地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

 町役場が道路を直す。学校の空調設備を更新する。庁舎の清掃を委託し、公用車を購入し、給食の食材を調達する。自治体が何かを買うたび、住民から集められた税金は企業の売上へと姿を変えるが、その契約書に地元企業の名前が記されていれば、私たちはどこか安心する。「どうせ税金を使うのなら、地元に落とした方がいい」という感覚は分かりやすく、地域振興という言葉ともよくなじむ。

 実際、町外の大企業が公共工事を受注し、資材も作業員も地域外から持ち込み、工事が終わると利益まで町の外へ出ていくように見えれば、「これでは地域経済のためにならない」と感じるのは自然である。それなら、多少価格が高くても地元企業へ仕事を回し、従業員の給与や企業利益を地域に残した方がよいのではないか。給与を受け取った住民が町内の商店で買い物をすれば、そのお金はさらに別の企業の売上となり、地域の中を循環していくようにも思える。

 ところが、公共調達を地域経済の側から真面目に考え始めると、この一見単純な話は急に複雑になる。なぜなら、自治体にとっての「得」、地元企業にとっての「得」、住民全体にとっての「得」は必ずしも一致せず、しかも地元企業への発注額そのものと、地域経済に実際に残る所得も同じではないからである。

「地元に一億円落ちた」という言葉の危うさ

 そもそも「地元企業」とは何を意味するのだろう。本社が町内にある企業なのか、営業所があれば地元企業なのか、従業員の多くが町民なら地元企業なのか、それとも町内企業から多くの商品や資材を購入している企業なのか。この定義を少し変えるだけでも、地域経済に残るお金の量はかなり変わる。

 たとえば町内に本社を置く建設会社が一億円の工事を受注したとしても、その一億円すべてが町内に残るわけではない。鋼材やコンクリートを町外から購入し、重機を町外企業から借り、専門工事を他地域の会社へ再発注すれば、その部分のお金は地域外へ出ていく。一方で町外企業が受注した場合でも、町民を雇用し、地元の事業者から資材を購入し、町内企業へ下請工事を発注するなら、かなりの金額が地域経済へ流れ込む可能性がある。

 経済学的に重要なのは、契約書に記された企業の住所よりも、その支出によって地域内にどれだけ所得、雇用、利益、取引が残ったかである。地域経済分析では、地域内で生まれた所得が再び地域内で消費されれば追加的な需要が生まれる一方、仕入れや所得の多くが地域外へ流れれば、その波及効果は小さくなると考える。

 したがって「地元企業への発注額が増えた」という数字だけでは、地域振興政策の成功を証明することはできない。簡単に測れるのは受注額だが、本当に知りたいのは、そのうちどれだけが地域の所得として残り、さらに何度地域内を循環したかなのである。

一億円の工事を一億一千万円で発注する意味

 地元企業優先について、もう一つ避けて通れない問題が価格である。ただし、ここでは誤解しない方がよい。地元企業だから必ず価格が高いわけではなく、地元企業の方が移動費や情報収集費を抑えられ、結果として安くなるケースもあり得る。問題になるのは、所在地などによって競争相手を過度に絞り込み、十分な競争が働かなくなった場合である。

 仮に同じ品質の工事について、広域的に競争すれば一億円で契約できるところを、地元企業を優先した結果、一億一千万円になったとしよう。この一千万円には、地域内雇用や企業利益を支える効果があるかもしれない。しかし、その一千万円もまた住民の税金であり、その金額を追加で支払えば、別の道路補修、学校設備、福祉、防災、子育て支援などに使える予算は減る。

 ここで比較すべきなのは、「地元企業へ一億一千万円を払った場合」と「より安い企業へ一億円を払い、残った一千万円を別の行政サービスへ使った場合」である。前者では地域企業に所得が残る可能性があるが、後者でも追加の行政支出を通じて別の雇用や住民サービスが生まれる可能性があり、一方だけを見て地域経済への効果を判断することはできない。

 これは経済学でいう機会費用の問題である。一つの政策へ使った税金は、同時に別の政策へ使うことができない。人口減少によって税収の大幅な伸びが期待しにくい自治体ほど、この考え方は重くなる。

 したがって、本来の問いは「地元企業を優先するべきか、するべきでないか」という二択ではない。地元企業への発注によって得られる地域所得、雇用、技術維持、災害対応力などの便益が、競争低下や価格上昇による追加負担をどこまで上回るのかという比較なのである。

地元企業が存在すること自体に価値がある仕事

 もっとも、公共調達を単に価格だけで判断するのも危険である。道路、水道、除雪、設備修繕、災害復旧などでは、自治体の近くに事業者が存在していること自体が公共サービスを支える能力になっている場合があるからだ。

 平常時なら数十万円安い町外企業に発注できても、台風で道路が寸断された翌朝に重機を動かし、倒木や土砂を撤去できるのは地域の建設会社かもしれない。深夜に水道管が破裂したとき、短時間で現場に駆けつけられる設備会社が近くに存在することにも価値がある。こうした緊急対応能力は通常の入札価格だけでは十分に表現できない。

 日本でも建設業は災害時の応急復旧やインフラ維持を担う「地域の守り手」として政策上位置づけられており、公共工事の評価でも、工事の性格によっては地域精通度、災害協定、地域貢献、維持管理能力などが考慮されることがある。したがって、地域企業の存在そのものに一定の公共的価値を認める考え方は、単なる感情論ではない。

 ただし、「一度企業がなくなれば二度と戻らない」とまで言い切る必要はない。より正確には、長い時間をかけて形成された技術者、設備、取引網、地域事情への知識、緊急時の連絡体制などを、一度失った後で短期間に再構築することは難しいということである。

 公共調達には、今日の工事を買うという役割だけでなく、将来もその地域で工事や修繕を行える供給能力を一定程度維持する側面がある。価格だけを見れば多少高く見える契約でも、長期的な維持管理や非常時の対応力まで含めれば合理的となる場合があり、逆に、その価値がほとんどない業務まで「地元だから」という理由だけで高く契約すれば、住民にとっては単なる追加負担になりかねない。

「守ること」がいつの間にか目的になる危険

 地域企業を残すことに価値があるとしても、その論理をどこまでも広げてよいわけではない。地元企業優先が長期間固定されれば、公共調達市場そのものが閉じた市場になる可能性があるからである。

 毎年ほぼ同じ企業が入札し、役所も発注者も互いの事情をよく知り、新規企業が入りにくい状態が続けば、競争参加者は減っていく。公共調達については、一般に競争可能な企業が多いほど価格競争が働きやすく、日本の公共工事を用いた研究でも、有効な入札者が増えるほど落札価格が低下する傾向が報告されている。

 もっとも、ここでも因果関係を単純化することはできない。競争が激しければ激しいほど常に企業の生産性や技術革新が高まるとは限らず、市場構造や産業によって効果は異なる。それでも、特定企業が恒常的に保護され、新規参入がほとんど起こらない市場では、価格低減、生産性向上、新技術導入への圧力が弱まる可能性があるという指摘には十分な理論的根拠がある。

 地元企業を育てるための制度が、結果として企業を公共需要への依存体質にしてしまえば、政策の目的と結果は逆転する。役所から仕事をもらうことには強くても、民間企業や他地域から仕事を獲得する競争力を持たない会社が増えたのであれば、それを地域産業の強化と呼べるかは疑問である。

「中小企業を参加させること」と「地元企業を勝たせること」は違う

 ここには重要な区別がある。公共調達で中小企業が参加しやすくする政策と、地元企業を無条件に優先する政策は、似ているようで本質的には違う。

 公共調達の契約があまりにも大きければ、資金力や人員の限られた中小企業は最初から入札できない。過剰な売上高要件、巨大な過去実績、複雑な書類、長い支払い期間なども、中小企業にとって事実上の参入障壁となる。そのため、必要に応じて契約を合理的な単位に分割したり、過剰な資格要件を見直したり、手続きを簡素化したりすることで、中小企業の参加機会を増やす方法がある。

 この場合、目的は競争者を減らすことではなく、むしろ競争へ参加できる企業を増やすことである。

 それに対して「町内に本社がある企業だけ」「一定距離以内の企業だけ」という条件を強く設定すれば、参加者を減らすことになり、競争性を低下させる可能性がある。つまり、地域企業支援という同じ看板を掲げていても、「競争に入れる企業を増やす政策」と「競争から外す企業を増やす政策」では経済的な意味が大きく異なる。

 国や自治体が中小企業の受注機会拡大を進めていることも、「所在地だけを理由に地元企業へ契約を与えることが常に望ましい」という意味ではない。公共調達では、中小企業の参加機会、公正な競争、適正な価格、品質を同時に考える必要がある。

公共調達に地域振興をどこまで背負わせるのか

 さらに根本的な疑問がある。公共調達は、そもそもどこまで地域振興政策を担うべきなのだろう。

 道路工事を発注する第一の目的は、地元建設会社の売上を増やすことではなく、安全で必要な道路を適切な費用で整備することである。学校給食を調達する目的は食品会社を支援することではなく、安全で安定した食事を子どもへ提供することであり、行政システムを導入する目的も、情報技術企業を育成することではなく、行政サービスを改善することである。

 公共調達に地域雇用、環境、福祉、企業育成、防災、脱炭素など多くの政策目標を加えることには意味がある一方、目的を増やしすぎれば、調達そのものの価格や品質を客観的に評価しにくくなる。

 だからといって最安値だけを選べばよいわけでもない。安い工事を選んだ結果、耐久性が低く数年後に再施工が必要になれば、最初の価格差は簡単に消える。設備についても、購入価格は安いが修理費や保守費が高い製品なら、長期的には割高になる。

 公共調達で本当に求められているのは単純な最安値ではなく、税金一円当たりから住民が受け取る長期的な価値を大きくすることである。

地元企業だから評価するのか、地域に価値を残すから評価するのか

 ここまで考えると、「地元企業だから加点する」という考え方より、「その企業が地域にもたらす実質的な価値を評価する」という発想の方が合理的に見えてくる。

 たとえば緊急時に短時間で出動できる体制、地域住民の雇用、地域内の下請企業との取引、継続的な維持管理能力などが契約の目的と実質的に関係するのであれば、それらを適切に評価する余地はある。

 しかし、公共調達では発注者が自由に地元企業を優遇できるわけではない。日本の公共調達には、公平性、透明性、競争性という原則があり、一定規模以上の調達では国際的な政府調達ルールとの整合性も求められる。したがって、地域貢献や所在地をどこまで評価できるかは、契約の種類、金額、発注主体、業務内容などによって異なり、「地域振興になるから」という理由だけで自由に差を設けられるものではない。

 実際の制度設計では、地域対応力が契約履行に本当に必要なのか、その評価方法が透明なのか、特定企業を恣意的に優遇していないかという点が問われる。

 ここは地域振興政策と公共調達制度の間にある緊張関係である。地域にお金を残したいという政治的要求がある一方、税金を使う以上、公平な競争を確保しなければならない。この二つを同時に満たす制度設計こそが難しい。

行政境界と地域経済の境界は同じではない

 もう一つ、「地元」という言葉そのものを考え直す必要がある。経済活動は市町村境界で止まっていないからである。

 住民は隣町のスーパーで買い物をし、隣市の病院へ通い、別の自治体にある会社へ勤務する。企業も同じで、仕入れ先、従業員、顧客、下請会社は複数の自治体にまたがっている。

 人口数千人程度の町では、とりわけこの傾向が強い。町内だけで建設、医療、物流、情報技術、設備保守など、あらゆる産業を完結させることは現実的ではなく、隣接自治体を含む生活圏や経済圏が実質的な地域を形成している。

 そのため「町内企業か町外企業か」という二分法だけで経済効果を判断すると、実際の地域経済を見誤る可能性がある。町外企業でも町民を多数雇っている場合があり、町内企業でも仕入れや従業員の大半が町外であれば、地域内に残る所得は意外に少ないかもしれない。

 公共調達を地域政策として利用するのであれば、「地元企業とは誰か」ではなく、「どの範囲を一つの地域経済圏として考えるのか」という問いまで進まなければならない。

本当に測るべきものは「地元企業受注率」ではない

 自治体が地域企業支援の成果を示すとき、「地元企業への発注率」は分かりやすい数字である。しかし、分かりやすい数字が必ずしも重要な数字とは限らない。

 仮に地元企業受注率が五十%から八十%へ上昇しても、入札参加企業が減り、落札率が上昇し、新規参入がなくなり、毎年ほぼ同じ企業が契約するようになったのであれば、その政策を成功と呼べるかは疑わしい。

 反対に地元企業受注率がそれほど高くなくても、地域企業が公共調達を通じて技術や実績を蓄積し、町外自治体や民間市場から仕事を獲得するようになり、雇用や所得を増やしているなら、産業政策としてはこちらの方が健全かもしれない。

 本当に評価するのであれば、地元企業受注率だけではなく、入札参加企業数、新規参入数、落札率、契約価格、地域雇用、地域内仕入れ、地域内下請、災害対応実績、受注企業の公共部門依存度、生産性、町外市場での売上などを長期的に見る必要がある。

 さらに科学的に厳密な評価を行うなら、「地元企業優先政策を実施した地域」と「実施しなかった類似地域」の変化を比較するなど、政策を実施しなかった場合に何が起きていたかという反実仮想を考えなければならない。単に地元企業の売上が増えたという事実だけでは、その増加が政策の効果なのか、景気や公共事業増加など別の要因によるものなのかは分からないからである。

地元優先か最安値かという二択から離れる

 公共調達の議論は、「税金なのだから一円でも安くするべきだ」という考えと、「地域経済のために地元企業を優先するべきだ」という考えに分かれやすい。しかし、どちらも単独では十分ではない。

 最安値だけを追えば、品質、維持管理、緊急対応力、将来の地域供給能力を失う可能性がある。一方で地元企業だけに閉じた市場をつくれば、競争参加者が減少し、価格やサービス改善の圧力が弱まる可能性がある。

 現実的なのは、その間に制度を設計することである。契約を必要以上に巨大化せず、中小企業も参加できる規模にし、過剰な参加条件を取り除き、新規企業が入りやすくする一方、価格だけでは測れない品質、維持管理、緊急対応能力なども合理的な範囲で評価する。

 その競争の結果として地元企業が選ばれるのであれば、それは地域経済にとって望ましい姿だろう。

 地元企業を「競争から守る」のではなく、「競争に参加できるようにする」という考え方である。わずかな言葉の違いに見えるが、政策としては全く異なる。

公共調達は十年後の地域に何を残すのか

 一件の公共工事だけを見れば、それは道路を直したり、建物を建てたりする契約にすぎない。しかし、毎年繰り返される公共調達を十年、二十年という時間で眺めれば、その選択によって地域の企業構造そのものが少しずつ形づくられていく。

 誰へ仕事を発注するかによって企業が残り、技術者が育ち、設備が維持され、雇用が生まれることがある。一方で、その企業を守るために自治体が高い費用を払い続ければ、他の公共サービスへ回せる財源は減る。

 そのため、「地元企業への公共調達は地域経済に得なのか」という問いに、全国共通の一つの答えはない。

 地域内に残る所得が大きく、地域雇用を生み、災害対応や維持管理能力を支え、価格差も小さいのであれば、地元企業への発注には十分な合理性がある。しかし、所在地だけを理由に競争を狭め、価格差が大きく、同じ企業だけが受注し続け、企業自身の競争力も育っていないのであれば、その制度は地域経済を支えているというより、公共支出への依存を固定している可能性がある。

 結局、見るべきなのは「地元企業への発注率」ではない。その政策によって地域内にどれだけ所得と雇用が残り、企業の技術と競争力がどれだけ育ち、災害時や人口減少時の供給能力がどれだけ維持され、そのために住民が追加的にどれだけの費用を負担したのかという全体の収支である。

 地域経済を守るという言葉は美しい。しかし、本当に強い地域経済とは、役所が守り続けなければ生き残れない企業が多い地域ではなく、地域の仕事を担いながら、外の市場とも競争できる企業が存在する地域なのではないだろうか。

 公共調達をそのための入口として利用することはできる。ただし、出口まで公共調達に依存させてはいけない。

 公共調達で本当に問われているのは、「税金を地元に落としたか」ではない。その一円によって、十年後の地域にどれだけの所得、技術、競争力、そして非常時にも機能する供給能力を残せたのかなのである。

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「地域でお金を回しましょう」という言葉は、地方創生や商店街振興の場でよく聞かれる。地元の店で買い物をし、地元の会社に仕事を頼み、できれば地元で作られたものを選ぶ。それによって地域が豊かになる、と説明されることも多い。しかし、少し考えてみると不思議な言葉でもある。お金は使えば店に渡り、店から仕入先へ渡り、最後にはどこかへ消えていく。同じ千円札を町の中で何度受け渡したところで、千円札が二千円札になるわけではない。それでは「お金が回る」とは、経済学的にはいったい何が起きているのだろうか。

この問いを考えるには、財布の中の紙幣ではなく、その紙幣が誰の所得になるのかを見る必要がある。地域経済にとって重要なのは、お金そのものが町の中を移動することではない。ある人の支出が別の人の売上となり、その売上の一部が賃金や利益として地域住民の所得になり、その所得が再び地域の店や事業者に支払われる。この連鎖がどこまで続くかによって、同じ一円の経済的な意味が変わってくるのである。

一枚の千円札を追いかけてみる

たとえば、ある町を訪れた観光客が、地元の食堂で千円の昼食を食べたとする。この千円は、もともと町の外にあった所得である。それが食堂の売上として町の中へ入ってきた瞬間、地域経済には千円の需要が新しく生まれる。

けれども、その千円がそのまま食堂の主人の所得になるわけではない。米を買い、魚を仕入れ、電気代を払い、調味料を買い、設備を修理しなければならない。その食堂が地元の漁師から魚を買い、近所の米屋から米を仕入れ、町内の電気工事店に修理を頼んでいるなら、観光客が置いていった千円の一部は、食堂だけではなく町の別の事業者の売上へと変わっていく。

魚屋がその所得で町内の理髪店に行き、理髪店の主人が地元のスーパーで食料品を買えば、最初の千円が生み出した需要はさらに先へ進む。もちろん、そのたびに一部は町の外へ出ていく。それでも、外へ出るまでに何度も地域住民や事業者の所得を生み出すなら、その千円は地域経済の中で比較的大きな働きをしたことになる。

経済波及効果を分析するときにも、ある需要による直接的な売上だけでなく、原材料などへの需要が生まれる一次的な波及、さらにそこで生じた所得が消費されることによる二次的な波及が考えられる。環境省の地域経済波及効果分析でも、域外から原材料を調達したり、域外居住者へ賃金を支払ったり、所得が域外で消費されたりすれば、その途中で効果が地域外へ流出すると整理されている。

「地域でお金を回す」という言葉の実体は、こうした所得の連鎖なのである。

地域経済には「入口」と「出口」がある

もっとも、町の中だけで何度も買い物をしていれば、それだけで永遠に豊かになれるわけではない。ここには、地域経済を考えるうえで非常に重要な落とし穴がある。

十人の住民がそれぞれ一万円を持っている町を想像してみよう。互いに商品を売ったりサービスを提供したりすれば、取引額は増える。しかし、町全体が最初に持っていた所得そのものが、それだけで増えるわけではない。地域の中だけでお金を受け渡している経済は、やがて使える所得の限界にぶつかる。

そこで必要になるのが、地域の外から所得を獲得する力である。農産物を都市へ売ることも、製造業が町外へ製品を出荷することも、観光客が宿泊することも、地域外の企業から仕事を受注することも、外から所得を持ち込むという意味では同じ働きをする。町外で働く人の給与、年金や政府からの財政移転なども、経路は異なるものの、地域経済へ所得を流入させる役割を持つ。

環境省が地域経済を考える際に、「地域でお金を循環させること」と並んで「地域でお金を稼ぐ力」を重視しているのは、このためである。地域経済は、生産によって所得を稼ぎ、それが家計や企業へ分配され、消費や投資として支出され、再び生産へ戻っていく。したがって、外から稼ぐ力と、入ってきた所得を地域内に残す力の双方が必要になる。

町の経済を風呂桶にたとえるなら、域外から所得を稼ぐ産業は蛇口であり、町外への支払いは排水口である。桶の中で水を勢いよくかき回しても、蛇口が閉まり、排水口が大きく開いていれば、水位はやがて下がっていく。「地域でお金を回す」という言葉だけでは、この蛇口の存在を見落としやすい。

大切なのは「何回使われたか」より「どこまで残ったか」

ここで単純な数理モデルを考えてみると、地域経済循環の意味が見えやすくなる。

町外から百円が入ってきたとし、その百円を受け取った人が六十円を町内で使い、四十円を町外の商品やサービスに使うとする。次に六十円を受け取った人も、その六割に当たる三十六円を町内で使い、さらにその六割が町内で使われると仮定する。

すると地域内で生じる支出は、

100+60+36+21.6+……

と続いていく。

極端に単純化したモデルではあるが、地域内に残る割合を0.6とすると、この無限等比級数の合計は、

100÷(1-0.6)=250

となる。

最初に地域外から入ってきた百円をきっかけとして、累計では二百五十円分の地域内支出が生じ得るということである。もし地域内に残る割合が0.3しかなければ、同じ計算による累計は約百四十三円にとどまる。最初に入ってくる金額が同じでも、その後の地域内調達や地域内消費の割合によって、経済的な波及の大きさは大きく変わる。

ただし、この二百五十円を「百円が二百五十円の富になった」と理解してはいけない。ここで数えているのは累計された取引や支出であり、新しく生まれた付加価値や住民の所得とは区別しなければならない。それでも、この単純な計算は、「地域にいくら入ってきたか」だけでは地域経済の強さを測れない理由を鮮やかに示している。

地元企業なら必ず地域に残る、とは限らない

ここからさらに厄介な問題が出てくる。「地元の店で買うこと」と「地域に所得が残ること」は、似ているようで完全には同じではない。

町内にある店でも、販売している商品のほとんどを町外から仕入れ、設備も広告も情報システムも町外企業へ支払い、利益まで町外の本社へ送っているなら、売上のかなりの部分は地域外へ流れていく。一方、全国展開する企業であっても、地元住民を多数雇用し、地域の事業者から仕入れを行い、地域で設備投資をしているなら、その店舗から地域住民へ帰着する所得は決してゼロではない。

したがって、「地元資本か、大企業か」という看板だけを見て地域経済を論じると、本質を取り逃がす。重要なのは、売上のうちどれだけが地域住民の賃金になり、どれだけが地域企業の利益になり、どれだけの原材料やサービスが地域内から調達され、そこで得られた所得がさらにどこで使われるのかである。

経済産業省の地域間産業連関表も、地域の経済を単独で見るのではなく、財やサービスがどの地域から調達され、どの地域へ供給されるかという相互依存関係を捉えるために作られてきた。ある地域で投資が行われても、必要な財の多くを地域外から調達すれば、地域内に生じる生産波及は小さくなる。この考え方は、小さな町の商店や観光政策にも、そのまま当てはめることができる。

つまり、町に大きな店があるかどうかよりも、その店の後ろにどれだけ地域内の取引網がつながっているかの方が重要なのである。

「地産地消」だけでは地域は豊かにならない

ここまで考えると、「それなら何でも地域内で作ればよい」という結論に向かいたくなる。しかし、それもまた経済学的には危うい。

地域外から商品を買うこと自体が悪いわけではない。石油を産出しない町がガソリンを地域内で生産する必要はないし、小さな町が医薬品や自動車やコンピューターまで自給しようとすれば、かえって生活費は高くなり、生産性も落ちる。地域間で得意なものを交換することは、市場経済が豊かさを生み出してきた基本的な仕組みでもある。

問題は「地域外から買うこと」ではなく、地域が外から何も稼がないまま、あらゆる所得が一方向に外へ流れ続けることである。

地域で農産物を生産して都市へ販売し、その所得で地域外から自動車を購入するなら、それは交易である。しかし、地域内に域外から所得を獲得する産業がほとんどなく、住民が受け取った所得の多くを町外の店舗やサービスへ支払い続ければ、地域経済の循環は次第に弱くなる。

だから本当に考えるべきなのは、「町内で全部買おう」という閉鎖的な経済ではない。地域が得意なものを外へ売り、外から所得を呼び込みながら、その所得の一部が地域内の雇用、仕入れ、消費、投資へつながる構造をどう作るかなのである。

観光客が増えても地域が豊かにならないことがある

この問題が最も分かりやすく現れるのが観光地かもしれない。

年間百万人の観光客が訪れる町でも、宿泊施設の所有者が町外企業で、食材が町外から運ばれ、予約手数料が町外の事業者へ支払われ、土産物まで他地域で製造されているなら、観光客が落としたお金の相当部分は短時間で地域から出ていく。観光消費額だけを見れば巨大でも、その町で生活する人の所得があまり増えないということは十分に起こり得る。

反対に、観光客の人数がそれほど多くなくても、地元の宿が地域の農家から食材を買い、地元の酒を提供し、清掃や修繕を地域企業へ頼み、そこで働く住民が地域の商店を利用するなら、一人の観光客がもたらした所得は地域の中を比較的長く流れる。

環境省の地域経済循環分析が、単に地域の売上額を見るのではなく、生産、分配、支出の各段階で所得がどこから入り、どこへ出ていくのかを捉えようとしている理由もここにある。2025年12月に公表された最新版の分析ツールも、市町村単位で地域内外の資金の流れや産業間取引を分析できるものとして整備されている。

観光客の数を競うより、その一万円が翌朝どこへ行くのかを見る方が、地域経済の実像に近いのである。

地域経済を支えるのは「金額」より「つながり」なのかもしれない

ある町に百億円規模の工場が一つある場合と、数十人規模の企業、農家、商店、建設会社、宿泊業者、飲食店が互いに取引している場合とでは、どちらの地域経済が強いのだろうか。

答えは単純ではない。大工場が地域外から大きな所得を稼ぎ、地元住民を雇い、地域企業から多くを調達しているなら、それは非常に強力な地域経済の核になる。しかし、原材料も従業員も取引先も地域外に依存し、利益も本社へ送られるなら、巨大な生産額のわりに地域住民へ届く所得は小さい可能性がある。

逆に、小さな企業ばかりの地域でも、それぞれが互いに仕入れ、仕事を発注し、そこで得た所得を地域内で消費する関係が厚ければ、一つの需要が複数の事業者へ波及していく。地域経済を強くするものは、企業の数だけでも、観光客の数だけでも、売上高だけでもない。企業と企業、人と企業、そして地域と外部を結ぶ取引の網そのものなのである。

ここまで来ると、「地域でお金を回す」という素朴な言葉が、少し違って見えてくる。

それは、千円札を町から逃がさない運動ではない。

町の外から所得を稼ぐ人がいて、その所得を受け取る人がいて、その人の支出を次の誰かの所得に変えられる産業や店があり、その所得がさらに別の仕事を生み出していく。経済学的に見れば、「お金を回す」とは、その連鎖をできるだけ途中で切れにくくすることである。

地域に必要なのは、高い塀を造ってお金を閉じ込めることではない。外へ向かって開いた入口を持ちながら、入ってきた所得がすぐに流れ去ってしまわないよう、町の中に細かな水路を張り巡らせることなのだろう。

夕方、町の食堂で誰かが千円札を一枚置いて席を立つ。その千円が翌日には魚屋へ渡り、その週末には理髪店へ渡り、その一部が電気工事店の仕事になり、やがてどこかで町の外へ出ていく。

地域経済の強さとは、おそらく、その一枚の千円札が町を出ていくまでの時間ではない。

その途中で、何人の仕事と所得を生み出せたかなのである。

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「今年は観光客が増えた」「過去最高の来訪者数になった」というニュースを聞けば、その地域の経済も活性化しているように感じる。

しかし、観光客が増えることと、地域が豊かになることは同じではない。

観光庁によれば、2025年の日本人国内旅行消費額は26兆7,845億円となり、2019年を22.1%上回った。国内旅行全体で見れば、旅行によって動く金額は非常に大きい。

それでも、観光地の住民から「観光客は増えたが、地域が豊かになった実感がない」という声が出ることは珍しくない。

なぜこのようなことが起きるのだろうか。

その理由を考えるためには、「何人来たか」ではなく、観光客が使ったお金が、どこへ流れ、最終的に誰の所得になったのかを見る必要がある。

観光客数と地域所得は別の指標である

地域の観光を考えるとき、最も分かりやすい数字は観光客数である。

年間100万人だった観光客が120万人になれば、20%増加したことになる。一見すれば大きな成果に見える。

しかし、地域経済への効果は人数だけでは決まらない。

単純化すれば、観光によって地域にもたらされる最初の消費額は、

観光消費額 = 観光客数 × 1人当たり消費額

と考えることができる。

例えば100万人が訪れ、1人平均1万円を使う地域なら、観光消費額は100億円である。

ところが、観光客数が120万人へ20%増えても、日帰り客が増えたため1人当たり消費額が7,000円へ下がれば、

120万人 × 7,000円 = 84億円

となる。

観光客は20%増えたのに、観光消費額は16%減ってしまう。

したがって、「観光客が何人来たか」という数字だけでは、地域経済への効果を判断することはできない。

日帰り観光と宿泊観光では経済効果が違う

この問題を考えるうえで重要なのが、滞在時間である。

観光客が地域を訪れても、数時間滞在して帰るだけなら、使われるお金は限られる。

駐車料金を払い、昼食を食べ、土産を一つ買って帰る観光と、ホテルや旅館に泊まり、夕食を食べ、翌朝も地域内で買い物をする観光とでは、一人の旅行者が地域に落とす金額が大きく異なる。

観光庁の2025年統計では、日本人国内旅行消費額26兆7,845億円のうち、宿泊旅行が21兆7,211億円、日帰り旅行が5兆634億円だった。もちろん旅行者数などの条件が異なるため単純比較はできないが、宿泊を伴う旅行が観光消費の重要な部分を占めていることは分かる。

地域側から見れば、重要なのは単純な「入込客数」だけではない。

何時間滞在したのか、宿泊したのか、何回食事をしたのか、地域内でどれだけ買い物をしたのか。

この違いによって、同じ100万人の観光客でも地域経済への影響は大きく変わる。

観光客が使った1万円が、そのまま地域の所得になるわけではない

さらに重要なのが、観光消費の「地域外への流出」である。

例えば観光客が地域のホテルで1万円を支払ったとする。

その1万円が、そのまま地域住民の所得になるわけではない。

ホテルが仕入れる食材が地域外から運ばれていれば、仕入代金は地域外へ流れる。電力や燃料の支払い先が地域外企業なら、その分も外へ出ていく。予約サイトへ手数料を支払えば、それも地域内には残らない。本社が別の都市にある企業なら、利益の一部が本社側へ移る場合もある。

環境省が行っている地域経済循環分析も、地域経済を見る際には「生産」「分配」「支出」の三面から所得の流出入を把握することを重視している。地域内で売上が発生したとしても、そのお金が地域外へ流出すれば、地域内の所得として残る割合は小さくなる。

そこで観光の経済効果をもう少し現実に近づけて考えるなら、

地域に残る所得 = 観光消費額 × 地域内に残る割合

という考え方が必要になる。

仮に観光客が年間100億円を消費しても、そのうち地域内に残る割合が30%なら、地域内に残る金額は30億円程度になる。

一方で観光消費額が80億円でも、地域内調達や地元経営の事業者が多く、60%が地域内に残れば48億円になる。

つまり、観光客の数が少ない地域の方が、場合によっては地域住民へ還元される経済効果が大きいことさえあり得る。

全国チェーンが繁盛しても地域経済への効果は限定されることがある

観光地に大型ホテル、全国チェーンの飲食店、小売店が進出すると、観光客にとっては便利になる。

雇用も生まれるため、地域にとって無意味ということではない。

ただし、「売上」と「地域所得」を区別する必要がある。

例えば1億円の売上がある店舗でも、商品の仕入れ、本部への支払い、設備、広告、各種サービスなどを地域外企業に依存していれば、売上の相当部分が地域外へ流れる。

反対に、地元の旅館が地元農家から野菜を買い、地元漁業者から魚を仕入れ、地域住民を雇用し、利益を地域内で再投資すれば、一つの観光消費が複数の地域住民の所得につながっていく。

重要なのは、「観光産業があるか」だけではなく、その観光産業が地域の他産業とどの程度結び付いているかである。

地元で仕入れると同じ1万円が地域内を何度も回る

地域経済を考えるうえでは、資金循環という考え方が重要になる。

観光客が地元経営の旅館へ1万円支払う。

旅館がその売上から地元農家へ食材代を払う。

農家が地元の商店で買い物をする。

商店が地域住民へ賃金を支払う。

このような取引が続けば、最初に観光客が持ち込んだお金が地域内で繰り返し使われる。

反対に、最初の取引の直後に地域外の会社へお金が支払われれば、地域内での循環はそこで止まる。

環境省が地域経済循環分析で「地域内の産業間取引」や「所得の流出入」を重視しているのも、この構造を見るためである。

したがって、観光による地域活性化を考える場合、

「観光客を100万人から120万人へ増やす」

という政策だけでなく、

「観光客が使った1万円のうち、地域内に残る金額を3,000円から5,000円へ増やす」

という政策も同じくらい重要になる。

場合によっては後者の方が、地域住民の所得を増やす効果は大きい。

観光客が増えても住民の賃金が上がらなければ豊かさは実感できない

もう一つの問題が雇用である。

観光業は宿泊、飲食、小売、清掃、輸送など多くの仕事を生み出す。

しかし、観光客増加によって企業の売上が増えても、それが地域住民の所得増加につながるとは限らない。

繁忙期だけの短期雇用が中心であったり、人手不足をパートタイム労働や地域外からの労働力で補ったりすれば、観光産業全体の売上増加と地域住民一人当たり所得の増加は一致しない。

地域住民にとって重要なのは「地域の売上が増えたか」ではなく、「安定した仕事が増えたか」「賃金が上昇したか」「地元企業の利益が増えたか」という問題である。

観光政策を評価するのであれば、観光客数だけでなく、観光関連雇用者の所得や地元企業への発注額まで見る必要がある。

観光には季節変動という弱点がある

海水浴場なら夏、紅葉の名所なら秋、スキー場なら冬というように、観光需要には強い季節性がある。

年間の観光客数が多くても、数か月間に需要が集中していれば、地域経済の安定した基盤にはなりにくい。

ホテルや飲食店は、繁忙期の需要に対応できる設備と人員を用意しながら、閑散期にはそれらを十分利用できない。

これは経営効率を悪化させる。

さらに、地域全体が観光に依存すると、天候、災害、感染症、景気、為替、交通事情といった外部要因の影響を受けやすくなる。

観光は地域経済にとって重要な産業になり得るが、「観光客さえ呼べば地域経済が安定する」というほど単純ではない。

観光客増加によって地域住民の負担が増えることもある

観光にはプラスの経済効果だけでなく、地域側のコストもある。

道路の混雑、ごみ処理、公衆トイレ、駐車場、警備、景観維持、公共交通の混雑などである。

観光客が増えれば、こうした行政サービスやインフラへの需要も増える。

その費用を観光関連収入だけで十分に賄えなければ、自治体の一般財源や住民の負担によって支えることになる。

国の観光政策でも現在は単純な観光客数の拡大だけではなく、「住民生活の質の確保との両立」やオーバーツーリズム対策が政策課題として位置づけられている。

観光客が増えた結果として地域住民の生活コストや行政負担まで増えるなら、観光による利益からそのコストを差し引いて考えなければならない。

本当に見るべきなのは「観光客数」ではなく「地域に残った所得」

ここまでを整理すると、観光客数から地域住民の豊かさに至るまでには、いくつもの段階が存在する。

概念的には、

観光客数 ↓ 観光消費額 ↓ 地域内売上 ↓ 地域内所得 ↓ 住民所得

という流れになる。

途中で地域外への資金流出が大きければ、最初の観光客数がどれほど多くても、最後の住民所得はそれほど増えない。

より現実的には、

地域への純効果 = 観光消費額 × 地域内循環率 - 観光による地域コスト

と考えた方が、地域経済の実態に近い。

この式で重要なのは、観光客数そのものが不要という意味ではない。

観光客数は「観光消費額」を決める一要素にすぎないということである。

小さな自治体ほど「人数を増やす観光」から転換する必要がある

人口減少地域では、観光客数を無制限に増やすことは現実的ではない。

宿泊施設にも飲食店にも交通にも人手が必要だからである。

人口が減少して働き手も減る地域で、大量の観光客を受け入れるモデルを追求すれば、やがて供給能力そのものが制約になる。

それならば、観光客の絶対数だけを競うより、長く滞在してもらうこと、宿泊してもらうこと、地域の飲食店を利用してもらうこと、地域産品を買ってもらうこと、地元事業者同士の取引を増やすことを重視した方が合理的である。

観光政策においても、単に旅行者数を増やすだけでなく、旅行消費額、地方への誘客、宿泊、観光産業の強化など、複数の指標を見る必要がある。

「100万人来た町」より「お金が残る町」

観光政策では、大きな数字が注目されやすい。

年間観光客100万人、前年比20%増、過去最高の宿泊者数。

こうした数字は成果を説明しやすい。

しかし、地域住民にとって本当に重要なのは、その結果として所得が増え、仕事が安定し、地域企業が存続し、自治体財政が改善したかどうかである。

極端に言えば、100万人の観光客が訪れても、その多くが短時間で通過し、地域外資本の店舗で消費し、ほとんどのお金が地域外へ出ていくのであれば、地域経済への恩恵は限られる。

反対に50万人しか訪れなくても、宿泊し、地域の店で食事をし、地元産品を買い、その売上が農業、漁業、商業、サービス業へと循環するなら、地域経済への効果は大きくなる。

観光で地域を豊かにするために必要なのは、単に人を集めることではない。

観光客が持ってきたお金を、どれだけ地域内に残し、地域の中で何度循環させられるか。

そこまで考えて初めて、「観光振興」が「地域経済の振興」になる。

観光客数は入口であって、目的ではない。

地域が本当に見るべき数字は、訪れた人数の向こう側にあるのである。

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