地域政経

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鳩山由紀夫の友愛は、本当に政治理念として非現実的だったのか

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 「友愛」という言葉ほど、日本政治の中で不思議な運命をたどった言葉も珍しい。自由でもない。平等でもない。改革でも成長でもない。2009年、民主党が政権交代を実現し、鳩山由紀夫が首相になったとき、この柔らかな2文字が国家を動かす政治理念として掲げられたが、その後の政権運営の混乱とわずか8か月余りという短命によって、「友愛」はいつしか理想主義、優柔不断、あるいは現実を知らない政治の象徴であるかのように語られるようになった。

 しかし、本当にそうだったのだろうか。鳩山政権が十分な成果を残せなかったことと、鳩山が掲げた「友愛」という理念そのものが非現実的だったことは、本来まったく別の問題である。政権の失敗から理念の誤りを直接導くことはできず、政策の理念、制度設計、政治家の交渉能力、官僚機構との関係、連立政権の事情、国際環境といった異なる要素を分けて考えなければ、私たちは鳩山政権の失敗を説明したつもりになりながら、実際には何も説明していないことになる。

「友愛」は、単なる「みんな仲良く」ではなかった

 鳩山由紀夫が語った「友愛」は、日常生活でいう友情や人間関係の温かさをそのまま政治に持ち込もうとする思想ではなかった。その背景には祖父の鳩山一郎が影響を受けたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの思想があり、由紀夫自身もそこから受け継いだ友愛を、「自立」と「共生」を結びつける政治原理として説明していた。

 ここで重要なのは、「友愛」を自由や平等と対立する理念としてではなく、それらの緊張を調整する原理として捉えていたことである。人間の自由を最大限に尊重すれば、競争によって経済的な活力や革新が生まれる一方、資産、教育、雇用、地域などの条件によって結果の格差が拡大する可能性がある。逆に平等を強く追求すれば、再分配や社会保障によって生活の安定を高められる一方、その方法によっては個人の自由な選択や自発性との間に緊張が生まれる。この問題に対し、クーデンホーフ=カレルギーから鳩山一郎、さらに鳩山由紀夫へとつながる思想の中では、人間が互いの人格と自由を認めながら支え合う「友愛」が、その緊張を和らげる原理として考えられたのである。

 したがって、友愛を単なる感情論として片づけるのは正確ではない。それは政治思想全体に共通する唯一の答えでも、科学的に証明された社会原理でもないが、少なくとも鳩山本人が政治理念として組み立てた思想には明確な系譜があり、そこには市場の自由と社会的連帯をどのように両立させるのかという、現在まで続く問題意識が存在していた。

市場か国家か、その間に残される領域

 友愛という言葉を政治思想として理解するうえでは、市場と国家の関係を考えると分かりやすい。市場には、価格を通じて資源を効率的に配分し、競争によって新しい商品やサービスを生み出す大きな力があるが、その一方で、人間にとって必要なものが必ずしも十分な利益を生むとは限らない。

 たとえば介護サービス自体は民間市場でも成立するが、高齢者が少なく移動距離の長い地域、利用者の支払能力が低い地域、24時間に近い対応を必要とする分野では、利益だけを基準にすると社会的に必要な量を供給できないことがある。鉄道やバス、医療、買い物支援でも同じ問題が起こり、人口密度が低下すれば、住民にとって必要なサービスであっても事業として採算が取れなくなる。

 しかし、その問題をすべて国家に任せれば解決するとも限らない。政府には税を集めて再分配する力がある反面、地域ごとに異なる細かな事情を中央から把握するには限界があり、財政にも制約があるため、市場と国家のどちらか一方ですべてを解決しようとすると、どうしても取りこぼされる領域が生まれる。

 その隙間を地域社会、協同組合、非営利組織、社会的企業、住民同士の互助などによって補おうという考え方は、鳩山だけの特殊な思想ではない。現代でも世界各地で「社会的経済」や地域共生といった異なる名前のもとに、同じ問題への制度的な模索が続いている。その意味では、友愛の核心にあった「自由な個人が孤立せず、相互に支え合う」という発想それ自体を、現実離れしたものとして退ける根拠は弱い。

2009年という時代に置き直してみる

 鳩山政権が誕生した2009年は、前年の世界金融危機による衝撃が世界経済を覆っていた時期だった。金融市場の急激な混乱は、市場に任せれば経済は常に望ましい方向へ向かうという単純な考え方に疑問を投げかけ、雇用不安、所得格差、金融資本の巨大化などが各国で改めて問題になっていた。

 そうした環境の中で、鳩山が市場原理だけでは社会は維持できないと考え、「友愛」を市場原理主義への対抗軸として提示したこと自体は、当時の国際的な問題意識から大きく外れていたわけではない。むしろ世界金融危機後という時代背景を考えれば、効率や競争だけでは捉えられない社会的な価値を政治の中に戻そうとした試みとして理解することができる。

 さらにその後、先進国では地域社会の衰退、所得や資産の格差、孤独、供給網の脆弱性、経済安全保障などが重要な政策課題となり、市場の効率性だけでは測れない価値が重視される場面は増えた。しかし、ここで「後の世界が鳩山の正しさを証明した」とまで言ってしまえば、それは後知恵になる。後年に社会的連帯が重要な課題となった事実は、2009年の鳩山の政策判断が正しかったことを自動的に証明するものではない。ただ、鳩山が当時提起していた問題の一部と、その後の社会が実際に直面した問題との間に重なる部分があった、と評価することはできるだろう。

理念には翻訳装置が必要になる

 ここから、鳩山政治の最大の問題が見えてくる。政治理念は、それだけでは政策にならない。

 自由という理念なら、表現の自由、職業選択の自由、規制のあり方といった制度に変換できる。平等という理念なら、税制、社会保障、教育政策、所得再分配などに落とし込むことができる。それに対して友愛は、「誰と誰が、何を、どこまで分かち合うのか」という具体的な条件を定めなければ、非常に広い意味を持つ言葉であるため、政策の優先順位を決める基準として曖昧になりやすい。

 地域主権を友愛の実践として考えるなら、国と地方の財源をどう配分するのか、自治体間の税収格差をどこまで調整するのか、人口の少ない自治体の行政サービスをどの水準まで保障するのかという制度設計が必要になる。外交に友愛を持ち込むなら、価値観や体制の異なる国家とどこまで協力し、どこから先は安全保障上の利益を優先するのかという境界線を設定しなければならない。

 つまり理念が壮大であればあるほど、その下には数字、財源、期限、優先順位、法制度、交渉手順という極めて冷たい装置が必要になる。鳩山政権について問うべきなのは、友愛という理念が美しすぎたことではなく、その理念を現実の政策へ変換する装置が十分に機能したのかという点なのである。

普天間問題に現れた理念と制約

 その問題を最も鮮明に示した事例の1つが、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題だった。

 沖縄に集中している基地負担を軽減したいという問題意識自体には、十分な政治的根拠がある。安全保障が日本全体の利益のために必要なのであれば、そのために生じる負担が特定の地域へ長期間集中することについて、政府は当然説明責任を負うからである。その意味で、沖縄の負担を減らそうとする発想は、他者の人格や負担を自分自身の問題として考えるという友愛の考え方とも結びつけて理解できる。

 しかし、友愛という視点から普天間問題を見るなら、ここはその理念と現実政治の制約が最も激しく衝突した場所の1つだったと考えるべきだろう。アメリカ軍の運用、海兵隊の配置、抑止力、既存の日米合意、移設先となる自治体の受け入れ、沖縄県民の意思、連立政権内の立場という複数の条件が同時に存在しており、どれか1つを動かせば他の条件にも影響が及ぶ構造になっていたからである。

 ここで必要だったのは、沖縄の負担軽減という目標を捨てることではなく、どの条件をどの順番で変更し、どの程度の時間をかけ、誰と交渉し、実現できなかった場合にはどの代替案を採るのかという工程を示すことだった。しかし結果として、鳩山政権は当初示した期待と最終的な合意との間に大きな落差を残し、2010年5月には日米両政府が日米同盟の重要性と沖縄におけるアメリカ軍の前方展開の必要性を改めて確認することになった。

 したがって、普天間問題から「友愛は外交や安全保障では通用しない」と結論づけるのは早い。より正確なのは、「道徳的に望ましい目標を掲げても、制約条件と実行工程を設計できなければ、その理念は政策として十分に機能しない」という教訓をそこから読み取ることだろう。

東アジア共同体には、海図がまったくなかったわけではない

 鳩山外交のもう1つの象徴が「東アジア共同体」である。当時この構想は、日本がアメリカから距離を置き、中国を中心とするアジアへ軸足を移そうとしているのではないかという警戒を招いたが、鳩山政権が公式に示した構想を細かく見ると、それだけで説明するのは正確ではない。

 鳩山は日米同盟を日本外交の重要な基軸と位置づけ、アメリカのアジアにおける存在が地域の平和と安定に重要だという認識を示していた。そのうえで東アジアでは、貿易や投資だけでなく、金融、環境、災害対策、感染症、海難救助、教育、文化交流など、参加可能な国々が具体的な分野ごとに協力を積み重ね、複数の「機能的共同体」を重ね合わせていくという構想を語っていた。

 したがって、「東アジア共同体には具体策がほとんど存在しなかった」と評価するのは適切ではない。協力分野という意味での海図は、すでにある程度描かれていたのである。

 しかし同時に、共同体をどの国々で構成するのか、加盟や参加の条件をどうするのか、意思決定をどのように行うのか、既存のアジアの国際機構とどう整理するのか、どの程度の期間で何を実現するのかという制度的な輪郭は十分に定まっていなかった。欧州のように主権の一部を共同機構へ移す統合を想定していたわけでもなく、むしろ幅広い分野で協力を積み重ねる長期的な構想だったからこそ、「共同体」という大きな言葉に比べ、完成形が見えにくかったのである。

 鳩山の東アジア共同体構想を表現するなら、「羅針盤しかなかった」というより、「進みたい方角といくつかの航路は描かれていたが、港の場所、航行規則、到着時期までは確定していなかった」とした方が実態に近い。問題は夢を語ったことではなく、長期構想と当面の外交政策との関係を国民や同盟国に十分な明確さで伝えきれなかったところにあったと考えられる。

鳩山政治の弱点は本当に「理想主義」だったのか

 ここまで考えると、鳩山由紀夫の政治を「理想主義だったから失敗した」と説明することには疑問が生じる。政治には本来、まだ存在していない社会の姿を構想する機能があり、現状を管理することだけが政治の仕事ではないからである。

 歴史を振り返れば、大きな制度改革の多くは、開始時点で結果が完全に予測できていたわけではない。社会保障制度も地方分権も国際協力も、理念を掲げ、その理念と現実との距離を測りながら制度を作り変えてきた。理想を掲げること自体が政治的な欠陥なのであれば、政治は現在ある制度を管理する行政技術だけになってしまう。

 だからといって、鳩山政権の問題を「理想が時代より早すぎただけだった」と擁護するのも正確ではない。普天間問題や東アジア共同体構想を見る限り、理念と政策実装との間には確かに大きな距離が残り、国民や関係国に対して、その距離をどのような工程で埋めるのかを十分に示せなかった場面があった。

 ここで「鳩山には実行能力がなかった」と人物全体を断定する必要はない。政治家個人の能力を客観的に測定することは難しく、政権の結果には党内事情、官僚組織、連立相手、国際環境、時間制約など多くの要因が関わっているからである。より慎重に言うなら、鳩山政権では少なくとも重要な政策課題の一部において、理念を優先順位、期限、制度、財源、交渉戦略へ変換する過程が十分に完成しないまま政治判断を迫られた、と評価するのが妥当だろう。

「友愛」を現代に置き直すと何が見えるのか

 ここで少し時間を進め、現在の日本社会から友愛を振り返ってみると、この言葉が持っていた別の側面が見えてくる。

 人口が減少し、高齢化が進む地域では、鉄道、路線バス、病院、商店、金融機関、介護、宅配といった生活基盤を、利用者1人当たりの採算だけで維持することが難しくなっている。都市でも単身世帯が増え、介護や育児を家族だけに負わせることは困難になりつつあるが、その一方で、すべてを行政サービスとして供給するには人口構造と財政の制約が存在する。

 これはまさに、市場か国家かという2択では処理しにくい問題である。市場の効率性を利用しながら、自治体、企業、医療機関、非営利組織、地域住民などが役割を分担し、単独では採算の合わないサービスをどう維持するのかという制度設計が必要になるからである。

 このような仕組みを「友愛」と呼ぶ必要はない。地域共生、社会的経済、互助、官民連携など別の名称を使う方が、政策としては分かりやすい場合もある。しかし、人間を市場の中の消費者としてだけでも、国家から給付を受ける対象としてだけでも捉えず、自立した個人同士が何らかの形で支え合うという思想の骨格には、鳩山が語った友愛と重なる部分が確かにある。

 重要なのは、この類似をもって「鳩山は未来を予見していた」と神話化しないことである。現在の社会問題と2009年の友愛思想に共通点があることと、鳩山政権の具体的な政策が正しかったことは別である。それでも、当時は曖昧な理想論として笑われることもあった問いが、別の言葉を使いながら現在の政策論の中に残っているという事実は、「友愛」を単なる失敗した政権の標語として忘れてしまうには惜しいことを示している。

「友愛」が失敗したのではない

 鳩山由紀夫という政治家に対する評価と、「友愛」という思想に対する評価は分けなければならない。鳩山政権が短期間で終わり、普天間問題などをめぐって大きな政治的混乱を残したことは、友愛という理念の正しさを証明する材料にはならないが、同じように、その政権が失敗したという事実だけから友愛という理念そのものが誤っていたと結論づけることもできない。

 政治理念の評価には少なくとも2つの問いがある。第1は、その理念が社会の問題を適切に捉えているかという問いであり、第2は、その理念を実際に機能する制度へ変換できるかという問いである。鳩山の友愛は、第1の問いについては再検討する価値が十分に残っている一方、第2の問いでは鳩山政権自身が大きな課題を残した、と考えるのが最も公平だろう。

 政治理念は、美しければ美しいほど、現実へ降ろすための技術を必要とする。制度という歯車、財源という燃料、期限という時計、交渉という技術、そして失敗したときに別の道を選ぶための代替案がなければ、理念は政策にならない。それは友愛に限った話ではなく、自由、平等、改革、地方創生、成長、安全保障といった、あらゆる政治的な言葉について同じことがいえる。

 だから鳩山由紀夫の「友愛」を振り返るとき、「非現実的な理想だった」と一言で片づけるだけでは、あまりに簡単すぎる。より正確なのは、友愛が提起した問題の中には現在にも通じるものがあった一方、その理念を政策へ変換するための制度設計と政治工程は十分な完成度に達しなかった、と評価することではないだろうか。

 そして、そこにこの政治理念の少し皮肉な運命がある。鳩山政権が終わった後も、人口減少、地域社会の衰退、孤独、格差、生活サービスの撤退、国際社会の分断といった問題は残り続け、市場だけでも国家だけでも解決できない領域が広がっている。かつて「友愛」という少し古風な言葉で語られた問いは、言葉そのものの政治的な寿命が尽きた後も、別の名称を身にまとって社会の中に残ったのである。

 それをもう一度「友愛」と呼ぶ必要はない。しかし私たちは今も、自立した個人の自由を守りながら、互いを見捨てない社会をどのように作るのかという、鳩山由紀夫が2009年に政治の正面へ持ち込んだ問いの周辺を歩き続けている。

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