地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

「地域でお金を回しましょう」という言葉は、地方創生や商店街振興の場でよく聞かれる。地元の店で買い物をし、地元の会社に仕事を頼み、できれば地元で作られたものを選ぶ。それによって地域が豊かになる、と説明されることも多い。しかし、少し考えてみると不思議な言葉でもある。お金は使えば店に渡り、店から仕入先へ渡り、最後にはどこかへ消えていく。同じ千円札を町の中で何度受け渡したところで、千円札が二千円札になるわけではない。それでは「お金が回る」とは、経済学的にはいったい何が起きているのだろうか。

この問いを考えるには、財布の中の紙幣ではなく、その紙幣が誰の所得になるのかを見る必要がある。地域経済にとって重要なのは、お金そのものが町の中を移動することではない。ある人の支出が別の人の売上となり、その売上の一部が賃金や利益として地域住民の所得になり、その所得が再び地域の店や事業者に支払われる。この連鎖がどこまで続くかによって、同じ一円の経済的な意味が変わってくるのである。

一枚の千円札を追いかけてみる

たとえば、ある町を訪れた観光客が、地元の食堂で千円の昼食を食べたとする。この千円は、もともと町の外にあった所得である。それが食堂の売上として町の中へ入ってきた瞬間、地域経済には千円の需要が新しく生まれる。

けれども、その千円がそのまま食堂の主人の所得になるわけではない。米を買い、魚を仕入れ、電気代を払い、調味料を買い、設備を修理しなければならない。その食堂が地元の漁師から魚を買い、近所の米屋から米を仕入れ、町内の電気工事店に修理を頼んでいるなら、観光客が置いていった千円の一部は、食堂だけではなく町の別の事業者の売上へと変わっていく。

魚屋がその所得で町内の理髪店に行き、理髪店の主人が地元のスーパーで食料品を買えば、最初の千円が生み出した需要はさらに先へ進む。もちろん、そのたびに一部は町の外へ出ていく。それでも、外へ出るまでに何度も地域住民や事業者の所得を生み出すなら、その千円は地域経済の中で比較的大きな働きをしたことになる。

経済波及効果を分析するときにも、ある需要による直接的な売上だけでなく、原材料などへの需要が生まれる一次的な波及、さらにそこで生じた所得が消費されることによる二次的な波及が考えられる。環境省の地域経済波及効果分析でも、域外から原材料を調達したり、域外居住者へ賃金を支払ったり、所得が域外で消費されたりすれば、その途中で効果が地域外へ流出すると整理されている。

「地域でお金を回す」という言葉の実体は、こうした所得の連鎖なのである。

地域経済には「入口」と「出口」がある

もっとも、町の中だけで何度も買い物をしていれば、それだけで永遠に豊かになれるわけではない。ここには、地域経済を考えるうえで非常に重要な落とし穴がある。

十人の住民がそれぞれ一万円を持っている町を想像してみよう。互いに商品を売ったりサービスを提供したりすれば、取引額は増える。しかし、町全体が最初に持っていた所得そのものが、それだけで増えるわけではない。地域の中だけでお金を受け渡している経済は、やがて使える所得の限界にぶつかる。

そこで必要になるのが、地域の外から所得を獲得する力である。農産物を都市へ売ることも、製造業が町外へ製品を出荷することも、観光客が宿泊することも、地域外の企業から仕事を受注することも、外から所得を持ち込むという意味では同じ働きをする。町外で働く人の給与、年金や政府からの財政移転なども、経路は異なるものの、地域経済へ所得を流入させる役割を持つ。

環境省が地域経済を考える際に、「地域でお金を循環させること」と並んで「地域でお金を稼ぐ力」を重視しているのは、このためである。地域経済は、生産によって所得を稼ぎ、それが家計や企業へ分配され、消費や投資として支出され、再び生産へ戻っていく。したがって、外から稼ぐ力と、入ってきた所得を地域内に残す力の双方が必要になる。

町の経済を風呂桶にたとえるなら、域外から所得を稼ぐ産業は蛇口であり、町外への支払いは排水口である。桶の中で水を勢いよくかき回しても、蛇口が閉まり、排水口が大きく開いていれば、水位はやがて下がっていく。「地域でお金を回す」という言葉だけでは、この蛇口の存在を見落としやすい。

大切なのは「何回使われたか」より「どこまで残ったか」

ここで単純な数理モデルを考えてみると、地域経済循環の意味が見えやすくなる。

町外から百円が入ってきたとし、その百円を受け取った人が六十円を町内で使い、四十円を町外の商品やサービスに使うとする。次に六十円を受け取った人も、その六割に当たる三十六円を町内で使い、さらにその六割が町内で使われると仮定する。

すると地域内で生じる支出は、

100+60+36+21.6+……

と続いていく。

極端に単純化したモデルではあるが、地域内に残る割合を0.6とすると、この無限等比級数の合計は、

100÷(1-0.6)=250

となる。

最初に地域外から入ってきた百円をきっかけとして、累計では二百五十円分の地域内支出が生じ得るということである。もし地域内に残る割合が0.3しかなければ、同じ計算による累計は約百四十三円にとどまる。最初に入ってくる金額が同じでも、その後の地域内調達や地域内消費の割合によって、経済的な波及の大きさは大きく変わる。

ただし、この二百五十円を「百円が二百五十円の富になった」と理解してはいけない。ここで数えているのは累計された取引や支出であり、新しく生まれた付加価値や住民の所得とは区別しなければならない。それでも、この単純な計算は、「地域にいくら入ってきたか」だけでは地域経済の強さを測れない理由を鮮やかに示している。

地元企業なら必ず地域に残る、とは限らない

ここからさらに厄介な問題が出てくる。「地元の店で買うこと」と「地域に所得が残ること」は、似ているようで完全には同じではない。

町内にある店でも、販売している商品のほとんどを町外から仕入れ、設備も広告も情報システムも町外企業へ支払い、利益まで町外の本社へ送っているなら、売上のかなりの部分は地域外へ流れていく。一方、全国展開する企業であっても、地元住民を多数雇用し、地域の事業者から仕入れを行い、地域で設備投資をしているなら、その店舗から地域住民へ帰着する所得は決してゼロではない。

したがって、「地元資本か、大企業か」という看板だけを見て地域経済を論じると、本質を取り逃がす。重要なのは、売上のうちどれだけが地域住民の賃金になり、どれだけが地域企業の利益になり、どれだけの原材料やサービスが地域内から調達され、そこで得られた所得がさらにどこで使われるのかである。

経済産業省の地域間産業連関表も、地域の経済を単独で見るのではなく、財やサービスがどの地域から調達され、どの地域へ供給されるかという相互依存関係を捉えるために作られてきた。ある地域で投資が行われても、必要な財の多くを地域外から調達すれば、地域内に生じる生産波及は小さくなる。この考え方は、小さな町の商店や観光政策にも、そのまま当てはめることができる。

つまり、町に大きな店があるかどうかよりも、その店の後ろにどれだけ地域内の取引網がつながっているかの方が重要なのである。

「地産地消」だけでは地域は豊かにならない

ここまで考えると、「それなら何でも地域内で作ればよい」という結論に向かいたくなる。しかし、それもまた経済学的には危うい。

地域外から商品を買うこと自体が悪いわけではない。石油を産出しない町がガソリンを地域内で生産する必要はないし、小さな町が医薬品や自動車やコンピューターまで自給しようとすれば、かえって生活費は高くなり、生産性も落ちる。地域間で得意なものを交換することは、市場経済が豊かさを生み出してきた基本的な仕組みでもある。

問題は「地域外から買うこと」ではなく、地域が外から何も稼がないまま、あらゆる所得が一方向に外へ流れ続けることである。

地域で農産物を生産して都市へ販売し、その所得で地域外から自動車を購入するなら、それは交易である。しかし、地域内に域外から所得を獲得する産業がほとんどなく、住民が受け取った所得の多くを町外の店舗やサービスへ支払い続ければ、地域経済の循環は次第に弱くなる。

だから本当に考えるべきなのは、「町内で全部買おう」という閉鎖的な経済ではない。地域が得意なものを外へ売り、外から所得を呼び込みながら、その所得の一部が地域内の雇用、仕入れ、消費、投資へつながる構造をどう作るかなのである。

観光客が増えても地域が豊かにならないことがある

この問題が最も分かりやすく現れるのが観光地かもしれない。

年間百万人の観光客が訪れる町でも、宿泊施設の所有者が町外企業で、食材が町外から運ばれ、予約手数料が町外の事業者へ支払われ、土産物まで他地域で製造されているなら、観光客が落としたお金の相当部分は短時間で地域から出ていく。観光消費額だけを見れば巨大でも、その町で生活する人の所得があまり増えないということは十分に起こり得る。

反対に、観光客の人数がそれほど多くなくても、地元の宿が地域の農家から食材を買い、地元の酒を提供し、清掃や修繕を地域企業へ頼み、そこで働く住民が地域の商店を利用するなら、一人の観光客がもたらした所得は地域の中を比較的長く流れる。

環境省の地域経済循環分析が、単に地域の売上額を見るのではなく、生産、分配、支出の各段階で所得がどこから入り、どこへ出ていくのかを捉えようとしている理由もここにある。2025年12月に公表された最新版の分析ツールも、市町村単位で地域内外の資金の流れや産業間取引を分析できるものとして整備されている。

観光客の数を競うより、その一万円が翌朝どこへ行くのかを見る方が、地域経済の実像に近いのである。

地域経済を支えるのは「金額」より「つながり」なのかもしれない

ある町に百億円規模の工場が一つある場合と、数十人規模の企業、農家、商店、建設会社、宿泊業者、飲食店が互いに取引している場合とでは、どちらの地域経済が強いのだろうか。

答えは単純ではない。大工場が地域外から大きな所得を稼ぎ、地元住民を雇い、地域企業から多くを調達しているなら、それは非常に強力な地域経済の核になる。しかし、原材料も従業員も取引先も地域外に依存し、利益も本社へ送られるなら、巨大な生産額のわりに地域住民へ届く所得は小さい可能性がある。

逆に、小さな企業ばかりの地域でも、それぞれが互いに仕入れ、仕事を発注し、そこで得た所得を地域内で消費する関係が厚ければ、一つの需要が複数の事業者へ波及していく。地域経済を強くするものは、企業の数だけでも、観光客の数だけでも、売上高だけでもない。企業と企業、人と企業、そして地域と外部を結ぶ取引の網そのものなのである。

ここまで来ると、「地域でお金を回す」という素朴な言葉が、少し違って見えてくる。

それは、千円札を町から逃がさない運動ではない。

町の外から所得を稼ぐ人がいて、その所得を受け取る人がいて、その人の支出を次の誰かの所得に変えられる産業や店があり、その所得がさらに別の仕事を生み出していく。経済学的に見れば、「お金を回す」とは、その連鎖をできるだけ途中で切れにくくすることである。

地域に必要なのは、高い塀を造ってお金を閉じ込めることではない。外へ向かって開いた入口を持ちながら、入ってきた所得がすぐに流れ去ってしまわないよう、町の中に細かな水路を張り巡らせることなのだろう。

夕方、町の食堂で誰かが千円札を一枚置いて席を立つ。その千円が翌日には魚屋へ渡り、その週末には理髪店へ渡り、その一部が電気工事店の仕事になり、やがてどこかで町の外へ出ていく。

地域経済の強さとは、おそらく、その一枚の千円札が町を出ていくまでの時間ではない。

その途中で、何人の仕事と所得を生み出せたかなのである。

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「今年は観光客が増えた」「過去最高の来訪者数になった」というニュースを聞けば、その地域の経済も活性化しているように感じる。

しかし、観光客が増えることと、地域が豊かになることは同じではない。

観光庁によれば、2025年の日本人国内旅行消費額は26兆7,845億円となり、2019年を22.1%上回った。国内旅行全体で見れば、旅行によって動く金額は非常に大きい。

それでも、観光地の住民から「観光客は増えたが、地域が豊かになった実感がない」という声が出ることは珍しくない。

なぜこのようなことが起きるのだろうか。

その理由を考えるためには、「何人来たか」ではなく、観光客が使ったお金が、どこへ流れ、最終的に誰の所得になったのかを見る必要がある。

観光客数と地域所得は別の指標である

地域の観光を考えるとき、最も分かりやすい数字は観光客数である。

年間100万人だった観光客が120万人になれば、20%増加したことになる。一見すれば大きな成果に見える。

しかし、地域経済への効果は人数だけでは決まらない。

単純化すれば、観光によって地域にもたらされる最初の消費額は、

観光消費額 = 観光客数 × 1人当たり消費額

と考えることができる。

例えば100万人が訪れ、1人平均1万円を使う地域なら、観光消費額は100億円である。

ところが、観光客数が120万人へ20%増えても、日帰り客が増えたため1人当たり消費額が7,000円へ下がれば、

120万人 × 7,000円 = 84億円

となる。

観光客は20%増えたのに、観光消費額は16%減ってしまう。

したがって、「観光客が何人来たか」という数字だけでは、地域経済への効果を判断することはできない。

日帰り観光と宿泊観光では経済効果が違う

この問題を考えるうえで重要なのが、滞在時間である。

観光客が地域を訪れても、数時間滞在して帰るだけなら、使われるお金は限られる。

駐車料金を払い、昼食を食べ、土産を一つ買って帰る観光と、ホテルや旅館に泊まり、夕食を食べ、翌朝も地域内で買い物をする観光とでは、一人の旅行者が地域に落とす金額が大きく異なる。

観光庁の2025年統計では、日本人国内旅行消費額26兆7,845億円のうち、宿泊旅行が21兆7,211億円、日帰り旅行が5兆634億円だった。もちろん旅行者数などの条件が異なるため単純比較はできないが、宿泊を伴う旅行が観光消費の重要な部分を占めていることは分かる。

地域側から見れば、重要なのは単純な「入込客数」だけではない。

何時間滞在したのか、宿泊したのか、何回食事をしたのか、地域内でどれだけ買い物をしたのか。

この違いによって、同じ100万人の観光客でも地域経済への影響は大きく変わる。

観光客が使った1万円が、そのまま地域の所得になるわけではない

さらに重要なのが、観光消費の「地域外への流出」である。

例えば観光客が地域のホテルで1万円を支払ったとする。

その1万円が、そのまま地域住民の所得になるわけではない。

ホテルが仕入れる食材が地域外から運ばれていれば、仕入代金は地域外へ流れる。電力や燃料の支払い先が地域外企業なら、その分も外へ出ていく。予約サイトへ手数料を支払えば、それも地域内には残らない。本社が別の都市にある企業なら、利益の一部が本社側へ移る場合もある。

環境省が行っている地域経済循環分析も、地域経済を見る際には「生産」「分配」「支出」の三面から所得の流出入を把握することを重視している。地域内で売上が発生したとしても、そのお金が地域外へ流出すれば、地域内の所得として残る割合は小さくなる。

そこで観光の経済効果をもう少し現実に近づけて考えるなら、

地域に残る所得 = 観光消費額 × 地域内に残る割合

という考え方が必要になる。

仮に観光客が年間100億円を消費しても、そのうち地域内に残る割合が30%なら、地域内に残る金額は30億円程度になる。

一方で観光消費額が80億円でも、地域内調達や地元経営の事業者が多く、60%が地域内に残れば48億円になる。

つまり、観光客の数が少ない地域の方が、場合によっては地域住民へ還元される経済効果が大きいことさえあり得る。

全国チェーンが繁盛しても地域経済への効果は限定されることがある

観光地に大型ホテル、全国チェーンの飲食店、小売店が進出すると、観光客にとっては便利になる。

雇用も生まれるため、地域にとって無意味ということではない。

ただし、「売上」と「地域所得」を区別する必要がある。

例えば1億円の売上がある店舗でも、商品の仕入れ、本部への支払い、設備、広告、各種サービスなどを地域外企業に依存していれば、売上の相当部分が地域外へ流れる。

反対に、地元の旅館が地元農家から野菜を買い、地元漁業者から魚を仕入れ、地域住民を雇用し、利益を地域内で再投資すれば、一つの観光消費が複数の地域住民の所得につながっていく。

重要なのは、「観光産業があるか」だけではなく、その観光産業が地域の他産業とどの程度結び付いているかである。

地元で仕入れると同じ1万円が地域内を何度も回る

地域経済を考えるうえでは、資金循環という考え方が重要になる。

観光客が地元経営の旅館へ1万円支払う。

旅館がその売上から地元農家へ食材代を払う。

農家が地元の商店で買い物をする。

商店が地域住民へ賃金を支払う。

このような取引が続けば、最初に観光客が持ち込んだお金が地域内で繰り返し使われる。

反対に、最初の取引の直後に地域外の会社へお金が支払われれば、地域内での循環はそこで止まる。

環境省が地域経済循環分析で「地域内の産業間取引」や「所得の流出入」を重視しているのも、この構造を見るためである。

したがって、観光による地域活性化を考える場合、

「観光客を100万人から120万人へ増やす」

という政策だけでなく、

「観光客が使った1万円のうち、地域内に残る金額を3,000円から5,000円へ増やす」

という政策も同じくらい重要になる。

場合によっては後者の方が、地域住民の所得を増やす効果は大きい。

観光客が増えても住民の賃金が上がらなければ豊かさは実感できない

もう一つの問題が雇用である。

観光業は宿泊、飲食、小売、清掃、輸送など多くの仕事を生み出す。

しかし、観光客増加によって企業の売上が増えても、それが地域住民の所得増加につながるとは限らない。

繁忙期だけの短期雇用が中心であったり、人手不足をパートタイム労働や地域外からの労働力で補ったりすれば、観光産業全体の売上増加と地域住民一人当たり所得の増加は一致しない。

地域住民にとって重要なのは「地域の売上が増えたか」ではなく、「安定した仕事が増えたか」「賃金が上昇したか」「地元企業の利益が増えたか」という問題である。

観光政策を評価するのであれば、観光客数だけでなく、観光関連雇用者の所得や地元企業への発注額まで見る必要がある。

観光には季節変動という弱点がある

海水浴場なら夏、紅葉の名所なら秋、スキー場なら冬というように、観光需要には強い季節性がある。

年間の観光客数が多くても、数か月間に需要が集中していれば、地域経済の安定した基盤にはなりにくい。

ホテルや飲食店は、繁忙期の需要に対応できる設備と人員を用意しながら、閑散期にはそれらを十分利用できない。

これは経営効率を悪化させる。

さらに、地域全体が観光に依存すると、天候、災害、感染症、景気、為替、交通事情といった外部要因の影響を受けやすくなる。

観光は地域経済にとって重要な産業になり得るが、「観光客さえ呼べば地域経済が安定する」というほど単純ではない。

観光客増加によって地域住民の負担が増えることもある

観光にはプラスの経済効果だけでなく、地域側のコストもある。

道路の混雑、ごみ処理、公衆トイレ、駐車場、警備、景観維持、公共交通の混雑などである。

観光客が増えれば、こうした行政サービスやインフラへの需要も増える。

その費用を観光関連収入だけで十分に賄えなければ、自治体の一般財源や住民の負担によって支えることになる。

国の観光政策でも現在は単純な観光客数の拡大だけではなく、「住民生活の質の確保との両立」やオーバーツーリズム対策が政策課題として位置づけられている。

観光客が増えた結果として地域住民の生活コストや行政負担まで増えるなら、観光による利益からそのコストを差し引いて考えなければならない。

本当に見るべきなのは「観光客数」ではなく「地域に残った所得」

ここまでを整理すると、観光客数から地域住民の豊かさに至るまでには、いくつもの段階が存在する。

概念的には、

観光客数 ↓ 観光消費額 ↓ 地域内売上 ↓ 地域内所得 ↓ 住民所得

という流れになる。

途中で地域外への資金流出が大きければ、最初の観光客数がどれほど多くても、最後の住民所得はそれほど増えない。

より現実的には、

地域への純効果 = 観光消費額 × 地域内循環率 - 観光による地域コスト

と考えた方が、地域経済の実態に近い。

この式で重要なのは、観光客数そのものが不要という意味ではない。

観光客数は「観光消費額」を決める一要素にすぎないということである。

小さな自治体ほど「人数を増やす観光」から転換する必要がある

人口減少地域では、観光客数を無制限に増やすことは現実的ではない。

宿泊施設にも飲食店にも交通にも人手が必要だからである。

人口が減少して働き手も減る地域で、大量の観光客を受け入れるモデルを追求すれば、やがて供給能力そのものが制約になる。

それならば、観光客の絶対数だけを競うより、長く滞在してもらうこと、宿泊してもらうこと、地域の飲食店を利用してもらうこと、地域産品を買ってもらうこと、地元事業者同士の取引を増やすことを重視した方が合理的である。

観光政策においても、単に旅行者数を増やすだけでなく、旅行消費額、地方への誘客、宿泊、観光産業の強化など、複数の指標を見る必要がある。

「100万人来た町」より「お金が残る町」

観光政策では、大きな数字が注目されやすい。

年間観光客100万人、前年比20%増、過去最高の宿泊者数。

こうした数字は成果を説明しやすい。

しかし、地域住民にとって本当に重要なのは、その結果として所得が増え、仕事が安定し、地域企業が存続し、自治体財政が改善したかどうかである。

極端に言えば、100万人の観光客が訪れても、その多くが短時間で通過し、地域外資本の店舗で消費し、ほとんどのお金が地域外へ出ていくのであれば、地域経済への恩恵は限られる。

反対に50万人しか訪れなくても、宿泊し、地域の店で食事をし、地元産品を買い、その売上が農業、漁業、商業、サービス業へと循環するなら、地域経済への効果は大きくなる。

観光で地域を豊かにするために必要なのは、単に人を集めることではない。

観光客が持ってきたお金を、どれだけ地域内に残し、地域の中で何度循環させられるか。

そこまで考えて初めて、「観光振興」が「地域経済の振興」になる。

観光客数は入口であって、目的ではない。

地域が本当に見るべき数字は、訪れた人数の向こう側にあるのである。

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1990年代末から2000年代にかけて、日本では全国規模で市町村合併が進められました。

いわゆる「平成の大合併」です。

1999年3月末に3,232あった市町村は、2010年3月末には1,727まで減少しました。約11年間で、日本の市町村のほぼ半数が姿を消したことになります。合併に参加した旧市町村は2,093にのぼり、それが588の新しい市町村へ再編されました。

これほど大規模な自治体再編が行われた背景には、人口減少、高齢化、地方財政の悪化、行政サービスの高度化などへの危機感がありました。

小さな町や村がそれぞれ役場を持ち、議会を持ち、公共施設を維持するよりも、複数の自治体を一つにまとめた方が効率的ではないか。自治体の規模を大きくすれば職員や施設を集約でき、専門職員も配置しやすくなり、財政基盤も強くなるのではないか。

その考え方自体には、かなり合理的な部分があります。

では、約20年が過ぎた現在から振り返ったとき、市町村合併は本当に地方を救ったのでしょうか。

結論を先に言えば、市町村合併には行政組織を維持するという意味では一定の効果があったものの、地域そのものを再生する政策ではなかったと考えるのが妥当です。

むしろ、市町村という行政単位を大きくすることと、そこで暮らす地域社会を維持することは、まったく同じ問題ではありませんでした。

小さな自治体ほど行政コストは高くなりやすい

市町村合併を考えるうえで最初に理解しておく必要があるのは、自治体には一定の固定費が存在するということです。

人口3万人の町でも人口5,000人の町でも、役場には総務、税務、福祉、住民登録、道路管理、教育など多くの行政機能が必要です。人口が6分の1になったからといって、役場の仕事を単純に6分の1にすることはできません。

そのため一般に、小規模自治体ほど住民一人当たりの行政コストは高くなりやすくなります。

会社で考えれば分かりやすいでしょう。

売上高100億円の企業と10億円の企業であっても、経理、人事、情報システム、法務といった管理部門を完全になくすことはできません。企業規模が小さくなるほど、こうした固定費の負担率は大きくなります。

自治体でも同じことが起こります。

人口が減少する一方で、行政機能そのものは残さなければならない。この構造が、小規模自治体の財政を苦しくする大きな理由の一つです。

平成の大合併では、こうした問題への対応として自治体規模を拡大することが期待されました。

実際、合併した市町村では平均人口、平均面積ともに大幅に拡大しました。日本総合研究所が2026年に財務省財務総合政策研究所の研究会で示した資料では、合併市町村の平均人口は約2万6,000人から約9万2,000人へ、平均面積は約101平方キロメートルから約358平方キロメートルへと拡大しています。

行政区域という意味では、確かに自治体はかなり大型化したのです。

国も強力に合併を後押しした

平成の大合併は、単に自治体が自主的に統合していったわけではありません。

国も財政制度を使って強く合併を促しました。

代表的な制度が「合併特例債」です。

合併後の公共施設整備などについて事業費の95%まで地方債を発行でき、その元利償還金の70%が地方交付税で措置される仕組みでした。また、合併すると本来減少する可能性のある地方交付税についても、一定期間、旧市町村が別々に存在していたと仮定して計算する「合併算定替」が設けられました。

つまり、自治体にとって合併にはかなり大きな財政的メリットが用意されていました。

一方では、小規模自治体への地方交付税上の割増措置が縮小され、三位一体改革によって地方への財政移転も削減されました。日本総合研究所の整理では、2004年からの3年間で地方の税財源は数兆円規模で減少したとされています。

自治体側から見れば、

「合併すれば財政支援がある。しかし単独で残れば財政環境は厳しくなる」

という状況だったわけです。

したがって平成の大合併は、地方自治体が完全に自由な条件の中で選択したというより、国の制度設計によって合併を選びやすい環境が作られていた政策でもありました。

行政効率化という目的では一定の成果があった

では、実際に合併によって行政コストは下がったのでしょうか。

ここは感情論ではなく慎重に評価する必要があります。

近年の検証では、合併自治体について歳出を抑制する傾向が確認されています。

2026年に示された日本総合研究所の分析では、合併した自治体では合併特例債などによって一時的に歳出が増えるものの、その後は徐々に歳出効率化が進み、長期的にはその増加分を吸収できる可能性が示されています。公債費を除いた試算では累積約11年、公債費まで含めると累積約21年で合併に伴う歳出増を吸収するという結果です。

同資料では最終的に、

「行財政基盤の強化」と「行政の効率化」という平成の大合併の当初目的については、それなりの成果があった

と評価しています。

この点は重要です。

「平成の大合併は完全な失敗だった」と単純化するのは正確ではありません。

役場組織、議会、行政部門などを統合することで重複する機能を減らし、人口規模の大きな自治体として財政運営することには、一定の合理性がありました。

問題はその先です。

行政が効率化されたことと、地域が豊かになったことは同じではありません。

市役所が一つになっても地域は一つにならない

市町村合併で最も見落とされやすかったのが、この点かもしれません。

例えば、人口2万人のA町、1万5,000人のB町、1万人のC町が合併し、人口4万5,000人の市になったとします。

統計上は人口4万5,000人の自治体になります。

しかし、A町、B町、C町という三つの生活圏が突然一つになるわけではありません。

それぞれに商店街があり、学校があり、地域コミュニティがあり、病院があり、住民の移動範囲があります。

行政境界を消しても、地理的な距離は消えません。

特に中山間地域や半島部では、新しい市の端から中心市街地まで数十キロメートル離れているケースもあります。

自治体の面積が広がれば、本庁舎や主要公共施設への平均的な移動距離も長くなります。

行政の側から見れば一つの市でも、住民の生活圏から見れば複数の地域がそのまま残っているのです。

ここに、市町村合併の根本的な難しさがあります。

周辺地域では「中心部への集中」が起こりやすい

合併後によく指摘される問題が、旧市町村の中心部だった地域の衰退です。

合併前には、それぞれの町や村に役場がありました。

役場には職員が勤務し、住民が訪れ、周囲には金融機関、飲食店、商店、建設会社などが存在しました。

役場は単なる行政施設ではありません。

地方の小さな町では、一つの大きな事業所でもあります。

ところが合併によって本庁舎が新しい自治体の中心部に集約されると、旧役場は支所になります。職員数が減り、扱う業務も限定されます。

さらに学校、図書館、保健施設、文化施設なども統廃合されれば、人の移動は新しい自治体の中心部へ向かいやすくなります。

結果として、

行政機能の集中 → 人の流れの集中 → 商業機能の集中 → 周辺部の生活利便性低下 → さらなる人口流出

という循環が発生する可能性があります。

実際、合併後の人口変化に関する研究の中には、旧市町村の非本庁地区で人口減少率が大きくなったとする研究や、人口が中心部に集中し周辺部の人口減少が加速したとする分析があります。

ただし、ここも注意が必要です。

合併したから周辺部が衰退したのか、それとももともと人口減少が進んでいた地域だから合併し、その後も人口減少が続いたのかを完全に区別することは難しいからです。

同じ研究整理の中には、中心部と周辺部の人口格差は合併以前から存在し、社会的な人口移動に対する合併そのものの影響は限定的だった可能性を示す研究もあります。

したがって「市町村合併が周辺地域を衰退させた」と一方向の因果関係で断定するのも適切ではありません。

むしろ、

すでに弱くなっていた周辺地域に対して、行政機能の集約が追加的に作用した可能性がある

と考える方が現実に近いでしょう。

合併しても人口は増えない

さらに重要なのは、市町村合併そのものには人口を増やす仕組みがほとんどないということです。

A町とB町を合併しても人口は増えません。

人口2万人と人口3万人の町を合併すれば、人口5万人の市が誕生します。

しかしこれは人口が5万人に増えたのではなく、行政上の集計単位を変更しただけです。

出生数も増えません。

雇用も自動的には増えません。

若者が流出する原因もなくなりません。

医師や介護職員が増えるわけでもありません。

スーパーの売上高も、道路の総延長も、水道管の総延長も原則として変わりません。

ここが、市町村合併政策の限界を最も端的に表しているところでしょう。

行政組織の規模は大きくできます。

しかし地域経済そのものの市場規模を大きくすることはできません。

人口減少時代に地方を苦しめているのは、行政組織だけではありません。

地域の購買力、労働力、医療需要、公共交通利用者、住宅需要など、地域経済を支える母数そのものが減少していることが問題なのです。

市町村の境界線を引き直しても、この問題は解決しません。

「人口5万人の市」という数字にも注意が必要になる

市町村合併後の地方を見るときは、人口だけで自治体規模を判断することにも注意が必要です。

例えば、人口5万人の自治体が二つあったとします。

一方は面積100平方キロメートルに5万人が比較的集中して暮らしている。

もう一方は合併によって面積500平方キロメートルになり、その中に複数の旧町村が分散している。

同じ人口5万人でも、行政サービスを提供する条件はまったく違います。

道路、水道、消防、学校、公共交通、ごみ収集などは、人口だけではなく「面積」と「人口密度」に強く影響されます。

人口が同じでも、人が広い範囲に分散して住んでいれば、一人当たりのインフラ維持コストは高くなります。

平成の大合併によって自治体の平均人口は増えましたが、同時に平均面積も大きく増えました。

このため、

「合併して人口規模が大きくなったから自治体経営が安定した」

とは単純には言えません。

むしろ人口減少が進めば、広大な行政区域の中で少ない人口を支える問題が、これから顕在化する可能性があります。

合併しなかった自治体は失敗だったのか

平成の大合併では、合併しなかった市町村も数多く残りました。

1999年から2010年にかけて合併しなかった自治体は1,139ありました。

では、合併しなかった自治体は判断を誤ったのでしょうか。

これも一概には言えません。

自治体の条件は極めて異なります。

財政力の高い町、観光収入のある町、大企業の事業所が立地する町、人口密度の高い町などでは、小規模でも独立した自治体を維持できる可能性があります。

逆に人口数千人で、人口減少率が高く、独自の税収が少ない自治体では、今後単独で全ての行政機能を維持することが一段と難しくなります。

つまり問題は、

「合併するか、しないか」

という二者択一ではありません。

地域ごとの人口、面積、財政、産業、交通網を踏まえて、どの行政サービスを単独で維持し、どのサービスを広域化するかを考える必要があります。

これから重要になるのは「全部合併」より「部分的な共同化」

平成の大合併から約20年が過ぎた現在、再び人口減少への対応が自治体の大きな課題になっています。

しかし、次も同じように自治体を大型化すれば解決するとは限りません。

むしろ現実的なのは、市町村という組織そのものをなくすのではなく、行政機能ごとに広域化する方法でしょう。

例えば、ごみ処理施設、消防、上下水道、情報システム、公共交通、専門職員、病院などは、一つの自治体だけで維持する必要はありません。

複数の市町村で共同運営すれば、規模の経済を得られる可能性があります。

一方、住民窓口、地域福祉、防災、地域コミュニティなどは、住民との距離が近い方が機能しやすいでしょう。

つまり、

行政機能は広域化するが、地域社会まで一つにしない

という考え方です。

これは平成の大合併の経験から得られる重要な教訓ではないでしょうか。

市町村合併が救ったのは「地方」より「行政組織」だった

平成の大合併を約20年後から振り返ると、評価はかなり複雑です。

行政効率化という意味では一定の成果がありました。

小規模自治体を統合することで行政組織を大型化し、職員や施設の重複を減らし、財政基盤を強化するという考え方には合理性があります。

実際、現在の研究でも合併自治体に歳出抑制の傾向が確認され、行財政基盤の強化について一定の成果があったと評価されています。

しかし、それは地方の人口減少を止めたという意味ではありません。

地方の若者流出を止めたわけでもありません。

商店を復活させたわけでも、地域交通を維持したわけでもありません。

さらに行政機能が中心部へ集中することで、旧町村部では「自治体は大きくなったのに、自分たちの地域は小さくなった」と感じる状況が生まれたところもあります。

ここに平成の大合併の本質があります。

市町村合併とは、地域再生政策というより、人口減少社会を前にした行政システムの再編政策だったのです。

だからこそ、「市町村合併は地方を救ったのか」という問いに対する答えは、単純な成功でも失敗でもありません。

行政組織を維持するためには一定の成果があった。

しかし、地域社会を維持する問題はほとんど残されたままだった。

そしてこれから日本が直面するのは、平成の大合併よりさらに厳しい人口減少です。

次に問われるべきなのは、市町村の数をさらに減らすべきかどうかではありません。

人口が減り続けても、医療、交通、介護、水道、消防、買い物などの生活機能を、どの単位で維持していくのか。

そこまで考えて初めて、「地方を救う」という議論になるのではないでしょうか。

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