択肢を前提にしている。近世の人々は、家、奉公先、身分、地域社会などの関係から、現代人ほど容易に離れられるわけではなかった。
しかも彼らを拘束したのは、法令や身分制度だけではない。社会的な信用や面目、周囲からどう見られるかという「世間」の力も大きかった。書面に記されていなくても守るべき規範があり、法律上の罪ではなくても信用を失えば、その後の生活が難しくなることがある。
この点は現代日本との比較を誘う。現代にも、法律には書かれていないが、破れば相応の代償を負う規範が存在する。職場の空気、家族の期待、地域の評判、インターネット上の評価など、制度の外側にある他人の視線は、現在でも人間の選択を左右する。
もちろん、元禄の「世間」と、現代の社会的評価を同じものとして扱うことはできない。それでも、人間が自分の意思だけで生きることは難しく、他人との関係や信用によって行動の範囲が狭められるという構造には、時代を越えて比較できる部分がある。
西鶴の「勘定」と近松の「人情」は、同じ都市社会の中にあった
ここで西鶴と近松を同じ画面に置くと、二人の違いよりも、むしろ共通して見ていた社会の姿が浮かび上がってくる。西鶴の人物は金を計算し、近松の人物は義理と感情の間で苦しむが、その二つは別々の世界の出来事ではない。
商業が発達すれば、信用が重要になる。信用が重要になれば評判が意味を持ち、評判が意味を持てば世間の目が人間の行動を左右するようになる。そうなれば、金銭問題は単なる数字ではなくなり、借金を返せないことが面目や人間関係の問題になり、恋愛や結婚も当事者二人だけでは完結しなくなる。
そう考えると、西鶴が帳簿の側から見ていた世界を、近松は人間の胸の内側から見ていた、と表現することができる。西鶴の人物が「どうすれば儲かるか」と考えている背後には、家族や将来への不安があり、近松の人物が「この人と生きたい」と願う前には、金、信用、家、奉公先といった現実が立ちはだかっている。金と人情は別々の問題ではなく、都市の商業社会が発達する中で、ますます複雑に絡み合っていったのである。
自由になったというより、選択を迫られる場面が増えていった
ここで「元禄期になると人間は自由になった」と単純に言うのは危険である。近世社会の身分秩序や家、奉公、地域共同体による拘束は強く、現代的な意味で個人の自由が成立していたわけではない。
しかし都市の成長と商品経済の広がりによって、人々が選択を迫られる場面が増えていったと考えることはできる。商売のやり方を工夫し、どこで何を買うかを決め、娯楽を選び、限られた範囲ではあっても、金の使い方や人間関係について判断しなければならない機会が増える。選択肢が増えることは豊かさにつながる一方で、選択の失敗を自分の問題として引き受ける場面も増やしていく。
この点では、現代との比較はかなり興味深い。現代人には学校、職業、結婚、住居、働き方など、近世とは比較にならないほど多くの選択肢があるが、その分だけ、うまくいかなかったときに「なぜ別の道を選ばなかったのか」と自分自身へ問い返す機会も増えている。元禄社会がそのまま現代的個人主義を生み出したわけではないが、市場と都市生活の発達が、人々に新しい判断や葛藤を与え始めていたと見ることはできる。
消費社会の始まりではなく、消費が文化として見え始めた時代
元禄と現代の類似を考えるうえで、消費という問題も重要である。ただし、「日本の消費社会は元禄から始まった」と一点に起源を求めるのは正確ではない。商品経済や都市消費はそれ以前から長い時間をかけて発達しており、その後の十八世紀、十九世紀にもさらに拡大していく。
それでも、元禄期の都市文化には、現代の消費社会につながる特徴がかなりはっきりと現れている。都市人口が増え、商品の流通が広がれば、人々は生存に必要な物だけを買うのではなく、衣服、食事、娯楽、芝居、出版物などに金を使うようになる。何を持ち、何を楽しみ、どのような場所へ出入りするかが、その人の趣味や暮らしぶりを示すようになれば、消費には生活維持以上の意味が与えられる。
現代人が衣服や車、旅行、飲食、情報機器などを通じて、意識するとしないとにかかわらず自分の生活様式を表現するのと同じように、近世都市の人々もまた、消費を通じて自分の立場や好みを示す場面を増やしていった。
西鶴の作品には、その社会の空気が濃厚に漂っている。人々は金を貯めるだけではなく、使い、楽しみ、見栄を張り、ときには使いすぎて苦しむ。節約と浪費の間で揺れ動く人間の姿は、現代の家計にも通じるところがある。
そもそも人間は、純粋に合理的な計算だけで金を使うわけではない。嬉しいから買い、不安だから貯め、他人に負けたくないから高価な物を選び、将来が心配だから節約する。そう考えれば、金銭行動とは数字だけの問題ではなく、最初から感情の問題でもある。その地点で、西鶴の金の世界と近松の人情の世界は再びつながる。
元禄から現代へ、一本の直線を引くことはできない
ここまで元禄社会と現代日本の類似を見てきたが、だからといって「現代日本の原型は元禄時代に完成していた」と結論づけることはできない。そこには大きな歴史的飛躍がある。
現代日本をつくったものには、明治維新、近代国家の成立、学校制度、産業化、企業社会、大衆政治、戦争、戦後改革、高度経済成長、社会保障など、元禄時代には存在しなかった巨大な変化がいくつもある。これらを無視して、元禄から現代へ一本の線を引くことは、歴史を単純化しすぎる。
因果関係として考えれば、元禄期に存在した都市化、商業化、信用、商品消費、町人文化が、そのまま現代日本を生み出したわけではない。それらは長い歴史の中で変形し、別の制度や思想と結びつきながら受け継がれたり、途切れたり、作り直されたりしてきた。
したがって「現代日本の原型」という言葉を使うのであれば、それは「現代社会が元禄から直接生まれた」という意味ではなく、「現代人にも理解しやすい社会構造や心理的葛藤が、元禄の都市社会ですでに目立つ形を取っていた」という比較のための表現として理解するのが妥当だろう。
私たちに似た人間が、元禄の町を歩いている
そうした注意を払ったうえで西鶴や近松を読むと、元禄時代は急に近くなる。生まれだけではなく金や信用によって人生が左右され、都市の中で知らない者同士が取引し、商品や娯楽が生活の楽しみになり、人が恋愛や幸福を求め、それでも家や社会や世間の目から完全には逃れられないからである。
これは現代日本そのものではない。しかし、私たちが知っている世界と比較できる特徴を多く持っている。
西鶴の本を開けば、人々が金を数えている。近松の舞台をのぞけば、人々が恋と義理と信用の間で苦しんでいる。しかし、金を数えている者も泣き、恋に生きる者も金から逃れられない。その二つの風景は、別々のものではない。
人間が市場の中で生きるようになると、金は単なる交換の道具ではなくなる。成功や失敗、信用、家族、欲望、将来への不安と結びつき、時には人間の感情そのものを揺さぶる。それと同時に、人間が自分の幸福を意識して求めれば、家や社会との摩擦も生まれる。西鶴は、その社会をときに笑いながら観察し、近松は、その社会の中で身動きできなくなった人間を舞台に立たせた。
だから二人を並べて読むと、元禄時代の日本は、単なる「昔の日本」ではなくなる。商売に成功したいという欲望、失敗して信用を失う恐怖、好きな相手と生きたいという願い、周囲からどう見られるかという不安が、そこにはすでに物語として存在している。
現代日本の原型が元禄時代に完成していたと断言することはできない。しかし、現代人が抱えているいくつかの厄介な問題、すなわち金がなければ選択肢を広げにくいのに、金だけでは幸福になれないこと、自分の人生を生きたいのに他人の評価から完全には自由になれないこと、選択肢が増えるほど判断と責任も重くなることについては、三百年以上前の上方の都市ですでに物語になっていた。
西鶴が覗き込んでいた財布の中にも、近松が覗き込んでいた人間の胸の内にも、現代の私たちが理解できる欲望と不安がある。だから彼らの作品を読んで笑ったり、胸を締めつけられたりするのは、単に遠い江戸時代を眺めているからではないのだろう。歴史の中に現代日本そのものを見つけることはできなくても、三百年前の街角を歩く人々の中に、私たち自身とよく似た迷いを見つけることはできるのである。

