地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

商工会、観光協会、自治会~地域で発言力の強い組織は誰が決めているのか

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 地方の会議の写真を見ると、ときどき似た顔ぶれが並んでいることに気づく。地域経済について話し合う席には商工会、観光振興なら観光協会、住民生活に関する会議なら自治会の代表がいる。そこに行政職員や議員、場合によっては学識経験者が加わり、「地域の意見」を聞きながら政策を考えていく。それ自体は不思議なことではなく、市や町の事情を知らない人だけで地域政策を作るより、長く現場に関わってきた人の話を聞く方が合理的である。

 しかし、その当たり前の風景を少し違う角度から眺めると、一つの疑問が浮かぶ。観光協会は、いつから「観光の声」になったのだろう。商工会が話す地域経済とは、その地域で働く人すべての経済なのだろうか。そして自治会の代表が「地域住民としては」と語ったとき、その「住民」には自治会へ加入していない人や、最近移住してきた人、仕事や子育てで地域活動にほとんど参加できない人まで含まれているのだろうか。

 市長・町長や議員なら、少なくとも権限を持つまでの入口は目に見える。選挙があり、有権者が投票し、その結果として公職に就く。しかし地域社会には、住民による選挙を経なくても行政から繰り返し意見を求められ、審議会や協議会に参加し、「地域を代表する声」として扱われる組織や人物が存在する。

 では、その発言力は誰が決めているのだろう。

 実は、この問いに「市長・町長が決めている」「行政が決めている」「昔からの有力者が決めている」と一人の主体を置いてしまうと、かえって地域社会の本当の姿を見失う。地域の発言力は、誰かが一度の決定で与えるものというより、人間関係、組織、情報、参加実績、行政との接点が長い時間をかけて積み重なった結果として形成されている可能性が高いからである。

組織の代表者と「地域の代表者」は同じではない

 最初に区別しておかなければならないのは、ある組織を代表する資格と、地域全体を代表する資格は別のものだということである。

 商工会は法律に基づく組織であり、会員の議決権や役員などについて制度が定められている。したがって、商工会長が何の手続きもなく突然「地域経済の代表」を名乗っているわけではなく、その組織内部では一定の正当性を持つ代表者である。

 しかし、そのことから直ちに、商工会長が地域経済に関わるすべての人を代表しているとは言えない。地域には商工会に加入する事業者もいれば加入しない事業者もおり、店舗を構える人もいれば、自宅からインターネットを使って全国へ商品やサービスを販売する人もいる。農業、建設、福祉、医療、宿泊、飲食、小売では利害も異なり、自治体の外にある会社で働きながら地域内で生活している住民まで含めれば、「地域経済の声」は一つではない。

 それでも行政が地域経済について意見を聞こうとしたとき、地域内の事業者一人ひとりに同じ時間をかけて聞き取りをすることは現実的ではない。そこで、すでに組織があり、代表者がいて、連絡先が明確で、ある程度まとまった意見を伝えることのできる商工会が窓口になりやすい。

 ここには、地方社会を考えるうえで重要な仕組みが隠れている。発言力とは、必ずしも誰かが強引に奪い取ったものではなく、「意見を集約できる組織がある」という事実そのものから生まれることがあるのである。

観光協会が「観光の声」になるまで

 観光協会の場合は、さらに事情が複雑である。全国の観光協会が同じ法律、同じ法人形態、同じ財源、同じ役割で運営されているわけではなく、行政との距離も地域によって異なる。また、観光協会の中にはDMO(Destination Management/Marketing Organization・観光地域づくり法人)として登録され、単なる観光宣伝だけではなく、データ分析、観光戦略の策定、関係事業者との調整など、地域全体の観光経営に関与する団体もあるが、すべての観光協会がDMOであるわけではない。

 この違いを無視すると、「観光協会」という同じ名称の組織が全国で同じ影響力を持っているかのような誤解が生まれる。実際には、行政からの委託や補助、会員構成、観光産業の規模、地域内での歴史などによって、その位置は大きく違うだろう。

 それでも観光協会が行政の重要な相談相手になりやすい理由は理解できる。宿泊施設、飲食店、観光施設、交通事業者など、観光に関わる多くの主体と接点を持っていれば、行政が一軒ずつ事情を聞くより効率的だからである。

 ところが、この便利な窓口が長く使われ続けると、「観光関係者の意見」と「地域全体としての観光に対する意見」がいつの間にか近いものとして扱われる可能性が出てくる。

 たとえば海辺の市や町で、観光客を増やすための大規模な駐車場整備が計画されたとしよう。宿泊施設や飲食店にとっては集客につながるかもしれないが、近隣住民にとっては交通量や騒音が増える可能性があり、観光とは直接関係のない住民から見れば、税金を使う優先順位について別の意見があるかもしれない。

 観光振興という言葉には、売上、雇用、税収、地域ブランド、交流人口など多くの公共的な価値が結びついているため、個々の事業者の利益だったものが「地域全体のための政策」として語られやすい。その転換が合理的な場合もあれば、一部の利害が地域全体の利益として拡張されてしまう場合もある。

 だから重要なのは、「観光協会は地域を支配している」と決めつけることではない。誰の利益が、どのような経路を通って「地域の利益」という言葉に変換されているのかを確かめることである。

自治会の「住民代表」はどこまで住民を代表しているのか

 自治会になると、「代表」という問題はさらに身近になる。

 自治会は自治体そのものではなく、一般に住民によって自主的に組織される地域団体である。一方で、防災、防犯、環境美化、ごみ集積所の管理、地域行事、行政情報の伝達など、行政と住民の間にある多くの仕事を担ってきた。

 行政にとって、自治会が持っている情報は貴重である。道路が傷んでいる、街灯が暗い、一人暮らしの高齢者が増えている、空き家が増えた、祭りの担い手が足りないといった地域の細かな変化は、統計表だけでは簡単に把握できない。しかし自治会長に聞けば、「この辺では最近こうなっている」と具体的な話が出てくることがある。

 この情報機能を考えれば、行政が自治会を地域の窓口として利用すること自体には十分な合理性がある。

 ただし、ここでも「地域事情をよく知っていること」と「住民全体を代表していること」は別である。全国的に自治会加入率の低下や役員の担い手不足が課題とされており、地域によっては住民のかなりの割合が自治会に加入していない。加入していても会合には参加しない人、名前だけ加入している世帯、活動の中心を長年同じ少数の住民が担っている地域もあるだろう。

 この状況で自治会長が「地域住民の意見として」と発言した場合、それが住民全体の意見なのか、自治会加入者の意見なのか、役員会で話し合われた意見なのか、それとも地域事情を熟知した会長個人の判断なのかは、本来区別して考える必要がある。

 しかし現実の会議では、その違いが曖昧なまま「住民代表」という一つの言葉にまとめられることがある。

 ここに、地域政治の見えにくさがある。

問題は「誰が話したか」だけではなく「誰がそこに座っているか」にある

 政治について考えるとき、私たちは会議の中で誰が何を発言し、誰が賛成し、誰が反対したかに注目しやすい。しかし、実際にはその前の段階に重要な選択が存在する。

 誰を会議に呼んだのか、という選択である。

 仮に十人の委員による地域振興の会議が開かれ、市長・町長、学識経験者、商工会、観光協会、自治会、福祉関係者などが参加していたとする。会議の中で全員が自由に意見を述べれば、手続きとしては開かれた議論に見える。

 しかし、その十人が住民全体の縮図になっているとは限らない。

 子育て中の住民、若年層、最近移住してきた人、自治会に入っていない人、商工会に加入していない事業者、自治体の外へ通勤する住民、地域活動にはほとんど参加しないがそこで暮らし税を負担している住民は、どの席に座っているのだろうか。

 もちろん、すべての住民を一つの会議に集めることなどできない。だから代表者を選ぶこと自体は避けられない。しかし代表者を選ぶ以上、「誰を代表者として選びやすいか」という仕組みそのものを検討する必要がある。

 地方の見えない権力は、採決の瞬間だけに現れるのではない。ときには、委員名簿を作る段階ですでに輪郭を見せている。

なぜ参加者は住民全体と同じ構成にならないのか

 この問題は感覚だけでなく、統計学的にも考えることができる。

 住民全体から無作為に人を選べば、人数が十分に多くなるにつれて、選ばれた人々の構成は住民全体の構成に近づいていく。しかし地域活動への参加者、団体役員、協議会委員などは通常、住民から完全な無作為抽出によって選ばれているわけではない。

 住民の中には地域活動に積極的な人もいれば、ほとんど参加しない人もいる。仮に住民の20%を積極的参加層、80%をそれ以外の住民とし、積極的参加層が委員候補になる確率を20%、その他の住民を2%と仮定すると、最終的な委員候補の約71%を、人口では20%しかいない積極的参加層が占めることになる。

 これは実際の自治体について測定した数値ではなく、選択の仕組みを理解するための仮想例である。しかし、数学的に示していることは重要である。最初の住民構成に大きな偏りがなくても、「地域活動に参加する」「団体役員になる」「推薦対象になる」「委員に選ばれる」という複数の段階で選ばれる確率に差があれば、最終的に会議へ出てくる人々の構成は住民全体から大きく離れる可能性がある。

 統計学では、このような問題を選択バイアスとして考えることができる。

 つまり、「会議で多く聞こえた意見」が「住民全体で最も多い意見」であるとは限らない。

 十人が強く主張していることと、千人が静かに考えていることのどちらが地域の多数意見なのかは、会議の音量からは分からないのである。

行政が「いつもの人」を呼ぶことには合理性もある

 それでは、行政はなぜ同じ団体や似た人物に繰り返し意見を求めるのだろう。

 ここを「行政と有力者の癒着」とだけ説明すると、現実を単純化しすぎる。

 自治体職員が短期間で新しい政策案を作らなければならないとき、数千人、数万人、あるいはそれ以上の住民すべてに聞き取りを行うことはできない。誰に連絡すればよいのか分かり、会議の日程を調整でき、資料を読んで意見を返し、地域事情も知っている人は、行政にとって非常に扱いやすい情報源になる。

 商工会、観光協会、自治会などが行政の会議に繰り返し登場する背景には、この実務上の効率性がある。

 しかも長期間地域活動を続けている人には、単なる肩書以上の知識が蓄積している可能性もある。どの道路が混むのか、どの地区で高齢化が進んでいるのか、誰に話を通せば地域行事が動くのか、過去の政策がなぜ失敗したのかといった知識は、行政の資料だけを読んでも分からない。

 したがって、「同じ人が何度も会議に出ている」という事実だけでは、それが既得権益なのか、行政運営の効率なのか、蓄積された専門性への評価なのかを判断することはできない。

 地域の発言力を分析するときには、少なくとも「権力」「効率」「専門性」という複数の説明を同時に考える必要がある。

発言力があるから呼ばれるのか、呼ばれるから発言力を持つのか

 さらに難しい問題がある。

 ある人物が多くの行政会議に参加しているとしよう。その人は発言力が強いから会議に呼ばれているのかもしれない。しかし逆に、会議へ何度も参加するうちに行政職員や議員との接点が増え、情報が集まり、別の委員を紹介され、結果として発言力が強くなった可能性もある。

 原因と結果が逆方向にも動くのである。

 発言力があるから会議に呼ばれ、会議に呼ばれることでさらに情報や人脈を得て、次の会議にも呼ばれやすくなる。この循環が長期間続けば、最初にどちらが原因だったのかを後から区別することは難しくなる。

 昨日まで無名だった人物が、肩書を得た瞬間に突然「地域の有力者」になるわけではない。祭り、防災訓練、商工団体、観光イベント、行政委員、地域福祉活動などに十年、二十年と関わり、そのたびに新しい人と知り合い、「この問題ならあの人に聞けば分かる」という評価が少しずつ積み重なっていく。

 地域の発言力とは、選挙のように一度の出来事によって誕生するのではなく、長い時間をかけて形成される社会的な信用でもある。

「人脈が広い人」より「異なる世界をつなぐ人」が強い

 ここで地域の人間関係を、少し数理的に見てみよう。

 人を点、人と人との関係を線として描く考え方をSNA(Social Network Analysis・社会ネットワーク分析)という。この視点に立つと、地域の発言力は単純に「知り合いが多い人ほど強い」とは限らない。

 たとえば百人の知人がいても、その百人がすべて同じ自治会の中だけにいる人と、知人は二十人しかいないものの、行政、商工会、観光業、議会、福祉団体、自治会という異なる集団にそれぞれ接点を持つ人では、情報を仲介する能力が違う。

 社会ネットワーク分析では、単純なつながりの数だけでなく、他の集団と他の集団の間に位置して情報や人を仲介できるかという中心性も重要になる。

 地域で本当に影響力を持つ人を探すなら、名刺に書かれた肩書だけを見るより、その人が異なる組織の間をどのようにつないでいるかを見る方が実態に近い場合がある。

 行政にも話ができ、商工会にも顔が利き、観光関係者とも付き合いがあり、自治会の事情も知っている人がいれば、その人物は正式な権限を持っていなくても、情報の交差点になり得る。

 権力とは、「命令できること」だけではない。「誰と誰をつなげられるか」という位置から生まれることもあるのである。

情報を知る時期にも差が生まれる

 地域の発言力を考えるうえで、もう一つ見落とせないものが情報である。

 行政が新しい政策を正式に発表した日だけを見れば、すべての住民が同じ日に情報を得たように見える。しかし政策が正式な形になるまでには、担当部署による情報収集、関係団体への聞き取り、事業者との意見交換、庁内調整などが行われることがある。

 日常的に行政との接点を持つ団体は、こうした政策形成の比較的早い段階から情報や意見交換に接する機会を持つ場合がある。

 これは秘密情報を得ているという意味ではない。政策を作るためには、関係する団体や専門家へ事前に事情を聞かなければならないことも多い。しかし、正式発表を見て初めて問題を知る住民と、それ以前から行政との意見交換に関わっている人では、政策を考える時間や準備できる情報量に差が生まれる可能性がある。

 そのため、地域の発言力を考えるなら、「誰が最終的に発言したか」だけではなく、「誰がどの段階から政策形成に参加していたか」を見る必要がある。

声の大きい人より、声を届ける回路を持つ人

 地方政治について語るとき、「声の大きい人の意見ばかり通る」という表現が使われることがある。しかし、実際にはもう少し複雑だろう。

 一人の住民が行政へ電話して観光政策について意見を述べれば、それは個人の意見として受け止められるだろう。一方、観光協会が正式に意見を提出すれば、行政はそれを観光関係者の意見として捉える可能性があり、商工会からの要望であれば地域事業者の意見、自治会連合組織からの要望であれば一定の地域住民を背景に持つ意見として受け止めることがあり得る。

 同じ内容でも、個人として発言するのか、一定の構成員を持つ団体として発言するのかによって、その意見がどの範囲を代表するものとして認識されるかは変わり得る。

 ここで強いのは、人間の声量ではない。

 意見を行政へ届けるための安定した回路を持っていることである。

地域団体をなくせば民主的になるわけではない

 ここまで読むと、商工会や観光協会、自治会の力を小さくすれば、より民主的な地域社会になるように思えるかもしれない。

 しかし、それも単純ではない。

 これらの団体がなければ、行政は地域の細かな事情を知るために別の方法を用意しなければならず、行政と住民の距離がかえって広がる可能性もある。災害時の連絡、防犯、地域福祉、商業政策、観光政策などでは、地域内のネットワークを持った団体が存在すること自体に大きな公共的価値がある。

 したがって、問題は商工会、観光協会、自治会が意見を述べることではない。

 その意見が「誰の意見なのか」を曖昧にしないことである。

 商工会の意見なら、その商工会が代表できる範囲の意見であり、観光協会の意見なら、その組織が把握している観光関係者を中心とした意見である。自治会の意見も、その自治会が接触できる住民や地域活動の中から形成された意見であり、必ずしも自治体住民全体の統計的な縮図ではない。

 どの組織の意見も重要である。

 しかし、どの組織の意見も地域社会そのものではない。

 複数の部分的な声を集め、それぞれが誰を代表しているのかを確認しながら政策を作るのであれば、地域団体は民主主義を支える重要な装置になる。反対に、一つの部分的な意見を「地域の総意」と読み替えた瞬間、そこに含まれない人々が見えなくなる。

本当の「地域の声」は、簡単には見つからない

 では、どうすれば本当の住民意見を知ることができるのだろう。

 残念ながら、一つの方法だけで完全に把握することは難しい。

 自治会から聞けば地域活動に参加する人の声を詳しく知ることができ、商工会から聞けば事業者の事情を把握しやすい。観光協会には観光現場の情報が集まり、住民アンケートでは普段会議へ出ない人の意見を拾うことができる。無作為抽出による調査を使えば住民全体に近い構成から意見を得ることも可能になるが、回答率が低ければ別の偏りが生じる。

 つまり「住民の声」とは、どこかに一つの完成品として存在しているものではない。

 異なる方法で集めた声を比較し、その偏りを理解しながら近づいていくしかないのである。

誰が発言力を決めているのか

 最初の問いに戻ろう。

 商工会、観光協会、自治会などの発言力を、いったい誰が決めているのだろう。

 おそらく答えは、「誰か一人ではない」である。

 組織の内部で役員が選ばれ、行政が意見を求め、担当者が委員候補として推薦し、市長・町長が相談し、議員が接触し、地域行事で顔を合わせ、報道機関がコメントを求める。その小さな選択が何年も繰り返されるうちに、「地域のことならこの人に聞けばよい」という社会的な位置が形成されていく。

 そこでは、肩書、人脈、専門知識、情報、信頼、参加実績が互いに絡み合っている。

 だから地域の権力を知ろうとして、市長・町長や議員の名前だけを調べても十分ではない。誰がどの審議会に参加しているのか、同じ人物が複数の団体や委員を兼任しているのか、行政がどの組織に繰り返し意見を求めているのか、どの団体が補助金や委託事業を受けているのか、そして「地域の声」という言葉の後ろに誰がいるのかを追っていく必要がある。

 もし人物を点、所属、委員兼任、行政との接点などを線として描けば、地域社会の人間関係は一つのネットワークとして見ることもできる。そこで重要なのは、単に知り合いが多い人物ではなく、行政、経済、観光、地域団体といった異なる世界を結んでいる人物である可能性がある。

 そうして地域を眺め直すと、選挙結果だけを見ていたときとは別の政治地図が浮かび上がってくる。

 ただし、それをすぐに「癒着」「既得権益」「地方の闇」と呼んでしまえば、かえって本質は見えなくなる。同じネットワークは、あるときには権力として働き、別のときには行政の効率を高め、災害時には住民を助ける連絡網となり、長年蓄積された地域知識を次世代へ伝える装置にもなるからである。

 地方の見えない権力が興味深いのは、秘密の会議で誰かが地域を支配しているからではない。

 むしろ誰も「この人を地域の有力者にしよう」と正式に決めていないのに、長い時間の中で発言力の差が自然に形成されていくところにある。

 そして、その仕組みを作っているのは、会議に出る少数の人だけではない。地域活動には参加せず、委員にもならず、「誰かがやってくれているから」と地域の運営を任せてきた多数の住民も、その構造の外側にいるのではなく、沈黙という形でその構造の一部になっている。

 地域で本当に強いのは、声の大きな人なのか。肩書のある人なのか。人脈の広い人なのか。それとも、他の誰より長く、その場所に座り続けてきた人なのか。

 その答えを知りたければ、市長室や町長室だけを見るのでは足りない。

 商工会の会議室、観光協会の事務所、自治会館の長机、行政の審議会名簿、そして何気なく繰り返される「この件なら、あの人に聞いてみよう」という一言まで見なければならない。

 地方の政治は、選挙の日だけ動いているわけではないのである。

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