地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

地方社会の構造を読み解くシリーズ

地方社会の構造を読み解くシリーズ

 「自民党をぶっ壊す」。小泉純一郎という政治家を語るとき、今もこの強烈な言葉が思い出される。ただし、正確に言えば、小泉が訴えた論理は「自民党を変える。変わらなければぶっ壊す」というものだった。自民党という政党そのものを消滅させると言ったわけではなく、変化を拒む古い自民党ならば壊してでも改革するという意味であり、この違いを押さえておかなければ、その後に起きた政治の逆説も見えにくくなる。

 2001年、小泉は自民党総裁となり、内閣総理大臣に就任した。それから4年後の2005年、郵政解散によって行われた衆議院総選挙で、自民党は296議席を獲得する歴史的な大勝を収めた。2003年の237議席から59議席も増え、公明党と合わせた与党は327議席に達したのである。「自民党を変える。変わらなければぶっ壊す」と訴えて登場した政治家が、結果として自民党に巨大な議席をもたらしたのだから、表面だけを見れば奇妙な話に見える。

 では、小泉純一郎は結局、自民党を壊したのではなく、むしろ強くした総理だったのだろうか。この問いは、2005年の296議席だけを見れば簡単に答えられそうだが、実際にはそれほど単純ではない。なぜなら、小泉が弱めようとした自民党の「強さ」と、小泉時代に新たに生まれた自民党の「強さ」は、同じものではなかったからである。

小泉が壊そうとしたのは自民党そのものではなかった

 戦後長く政権を担ってきた自民党は、単純な一枚岩の政党ではなかった。党内には複数の派閥が存在し、その周囲には農業団体、建設業界、医療関係団体、商工団体をはじめとするさまざまな組織が結びついていた。政治家は選挙区へ予算や政策を持ち帰り、支持者や業界団体は選挙で政治家を支え、派閥は所属議員を支援しながら総裁、大臣、党役員などのポストを競う。現在の感覚では古い政治に見えるが、こうした複雑な利害調整の仕組みそのものが、自民党の長期政権を支えていた。

 この仕組みには欠点もあった。政策決定が遅れ、改革が必要だと分かっていても、影響を受ける業界や議員への配慮によって抜本的な変更が難しくなる場合がある。しかし、その反面、自民党内部に異なる価値観や利害を抱え込み、対立を党内で調整できるという利点もあった。財政支出を増やしたい政治家も、財政規律を重視する政治家も、農村を重視する政治家も、都市部を重視する政治家も、一つの政党の中に存在することができたのである。

 小泉が強く批判したのは、まさにこの仕組みだった。政策を実行する前に派閥や業界団体へ配慮し、党内調整を重ねなければならない政治では、大きな改革は進まないと考えたからである。したがって、小泉の「自民党を変える」という主張は、自民党という政党の看板を消すことではなく、長年続いてきた党内調整型、利益配分型の政治を変えることに向けられていたと考える方が実態に近い。

小泉以前から始まっていた自民党の変化

 ただし、ここで注意しなければならないのは、自民党の構造変化をすべて小泉一人の功績、あるいは責任と考えてはいけないということである。日本政治では1990年代から大きな制度改革が進められており、その段階ですでに自民党の権力構造は変化し始めていた。

 特に重要だったのが、1994年の政治改革によって導入された小選挙区比例代表並立制である。それ以前の中選挙区制では、一つの選挙区から複数の議員が選ばれるため、自民党の候補者同士が同じ選挙区で競争することも珍しくなかった。そのため、候補者は党の看板だけではなく、派閥や後援会、業界団体など自前の支持組織を必要としていた。

 ところが小選挙区制では、基本的に一つの選挙区から一人しか当選できない。そのため、どの人物を党の候補者として公認するかという党執行部の権限が以前より重くなる。政治資金制度の改革や政党交付金の導入も、派閥や個々の政治家より政党本部の重要性を高める方向に作用した。

 つまり、小泉が登場する以前から、日本政治には「派閥や個人中心の政治」から「党執行部や党首中心の政治」へ移る制度的な流れが存在していたのである。小泉はこの流れを一人で作った人物ではない。しかし、その新しい制度を誰より大胆に利用し、政治の表舞台で目に見える形にした人物ではあった。

2001年、自民党内部から自民党改革を訴える

 小泉の政治手法は、総裁になる過程からすでに従来型とは異なっていた。2001年の自民党総裁選では、地方の党員票で小泉への強い支持が示され、それが国会議員の投票行動にも大きな影響を与えた。

 ここには、小泉政治を理解する重要な特徴がある。小泉は自民党内部の派閥だけを相手に総裁の座を争ったのではなく、自民党に不満を持つ党員や一般の有権者へ直接訴えかけ、その世論を党内政治へ持ち込んだのである。制度上、日本の総理大臣を国民が直接選ぶわけではないが、政治的には、党首が世論を背景に党内を統率する性格が以前より強く表れるようになった。

 従来型の自民党では、総理大臣であっても党内の派閥や有力者を無視することは難しかった。これに対して小泉は、「国民が改革を支持している」という世論を一つの政治資源として利用し、党内の反対勢力を押し切ろうとした。党内の力関係だけではなく、党の外にある世論を使って党内政治を動かす。この手法が、後の郵政解散で最も劇的な形を取ることになる。

郵政民営化は政策であると同時に政治の物語になった

 2005年、小泉政権最大の争点となったのが郵政民営化だった。郵政事業を民営化するという政策の是非については、当時もさまざまな議論があり、現在から振り返っても評価は一つに決められない。しかし、政治史として重要なのは、その制度設計以上に、小泉がこの問題をどのような政治的構図へ変えたかである。

 郵政民営化法案に自民党内部から反対者が出ると、小泉は彼らを単なる政策上の異論を持つ仲間として処理しなかった。参議院で法案が否決されると衆議院を解散し、郵政民営化に反対した自民党議員の一部を公認せず、その選挙区へ別の候補者を擁立した。後に「刺客候補」と呼ばれた人々である。

 この瞬間、本来ならば「与党対野党」となるはずの総選挙に、別の対立軸が生まれた。「小泉対抵抗勢力」である。

 この構図は極めて強力だった。政権与党である自民党は、本来なら長期政権に対する不満を受ける側にいる。しかし小泉は、自民党総裁でありながら自民党内部の古い勢力と戦う改革者として振る舞ったため、政治を変えたいという有権者が必ずしも野党へ向かわなくてもよくなった。政権交代をしなくても、小泉を支持すれば自民党内部から政治を変えられるという選択肢が提示されたのである。

 これは、自民党が政権与党でありながら、同時に改革勢力として振る舞えるという不思議な政治構図だった。長期政権の責任を負う側でありながら、既存政治と戦う側にも立つことができる。この二重性によって、小泉は政権への不満の一部まで自民党自身の票へ取り込むことに成功したと考えられる。

テレビ政治が作ったのか、それともテレビが映しやすかったのか

 2005年の選挙は「劇場型政治」と呼ばれることが多い。郵政民営化という政策を中心に、「改革する小泉」と「改革に抵抗する勢力」という分かりやすい物語が形成され、テレビでも連日のように報道された。

 ただし、ここで「テレビが小泉を勝たせた」と断定するのは慎重でなければならない。政治学的には、メディア接触と政治意識の間に一定の関連が確認される研究がある一方で、テレビ報道そのものが投票行動を直接変えたという因果関係を完全に証明することは難しい。

 それでも、小泉政治がテレビという媒体と非常に相性がよかったことは確かだろう。郵政制度の詳細な設計を長時間説明するより、「改革か抵抗か」という構図の方が映像として伝えやすく、新しい候補者が登場し、旧来の自民党議員と対決する構図はニュースにもなりやすかった。小泉自身も長い政策説明より、短く印象に残る言葉を使うことに長けていたため、政治が制度の議論であるだけでなく、一つの物語として国民へ届くようになったのである。

296議席は何を意味していたのか

 2005年総選挙で、自民党は296議席を獲得した。2003年の237議席から59議席増えたのであるから、選挙結果だけを見れば圧倒的な勝利だった。

 しかし、この数字をそのまま「自民党への支持が59議席分増えた」と考えることはできない。2005年の自民党の小選挙区得票率は半数を超えていなかったにもかかわらず、小選挙区では全議席の7割を超える議席を獲得した。小選挙区制では、わずかな得票率の差が大きな議席差へ拡大されることがあり、2005年選挙ではこの制度的な増幅効果も強く働いたからである。

 したがって、小泉が自民党を強くしたかどうかを議席数だけで測るのは危険である。より正確に言えば、小泉は自民党への支持を広げると同時に、小選挙区制の特徴を最大限に生かして、その支持を巨大な議席へ変換することに成功した。

 それでも296議席という結果が持つ政治的意味は大きかった。選挙に勝ったことで、小泉は党内で圧倒的な正統性を得たからである。郵政民営化に反対していた勢力は政治的に弱まり、総理と党執行部の政策決定力は強くなった。選挙で得た国民の支持が、そのまま党内統率の力へ変換されたのである。

小泉が強くしたのは「どの自民党」だったのか

 ここで初めて、「小泉は自民党を強くしたのか」という問いをより正確に考えることができる。

 自民党の「強さ」にはいくつもの種類がある。選挙で票を集める力、議席を獲得する力、総裁が党を統率する力、政策を実行する力、地方組織を維持する力、業界団体との関係を保つ力、さらに党内の異なる意見を調整する力まで含めれば、「強い政党」という言葉は一つの数字では測れない。

 小泉時代に明らかに強まったのは、総裁の指導力、選挙で争点を設定する力、公認権を使って候補者を統制する力、そして党首人気を全国的な議席へ変える力だった。それまでの自民党が地域組織、後援会、業界団体、派閥など無数の小さな力を積み重ねて強さを作っていたとすれば、小泉時代には総裁を中心として全国の支持を一気に集約する能力が大きくなった。

 一方で、従来型の自民党が持っていた別の強さまで同時に増したとは言えない。地方組織や業界団体との長期的な関係、党内に異論を抱え込みながら調整する能力、複数の派閥が相互に牽制することで権力を分散させる仕組みなどは、むしろ相対的に弱くなった面がある。

 つまり、小泉時代に起きたのは自民党の単純な強化ではなく、強さの種類そのものの変化だったのである。

「抵抗勢力」を切る政治には強さと弱さが同居する

 小泉政治の特徴の一つは、複雑な党内対立を「改革する側」と「抵抗する側」に分けたことだった。この方法は有権者にとって非常に分かりやすく、政治決定を加速させる効果もあったが、その一方で、現実の政策には単純な賛成と反対だけでは整理できない問題も多い。

 郵政民営化そのものには賛成でも制度設計には反対する人がいるかもしれないし、改革の必要性を認めながら地域経済への影響を心配する政治家もいる。そのような中間的な立場まで「抵抗勢力」という一つの言葉にまとめれば、政治は分かりやすくなる反面、異なる意見を調整する余地は狭くなる。

 古い自民党の派閥政治には多くの問題があったが、それでも異なる利益を党内に抱え込み、時間をかけて妥協点を探す機能を持っていた。小泉政治はその調整過程を短縮し、総裁の判断によって政策を前へ進める力を強めたが、それは同時に、党内で意見を調整する能力を弱くする可能性も持っていたのである。

 会社に例えれば、会議ばかりで決定が遅い企業に強力な社長が現れ、「改革に反対する者には構わず進める」と宣言すれば、意思決定は劇的に速くなるだろう。しかし、その会社が長期的にも強くなったかどうかは別問題である。社長がいる間は動いても、組織内部で異なる意見を調整する仕組みが失われていれば、その人物が去った後に不安定になる可能性があるからである。

2009年の敗北を小泉改革だけで説明することはできない

 小泉は2006年に総理を退任した。そのわずか3年後の2009年衆議院総選挙で、自民党は119議席まで減少し、民主党に政権を明け渡した。2005年に296議席を獲得した政党が、4年後には119議席まで落ち込んだのである。

 この落差だけを見れば、小泉時代に作られた自民党の強さは一時的なものだったと考えたくなる。しかし、2009年の敗北を小泉改革だけの結果として説明することはできない。小泉退任後には安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と短期間で総理大臣が交代し、政権運営に対する不信が強まった。世界金融危機による経済環境の悪化もあり、民主党に対して「一度政権を担当させてみよう」という期待も広がっていた。

 さらに、自民党の伝統的な支持構造の揺らぎ自体は、小泉政権以前の1990年代から始まっていた。したがって、2009年の政権交代を「小泉が自民党を壊した結果」と一直線に結びつけるのは、因果関係を単純化しすぎている。

 それでも2005年と2009年を並べると、重要なことが見えてくる。小選挙区制の下では、比較的小さな得票率の変化が巨大な議席変動へ拡大される。さらに、固定的な支持組織より党首や政党イメージに左右される有権者が増えれば、支持が集まったときには大勝できる反面、支持を失ったときには大敗する危険も大きくなる。2005年の296議席と2009年の119議席は、その振幅の大きさを象徴していたとも考えられる。

小泉は「自民党の勝ち方」を作り替えた

 ここまで考えてくると、小泉純一郎を「自民党を強くした総理」と単純に呼ぶことも、「自民党を壊した総理」と呼ぶことも、どちらも十分ではないことが分かる。

 小泉が大きく変えたのは、自民党という組織そのもの以上に、自民党の勝ち方だった。

 かつての自民党は、地方の後援会、農業団体、業界団体、派閥、公共事業などを通じて支持を積み上げ、その総和として全国選挙に勝っていた。小泉時代には、そうした仕組みが完全に消えたわけではないが、その上に別の勝ち方が加わった。総裁が全国共通の争点を設定し、党の公認権を使って候補者を統制し、メディアを通じて有権者へ直接訴え、無党派層を含む大量の票を一気に動かす政治である。

 これは自民党の「組織の厚み」に依存する政治から、「党首を中心とした集中力」を利用する政治への重心移動だった。

 この変化は強さを生んだが、同時に新しい弱さも生んだ。地方組織や固定支持層に支えられた政党は急激には崩れにくいが、党首の人気や政党イメージに依存する政治では、世論の変化によって支持が大きく動く可能性がある。強い指導者の下では非常に強くても、その人物が去れば同じ力を維持できるとは限らない。

「自民党を壊す」という言葉が本当に意味したもの

 小泉純一郎の政治を振り返ると、「自民党を変える。変わらなければぶっ壊す」という言葉は、単なる選挙向けの刺激的な標語だったとは言い切れない。

 小泉は自民党を離れて別の政党を作ったわけではなかった。自民党の中に残り、自民党総裁として自民党内部の古い仕組みを攻撃し、その攻撃によって自民党への支持を集めた。普通なら政権への不満は野党への支持につながるはずだが、小泉は自民党内部に「改革する自民党」と「改革に抵抗する自民党」という対立を作り、政治を変えたいという有権者のエネルギーまで政権与党へ引き寄せたのである。

 それは、日本政治では極めて珍しい成功だった。

 しかし、その成功が残した問いは今も消えていない。政党の強さとは、選挙で多くの議席を取ることなのか、全国に安定した支持組織を持つことなのか、異なる意見を内部で調整する能力なのか、それとも強い指導者の下で迅速に政策を実行できることなのか。どの基準を採用するかによって、小泉政治への評価は変わる。

 少なくとも2005年の選挙を見る限り、小泉は自民党の選挙力と総裁の統率力を大きく高めた。しかし同時に、派閥や業界団体を介した従来型の調整政治を弱め、自民党が長い時間をかけて形成してきた強さの一部を変質させた。そのため、小泉を「自民党を強くした総理」とだけ評価するのも、「自民党を壊した総理」とだけ評価するのも、歴史を単純化しすぎている。

 より実態に近いのは、小泉純一郎が「古い自民党の強さを壊しながら、新しい自民党の強さを作った総理だった」と考えることである。

 「自民党をぶっ壊す」という言葉だけを聞けば、失敗した宣言のようにも見える。自民党は消滅するどころか、その後も日本政治の中心にあり続けたからである。しかし、自民党が何によって選挙に勝ち、誰が党を動かし、どのように有権者へ訴えるのかという仕組みまで含めて考えるなら、小泉の言葉は意外なほど現実になったとも言える。

 彼が壊したのは自民党という名前ではなかった。壊したのは、長年当然だと思われていた自民党政治の一部であり、その跡に現れたのは、より党首の力が強く、より全国的な世論に敏感で、より大きく勝つことも大きく負けることもあり得る自民党だった。

 その意味で、小泉純一郎は「自民党を壊して弱くした総理」でも、「自民党を守って強くした総理」でもない。自民党の強さそのものの形を作り替えた総理だったのである。

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 「派閥政治をなくせば、日本の政治はもっと良くなる」。そう言われると、ほとんど反論の余地がないようにも聞こえる。派閥という言葉には、政策を競い合う議員集団というより、料亭での密談、総裁選の票読み、派閥順送りの人事、そして政治資金をめぐる不透明な関係といった、いささか古びた永田町の風景が重なっているからだ。自民党派閥の政治資金をめぐる問題が大きく表面化した後では、なおさら「派閥をなくす」という言葉そのものが政治改革を意味するようになった。

 実際、自民党は2024年以降、従来型の派閥から資金と人事の機能を切り離す改革を進めてきた。政治資金制度についても、政党などが議員個人に資金を渡し、その最終的な使途を明らかにしない、いわゆる政策活動費を禁止する改正政治資金規正法が2026年1月1日に施行された。少なくとも制度の表面だけを見れば、日本政治は長く続いた「派閥ありき」の政治から一歩離れようとしているように見える。

 ところが、政治というものは看板を外しただけでは終わらない。2026年に入ると、解散した旧派閥の議員たちが再び会合を重ねる動きが目立つようになった。旧二階派の議員を中心に「総合安全保障研究会」という政策グループがつくられ、旧安倍派や旧岸田派の人脈にも会合の動きが見られる一方、解散しなかった麻生派は衆議院選挙後に新人らを加えて60人となった。ただし、ここで「派閥が完全復活した」とまで断定するのは早い。現在確認できるのは、旧派閥を基礎とする人脈や政策集団が再び動き始めているという事実であり、それがかつてと同じ資金・人事機能を持つ派閥へ戻るかどうかは、まだ観察の途中にある。

 しかし、この動きは一つの重要な問いを突きつけている。そもそも派閥とは、誰かが意図的に発明した日本政治の悪習だったのだろうか。それとも、日本の選挙制度や政党組織、人事制度が長い時間をかけて生み出した一つの合理的な帰結だったのだろうか。この違いを考えないまま派閥の善悪だけを論じても、派閥が消えた後に何が現れるのかまでは見えてこない。

派閥を育てたのは「同じ党の候補との競争」だった

 自民党の派閥を理解するには、1994年の政治改革以前まで時計を戻す必要がある。当時の衆議院選挙では中選挙区制が採用され、一つの選挙区から複数の議員が選ばれていたため、自民党は同じ選挙区に複数の候補者を立てることが珍しくなかった。その結果、自民党候補にとって最も手ごわい競争相手が野党候補ではなく、同じ自民党の別の候補になるという、現在から見ると不思議な政治状況が生まれていた。

 同じ党なのだから、政党名も大まかな政策も同じである。それでも有権者には自分の名前を書いてもらわなければならない。そこで候補者は個人後援会をつくり、地域との結びつきを強め、自ら選挙資金を集めると同時に、中央政界では選挙や資金、人事で支えてくれる有力政治家を必要とした。こうした環境の中で派閥は強くなり、領袖は所属議員を支え、所属議員は総裁選などで領袖を支えるという交換関係が発達していった。

 もちろん、派閥そのものを中選挙区制が一から生み出したと考えるのは正確ではない。自民党は1955年、自由党と日本民主党が合同して誕生した政党であり、結党以前から政治家同士の人脈や系列は存在していた。ただ、中選挙区制が党内競争を強め、それらの人脈を資金・選挙・人事を伴う強固な組織へ発達させる重要な条件になったと考えるのが、より実態に近い。

 その構造を大きく変えたのが1994年の選挙制度改革だった。小選挙区比例代表並立制の導入によって、一つの小選挙区から一人しか当選しない仕組みが中心となれば、同じ政党から複数候補が競争する場面は大幅に減る。政治学の研究でも、制度改革後には派閥が候補者公認に及ぼす影響力が弱まり、党執行部の公認権が相対的に重要になったことが指摘されている。一方で、派閥による人事や党内ポストをめぐる機能は完全には消えず、派閥は役割を変えながら残った。つまり派閥は、制度が一つ変われば消えてしまうほど単純な組織ではなかったのである。

派閥をなくすことと、派閥の仕事をなくすことは違う

 会社から営業部という名称を消しても、商品を売る仕事までなくなるわけではない。誰かが営業をしなければ会社が回らないように、政治組織でも名前をなくしただけでは消えない機能がある。数百人の国会議員を抱える巨大政党で、すべての議員が党首と直接相談し、すべての政策について全員で同時に議論することなど現実にはできないため、情報を集める人、意見をまとめる人、新人を育てる人、政策分野ごとの専門家を結びつける人がどうしても必要になる。

 興味深いことに、この問題を認識しているのは派閥を擁護する政治学者だけではない。自民党自身が公表したガバナンス体制に関する報告書でも、従来の派閥が情報共有、人材育成、意見集約、意思疎通の一部を担ってきたことを認め、その機能をこれから党組織としてどのように代替するかを課題として挙げている。さらに同報告書は、単純に権限を中央へ集めればよいのではなく、「集権」と「分権」の均衡が必要だとしている。これは、自民党自身が「派閥を消した後にも組織として残る問題」があることを認めているに等しい。

 したがって、派閥改革の本当の問題は派閥という部屋を閉鎖することではなく、その部屋で行われていた仕事をこれから誰が引き受けるのかという点にある。人材育成を党本部が担うのか、政策研究会が担うのか、地方組織が担うのかによって、同じ「派閥廃止」でも出来上がる政党の姿はまるで違ってくる。

派閥が弱くなると、党執行部は相対的に強くなりやすい

 派閥政治には明らかな弊害があった。能力や専門性より派閥の順番が優先される人事、総裁選をめぐる数合わせ、資金を通じた上下関係が政治への不信を招いてきたことは否定しにくい。それなら派閥が弱くなれば、政治家は派閥領袖の束縛から解放され、能力だけで評価されるようになるのではないかと考えたくなる。

 ところが、権力というものは消えるより移動することの方が多い。小選挙区では主要政党から原則一人の候補者が公認されるため、現職議員にとって党の公認を得られるかどうかは政治生命に直結する。候補者公認、選挙支援、党内ポスト、人事といった政治的資源を党執行部が握り、その一方で派閥の力が弱まれば、議員一人一人が自由になるとは限らず、むしろ党執行部への依存が高まる可能性がある。

 ただし、ここで「派閥をなくせば総裁独裁になる」と短絡するのも正しくない。1994年以降の変化は、小選挙区制だけではなく、政党交付金、公認制度、政治資金制度、選挙運動の変化など複数の要因が重なって生じたものであり、党総裁と党執行部も完全に同じ存在ではない。政治学研究から言えるのは、選挙制度改革などによって候補者選定にかかわる政治的資源が中央へ集まりやすくなり、党執行部の影響力を行使しやすい環境が生まれたというところまでである。

 それでも、ここには派閥改革の一つの逆説がある。かつての「派閥の領袖に逆らいにくい政治」がなくなったとしても、その代わりに「党執行部に逆らいにくい政治」が生まれるのであれば、権力の総量が減ったわけではない。権力の住所が変わっただけである。

派閥は権力の源泉であると同時に、権力を割る装置でもあった

 派閥を考えるうえで難しいのは、派閥が一方では権力を生み出しながら、別の面では権力の集中を防いでいたことである。複数の派閥が競争する自民党では、総裁や首相であっても党内のすべてを自由に決められるわけではなく、他派閥との調整を必要とした。これは政策決定を遅らせ、人事を複雑にする原因になった一方で、党執行部への権力集中を抑える一種の内部的な牽制として作用する場面もあった。

 もちろん、これをそのまま「派閥は民主主義を守っていた」と美化することはできない。有権者から見えないところで数人の派閥幹部が大臣ポストや党役職を調整するのであれば、それは民主的な権力分散とは別のものである。しかし、「派閥を弱めること」と「権力を分散させること」が同じではないという点は重要である。派閥を解体した結果、一か所に権力が集中するのであれば、政治の透明性や意思決定の質が自動的に向上するわけではない。

 政治に必要なのは速度だけでもない。強い執行部は政策決定を速め、選挙で掲げた政策を実行しやすくする一方、内部から異論が出にくくなれば、間違った政策へ進んだときにブレーキを踏む仕組みまで弱くなる可能性がある。政治制度を考えるときには、「誰が決めるか」と同時に「誰が止められるか」を見なければならないのである。

本当に注意すべきなのは、表札のない政治集団かもしれない

 さらに厄介なのは、人間関係には解散届がないことである。何十年も同じ派閥に所属してきた政治家同士には、先輩と後輩、師弟、同期、選挙支援、政策分野などを通じた関係が残っているため、「今日で派閥を解散します」と宣言した翌日から互いが無関係な政治家になるわけではない。

 2026年に旧派閥を基盤とした政策研究会や会合が再び目立つようになっていることは、その意味で興味深い。現在のところ、それらが旧来の派閥と同じように政治資金を集め、人事を要求し、総裁選の票を一括して動かす組織になっていると証明されたわけではない。しかし、人間関係に基づく政治集団そのものが、派閥解散によって消滅したわけでもないことは見えてきている。

 ここには別の危険もある。以前の派閥政治では、「この議員は何派に所属し、領袖は誰で、所属議員は何人なのか」という粗いながらも権力地図を見ることができた。ところが政治団体としての派閥が消え、実際の政治的連携が食事会、勉強会、政策研究会、同期会などの緩やかなネットワークへ移れば、誰と誰が継続的に協力し、誰が人事や政策に影響を及ぼしているのかを外部から把握しにくくなる可能性がある。

 だからといって、非公式な議員グループの方が旧派閥より危険だと現時点で断定することはできない。そこにはまだ十分な実証データがない。しかし、「組織をなくせば透明になる」とも限らないという仮説は、今後の自民党政治を見るうえで重要である。表札を外したことで建物まで消えたと思っていたら、実際には入口だけが分かりにくくなっていたということも、政治の世界では起こり得るからだ。

悪かったのは「集まること」なのか、それとも集団に与えられた権力なのか

 ここまで考えると、改革の対象そのものが少し違って見えてくる。政治家が集まること自体を問題にする必要はない。同じ政策に関心を持つ議員が研究会をつくり、新人議員が経験者から国会運営を学び、ある総裁候補を支持する政治家同士が連携することは、議会政治ではむしろ自然な行為である。

 問うべきなのは、その集団が何を握っているのかである。政治資金を不透明に動かせるのか、人数を背景に大臣や党役職を要求できるのか、候補者公認に影響を与えられるのか、若手議員の昇進や選挙支援を事実上左右できるのか、そして誰がどの意思決定にどれだけ関与したのかを外部から確認できるのかという問題こそが重要になる。

 こう考えれば、派閥改革の核心は「政治家を集団から解放すること」ではなく、「集団形成そのものと、資金・人事・公認という権力資源を切り分けること」にある。政策を研究する集団は存在してもよいが、その集団への所属と大臣就任が交換条件になってはならず、若手を育成する仕組みも特定の領袖への忠誠ではなく、党全体の制度として用意される方が望ましい。資金についても、誰から入り、何に使われたのかを追跡できる仕組みを強くする方が、集団そのものを禁止するより制度として筋が通っている。

派閥は日本政治の原因であると同時に、制度の結果でもあった

 政治改革では、目に見えるものを原因だと思い込みやすい。政治とカネの問題が起これば派閥をなくそうと考え、世襲議員が多ければ世襲そのものを禁止したくなり、政治家が長く在職すれば多選を制限すればよいと思ってしまう。しかし制度を変えるときには、その現象を生み出している一段奥の構造まで見なければ、形を変えた同じ問題が再び現れる。

 政治家には選挙があり、公認があり、政治資金が必要で、党内人事があり、大臣や委員長への昇進があり、総裁選もある。しかも数百人の議員が一つの政党に所属しながら、限られた役職と政治的影響力を競っている。この条件が続くかぎり、政治家には他の政治家と連携し、ある程度まとまった集団をつくる強い誘因が残る。

 三人が情報交換を始め、五人で定期的に会い、十人で特定の政策を共同提案するようになれば、そこにはすでに政治的なネットワークがある。それを派閥と呼ぶのか、政策研究会と呼ぶのか、議員グループと呼ぶのかによって法的・組織的な違いはあるが、人間が集団をつくって政治力を形成するという現象まで消えるわけではない。

 だから本当に問うべきなのは、「派閥を完全になくせるか」ではなく、「政治家が集団をつくることを前提に、その力をどのような透明で公正な制度の中へ置くか」である。

派閥のない政治が、きれいな政治とは限らない

 派閥を弱めることで改善できる問題は確かにある。派閥単位での不透明な資金集めを防ぎ、所属派閥の順番だけで大臣や党役職が回ってくる慣行を弱められれば、政治家の専門性や能力を重視する余地は広がる。それだけでも改革には意味がある。

 しかし、派閥がなくなった空間を党執行部だけが埋めれば権力は中央へ集中し、旧派閥の人脈が非公式な集団として残れば権力関係がかえって見えにくくなる可能性があり、さらに人材育成や意見集約まで一緒に失われれば巨大政党を動かす組織能力そのものが落ちるかもしれない。派閥をなくしたという一つの事実だけから、政治が良くなったか悪くなったかを判断することはできないのである。

 それなら、派閥改革の成否を何で測ればよいのだろう。見るべきなのは派閥の数ではなく、政治資金を以前より追跡できるようになったのか、人事の理由を以前より説明できるようになったのか、若手議員が特定の有力者に従属しなくても育つ仕組みができたのか、党内で異論を唱えた議員が直ちに政治生命を失わない制度があるのか、そして誰が誰と結びつき、どのような過程で意思決定が行われたのかを有権者が以前より理解できるようになったのか、という変化である。

 派閥という名前を永田町から消すことはできるかもしれない。しかし、政治家から人間関係を消すことはできない。人が集まれば関係が生まれ、関係が続けば集団が生まれ、集団が形成されればそこには何らかの力が生まれる。その力そのものを消そうとするより、どこに力があり、誰が使い、誰が利益を得て、間違ったときに誰が責任を負うのかを見えるようにする方が、民主政治の制度設計としては現実的である。

 そう考えると、「派閥をなくせば日本政治は良くなるのか」という問いへの答えは、単純な「はい」でも「いいえ」でもない。派閥をなくすことで改善する問題はあるが、改革の本当の成否は、その後に資金、人事、公認、情報、人材育成という政治的資源がどこへ移り、それを誰が監視できるようになるかによって決まる。

 古い派閥の看板が永田町から消えたところで、政治改革は完成しない。むしろ興味深いのはその後であり、空席になったはずの椅子に誰が座るのか、あるいは椅子そのものが別の部屋へ移されるのかを見なければならない。派閥政治の終わりを論じるなら、派閥が消えた瞬間ではなく、その後にどのような権力地図が描かれ始めるのかを見るべきなのである。

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 町の将来を左右する大きな公共事業が持ち上がったとする。議会では賛成派と反対派が議論を続けているが、なかなか結論が出ない。住民説明会では厳しい意見が飛び交い、新聞や地域の情報サイトには「最後は住民に決めさせるべきだ」という声が並び始める。そこで登場するのが住民投票であり、賛成か反対かを一人一票で決めるという方法は、複雑な政治の世界を一瞬で透明にしてくれるように見える。

 政治家でも役所でもなく、住民自身が決める。これほど民主主義らしい制度はないようにも思える。それなら町長や議会が決めている政策をもっと住民投票に移し、重要事項のたびに住民の意思を尋ねれば、地方政治は今より民主的になるのだろうか。

 ところが、住民投票についての研究をたどっていくと、この直感は半分正しく、半分危ういことが分かってくる。住民投票には代表民主制にはない強みがある一方、投票する回数を増やすだけでは民主主義の質は高まらず、場合によっては、有権者が処理しなければならない情報を増やし、少数者を不利にし、政治責任の所在を曖昧にすることさえあるからである。

民主主義は、多数決と同じ言葉ではない

 住民投票を考える前に確かめておかなければならないのは、民主主義と多数決は同じものではないということである。多数決は、多くの人が異なる意見を持つ社会で結論を出すための極めて重要な方法だが、「過半数が賛成した」という事実だけで、その決定が民主主義的に正当化されるわけではない。

 人口一万人の町で、九千人にはほとんど負担がなく、残る千人だけの生活環境を大きく悪化させる政策があったとする。単純な多数決なら九千対千で圧倒的に可決される。しかし、この結果だけを見て「九割の民意なのだから民主的だ」と言い切るなら、民主主義は多数者が少数者を自由に支配する仕組みに変わってしまう。

 近代民主主義が多数決だけでできていないのは、そのためである。表現の自由、基本的人権、少数者の保護、司法による統制、権力分立などは、多数者であっても簡単には越えてはならない線を設ける仕組みである。住民投票を考えるときにも、「何人が賛成したのか」だけでなく、「そもそも多数決に委ねてよい問題なのか」という問いを避けることはできない。

スイスを見ても、「何でも住民が決める」わけではない

 直接民主制の代表例としてしばしば挙げられるのがスイスである。スイスでは2026年にも年四回の投票日が設定され、憲法改正には国民投票が必要であるほか、一定数の署名によって国民側から憲法改正を提案する国民発議や、議会が成立させた法律などを国民投票に持ち込む任意的レファレンダムも存在している。国民発議には18か月以内に10万筆、任意的レファレンダムには100日以内に5万筆の署名が必要であり、直接民主制はスイスの統治制度の中に深く組み込まれている。

 しかし、ここで重要なのは、「住民投票」という一つの言葉の中に性質の違う制度が入っていることである。政府が自ら設定した問題について住民の判断を求める場合と、住民自身が署名を集めて政治課題を持ち込む場合、さらに議会の決定に対して住民が拒否権を行使する場合とでは、同じ投票でも政治的な意味はかなり違う。

 この違いを無視して「直接民主制は良いか悪いか」と問うと、議論は粗くなる。住民が答える権利を持っていても、質問を作る権利を行政だけが持っている制度と、住民自身が質問を政治の場に持ち込める制度とでは、民主主義の構造そのものが違うからである。

本当に大きな権力は、「答える人」より「問いを作る人」が持っている

 例えば老朽化した町役場を50億円かけて建て替える計画があったとしよう。「新庁舎建設に賛成ですか」と尋ねることもできれば、「老朽化し耐震性に問題のある庁舎を建て替えることに賛成ですか」と尋ねることもできる。反対に、「50億円を投じる新庁舎建設に賛成ですか」と問えば、財政負担の印象が前面に出る。

 扱っている政策は同じでも、住民が最初に見る風景は同じではない。投票用紙に書かれた言葉そのものが投票行動へ影響し得ることは実験研究でも示されており、基本的な選挙運動情報が与えられるとその効果が弱まるとの結果もある。つまり質問文の影響は絶対的ではないが、無視してよいほど小さな問題でもない。

 欧州評議会のヴェネツィア委員会が住民投票・国民投票について、質問は明確で理解可能であり、誤解を招かず、特定の答えへ誘導しない中立的なものでなければならないと繰り返し求めているのも、この問題が民主主義の周辺的な技術論ではないからだ。2026年の意見書でも、質問の明確性や中立性を事前に審査する重要性が改めて示されている。

 私たちは住民投票というと、投票箱の前に立つ住民の姿を思い浮かべる。しかし、その人が「賛成」と「反対」のどちらかを選ぶはるか前に、誰かが問題を切り取り、質問を作り、選択肢を並べている。民主主義の公平さは投票箱を置いた日に始まるのではなく、その問いを作り始めた日からすでに試されているのである。

現実の政策は、本当は二つの箱には入らない

 住民投票にはもう一つ避けにくい問題がある。現実の政策の多くは、賛成と反対という二つの箱に収まらない。

 町立病院が毎年3億円の赤字を出しているとして、「病院を存続させることに賛成ですか」と住民へ尋ねれば、投票用紙には賛成と反対しか並ばない。しかし行政が本当に考えなければならないのは、全面存続か廃止かだけではない。病床を減らす、診療科を再編する、近隣自治体と共同運営する、入院機能を縮小して外来中心にする、民間医療機関への支援に切り替えるといった複数の選択肢があり、それぞれ費用と医療アクセスと将来リスクが違う。

 ところが住民投票を成立させるには、その複雑な政策空間を一定の選択肢へ圧縮しなければならない。住民に決定権を渡すという民主的な行為は、同時に、誰かが現実から選択肢を切り出す行為でもある。この意味では、住民投票が直接民主制だからといって、すべての政治権力が住民へ移るわけではない。

「普通の住民には難しい政策を判断できない」のか

 直接民主制への古典的な批判として、「専門知識を持たない住民に複雑な政策を判断できるのか」というものがある。水道事業、病院経営、都市計画、廃棄物処理、公共交通、自治体財政などを考えれば、この疑問は簡単には退けられない。議員や行政職員でさえ専門家の説明を聞き、膨大な資料を読んで判断する問題を、普段は別の仕事をしている住民が数週間で理解できるのかという問いには現実味がある。

 しかし、「一般の住民には分からないから専門家へ任せればよい」と結論づけるのも、研究結果とは合わない。2026年に公表されたデンマークの欧州連合関連国民投票の研究では、4回の国民投票を通じて、争点についての有権者の知識が投票運動期間中に平均約10~19パーセントポイント上昇していた。しかも知識の増加には、学歴や政治への関心以上に、ニュースでその問題がどれだけ扱われたかという情報環境が関連していた。研究者自身は因果関係を過度に断定せず記述的知見としているが、「普通の有権者は政策について学習しない」という単純な見方には明確な反証を与えている。

 だからといって、どんな政策でも住民が十分理解できると考えるのも危険である。2021年に、住宅ローンや航空機部品など非常に専門的な投票案件を使って行われた実験では、有権者が問題の意味を十分理解できず、文章を分かりやすくしたり追加説明を与えたりしても理解が大きく改善せず、初期設定的な回答に依存する傾向が確認された。

 この二つの研究は矛盾しているように見えるが、むしろ住民投票の本質をよく表している。住民には学習する能力があるが、無限の情報処理能力があるわけではないのである。したがって問題は「住民を信用するか、専門家を信用するか」ではなく、住民が意味のある判断をできる程度まで問題を理解できるのか、そのための情報環境を社会が用意できるのかという制度設計へ移る。

住民投票は、多ければ多いほど良いのか

 この記事の題名に最も直接答える研究の一つが、スイスで3,500件を超える投票案件を分析した2019年の研究である。そこで確認されたのは、同時に処理しなければならない投票案件が増えると、有権者が個々の案件について持っている知識が低くなる傾向だった。

 ただし、この研究は「住民投票を増やすと民主主義が崩壊する」と結論づけてはいない。投票行動や民主主義への態度など他の指標については、観察された範囲では案件数の増加による一貫した悪化は確認されなかったからである。

 ここには重要な示唆がある。住民投票を増やした途端に有権者が政治に嫌気を差し、民主主義が機能しなくなると考える根拠は乏しい一方、住民にも時間という希少資源があり、一度に考えさせる案件を増やせば、一件当たりに割ける注意力が薄くなる可能性がある。民主主義もまた、人間の認知能力という制約から自由ではないのである。

 自治体が十の案件について住民の意思を知りたいからといって、10件を一度に投票へかけることが最善とは限らない。民主主義への参加機会を増やすことと、有権者の判断負担を増やすことは、しばしば同じ政策によって同時に起こる。

一人一票でも、一票ができるまでの条件は平等ではない

 投票所に入れば、大企業の経営者も年金生活者も一票である。しかし、その一票が作られるまでの情報環境まで平等になるわけではない。

 政策広告を出すには資金が必要であり、専門家を雇って資料を作るにも、新聞広告を出すにも、インターネットで大量の情報を発信するにも費用がかかる。アメリカ・カリフォルニア州の住民発議を分析した研究では、賛成側と反対側双方の選挙運動支出が投票結果へ統計的に有意な影響を持つことが報告され、スイスの三百二十三件の連邦レベルの投票を分析した研究でも、政党連合の構成とともに選挙運動支出が結果へ影響することが確認されている。

 もちろん、資金や組織力が政治へ影響するのは住民投票だけではない。議員選挙でもロビー活動でも同じ問題は存在する。それでも、「政治家を通さず住民が直接決めれば、権力関係から解放された純粋な民意が現れる」と考えるのは無理がある。

 投票権について一人一票を保障することと、一票を形成するための情報へ同じように接近できることは別問題だからである。民主主義を投票日の平等だけで測れば、その前に存在する情報格差を見落としてしまう。

多数者に決めさせない方がよい問題もある

 住民投票と少数者の関係についても、結論は単純ではない。直接民主制だから必ず少数者が迫害されるわけではなく、多数の有権者自身が少数者の権利保護を支持していれば、直接投票によってその方向へ政策が動くこともあり得る。

 しかし、少数者自身の権利を多数者が直接判断する場合には、無視できない実証研究も存在する。スイス約1,400自治体の1991年から2009年までを分析した研究では、移民の帰化申請を住民による直接的な判断から選挙で選ばれた地方議員による判断へ移した自治体で、帰化率が約60%上昇した。制度変更がスイス連邦裁判所の判断によって生じたことを利用した研究であるため、単なる地域差の比較よりも因果関係を推定しやすい設計になっている。

 もちろん、この結果だけから「代表民主制は常に少数者を守り、直接民主制は常に少数者を傷つける」と一般化することはできない。帰化審査という特殊な制度についてのスイスの研究だからである。それでも、当事者が人口上の少数者である以上、自分たちの権利を多数票によって守ることが構造的に難しい問題が存在することは分かる。

 多数決は意見を集計する優れた方法だが、多数決によって決める対象の選択まで多数決に任せてよいとは限らないのである。

住民投票を増やすと、政治家は責任から逃げられるのか

 代表民主制には、しばしば忘れられる一つの機能がある。選ばれた政治家に決定させることで、誰がその判断をしたのかを明確にし、次の選挙で評価できることである。

 この観点からは、難しい政策を次々と住民投票へ委ねると、政治家が「住民が決めたことです」と説明して、自らの政治的責任を薄めるのではないかという批判が生まれる。政治学者マイヤ・セタラは、特に政府側が住民投票の実施をコントロールする制度では、政府が難しい争点について自ら立場を取ることを避けるために投票を利用する場合があり、代表者のアカウンタビリティ(accountability・説明責任と責任追及可能性)を弱める可能性を論じている。

 ただし、この問題についても結論は決着していない。政治学者アリス・エル=ワキルは、有権者自身には政治家と同じ意味で責任を取らせることができないという理由だけで、拘束力のある住民投票や住民発議を非民主的とみなすことはできないと反論している。

 したがって正確に言えば、住民投票を増やせば必ず政治責任が消えるのではない。問題は、誰が住民投票を発議したのか、結果に拘束力があるのか、議会でどこまで審議したのか、そして実施後の政策について誰が説明責任を負うのかである。政府自身が都合の悪い問題だけを住民へ投げ返す制度と、住民側が署名によって政治家へ問いを突きつける制度を、同じ「住民投票」として扱うべきではない理由もここにある。

日本の住民投票には「重いのに拘束しない」というねじれがある

 日本について考える場合には、さらに注意が必要である。2026年4月16日の衆議院総務委員会で、林総務大臣は、日本の地方自治では住民の直接選挙によって選ばれた首長と議会が中心的な役割を果たすことが基本であり、自治体が条例によって設ける拘束力を持たない住民投票は、議会制民主主義を補完して住民意思を把握する一つの手法として活用されているとの認識を示している。

 ただし、日本に存在するすべての住民投票が法的拘束力を持たないわけではない。法律に根拠を持つ法定型の投票と、自治体が条例によって実施する諮問型の住民投票は区別しなければならない。一般に地方政治で議論になることが多いのは後者であり、条例型では投票結果が首長や議会を法的に直接拘束しない場合が多い。

 ここに日本独特のねじれが生まれる。法的には拘束しないと言っても、例えば70%の住民が反対した大型事業を首長がそのまま進めれば、「住民投票を無視した」という強烈な政治的批判を受けるだろう。法律上は諮問でも、政治的には無視しにくい。

 それなら住民投票は決定なのか、それとも意見聴取なのか。結果に従わない可能性があるなら、住民は何のために投票するのか。必ず従うのであれば、なぜ最初からその法的効果を制度として整理しないのか。住民投票を増やそうとする議論では、投票の実施回数ばかりに目を向けるのではなく、「投票した後に何が起きるのか」まで決めておかなければならない。

それでも住民投票には、選挙ではできないことがある

 ここまで読めば、住民投票とは随分危険な制度のように感じるかもしれない。しかし、代表民主制にも同じくらい明確な限界がある。

 選挙では、一人の候補者が持つ無数の政策を一括して選ばなければならない。福祉政策には賛成だが公共事業には反対、教育政策には賛成だが増税には反対という有権者でも、投票用紙では候補者を一人選ぶしかない。しかも地方では候補者不足によって無投票選挙になることもあり、選挙結果をそのまま個々の政策への賛成と解釈することには限界がある。

 住民投票には、この束になった民意を一度ほどく働きがある。「この町長を支持しますか」ではなく、「この病院建設を支持しますか」と、一つの政策だけについて住民の意思を確認できるからである。

 直接民主制が財政政策そのものを変える可能性も研究されている。例えばスイスの州を分析した研究では、一定の財政支出について住民投票を義務づける制度が政府支出を抑制する方向に関連していた。ただし、その後の研究では、住民のもともとの政策選好を十分考慮すると制度そのものの効果は従来推計より小さくなることも示されており、「住民投票さえ導入すれば行政が効率化する」と単純化することもできない。

 それでも、住民投票という制度が政治家へ圧力を与え、政策を変える可能性があること自体は無視できない。住民投票は代表民主制と競争する別の民主主義というより、代表者だけに判断を独占させないための補助装置として考えた方が現実に近い。

投票する前の「考える時間」を制度にできないか

 ここまでの問題の多くは、住民へ判断させることそのものより、住民へいきなり賛成と反対の二択を突きつけることから生まれている。

 そこで考えられるのが、投票と熟議を組み合わせる方法である。無作為抽出などで選ばれた市民が、行政だけでなく賛成派、反対派、専門家などから説明を受け、一定期間議論し、争点を整理する。その成果を全住民へ提供した上で最終的な投票を行うのであれば、「詳しい人だけが情報を持ったまま投票日を迎える」という問題をいくらか緩和できる。

 重要なのは、民主主義を「すでに出来上がった民意を数える制度」と考えないことである。人の意見は、投票日の朝に突然完成するものではない。新しい事実を知り、自分とは違う事情を抱える人の話を聞き、予算額や代替案を知れば考えが変わることもある。

 デンマークの研究で、投票運動中に政策知識が増え、その増加が情報環境と関連していたことは、この意味で示唆的である。良い民主主義に必要なのは、住民にたくさん投票させることだけではなく、判断するための材料と時間を渡すことなのかもしれない。

民主主義の質は、投票箱の数では測れない

 結局のところ、「住民投票を増やせば民主主義は良くなるのか」という問いに、単純なイエスもノーもない。

 住民投票には、議会と住民の意思のずれを修正し、一つの政策について明確な意思を示し、政治家だけに決定権を独占させない力がある。投票運動を通じて住民が政策について学習する場合もあり、直接民主制そのものが議会や政府の行動を変える可能性もある。

 しかし投票案件を増やせば、有権者が一件ごとに持てる知識が薄くなる可能性がある。複雑すぎる問題では十分理解できない場合もあり、質問文の作り方によって結果が動くこともある。多額の選挙運動資金を投入できる組織と個人住民では情報発信力が違い、少数者自身の権利を多数決に委ねることにも危険がある。さらに、政府が都合の悪い問題を住民投票へ送る制度であれば、代表者が負うべき責任まで曖昧になる可能性がある。

 だから民主主義の程度を、「年間何回住民投票を行ったか」で測ることにはほとんど意味がない。見るべきなのは、その問題を住民投票で決めることが適切なのか、誰が議題を設定したのか、質問は中立なのか、代替案は示されているのか、住民が判断できる情報は届いているのか、少数者の基本的権利を多数決に委ねていないか、そして決定後に誰が政策を実行し、その結果について誰が説明するのかという一連の仕組みである。

 議会で決める方がよい政策もあれば、住民が直接決める方がよい政策もある。その中間には、住民参加型の審議会、市民会議、住民発議、諮問型投票など様々な仕組みを置くこともできる。民主主義とは、代表民主制か直接民主制かという二者択一ではなく、問題の性質に応じて「誰に、どの段階で、どこまで決めさせるか」を設計する仕事だと考えた方がよい。

 投票箱は民主主義の象徴であり、その価値は今後も変わらないだろう。しかし投票箱を増やすだけで民主主義が豊かになるわけではない。誰が問いを作り、どのような情報を受け取り、どれだけ考える時間を持ち、誰が決定し、その後に誰が責任を引き受けるのか。その長い過程全体を公正にすることこそ、民主主義を良くする仕事なのである。

 私たちが投票用紙に丸をつけるとき、民主主義が始まるのではない。その頃には、民主主義の質を決める仕事のかなりの部分が、すでに終わっている。

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「地域でお金を回しましょう」という言葉は、地方創生や商店街振興の場でよく聞かれる。地元の店で買い物をし、地元の会社に仕事を頼み、できれば地元で作られたものを選ぶ。それによって地域が豊かになる、と説明されることも多い。しかし、少し考えてみると不思議な言葉でもある。お金は使えば店に渡り、店から仕入先へ渡り、最後にはどこかへ消えていく。同じ千円札を町の中で何度受け渡したところで、千円札が二千円札になるわけではない。それでは「お金が回る」とは、経済学的にはいったい何が起きているのだろうか。

この問いを考えるには、財布の中の紙幣ではなく、その紙幣が誰の所得になるのかを見る必要がある。地域経済にとって重要なのは、お金そのものが町の中を移動することではない。ある人の支出が別の人の売上となり、その売上の一部が賃金や利益として地域住民の所得になり、その所得が再び地域の店や事業者に支払われる。この連鎖がどこまで続くかによって、同じ一円の経済的な意味が変わってくるのである。

一枚の千円札を追いかけてみる

たとえば、ある町を訪れた観光客が、地元の食堂で千円の昼食を食べたとする。この千円は、もともと町の外にあった所得である。それが食堂の売上として町の中へ入ってきた瞬間、地域経済には千円の需要が新しく生まれる。

けれども、その千円がそのまま食堂の主人の所得になるわけではない。米を買い、魚を仕入れ、電気代を払い、調味料を買い、設備を修理しなければならない。その食堂が地元の漁師から魚を買い、近所の米屋から米を仕入れ、町内の電気工事店に修理を頼んでいるなら、観光客が置いていった千円の一部は、食堂だけではなく町の別の事業者の売上へと変わっていく。

魚屋がその所得で町内の理髪店に行き、理髪店の主人が地元のスーパーで食料品を買えば、最初の千円が生み出した需要はさらに先へ進む。もちろん、そのたびに一部は町の外へ出ていく。それでも、外へ出るまでに何度も地域住民や事業者の所得を生み出すなら、その千円は地域経済の中で比較的大きな働きをしたことになる。

経済波及効果を分析するときにも、ある需要による直接的な売上だけでなく、原材料などへの需要が生まれる一次的な波及、さらにそこで生じた所得が消費されることによる二次的な波及が考えられる。環境省の地域経済波及効果分析でも、域外から原材料を調達したり、域外居住者へ賃金を支払ったり、所得が域外で消費されたりすれば、その途中で効果が地域外へ流出すると整理されている。

「地域でお金を回す」という言葉の実体は、こうした所得の連鎖なのである。

地域経済には「入口」と「出口」がある

もっとも、町の中だけで何度も買い物をしていれば、それだけで永遠に豊かになれるわけではない。ここには、地域経済を考えるうえで非常に重要な落とし穴がある。

十人の住民がそれぞれ一万円を持っている町を想像してみよう。互いに商品を売ったりサービスを提供したりすれば、取引額は増える。しかし、町全体が最初に持っていた所得そのものが、それだけで増えるわけではない。地域の中だけでお金を受け渡している経済は、やがて使える所得の限界にぶつかる。

そこで必要になるのが、地域の外から所得を獲得する力である。農産物を都市へ売ることも、製造業が町外へ製品を出荷することも、観光客が宿泊することも、地域外の企業から仕事を受注することも、外から所得を持ち込むという意味では同じ働きをする。町外で働く人の給与、年金や政府からの財政移転なども、経路は異なるものの、地域経済へ所得を流入させる役割を持つ。

環境省が地域経済を考える際に、「地域でお金を循環させること」と並んで「地域でお金を稼ぐ力」を重視しているのは、このためである。地域経済は、生産によって所得を稼ぎ、それが家計や企業へ分配され、消費や投資として支出され、再び生産へ戻っていく。したがって、外から稼ぐ力と、入ってきた所得を地域内に残す力の双方が必要になる。

町の経済を風呂桶にたとえるなら、域外から所得を稼ぐ産業は蛇口であり、町外への支払いは排水口である。桶の中で水を勢いよくかき回しても、蛇口が閉まり、排水口が大きく開いていれば、水位はやがて下がっていく。「地域でお金を回す」という言葉だけでは、この蛇口の存在を見落としやすい。

大切なのは「何回使われたか」より「どこまで残ったか」

ここで単純な数理モデルを考えてみると、地域経済循環の意味が見えやすくなる。

町外から百円が入ってきたとし、その百円を受け取った人が六十円を町内で使い、四十円を町外の商品やサービスに使うとする。次に六十円を受け取った人も、その六割に当たる三十六円を町内で使い、さらにその六割が町内で使われると仮定する。

すると地域内で生じる支出は、

100+60+36+21.6+……

と続いていく。

極端に単純化したモデルではあるが、地域内に残る割合を0.6とすると、この無限等比級数の合計は、

100÷(1-0.6)=250

となる。

最初に地域外から入ってきた百円をきっかけとして、累計では二百五十円分の地域内支出が生じ得るということである。もし地域内に残る割合が0.3しかなければ、同じ計算による累計は約百四十三円にとどまる。最初に入ってくる金額が同じでも、その後の地域内調達や地域内消費の割合によって、経済的な波及の大きさは大きく変わる。

ただし、この二百五十円を「百円が二百五十円の富になった」と理解してはいけない。ここで数えているのは累計された取引や支出であり、新しく生まれた付加価値や住民の所得とは区別しなければならない。それでも、この単純な計算は、「地域にいくら入ってきたか」だけでは地域経済の強さを測れない理由を鮮やかに示している。

地元企業なら必ず地域に残る、とは限らない

ここからさらに厄介な問題が出てくる。「地元の店で買うこと」と「地域に所得が残ること」は、似ているようで完全には同じではない。

町内にある店でも、販売している商品のほとんどを町外から仕入れ、設備も広告も情報システムも町外企業へ支払い、利益まで町外の本社へ送っているなら、売上のかなりの部分は地域外へ流れていく。一方、全国展開する企業であっても、地元住民を多数雇用し、地域の事業者から仕入れを行い、地域で設備投資をしているなら、その店舗から地域住民へ帰着する所得は決してゼロではない。

したがって、「地元資本か、大企業か」という看板だけを見て地域経済を論じると、本質を取り逃がす。重要なのは、売上のうちどれだけが地域住民の賃金になり、どれだけが地域企業の利益になり、どれだけの原材料やサービスが地域内から調達され、そこで得られた所得がさらにどこで使われるのかである。

経済産業省の地域間産業連関表も、地域の経済を単独で見るのではなく、財やサービスがどの地域から調達され、どの地域へ供給されるかという相互依存関係を捉えるために作られてきた。ある地域で投資が行われても、必要な財の多くを地域外から調達すれば、地域内に生じる生産波及は小さくなる。この考え方は、小さな町の商店や観光政策にも、そのまま当てはめることができる。

つまり、町に大きな店があるかどうかよりも、その店の後ろにどれだけ地域内の取引網がつながっているかの方が重要なのである。

「地産地消」だけでは地域は豊かにならない

ここまで考えると、「それなら何でも地域内で作ればよい」という結論に向かいたくなる。しかし、それもまた経済学的には危うい。

地域外から商品を買うこと自体が悪いわけではない。石油を産出しない町がガソリンを地域内で生産する必要はないし、小さな町が医薬品や自動車やコンピューターまで自給しようとすれば、かえって生活費は高くなり、生産性も落ちる。地域間で得意なものを交換することは、市場経済が豊かさを生み出してきた基本的な仕組みでもある。

問題は「地域外から買うこと」ではなく、地域が外から何も稼がないまま、あらゆる所得が一方向に外へ流れ続けることである。

地域で農産物を生産して都市へ販売し、その所得で地域外から自動車を購入するなら、それは交易である。しかし、地域内に域外から所得を獲得する産業がほとんどなく、住民が受け取った所得の多くを町外の店舗やサービスへ支払い続ければ、地域経済の循環は次第に弱くなる。

だから本当に考えるべきなのは、「町内で全部買おう」という閉鎖的な経済ではない。地域が得意なものを外へ売り、外から所得を呼び込みながら、その所得の一部が地域内の雇用、仕入れ、消費、投資へつながる構造をどう作るかなのである。

観光客が増えても地域が豊かにならないことがある

この問題が最も分かりやすく現れるのが観光地かもしれない。

年間百万人の観光客が訪れる町でも、宿泊施設の所有者が町外企業で、食材が町外から運ばれ、予約手数料が町外の事業者へ支払われ、土産物まで他地域で製造されているなら、観光客が落としたお金の相当部分は短時間で地域から出ていく。観光消費額だけを見れば巨大でも、その町で生活する人の所得があまり増えないということは十分に起こり得る。

反対に、観光客の人数がそれほど多くなくても、地元の宿が地域の農家から食材を買い、地元の酒を提供し、清掃や修繕を地域企業へ頼み、そこで働く住民が地域の商店を利用するなら、一人の観光客がもたらした所得は地域の中を比較的長く流れる。

環境省の地域経済循環分析が、単に地域の売上額を見るのではなく、生産、分配、支出の各段階で所得がどこから入り、どこへ出ていくのかを捉えようとしている理由もここにある。2025年12月に公表された最新版の分析ツールも、市町村単位で地域内外の資金の流れや産業間取引を分析できるものとして整備されている。

観光客の数を競うより、その一万円が翌朝どこへ行くのかを見る方が、地域経済の実像に近いのである。

地域経済を支えるのは「金額」より「つながり」なのかもしれない

ある町に百億円規模の工場が一つある場合と、数十人規模の企業、農家、商店、建設会社、宿泊業者、飲食店が互いに取引している場合とでは、どちらの地域経済が強いのだろうか。

答えは単純ではない。大工場が地域外から大きな所得を稼ぎ、地元住民を雇い、地域企業から多くを調達しているなら、それは非常に強力な地域経済の核になる。しかし、原材料も従業員も取引先も地域外に依存し、利益も本社へ送られるなら、巨大な生産額のわりに地域住民へ届く所得は小さい可能性がある。

逆に、小さな企業ばかりの地域でも、それぞれが互いに仕入れ、仕事を発注し、そこで得た所得を地域内で消費する関係が厚ければ、一つの需要が複数の事業者へ波及していく。地域経済を強くするものは、企業の数だけでも、観光客の数だけでも、売上高だけでもない。企業と企業、人と企業、そして地域と外部を結ぶ取引の網そのものなのである。

ここまで来ると、「地域でお金を回す」という素朴な言葉が、少し違って見えてくる。

それは、千円札を町から逃がさない運動ではない。

町の外から所得を稼ぐ人がいて、その所得を受け取る人がいて、その人の支出を次の誰かの所得に変えられる産業や店があり、その所得がさらに別の仕事を生み出していく。経済学的に見れば、「お金を回す」とは、その連鎖をできるだけ途中で切れにくくすることである。

地域に必要なのは、高い塀を造ってお金を閉じ込めることではない。外へ向かって開いた入口を持ちながら、入ってきた所得がすぐに流れ去ってしまわないよう、町の中に細かな水路を張り巡らせることなのだろう。

夕方、町の食堂で誰かが千円札を一枚置いて席を立つ。その千円が翌日には魚屋へ渡り、その週末には理髪店へ渡り、その一部が電気工事店の仕事になり、やがてどこかで町の外へ出ていく。

地域経済の強さとは、おそらく、その一枚の千円札が町を出ていくまでの時間ではない。

その途中で、何人の仕事と所得を生み出せたかなのである。

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支持率は政治家の能力を測っているのか~数字が映しているもの、映していないもの

政治家について報道するとき、ほとんど必ず登場する数字がある。支持率である。

内閣支持率が上がれば「政権に追い風」、下がれば「政権運営に打撃」。一定の水準を割り込めば「危険水域」と呼ばれ、その数字を材料に首相の求心力や選挙への影響まで語られる。私たちはいつの間にか、支持率という一つの数字によって政治家の状態を判断することに慣れてしまった。

しかし、ここには素朴な疑問が残る。

支持率が高い政治家は、本当に能力の高い政治家なのだろうか。

逆に支持率が低い政治家は、政策を立案したり、行政を動かしたり、外交交渉を行ったりする能力まで低いのだろうか。

結論から言えば、支持率は政治家の能力を直接測定している数字ではない。支持率が測っているのは、その時点で人々がその政治家や政権を「支持するかどうか」である。

当たり前のように聞こえるが、この二つを分けて考えることは、政治を数字から読むうえで非常に重要である。

「支持する」と「能力がある」は同じではない

会社であれば、経営者の能力をある程度は売上、利益、生産性、成長率などから評価できる。スポーツ選手なら、勝率、得点、記録という比較的明確な指標がある。

政治家の場合は事情が違う。

経済成長を重視する人もいれば、所得再分配を重視する人もいる。財政赤字を減らした政治家を高く評価する人がいる一方、そのために社会保障が削減されれば低く評価する人もいる。防衛力の強化を評価する人と、それを問題視する人もいる。

つまり政治には、そもそも全員が合意できる「得点」が存在しにくい。

そのため有権者が政治家を評価するときには、政策の成果だけではなく、「自分の考えに近いか」「生活が良くなったと感じるか」「説明に納得できるか」「信頼できそうか」といった複数の判断が混ざる。

政治学には、政府が過去に何をしてきたかを見て有権者が評価する「回顧的投票」という考え方があり、政府の実績に対する認識が政治的評価に影響することは古くから研究されている。しかし、そこで重要なのは、有権者が客観的な政策成果そのものを採点しているとは限らないということである。人々は自分が認識した政府の実績を通じて政治を評価する。

ここに、支持率と能力の間にずれが生まれる。

同じ政策でも支持率への影響は違う

例えば、ある政府が20年後の財政を安定させるため、現在の有権者に負担を求める政策を実施したとする。

長期的には合理的な政策かもしれない。しかし、現在の生活費が増えれば支持率は下がる可能性がある。

反対に、将来の財政負担を増やす政策であっても、現在の給付や減税につながれば歓迎されることがある。

ここで起きているのは、政治家の能力と有権者の評価時間軸のずれである。

政治家には10年、20年後を考えなければならない仕事がある。しかし、有権者の生活は今日も続いている。電気料金、食料品価格、住宅費、税金、社会保険料といった負担を毎月支払っている以上、「将来のためだから現在は我慢してほしい」という説明だけでは支持されないこともある。

だからといって、有権者の判断が間違っているということでもない。

将来の利益を理由に現在の負担を無制限に要求できるのであれば、民主政治は政府を監視する機能を失ってしまう。むしろ政治家には、長期的に必要な政策を設計すると同時に、その必要性を説明し、現在の負担をできるだけ公平に配分する能力まで求められる。

政策を考える能力だけでは政治は成立しない。

支持を形成する能力もまた政治家の仕事なのである。

ここまで考えると、支持率と能力の関係は単純なものではなくなる。

支持率には「期待値」が入っている

支持率を考えるとき、もう一つ見逃せないのが期待である。

100点の仕事をしたかどうかではなく、「期待していた仕事と比べてどうだったか」によって評価は変わる。

大きな期待を集めて誕生した政権は、一定の成果を上げても「期待ほどではなかった」と評価される可能性がある。一方、もともと期待が低ければ、小さな成果でも「思っていたよりよくやった」と受け取られることがある。

企業決算にたとえれば分かりやすい。

利益が増えても市場予想を下回れば株価が下がることがあり、利益が減っていても予想ほど悪くなければ株価が上がることがある。株価が企業の絶対的な実力だけではなく、市場参加者の期待との差によって動くように、政治家への評価にも期待との差が入り込む。

支持率という数字を見るとき、「何をしたか」だけを見るのでは足りない。

「何を期待されていたか」まで見なければならないのである。

景気が悪ければ政治家の能力も低く見えるのか

政治評価には、政治家が完全には制御できない出来事も影響する。

世界的な原油価格の上昇、海外での戦争、感染症、自然災害、外国為替市場の変動、世界経済の後退など、一国の政府だけでは解決できない要因はいくらでもある。

しかし、有権者は日常生活の中で政治を評価する。

食品価格が上がれば生活は苦しくなる。実質的な所得が減れば不満が生まれる。その結果として政権への評価が悪化しても不思議ではない。

政治家に原因があるとは限らないが、政府は結果に対する責任を問われる。

これは必ずしも非合理的ではない。

政治とは、問題そのものを発生させない能力だけを競うものではなく、問題が発生したときにどのように対応するかを問われる仕事でもあるからだ。

世界的な物価上昇を止められなかったことと、物価上昇への対応が適切だったかという問題は別である。

支持率には、この二つが混ざって表れる。

「何をしたか」だけでなく「どう見えたか」が数字になる

さらに難しいのが情報の問題である。

多くの有権者は、政府が毎日行っている行政活動を直接見ることはできない。

法律案の調整、官僚組織との協議、外国政府との交渉、予算編成、制度設計など、政治の中心部分の多くは日常生活から見えにくい。

私たちが政治を知る主な窓口は、新聞、テレビ、インターネットニュース、SNS(Social Networking Service・交流サイト)などである。

すると政治家への評価は、「政治家が実際に何をしているか」だけではなく、「その行動についてどのような情報に接したか」によっても変わってくる。

一つの失言が何日も報道されることがある一方、何か月もかけた制度改正は数分しか報じられないこともある。

これは報道機関が意図的に政治家を操作しているという話ではない。ニュースには、珍しい出来事、対立、失敗、変化などが取り上げられやすいという性質がある。

しかし、その性質がある以上、支持率は政策能力だけではなく、政治家の説明能力、報道される出来事、情報環境まで反映した数字になる。

ここまで来れば、「支持率=能力点」という解釈が成立しにくい理由が見えてくる。

支持率という数字自体にも誤差がある

しかも支持率は、国民全員に質問して得られた数字ではない。

実際の世論調査では、一定数の人を抽出し、その回答から全体を推定している。

調査の精度には、誰を対象にしたのか、どのように回答者を選んだのか、電話なのかインターネットなのか、質問をどのような言葉で尋ねたのかといった方法が関係する。Pew Research Center(ピュー・リサーチ・センター)も、世論調査では標本抽出だけでなく、質問の表現によって回答が変化する可能性があるとしており、一つの質問だけで複雑な世論を完全に把握することはできないと説明している。

日本の世論調査でも、RDD(Random Digit Dialing・電話番号を無作為に生成して対象者を抽出する方法)による固定電話・携帯電話調査などが使われてきた。したがって「支持率35%」という数字を、国民のちょうど35%が寸分違わず支持しているという意味で読むべきではない。

本当に重要なのは、1回の数字の小さな上下よりも、一定期間にどの方向へ動いているかである。

47%から46%になったことより、60%だった支持率が数か月かけて40%まで下がったという傾向の方が、政治的にははるかに大きな意味を持つ。

支持率は精密な体温計というより、社会の空気の変化を捉えるセンサーに近い。

それでも支持率が重要なのはなぜか

では、政治家の能力を直接測れないのであれば、支持率など気にする必要はないのだろうか。

そうではない。

むしろ民主政治において支持率は非常に重要である。

政治家がどれほど優秀な政策を考えていたとしても、それを国民に説明できず、支持を得られず、議会を動かせなければ政策は実現しないからである。

政治家の能力には、専門知識だけではなく、利害を調整し、国民に説明し、反対意見を聞き、妥協点を探し、最終的に制度として成立させる能力も含まれる。

その意味では、支持率と政治家の能力は無関係ではない。

ただし、支持率は能力そのものではなく、能力の一部分が社会との関係の中で現れた結果と考える方が正確だろう。

支持率90%だから90点の政治家ではないし、支持率20%だから20点の政治家でもない。

支持率とは、試験の点数ではないのである。

支持率を見るなら「なぜ」を見る

政治報道では数字そのものがニュースになる。

「支持率が5ポイント低下した」という見出しは分かりやすい。

しかし、本当に政治を理解しようとするなら、その次の問いへ進む必要がある。

なぜ下がったのか。

政策への反対なのか。物価なのか。不祥事なのか。首相本人への評価なのか。政党への評価なのか。説明不足なのか。それとも以前の支持率が一時的に高すぎただけなのか。

同じ支持率30%でも、その意味はまったく違う。

そして支持率が低いときこそ、政策評価と人物評価を分けて考える必要がある。

「この政治家を好きか」という問いと、「この政策は合理的か」という問いは、本来別のものである。

しかし政治では、この二つが簡単に重なってしまう。

好きな政治家の政策には甘くなり、嫌いな政治家の政策には厳しくなる。それは人間として不思議なことではないが、その心理を自覚しなければ、政治の評価は人物人気だけに引き寄せられてしまう。

政治家の能力を測るなら、何を見るべきなのか

政治家の能力を評価したければ、一つの数字を探すのではなく、複数の時間軸から見る必要がある。

公約した政策をどこまで実行したのか。その政策によって社会にどのような変化が起きたのか。予期しなかった問題が起きたとき修正できたのか。異なる意見を持つ人々と合意を形成できたのか。そして、自分に不利な情報についても説明責任を果たしたのか。

こうしたものは、一つの支持率には収まらない。

むしろ政治家の能力とは、数字一つで評価できないからこそ難しい。

選挙も同じである。

有権者は数年に一度、政策、人物、政党、経済状況、将来への期待などをまとめて一票に変える。その一票もまた、政治家の能力試験の採点ではない。

「この人に次の期間を任せるか」という判断である。

支持率は「政治家の成績表」ではなく「政治と社会の関係」を映す

支持率を政治家の能力点だと考えると、政治は非常に単純に見える。

上がれば優秀、下がれば無能。

しかし実際の政治はそれほど単純ではない。

支持率の中には、政策の成果だけでなく、景気、物価、事件、期待、政党支持、報道、説明能力、人物への好感、そして調査そのものの誤差まで混ざっている。

だから支持率は政治家の能力を測る物差しとしては粗い。

一方で、その数字を無意味だとして切り捨てるのも間違っている。

支持率が示しているのは、「政治家がどれほど優秀か」ではなく、「現在、その政治家と社会との関係がどのような状態にあるか」なのである。

そう考えれば、支持率の記事を見たときの読み方も少し変わる。

数字が上がったか下がったかだけではなく、その数字の背後で社会の何が動いたのかを見る。

支持率そのものより、「なぜその支持率になったのか」を考える。

その視点を持ったとき、世論調査は政治家の人気ランキングではなく、社会が政治をどのように受け止めているのかを知るための資料になる。

そしておそらく、それこそが支持率という数字の最も有効な使い方なのである。

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人口が減れば、自治体の職員も減っていく。それ自体は、それほど不思議な話ではない。住民が5万人から3万人になれば、役場も同じ人数の職員を抱え続ける必要はないように見えるからだ。

ところが、行政という仕事は人口に比例して小さくできるものばかりではない。

住民が半分になっても道路が半分になるわけではなく、橋が半分になるわけでもない。水道管や下水道管も、住民票を発行する制度も、税を徴収する仕組みも、災害が起きたときの対応も残る。人口減少社会で自治体に起きる本当の問題は、仕事の量が減る速度より、その仕事を担う人が減る速度のほうが速くなることである。

では、自治体職員が減っていったとき、何から維持できなくなるのだろうか。

おそらく最初に姿を消すのは、住民票の発行でも、税金の徴収でもない。もっと目立たず、普段は役所の存在さえ意識しないところから、行政の余力が失われていく。

役所の窓口が最初になくなるとは限らない

自治体の仕事というと、役所の窓口を思い浮かべる人は多い。住民票を取り、転入届を出し、税金や国民健康保険について相談する。職員が減れば、まず窓口が維持できなくなるようにも思える。

しかし、実際にはこの分野は比較的人員削減に耐えやすい。

現在、国は地方自治体の基幹業務システムの統一・標準化を進めており、住民基本台帳、地方税、介護保険、国民健康保険、生活保護、障害者福祉など20業務が標準化の対象になっている。目的の一つは、情報システムに費やす人的・財政的負担を減らし、職員を住民への直接的なサービスや企画業務へ振り向けることである。オンライン申請の普及も、この方向にある。

つまり、単純な申請や証明書発行のように、手続きが定型化されている仕事ほど、デジタル化や共同処理によって人数の減少を吸収しやすい。

もちろん、高齢者への窓口支援など、人が必要な部分まで消えるわけではない。それでも「一件の住民票を発行するために、その自治体だけの高度な専門家が必要」という仕事ではない。

問題になるのは、その反対側にある仕事である。

最初に苦しくなるのは「専門家が一人いないと動かない仕事」

道路に異常が見つかったとする。

単に穴が開いているだけなら補修を発注すればよいように見えるが、現実の行政ではそう簡単ではない。現場を確認し、危険度を判断し、工事方法を検討し、予算を確保し、設計や積算を行い、施工業者と調整し、完成した工事を検査する必要がある。

そこには土木の知識を持った職員が必要になる。

ところが、この人材がすでに薄くなっている。

国土交通省の資料では、1996年度から2024年度までに市区町村全体の職員数が約16%減少したのに対し、土木部門の職員数は約26%減少している。さらに、全国のおよそ半数の市区町村では技術系職員が5人以下である。別の国土交通省資料では、2023年時点で土木技師・建築技師が一人もいない自治体が435団体とされている。

ここに、人口減少時代の行政サービスを考える重要なヒントがある。

行政は「職員が100人から90人になったからサービスも一律に10%低下する」という仕組みではない。100人の中から土木技師が3人から2人になり、2人から1人になり、最後の1人が退職した瞬間、それまで自治体内部で完結していた機能が突然成立しなくなることがある。

人数の問題であると同時に、専門性の問題なのである。

道路や橋は、壊れてから問題になるのではない

こうした専門職不足の影響は、ある朝突然、道路が閉鎖されるという形で始まるとは限らない。

最初に起きるのは、おそらく「優先順位をつける行政」である。

以前なら年に何度も巡回していた道路を見る回数を減らす。小さな補修は翌年度へ送る。利用者の少ない施設への投資を先送りする。橋の点検で問題が見つかっても、緊急性の高いものから対応する。

その一つ一つは合理的な判断である。

ところが、それが10年続くと地域の姿が変わる。

人口の多い中心部では道路も施設も維持されるが、利用者の少ない地区では修繕までの期間が延びる。同じ自治体の中でも、行政サービスの密度に少しずつ差が生まれる。

人口減少によって最初に起きるのは、行政サービスの「消滅」ではなく、行政サービスの「粗密化」なのかもしれない。

そして、この変化は住民から見えにくい。

役場は開いている。住民票も取れる。ごみも収集されている。それでも町のどこかでは、橋の補修が一年延び、道路の草刈り回数が減り、水路の点検間隔が長くなっている。

行政機能は、ある日突然なくなるのではなく、少しずつ薄くなっていく。

次に苦しくなるのは「現場へ行かなければできない仕事」

デジタル化には大きな効果があるが、自治体の仕事をすべてデジタル化できるわけではない。

住民票はオンラインで処理できても、崩れかけた道路をオンラインで直すことはできない。

倒木が道路をふさいだら誰かが現場へ行かなければならない。大雨で側溝があふれたら現場を確認しなければならない。空き家が倒壊しそうなら建物を見る必要がある。高齢者の生活状況を確認する必要があれば、電話や画面だけでは判断できないこともある。

ここには、行政サービスのもう一つの境界線がある。

「情報を処理する行政」は少人数化しやすいが、「現実の地域を管理する行政」は少人数化しにくいのである。

人口減少が進む地方ほど、この矛盾は大きくなる。住民は減るのに自治体の面積は縮まらないからだ。

10平方キロメートルの町で人口が半分になっても、管理する土地が5平方キロメートルになるわけではない。道路、水路、山林との境界、公共施設、海岸、河川など、行政が関係する空間はほぼそのまま残る。

人口密度が低下するとは、一人の職員が担当しなければならない「地域の広さ」が相対的に大きくなることでもある。

災害対応は、普段の職員不足を一気に表面化させる

平常時には何とか回っている自治体でも、台風や豪雨、大規模地震が発生すると状況は変わる。

行政職員には通常業務とは別に災害対応が発生する。避難所を開設し、道路の被害を調べ、住民からの問い合わせに応じ、断水や停電の状況を把握し、国や都道府県との連絡を行い、被害認定や罹災証明にも対応しなければならない。

普段100の仕事を100人で処理している組織なら、一時的に120の仕事が来ても何とか対応できるかもしれない。

しかし、100の仕事を70人でぎりぎり処理する組織に、突然120の仕事が来れば事情は違う。

人口減少地域で恐ろしいのは、平常時の行政サービスが維持されているように見えるため、組織の「余白」がどれほど失われているのか住民から分かりにくいことである。

自治体職員の減少問題は、単なる窓口待ち時間の問題ではない。

災害時に行政がどこまで同時に動けるかという、地域の安全性そのものにかかわっている。

福祉行政は「なくなる」のではなく、一人あたりの負担が重くなる

一方で、人口減少社会では、住民が減るからといって福祉行政の需要まで同じように減るとは限らない。

むしろ、高齢化によって介護、生活支援、認知症、孤立、成年後見、身寄りのない高齢者への対応など、一件あたりの判断が難しい案件が増える可能性がある。

この仕事は住民票発行のように完全には定型化できない。

同じ「高齢者一人暮らし」でも、家族関係、所得、健康状態、認知機能、住宅環境、近隣との関係によって必要な支援は違うからだ。

したがって福祉分野では、サービスそのものが突然なくなるというより、一人の職員が担当する案件が増え、相談から対応までの時間が長くなるという形で職員不足が現れやすい。

ここでも行政サービスは「あるか、ないか」では測れない。

同じ制度が残っていても、相談員が十分にいる自治体と、少人数で多数の案件を抱える自治体では、実際に住民が受ける行政サービスの質は同じとは限らない。

「最初に維持できなくなるサービス」を一つに決めることはできない

では結局、自治体職員が減ったとき、最初に維持できなくなる行政サービスは何なのか。

全国共通で「これ」と一つに決めることは難しい。

ただし、弱くなりやすい行政には共通した特徴がある。

処理件数が少なくても一定数の専門職を必要とし、現場へ出る必要があり、機械的な標準化が難しく、しかも事故や災害が起きたときには即時に判断しなければならない仕事である。

道路、橋、上下水道、建築、防災、福祉などがその典型になる。

反対に、全国で制度が共通していて、処理方法を標準化しやすく、デジタル化や外部との共同処理が可能な業務は、比較的長く維持しやすい。

この違いを考えると、将来の自治体行政は「すべての仕事を現在の形のまま少人数で続ける」方向には進みにくい。

むしろ、何をその自治体が自分で担い、何を周辺自治体や都道府県と共同化し、何を民間に委託し、何をデジタル化するのかという再設計が避けられなくなる。

合併しなくても「役所の中身」は共同化されていく

人口が減れば市町村合併をすればよい、という考え方もある。

しかし、自治体を合併しなくても行政機能を共同化することはできる。

例えば、専門職を複数自治体で共有したり、一部の事務を広域組織で処理したり、都道府県が技術的支援を行ったりする方法がある。情報システムについても、約1,800の地方公共団体がそれぞれ独自に開発・保有する方式から、標準化された仕組みを利用する方向へ政策は動いている。

ここで重要なのは、「自治体を残すこと」と「自治体がすべての行政能力を自前で持つこと」は別問題だということである。

町長も議会も役場も残っている。しかし道路行政の専門機能は周辺自治体と共有する。情報システムは共通化する。高度な建築審査は広域で担う。

そうした自治体が今後増えても不思議ではない。

行政区域は残りながら、行政機能だけが広域化するのである。

人口ではなく「職員構成」を見なければ自治体の将来は分からない

地方自治体について語るとき、私たちは人口を見る。

人口3万人、1万人、5000人という数字は分かりやすいからだ。

しかし、本当に行政を維持できるかを考えるなら、人口だけでは十分ではない。

職員が何人いるのか。その中に土木、建築、保健、福祉、情報といった専門職が何人いるのか。50歳代の職員が退職したあと、代わりになる若手が採用できているのか。一人しかいない専門職が休職したり退職したりしたとき、その仕事を誰が引き継ぐのか。

こちらのほうが、地域の将来を考えるうえでは重要な数字になっていく。

人口1万人でも専門職を確保し、周辺自治体と業務を共同化し、デジタル化によって定型業務を効率化できれば行政を維持できる可能性はある。

反対に、人口がそれより多くても、専門職を採用できず、業務を職員個人の経験に依存していれば、特定の行政機能が先に弱くなることはあり得る。

人口規模だけから「何人以下なら自治体は維持できない」と線を引くのが難しい理由も、ここにある。

最後まで役場は残っていても、行政は以前と同じではない

人口減少社会で起きる行政の縮小は、役場が閉鎖されるところから始まるのではないだろう。

役場は最後まで残る可能性が高い。

住民票も発行され、税金も徴収され、ホームページには行政サービスの一覧が掲載され続ける。

それでも、その裏側では道路を見回る回数が減り、専門職一人の担当範囲が広がり、福祉相談の案件が積み重なり、災害時に応援へ回せる職員が少なくなっていく。

行政サービスが失われるとは、「制度の名前がなくなること」だけではない。

同じ制度が存在していても、対応までの日数が長くなり、現場へ行ける回数が減り、予防的な仕事より緊急対応が優先されるようになれば、その行政サービスはすでに以前とは違うものになっている。

だから人口減少地域を見るとき、役所が存在するかどうかだけを見ても十分ではない。

見るべきなのは、その役所に「地域で何か起きたとき、実際に動ける人が何人残っているか」である。

人口減少後の地方自治を左右するのは、役場という建物を残せるかどうかではない。

その建物の中に、地域を動かす知識と経験を持つ人を残せるかどうかなのである。

そして日本の地方自治は今、「住民が何人まで減れば維持できないのか」という問題から、「少なくなる職員で、どの行政機能をどこまで自前で持ち続けるのか」という、もう一段難しい問題へ入り始めている。

参考資料

本稿では、国土交通省による市区町村の職員数・土木系技術職員に関する資料、およびデジタル庁による地方公共団体の基幹業務システム統一・標準化に関する公表資料を参照した。国土交通省は、自治体のインフラ管理体制について、技術系職員の減少と人的制約への対応を重要課題として示している。またデジタル庁は、主要20業務のシステム標準化によって人的・財政的負担を軽減し、職員を住民への直接的サービスなどへ振り向ける方向を示している。

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