地域政経

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町議会、市議会議員の報酬は高すぎるのか、それとも安すぎて誰も立候補できないのか

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 地方議会の議員報酬ほど、見る場所によって値段の意味が変わるものは少ない。住民の側から見れば、「議会は一年中開かれているわけではないのに、毎月これだけ受け取るのか」という疑問が生まれる一方、四十代や五十代の会社員が仕事を辞め、四年後には落選して収入を失うかもしれない人生を選ぼうとすれば、「この金額で現在の仕事と将来を捨てられるのか」という、まったく反対の疑問が現れる。同じ二十万円、三十万円、四十万円という数字が、一方からは高く見え、もう一方からは安く見えるのである。

 この食い違いを、「議員はもらいすぎだ」「いや、報酬が低いから人が集まらない」という二つの主張に分けてしまうと、地方議会が抱えている問題の核心は見えにくくなる。本当に考えなければならないのは、議員一人がいくら受け取っているかだけではなく、その報酬水準によって、どのような人なら政治に参加でき、反対にどのような人が立候補する前から選択肢を失っているのかという問題だからである。

月二十万円台の町議は、本当に高給なのか

 全国町村議会議長会の調査によれば、令和七年七月時点の町村議会一般議員の平均報酬月額は二十二万二千七百四十円で、人口五千人未満の町村では十九万一千六百二十四円、人口二万人以上では二十七万三千三百四十円となっている。同じ町村議会でも人口規模による差はかなり大きく、全国平均の一つの数字だけで「町議はこの程度もらっている」と語ることには注意が必要である。

 市議会になると金額はさらに上がる。全国市議会議長会の令和七年十二月末時点の調査では、一般市議会議員の平均報酬月額は四十二万九千円、人口五万人未満の市では三十四万二千円、指定都市では七十八万九千円となっている。したがって「市議会議員」という名称が同じでも、人口数万人の小都市と数百万人規模の大都市では、報酬も仕事の規模も、議員一人が代表する住民数もまったく違い、町議会まで含めて地方議員を一つの職業のように扱うこと自体が、かなり粗い議論なのである。

 さらに、月額報酬だけを十二倍して議員の年間収入と考えるのも正確ではない。町村議会では六月と十二月に期末手当が支給される自治体がほとんどで、令和七年調査では年間平均支給率が三・六三月分となっている。平均月額二十二万二千七百四十円に十二か月と三・六三月分を単純に掛ければ約三百四十八万円となり、実際には多くの自治体で期末手当の算定基礎に加算措置も設けられているため、月額だけから「年収二百数十万円の仕事」と理解するのは実態を過小評価する。

 ここまでを見れば、「地方の所得水準を考えれば、それほど安くないではないか」という住民の感覚にも相応の根拠がある。特に人口の少ない地域では、年金生活者や非正規雇用者、所得の低い自営業者も少なくないため、公費から年間数百万円を受け取る議員を見て、それを「安い」と感じられない人がいるのは当然だろう。

 ところが、議員報酬の妥当性を一般の所得と比較するときには、数字の向きを反対側から見る必要もある。

議員報酬より高い「立候補の値段」

 たとえば四十五歳の会社員がいるとする。住宅ローンを払い、子どもの教育費を負担し、毎月の給与と賞与を受け取り、厚生年金にも加入しながら働いている。その人が地域の将来に危機感を持ち、「町議会議員になってみよう」と考えたとき、比較するのは議員報酬とゼロ円ではない。現在受け取っている給与、賞与、社会保険、退職金、昇進の可能性、会社員としての経験の蓄積、そして来年も再来年も仕事が続くという安定性と、議員になった場合の収入と将来を比較する。

 経済学では、何かを選ぶことによって失われる別の選択肢の価値を「機会費用」と考える。地方議員についても、この考え方は重要であり、同じ年間三百五十万円の報酬であっても、退職後の人にとっての三百五十万円と、年収六百万円の現役会社員にとっての三百五十万円では意味がまったく異なる。議員報酬の絶対額だけでは、立候補の経済的負担を測ることはできないのである。

 しかも地方議員は、四年ごとに選挙という審判を受ける。会社を辞めて初当選したとしても、四年後に再選される保証はなく、落選した時点で元の職場や元の待遇へ戻れる制度が一般的に保障されているわけでもない。この将来所得の不確実性まで考えれば、現役世代が議員になるために要求する報酬は、単純な現在所得との差額以上に大きくなる。

 ここで一つ注意しておきたいのは、会社員には選挙運動のための時間について一定の法的保護があることである。労働基準法上、法定の選挙運動期間中に選挙運動を行うため必要な時間を請求した場合、使用者は原則としてこれを拒むことができない。しかし、これは立候補準備から当選後の四年間の休職、任期終了後の復職まで一貫して職業生活を保障する制度ではないため、「会社を辞めずに地方議員になりやすい社会が完成している」という意味にはならない。

 したがって、地方議員のなり手不足を考えるとき、「報酬はいくらか」だけでは足りず、「議員になるために何を失わなければならないのか」まで見なければならない。

議員の高齢化は何を意味しているのか

 令和七年の町村議会議員の平均年齢は六十四・九歳で、六十歳代が三二・四%、七十歳代が三七・六%、八十歳以上も三・七%を占める。つまり町村議員のおよそ四人に三人が六十歳以上であり、女性議員の割合は一四・六%にとどまっている。また職業別では議員専業が二五・一%、農業が二三・七%を占めている。

 この数字から直ちに「報酬が低いから高齢者ばかりになった」と結論づけることはできない。地方そのものの高齢化、若者の都市流出、農業や自営業中心の地域産業構造、議員活動に必要な時間、地域社会における知名度や人間関係など、候補者の年齢構成を左右する要因は数多く存在するからである。また、報酬を上げれば女性議員や若年議員が自動的に増えるという強い実証的証拠が確立しているわけでもない。

 しかし、現役の会社員ほど議員になることで失う所得や職業上の安定が大きくなりやすいことを考えれば、報酬水準や兼業の難しさが候補者の構成に何らかの選別作用を及ぼす可能性は十分にある。ここで問題なのは、高齢の議員が多いこと自体ではなく、年齢や職業にかかわらず立候補したい人が競争できる制度になっているかどうかである。

選挙をしない町が増えている

 地方議会のなり手不足を最も分かりやすく表す数字の一つが、無投票選挙の増加である。全国町村議会議長会の集計では、平成二十三年五月から平成二十七年四月までに行われた町村議会一般選挙のうち無投票となった議会は二〇・四%だったが、その次の四年間には二一・九%、令和元年五月から令和五年四月までには二七・四%へ上昇した。さらに令和五年の統一地方選挙では、三百七十三町村のうち百二十三町村、実に三三・〇%が無投票となった。

 候補者数が議席数以下であれば、制度として議会は成立しても、住民には「誰を議員にするか」を選ぶ機会がない。選挙管理委員会もあり、議席もあり、任期もあるのに、候補者同士を比較して投票するという民主主義の競争部分だけが消えていくのである。

 では、その原因は議員報酬の低さなのだろうか。

 全国町村議会議長会の分析を見ると、無投票となった町村議会の一般議員平均月額報酬は約十九万五千五百円で、無投票ではなかった議会の約二十一万七千四百円より二万円余り低く、統計的にも有意な差が確認されている。したがって「報酬が低い自治体ほど無投票になりやすい傾向が存在する」というところまでは、データによってかなり強く支持されている。

 しかし、ここから「報酬が低いから無投票になった」と言い切ることはできない。無投票となる町村は人口規模が小さく、人口密度や産業構造、財政力、議員定数なども異なる場合が多く、人口減少が報酬水準と候補者不足の双方に影響している可能性もある。報酬、人口、定数などを組み合わせて無投票を説明した分析でも、モデルが説明できる変動は約五%程度にとどまっており、報酬だけで地方議会のなり手不足の大部分を説明できるわけではない。

 これは統計を読むうえで重要な違いである。「関係がある」ことと、「原因である」ことは同じではない。報酬が低い地域ほど無投票が多いという現象が確認されても、報酬を引き上げれば必ず候補者が増えるとは限らず、人口減少、若者流出、地域経済の縮小、選挙運動への負担、議員活動と本業との両立の難しさなどが複雑に重なっていると考える方が科学的には妥当である。

 したがって、報酬の低さは「なり手不足の原因」と断定するよりも、「なり手不足を構成する重要な要因の一つ」と捉えるのが適切だろう。

「議会に出る日数」で時給を計算してはいけない

 地方議員への批判でしばしば聞かれるのが、「議会は一年中開かれていないのだから、月に何十万円も払うのは高すぎる」という議論である。確かに、本会議への出席日数だけを数えれば、一般企業の年間勤務日数よりはるかに少ない自治体が多いだろう。

 しかし、この計算には分母の取り方に問題がある。

 地方議員の仕事には、本会議への出席だけでなく、予算書や決算書の分析、条例案の検討、委員会審査、一般質問の準備、行政への調査、住民相談、地域課題の把握などが含まれる。地方自治法でも、議会は地方公共団体の重要な意思決定を担う議事機関であり、議員は住民の負託を受けて職務を行う存在として位置づけられているため、議員を「議場に座っている時間だけ働く人」とみなすことは制度的にも適切ではない。

 とはいえ、ここで反対方向の誇張をしてもいけない。地方議員が年間何時間働いているかについて、全国の自治体を同じ方法で測定した精密な実働時間データが十分に整備されているわけではなく、非常によく調査して政策提言を続ける議員もいれば、住民から活動がほとんど見えない議員もいるだろう。したがって、「議員は実際には大変な長時間労働だから報酬は安い」と断定することも、「本会議の日数が少ないから実質時給は非常に高い」と断定することも、どちらもデータが足りない。

 合理的な結論はもっと地味であり、「本会議の開催日数だけから議員の実質的な時間単価を計算することはできない」ということである。

議員報酬を削れば、自治体財政は救われるのか

 議員報酬を上げようとすると、「人口が減り、財政も厳しい時代に、なぜ議員だけ給料を上げるのか」という反発が起きる。この感情には理解できる部分があるが、財政問題として考えるなら、自治体全体の歳出に対して議会関係費がどの程度を占めているのかも確認する必要がある。

 令和七年度当初予算の全国町村平均では、一般会計歳出は約八十五億一千二百万円、議会費は約八千五十三万円であり、構成比は〇・九%となっている。しかも、この議会費には議員報酬だけではなく、議会事務局職員の給与、共済費、旅費、委託費なども含まれているため、議員報酬だけを削減して自治体財政を劇的に改善することは数理的に考えにくい。

 たとえば一般議員十人の月額報酬を一人三万円ずつ引き下げ、期末手当も同じ割合で減ると仮定した場合、年間削減額は概算で五百万円弱となる。八十五億円規模の一般会計に対しては約〇・〇六%程度にすぎず、もちろん小さな金額だから無視してよいという意味ではないものの、自治体財政再建の主役になり得る規模でもない。

 むしろ考えるべきなのは、数百万円を節約することで議員への参入障壁が高くなり、その結果として数十億円規模の予算を監視する議会の競争性や専門性が弱くなった場合、本当に自治体全体として得をしたことになるのかという点である。議員報酬は政治家個人への給付であると同時に、行政を監視する人材を確保するための制度コストでもある。

 もちろん、だからといって「議会費は一%未満だから、報酬はいくら上げても問題ない」という結論にもならない。報酬を増やした結果として候補者が増え、議会活動が活発になり、行政監視が強化されるのでなければ、支出増加の合理性は弱い。財政負担が小さいことと、政策効果があることも、やはり別の問題である。

報酬を上げるだけでは、会社員は議場へ来ない

 地方議会のなり手不足を報酬だけで解決しようとすると、別の壁にぶつかる。仮に町議会議員の月額報酬を二十二万円から三十万円へ引き上げても、現在年収六百万円を得ている四十代会社員が、それだけを理由に会社を辞めて立候補するかと考えれば、答えは簡単ではない。

 地方議員は、議員という身分そのものによって厚生年金保険の加入資格が与えられているわけではなく、現在も地方議会関係団体から厚生年金制度への加入を求める要望が続いている。また、議員が当該自治体と行う請負については法改正によって一定の規制緩和が行われ、各会計年度に自治体から支払われる請負対価の総額が三百万円以下であれば規制の対象から除かれるようになったが、これも自営業者などの参入障壁を一部緩和する措置にすぎない。

 現役世代が政治に参加しやすくするには、報酬だけでなく、兼業のしやすさ、勤務先の休職制度、任期終了後の復職可能性、社会保険、育児や介護との両立、夜間・休日議会の活用などを含めて考える必要がある。地方議員のなり手不足は、給与問題というより、政治を一時的な職業として選んでも人生全体が破綻しにくい制度になっているかという、職業設計の問題でもある。

そもそも「高い」「安い」は何と比べるのか

 ここまで考えると、議員報酬について「高い」「安い」と言うためには、比較する物差しそのものを決めなければならないことが分かる。

 住民の立場から見た適正さを考えるなら、その地域で働く人の所得水準との比較が必要になる。年間三百五十万円の報酬は、平均年収六百万円の地域なら低く見えるかもしれないが、所得水準が大幅に低い地域では高く見える可能性がある。この意味では、住民が「議員はもらいすぎではないか」と感じることにも経済的な根拠がある。

 仕事の価値という観点から判断するなら、議員が実際に何時間活動し、どれだけの政策形成や行政監視を担っているかを測る必要がある。しかし、全国共通の実働時間データが十分でない以上、ここから正確な「議員の時給」を計算することは難しい。

 そして最も政策的に重要なのは、人材確保という観点である。報酬を一〇%上げた自治体で候補者数や選挙競争率がどの程度変化したのかを、似た条件の報酬を変えなかった自治体と比較できれば、報酬引き上げが本当に議員のなり手を増やすのかをより厳密に検証できる。地方議会の報酬問題には、このような実証研究がさらに必要なのである。

高すぎるのに、安すぎるという矛盾

 結局のところ、「地方議員の報酬は高すぎるのか、それとも安すぎるのか」という問いには、全国一律の答えは存在しない。

 人口数千人の町で年間数百万円の報酬を公費から支給することを高いと感じる住民の感覚には理由があり、同時に、安定した会社員が給与、賞与、厚生年金、昇進、退職金、そして四年後も働けるという職業上の安定を捨てる対価としては、その金額が低すぎるという判断にも合理性がある。

 つまり地方議員の報酬は、住民所得との比較では高く見える一方、現役世代を政治へ呼び込むための価格としては安くなり得る。この二つは矛盾しているように見えるが、比較しているものが違うため、同時に成立する。

 問題は、この二種類の「値段」を同じものとして議論してきたことにあるのかもしれない。

 報酬を下げれば、税金を節約したという分かりやすい成果を住民へ示すことができる。しかし、その金額では立候補できる人がさらに限られ、無投票選挙が増え、議会が地域社会の一部の属性だけで構成されるようになれば、節約した金額とは別の場所で民主主義のコストを支払うことになる。

 逆に報酬を上げるだけで活動内容を公開せず、議員個人による仕事量の差も検証せず、候補者が増えたかどうかも確かめないのであれば、それは単なる公費負担の増加に終わる可能性がある。必要なのは、報酬額だけを上下させることではなく、議員が何をしているのかを見えるようにし、その責任と活動に見合った報酬を設定すると同時に、会社員、自営業者、子育て世代などが職業人生を壊さず政治に参加できる仕組みを整えることである。

 無投票となる町村が珍しくなくなった現在、地方議員報酬は、もはや政治家が「いくらもらっているのか」というだけの話ではない。

 私たちが考えるべきなのは、その報酬で、どのような人なら議員になることができるのかということであり、さらに重要なのは、その報酬と制度のために、本来なら候補者になったかもしれないどのような人が、名前を投票用紙に載せる前に諦めているのかということである。

 地方議会の報酬を削ることは簡単である。しかし、候補者がいなくなった議会に、あとから競争を買い戻すことは難しい。

 議員報酬とは、政治家個人につけられた値札であると同時に、住民が「誰に地域を任せるのか」を選べる状態を維持するための費用でもある。地方から無投票選挙が増えているいま、私たちが決めようとしているのは、議員一人の給料だけではなく、民主主義にいくらまで払うつもりなのかという、もう少し大きな値段なのかもしれない。

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