地方の人口減少対策という言葉から、多くの人がまず思い浮かべるのは「人を呼ぶこと」だろう。移住相談会を開き、住宅取得に補助金を出し、空き家を改修し、子育て世帯を歓迎する。自治体の広報には、都会から移り住んできた家族が笑顔で写り、「この地域を選びました」と語る。そうした姿は確かに明るいニュースであり、新しい住民を迎えること自体に意味がないわけではない。
しかし、自治体庁舎の正面玄関から新しい住民を迎えているあいだにも、別の出口から、これまでそこで暮らしてきた住民が静かに出て行っているとしたらどうだろう。大学へ進学したいから地域を離れる若者もいれば、もっと大きな仕事に挑戦したいから都会へ出る人もいる。それは人生の選択であって、自治体が止めるべきものではない。
問題は、それとは別の転出である。本当はここに住んでいたいのに、車を運転できなくなれば買い物が難しくなり、子どもが高校生になると通学が負担になり、診療所では対応できない病気になれば遠くの病院まで通わなければならない。配偶者を亡くして一人になった途端、それまで何とか成り立っていた日常生活が急に難しくなることもある。また、若い世代であっても、希望する仕事がない、十分な所得を得られない、子育てと仕事を両立しにくいといった事情から、住み慣れた地域を離れることがある。
こうした人たちは、必ずしも地域が嫌いになったわけではない。ただ、その地域で暮らし続けるための条件が少しずつ失われたのである。人口減少時代の地域政策を考えるなら、ここには重要な問いが隠れているのではないだろうか。「どうしたら人に来てもらえるか」を考える前に、「なぜ今ここにいる人が、出て行かなければならないのか」を調べる。人口問題を見る方向を、少し反対側へ向けてみるのである。
人口は「来た人」だけで決まるわけではない
人口の変化そのものは、実はそれほど複雑な話ではない。出生した人が加わり、死亡した人が減り、転入した人が加わり、転出した人が減る。国外との人口移動なども含め、これらの増減を集計した結果として、ある時点の人口が決まる。ところが地域政策の世界では、この四つの基本的な要素のうち、「転入」だけが目立つことがある。
年間百人が移住した地域は成果を説明しやすい。だが、百人が転入しても百二十人が転出すれば、社会移動による人口増減は二十人の減少である。一方、年間三十人が転入し、百人が転出していた地域で、転出が七十人に減ったとすれば、社会減少は七十人から四十人へと縮小する。転入者が増えたわけではなくても、転出の減少によって人口減少が三十人分緩和されたことになる。
他の条件が変わらなければ、転入を三十人増やすことと、転出を三十人減らすことは、その年の人口増減に対して同じ三十人分の効果を持つ。算数としては当たり前の話だが、政治や広報の世界になると、この二つは同じようには扱われない。
その理由の一つは、新しく来た人には「物語」があるからだろう。東京から移住してカフェを始めた夫婦、海の近くで子育てを始めた家族、古民家を改修して事業を始めた若者には、写真があり、言葉があり、「地方創生」という言葉によく似合う印象的な場面がある。
ところが、七十八歳の住民が今年も転居しなかったことには、ニュースらしい出来事がない。買い物の送迎サービスができたので、免許を返納したあとも同じ家で暮らせた。診療所へ行く方法が確保されたので、自治体外に住む子どもの家へ移らずに済んだ。統計上、その人にはほとんど何も起きていないように見えるが、人口減少社会では、その「何も起きなかった」という事実こそ、政策の成果なのかもしれない。
もっとも、転入一人と転出回避一人の効果が、将来にわたって同じとは限らない。若い世代の転入には、その後の就業や出生を通じた人口構造への影響があり得る一方、高齢者の居住継続には、本人の生活の安定や地域社会との関係を維持する効果がある。居住期間、年齢、世帯構成によっても影響は異なる。したがって、一人という数の上での等価性と、長期的な人口・経済・福祉への効果は、分けて考える必要がある。
「住みたい地域」と「住み続けられる地域」は同じではない
人口政策を考えるうえで、もう一つ大切な区別がある。「この地域に住みたいか」と「この地域に住み続けられるか」は、同じ問いではない。人はある地域を気に入っていても、交通、仕事、教育、医療などの条件によって、その地域から離れざるを得ないことがある。
考えてみれば、これは不思議なことではない。海が好きだと感じている人でも、病院へ通えなくなれば海を離れるかもしれない。近所付き合いが心地よくても、子どもが学校へ通えなければ家族は転居を考える。地域への愛着がどれほど強くても、それだけでスーパーまでの距離が縮まるわけではなく、運転できなくなった高齢者の移動手段が自動的に確保されるわけでもない。
内閣府の高齢社会白書で取り上げられている高齢者の生活環境や住み替えに関する調査でも、医療・介護へのアクセス、買い物や移動の利便性などは、住環境を考えるうえで重要な条件となっている。海外の農村地域を対象とした研究でも、地域サービスへの評価や地域への満足度が、居住継続の意向と結び付いていることが示されている。ただし、これらは主として生活環境と意向の関係を示すものであり、交通や買い物の支援を実施すれば、実際の自治体外への転出が何人減るかまで証明するものではない。
また、住み替えと自治体外への転出も区別しなければならない。住み慣れた一戸建てから同じ町内の集合住宅へ移る人もいれば、地域内の高齢者向け住宅へ転居する人もいる。本人にとっては大きな生活上の変化であっても、自治体の人口統計には転出として表れない。このことは、住民の生活条件を人口移動だけで評価することの限界を示している。
転出には、もっと別の場所で暮らしたいから出て行く移動と、ここで暮らしたいのに生活条件のために出て行く移動という、性質の異なる側面がある。ただし現実には、仕事、家族、住宅、交通、地域への愛着などが複雑に重なっており、一人の転出を単純にどちらかへ分類できるとは限らない。それでも、本人の積極的な希望による移動と、選択肢が狭められた結果としての移動を区別しようとすることには意味がある。
自治体が人口政策として減らすべきなのは、人が地域を出る自由ではない。減らすべきなのは、「出たくないのに出なければならない理由」なのである。
若者と高齢者では、出て行かざるを得ない理由も違う
住民の転出を考えるとき、高齢者の買い物や通院の問題だけを見ていては不十分である。若年層や現役世代の転出には、進学先、就職先、賃金水準、働き方、子育て環境など、別の条件が大きく関わっている。
例えば、地域への愛着が強い若者でも、希望する専門分野を学べる学校がなければ進学のために地域を離れることになる。それ自体は問題ではないが、卒業後に地元へ戻りたくても、専門性を生かせる仕事や十分な所得を得られる職場がなければ、戻るという選択肢は現実的でなくなる。子育て世代にとっても、住宅価格や保育施設だけでなく、働き方、教育機会、通学時間、家族の将来などが居住地の判断に影響する。
さらに、地域を離れる理由は、施設や仕事の不足だけとも限らない。内閣府による若者や女性の地方からの転出に関する調査では、進学・就職機会だけでなく、地域社会の人間関係や価値観、周囲からの干渉などが、地元を離れたいと考える理由になる場合も示されている。地域の人間関係は暮らしを支える資源にもなるが、人によっては負担や制約にもなるのである。
これは、人口政策が道路、病院、商店、住宅といった物理的な条件だけでは完結しないことを意味している。本人の意思を尊重する地域社会であるか、性別や年齢によって進路や役割を決めつけられないか、働く場所や生き方を自由に選べるかといった条件も、住み続けられる地域を考えるうえで無視できない。
したがって、「なぜ住民が出て行くのか」という問いには、年代別、性別、世帯構成別に異なる答えがあるはずである。高齢者にとって必要な政策が公共交通や生活支援であっても、若者には雇用や教育機会の充実が重要かもしれない。地域を離れる理由が違う以上、すべての世代に同じ人口政策を適用しても、十分な成果が得られるとは限らない。
人を呼ぶ政策は長所を探し、人が残れる政策は弱点を探す
移住政策をつくるとき、自治体は地域の良いところを探す。海があります、山があります、魚がおいしい、土地が安い、都会まで二時間です、子育て環境が充実しています、といった具合に、「この地域を選ぶ理由」を一つずつ見つけていく。
ところが、住民が出て行かなくてもよい地域をつくろうとすると、行政が見る景色はほとんど反対になる。なぜ七十五歳になると暮らしにくくなるのか。なぜ子どもが高校生になると通学や教育費の負担が大きくなるのか。なぜ配偶者を亡くした高齢者は自治体外の子どもの近くへ移るのか。なぜ働き続けたい人が希望する職場を見つけられないのか。こちらは地域の長所を集めるのではなく、生活の中に存在する障害を一つずつ見つけていく作業になる。
この作業は、移住パンフレットほど華やかではない。しかし、人口減少地域に必要なのは、こうした問題を具体的に把握することではないだろうか。一日に数本しかない路線バスを昔と同じ形で維持することが難しいなら、予約制の乗り合い交通や既存の交通資源の活用を考える。スーパーそのものを残せないなら、配送や移動販売によって買い物の機能を確保する。すべての診療科を自治体内に置けないなら、地域の診療所、広域病院への交通、訪問診療、適切なオンライン診療などを組み合わせる。
もちろん、こうした方法が必ず従来のサービスを代替できるわけではない。オンライン診療では対応できない病気や検査もあり、予約制交通が通勤や通学などの定時性を必要とする移動に適さない場合もある。配送サービスを設けても、本人が買い物に出かけることで得ていた交流の機会まで代替できるとは限らない。必要なのは、サービスの名称や形式を変えることではなく、その機能が住民の生活を実際に支えられるかを確認することである。
大切なのは、過去に存在した施設やサービスをそっくりそのまま残すことではない。住民の生活が途中で行き止まりにならないように、必要な機能を持続可能な形で確保することである。
人口減少時代には「便利な地域」より「詰まない地域」が重要になる
大都市と地方を、店の数や鉄道の本数、病院の数で競わせれば、地方が勝つことは難しい。人口が少ない地域に百貨店を何軒も置くことはできず、鉄道を十分間隔で走らせることも現実的ではない。すべての自治体に高度な医療機能を備えた総合病院を設置することも、医療従事者の確保や経営の持続可能性を考えれば難しい。
しかし、便利さが少ないことと、暮らせないことは同じではない。スーパーが一軒しかなくても、その店へ行く方法があり、店が閉まった場合にも別の買い物手段があれば、日常生活を維持できる可能性がある。病院が自治体外にあっても、必要なときに無理なく到達できればよい。高校が自治体内になくても、安定した通学手段が確保されていれば、通学を理由に家族全員が転居しなければならない状況を避けられるかもしれない。
反対に、車を運転できなくなった瞬間に、買い物、通院、銀行、行政窓口への移動が一斉に難しくなる地域は脆い。一つの条件が崩れただけで、生活全体が成立しなくなるからである。これは地域を一つのシステムとして見ると、より分かりやすい。
安定したシステムには、何かが失われたときの代わりの経路がある。路線バスが縮小しても利用可能な乗り合い交通があり、自分で店へ行けなくても配送や訪問支援があり、地域の診療所だけで対応できない場合には、広域医療につながる仕組みがある。こうした複数の経路があれば、一つのサービスが失われても生活全体が直ちに行き詰まる危険を小さくできる。
もっとも、複数のサービスを用意することには費用がかかる。利用者が少ない地域では、代替手段を増やした結果、行政負担が過大になる可能性もある。また、地形、道路状況、災害リスク、人口密度によって、利用できるサービスの組合せも異なる。したがって、すべての地域に同じ仕組みを導入するのではなく、必要性、利用実態、維持費用、緊急時の対応能力を比較しながら、地域に合った方法を選ぶ必要がある。
国が進める地域包括ケアシステムや地域生活圏の考え方も、医療、介護、住まい、生活支援、交通などの機能を、必ずしも一つの自治体内だけで完結させず、関係機関や自治体の連携によって確保しようとする方向性を持っている。ただし、広域連携を制度として設けることと、実際に人口減少が緩和されたり、財政負担が軽減されたりすることは別である。定住自立圏を対象とした実証研究でも、人口維持や一人当たり歳出の削減について、期待された効果が確認されなかった事例が報告されている。制度をつくったことを成果とするのではなく、住民の生活にどのような改善が生じたかを評価しなければならない。
人口減少時代の地域に求められるのは、何もかもそろった豪華な地域ではない。一つを失っても、別の道がまだ残っている地域である。言い換えるなら、「便利な地域」を競う前に、「詰まない地域」をつくる。この発想は、これからの地域政策を考えるうえで重要になってくるのではないだろうか。
では、一人を呼ぶより一人を残す方が安いのか
ここまで読むと、「それなら移住者を呼ぶより、転出を防ぐ方が効率的なのだ」と結論づけたくなる。しかし、この点については慎重に考える必要がある。
人口の算術だけを見れば、転入を一人増やすことと、転出を一人減らすことは、その年の人口に対して同じ一人分の効果を持つ。しかし、そのために必要な費用まで同じとは限らない。ある地域では、既存の車両や人員を活用した買い物支援、交通支援などによって、比較的小さな追加費用で複数世帯の居住継続を支えられるかもしれない。その場合には、移住希望者を募集し、広報費や住宅補助を投じるより効率的である可能性がある。
一方、山間部などで少数の住民のために長い道路、水道、公共交通などを維持し続ければ、一人当たりの社会的費用が大きくなる場合もある。老朽化したインフラの更新費用や、医療・介護サービスを提供する人材の確保まで考えれば、現在の居住形態をそのまま維持することが、長期的に合理的とは限らない。そのような地域では、本人の意思と生活の質を尊重しながら、中心部への住み替え支援や近隣自治体とのサービスの共同利用を検討することにも意味がある。
したがって、「転出を防ぐ方が必ず安い」という一般法則を置くことはできない。必要なのは、一人の移住者を追加的に増やすためにいくら使っているのか、一人の住民が望まない転出を回避できるようにするにはいくら必要なのかを、同じ期間と条件で比較することである。
ここで重要なのは、政策費用を単純に利用者数で割らないことである。仮に年間六百万円の交通支援事業によって百人がサービスを利用したとしても、その百人全員が、事業がなければ転出していたわけではない。実際に政策がなかった場合と比較して、何人の転出を回避できたと考えられるかを推定しなければ、転出抑制の費用対効果は計算できない。
また、政策の価値は、転出を回避した人数だけで決まるものでもない。交通支援によって通院が継続できた、外出の機会が増えた、家族の送迎負担が減った、孤立が緩和されたという成果には、それぞれ独立した価値がある。人口維持にはほとんど影響しなかったとしても、住民の生活の質を大きく改善した政策なら、福祉政策として十分な意味を持つ場合がある。
自治体の財政負担と、住民や地域社会が受ける便益も区別しなければならない。住民一人が残ることによる地方税収、地方交付税などの財政上の影響、医療・介護・交通などの支出、地域内消費への波及は、年齢や世帯構成、制度によって異なる。さらに、自治体の収支には直接表れなくても、本人が望む生活を続けられること自体が大きな便益になる。社会的に合理的な政策と、自治体の短期的な財政負担が小さい政策が、必ず一致するわけではない。
考えてみれば、人口減少対策の評価は、単に何人増えたか、何人残ったかだけでは不十分なのである。限られた財源によって、誰のどのような生活上の問題を、どの程度改善できたのかまで問う必要がある。
生活条件を改善すれば、転出は本当に減るのか
ここで、科学的な検証としてもう一つ考えておきたいことがある。交通が不便な地域から住民が転出しているとしても、それだけで、交通を便利にすれば転出が減ると結論づけることはできない。
例えば、公共交通が不便な地域では、雇用機会が少なく、商業施設が減り、人口の高齢化も進んでいるかもしれない。こうした地域で転出が多かったとしても、その原因が交通だけにあるとは限らない。仕事が減ったために住民が転出し、その結果として公共交通の利用者が減った可能性もある。あるいは、人口減少と交通の縮小が互いに影響し合っている場合もある。
科学的に政策の効果を検証するなら、事業を実施した地域と、条件の近い地域を比較することや、事業実施前後の変化を継続的に観察することが必要になる。ただし、自治体ごとに人口構造、地理、雇用、医療環境などが異なるため、単純な比較では政策の効果を正確に分離できない。年齢構成や世帯構成などの違いを考慮し、政策がなかった場合に何が起きたかを可能な範囲で推定する必要がある。
その結果、交通支援によって生活の利便性が改善しても、転出率には統計的に明確な変化が見られないこともあるだろう。しかし、それだけで政策が失敗したとは言い切れない。買い物や通院を続けられるようになったこと、外出の機会が増えたこと、家族の介護負担が軽くなったことなどは、人口移動とは別の成果だからである。
逆に、転出が減ったとしても、それが政策の効果とは限らない。景気の悪化によって転居費用を負担できなくなった人が増えた場合や、住宅事情によって転居を断念する人が増えた場合にも、転出数は減少し得る。人口移動という結果だけを見ていては、住民の選択肢が広がったのか、狭まったのかを判断できないのである。
したがって、この記事で提案する転出抑制政策は、その有効性が既に確立した万能の人口政策ではない。生活条件の改善によって望まない転出を減らせる可能性があるという、検証すべき政策仮説として位置付けるのが適切である。
「住み続けること」そのものを善にしてはいけない
もう一つ注意しなければならないことがある。住民が地域に残ることを政策目標にすると、いつの間にか「転出しないことが望ましい」という価値観に変わりかねない。
しかし、住み続けることそのものが幸福とは限らない。高齢者の居住をめぐる研究には、「住み慣れた地域で老いること」を重視する考え方がある一方、「移動したくても移動できず、その場所にとどまること」を問題とする考え方もある。同じ「地域に残った」という結果でも、自分の意思で残ったのか、それとも経済的事情や住宅事情、移動手段の不足によって動けなかったのかでは、意味がまったく違う。
この地域が好きだから残った人と、引っ越す資金もなく、他に行く場所もなく残った人を、同じ政策上の成功として数えてはいけない。地域の人間関係に負担を感じながら、転居する機会がないために住み続けている人もいるかもしれない。人口統計だけを見れば、その人たちは地域に定着しているように見えるが、居住地の選択という意味では、むしろ自由が制約されている可能性がある。
また、災害の危険性が高い場所や、医療・介護サービスへのアクセスを確保することが極めて難しい場所では、住み続けることだけを優先するのが適切とは限らない。安全性、本人の健康状態、生活費、家族関係などを考慮し、住み替えという選択肢を用意することも、住民を支える政策の一部である。
目標は「住民を引き留めること」ではなく、住みたい人が住み続けられ、出たい人は自由に出られることにある。地域に人を縛り付けるのではなく、そこに居住することを一つの現実的な選択肢として残しておく。この違いは言葉の上では小さく見えるが、地域政策の目的を考えるうえでは決定的に重要である。
人口減少そのものを止められなくてもよい
地方の人口問題を考えると、どうしても「人口を増やすか、少なくとも維持する」という結論へ向かいやすい。しかし、多くの自治体では、今後数十年間に人口そのものが減ることを完全に避けるのは容易ではない。
理由は転出だけではない。高齢化した地域では、仮に転入と転出が同数になったとしても、出生数より死亡数が多ければ人口は自然に減っていく。出生年齢にある人口が少なく、高齢人口の割合が大きい地域では、人口構造そのものが将来の自然減に大きく影響する。国立社会保障・人口問題研究所の地域別将来推計人口も、こうした人口構造の変化を考えるための重要な基礎資料となっている。
そうであるなら、人口が減ったという一点だけをもって地域政策を失敗と評価することが、本当に適切なのかを考え直す必要がある。
例えば人口八千人だった自治体が七千人になったとする。それだけを見れば明らかな縮小である。しかし同じ期間に、高齢者が車を運転できなくなっても買い物や通院を続けられるようになり、子育て世帯が通学や教育の問題で家族ごと転居する必要が少なくなり、一人暮らしになった高齢者も必要な支援を受けて生活できるようになったとしたら、その地域は単純に「悪くなった」と言えるのだろうか。
もちろん、人口が減っても生活条件が改善すれば、財政や地域経済の問題が消えるわけではない。住民が減れば、利用者数を前提に成り立っていた公共交通や商業施設の経営が難しくなる場合もあり、公共施設や上下水道などの固定費を少ない人口で負担することになる。働く世代の減少は、地域の産業や医療・介護人材の確保にも影響する。そのため、人口減少を無視してよいという話では決してない。
それでも、人口が減ることと、住民の生活が必ず悪化することは同義ではない。行政が人口の維持に成功しなかったとしても、交通、医療、教育、住宅、地域の安全性などを改善し、住民の生活を支えられたなら、そこには別の政策成果が存在する。
人口が減っていても、「ここで暮らし続けることができる人」の割合や、暮らしの選択肢は増えているかもしれない。ここには、人口という一つの数字だけでは捉えきれない地域の価値がある。
一軒の閉店から始まる連鎖
人口減少地域で懸念されるのは、人が毎年少しずつ減ることだけではない。ある段階から、暮らしの条件そのものが連鎖的に失われる可能性があることだ。
例えば地域から一軒の店がなくなったとする。車を使える人は少し遠くの大型店へ行くようになり、その結果、残った地元商店の客まで減るかもしれない。別の店も経営が難しくなり、そこまで閉店すると、車を持たない高齢者の生活はさらに不便になる。そのため自治体外の子どもの近くへ転居する人が増えれば、地域の人口が減り、サービスの利用者も減り、さらに別のサービスの維持が難しくなる可能性がある。
ただし、現実の地域では、これほど一直線に物事が進むわけではない。一軒の商店が閉店した結果、残った商店へ客が集中することもあれば、新たな移動販売や配送サービスが参入することもある。人口減少が店舗閉鎖を引き起こす場合もあれば、雇用の減少が人口流出と店舗閉鎖の双方を生む場合もあり、原因と結果は複雑に絡み合っている。
それでも重要なのは、地域のサービスが互いに独立して存在しているわけではないという点である。人口がある程度存在することで維持されていた商店や交通サービスは、利用者数が一定の水準を下回ると、採算が急に悪化する場合がある。人口そのものは毎年少しずつ減っているのに、商店の閉鎖や路線の廃止は、ある時点で突然起きることがある。
こうした変化は、人口減少の速度と生活環境の悪化する速度が必ずしも一致しないことを意味している。ただし、どの程度の人口減少でサービス撤退が起きるのか、その影響が転出をどれだけ増やすのかは、地域ごとの利用実態や経営条件を調べなければ分からない。
自治体が見るべきなのは、人口の増減だけではなく、地域の生活機能が維持できなくなる兆候である。商店の利用者数、公共交通の乗客数、医療機関への移動時間、介護人材の充足状況などを継続的に把握すれば、生活の条件が急速に悪化する前に対策を検討できるかもしれない。
人口減少そのものをすぐに止められなくても、生活機能の喪失が連鎖する危険を減らすことは、行政が取り組める重要な課題なのである。
「何人いる地域か」ではなく「何歳まで暮らせる地域か」
そこで、人口とは別の数字を考えてみたくなる。その地域では、人は何歳まで普通に暮らせるのか。車を運転できなくなっても生活できるのか、配偶者を失って一人になっても暮らせるのか、慢性疾患を抱えても通院できるのか、子どもが高校生になっても家族で住み続けられるのか。
もちろん、誰もが同じ年齢で生活上の困難に直面するわけではない。七十歳でも自立して移動できる人がいれば、もっと若い時期から交通や医療の支援が必要な人もいる。重要なのは年齢そのものではなく、健康状態や家族構成、移動能力などが変化したとき、その地域で希望する生活を続けられるかどうかである。
仮に、ある地域で七十歳になると生活が難しくなる人が多かったとして、その生活条件を改善し、八十歳になっても無理なく暮らせる人を増やせたなら、それは大きな政策成果だろう。百人の住民がそれぞれ五年間長く、自分の望む地域で生活できるようになったとすれば、合計五百年分の居住継続が実現したと表現することもできる。
もっとも、この五百年という数字は、あくまで考え方を示すための単純な計算である。実際に政策効果を測るなら、事業がなかった場合の居住継続期間との差を推定しなければならない。また、本人の希望による転居や死亡によって観察が終了した場合をどのように扱うかによっても、評価は変わる。
さらに、「実際に住み続けた期間」と「希望すれば住み続けられた期間」は同じではない。地域に住み続ける条件が整っていても、本人が新しい生活を望んで転居することはある。それを政策上の失敗とするのは適切ではない。居住可能性を評価するのであれば、実際に何年間住んだかだけでなく、その地域で暮らすという選択肢がどの程度確保されていたかも考える必要がある。
こうした「居住可能な時間」は、現在のところ公的に確立された統計指標ではない。しかし、人口そのものとは別に、住民が希望する地域で無理なく生活を続けられる期間を測るという発想には、研究上の価値がある。
地域の成功を、人間の頭数だけで測る必要はない。人口そのものを簡単には増やせない時代だからこそ、一人ひとりがどれだけ長く、自分の望む暮らしを続けられるかという別の尺度が必要になるのではないだろうか。
「何人が出て行かずに済んだか」をどう測るのか
ここで現実的な問題がある。「何人が出て行かずに済んだのか」という数字は、通常の人口統計から直接読み取ることができない。
総務省の住民基本台帳人口移動報告では、市区町村別の転入・転出の状況を把握できる。しかし、そこに記録されるのは実際に移動した人の数であって、「本当は住み続けたかったのに出て行った人」や、「支援があったため転出せずに済んだ人」の数ではない。
例えば転出した住民に理由を尋ねたところ、「買い物が不便だった」「病院が遠かった」という回答があったとする。それは重要な情報だが、買い物や通院の条件が改善されていれば、本当にその人が転出しなかったかどうかまでは分からない。仕事や家族の事情など、別の理由も同時に存在しているかもしれないからである。
逆に、地域に残った人へ「これからも住み続けたいか」と質問しても、それだけでは将来の転出を予測できない。住み続けたいと思っていても健康状態や家族関係の変化によって転居する人がいる一方、転居したいと思っていても経済的事情などから移動できない人もいる。
したがって、自治体が本当に調べるべきなのは、単なる転入数と転出数だけではない。年代別、世帯構成別の転出率に加え、転出理由、居住継続の希望、買い物や医療への到達可能性、公共交通の利用実態などを、継続的に把握する必要がある。特に高齢者については、免許返納の前後で生活の状況がどう変わったか、独居になった後も必要な支援を受けられているかなどを調べれば、生活条件の問題が見えやすくなるだろう。
また、政策を実施した自治体で転出が減ったとしても、それだけで政策の成果と断定することはできない。年齢構成、雇用情勢、住宅市場などの違いを考慮し、類似する地域の動向と比較することが望ましい。統計的には、事業実施前後の変化を比較する方法などが考えられるが、比較対象となる地域が適切であることや、政策以外の影響を十分に考慮できることが前提になる。
そのうえで、人口減少対策の評価を、転入者数、転出者数、人口増減という従来の指標と、居住希望の実現、生活サービスへのアクセス、住民満足度、居住継続の選択肢といった指標の組合せで行うのである。
ただし、調査項目を増やすだけでは行政の成果にはならない。住民への過度な調査負担や個人情報の問題にも注意しながら、既存の行政統計や調査結果を有効に活用することが望ましい。目的は立派な指標をつくることではなく、住民がどのような条件で生活に困り、その問題をどこまで改善できたかを知ることである。
住民が出て行かなくてもよい地域は、移住者にも選ばれるのか
興味深いのは、こうした政策が移住促進と必ずしも対立しないことである。住民が長く暮らせる地域をつくることは、結果として移住希望者にとっても魅力になる可能性がある。
移住希望者が知りたいのは、美しい海や安い土地だけではない。子どもが大きくなったらどうなるのか、親が高齢になったらどうなるのか、自分自身が年齢を重ね、車を運転できなくなったときに暮らせるのかといった、その土地で過ごす将来の生活条件も重要になり得る。
移住とは、現在の風景だけを選ぶ行為ではない。その土地で過ごす十年後、二十年後の生活まで含めて選ぶことである。自治体の観光パンフレットに美しい夕日が載っていても、そこで生活するには車が不可欠で、高齢になると買い物も通院も難しくなるのであれば、移住希望者によっては慎重に判断する理由になるだろう。
反対に、人口そのものは減っていても、既存住民が生活上の困難に直面したときに支援を受けられ、必要なサービスへ到達できる地域には、長期的な居住地としての安心感がある。その条件を移住希望者が重視するなら、住民の居住継続を支える政策は、移住先としての評価にもつながる可能性がある。
もっとも、移住希望者の優先順位は一様ではない。仕事、所得、住宅価格、自然環境、教育環境、都市部へのアクセスなど、何を重視するかは年齢や世帯構成、移住の目的によって異なる。既存住民の生活条件を改善したからといって、それだけで移住者が増えるとは限らない。この点については、移住希望者の意向や実際の転入状況を調べ、効果を検証する必要がある。
それでも、住み続ける人の生活を支えることは、決して内向きの政策ではない。移住者を呼ぶための魅力づくりと、既存住民が暮らし続けるための条件整備は、共通する部分が多い。人口減少時代の移住政策は、地域の長所を広報することに加え、長く安心して暮らせる条件を整えることにも目を向けるべきではないだろうか。
人を増やすことから、人の選択肢を守ることへ
地方創生という言葉には、どこか成長の響きがある。人口を増やし、観光客を増やし、企業を増やし、税収を増やすことが成功として語られやすい。
しかし人口そのものが減っていく時代に、増加だけを成功の基準にしてしまえば、多くの地域はどれほど暮らしやすくなっても、人口統計の上では「失敗した地域」になってしまう。
もちろん、人口減少を放置してよいわけではない。働く世代が減れば地域経済や社会保障を支える人材の確保が難しくなり、公共サービスの維持にも影響する。移住促進や雇用創出、子育て支援が重要であることも変わらない。人口構造と財政の将来を見通し、必要な産業や生活機能をどう維持するかを考えることは、自治体にとって避けて通れない課題である。
しかし、それらの政策と並行して、もう一つの尺度を持ってみてもよいのではないだろうか。この地域では、どれだけの人が自分の意思に反して出て行かずに済んだのか。車に乗れなくなっても暮らせるのか、病気になっても暮らせるのか、一人になっても暮らせるのか、子どもが成長しても家族で生活を続けられるのか、希望する働き方や生き方を選べるのかを見るのである。
こうした条件を整えることが、必ずしも人口の増加につながるとは限らない。支援に費用をかけても、転出数が大きく変わらない地域もあるだろう。人口密度や地理的条件によっては、現在のサービスを維持することが難しく、住み替えや広域連携を含めた選択が必要になる場合もある。
それでも、住民の生活上の制約を減らすことには、人口の増減とは独立した価値がある。公共交通や医療へのアクセスを確保することで、住民が望む生活を続けられるようになるなら、その政策は、人口統計に大きな変化が表れなくても意味を持つ。
そして、地域に残ることを強制してはいけないのと同様に、行政の効率性だけを理由として転居を当然視することも避けなければならない。本人にとって何が重要なのか、どのような生活を望んでいるのかを確かめながら、地域全体の持続可能性との両立を探る必要がある。
目指すべきなのは、人を囲い込む地域ではなく、出て行く自由を持ちながら、それでも出て行かなくてよい地域である。
この視点に立てば、人口減少という現象そのものを消すことができなくても、人口減少によって住民の人生の選択肢まで狭くなることは、ある程度防げるかもしれない。
地域の価値とは、何人を新しく集めたかだけで決まるものではない。そこに暮らしたいと思った人が、その願いを交通や買い物、医療や教育、仕事や生活環境といった事情だけで諦めずに済むことにも、確かな価値がある。
これからの地方が競うべき数字は、人口だけではないのだろう。「この地域には何人いるのか」という問いに加えて、「この地域では、どれだけの人が、自分の望む暮らしを選び続けられるのか」と尋ねてみる。
人口が減る時代だからこそ、その問いは、そこに暮らしている住民にとって、人口増加という目標以上に切実な意味を持つことがある。
人口を増やすことは、地域を維持するための重要な手段である。しかし、地域を維持することの最終的な目的は、人口という数字を守ることではなく、そこに暮らす人々の生活と選択肢を守ることにあるのではないだろうか。

