大雨が過ぎた翌朝に川へ行くと、それまで何もなかった岸辺に大量の枝や竹が折り重なり、その隙間にはペットボトルや発泡スチロール、空き缶、ビニール袋まで絡みついていることがあるが、それらが上流から流れてきたことは想像できても、どこの山から落ちた木なのか、誰が捨てたごみなのかまで突き止めることは難しく、結局は「ここにある以上、誰かが片づけなければならない」という現実だけが残される。
そこで浮かんでくるのが、こうした流木やごみは最後に誰の責任になるのかという疑問であり、木が生えていた山の所有者なのか、ごみを捨てた人なのか、流れ着いた市町村なのか、それとも川を管理している国や都道府県なのかと考えていくと、川は上流から下流まで途切れることなくつながっているにもかかわらず、土地の所有権、行政区域、河川管理、廃棄物処理にはそれぞれ異なる制度と境界があるため、自然界では単純な「水の流れ」が、人間社会へ入った途端に複雑な責任と負担の問題へ変わっていくことが分かる。
川にあるものを、すべて河川管理者が片づけるわけではない
川には管理する主体が存在するため、川の中にあるものなら何でも河川管理者が処理するように思えるが、実際にはそれほど単純ではなく、日本の河川は一級河川、二級河川、準用河川などに区分され、それぞれ国、都道府県、市町村などが管理に関わっており、さらに河川法が適用されない普通河川も存在するため、「川にあるものはすべて同じ制度によって同じ主体が管理する」という仕組みにはなっていない。
河川管理の重要な目的には、洪水を安全に流し、堤防や護岸などの河川管理施設を維持し、公共の安全を確保することが含まれているため、例えば大量の流木が橋脚などに引っかかって水の流れを妨げ、増水時の危険を高めているのであれば、河川管理上の問題として除去の必要性が高まるが、同じ木が河川の機能にほとんど影響しない場所へ漂着している場合まで、まったく同じ考え方で処理されるとは限らない。
さらに、その流木の間に家庭などから流出したと考えられるプラスチック容器や空き缶が混ざっていれば、河川管理だけではなく廃棄物処理の制度も関係する可能性があるため、住民の目には「川岸にたまったごみ」という1つの風景に見えていても、行政の側から見ると、河川管理上の支障となっている物、廃棄物として処理する必要がある物、原因者や所有者との関係を検討できる物など、異なる性格のものが同じ場所に混在していることになる。
山に立っていた木が流れ出すと、責任をたどる糸が細くなる
山林に立っている木であれば土地には所有者や管理者が存在し、その木と場所との関係も比較的明確であるが、台風や集中豪雨によって木が倒れ、斜面を滑り落ちて沢へ入り、増水した水によって本流へ運ばれ、さらに数km、数十kmと下流へ移動すれば、目の前にある流木だけから元の場所を特定することは次第に難しくなり、自然現象による移動距離が長くなるほど「この木はどこから来たのか」という責任や管理関係をたどるための手掛かりも失われやすくなる。
環境行政でも、森林や田畑などに存在している間にはそれぞれ管理する主体が考えられるものが、流出して河川敷などへ漂着すると管理者不明のごみとなり得ることが問題として認識されており、これは流木や漂着物の責任問題を考えるうえで重要な点である。
生活ごみで考えれば、この構造はさらに分かりやすく、河原に落ちている1本のペットボトルが10km上流で捨てられたものなのか、近くの道路から風で飛ばされたものなのか、家庭のごみ集積所などから流出したものなのか、それとも支流から本流へ入ってきたものなのかを外見だけから判断することは難しいため、本来なら原因を作った人へ責任を求めることが可能な事例であっても、その人物や発生源を特定できなければ、現実には責任追及が困難になる。
ここに河川ごみ特有の難しさがあり、原因を作った人と後始末をする人が同じであるとは限らず、それどころか原因が発生した地域と実際に処理を迫られる地域まで異なる可能性があるため、水が物を下流へ運ぶほど、発生源と漂着地点との地理的な関係が見えにくくなっていく。
「捨てた人の責任」と「片づける必要」は同じではない
故意にごみを捨てた人が特定でき、その行為について法的責任を問えるのであれば原因者の責任が問題になるが、河川に漂着したごみでは原因者を特定できないことも多く、誰が発生させたのかを明らかにできないまま流木やごみだけが現実の場所を占領し続けるため、行政や管理者は原因者に対する責任追及とは別に、目の前に存在している危険や生活環境上の問題へ対応しなければならない場合がある。
特に大量の流木が橋、水門、道路などに集まり、水の流れや交通に支障を生じさせている場合には、所有者や発生源が判明するまで待っている間にも次の雨が降る可能性があり、そのまま放置することで被害が拡大するおそれがあるため、現実の行政対応では「誰が発生させたのか」という原因者の問題とともに、「現在危険になっている場所を誰が管理し、どの制度によって対応するのか」という問題が重要になる。
したがって流木や漂着ごみについては、「発生させたことについての責任」「その場所を管理する立場から生じる対応」「回収したものを廃棄物として処理する役割」「最終的に発生する費用負担」を同じものとして考えないことが重要であり、これらをすべて「責任」という1つの言葉でまとめてしまうと、法律上の責任と現実の処理負担との違いが見えなくなってしまう。
川を管理する制度と、ごみを処理する制度は別にできている
さらに問題を複雑にしているのは、日本の行政制度では河川を管理する仕組みと廃棄物を処理する仕組みが別々に構成されていることであり、河川については治水や河川管理施設の維持などを目的とした制度がある一方、家庭などから生じる一般廃棄物については市町村の処理責任を基本とする制度が存在するため、川から物を取り除く主体と、その物を廃棄物として処理する主体が必ず一致するわけではない。
ただし、川に存在する物がすべて自動的に一般廃棄物になるわけでもなく、物の性質や発生経緯、占有関係、回収された状況などによって扱いを検討する必要があるため、「川にあるごみだから市町村がすべて処理する」「河川敷にあるから河川管理者がすべて処理する」というように単純化することはできない。
住民から見れば、昨日から同じ場所にある同じ流木やごみであっても、それが川の流れを妨げているのか、道路へ流出して交通を妨げているのか、回収後に一般廃棄物として処理されるのか、大規模な水害によって生じた災害廃棄物として扱われるのかによって関係する行政主体や制度が変わる可能性があり、自然界では1本の木、1本のペットボトルでしかないものが、人間社会の制度に入ると複数の問題へ分かれていくのである。
大雨が降ると「誰の物か」より「どう処理するか」が先になる
平常時に数本の流木や少量のごみが漂着した程度であれば個別に対応できても、台風や集中豪雨によって山林から大量の木が流れ出し、住宅から家財や生活用品が流出し、道路や河川敷へ泥、木材、プラスチック、金属類などが混在して堆積するようになると、1つ1つについて所有者や発生源を調べてから処理することは現実的ではなくなり、まず道路を通れる状態に戻し、河川の機能を確保し、生活環境を回復させ、その後に大量の廃棄物を分別して処理するという災害対応が必要になる。
水害によって発生した廃棄物については被災した市町村が処理の中心的な役割を担う一方、市町村だけでは対応が困難な規模になれば都道府県などによる広域的な支援や国による制度的支援も重要になるため、平常時には個別の河川管理や廃棄物処理として見えていた問題が、大規模災害では地域全体の復旧と災害廃棄物処理という別の性格を帯びることになる。
自然災害が原因者の法的責任を自動的に消してしまうわけではないが、現場では責任関係をすべて確定してから処理を始めることができない場合があるため、「責任が誰にあるのか」と「誰が先に処理しなければならないのか」が一致しないことこそ、災害時の流木やごみ問題を理解するうえで重要なのである。
上流で発生したものを下流が片づけることがあるという矛盾
ここまで考えると、河川ごみにはさらに大きな問題が潜んでいることが分かり、それは発生源と実際に処理を必要とする場所が一致しない可能性があることで、仮に上流の山林や住宅地などから流れ出した木や生活ごみが何kmも離れた下流へ運ばれ、そこで橋や河岸などに漂着した場合、発生した場所は上流であっても、実際に除去や処理を必要とする場所は下流になることがある。
ただし、ここで「上流の自治体が発生させ、下流の自治体が必ず費用を負担する」と一般化することはできず、どの主体が除去し、どの主体が処理費用を負担するのかは、河川の管理区分、漂着した場所、物の性質、災害の規模、利用できる制度などによって異なるため、全国的に下流自治体の方が上流自治体より多くの費用を負担しているとまで断定するには、別途、自治体別の処理量や費用を比較した統計的な検証が必要になる。
それでも物理的な水の流れについて考えれば、上流で河川へ入った物が下流へ輸送される可能性があること自体は明らかであり、水は市町村の境界を認識しないため、A市に降った雨が河川へ集まれば市境で止まることなくB町へ入り、さらにC市を通って海へ向かう一方、行政の予算、職員、廃棄物処理施設、河川管理の担当範囲にはそれぞれ境界が存在するので、自然現象としては1つの流域で発生している問題を、人間社会では複数の行政区域と複数の制度に分けて処理しなければならない。
数量で考えると、発生した場所と処理する場所が違う理由が見えてくる
この関係は簡単な数量モデルに置き換えると理解しやすく、ある上流地域で100単位の散乱ごみが発生したとして、その10%に当たる10単位が雨や風などによって河川へ入り、そのうち50%に当たる5単位が下流まで運ばれ、さらにその20%に当たる1単位が特定の下流地域へ漂着したと仮定すると、その下流地域自身がごみを発生させていなくても、そこには1単位のごみが到達することになる。
もちろん100、10%、50%、20%という数字は仕組みを説明するための仮定であり、実際の輸送量や漂着量は降水量、河川流量、河川の形状、支流の位置、堰や橋梁、河岸の植生、ごみの大きさや比重など多数の条件によって変化するため、この数字自体を現実の河川へ当てはめることはできないが、「発生地点での発生量が0であっても、上流からの流入があれば下流地点での漂着量は0にならない」という関係は、河川ごみを考えるうえで重要である。
このため、ある下流地域で大量の漂着物が確認されたとしても、それだけを根拠としてその地域の住民が大量のごみを捨てたと判断することはできず、逆に上流地域で河岸のごみが少ないからといって、その地域から何も流出していないと判断することもできないので、河川ごみの発生源を科学的に調べるためには、流域内の複数地点で量や種類を継続的に観測し、水量や降雨などと合わせて分析する必要がある。
市町村ではなく「流域」で考える理由
そこで重要になるのが、行政区域だけではなく流域という単位で問題を見る考え方であり、雨が山へ降り、小さな沢へ入り、支流から本流へ集まり、やがて海へ到達するまでの一連の水の動きを1つの系として考えれば、海岸に漂着しているペットボトルも海で突然生まれたわけではなく、住宅地、道路、農地などの陸域から河川へ入り、下流や海まで運ばれてきた可能性があることが見えてくる。
実際に環境行政でも、河川を通じて海へ流出するプラスチックごみなどについて調査が行われ、内陸から河川、沿岸、海洋までを連続した問題として捉えて発生抑制を考える方向が重視されているため、河川ごみを「漂着した場所だけの問題」として処理するのではなく、その物がどこから入り、どのような経路で運ばれたのかを流域全体で考えることには科学的にも行政的にも合理性がある。
下流で漂着物を何度回収しても上流側から同じような物が流入し続ければ、清掃だけでは問題を繰り返すことになるため、生活ごみについては河川へ入る前の散乱ごみを減らし、不法投棄を防ぎ、道路や住宅地から雨水とともに流出する経路を抑えることが重要になり、流木についても生活ごみと同じ方法で発生を防げるわけではないものの、どの場所から流木が発生しやすく、増水時にどこへ集まりやすいのかを把握することは、河川管理や防災を考えるうえで意味を持つ。
最後に残りやすいのは、責任の問題だけではなく現実の処理負担である
結局、「川に流れ着いた流木やごみは、最後に誰の責任になるのか」という問いには、原因者を特定できる場合、河川管理上の支障として除去する場合、一般廃棄物として処理する場合、大規模災害によって災害廃棄物として処理する場合などによって関係する主体が変わるため、「最後は必ず市町村」「最後は必ず河川管理者」というような1つの答えを当てはめることはできず、法的責任、管理上の対応、廃棄物処理の役割、費用負担をそれぞれ分けて考える必要がある。
しかし制度上の責任とは別に、現実の処理負担がどこへ現れるのかという視点から見ると、誰が捨てたのか分からないペットボトルも、どこの山から流れてきたのか分からない木も、最終的にはどこかの岸、橋、道路、河口、海岸へ到達し、そこに暮らす人々にとって放置できない状態になれば、その場所を管理する行政などが何らかの対応を迫られる場合があるため、原因が発生した場所から遠く離れた地域に実際の処理作業が生じる可能性は残り続ける。
川が運んでいるのは水や流木、ごみだけではなく、発生した場所と処理を必要とする場所を切り離してしまうという厄介な問題でもあり、物が下流へ移動するほど発生源を追跡することが難しくなる一方で、橋に引っかかる、河岸へ堆積する、海岸へ漂着するといった形で処理の必要性だけは具体的になっていくのであれば、本当に考えなければならないのは「最後に誰が片づけるのか」という責任の所在だけではなく、「どこで発生を抑え、どこで流出を防ぎ、どこで回収することが流域全体として最も合理的なのか」という問題である。
大雨の翌日に川岸へ積み上がった流木を見れば、それは単なる自然の残骸に見えるかもしれないが、その木の間に絡まったペットボトルやビニール袋まで眺めていると、山、住宅地、道路、川、海は水の流れによって本来1つにつながっているのに、人間の行政制度はそれを河川管理、廃棄物処理、防災、市町村の区域などに分けて扱わざるを得ないという難しさが見えてくる。そして次の大雨が降れば、水はそうした行政上の境界とは関係なく再び上流から下流へ流れていくのだから、流木やごみの問題を本当に減らそうとするなら、流れ着いた後に責任を探すだけではなく、水が流れ始める場所から河口や海までを1つの流域として捉え、発生抑制、管理、回収、処理、そして費用負担をどのようにつないでいくのかまで考える必要がある。

