地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

小泉進次郎はなぜ発言の一部分だけが政治家本人より有名になるのか

- Posted in 政治家論 by

 政治家とは、本来なら政策や実績によって記憶される職業のはずである。どの法律に関わり、どんな政策を進め、危機に際してどのような判断をしたのか。その積み重ねが政治家の評価になる、と私たちは考えている。ところが小泉進次郎という政治家には、少し違った現象が起きている。個別の政策について詳しく知らない人であっても、「進次郎構文」と呼ばれる独特の言い回しや、「セクシー」「プラスチックは石油」といった断片的な言葉なら知っていることがあるからだ。

 もちろん、「発言の一部分が本人より有名」という題名は、文字どおり発言の認知率が小泉進次郎本人の認知率を上回っているという意味ではない。そのような比較を直接行った調査が存在するわけでもない。ここで問題にしたいのは、政治家として何を行った人物なのかよりも、どのような言葉を話す人物なのかというイメージが先に想起されることがあるという、もっと奇妙な現象である。

 しかも、記憶されるのは長い演説や記者会見の全体ではない。一語、一文、あるいは十数秒ほどの短い部分である。政治家本人が何十分も話した言葉の森から一本の枝だけが折り取られ、その枝が繰り返し運ばれていくうちに、いつの間にか森そのものを代表するようになる。

 なぜこんなことが起きるのだろうか。単純に「小泉進次郎の発言がおかしいから」と片づけてしまえば話は簡単だが、それだけでは説明できない。そこには本人の話し方だけでなく、ニュースが言葉を短くする仕組み、SNS(Social Networking Service・交流型ソーシャルメディア)が特徴的な情報を増幅する仕組み、模倣したくなる言語の構造、そして一度抱いた人物像に合った情報を選んでしまう私たち自身の認知まで関係している可能性がある。

 小泉進次郎という政治家を見ているようで、実は私たちは、現代社会がどのようにして政治家のイメージを作るのかを見ているのかもしれない。

政治家の言葉が「発言」から「作品」に変わるとき

 政治家の発言の多くは、驚くほど記憶に残らない。「適切に対応する」「関係機関と連携する」「丁寧に説明する」といった表現は政治の世界では日常的に使われるが、その言葉だけが数年後まで語り継がれることはほとんどない。それは内容が正しいか間違っているかとは別の問題で、言葉の形そのものが私たちの予想の範囲内に収まっているからだろう。

 それに対して、小泉進次郎の一部の発言には、聞き手の耳がわずかに止まる特徴がある。意味が完全に分からないわけではないのに、普通ならそのようには言わない。説明しているようで同じ意味を繰り返していたり、抽象的な話の中に突然印象的な単語や数字が現れたりするため、「今の言い方は何だったのだろう」という小さな違和感が残るのである。

 この現象を考える上で興味深いのが、記憶に残る言葉についての計算言語学研究である。映画の台詞を分析した研究では、記憶されやすい台詞は、完全に奇妙で理解不能なのではなく、文章構造は比較的分かりやすい一方、使われている言葉には通常より少し特徴がある傾向が報告されている。もっとも、これは映画の台詞を対象とした研究であり、その結果をそのまま日本の政治家の発言へ適用することはできない。それでも、「意味は分かる。しかし少し変だ」という言葉が記憶されやすい可能性を考える上では、小泉氏の現象と興味深く重なる。

 完全に意味不明な文章なら、人はそのまま忘れてしまうかもしれない。しかし、意味は理解できるのに何か引っ掛かる文章は、他人に伝えたくなり、他人へ伝えるときには長い会見をすべて再現する必要はなく、最も特徴的だった一部分だけを切り出せばよい。

 この瞬間、政治家の発言は政策説明であるだけでなく、引用し、笑い、批評し、再利用できる小さな「作品」に変わる。

「セクシー」という一語が独り歩きした理由

 象徴的なのが、2019年の気候変動対策をめぐる「セクシー」という発言である。小泉氏は国際的な場で、気候変動問題への取り組みについて、楽しく、クールで、セクシーでなければならないという趣旨を英語で述べた。

 日本語で「セクシー」と聞けば、多くの人は性的な意味をまず思い浮かべる。しかし英語の「sexy」には、人を引きつける、魅力的であるといった比喩的な用法も存在するため、この発言を単純に「環境政策を性的だと言った」と理解するのは正確ではない。

 ところが、日本国内で広く流通したのは、発言全体の趣旨よりも「環境問題をセクシーに」という強烈な組み合わせだった。一語だけ取り出しても意味が成立し、その一語だけで違和感と面白さが生まれるためである。

 ここで重要なのは、小泉氏が何を意図したかと、社会が何を記憶したかが一致していないことである。政治家は一つの文脈の中で話すが、受け手は必ずしもその文脈ごと記憶するわけではなく、そこに強い単語が一つあれば、その言葉だけが外へ運び出され、やがて元の文章より長く生き続けることがある。

「プラスチックは石油」も文脈を外れると別の文章になる

 「プラスチックは石油」という趣旨の発言も同じ構造を持っている。ネット上では、あまりに当然のことを重大な発見のように語った発言として紹介されることが多い。

 しかし、環境省の公式な記者会見記録を見ると、小泉氏はプラスチック削減、代替素材、循環型経済、脱炭素、化石燃料輸入によって国外へ流れる資金などを説明する中で、「プラスチックはもともと石油ですから」という趣旨の話をしている。少なくとも、この会見について「プラスチックが石油から作られていることを小泉氏が初めて知った」と解釈するのは文脈上無理がある。

 一方で、ラジオ番組など別の場でも、プラスチックと石油の関係を強調した発言が知られている。そのため、ネット上に流通するさまざまな文章を一つの発言として扱うことにも注意が必要である。

 ここには、現代の情報環境の特徴がよく表れている。長い政策説明は文脈を必要とするが、SNS上で広がる短い言葉には文脈がなくてもよく、むしろ笑いや批判の材料として使うなら、長い前後関係は邪魔になることさえある。何分もの会見映像を見るには時間がかかるが、一文なら数秒で読め、一文になれば画像にも字幕にも引用にもできるため、情報量は減っているはずなのに、拡散する力は逆に強くなるのである。

「今のままではいけない」は、慎重に扱う必要がある

 進次郎構文の代表例として頻繁に紹介されるのが、「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」といった形の発言である。

 しかし、この言葉については注意が必要だ。ネット上に広がった短い映像の後にも発言が続いていたとする指摘があり、現在広く知られている部分だけを、小泉氏がその場で話した内容のすべてであるかのように扱うことには慎重でなければならない。

 これは「メディアが意図的に意味のない発言に加工した」と断定できるという意味でもない。完全な一次映像と編集過程を確認せずに、切り抜きの意図まで推測することはできないからである。

 むしろ、この不確実性自体が重要なのかもしれない。何年も流通を繰り返した短い言葉は、やがて元の発言がどのような文脈だったかという問題から離れ、「小泉進次郎なら言いそうな文章」として記憶されていき、本物の発言と、それを説明する文章と、後から作られた模倣文が同じ場所で混ざり始めるからである。

本人が言っていない「小泉進次郎」まで生まれる

 進次郎構文という現象が本当に面白くなるのは、ここからである。ある政治家の特徴的な話し方が広く知られると、人々は本人の発言を引用するだけでなく、その人物なら言いそうな文章まで作り始める。「今日は暑いですね。暑いということは、気温が高いということです」といった形で、同じ意味を言い換えて繰り返せば、それらしい文章が誰にでも作れる。

 ネット上には、この種の創作された進次郎構文が大量に存在する。その結果、本人が実際に話した文章と、誰かが後から作った文章の境界が分かりにくくなっている。

 これは政治家にとって不思議な状態である。普通、政治家の新しい言葉を生み出せるのは本人だけだが、「構文」になった瞬間、本人が沈黙していても新しい発言らしきものが作られ、本人の言葉だったものが、みんなで遊べる言語形式へ変わったのである。

 落語家には話芸があり、小説家には文体があり、漫画の登場人物には決まり文句がある。それとまったく同じではないにしても、小泉進次郎という現役政治家の名前が、一種の文章形式を表す言葉としてまで使われるようになったことは、現代日本政治の中でも目立つ現象である。

「発言したから構文になった」から「構文だから発言が探される」へ

 最初は、小泉氏の特徴的な発言が存在したから「進次郎構文」という言葉が生まれたのだろう。

 しかし、一度「進次郎構文」という型が社会に共有されると、因果関係が少し変わる可能性がある。今度は大量の発言の中から、「これは進次郎構文らしい」と感じられる部分が探され、切り出され、拡散されやすくなるからである。

 ここには、Confirmation Bias(確証バイアス・自分がすでに持っている考えと一致する情報を重視しやすい心理傾向)に近い作用を考えることができる。ただし、小泉氏についてこの心理効果が直接実験で証明されたわけではないので、「必ずこの心理現象が起きている」と断定することはできない。それでも、人間が既存の人物像に合う情報へ注意を向けやすいという一般的な認知特性は、「進次郎らしい発言」だけが集まりやすくなる現象を説明する一つの有力な仮説になる。

 逆に、小泉氏が普通に政策を説明している長い部分は話題になりにくい。「今日の小泉進次郎は普通に説明していました」という情報には驚きがなく、わざわざ共有する動機も小さいため、この結果、ネット上に残っていく小泉進次郎の言葉は、本人の全発言から無作為に選ばれた標本ではなく、「小泉進次郎らしいと思われた部分」が過剰に集まった標本になりやすい。

もし全発言の5%しか「進次郎構文らしく」なくても

 この問題は数理的に考えると分かりやすい。仮に、ある政治家が100個の発言をし、そのうち「進次郎構文らしい」と感じられる特徴的な発言が5個しかなかったとしよう。残る95個は普通の政策説明である。

 もし普通の発言が平均して1回分の拡散力しか持たない一方、特徴的な5個だけが平均10倍拡散されたとすると、社会に流通する情報量は、普通の発言が95に対して、特徴的な発言が50となる。

 本来は全体の5%にすぎなかった特徴的な発言が、人々が目にする発言の中では約34%を占めることになる。さらに特徴的な発言だけが20倍拡散されれば、普通の発言95に対して特徴的発言は100となり、観測される情報の約半分が、実際には全発言の5%にすぎなかった種類の発言になる。

 もちろん、これは小泉氏の実際の発言を測定した数字ではなく、仕組みを説明するための仮想例である。しかし重要なのは、情報の種類によって拡散率が違えば、「本人が実際にどのくらいそのような話し方をしているか」と「社会がどのくらいそのような発言を見るか」は大きく異なり得るということだ。

 統計学では、このように特定の特徴を持つ情報だけが選ばれて観測されることをSelection Bias(選択バイアス・特定の情報だけが選ばれることで全体像が歪む現象)の一種として考えることができる。この視点から見ると、私たちがネット上で見ている「小泉進次郎」は、本人の発言全体そのものではなく、拡散されやすさというフィルターを何度も通過した後の小泉進次郎なのである。

SNSはすべての言葉を公平に運ばない

 SNSは、政治家の発言を均等に運んでいるわけではない。実際の研究でも、SNS上では否定的な感情を含む情報が共有されやすい傾向や、著名人についてその傾向が強くなる場合があることが報告されており、大量のニュース記事とSNS投稿を分析した研究でも、否定的な内容の記事の方が共有されやすいという結果が示されている。

 もっとも、進次郎構文を単純に「否定的な情報」と分類することはできない。そこには批判だけでなく、笑い、驚き、皮肉、言葉遊びも含まれているからである。

 それでも、こうした研究から少なくとも言えるのは、SNSには「社会で発生した情報を公平な割合で保存する仕組み」がないということだ。面白いもの、驚くもの、怒りを呼ぶもの、誰かに見せたくなるものが選ばれて増幅されるため、政治家が100の言葉を発しても、その100が同じ確率で私たちのところへ届くわけではないのである。

繰り返し見れば「本当」に感じるのか

 では、進次郎構文を何度も見れば、「小泉進次郎はこういう政治家だ」という認識まで自動的に強くなるのだろうか。ここは慎重に考える必要がある。

 心理学にはIllusory Truth Effect(錯誤真実効果・同じ情報を繰り返し見ることで、その情報をより真実らしく感じる傾向)として知られる現象があり、多くの研究を統合した分析でも一定の効果が確認されている。

 しかし、政治や社会に関する意見については事情が単純ではない。近年の研究では、社会的・政治的な主張を繰り返し提示しても、その主張を真実だと感じる程度が明確には高まらなかったという結果も報告されている。

 したがって、「進次郎構文を何度も見ると、人は小泉進次郎を能力の低い政治家だと信じるようになる」といった因果関係まで断定することはできず、むしろ確実に言いやすいのは、繰り返し見かけることで「小泉進次郎といえば進次郎構文」という連想そのものが維持されやすくなるという程度だろう。政治家への評価と、政治家について何を思い出すかは、同じ問題ではない。

笑われる政治家は、忘れられにくい政治家でもある

 ここに、小泉進次郎という政治家の奇妙な位置がある。政治家は日々批判されるが、多くの批判は数日で忘れられる一方、言葉遊びとして再利用できる発言は、新しい出来事がなくても生き残ることができる。

 進次郎構文には、政治的立場を越えて共有される可能性もある。小泉氏を支持しているかどうかとは別に、「これは進次郎構文っぽい」と楽しむことはできるからであり、その意味で、小泉氏は知名度という点では特殊な強さを手に入れたとも言える。

 しかし、それは政治家にとって必ずしも望ましいことではない。名前は忘れられないのに政策が思い出されるとは限らず、政治家として何を実現した人物なのかより、「何か変わったことを言う人」というイメージの方が強く残れば、知名度と政治的評価はまったく別の方向へ進むことになるため、有名になることと正確に理解されることは同じではないのである。

本人にも言葉を選ぶ責任がある

 もっとも、この現象をすべてテレビやSNSの責任にするのも公平ではない。政治家、とりわけ大臣には、自分の政策を具体的で誤解されにくい言葉で説明する責任があり、抽象的な表現、印象的な比喩、独特な言い回しを多用すれば、その一部分だけが独立して歩き出す危険は高くなる。

 小泉氏自身の話し方が、進次郎構文という現象の出発点になったことまで否定する必要はないだろう。しかし同時に、その一部分がどの程度本人の話し方全体を代表しているのかは別問題であり、実際に発した言葉であっても前後を取り除けば意味が変わることがあり、さらにネット上では本人が言っていない創作まで混ざる。

 だから政治家を評価するなら、「その言葉は本当に本人が言ったのか」「前後には何を話していたのか」「一部分だけを見て全体を判断していないか」という確認が必要になる。

小泉進次郎は「短い言葉の時代」を可視化した

 小泉進次郎という現象は、一人の政治家の話し方を笑うだけで終わらせるには惜しい。かつて政治家の言葉は新聞記事の文章として伝わり、その後、テレビニュースの数十秒の映像になり、現在ではSNSの短い動画、一枚の画像、一文だけの投稿へと圧縮され、最後には本人の発言すら必要としない「構文」にまでなる。

 情報は短くなるたびに文脈を失うが、同時にコピーしやすくなり、共有しやすくなり、別の場面へ転用しやすくなる。ここには、情報量が少なくなるほど、社会の中での存在感が大きくなることがあるという一つの逆説がある。

 政治家が一時間説明した政策より、その途中の十秒の言葉が何百万回も見られるなら、私たちの頭の中に形成される政治家像を決めるのは、一時間の全体ではなく十秒の方になり得る。小泉進次郎は、その構造がとりわけ分かりやすい形で現れた政治家なのかもしれない。

「もう一人の小泉進次郎」を作っているのは誰なのか

 小泉進次郎の一部の言葉が本人から離れて有名になった理由を、一つの原因だけで説明することは難しい。本人の独特な言葉遣いがまずあり、それをテレビやネットが短く切り出し、SNSが特徴的なものほど繰り返し運び、人々が面白がって模倣し、やがて「進次郎構文」という型が生まれ、その型が広く知られるようになると、今度は大量の発言の中から、その型に合う発言がさらに見つけ出されやすくなる。

 そこには政治家本人の言葉、メディアによる選択、SNSの拡散構造、言葉遊びを好む人間の文化、そして既存の人物像に合った情報を選びやすい認知の性質が重なっている。ただし、これらの一般研究が小泉進次郎という一人の政治家について因果関係を直接証明したわけではなく、ここで述べてきたのは、確認できる事実と、言語学・心理学・情報科学・統計学から考えられる有力な説明を組み合わせた分析である。

 それでも、この現象から一つだけ確かなことが見えてくる。政治家のイメージを作っているのは政治家本人だけではなく、本人が言葉を発し、メディアがその一部を選び、SNSがそれを運び、私たちが面白いものだけを覚えるという過程を何度も通った末に、現実の政治家とは少し違う「もう一人の政治家」が社会の中に出来上がる。

 小泉進次郎の場合、そのもう一人の政治家には、「進次郎構文」という名前まで付いた。

 だから本当に興味深い問いは、「小泉進次郎はなぜこんな話し方をするのか」だけではない。何十分、何時間にも及ぶ彼の発言の中から、なぜ私たちはその一文だけを覚え、別の一文を忘れたのか。その問いを突き詰めると、見えてくるのは小泉進次郎という一人の政治家よりも、短い言葉を選び、繰り返し、そこから人物全体を理解した気になりやすい、私たち自身と現代の情報社会なのである。

九条レオンリベラル文庫の記事をさらに読む

九条レオンの文学・文芸に関する記事をまとめています。

リベラル文庫のページを見る