リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

家の中にあった「よそ行き」の部屋

 昭和の住宅を思い浮かべると、家族が毎日使うわけでもないのに、なぜか家の中でもっとも立派に整えられた部屋があったことを思い出す人は少なくないだろうが、そこには深く腰を沈めるような重いソファが向かい合い、その間には磨かれた低いテーブルが置かれ、壁には風景画や書が掛かり、灰皿や花瓶だけが不自然なほど整然と並んでいて、子どもがそこで寝転がったり、おもちゃを広げたりすれば「そこは遊ぶところではない」と叱られたものの、では誰がいつ使うのかと問われると家族自身にもよく分からないことがあり、その部屋こそ、かつて多くの住宅に存在した応接間である。

 居間には新聞が置かれ、座布団が乱れ、食卓には湯飲みが残されていたのに、応接間だけはいつも時間が止まったように整っていたのは、その部屋が家族のための場所ではなく、家の外からやって来る誰かに見せるための場所だったからであり、会社の上司や同僚、取引先、学校の先生、親戚、近所の人などを家の中へ迎えながら、洗濯物や食卓、子どもの持ち物といった生活の核心部分までは見せないための中間地点として機能していたことを考えれば、応接間とは単なる来客用の部屋ではなく、家庭と社会の間に置かれた一種の緩衝地帯でもあった。

 ところが現在、新築住宅の間取り図を眺めても「応接間」という文字を見ることはほとんどなくなり、その代わりに広いリビングやリビング・ダイニング・キッチン、収納、家事空間、在宅勤務用の作業場所などが目立つようになったうえ、客が来れば家族が普段過ごしているリビングへ案内し、少し改まった相手であれば、そもそも家へ呼ばずに喫茶店やホテルのラウンジで会うことも珍しくないため、日本人はある時突然応接間を捨てたのではなく、住宅の使い方と人間関係のあり方を少しずつ変えた結果として、「客のためだけに1室を確保しておく」という住宅のつくり方を選ばなくなっていったのである。

応接間は近代日本の「社会への窓」だった

 日本人が客を迎えるための特別な空間を持つようになったのは、洋風住宅が広がった近代以降に突然始まったことではなく、それ以前の日本家屋にも客を迎えるための座敷という場所が存在しており、床の間には掛け軸や生け花が置かれ、客は上座へ案内され、家の主人はその向かい側や下座に座るというように、部屋の中の位置関係そのものが客と主人の社会的関係を表していたことから、客間とは単なる空間ではなく、人間関係を目に見える形にする装置でもあった。

 明治以降、西洋式の生活様式が広がると、こうした座敷文化に椅子とテーブルを使う応接室が加わり、明治30年代ごろから大都市の中流住宅に現れ、大正期から昭和前期にかけて都市の俸給生活者の住宅へも広がっていったうえ、戦後になると持ち家を建てる世帯が増え、応接間や応接セットは「きちんとした家」を象徴するものとして受け入れられるようになったため、家の広さや家具の立派さと同じように、その家庭がどの程度社会的に安定しているかを示す記号にもなっていった。

 高度経済成長期の家庭では、テレビ、冷蔵庫、自動車といった耐久消費財が豊かさの象徴になったが、住宅にも同じような価値観が入り込み、立派な玄関、床の間のある和室、客用の座布団、客用の食器、そして応接セットが「ひとかどの家庭」を形づくっており、実際に1970年の国民生活に関する世論調査では応接セットを所有する世帯は19.6%だったものが、1984年の全国消費実態調査では「応接セット3点以上」の普及率が40.6%まで上昇していることからも、戦後の所得上昇とともに応接文化が広がっていったことがうかがえる。

 もっとも、この数字は応接間そのものの普及率を示すものではなく、リビングなどに応接セットを置いていた家庭も含まれるため、「1984年には4割の家に応接間があった」と考えることはできないものの、応接家具の所有率が1970年から1980年代にかけて上昇した事実は、来客のための空間や家具を家庭内に用意することに一定の価値が置かれていたことを示す補助的な手掛かりにはなる。

応接間は「狭くなったから」消えたわけではない

 応接間が消えていった理由として、しばしば「住宅が狭くなったから」という説明がなされるが、この言い方は統計的には注意が必要であり、確かに都市部の小住宅や集合住宅では床面積の制約が強く、独立した応接間を確保することが難しい場合が多かったとしても、日本の住宅全体を長期的に見ると、戦後一貫して住宅が狭くなってきたわけではない。

 持ち家1戸当たりの平均延べ面積は、1973年には約103平方メートルだったものが1998年には約123平方メートルまで拡大しており、専用住宅全体でも1993年の約88平方メートルから2000年代には92平方メートル前後まで増え、その後はやや縮小傾向が見られるものの、2023年でも平均は約91平方メートルであることを考えると、少なくとも「昔より住宅が狭くなったため応接間がなくなった」と単純に説明することはできない。

 むしろ重要なのは、住宅が広くなった時期でさえ、その増えた床面積が応接間には向かわなかったことであり、以前なら客のために1室を確保していた家庭が、その空間を広いリビング、子ども部屋、収納、家事空間、仕事部屋などへ配分するようになったと考える方が実態に近く、つまり応接間が消えた本質的な理由は床面積そのものが減ったことではなく、限られた住宅空間の中で何を優先するかという価値判断が変わったことにある。

戦後住宅は「客」より「家族」を中心に設計された

 この価値判断の変化は、戦後の住宅政策や住宅設計にもはっきりと現れており、戦後の公共住宅では、限られた床面積の中で独立した客間を確保することよりも、食事をする場所と寝る場所を分ける「食寝分離」や、家族が日常生活を送りやすい間取りを整えることが重視された。

 1950年代には2DK、すなわち2つの居室とダイニングキッチンを組み合わせた住宅が広がり、さらに1960年代後半には3LDK、すなわち3つの居室にリビング・ダイニング・キッチンを組み合わせた形式も標準的な住宅設計として登場したが、ここで重視されたのは客のために一室を残しておくことより、食事、睡眠、団らんといった家族の日常生活をどのように配置するかという問題であり、住宅の中心は次第に「外から来る人」から「毎日そこで暮らす人」へ移っていった。

 こうした流れを考えると、応接間が減ったことは偶然ではなく、戦後の住宅設計そのものが家族生活の合理化を優先する方向へ進んでいたため、独立した接客空間を持つことは次第に住宅計画上の優先順位を下げていったのである。

応接セットの数字にも衰退の兆しが現れた

 応接文化が大きく変化したことは、その後の家具の普及率からもうかがうことができ、1984年には40.6%だった「応接セット3点以上」の普及率は1999年には28.3%まで低下していることから、1980年代を頂点として応接家具の存在感が弱まっていったことが分かる。

 もちろん、家具の所有率が下がったからといって、それだけで独立した応接間が減ったと証明することはできないが、少なくとも「客を迎えるために専用の家具を揃えておく」という生活文化が弱まっていったことは読み取ることができ、住宅の中で接客機能がリビングへ吸収され、家族が普段使うソファやテーブルで客を迎えるようになれば、独立した応接セットを所有する必要も小さくなるため、家具統計と住宅文化の変化は互いに矛盾しない。

「家に来る客」そのものも変わった

 もっとも、応接間の減少を住宅設計だけで説明すると、もう1つの大きな変化を見落とすことになり、それは人が他人の家を訪ねる機会そのものが以前より少なくなったことである。

 かつては会社の同僚や上司が家庭を訪れ、学校の教師が家庭訪問をし、近所の人が何かの用事で玄関を開け、親戚が立ち寄ることも珍しくなかったが、電話、携帯電話、電子メール、SNS(Social Networking Service・インターネット上で人と交流するサービス)が普及すると、用事を伝えるためだけに相手の家を訪問する必要性は大きく低下し、仕事上の連絡は職場やオンラインで済ませることができ、友人にはメッセージを送り、親戚とは電話や映像通話で話せるようになったため、人間関係そのものがなくなったわけではなくても、その関係を維持するために家庭を訪問する必要は以前より小さくなったのである。

 総務省の社会生活基本調査でも、「交際・付き合い」に使う時間は1996年以降、長期的に減少する傾向が確認されており、とりわけ若い世代では友人や知人と同じ場所で過ごす対面的な交際の減少が見られるが、これは家庭訪問そのものを直接測定した数字ではないため、「客が家に来なくなった」と統計だけで断定することはできないものの、対面での交際機会そのものが減り、通信手段によって人間関係の維持方法が変わったことは、応接間の必要性を低下させる方向に働いたと考えるのが自然である。

喫茶店は「外に出た応接間」になったのか

 人と直接会う必要がある場合でも、現在では家を使わなければならない理由はほとんどなくなっており、仕事の相談なら喫茶店、友人との会話ならファミリーレストラン、少し改まった相手ならホテルのラウンジというように、家庭の外には人と会うための場所が数多く存在しているため、かつて住宅内部に必要だった接客機能の一部を、社会の側が引き受けるようになったと考えることもできる。

 この変化を経済的に見ると、応接間はかなり特殊な設備であり、年に何度使うか分からないにもかかわらず、そのために数平方メートル以上の床面積を確保し、家具を置き、掃除をし、来客のたびに茶菓子を用意し、場合によっては食事を準備しなければならないため、応接間を持つということは空間だけでなく、相応の時間と家事労働まで家庭内に抱え込むことを意味する。

 一方、喫茶店やファミリーレストランを利用すれば、必要なときだけ飲食代を支払えばよく、掃除も給仕も後片付けも不要になるため、家庭内で固定的に接客空間を「所有」する方式から、必要なときだけ外部の接客空間を「利用」する方式へ移行したと見ることは、経済的には十分合理的である。

 ただし、「応接間が減った分だけ喫茶店利用が増えた」という直接的な統計があるわけではないため、喫茶店を「町の応接間」と呼ぶのは厳密には統計的事実というより社会変化を説明する比喩だが、それでも家の内部にあった接客機能の一部が外部施設へ移ったという見方は、現在の生活様式を理解するうえでは有効だろう。

共働き化も、家で客を迎える意味を変えた

 家庭の中で来客を迎えることは、客を部屋へ通せば終わりではなく、その前後に掃除、茶菓子の準備、給仕、食事の用意、後片付けといった家事が発生するため、応接間という文化は実際には家庭内のかなり大きな労働によって支えられていた。

 現在では共働き世帯が大きく増えており、2025年には、妻が64歳以下の世帯で共働き世帯が1254万世帯であるのに対し、男性雇用者と無業の妻からなる世帯は358万世帯となっているため、共働き世帯は後者の約3.5倍に達しており、家庭の中に来客対応のための時間を恒常的に確保することは、以前より難しくなっている。

 もっとも、共働き世帯が増えたから応接間がなくなったという直接的な因果関係を示す統計があるわけではないものの、来客対応に伴う時間と家事負担が相対的に重くなる方向へ社会が変化したことは確かであり、共働き化は独立した接客空間を家庭内に維持する必要性を弱めた背景要因の1つと考えることができる。

「家へ入れる人」の範囲も変わった

 応接間が消えていった背景には、誰をどこまで家の中へ入れるのかという人間関係の距離感の変化もあり、現在では宅配便の配達員や営業担当者を居間まで通すことはほとんどなく、近所の人が訪ねてきても玄関先で用件を済ませることが多いが、これは単に人間関係が希薄になったというより、住宅を個人や家族の私的な領域として捉える意識が以前より明確になった結果と考えることができる。

 以前の地域社会では、近所の人が家族構成や勤務先を知り、子どもがどこの学校へ通っているかまで知っていることが珍しくなく、家庭と地域社会の境界は現在ほど明確ではなかったため、人が家を訪ね、玄関を上がり、お茶を飲みながら話をすることも日常生活の延長として受け入れられていた。

 ただし、プライバシー意識の高まりが直接応接間を減らしたと示す統計は乏しいため、ここは住宅史や社会意識の変化から導かれる解釈として扱う方が適切だが、それでも仕事上の相手とは外で会い、親しい友人なら最初からリビングへ通し、それほど親しくない人とは玄関や外部施設で対応するという関係が一般化すれば、その中間地点として存在していた応接間の役割が小さくなるという説明には合理性がある。

「客用」という考え方そのものが縮小した

 住宅の中から消えていったものを見渡してみると、応接間だけが特別だったわけではなく、かつて多くの家庭には客用の布団、客用の湯飲み、客用の座布団、客用の食器があり、普段はほとんど使わない物を、いつ来るか分からない誰かのために押し入れや食器棚の中へ長期間保管していた。

 そこには、家庭とは家族だけのために存在する場所ではなく、社会の人間関係を受け止める場所でもあるという発想があったが、現在では収納空間そのものが貴重になり、年に数回しか使わない物を持ち続けるより、必要なときに用意したり、外部のサービスを利用したりする方が合理的だと考える家庭も増えており、泊まり客が来れば近くのホテルを利用してもらうという選択も、その延長線上にある。

 つまり、家庭が社会のために一定の余白を常に残しておくという考え方が弱まり、その分だけ自分たちの日常生活へ空間や費用を振り向けるようになったのであり、「客用」というカテゴリーの縮小と応接間の消滅は、同じ社会変化の異なる表れだったと考えることができる。

家の間取りは、社会の変化を数字より先に映す

 住宅の間取りは、単なる建築上の都合だけで決まるものではなく、その時代の人々が誰と暮らし、誰と会い、何を所有し、どのような人間関係を大切にしているのかを静かに映しており、客間が広かった時代には家庭と地域社会や仕事社会との接点が今より濃く、子ども部屋が増えた時代には家族の中でも個人の空間が重視されるようになり、大きなリビングが住宅の中心になった時代には格式や体面よりも日常生活の快適さが重視されるようになった。

 だから昭和の住宅と現在の住宅の間取り図を並べて眺めれば、日本社会の変化がある程度見えてきて、かつて玄関近くに置かれていた応接間が姿を消し、その分だけリビングが広くなり、収納や子ども部屋、家事空間、仕事用のスペースが増えているとすれば、それは住宅の主人公が、いつ来るか分からない客から、毎日そこで暮らす家族へと移ったことを意味している。

それでも「人を迎える家」は消えていない

 もっとも、応接間が消えたからといって、人を家へ招く文化そのものがなくなったわけではなく、現在でも友人を家へ招き、大きなダイニングテーブルを囲んで食事をしたり、庭とリビングをつなげて休日を一緒に過ごしたり、アイランドキッチンの周囲で料理をしながら会話を楽しんだりする家庭はある。

 ただし、そこで行われているのは、かつての応接間とはかなり異なる形のもてなしであり、昔の応接間では客と主人は向かい合い、家族の日常生活はできるだけ見せないことが礼儀だったのに対し、現在のリビングでは家族が普段過ごしている空間そのものへ客を迎え入れ、一緒に食べ、一緒に話し、ときには一緒に料理までするため、以前の客間が「生活を見せずに客を迎える場所」だったとすれば、現在のリビングは「生活の一部を共有することで客を迎える場所」へ変わったといえる。

 この違いは、客との関係が格式を重んじるものから親密さを重んじるものへ変化したことを示しており、立派なソファに背筋を伸ばして座り、茶托に載せられた湯飲みを前に会話するより、同じテーブルでコーヒーを飲みながら話す方が、現在の人間関係には自然なのである。

応接間が消えたあとに見えてくるもの

 こうして振り返ると、応接間が日本の住宅から消えていったのは、単に家が狭くなったからでも、現代人が人付き合いを嫌うようになったからでもなく、住宅が広くなった時期でさえ応接間の優先順位は下がり、その一方で戦後住宅政策は家族の日常生活を中心に設計され、応接家具の普及率は1980年代を頂点に低下し、対面的な交際は減少し、共働き世帯は増え、通信技術や外部の接客施設が家庭内の応接機能を部分的に代替するようになったという複数の変化が同時に重なった結果だと考える方が妥当である。

 つまり応接間の消滅は、単一の原因から説明できる現象ではなく、住宅設計、労働、家事、通信、人間関係、消費行動、プライバシー意識といった複数の変化が同じ方向へ作用した結果として理解する方が適切であり、その中でももっとも大きかったのは、家というものの意味そのものが変わったことである。

 かつての家には、家族が暮らす場所であると同時に、その家の主人が社会の中でどのような立場にあるのかを示し、外から来た人を受け止める役割があったため、応接間はその象徴として必要だったが、現在では家は社会に向かって開かれた舞台というより、家族が社会から戻り、私的な時間を過ごす場所としての性格を強めている。

 昔の家の写真を見ると、薄暗い応接間の中に、重そうなソファや磨かれたテーブルが写っていることがあり、そこに実際にどれほど多くの客が座ったのかは分からないものの、その部屋の存在そのものが、当時の家族が社会とどのようにつながっていたのかを静かに物語っている。

 そして現在、同じ広さの場所には、家族全員が座れるソファがあり、テレビがあり、子どもの玩具があり、あるいは仕事用の机が置かれているかもしれず、1つの部屋が消えただけなのに、そこから見えてくる日本人の暮らしは大きく違っていることを考えれば、応接間の消滅とは住宅の間取りの変化というより、日本人が「誰のために家をつくるのか」を変えてきた歴史なのである。

 かつては家の中に、家族のためではなく、いつ来るか分からない誰かのために空けておく場所があったが、その部屋がなくなった今、私たちは以前より人を迎えなくなったのではなく、誰を家へ入れ、誰とは外で会い、どこまで自分たちの日常を見せるのかを自分で選ぶようになったのであり、応接間とは、その選択を家の壁と扉に任せていた時代の名残だったのかもしれない。

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