地域分析記事

地域の暮らしと地域課題を数学とデータで考える

 古い家を解体した跡地や、長く人が住まなくなった農家の庭で、草に埋もれたコンクリートの輪や錆びた鉄のふたを見つけることがある。かつて毎日のように水をくみ上げていた井戸も、水道が普及し、農業や生活の形が変わり、家そのものがなくなれば、いつしか使われなくなっていくが、人が最後に水をくみ上げた日を境に井戸の時間まで止まるわけではなく、地上から忘れられた後も地下水は動き、井戸を構成していた金属やコンクリートは少しずつ劣化し、条件によっては砂や泥が入り込みながら、人工物だった井戸は長い時間をかけて地下環境の一部へと変わっていく。

 私たちは井戸を「水をくみ上げる穴」として見るため、使わなくなれば役目を終えたように感じる。しかし地下から見れば事情は違い、井戸はもともと存在していた地下水の世界へ人間が地上から開けた通路であり、その通路が使われなくなった後にどう変化するかを考えると、古井戸は単なる昔の生活道具ではなく、地下水、地質、環境、さらには土地の安全性までつながる存在であることが見えてくる。

井戸を使わなくなっても、地下水は止まらない

 井戸という言葉から、地面の下に大きな水槽があり、そこへ地下水がたまっている姿を想像するかもしれないが、実際の地下水はそのように独立した水の塊として存在しているとは限らず、雨として地表に降った水の一部が土壌へ浸透し、地層を構成する砂や礫の隙間、あるいは岩盤の亀裂などを通りながら地下へ移動し、その途中で地下水となって地形や地質に応じてゆっくり流れているため、井戸は地下に水源をつくる設備というより、すでに存在している地下水へ地上から人工的な通路を開いたものと考えたほうが実態に近い。

 したがって、人がポンプを止めても地下水の循環まで止まるわけではなく、変化するのは井戸周辺に人間がつくっていた水の流れである。地下水をくみ上げている間は井戸周辺の水位が低下し、周囲から井戸へ地下水が流れ込む状態が生じることがあるが、揚水をやめればその作用が弱まり、水位は周囲の地下水位との関係に応じて新しい状態へ近づいていくため、使われなくなった井戸で起きるのは単純に「水がなくなる」という現象ではなく、人間が揚水によって変えていた地下水の流れが弱まり、その時点の降水量、周囲の揚水、土地利用、河川水位などの影響を受けながら地下水系が再び均衡しようとする変化なのである。

古井戸の底には、少しずつ時間が積もっていく

 地下水の状態が周囲になじんでいったとしても、井戸そのものが建設された当時の姿を永久に保つわけではなく、井戸の構造や地質によって程度は大きく異なるものの、細かな砂や泥が入り込んだり、地上から落ち葉や小動物などが落下したり、井戸壁が劣化してその一部や周囲の土砂が内部へ入ったりすれば、井戸底に堆積物が増えていくことがある。そのため、地上から見れば昔と同じ井戸口が残っていても、地下では水をためられる深さや水が流入する部分の状態が変化している可能性がある。

 昔ながらの掘井戸では、石積みやコンクリート製の井戸側によって地下の空間が保たれているが、継ぎ目が劣化したり周囲から土圧を受けたりすれば、井戸壁のずれや土砂の流入が起こることがあり、一方、深いボーリング井戸では、地下水を取り入れるスクリーン部分に鉱物や微生物に由来する物質が付着して目詰まりを起こしたり、金属製の井戸管が腐食したりする場合がある。このため、何十年も使用していなかった井戸に再びポンプを取り付けたからといって、昔と同じ量、同じ質の水がそのまま得られるとは限らない。

「地下に水がある」と「安全な水である」は違う

 長く放置された井戸をのぞいて透明な水が見えれば、「まだきれいな地下水が残っている」と感じるかもしれないが、水が存在することと、その水を安全に利用できることは別の問題であり、地下水の水質は地質だけでなく、井戸の構造、周辺の土地利用、農地や住宅、事業所などの存在、さらに地表から地下へ水が移動する経路によっても変化するため、透明で臭いがなく、昔は飲んでいたという事実だけで現在の安全性を判断することはできない。

 特に注意しなければならないのは、井戸が地表と地下水を結ぶ人工的な縦方向の通路だという性質である。適切に施工、管理されている井戸では、地表付近の水が井戸に沿って直接地下へ入り込まないような構造が取られるが、井戸口のふたや井戸管、その周囲を封じている部分などが長い年月によって劣化すれば、本来なら土壌や地層を通過しながら移動するはずだった水が井戸に沿って地下へ達する経路が生じる可能性があり、井戸は水を取り出す設備であると同時に、管理されなくなれば地表と地下を通常より短い経路で結んでしまう可能性を持つ人工構造物でもある。

実際の地下水調査でも基準超過は見つかっている

 こうした話は理論上の可能性だけではなく、実際の地下水調査にも表れている。環境省がまとめた2024年度の全国地下水質測定では、地域の地下水質を把握するための概況調査が2,721地点で行われ、環境基準達成率は94.4%だったため、調査地点の大部分は基準を満たしていた一方、すべての地下水が常に環境基準を満たしているわけではないことも分かる。項目別では硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素の環境基準超過率が2.5%と最も高く、さらに全国では過去に環境基準超過が確認された地下水汚染事例も多数把握されている。

 千葉県でも地下水の監視は続けられており、2025年度の地下水調査では調査対象となった185本の井戸のうち19本で環境基準の超過が確認されている。ただし、この数字を「千葉県に存在する井戸の10.3%が環境基準を超えている」と解釈することはできず、調査された井戸が県内のすべての井戸から完全に無作為抽出された標本ではない以上、この割合をそのまま県内全体へ一般化することは統計的に適切ではない。それでも、地下にある水だから安全だろうという感覚だけでは水質を判断できないことを示す実測例としては重要であり、古井戸を再利用するときに水質確認が必要となる理由もここにある。

井戸の中の水は「腐る」のか

 放置された井戸については、「水をくみ上げなくなれば、中の水が腐るのではないか」と考える人もいるだろうが、井戸水を巨大な容器に入れて放置した水と同じように考えることはできない。井戸が帯水層とつながっている限り、程度の差はあっても周囲の地下水との水の交換が起こり得るため、人がくみ上げなくなった瞬間から完全な止水状態になるわけではない一方、井戸の構造や地下水の流れによっては水の交換が小さな部分が生じ、そこへ有機物が入り込んだり酸素の少ない環境が形成されたりすれば、水質が変化する可能性もある。

 地下水では酸素の状態や地質によって鉄やマンガンなどの溶け方が変わることもあり、長期間使用していなかった井戸から水をくみ上げたときに、色、濁り、臭いなどが以前とは異なっている場合も考えられる。したがって、「地下水は流れているから放置しても昔のまま」と考えることも、「使わなければ必ず水が腐る」と考えることも正確ではなく、井戸の深さ、構造、地質、地下水の流れ、周辺環境、放置期間などによって状態は異なると考えるのが科学的である。

地下では井戸そのものも老いていく

 人間の目から隠れているため忘れがちだが、井戸も建造物であり、金属製の井戸管なら腐食が進み、コンクリートにはひび割れや劣化が生じる可能性があり、古い石積み井戸では石のずれや周囲からの土砂流入が起こることもあるため、かつて垂直に伸びていた人工的な空間は、年月の経過とともに少しずつ形を変えていく。

 地上の建物であれば壁のひびや屋根の破損を目で確認できるが、井戸では主要部分が地下に隠れているため、地上の井戸口がきれいに残っているからといって、その数mあるいは数十m下まで健全であるとは判断できない。老朽化した井戸では、井戸壁の崩壊や周囲からの土砂流入によって局所的な空洞や地盤の不安定化が生じる可能性もあるが、その危険性は井戸の構造、地質、深さ、埋め戻し状態などによって大きく異なり、古井戸が存在するという理由だけで地盤沈下や陥没が起こるわけではない。

 また、地域全体で起こる地盤沈下については、古井戸そのものの存在とは分けて考える必要があり、大量の地下水を継続的にくみ上げることで地下水圧が低下し、地層が収縮することが重要な原因の一つとなる。そのため千葉県では、地域や用途など一定の条件の下で地下水採取を規制しており、井戸という一本の構造物の問題と、地域全体の地下水利用による地盤への影響は、同じ地下水に関係する現象であっても区別して考える必要がある。

埋めれば井戸はなくなるのか

 使わなくなった井戸を処理するとき、地上から土や砂利を入れて穴を埋めれば井戸はなくなったように見えるが、地下水という視点から見ると、それほど単純ではない。深い井戸は性質の異なる複数の地層を貫いていることがあり、本来なら水が容易に行き来しない上下の地下水層を井戸孔が結んでいる場合には、適切に処理されていない井戸跡が水の移動経路として残る可能性がある。

 たとえば、地表の影響を受けやすい浅い地下水と、その下に比較的隔離された地下水が存在し、井戸が両者を貫いていたとすれば、使用中は管理されていた井戸が、廃止後には異なる地下水層を結ぶ人工的な通路になり得る。このため井戸の廃止とは、地表から穴が見えなくなるようにするだけではなく、井戸の構造や深さ、地質、地下水の状態などに応じて、地下に残された通路を適切に処理するという意味を持っている。

 ただし、日本では井戸の種類、用途、規模、地域によって関係する制度が異なり、すべての家庭用井戸について全国一律の廃止手続きが存在するわけではない。千葉県でも、地下水採取について法律や県条例、市町村の条例などによる規制があり、一定の許可を受けた揚水施設を廃止した場合には廃止後30日以内の届出が必要になる場合がある一方、一般家庭のすべての井戸に同じ規定が適用されるわけではないため、実際に古井戸を廃止する場合には、井戸の用途や構造を確認したうえで市町村などの行政窓口や専門業者へ相談することが重要になる。

昔の井戸をもう一度使うことはできるのか

 反対に、長く使っていなかった井戸を災害時の生活用水や庭の散水などに再利用したいと考えることもあるだろう。地下水位が保たれ、井戸の構造やポンプ設備にも重大な問題がなければ、再び水をくみ上げられる可能性はあるが、そこで重要なのは「水が出ること」と「その水を安全に利用できること」を分けて考えることであり、透明な水が勢いよく出てきたとしても、それだけで飲料水としての安全性が確認されたことにはならない。

 飲用を考える場合には、一般細菌や大腸菌などの微生物だけでなく、硝酸態窒素及び亜硝酸態窒素、鉄、マンガン、地域によってはヒ素など、周辺環境や地質に応じた水質確認が必要になる。さらに地下水をめぐる水質管理も時代とともに変化しており、2026年4月にはPFOS(Perfluorooctanesulfonic Acid・ペルフルオロオクタンスルホン酸)とPFOA(Perfluorooctanoic Acid・ペルフルオロオクタン酸)が日本の水道水質基準に加わり、両者の合計について1L当たり50ng以下という基準が設けられたため、「昔は家族全員がこの井戸水を飲んでいた」という経験は、その土地の歴史としては重要であっても、現在の水質検査に代わるものではない。

 それでも古井戸には、現代だからこそ生まれる別の価値がある。地震や台風などによって水道が停止した場合、井戸水が直ちに飲料水として使えるとは限らなくても、水質や設備の状態を確認し、用途を適切に限定すれば生活用水として役立つ可能性があるため、地域によっては井戸を災害時の水源として登録、活用する取り組みも行われている。忘れられた生活設備が、条件次第では地域の防災資源として再評価されるところにも、井戸という施設の長い寿命が表れている。

井戸は、その土地に水があった記憶でもある

 古い井戸を単なる穴として見れば、その存在が語っているものの半分しか見えてこない。そこに井戸が掘られたという事実は、少なくともかつて人々がその場所の地下水を利用しようとした歴史を示しており、長く実際に使用されていた井戸なら、その土地で生活に利用できる地下水が得られていた時代があったことを物語っている。

 家々に井戸があった時代、人々は地下水位や帯水層という専門用語を知らなくても、「この辺りでは何mほど掘れば水が出る」「日照りが続くとこの井戸は弱くなる」「あちらの井戸は鉄気が多い」といった経験を生活の中で蓄積し、それを土地についての知識として受け継いできた。現代では蛇口をひねれば水が出るため、水がどの地層を通り、どこから自分たちのところへ来ているのかを日常的に意識する機会は少なくなったが、古井戸はその土地の下にも地層があり、その隙間を現在も水が移動しているという事実を、地上に残された小さな入口として伝えている。

地上から忘れられても、井戸の時間は続いている

 使われなくなった井戸の地下で起きていることの多くは、人間の目には見えないほどゆっくりしている。揚水をやめれば井戸周辺の地下水は周囲との関係を変え、条件によっては砂や泥が少しずつ入り込み、金属は腐食し、コンクリートや石積みは年月の影響を受け、ときには井戸という人工的な縦の通路が地表と地下、あるいは異なる地下水層の間の水の移動に関係する可能性も残されるが、こうした変化は数日や数か月で完結するものではないため、私たちは水をくみ上げなくなった瞬間に、その井戸の役割まで終わったように感じてしまう。

 しかし地下から見れば、人間がその井戸を使っていた数十年間のほうが一時的な出来事なのかもしれない。井戸が掘られるはるか以前から雨は地面へ染み込み、地下水は地層の中を移動しており、人間はそこへ一時的に穴を開けて水を取り出し、やがて生活様式が変わるとその場所から離れていったのであって、地上では庭が舗装され、家が建て替えられ、井戸があったことさえ忘れられても、その下では古い井戸管や埋め戻された井戸跡とともに、地下水の流れが続いていることがある。

 だから古井戸は、過去の生活道具であると同時に現在の地下環境の一部でもあり、使わなくなったから終わるのではなく、状態を確認して残すのか、適切に廃止するのか、あるいは安全性を確かめたうえで防災などに再利用するのかによって、その後の意味は変わっていく。草の中に半分埋もれた古い井戸のふたを見つけたとき、その下にあるのは単なる暗い穴ではなく、人間が暮らしのために地下へ開いた入口と、その入口が忘れられた後も変わらず流れ続ける水との、長い時間の痕跡なのである。

地域の課題を、自分の判断に置き換えて考える

弊社では、住まい・車・移住などの大きな選択を、 費用や将来条件をもとに数字で比較し、判断できる形に整理しています。

数字で比較するサービスを見る