リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

かつて電話番号は、頭の中に住んでいた

 少し前まで、人の頭の中にはいくつもの電話番号が住んでおり、自宅の番号、会社の番号、親しい友人の番号、実家の番号、よく利用する店の番号まで、意識して暗記した覚えがなくても、何度もダイヤルしているうちに指と記憶の両方へ染み込み、数字の並びを見れば相手の顔が浮かび、受話器を取る前から、これから始まる会話まで何となく想像できたものである。

 ところが現在、家族の携帯電話番号さえ正確には言えないという人は珍しくなく、スマートフォンの連絡先に名前を登録しておけば、数文字入力するだけで目的の相手を呼び出せるため、番号そのものを覚えておく必要がほとんどなくなり、誰かに電話をかけるという行為から「数字を思い出す」という過程が消え、代わりに私たちは相手の名前を検索し、画面に表示された名前や写真を選ぶようになった。

 この変化だけを見れば、人間の記憶力が低下したようにも見え、以前なら何十もの電話番号を覚えていた人が、現在では家族の番号すら思い出せないことがあるのだから、そう感じるのも不思議ではないが、記憶研究の立場から考えると、ここで「昔の人より現代人の記憶力が悪くなった」と結論づけるのは早く、私たちは記憶することそのものをやめたのではなく、覚えておく必要のある情報と、外部へ預けても困らない情報とを以前とは違う形で分けるようになった可能性がある。

人間は昔から、頭の外にも記憶を置いてきた

 人間は、もともとすべての情報を頭の中だけで管理してきたわけではなく、紙の住所録、手帳、辞書、百科事典、地図、図書館といった道具は、いずれも人間の記憶を外部から支える装置であり、電話帳が紙だった時代にも、すべての電話番号を暗記していたわけではなく、頻繁に使う番号だけを覚え、それ以外は必要になった時に調べていたのである。

 認知科学では、このように本来なら頭の中で処理する仕事の一部を、道具や環境へ委ねることを「認知的オフローディング」と呼び、買い物を忘れないようにメモを書くことも、予定をカレンダーへ登録することも、計算を電卓へ任せることも、その広い意味では同じ仕組みであり、スマートフォンは人間が昔から行ってきたこの仕組みを、非常に高速で大規模なものへ変えた道具と考えることができる。

 決定的に変わったのは、外部に保存された情報へ戻るまでの時間であり、紙の電話帳ならページをめくる必要があり、辞書なら目的の項目を探さなければならなかったが、スマートフォンでは数秒で必要な情報へ到達できるため、情報そのものを完全に覚えておく価値は相対的に低くなり、「必要になった時にどこを探せばよいか」「どのような検索語を使えばよいか」という別の知識が、以前より重要になってきた。

答えそのものより、答えへ戻る道筋を覚える

 インターネットと記憶を研究した実験では、後から情報へ再びアクセスできると分かっている場合、その情報自体よりも「どこに保存されているか」という情報を覚える傾向が示されたことがあるが、この分野のすべての実験結果が同じ強さで再現されているわけではないため、「インターネットを使えば必ず記憶力が低下する」と考えることはできないものの、外部へ保存できる環境が、人間の覚え方に影響を与えるという方向性については研究が続けられている。

 この変化は日常生活を振り返ると分かりやすく、ある歴史上の人物が生まれた年を正確に覚えていなくても、その人物の名前さえ分かれば数秒で確認できるため、年号そのものを記憶しておく必要性は以前より低くなった一方で、人物名をどのように入力すれば必要な資料へたどり着けるのか、どの情報源を信頼すべきなのか、複数の情報が食い違った時にどう確認するのかという能力は、以前より重要になっている。

 つまり、現代社会では「答えをそのまま覚えておく能力」だけでなく、「答えへもう一度たどり着く能力」が大きな意味を持つようになったが、検索できるから何も覚えなくてよいわけではなく、人間が何かを考える時には、比較したり関連づけたりする材料がある程度は頭の中に存在していなければならないため、知識を完全に外部へ預けてしまえば、その場で深く考えることは難しくなる。

道を覚えなくなったのか、道の探し方を覚えたのか

 電話番号と似た変化は道順にも起きており、以前なら、初めて訪れる場所へ行く前に地図を広げ、駅から何本目の道を曲がるのか、交差点にどの店があるのかを確認しながら、頭の中に大まかな地図を作ってから出かけ、実際に歩きながら何度か道を間違えるうちに、その土地の位置関係が少しずつ身体感覚と結びつき、やがて案内がなくても歩けるようになった。

 現在では、GPS(Global Positioning System・全地球測位システム)を利用した地図アプリが、その都度どちらへ進めばよいかを教えてくれるため、街全体の構造を理解していなくても目的地へ到着でき、GPSによる案内を多く利用する人ほど、一部の空間記憶課題で成績が低い傾向を示した研究もあることから、自分で経路を考えず逐次案内に従う場合には、その道について形成される記憶が弱くなる可能性が指摘されている。

 ただし、ここでも因果関係を単純化することはできず、GPSを使うから空間認知能力が低くなるのか、もともと道を覚えるのが得意でない人ほどGPSを多く使うのかを完全に切り分けるのは容易ではないうえ、すべての利用者に同じ変化が生じるわけでもないが、それでも、現代の移動が「経路そのものを覚える」ことから「必要な時に経路を呼び出す」ことへ変わってきたという点は、日常感覚としても理解しやすい。

思い出すという行為が、記憶を作っていた

 それでは、なぜ昔の電話番号だけが何十年たっても記憶に残っていることがあるのだろうか。その理由を考えるうえで重要なのが「検索練習」と呼ばれる考え方であり、これは情報を何度も眺めるだけでなく、一度見えない状態にして自分の力で思い出そうとする行為そのものが、その後の記憶を強くするという現象である。

 学生が教科書を何度も読み返すだけの場合より、内容を閉じて自分で答えを思い出す練習を行った方が長期的な記憶が残りやすいことも、この仕組みと関係しており、昔の電話では、番号を押すたびに相手の数字を自分の記憶から取り出さなければならず、最初は紙を見ながらかけていたとしても、何度も使ううちに紙を見ずに思い出すようになり、そのたびに記憶が強化されていったと考えられる。

 現在は名前を画面上で選べば電話をかけられるため、この「数字を思い出す」という過程そのものがほとんど存在せず、そのため、昔の番号が残り、現在の番号が残らないという現象には、単なる年齢や懐かしさだけでなく、情報を何度も自分の記憶から取り出したかどうかという違いも関係している可能性がある。

忘れることは、必ずしも損失ではない

 外部へ記憶を預けることには別の側面もあり、実験研究では、情報を外部へ保存することで、その情報を内部に保持する負担が軽くなり、その後に学習する別の情報を覚えやすくなることがあり、この現象は「保存による記憶促進効果」と呼ばれている。

 人間の注意や作業記憶には限界があるため、すべてを同時に頭の中へ置いておくことはできず、明日の予定を忘れないよう頭の中で繰り返し続けるより、カレンダーへ登録してしまえば、その間は別の問題について考えることができるため、同じように、電話番号をすべて記憶しなくてもよい環境は、その分だけ認知的な負担を減らす可能性がある。

 この意味では、「覚えなくなった」という現象を直ちに能力の低下と考える必要はなく、機械に任せられる仕事を機械へ渡し、人間は別の仕事に注意を向けるという行動は、限られた認知資源を配分するひとつの戦略と考えることができる。

私たちは人を、数字ではなく文脈で思い出している

 現在、誰かを思い出す時に、その人の電話番号が最初に浮かぶことはほとんどなく、以前の職場で一緒だった人、学校で知り合った人、ある仕事を通じて付き合いが始まった人というように、私たちは相手との関係や出来事を手掛かりとして、その人物を思い出すことが多い。

 ただし、「電話番号を覚えなくなった代わりに、人間関係をより多く覚えるようになった」とまで断定できる科学的証拠があるわけではなく、電話番号を記憶しなくなったことと、人間関係の記憶が増えたことが直接的な交換関係にあると証明されているわけでもないため、SNS(Social Networking Service・人と人との交流を支援するインターネットサービス)の普及によって関わる人数が増えたことや、連絡手段そのものが変わったことなど、複数の要因が絡んでいると考えるべきである。

 それでも、私たちが相手を識別するために使う手掛かりが変化していることは実感しやすく、電話番号という数字の列ではなく、名前、顔写真、勤務先、学校、過去の会話、メッセージ履歴といった複数の文脈を通じて相手へたどり着く仕組みが、日常の中へ深く入り込んでいる。

検索できる社会ほど、頭の中の知識も必要になる

 すぐに検索できる社会では、暗記の価値が低下したように見えることがあるが、本当に何も覚えなくてよい社会になったわけではなく、むしろ膨大な情報の中から正しいものを選ぶためには、ある程度の基礎知識を自分の中に持っていなければならない。

 たとえば、検索結果に2つの異なる説明が表示された時、その違いを判断するためには、その分野について最低限の知識が必要になり、年代や人物、制度、科学用語の基本的な関係が頭に入っていれば、「この説明は時代が合わない」「この数字は桁がおかしい」「この情報源は別の問題を扱っている」と気づくことができるが、何も知らなければ、検索結果を比較することさえ難しい。

 その意味では、インターネットは記憶を不要にしたのではなく、記憶の役割を変えたと考える方が適切であり、細部をすべて暗記する必要性は下がった一方で、情報を評価するための基礎知識や、異なる事実を結びつける理解は、むしろ重要になっている。

電話番号の向こうに残っているもの

 数十年前の自宅の電話番号を今でも覚えている人がいるなら、その数字を一度、頭の中でゆっくり読み上げてみるとよく、そこから蘇ってくるのは数字だけではなく、電話機が置かれていた場所、受話器の重さ、家の中に響いた呼び出し音、家族が電話に出る声、誰かからの連絡を待っていた時間まで、一緒に思い出されることがある。

 電話番号は単なる数字だったはずなのに、何度も使い、何度も思い出し、その番号を通じて誰かと話した経験が重なることで、いつの間にか生活の記憶と結びつき、だからこそ昔の番号は、何十年たっても不意に口から出てくるのである。

 現在の私たちは、電話番号そのものを覚える必要をほとんど失ったが、そのことが人間の記憶力全体の低下を意味するとは限らず、むしろ情報を自分の力で何度も思い出し、その情報と長い時間をともにする機会が減ったという変化が起きているのかもしれない。

 電話番号を覚えなくなった私たちが何を記憶するようになったのかという問いには、まだひとつの確定した答えはないものの、科学的に比較的確かに言えるのは、私たちが記憶を失ったのではなく、何を自分の中に残し、何を外部へ預け、必要になった時にどう取り戻すかという、記憶の使い方そのものを変えつつあるということである。

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