地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

支持率は政治家の能力を測っているのか~数字が映しているもの、映していないもの

政治家について報道するとき、ほとんど必ず登場する数字がある。支持率である。

内閣支持率が上がれば「政権に追い風」、下がれば「政権運営に打撃」。一定の水準を割り込めば「危険水域」と呼ばれ、その数字を材料に首相の求心力や選挙への影響まで語られる。私たちはいつの間にか、支持率という一つの数字によって政治家の状態を判断することに慣れてしまった。

しかし、ここには素朴な疑問が残る。

支持率が高い政治家は、本当に能力の高い政治家なのだろうか。

逆に支持率が低い政治家は、政策を立案したり、行政を動かしたり、外交交渉を行ったりする能力まで低いのだろうか。

結論から言えば、支持率は政治家の能力を直接測定している数字ではない。支持率が測っているのは、その時点で人々がその政治家や政権を「支持するかどうか」である。

当たり前のように聞こえるが、この二つを分けて考えることは、政治を数字から読むうえで非常に重要である。

「支持する」と「能力がある」は同じではない

会社であれば、経営者の能力をある程度は売上、利益、生産性、成長率などから評価できる。スポーツ選手なら、勝率、得点、記録という比較的明確な指標がある。

政治家の場合は事情が違う。

経済成長を重視する人もいれば、所得再分配を重視する人もいる。財政赤字を減らした政治家を高く評価する人がいる一方、そのために社会保障が削減されれば低く評価する人もいる。防衛力の強化を評価する人と、それを問題視する人もいる。

つまり政治には、そもそも全員が合意できる「得点」が存在しにくい。

そのため有権者が政治家を評価するときには、政策の成果だけではなく、「自分の考えに近いか」「生活が良くなったと感じるか」「説明に納得できるか」「信頼できそうか」といった複数の判断が混ざる。

政治学には、政府が過去に何をしてきたかを見て有権者が評価する「回顧的投票」という考え方があり、政府の実績に対する認識が政治的評価に影響することは古くから研究されている。しかし、そこで重要なのは、有権者が客観的な政策成果そのものを採点しているとは限らないということである。人々は自分が認識した政府の実績を通じて政治を評価する。

ここに、支持率と能力の間にずれが生まれる。

同じ政策でも支持率への影響は違う

例えば、ある政府が20年後の財政を安定させるため、現在の有権者に負担を求める政策を実施したとする。

長期的には合理的な政策かもしれない。しかし、現在の生活費が増えれば支持率は下がる可能性がある。

反対に、将来の財政負担を増やす政策であっても、現在の給付や減税につながれば歓迎されることがある。

ここで起きているのは、政治家の能力と有権者の評価時間軸のずれである。

政治家には10年、20年後を考えなければならない仕事がある。しかし、有権者の生活は今日も続いている。電気料金、食料品価格、住宅費、税金、社会保険料といった負担を毎月支払っている以上、「将来のためだから現在は我慢してほしい」という説明だけでは支持されないこともある。

だからといって、有権者の判断が間違っているということでもない。

将来の利益を理由に現在の負担を無制限に要求できるのであれば、民主政治は政府を監視する機能を失ってしまう。むしろ政治家には、長期的に必要な政策を設計すると同時に、その必要性を説明し、現在の負担をできるだけ公平に配分する能力まで求められる。

政策を考える能力だけでは政治は成立しない。

支持を形成する能力もまた政治家の仕事なのである。

ここまで考えると、支持率と能力の関係は単純なものではなくなる。

支持率には「期待値」が入っている

支持率を考えるとき、もう一つ見逃せないのが期待である。

100点の仕事をしたかどうかではなく、「期待していた仕事と比べてどうだったか」によって評価は変わる。

大きな期待を集めて誕生した政権は、一定の成果を上げても「期待ほどではなかった」と評価される可能性がある。一方、もともと期待が低ければ、小さな成果でも「思っていたよりよくやった」と受け取られることがある。

企業決算にたとえれば分かりやすい。

利益が増えても市場予想を下回れば株価が下がることがあり、利益が減っていても予想ほど悪くなければ株価が上がることがある。株価が企業の絶対的な実力だけではなく、市場参加者の期待との差によって動くように、政治家への評価にも期待との差が入り込む。

支持率という数字を見るとき、「何をしたか」だけを見るのでは足りない。

「何を期待されていたか」まで見なければならないのである。

景気が悪ければ政治家の能力も低く見えるのか

政治評価には、政治家が完全には制御できない出来事も影響する。

世界的な原油価格の上昇、海外での戦争、感染症、自然災害、外国為替市場の変動、世界経済の後退など、一国の政府だけでは解決できない要因はいくらでもある。

しかし、有権者は日常生活の中で政治を評価する。

食品価格が上がれば生活は苦しくなる。実質的な所得が減れば不満が生まれる。その結果として政権への評価が悪化しても不思議ではない。

政治家に原因があるとは限らないが、政府は結果に対する責任を問われる。

これは必ずしも非合理的ではない。

政治とは、問題そのものを発生させない能力だけを競うものではなく、問題が発生したときにどのように対応するかを問われる仕事でもあるからだ。

世界的な物価上昇を止められなかったことと、物価上昇への対応が適切だったかという問題は別である。

支持率には、この二つが混ざって表れる。

「何をしたか」だけでなく「どう見えたか」が数字になる

さらに難しいのが情報の問題である。

多くの有権者は、政府が毎日行っている行政活動を直接見ることはできない。

法律案の調整、官僚組織との協議、外国政府との交渉、予算編成、制度設計など、政治の中心部分の多くは日常生活から見えにくい。

私たちが政治を知る主な窓口は、新聞、テレビ、インターネットニュース、SNS(Social Networking Service・交流サイト)などである。

すると政治家への評価は、「政治家が実際に何をしているか」だけではなく、「その行動についてどのような情報に接したか」によっても変わってくる。

一つの失言が何日も報道されることがある一方、何か月もかけた制度改正は数分しか報じられないこともある。

これは報道機関が意図的に政治家を操作しているという話ではない。ニュースには、珍しい出来事、対立、失敗、変化などが取り上げられやすいという性質がある。

しかし、その性質がある以上、支持率は政策能力だけではなく、政治家の説明能力、報道される出来事、情報環境まで反映した数字になる。

ここまで来れば、「支持率=能力点」という解釈が成立しにくい理由が見えてくる。

支持率という数字自体にも誤差がある

しかも支持率は、国民全員に質問して得られた数字ではない。

実際の世論調査では、一定数の人を抽出し、その回答から全体を推定している。

調査の精度には、誰を対象にしたのか、どのように回答者を選んだのか、電話なのかインターネットなのか、質問をどのような言葉で尋ねたのかといった方法が関係する。Pew Research Center(ピュー・リサーチ・センター)も、世論調査では標本抽出だけでなく、質問の表現によって回答が変化する可能性があるとしており、一つの質問だけで複雑な世論を完全に把握することはできないと説明している。

日本の世論調査でも、RDD(Random Digit Dialing・電話番号を無作為に生成して対象者を抽出する方法)による固定電話・携帯電話調査などが使われてきた。したがって「支持率35%」という数字を、国民のちょうど35%が寸分違わず支持しているという意味で読むべきではない。

本当に重要なのは、1回の数字の小さな上下よりも、一定期間にどの方向へ動いているかである。

47%から46%になったことより、60%だった支持率が数か月かけて40%まで下がったという傾向の方が、政治的にははるかに大きな意味を持つ。

支持率は精密な体温計というより、社会の空気の変化を捉えるセンサーに近い。

それでも支持率が重要なのはなぜか

では、政治家の能力を直接測れないのであれば、支持率など気にする必要はないのだろうか。

そうではない。

むしろ民主政治において支持率は非常に重要である。

政治家がどれほど優秀な政策を考えていたとしても、それを国民に説明できず、支持を得られず、議会を動かせなければ政策は実現しないからである。

政治家の能力には、専門知識だけではなく、利害を調整し、国民に説明し、反対意見を聞き、妥協点を探し、最終的に制度として成立させる能力も含まれる。

その意味では、支持率と政治家の能力は無関係ではない。

ただし、支持率は能力そのものではなく、能力の一部分が社会との関係の中で現れた結果と考える方が正確だろう。

支持率90%だから90点の政治家ではないし、支持率20%だから20点の政治家でもない。

支持率とは、試験の点数ではないのである。

支持率を見るなら「なぜ」を見る

政治報道では数字そのものがニュースになる。

「支持率が5ポイント低下した」という見出しは分かりやすい。

しかし、本当に政治を理解しようとするなら、その次の問いへ進む必要がある。

なぜ下がったのか。

政策への反対なのか。物価なのか。不祥事なのか。首相本人への評価なのか。政党への評価なのか。説明不足なのか。それとも以前の支持率が一時的に高すぎただけなのか。

同じ支持率30%でも、その意味はまったく違う。

そして支持率が低いときこそ、政策評価と人物評価を分けて考える必要がある。

「この政治家を好きか」という問いと、「この政策は合理的か」という問いは、本来別のものである。

しかし政治では、この二つが簡単に重なってしまう。

好きな政治家の政策には甘くなり、嫌いな政治家の政策には厳しくなる。それは人間として不思議なことではないが、その心理を自覚しなければ、政治の評価は人物人気だけに引き寄せられてしまう。

政治家の能力を測るなら、何を見るべきなのか

政治家の能力を評価したければ、一つの数字を探すのではなく、複数の時間軸から見る必要がある。

公約した政策をどこまで実行したのか。その政策によって社会にどのような変化が起きたのか。予期しなかった問題が起きたとき修正できたのか。異なる意見を持つ人々と合意を形成できたのか。そして、自分に不利な情報についても説明責任を果たしたのか。

こうしたものは、一つの支持率には収まらない。

むしろ政治家の能力とは、数字一つで評価できないからこそ難しい。

選挙も同じである。

有権者は数年に一度、政策、人物、政党、経済状況、将来への期待などをまとめて一票に変える。その一票もまた、政治家の能力試験の採点ではない。

「この人に次の期間を任せるか」という判断である。

支持率は「政治家の成績表」ではなく「政治と社会の関係」を映す

支持率を政治家の能力点だと考えると、政治は非常に単純に見える。

上がれば優秀、下がれば無能。

しかし実際の政治はそれほど単純ではない。

支持率の中には、政策の成果だけでなく、景気、物価、事件、期待、政党支持、報道、説明能力、人物への好感、そして調査そのものの誤差まで混ざっている。

だから支持率は政治家の能力を測る物差しとしては粗い。

一方で、その数字を無意味だとして切り捨てるのも間違っている。

支持率が示しているのは、「政治家がどれほど優秀か」ではなく、「現在、その政治家と社会との関係がどのような状態にあるか」なのである。

そう考えれば、支持率の記事を見たときの読み方も少し変わる。

数字が上がったか下がったかだけではなく、その数字の背後で社会の何が動いたのかを見る。

支持率そのものより、「なぜその支持率になったのか」を考える。

その視点を持ったとき、世論調査は政治家の人気ランキングではなく、社会が政治をどのように受け止めているのかを知るための資料になる。

そしておそらく、それこそが支持率という数字の最も有効な使い方なのである。

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「権力を問いただすジャーナリスト」と「政治に近すぎる司会者」という二つの顔

日本の戦後テレビジャーナリズムを考えるとき、田原総一朗という人物を避けて通ることは難しい。

1934(昭和9)年生まれの田原は、昭和の高度経済成長期に映像制作の世界へ入り、テレビの成長とともにジャーナリストとして活動領域を広げた。そして平成には政治家を直接問いただすテレビ討論の中心人物となり、令和に入った現在も現役で活動している。

2026年8月現在、92歳である。

「朝まで生テレビ!」は1987年に始まり、2026年現在も田原が司会を務めている。2026年4月からは事前収録の1時間番組となったが、放送開始から約40年にわたって一人の司会者が政治・社会討論番組の中心に立ち続けてきた事実は、日本の放送史の中でも極めて特徴的である。

しかし、田原を評価するときに重要なのは、「有名だった」「長く出演した」という事実だけではない。

問うべきなのは、

田原総一朗は日本の言論空間に何を持ち込み、何を変え、その方法にはどのような限界があったのか

ということである。

1.映像ジャーナリストとして出発した田原総一朗

田原総一朗は1934年4月15日、滋賀県に生まれた。

早稲田大学卒業後の1960年、岩波映画製作所に入社する。1964年には、開局したばかりの東京12チャンネル、現在のテレビ東京へ移り、ディレクターとしてドキュメンタリー制作に携わった。1977年に退社し、フリージャーナリストとなった。

この経歴は、後年の田原を理解するうえで重要である。

田原は最初からテレビスタジオで政治家を質問する「政治司会者」だったわけではない。

出発点は映像制作者であり、1960年代から1970年代の東京12チャンネル時代には、社会的なタブーや当時扱いにくかった問題にも踏み込むドキュメンタリーを制作した。

テレビ東京自身も後年、田原が1960~70年代に手掛けた作品を「ドキュメンタリー番組」として改めて発掘し紹介している。

つまり、田原の原型には、

「権威ある人物の説明をそのまま受け取るのではなく、その裏側を直接確認する」

という取材姿勢があったと考えることができる。

2.1987年、「朝まで生テレビ!」が作った新しい政治討論

田原の名前を全国的に知らしめた最大の番組は、1987年にテレビ朝日で始まった「朝まで生テレビ!」である。

政治家、研究者、文化人、活動家など、立場の異なる多数の出演者を一つのスタジオに集め、長時間にわたって討論させる。

現在では珍しくない形式だが、当時のテレビにおいては非常に大胆だった。

司会者が順番に質問し、出演者が整然と回答するのではない。

参加者同士が反論し、議論が衝突し、時には司会者自身も議論に介入する。

田原は単なる進行役ではなく、

「それは違う」 「なぜなのか」 「本当なのか」

と相手に迫る役割を担った。

この形式によってテレビの政治討論は、政治家が用意した説明を発表する場所から、説明そのものがその場で検証される場所へ近づいた。

これは田原の重要な功績として評価できる。

3.「サンデープロジェクト」で政治家との直接対決を日曜朝へ持ち込んだ

もう一つ重要なのが、1989年に始まった「サンデープロジェクト」である。

テレビ朝日の公式資料によれば、同番組では田原による政治家との対談コーナーが次第に番組の中心となった。

この形式は「朝まで生テレビ!」とは異なる意味を持っていた。

多数の論客による討論ではなく、政府首脳や政党幹部などに田原が直接質問する。

政治家が抽象的な回答をすると田原が問い直し、回答を避ければさらに追及する。

現在の政治番組では普通に見られる形式だが、田原はテレビにおける「政治家への直接質問」を一つの娯楽性を持った番組形式にした代表的人物の一人である。

政治を新聞の政治面からテレビの日常的コンテンツへ移した功績は小さくない。

4.田原の最大の武器は「専門知識」ではなく質問だった

田原総一朗を政治学者や経済学者と同じ基準で評価すると、本質を見誤る。

田原は制度理論を体系化する研究者ではない。

政策モデルを構築するエコノミストでもない。

最大の能力は、

相手の発言の中にある矛盾、曖昧さ、説明不足を発見し、その場でもう一度質問する能力

だったと見る方が適切である。

政治家が、

「総合的に判断します」

と言えば、

「では、あなた自身は賛成なのか反対なのか」

と聞く。

「党内で検討します」

と言えば、

「あなたはどう考えているのか」

と問い直す。

ここに田原型ジャーナリズムの特徴がある。

高度な専門知識を長時間解説することよりも、

権力者に明確な言葉を発させる

ことを重視したのである。

5.「政治との距離の近さ」は強みであると同時に弱点でもある

しかし、田原の方法には重大な論点もある。

それは政治家との距離である。

田原は長年、歴代の首相経験者や政党幹部など多数の政治家を直接取材してきた。

この人的ネットワークによって、公式会見だけでは得にくい政治家本人の考えや政局の内幕へ接近できた。

ジャーナリストにとって情報源との関係構築は必要である。

したがって「政治家と親しい」という事実だけでジャーナリストとして不適切だとはいえない。

問題は、

取材対象との関係が、取材対象を批判する能力を弱めていないか

である。

これは田原だけの問題ではなく、政治記者すべてに存在する構造的問題である。

政治家との距離が遠すぎれば情報を得られない。

近すぎれば独立性が疑われる。

田原はこの境界線の非常に近い場所で取材を続けてきたジャーナリストだった。

そのため評価も分かれる。

「政治家の本音を聞き出せるジャーナリスト」と見ることもできる一方、

「政治家との関係そのものが政治に影響を与える存在になった」

と見ることも可能である。

後者の場合、ジャーナリストと政治的アクターの境界が曖昧になるという問題が生じる。

6.田原は本当に「政局を動かした」のか

田原についてしばしば、

「田原の番組が政局を動かした」

と表現されることがある。

しかし、この評価には慎重さが必要である。

テレビ番組出演後に政治状況が変化したからといって、番組が原因だったとは限らない。

政局には、

政党内力学、世論、選挙情勢、官僚組織、経済状況、国際情勢、他の報道機関による報道

など多数の要因がある。

したがって、

「田原が政治を動かした」

と単純に因果関係を断定するのは適切ではない。

より正確には、

政治家がテレビ上で直接説明を迫られ、その発言が世論や他のメディアに広がるという政治コミュニケーションの回路を強化した

と評価するべきであろう。

7.田原型討論の弱点~議論の「勝敗」が目立ちすぎる

「朝まで生テレビ!」の形式には大きな長所があった。

異なる立場の人間が直接議論することである。

しかし同じ特徴が弱点にもなる。

テレビでは、

誰が論理的に正しいか

より、

誰が強く言ったか

誰が相手を言い負かしたか

誰が目立ったか

が視聴者の印象を左右する場合がある。

田原自身も積極的に議論へ介入するため、

論点整理型の司会者ではなく、「討論参加型司会者」に近い。

そのため、田原の問題設定そのものが議論の方向を決めてしまう可能性もある。

これは重要な限界である。

司会者が強い存在感を持つほど、

「何について議論するか」 「誰に長く話させるか」 「どの回答をさらに追及するか」

という判断が番組内容を左右する。

つまり田原型ジャーナリズムは、

権力者を問いただす力を強める一方で、

司会者自身の権力も強くする仕組み

なのである。

8.それでも「異なる意見を同じ場所に置く」という価値は大きかった

この点を考えると、「朝まで生テレビ!」の最大の歴史的意義は、田原個人の政治的意見にあったとは限らない。

むしろ、

対立する意見を同じ場所に集め、互いに直接反論させたこと

にある。

現在のSNSでは、人は自分と似た意見を持つ人々だけをフォローすることが可能である。

日本のTwitterを対象とした研究でも、政治的に異なる複数のコミュニティが形成され、一部の政治テーマが特定コミュニティ内で集中的に共有される現象が確認されている。

これに対しテレビ討論は、少なくとも番組という一つの空間の中では、異なる立場の人間を強制的に向き合わせる。

田原型討論は騒々しく、時に整理不足であったとしても、

「反対意見を直接聞く」

という公共討論の一つの形式を提供していた。

9.昭和の田原~タブーへ踏み込むテレビマン

田原の昭和期を特徴づけるのは、政治評論よりも映像ドキュメンタリーである。

1960年代から1970年代は、日本社会が高度経済成長、学生運動、企業社会の拡大、公害、性をめぐる価値観の変化など、大きく動いた時代だった。

田原は東京12チャンネルのディレクターとして、その社会の内部へカメラを入れる側にいた。

テレビ東京が後年、田原の当時の作品群を改めて「発掘」する特別番組を制作した事実も、その時代の田原の仕事がテレビ史の一部として認識されていることを示している。

10.平成の田原~テレビ政治の中心人物

田原が最も大きな社会的影響力を持ったのは、平成期であったと考えるのが妥当だろう。

1989年に平成が始まると、日本政治は自民党一党優位体制の動揺、1993年の政権交代、政治改革、連立政権、2001年以降の小泉政治、2009年の民主党への政権交代など、大きく変化した。

この時代に「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」という政治討論番組が存在し、田原が中心にいた。

したがって田原は、

平成のテレビ政治を象徴するジャーナリスト

と位置づけることができる。

ただし、「平成政治を田原が作った」とまでは言えない。

テレビそのものの社会的影響力が極めて大きかった時代と、田原の活動期が重なったのである。

11.令和の田原~言論の中心から「歴史の証言者」へ

令和に入り、情報環境は変わった。

政治家自身がSNSで発信し、YouTubeなどの動画配信を使い、既存のテレビ局を介さず有権者へ直接情報を届けられるようになった。

その意味では、田原が築いたテレビ政治のモデルは相対的に弱くなっている。

しかし一方で、田原自身は現役を続けている。

2026年8月現在もBS朝日「朝まで生テレビ!」の司会を務めており、同番組は1987年の開始から40年目に入った。2026年4月からは生放送・長時間討論という従来形式を変更し、事前収録の1時間番組となっている。

2025年には新たにニュースレター配信を始めるなど、テレビ以外の媒体にも活動を広げている。

ここまで来ると田原は、単なる現役ジャーナリストというより、

戦後日本の政治・経済・メディアを継続的に取材してきた「証言者」

という側面を持つようになっている。

12.田原の思想を単純に「右」「左」で分類することは難しい

田原の発言には明確な政治的意見が存在する。

しかし、その活動全体を保守・革新、右派・左派の一つに固定すると理解しにくい。

田原自身は戦争体験について繰り返し語り、言論の自由や非戦の重要性を強調している。近年のインタビューでも、自身が少年期には軍国主義的教育を受けた経験を踏まえ、戦争と言論統制への強い警戒を語っている。

一方で、取材対象は特定政党に限定されず、与野党の政治家や企業経営者、官僚、研究者など幅広い。

したがって田原を評価する場合には、思想的ラベルより、

「誰に何を聞いたのか」 「反対意見を扱ったか」 「権力者への質問を継続したか」

という具体的行動を見る方が適切である。

13.田原総一朗の功績

田原のジャーナリズム上の功績は、大きく四つに整理できる。

第一は、政治家をテレビ上で直接問いただす形式を定着させたことである。

第二は、政治や社会問題について異なる立場の人間を同じ場所で議論させたことである。

第三は、記者が用意された回答を聞くだけでなく、その場で再質問する重要性を示したことである。

第四は、政治を専門家だけの世界からテレビ視聴者が日常的に見る公共的議論へ近づけたことである。

1998年には、戦後の放送ジャーナリストを顕彰する「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」を受賞している。

14.同時に残った問題

一方で、田原型ジャーナリズムをそのまま理想形と考えることもできない。

問題は少なくとも五つある。

政治家との距離が近くなりすぎる危険。

司会者自身の政治的判断が議論へ強く反映される危険。

発言を遮ることで、本来必要な説明まで短くしてしまう危険。

専門的政策議論が「誰が勝ったか」というテレビ的対決へ変化する危険。

そして、有名政治家を中心とした政治報道になり、制度や政策そのものの検証が弱くなる危険である。

これらは田原個人だけの問題ではない。

田原が確立した「テレビ政治」という形式そのものが抱える問題でもある。

15.総合評価~田原総一朗は「正解を示した人」ではなく「問い続けた人」である

田原総一朗を評価するとき、

「田原の政治的主張は正しかったのか」

という問いだけでは不十分である。

何十年間も政治を論じていれば、後から見て適切だった判断もあれば、そうでなかった判断も当然存在する。

重要なのは方法である。

田原は、権力者の説明に対して、

「本当にそうなのか」

と繰り返し問い続けた。

そして政治家同士、専門家同士、思想の異なる人間同士を同じ場所へ集め、対立を可視化した。

一方、その方法は司会者自身の影響力を非常に大きくし、ジャーナリストと政治家の距離、討論とショーの境界という問題も生んだ。

したがって田原総一朗は、

「理想的ジャーナリスト」

として無条件に称賛するべき人物でも、

「政治に近すぎたテレビ人」

として否定するだけの人物でもない。

より妥当な評価は、

戦後日本でテレビが最も強い社会的影響力を持った時代に、テレビを政治的公共空間へ変えようと試み、その可能性と危険性の双方を体現したジャーナリスト

というものだろう。

昭和には社会のタブーへカメラを向けた。

平成には政治家へ直接質問した。

令和には、テレビ中心型言論そのものが衰退する中でなお発言を続けている。

田原総一朗の約半世紀に及ぶ活動を振り返ることは、一人のジャーナリストの人物評にとどまらない。

それは、

日本の言論が、新聞からテレビへ、そしてテレビからSNSやインターネットへ移ってきた歴史そのものを考えることでもある。

そして現在、田原の時代より情報量は圧倒的に増えた。

しかし、

「権力者の説明をそのまま受け取らない」 「分からないことをもう一度聞く」 「反対意見を同じ場所で検証する」

というジャーナリズムの基本的な仕事が不要になったわけではない。

むしろ情報が細分化され、社会が政治的に分断されやすくなった時代だからこそ、

田原総一朗が残したものの中から、

何を継承し、何を修正すべきなのか

を考えることに意味があるのである。

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