町役場が道路を直す。学校の空調設備を更新する。庁舎の清掃を委託し、公用車を購入し、給食の食材を調達する。自治体が何かを買うたび、住民から集められた税金は企業の売上へと姿を変えるが、その契約書に地元企業の名前が記されていれば、私たちはどこか安心する。「どうせ税金を使うのなら、地元に落とした方がいい」という感覚は分かりやすく、地域振興という言葉ともよくなじむ。
実際、町外の大企業が公共工事を受注し、資材も作業員も地域外から持ち込み、工事が終わると利益まで町の外へ出ていくように見えれば、「これでは地域経済のためにならない」と感じるのは自然である。それなら、多少価格が高くても地元企業へ仕事を回し、従業員の給与や企業利益を地域に残した方がよいのではないか。給与を受け取った住民が町内の商店で買い物をすれば、そのお金はさらに別の企業の売上となり、地域の中を循環していくようにも思える。
ところが、公共調達を地域経済の側から真面目に考え始めると、この一見単純な話は急に複雑になる。なぜなら、自治体にとっての「得」、地元企業にとっての「得」、住民全体にとっての「得」は必ずしも一致せず、しかも地元企業への発注額そのものと、地域経済に実際に残る所得も同じではないからである。
「地元に一億円落ちた」という言葉の危うさ
そもそも「地元企業」とは何を意味するのだろう。本社が町内にある企業なのか、営業所があれば地元企業なのか、従業員の多くが町民なら地元企業なのか、それとも町内企業から多くの商品や資材を購入している企業なのか。この定義を少し変えるだけでも、地域経済に残るお金の量はかなり変わる。
たとえば町内に本社を置く建設会社が一億円の工事を受注したとしても、その一億円すべてが町内に残るわけではない。鋼材やコンクリートを町外から購入し、重機を町外企業から借り、専門工事を他地域の会社へ再発注すれば、その部分のお金は地域外へ出ていく。一方で町外企業が受注した場合でも、町民を雇用し、地元の事業者から資材を購入し、町内企業へ下請工事を発注するなら、かなりの金額が地域経済へ流れ込む可能性がある。
経済学的に重要なのは、契約書に記された企業の住所よりも、その支出によって地域内にどれだけ所得、雇用、利益、取引が残ったかである。地域経済分析では、地域内で生まれた所得が再び地域内で消費されれば追加的な需要が生まれる一方、仕入れや所得の多くが地域外へ流れれば、その波及効果は小さくなると考える。
したがって「地元企業への発注額が増えた」という数字だけでは、地域振興政策の成功を証明することはできない。簡単に測れるのは受注額だが、本当に知りたいのは、そのうちどれだけが地域の所得として残り、さらに何度地域内を循環したかなのである。
一億円の工事を一億一千万円で発注する意味
地元企業優先について、もう一つ避けて通れない問題が価格である。ただし、ここでは誤解しない方がよい。地元企業だから必ず価格が高いわけではなく、地元企業の方が移動費や情報収集費を抑えられ、結果として安くなるケースもあり得る。問題になるのは、所在地などによって競争相手を過度に絞り込み、十分な競争が働かなくなった場合である。
仮に同じ品質の工事について、広域的に競争すれば一億円で契約できるところを、地元企業を優先した結果、一億一千万円になったとしよう。この一千万円には、地域内雇用や企業利益を支える効果があるかもしれない。しかし、その一千万円もまた住民の税金であり、その金額を追加で支払えば、別の道路補修、学校設備、福祉、防災、子育て支援などに使える予算は減る。
ここで比較すべきなのは、「地元企業へ一億一千万円を払った場合」と「より安い企業へ一億円を払い、残った一千万円を別の行政サービスへ使った場合」である。前者では地域企業に所得が残る可能性があるが、後者でも追加の行政支出を通じて別の雇用や住民サービスが生まれる可能性があり、一方だけを見て地域経済への効果を判断することはできない。
これは経済学でいう機会費用の問題である。一つの政策へ使った税金は、同時に別の政策へ使うことができない。人口減少によって税収の大幅な伸びが期待しにくい自治体ほど、この考え方は重くなる。
したがって、本来の問いは「地元企業を優先するべきか、するべきでないか」という二択ではない。地元企業への発注によって得られる地域所得、雇用、技術維持、災害対応力などの便益が、競争低下や価格上昇による追加負担をどこまで上回るのかという比較なのである。
地元企業が存在すること自体に価値がある仕事
もっとも、公共調達を単に価格だけで判断するのも危険である。道路、水道、除雪、設備修繕、災害復旧などでは、自治体の近くに事業者が存在していること自体が公共サービスを支える能力になっている場合があるからだ。
平常時なら数十万円安い町外企業に発注できても、台風で道路が寸断された翌朝に重機を動かし、倒木や土砂を撤去できるのは地域の建設会社かもしれない。深夜に水道管が破裂したとき、短時間で現場に駆けつけられる設備会社が近くに存在することにも価値がある。こうした緊急対応能力は通常の入札価格だけでは十分に表現できない。
日本でも建設業は災害時の応急復旧やインフラ維持を担う「地域の守り手」として政策上位置づけられており、公共工事の評価でも、工事の性格によっては地域精通度、災害協定、地域貢献、維持管理能力などが考慮されることがある。したがって、地域企業の存在そのものに一定の公共的価値を認める考え方は、単なる感情論ではない。
ただし、「一度企業がなくなれば二度と戻らない」とまで言い切る必要はない。より正確には、長い時間をかけて形成された技術者、設備、取引網、地域事情への知識、緊急時の連絡体制などを、一度失った後で短期間に再構築することは難しいということである。
公共調達には、今日の工事を買うという役割だけでなく、将来もその地域で工事や修繕を行える供給能力を一定程度維持する側面がある。価格だけを見れば多少高く見える契約でも、長期的な維持管理や非常時の対応力まで含めれば合理的となる場合があり、逆に、その価値がほとんどない業務まで「地元だから」という理由だけで高く契約すれば、住民にとっては単なる追加負担になりかねない。
「守ること」がいつの間にか目的になる危険
地域企業を残すことに価値があるとしても、その論理をどこまでも広げてよいわけではない。地元企業優先が長期間固定されれば、公共調達市場そのものが閉じた市場になる可能性があるからである。
毎年ほぼ同じ企業が入札し、役所も発注者も互いの事情をよく知り、新規企業が入りにくい状態が続けば、競争参加者は減っていく。公共調達については、一般に競争可能な企業が多いほど価格競争が働きやすく、日本の公共工事を用いた研究でも、有効な入札者が増えるほど落札価格が低下する傾向が報告されている。
もっとも、ここでも因果関係を単純化することはできない。競争が激しければ激しいほど常に企業の生産性や技術革新が高まるとは限らず、市場構造や産業によって効果は異なる。それでも、特定企業が恒常的に保護され、新規参入がほとんど起こらない市場では、価格低減、生産性向上、新技術導入への圧力が弱まる可能性があるという指摘には十分な理論的根拠がある。
地元企業を育てるための制度が、結果として企業を公共需要への依存体質にしてしまえば、政策の目的と結果は逆転する。役所から仕事をもらうことには強くても、民間企業や他地域から仕事を獲得する競争力を持たない会社が増えたのであれば、それを地域産業の強化と呼べるかは疑問である。
「中小企業を参加させること」と「地元企業を勝たせること」は違う
ここには重要な区別がある。公共調達で中小企業が参加しやすくする政策と、地元企業を無条件に優先する政策は、似ているようで本質的には違う。
公共調達の契約があまりにも大きければ、資金力や人員の限られた中小企業は最初から入札できない。過剰な売上高要件、巨大な過去実績、複雑な書類、長い支払い期間なども、中小企業にとって事実上の参入障壁となる。そのため、必要に応じて契約を合理的な単位に分割したり、過剰な資格要件を見直したり、手続きを簡素化したりすることで、中小企業の参加機会を増やす方法がある。
この場合、目的は競争者を減らすことではなく、むしろ競争へ参加できる企業を増やすことである。
それに対して「町内に本社がある企業だけ」「一定距離以内の企業だけ」という条件を強く設定すれば、参加者を減らすことになり、競争性を低下させる可能性がある。つまり、地域企業支援という同じ看板を掲げていても、「競争に入れる企業を増やす政策」と「競争から外す企業を増やす政策」では経済的な意味が大きく異なる。
国や自治体が中小企業の受注機会拡大を進めていることも、「所在地だけを理由に地元企業へ契約を与えることが常に望ましい」という意味ではない。公共調達では、中小企業の参加機会、公正な競争、適正な価格、品質を同時に考える必要がある。
公共調達に地域振興をどこまで背負わせるのか
さらに根本的な疑問がある。公共調達は、そもそもどこまで地域振興政策を担うべきなのだろう。
道路工事を発注する第一の目的は、地元建設会社の売上を増やすことではなく、安全で必要な道路を適切な費用で整備することである。学校給食を調達する目的は食品会社を支援することではなく、安全で安定した食事を子どもへ提供することであり、行政システムを導入する目的も、情報技術企業を育成することではなく、行政サービスを改善することである。
公共調達に地域雇用、環境、福祉、企業育成、防災、脱炭素など多くの政策目標を加えることには意味がある一方、目的を増やしすぎれば、調達そのものの価格や品質を客観的に評価しにくくなる。
だからといって最安値だけを選べばよいわけでもない。安い工事を選んだ結果、耐久性が低く数年後に再施工が必要になれば、最初の価格差は簡単に消える。設備についても、購入価格は安いが修理費や保守費が高い製品なら、長期的には割高になる。
公共調達で本当に求められているのは単純な最安値ではなく、税金一円当たりから住民が受け取る長期的な価値を大きくすることである。
地元企業だから評価するのか、地域に価値を残すから評価するのか
ここまで考えると、「地元企業だから加点する」という考え方より、「その企業が地域にもたらす実質的な価値を評価する」という発想の方が合理的に見えてくる。
たとえば緊急時に短時間で出動できる体制、地域住民の雇用、地域内の下請企業との取引、継続的な維持管理能力などが契約の目的と実質的に関係するのであれば、それらを適切に評価する余地はある。
しかし、公共調達では発注者が自由に地元企業を優遇できるわけではない。日本の公共調達には、公平性、透明性、競争性という原則があり、一定規模以上の調達では国際的な政府調達ルールとの整合性も求められる。したがって、地域貢献や所在地をどこまで評価できるかは、契約の種類、金額、発注主体、業務内容などによって異なり、「地域振興になるから」という理由だけで自由に差を設けられるものではない。
実際の制度設計では、地域対応力が契約履行に本当に必要なのか、その評価方法が透明なのか、特定企業を恣意的に優遇していないかという点が問われる。
ここは地域振興政策と公共調達制度の間にある緊張関係である。地域にお金を残したいという政治的要求がある一方、税金を使う以上、公平な競争を確保しなければならない。この二つを同時に満たす制度設計こそが難しい。
行政境界と地域経済の境界は同じではない
もう一つ、「地元」という言葉そのものを考え直す必要がある。経済活動は市町村境界で止まっていないからである。
住民は隣町のスーパーで買い物をし、隣市の病院へ通い、別の自治体にある会社へ勤務する。企業も同じで、仕入れ先、従業員、顧客、下請会社は複数の自治体にまたがっている。
人口数千人程度の町では、とりわけこの傾向が強い。町内だけで建設、医療、物流、情報技術、設備保守など、あらゆる産業を完結させることは現実的ではなく、隣接自治体を含む生活圏や経済圏が実質的な地域を形成している。
そのため「町内企業か町外企業か」という二分法だけで経済効果を判断すると、実際の地域経済を見誤る可能性がある。町外企業でも町民を多数雇っている場合があり、町内企業でも仕入れや従業員の大半が町外であれば、地域内に残る所得は意外に少ないかもしれない。
公共調達を地域政策として利用するのであれば、「地元企業とは誰か」ではなく、「どの範囲を一つの地域経済圏として考えるのか」という問いまで進まなければならない。
本当に測るべきものは「地元企業受注率」ではない
自治体が地域企業支援の成果を示すとき、「地元企業への発注率」は分かりやすい数字である。しかし、分かりやすい数字が必ずしも重要な数字とは限らない。
仮に地元企業受注率が五十%から八十%へ上昇しても、入札参加企業が減り、落札率が上昇し、新規参入がなくなり、毎年ほぼ同じ企業が契約するようになったのであれば、その政策を成功と呼べるかは疑わしい。
反対に地元企業受注率がそれほど高くなくても、地域企業が公共調達を通じて技術や実績を蓄積し、町外自治体や民間市場から仕事を獲得するようになり、雇用や所得を増やしているなら、産業政策としてはこちらの方が健全かもしれない。
本当に評価するのであれば、地元企業受注率だけではなく、入札参加企業数、新規参入数、落札率、契約価格、地域雇用、地域内仕入れ、地域内下請、災害対応実績、受注企業の公共部門依存度、生産性、町外市場での売上などを長期的に見る必要がある。
さらに科学的に厳密な評価を行うなら、「地元企業優先政策を実施した地域」と「実施しなかった類似地域」の変化を比較するなど、政策を実施しなかった場合に何が起きていたかという反実仮想を考えなければならない。単に地元企業の売上が増えたという事実だけでは、その増加が政策の効果なのか、景気や公共事業増加など別の要因によるものなのかは分からないからである。
地元優先か最安値かという二択から離れる
公共調達の議論は、「税金なのだから一円でも安くするべきだ」という考えと、「地域経済のために地元企業を優先するべきだ」という考えに分かれやすい。しかし、どちらも単独では十分ではない。
最安値だけを追えば、品質、維持管理、緊急対応力、将来の地域供給能力を失う可能性がある。一方で地元企業だけに閉じた市場をつくれば、競争参加者が減少し、価格やサービス改善の圧力が弱まる可能性がある。
現実的なのは、その間に制度を設計することである。契約を必要以上に巨大化せず、中小企業も参加できる規模にし、過剰な参加条件を取り除き、新規企業が入りやすくする一方、価格だけでは測れない品質、維持管理、緊急対応能力なども合理的な範囲で評価する。
その競争の結果として地元企業が選ばれるのであれば、それは地域経済にとって望ましい姿だろう。
地元企業を「競争から守る」のではなく、「競争に参加できるようにする」という考え方である。わずかな言葉の違いに見えるが、政策としては全く異なる。
公共調達は十年後の地域に何を残すのか
一件の公共工事だけを見れば、それは道路を直したり、建物を建てたりする契約にすぎない。しかし、毎年繰り返される公共調達を十年、二十年という時間で眺めれば、その選択によって地域の企業構造そのものが少しずつ形づくられていく。
誰へ仕事を発注するかによって企業が残り、技術者が育ち、設備が維持され、雇用が生まれることがある。一方で、その企業を守るために自治体が高い費用を払い続ければ、他の公共サービスへ回せる財源は減る。
そのため、「地元企業への公共調達は地域経済に得なのか」という問いに、全国共通の一つの答えはない。
地域内に残る所得が大きく、地域雇用を生み、災害対応や維持管理能力を支え、価格差も小さいのであれば、地元企業への発注には十分な合理性がある。しかし、所在地だけを理由に競争を狭め、価格差が大きく、同じ企業だけが受注し続け、企業自身の競争力も育っていないのであれば、その制度は地域経済を支えているというより、公共支出への依存を固定している可能性がある。
結局、見るべきなのは「地元企業への発注率」ではない。その政策によって地域内にどれだけ所得と雇用が残り、企業の技術と競争力がどれだけ育ち、災害時や人口減少時の供給能力がどれだけ維持され、そのために住民が追加的にどれだけの費用を負担したのかという全体の収支である。
地域経済を守るという言葉は美しい。しかし、本当に強い地域経済とは、役所が守り続けなければ生き残れない企業が多い地域ではなく、地域の仕事を担いながら、外の市場とも競争できる企業が存在する地域なのではないだろうか。
公共調達をそのための入口として利用することはできる。ただし、出口まで公共調達に依存させてはいけない。
公共調達で本当に問われているのは、「税金を地元に落としたか」ではない。その一円によって、十年後の地域にどれだけの所得、技術、競争力、そして非常時にも機能する供給能力を残せたのかなのである。



