地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 住宅地を歩いていると、地域というものは、行政だけでも市場だけでも動いていないことに気づく。決められた曜日になればごみ集積所にごみが集まり、その周囲はいつの間にか掃除され、夏になれば道路脇の草が刈られ、台風や大雨が近づけば防災情報が伝えられるが、こうした仕事のすべてを市町村の職員が行っているわけではなく、その間には、長いあいだ町内会や自治会と呼ばれる組織を通じて住民が担ってきた、目に見えにくい仕事が存在している。普段、それらは生活の背景に溶け込んでいるため意識されることが少ないが、担い手が減り始めると、それまで自然に存在しているように見えた地域の秩序が、実は誰かの時間と体力と善意によって維持されていたことが、少しずつ姿を現してくる。

 その一方で、町内会に加入しないという選択も、いまや特別なものではなくなりつつある。総務省の調査を基にした自治会等に関する全国的な集計では、2010年度から2020年度まで継続して加入率を把握できた600市区町村について、平均加入率は78.0%から71.7%へと10年間で6.3ポイント低下しており、これは全国すべての自治会を合算した加入率ではないものの、「自治会に入ることが当然」という社会的前提が弱まりつつあることを示す1つの材料にはなる。仕事が忙しく役員を引き受けられない人、地域行事に強い関心を持たない人、定年後に移り住んできた人、単身者、共働き世帯など、地域との距離の取り方が多様になった現在、「町内会には入らないが、この地域では暮らしている」という住民が増えること自体は、それほど不思議な現象ではない。

 問題は、その人たちを地域意識が低いと批判することではなく、住民の生活様式が変わったにもかかわらず、ごみ、防災、草刈り、清掃、情報伝達などの仕組みだけが、全世帯が町内会に参加することを前提とした時代の姿を引きずっていることにある。加入する人が減っても、仕事そのものが同じ量だけ残れば、当然ながら残った人の負担は増えるが、だからといって加入率の低下が必ず地域機能の低下を引き起こすわけでもなく、仕事を減らした地域、外部に委託した地域、町内会以外の組織へ移した地域では、違った結果になる可能性がある。町内会問題を考えるうえで最も重要なのは、この条件の違いを無視して「入らない人が増えたから地域が壊れた」と単純化しないことである。

「町内会に入ること」と「地域で暮らすこと」が一致しなくなった

 町内会の難しさは、それが会員だけに便益を提供する趣味の団体ではなく、長い年月をかけて地域生活の基盤の一部を引き受けてきたことにある。祭りや旅行であれば参加する人だけで行うことができるが、ごみ集積所が清潔に保たれれば周辺住民全体が恩恵を受け、道路沿いの草が刈られて見通しがよくなれば、作業した人だけではなく歩行者も自転車も自動車も利益を受け、災害時に避難経路や危険箇所について情報が共有されれば、その効果を町内会員だけのものにすることは難しい。

 経済学では、こうした状況を考えるときに「集合行為」の問題が使われる。自分1人が負担しなくても他の住民が活動を続けてくれるなら、その利益だけを受けることは個人にとって合理的に見えるが、多くの人が同じ判断をすれば、やがてサービスを提供する側そのものが維持できなくなるという構造であり、地域防災や環境美化のように利益が広く周囲へ及ぶ活動では、特にこの問題が生じやすい。

 しかし、ここで非加入者を単純に「ただ乗り」と呼んでしまえば、本質から遠ざかる。従来の町内会には、ごみ管理や防災だけでなく、親睦行事、各種募金、役員会、回覧、祭りなど性格の異なる活動がまとめて組み込まれている場合が多く、「防災には協力したいが行事には出たくない」「清掃費なら払えるが休日の作業には参加できない」という住民に対して、加入か非加入かという2つの選択肢しか用意されていないこと自体が、現在の生活様式と合わなくなっている可能性がある。

ごみ集積所は、町内会問題を最も小さく映す場所である

 この矛盾が最も分かりやすく現れる場所が、ごみ集積所である。家庭から出たごみそのものは市町村が収集していても、集積所の清掃、ネットや設備の管理、分別されずに残されたごみへの対応、ごみ当番の調整などを自治会や住民が担っている地域は少なくなく、そこでは行政サービスと住民自治が1つの場所でつながっている。

 国立環境研究所の研究者らがつくば市の自治会長を対象に行った調査では、ごみ集積所の管理方法と自治会規模、自治会加入率、高齢化などの関係が調べられ、自治会未加入世帯などが多い集積所では管理上の問題が多くなる傾向が確認された一方、小規模な自治会では、自治会ではなく住民グループが設備を所有したり、非加入者から利用料を受け取ったりする形も確認された。この研究が示しているのは、「自治会に入らない人が悪い」という単純な結論ではなく、従来の自治会だけにごみ集積所管理を依存する方法とは別の仕組みが、実際の地域でもすでに生まれているということである。

 数字で考えると問題はさらに分かりやすい。20世帯で同じ仕事を均等に負担していたものを、参加世帯が10世帯になっても仕事量を変えずに続ければ、1世帯あたりの平均負担は単純計算で2倍になる。ただし、これは「仕事量も運営方法も変えない」という条件の下で成立する話であり、加入者が減ったことを機に当番を減らす、集積所の形を変える、行政や業者に一部を任せるといった変更を行えば、必ずしも2倍にはならない。したがって、本当の問題は加入者数そのものより、「人が減ったのに仕事の設計を変えないこと」にある。

 ごみ集積所をめぐっては、法律上も単純に「町内会員だけのもの」とはいえない場合がある。2025年4月の福井地方裁判所判決では、町内会が管理するごみステーションについて、非会員が一定の使用料を支払って利用すること自体は否定されなかった一方、地域の制度や集積所の公共的性格を踏まえれば、町内会側が使用料を無制限に設定できるわけではないと判断された。全国どの地域でも同じ扱いになるわけではなく、集積所の所有関係や自治体の収集方式によって事情は変わるが、少なくとも「町内会に入らないなら、ごみの問題もすべて自己責任」と単純には割り切れないことを示している。

 だからこそ、ごみ集積所については町内会への加入そのものと、生活インフラの維持管理を分けて考える余地がある。自治体の制度や地域の実情に応じて、利用世帯が清掃や維持費を負担する、作業が難しい世帯は費用で補う、住民グループが管理するなど複数の形を認めれば、「町内会に入るか、何もしないか」という2択から抜け出すことができる。

防災では、会員と非会員を分けることがさらに難しくなる

 ごみ集積所は毎日の生活の中にあるため負担が見えやすいが、防災は大きな災害が起きない限り、その価値が見えにくい。ところが地震や豪雨が起きた瞬間には、誰がどこに住んでいるのか、どの道路が通れるのか、どこに高齢者や支援を必要とする住民がいるのか、避難場所までどう移動するのかといった情報が、それまでの近所付き合いとは別の意味を持ち始める。

 総務省消防庁の2025年版消防白書によれば、2025年4月1日時点で全国1,741市区町村のうち1,697市区町村に、合計16万7,722の自主防災組織が設置されている。これは地域防災が町内会だけで成立しているという意味ではなく、むしろ消防団、自治体、自主防災組織、学校、地域住民など複数の主体によって支えられていることを示しており、消防庁も地域住民による情報伝達、避難、防災訓練などを地域防災力の重要な要素として位置付けている。

 火災が起これば火は町内会の境界で止まらず、道路が倒木で塞がれれば会員も非会員も通れず、津波や豪雨から避難するときに、住民を会費の支払いの有無で分けることも現実的ではないため、防災は町内会活動の中でも特に会員制になじみにくい。だから、町内会加入率が低下したときに考えるべきなのは「非加入者をどう参加させるか」だけではなく、防災という機能そのものを町内会だけに依存させてよいのかという問題である。

 町内会の加入率が下がれば自動的に防災力が下がると断定することはできないが、防災情報の伝達や訓練、安否確認を町内会だけに依存している地域では、加入者の減少が連絡網の縮小につながる可能性がある。逆に、町内会とは別に自主防災組織を整備し、会員であるかどうかに関係なく地域住民へ情報が届く仕組みを持っていれば、町内会が小さくなっても防災機能を維持できる可能性がある。

草刈りの問題は、加入率より年齢構成の方が深刻かもしれない

 草刈りになると、ごみや防災とは別の問題が見えてくる。炎天下で道路沿いや空き地の草を刈り、刈った草を集めて運び、機械を扱う仕事は、若い人にとっても軽い作業ではなく、その地域の中心的な担い手が60代であれば、10年後には70代になっている。人数だけを見れば同じ住民が残っていたとしても、同じ作業量を安全に続けられるとは限らない。

 国土交通省も、人口減少によって町内会や自治会など住民組織の担い手が不足し、地域の共助機能が低下する懸念を指摘している。また、ごみ集積所管理について行われた研究でも、自治会の担い手不足が一部住民への負担集中を強める可能性が示されており、高齢化した地域では「人がいるかどうか」だけではなく、「その仕事を安全にできる人が何人いるか」を考えなければならない。

 ここでも、解決策を「もっと参加してもらうこと」だけに求めると無理が生じる。草刈りの回数そのものを減らす、機械を共同利用する、危険な場所だけ業者に委託する、行政との役割分担を見直す、作業に参加する住民へ一定の謝礼を支払うなど、仕事の側を変える方法もある。外注すれば必ず安くなるわけでも、地域活動が必ず長続きするわけでもないが、住民の無償労働を「費用がかかっていない」と考えることも正しくない。お金が動いていないだけで、住民の休日、体力、時間という資源が使われており、それを経済的な費用として認識しなければ、本当の負担は見えてこない。

人が減ると必ず地域が壊れる、というほど単純ではない

 ここまでを見ると、町内会加入率が下がることによって地域活動が衰退するように思えるが、科学的にはもう1段慎重に考えた方がよい。加入者の減少と地域機能の低下には関連が考えられるものの、全国の地域について「加入者が減ったことが原因で地域機能が低下した」と一方向の因果関係が証明されているわけではなく、地域によっては加入者が減ったことをきっかけに行事を整理して負担そのものを減らした例もあれば、外部団体や行政と連携して従来より効率的な運営に変えられる可能性もある。

 つまり、「加入者減少→負担増加→退会者増加→さらに加入率低下」という悪循環は十分に起こり得るが、それは固定された運命ではなく、仕事量を変えない、役割を分けない、外部の力を使わないという条件が重なったときに起こりやすい構造だと考えた方がよい。逆に考えれば、加入者が減ることそのものより、加入者が減っているにもかかわらず昔と同じ活動量を守ろうとする方が、地域運営にとって危険な場合さえある。

町内会を守るのではなく、仕事をいったん分解してみる

 町内会問題が感情的な対立になりやすい理由の1つは、「町内会を守るべきか、なくしてよいか」という大きな問いから議論を始めてしまうことにある。しかし、ごみ集積所の管理、防災、草刈り、道路清掃、祭り、親睦行事、募金、行政文書の配布では、必要性も公共性もまったく違うのだから、本来は1つずつ別々に考える方が合理的である。

 災害情報は可能な限り全住民へ届ける必要があり、ごみ集積所は利用者を中心に維持方法を考え、草刈りは住民の年齢や作業能力を見ながら外注を含めて判断し、祭りや親睦行事は参加したい人が中心になるというように仕事を分解すれば、「町内会員でなければ何も利用できない」「町内会員になったら全部の仕事をしなければならない」という極端な構造を弱めることができる。

 時間を提供できる人は作業で参加し、仕事や育児で時間のない人は費用で参加し、高齢者は重労働ではなく見守りや連絡を担当し、情報共有が得意な人はオンラインの連絡手段を担うという形も考えられる。全員が同じ作業を同じ回数こなすことだけが公平なのではなく、それぞれの能力と生活条件が違うことを前提として、特定の少数者に負担を集中させないこともまた公平なのである。

見るべき数字は「加入率」だけではない

 自治会について考えるとき、行政も住民も加入率という分かりやすい数字に目を向けがちだが、仮に加入率が90%あったとしても、実際の草刈りには毎回10人しか来ず、役員を引き受ける人が2人しかいないなら、その地域が強いとは言い切れない。反対に、加入率が以前より低くても、ごみ集積所の管理方法が決まり、防災情報が全世帯に届き、草刈りの一部が外注され、必要な費用が安定的に確保されているなら、生活機能そのものは維持できる。

 したがって、地域を評価するときには、加入率だけではなく、1つの仕事を何人で担っているのか、1人あたり年間何時間を使っているのか、役員の平均年齢がどう変化しているのか、外注した場合はいくら必要なのか、5年後や10年後にも同じ人数で続けられるのかという指標を見た方が、本当の持続可能性を把握しやすい。町内会加入率は重要な数字ではあるが、それは地域の健康状態を測る1つの指標にすぎず、それだけで地域の強さを判断することはできない。

地域は「仲が良いから助け合う」だけでは維持できなくなる

 かつての町内会には、隣近所がお互いを知り、同じ地域に長く暮らし、困ったときには助け合うという人間関係を土台にした仕組みがあり、その価値はいまも失われてはいない。しかし、転入や転出があり、共働き世帯や単身世帯が増え、定年後に知らない土地へ移り住む人もいる社会では、「近所なのだから当然協力する」という暗黙の了解だけに、ごみや防災や草刈りを預け続けることは難しくなっている。

 これから必要になるのは、住民全員が仲良くなる仕組みより、仲良くなくても地域に必要なことだけは一緒に維持できる仕組みなのかもしれない。名前を知らない隣人であっても同じ道路を使い、同じ台風を経験し、同じごみ収集制度の中で暮らしている以上、人間関係の濃さとは別に、必要最低限の地域運営を成立させる制度があった方が、古くからの住民にとっても新しく移り住んだ人にとっても暮らしやすい。

 町内会に入らない住民が増えることは、地域社会の終わりそのものを意味しているわけではない。しかし、加入者だけが減り、仕事の量も方法も何十年も前と同じなら、残った人への負担が重くなり、やがてごみ、防災、草刈りといった生活に直結する部分にも影響が及ぶ可能性がある。だから問うべきなのは、「なぜ入らないのか」という住民への不満ではなく、「この仕事は本当に町内会でなければできないのか」「誰が利益を受け、誰がどのように負担するのか」「人が半分になっても続けられるのか」という、もっと具体的な問いである。

 守るべきものは、町内会という名前でも、昔から続いてきた方法そのものでもない。ごみが片づき、災害時には必要な情報が届き、道路脇の草が危険な状態まで伸びず、そして地域を維持するために一部の人だけが疲れ果てないという、暮らしの基本的な機能である。そのためには、「昔からこうしてきた」という言葉よりも、「10年後、ここに何人がいて、この仕事を誰が担うのか」と静かに問い直すことの方が、これからの町内会にははるかに重要になってくる。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

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