地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

一度目の安倍晋三は、あまりにも早く「自分の政治」を始めた

 2006年9月、52歳で内閣総理大臣となった安倍晋三は、戦後最年少の首相として政権の座に就いた。小泉純一郎という強烈な個性を持つ首相の後継者であり、北朝鮮による拉致問題への対応などですでに全国的な知名度を持っていた安倍には、若い指導者が新しい時代を開くという期待も集まっていた。しかし後から振り返れば、第一次安倍政権の特徴は、その若さ以上に、首相になった直後から自分が本当に実現したかった政治をかなり正面から始めようとしたことにあった。

 安倍が掲げた「美しい国、日本」の背後には、「戦後レジームからの脱却」という問題意識があった。教育、安全保障、憲法、国家のあり方を長期的に組み替えていこうとする政治であり、実際に第一次政権は教育基本法の改正や防衛庁の防衛省への移行などを実現している。したがって、第一次安倍政権を「何もできずに終わった政権」と片づけるのは正確ではなく、むしろ問題は、政策を成立させる能力と、政権を安定して持続させる能力が別物であったことを、政権自身が十分に処理できなかった点にあった。

 政治家には自分が重要だと考える政策があるが、有権者にもまた、その時々で政治に解決してもらいたい問題がある。そして残念ながら、この二つはしばしば一致しない。憲法、安全保障、教育、国家観は安倍にとって重要だったが、多くの国民にとって切実だったのは、年金、雇用、所得、格差、社会保障といった生活に直結する問題であり、第一次政権では、この「政治家が語りたいこと」と「有権者が解決してほしいこと」のずれが徐々に広がっていった。

 ここには第一次政権の弱点がよく表れている。安倍は首相になれば政策を動かせると考えていたのだろうが、民主政治では、首相になったことと、首相であり続けられることは同じではない。総理大臣という席は政策を実行するための到着点ではなく、むしろそこから始まる不安定な仕事であり、この当たり前の事実を安倍は最初の政権でかなり高い授業料を払って学ぶことになった。

年金、閣僚問題、参議院選挙――政権を削ったのは一つの失敗ではなかった

 2007年に入ると、第一次安倍政権は急速に不安定になった。閣僚をめぐる政治資金問題や失言、辞任が相次ぎ、さらに約5000万件の年金記録が基礎年金番号に統合されていないことが明らかになった、いわゆる年金記録問題が大きな社会問題となった。もちろん、年金記録の混乱そのものを安倍政権が生み出したわけではない。しかし政治では、問題を作った政権と、その問題によって批判を受ける政権が同じとは限らず、長年蓄積された行政上の不備であっても、それが表面化した瞬間の政権が責任を引き受けることになる。

 同年7月の参議院議員通常選挙では、年金記録問題、「政治とカネ」、格差などが大きな争点となり、自由民主党は改選前64議席から37議席へ大幅に減らした。一方、民主党は60議席を獲得して参議院第一党となり、衆議院では与党が多数、参議院では野党が多数という「ねじれ国会」が生まれた。それでも安倍は続投したが、その後、国会で所信表明演説を行った直後に辞意を表明するという異例の退陣となり、その唐突さは政権の評価をさらに悪化させた。

 加えて、安倍自身には潰瘍性大腸炎という持病があり、第一次政権末期にはその症状が悪化していた。したがって第一次政権の崩壊を、選挙敗北だけ、年金問題だけ、安倍本人の力量だけで説明するのは適切ではなく、政策の優先順位、閣僚管理、国会運営、選挙結果、世論との距離、本人の健康状態といった複数の要因が重なった結果として理解する必要がある。

 政治史はしばしば、一人の指導者の決断によって動いたかのように描かれる。しかし実際の政権は、首相の思想だけで動いているわけではない。政党、官僚、国会、選挙、報道機関、世論、経済、そして最後には首相本人の身体までが絡み合う巨大なシステムであり、第一次安倍政権は、そのシステムを制御することが政策を考えること以上に難しいことを露呈した政権でもあった。

五年後に戻ってきた安倍は、思想を変えたのではなく入口を変えた

 2007年の退陣後、安倍が別の政治家になったわけではない。憲法改正、安全保障、教育、国家観、政治主導に対する基本的な問題意識は、その後も大きく変化していない。もし第一次政権の失敗から安倍が学んだことがあるとすれば、それは思想を捨てることではなく、その思想を実現するために何を先に行うべきかを変えることだった、と考える方が実態に近い。

 2012年12月、安倍が再び首相に就任したとき、政権の正面に置かれたのは「美しい国」でも「戦後レジームからの脱却」でもなく、経済再生だった。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という、いわゆる「三本の矢」を掲げ、デフレ脱却と景気回復を政権の最優先課題として示した。第二次政権で安倍が安全保障や憲法への関心を失ったわけではなく、むしろそれらを政権の入口に置かなくなったのである。

 この変化は政治的には合理的だった。憲法や安全保障は有権者の意見を大きく二分するが、景気回復、雇用改善、賃金上昇を望む人は左右の政治的立場を越えて存在する。支持を広げる必要がある政権にとって、経済政策は安全保障政策よりはるかに広い有権者に届きやすい。第一次政権の安倍が、自分の政治的理念から政権を始めたとすれば、第二次政権の安倍は、多くの有権者が関心を持つ経済から政権を始め、その後に自分の政治課題へ進む道筋を選んだと見ることができる。

 ただし、ここで「第一次政権で失敗したから、第二次政権でこの戦略を採用した」とまで断定することはできない。本人がどこまで体系的に第一次政権の経験を分析し、その結果として政策の順序を変更したのかは外部から完全には確認できないからである。観察できるのは、第一次政権と第二次政権の政策の見せ方と進め方が明らかに異なっていたという事実であり、その差を「学習」と解釈することには合理性があるが、それを唯一の原因と考えるべきではない。

第二次政権が覚えたのは、政策だけではなく「時間の使い方」だった

 第二次安倍政権では、まず経済政策を前面に出し、選挙で政権基盤を安定させ、その後に国家安全保障会議の設置、特定秘密保護法、安全保障法制など、より政治的対立の大きな政策へ進んでいった。この順序には、第一次政権にはなかった慎重さが見られる。

 民主政治では、政策には政治的な費用がある。広い支持を得やすい政策もあれば、支持者を分断する政策もあるため、政権が何を先に行い、何を後に行うかによって、その持続可能性は大きく変わる。これは企業経営で資金繰りを無視して理想的な事業計画だけを語っても会社が続かないのと似ており、政治でも、理念を実行するためには先に政治的な余力を確保しなければならない。

 第二次安倍政権は、この政治的余力を選挙、支持率、経済政策、政権人事によって蓄積しながら、対立の大きい政策へ進んでいった。第一次政権が「政策を実行するために政権がある」と考えていたように見えたのに対し、第二次政権では「政策を実行するためには、まず政権を維持しなければならない」という発想がより明確になった。

 政治家にとっては少々身も蓋もない話だが、政権から降りれば、どれほど立派な理念を持っていても法律にはならない。第二次政権の安倍は、この単純だが厳しい現実に第一次政権より適応していた。

「強い官邸」は安倍が突然発明したものではない

 第二次安倍政権の特徴として「官邸主導」がしばしば挙げられるが、これを安倍が一から作り出した制度のように説明するのは正確ではない。首相官邸の権限強化は1990年代以降の政治改革、橋本龍太郎政権による行政改革、2001年の中央省庁再編、小泉純一郎政権などを通じて段階的に進められてきた。第二次安倍政権は、その延長線上に成立している。

 しかも安倍自身も、第一次政権の段階ですでに官邸機能の強化や政治主導を明確に志向していた。したがって第一次政権を「弱い官邸」、第二次政権を「強い官邸」と単純に対比するよりも、第一次政権では官邸主導を目指しながら十分に安定運用できず、第二次政権では既存の制度改革を利用しながら、それをより強く、継続的に運用できるようになったと見るべきである。

 2014年に設置された内閣人事局も、この流れの中にある。中央省庁の幹部人事を政府全体で一元的に管理する仕組みが整えられたことで、官邸は各省庁の幹部人事に以前より強い影響力を持つようになった。ただし、これも第二次安倍政権だけから突然生まれた制度ではなく、それ以前から検討されてきた国家公務員制度改革の延長に位置している。

 安倍政権の特徴は、制度を一から発明したことよりも、すでに存在していた制度的な道具を政治的に有効活用したことにある、と考えた方がよい。政治では新しい制度を作ることより、既存の制度を徹底して使う方が権力を大きく変えることさえある。

人を固定したのではなく、政権の骨格を固定した

 第一次政権では閣僚の問題が次々に政権全体の問題へ発展した。大臣を守るのか辞任させるのか、その判断が遅れれば、一人の大臣の問題が首相の任命責任へと変わり、さらに内閣全体の支持率低下へつながっていく。首相の仕事は政策を考えるだけではなく、人事と危機管理を同時に処理することであり、第一次政権はその難しさに翻弄された。

 第二次政権では、この点がかなり変わった。菅義偉を内閣官房長官、麻生太郎を副総理兼財務大臣として政権の中枢に長期間置き、主要な意思決定を担う人物を安定させた。もちろん安倍政権も内閣改造を繰り返しており、「閣僚を固定した」と表現するのは正確ではないが、政権運営の骨格となる人物を固定したことには意味があった。

 菅は政府内の調整、危機管理、報道対応などを担い、麻生は党内と政権の双方で政治的な重しとなった。首相がすべてを直接処理するのではなく、信頼する人物に権限と役割を分担させたことで、第二次政権では第一次政権よりも安定した政権中枢が形成された。

 第一次政権の安倍が「自分が首相として政治を行う」色彩の強い政権だったとすれば、第二次政権では「安倍政権という組織が政治を行う」構造がより明確になった。長期政権を一人の政治家の能力だけで説明するのが危険なのは、まさにこの点である。

選挙は審判であると同時に、政権を再起動する装置になった

 第二次安倍政権では、衆議院解散と総選挙が政権運営の重要な手段として使われた。2014年、2017年の解散を含め、安倍は政治情勢や野党の準備状況を見ながら選挙時期を選択し、選挙に勝つことで政権の正統性と国会議席を更新していった。

 ただし、ここでも安倍個人の意図を過度に読み込むことは避けるべきである。外部から確認できるのは、第二次安倍政権が結果として、野党側の準備が整っていない時期や、与党に比較的有利な政治状況で解散を行い、選挙勝利を繰り返したということである。それを巧みな戦略と評価することはできるが、すべてが事前に設計された長期計画だったと考える必要はない。

 それでも、第一次政権との違いは明確だった。2007年には参議院選挙の大敗によって政権が主導権を失ったのに対し、第二次政権では選挙を受動的な審判として待つだけではなく、自ら政権の節目を作る手段として利用した。選挙で勝利すれば、与党内で首相に異論を唱える政治家も減る。民主主義では選挙が権力を制限する仕組みである一方、勝ち続ける政権にとっては権力を強化する仕組みにもなるという、少し皮肉な現実がここに表れている。

しかし長期政権は、安倍が賢くなったからだけでは説明できない

 第一次政権と第二次政権を比較するとき、最も注意しなければならないのは、第二次政権の長期化をすべて「安倍の成長」で説明してしまうことである。政治家の伝記としては美しいが、分析としては少々出来すぎた物語になる。

 2012年に安倍が政権へ復帰した時点で、政治環境そのものが2006年とは大きく違っていた。2009年に政権交代を実現した民主党は、政権運営への失望や内部対立を経て支持を失い、2012年以降の野党勢力は分裂した。小選挙区制を中心とする衆議院選挙では、野党候補が複数に分かれれば、与党候補が過半数に達しない得票でも議席を獲得できる場合があるため、野党分裂は自民党に大きな選挙上の利益をもたらした。

 さらに、自民党と公明党の安定した選挙協力、選挙制度の特性、自民党内で首相に代わる有力な指導者が現れにくかったこと、経済状況や株価、雇用環境の改善など、複数の条件が長期政権を支えた。これらの要因を除外し、「第一次政権で失敗した安倍が学習したから長期政権になった」と説明すれば、安倍本人の効果を実際以上に大きく評価することになる。

 数理的な比喩を使えば、長期政権という結果を説明するモデルに、野党分裂、選挙制度、連立構造、経済状況などの重要な変数を入れず、安倍本人の学習だけを説明変数として置けば、その係数は過大に見える可能性が高い。政治分析でありがちな「偉大な指導者が歴史を動かした」という物語は読みやすいが、現実の政治はもう少し散らかっている。

健康状態の改善も、第二次政権を可能にした重要な条件だった

 第一次政権末期に悪化した潰瘍性大腸炎について、安倍はその後、新しい薬によって症状をコントロールできるようになったと説明している。第二次政権で約七年八か月にわたって首相を務めることができた背景には、この健康状態の改善も無視できない。

 ただし、これを「第一次政権の反省を踏まえた健康管理戦略」とまで解釈するのは証拠が足りない。確認できるのは、新しい治療によって病状を長期間コントロールできるようになったことと、それが首相として職務を継続する前提条件になったことである。

 歴史は思想と制度によって動くように見えるが、ときに一錠の薬が政治史を変えることもある。第二次安倍政権を成立させた条件の一つが医療技術の進歩だったという事実は、政治というものが理念だけでできているわけではないことを、いささか身も蓋もなく教えている。

強い官邸は政治を動かしたが、強い権力には別の問題が生まれる

 第二次安倍政権では、官邸への意思決定の集中によって省庁間の調整が進み、首相が重要政策を迅速に進めやすくなった。その意味では、政治主導を目指した一連の制度改革が一定の成果を上げたと言える。

 しかし制度には必ず裏面がある。官邸が幹部人事に強い影響を持つようになれば、官僚にとって官邸の意向を無視することは難しくなる。長期政権になれば与党内でも首相への異論は出にくくなり、選挙に勝ち続ければ党内の政治家も首相の人気と公認権に依存する。権力を安定させるために作られた仕組みが、そのまま権力を監視しにくくする仕組みに変わる可能性がある。

 森友学園、加計学園、桜を見る会などをめぐっては、行政の透明性や説明責任、長期政権下における官邸と行政機構の関係が厳しく問われた。ただし、これらの問題が官邸主導の強化によって直接引き起こされたと断定できるわけではない。むしろ重要なのは、これらの問題をきっかけとして、「強い官邸を誰が監視するのか」という問いが現実の政治課題として浮上したことである。

 第一次政権では政権が弱すぎることが問題となり、第二次政権では政権が強くなりすぎていないかが問題となった。政治とはなかなか都合よくできておらず、弱い権力を強くすれば、それで問題が終わるわけではない。

アベノミクスも「成功か失敗か」の二択では評価できない

 第二次安倍政権を支えた重要な要素の一つが、アベノミクスと呼ばれた経済政策だった。金融緩和や財政政策、成長戦略を通じてデフレからの脱却を目指し、株価、企業収益、雇用などには改善が見られた。一方で、実質賃金、潜在成長率、生産性、財政再建、デフレからの完全な脱却などについては評価が分かれる。

 したがって、「アベノミクスによって日本経済は復活した」と言い切るのも、「何の効果もなかった」と切り捨てるのも、どちらも雑である。経済政策の成果は、どの指標を見るかによって評価が異なり、株価上昇を重視するのか、雇用者数を重視するのか、実質所得を重視するのかによって結論は変わる。

 しかし政治的な効果という観点では、アベノミクスは重要だった。経済政策を政権の看板に置くことで、安倍政権は憲法や安全保障だけでは獲得しにくい幅広い有権者に支持を求めることができた。経済政策として何点だったかとは別に、政権維持の政治戦略としては相当な意味を持っていたのである。

安倍晋三が変えたものと、安倍晋三では変えられなかったもの

 第一次政権と第二次政権を比較すると、安倍晋三という政治家の基本的な思想が劇的に変わったとは考えにくい。安全保障を重視し、政治主導を志向し、日本という国家のあり方を変えようとする姿勢は、二つの政権に共通していた。

 変わったのは、その思想を実行するための方法だった。経済政策を入口に置き、政権の中枢を安定させ、官邸機能を活用し、選挙で議席を更新しながら、対立の大きな政策へ段階的に進む。第一次政権では政策そのものが前へ出すぎたのに対し、第二次政権では政策を実現するための政治的条件を先に整える傾向が強くなった。

 ただし、それだけで七年八か月の長期政権が生まれたわけではない。民主党政権への失望、野党勢力の分裂、小選挙区制の特性、公明党との選挙協力、自民党内の対抗勢力の弱さ、経済環境、そして健康状態の改善といった複数の条件が重なった。安倍が変わったことは重要だったが、安倍を取り巻く政治環境もまた大きく変わっていたのである。

 ここを無視すると、政治史は途端に英雄物語になる。第一次政権で敗れた政治家が反省し、学習し、復活して長期政権を築いたという筋書きは確かに美しい。しかし現実の政治は、そこまで脚本家に親切ではない。

 それでも、第一次政権と第二次政権の違いを一つだけ取り出すなら、「順序」という言葉は捨てる必要がない。第一次政権の安倍は、自分が実現したい政治をかなり早い段階から前面に押し出した。第二次政権の安倍は、自分が実現したい政治の前に、それを実現できる時間と権力基盤を作ることを重視した。

 第一次政権の安倍は、理念を急いだ。第二次政権の安倍は、順番を覚えた。ただし、その順番だけが長期政権を生んだわけではない。安倍自身の学習と、野党の弱体化、選挙制度、連立構造、官邸機能の強化、経済状況、健康状態といった条件が重なったところに、第二次安倍政権は成立していた。

 政治家が成長したから歴史が変わった、と言えば物語としては美しい。しかし実際には、政治家が変わり、制度が変わり、敵が弱くなり、運にも恵まれ、その全部が揃ったときに初めて長期政権は生まれる。第二次安倍政権の本当の特徴は、安倍晋三が第一次政権の失敗を忘れなかったことだけではなく、その経験を生かせる政治環境が、二度目にはそこに存在していたことなのである。

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 本稿は、令和8年7月31日までに確認できた国会会議録、政府・国会・政党の公表資料、複数の報道などを基に執筆しており、その後の国会運営や政策変更、人事、各党間の協議については評価に含めていない。政治家に対する評価は、その後の行動によって変化し得るため、本稿はあくまで「7月末時点の記録を用いた中間的な検証」として位置づける。

はじめに~政策への賛否と国会運営の評価は分けて考える

 本稿の目的は、高市早苗首相の人格、性別、家族、容姿、支持者などを批判することではなく、高市首相の政策そのものへの賛否と、首相として国会や行政組織をどのように運営してきたかという問題を区別した上で、後者をできる限り観察可能な事実から検証することにある。

 政治家の「力量」は、自然科学の実験のように単一の数値によって証明できるものではなく、とりわけ首相の場合には、政策結果に本人の判断だけでなく、衆参両院の議席構成、連立政党、野党の対応、国際情勢、経済環境、官僚組織、国会日程など多数の要因が作用するため、結果だけを首相個人の能力へ直接帰属させることはできない。

 そこで本稿では、本人の内面や人格を推測するのではなく、①国会への説明責任、②野党との合意形成、③参議院と衆参二院制への対応、④官僚機構と専門知の活用、⑤政策実現と国会日程の管理という五つの観察可能な領域を中心に検討する。また、高市首相が安倍晋三元首相の政治路線を継承する人物として評価されてきたことについても、政策思想の類似だけでなく、党内調整、連立運営、官僚との関係、参議院への対応という制度運営の面から比較する。

高市政権は衆議院で極めて強い基盤を得た

 令和8年2月8日の衆議院議員総選挙では、自由民主党が316議席、日本維新の会が36議席を獲得し、連立与党は合計352議席となった。衆議院の定数465に対して与党は約75.7%を占め、自民党だけでも約68.0%となるため、これは単なる過半数ではなく、自民党単独で衆議院の3分の2を超える極めて強い議席基盤である。

 2月18日の首相指名では、高市氏は衆議院で投票総数464票のうち354票を獲得した一方、参議院の1回目の投票では、投票総数246票、過半数124票に対して123票にとどまり、決選投票によって首相に指名された。この結果は、高市政権が衆議院では圧倒的に強い基盤を持ちながら、参議院では同じような政治的優位を持っていないという、二つの異なる条件の下で政権運営を行うことになったことを示している。

 高市首相自身も、衆議院選挙後の記者会見で、自民党が単独で3分の2を超えたからといって「白紙委任」を得たつもりはないという趣旨を明確に述べ、野党にも協力を求める姿勢を表明している。そのため、高市政権を評価する際には、選挙によって得た強い政策推進力そのものと、その力を実際の国会運営においてどのように使ったのかを分けて検証する必要がある。

衆議院の3分の2という制度的条件を無視してはならない

 高市政権の国会運営を考える際に特に重要なのが、衆議院で自民党単独が3分の2を超えているという事実である。日本国憲法第59条では、衆議院で可決された通常の法律案について参議院が異なる議決をした場合でも、衆議院が出席議員の3分の2以上で再可決すれば法律として成立させることができ、また、参議院が法律案を受け取ってから一定期間議決しない場合についても、衆議院側に一定の手続が認められている。

 したがって、「参議院で与党が過半数を持たない以上、すべての法案について野党との合意がなければ政策を実現できない」という理解は正確ではなく、少なくとも通常の法律案では、衆議院の3分の2を背景として再可決する制度的な選択肢が存在する。この点で高市政権は、衆議院でも十分な多数を持たなかった過去の一般的な「ねじれ国会」とは異なり、参議院で与党が多数を持たなくても、一定の条件の下で法律を成立させる制度的な力を備えている。

 もっとも、制度上再可決が可能であることと、政治的にそれを多用することが望ましいかどうかは別問題である。再可決が認められているからといって参議院審議に実質的な意味がなくなるわけではなく、衆議院の3分の2を繰り返し利用して参議院の意思を覆せば、法律上は問題がなくても政治的対立が深まり、政策に対する社会的合意や制度への信頼、さらに政策の持続性へ影響する可能性がある。

 つまり、高市政権にとって参議院野党との合意形成は、通常法案の成立における絶対的な制度条件ではない一方、二院制の下で政策の正統性や安定性を高めるためには重要な政治条件であり、この二つを区別しなければ国会運営を正確に評価することはできない。

衆議院の大勝は国会全体への白紙委任ではない

 選挙で掲げた政策を実行することは民主政治の重要な原則であり、大勝した政権が選挙後に公約を簡単に放棄すれば、それ自体が有権者との関係で問題になる。しかし一方で、衆議院選挙に勝利したことから、国会審議の結論まですべて選挙によって確定したと考えることもできない。

 日本では首相を国民が直接選ぶ制度は採られておらず、衆議院選挙で有権者が一票を投じる理由も、高市首相個人への支持だけでなく、選挙区候補への支持、経済政策への期待、野党への評価、安全保障政策、地域事情など多様である。このため、自民党が316議席を獲得したという事実を、政府が掲げる個々の政策すべてに対する国民投票と同一視することはできない。

 また、参議院議員も国民の選挙によって選ばれており、任期、改選時期、選挙制度が衆議院とは異なるからこそ、衆議院とは異なる政治的構成が生まれる。二院制には、一度の選挙による多数だけで政策決定を完結させず、異なる時期と異なる選挙制度を通じて複数の民意を政策形成へ反映させるという機能があるため、衆議院選挙の大勝と参議院の構成は、どちらか一方だけを民意として扱うのではなく、同時に存在する政治的条件として考える必要がある。

首相の国会出席時間は重要だが、それだけでは評価できない

 令和8年の国会では、高市首相の予算委員会などへの出席時間が過去の政権と比べて少ないとの報道が相次ぎ、野党などから国会軽視ではないかという批判が出た。会期を通じた集中審議への出席が30時間台にとどまったとの報道もあり、首相出席を巡る与野党の対立は、令和8年国会を特徴づける重要な争点の一つとなった。

 もっとも、首相の国会出席時間が長ければ優れた政権運営で、短ければ問題があると単純に判断することはできない。首相には外交、安全保障、危機管理、経済政策、行政各部の統括など国会以外にも多数の職務があり、各省庁の専門的な政策については担当大臣が答弁する方が行政運営として合理的な場合もあるため、国会出席の総時間だけで説明責任を測ることには限界がある。

 高市首相自身も7月末の記者会見で、出席要請があれば出席して答弁してきたとした上で、日本の首相は他の議院内閣制諸国と比較して国会に拘束される時間が長いとの議論を紹介し、国家戦略などを考える時間を確保する必要性にも言及している。この主張には行政運営の効率という観点から検討すべき部分があり、首相が国会に長時間いること自体を目的化することも適切ではない。

 一方で、予算全体の基本方針、衆議院解散の判断、内閣全体の政治姿勢、重要な制度変更など、首相本人の判断が中心となる問題については担当大臣だけでは説明できない場合があるため、首相本人がどこまで直接答弁したかは重要な評価対象となる。したがって必要なのは単純な総出席時間の比較ではなく、首相出席を正式に求められた回数、そのうち実際に出席した割合、首相本人でなければ答えにくい質問への対応、答弁の具体性、再質問への回答、資料提出状況などを組み合わせた検証である。

 さらに令和8年は、衆議院解散と総選挙によって国会日程そのものが通常年と異なっているため、歴代首相との総出席時間を単純比較するだけでは条件をそろえた統計比較にはならない。この点を考慮せず、「出席時間が少ないから説明責任が低い」と直接結論づけることには、数理的にも統計的にも注意が必要である。

「国会運営は国会が決める」という説明には制度上の正しさと政治上の限界がある

 2月の予算委員会で、高市首相は国会運営について国会で決めるべきだと答弁し、委員会開催時間についても「お呼びがあれば私は参ります」という趣旨を述べている。この説明は制度論として間違っているわけではなく、委員会の日程や議事運営は国会が自律的に決定するというのが憲法と国会制度の基本である。

 しかし、現実の国会政治では、政府提出法案の提出時期、政府が優先する政策、首相や閣僚が出席可能な日程、与党による採決方針などを通じて内閣と与党が国会日程に大きな影響を及ぼしているため、政府と与党が政策実現の局面では強いリーダーシップを掲げながら、日程上の問題になると国会の自主性だけを強調すれば、権限と責任の境界が分かりにくくなる。

 もっとも、ここでも首相個人、内閣、自民党総裁、党の国会対策部門、委員長を同一視するべきではない。国会運営上の判断について、すべてを高市首相個人が直接指示していると仮定することも、逆に首相には一切の政治的責任がないと考えることも適切ではなく、誰がどの段階で意思決定したのかを可能な限り区別し、その上で首相としての政治的責任を検証する必要がある。

野党との対立はあったが、「首相が野党を完全に無視した」とまではいえない

 高市政権が野党と全く対話していないという表現は正確ではなく、高市首相は党首討論や予算委員会などに出席し、野党に協力を求める発言も繰り返しているため、「野党とは一切協議していない」と断定することは事実と一致しない。問題となるのは対話したかどうかという形式面より、重要法案についてどの程度の審議時間を確保し、野党の意見によって政府・与党案がどの程度修正され、採決までにどこまで合意形成を試みたのかという実質面である。

 令和8年夏の国会では、衆議院議員の定数削減法案や副首都に関する法案などを巡り、野党が審議を欠席する中で与党側が委員会審議を進める場面があり、野党や一部報道から強引な国会運営との批判が出た。特に議員定数や選挙制度は、現在の多数派だけでなく、将来の政党間競争、少数政党、地域代表、比例代表による民意の反映に直接影響するため、通常の個別政策より幅広い合意を求めるべきだという考えには一定の制度的根拠がある。

 一方で、定数削減法案や副首都法案は議員提出法案であり、内閣提出法案とは性格が異なる。高市首相も内閣総理大臣の立場では、議員立法の具体的な審議方法に関する発言を控える一方、自民党総裁としては定数削減と副首都構想を連立合意上の重要政策と位置づけていたため、首相としての制度上の立場と、自民党総裁としての政治上の影響力を区別して考える必要がある。

 最終的には、副首都に関する法律は衆議院で修正された上で7月24日に参議院でも可決され、7月31日に公布された一方、衆議院議員の定数削減はこの国会での成立には至らず、今後の議論に持ち越された。この結果を見る限り、夏の国会を「与党がすべてを一方的に押し切った」と描くのも、「野党の意見が十分に反映された」と描くのも単純化しすぎており、法案ごとに審議過程と結果を分けて評価する必要がある。

 また、野党側についても同様に検証が必要であり、審議拒否が政策内容を修正するために必要な交渉手段だったのか、それとも実質審議を減らす結果になったのか、さらに具体的な対案や修正案をどの程度提示したのかという点を確認しなければ、国会運営の責任を政府・与党だけに帰属させることはできない。

参議院をどう位置づけるか~法的権限と政治的合意を分ける

 参議院では与党が安定した過半数を持っていないため、衆議院とは異なる政治力学が働くが、ここで重要なのは、「参議院で多数がないから政策を実行できない」という制度論と、「参議院を尊重しながら政策を実行することが望ましい」という政治論を区別することである。

 予算、条約、首相指名については憲法上、一定の条件の下で衆議院の意思が優越し、通常の法律案についても、前述のように衆議院で3分の2以上による再可決が可能である。自民党は単独で316議席を持つため、通常法案について高市政権の衆議院側の制度的な力は非常に大きく、参議院で与党が過半数を持たないことだけを理由に、政策実現能力が著しく制約されていると見るのは正確ではない。

 しかし一方、参議院は単なる衆議院の追認機関ではなく、衆議院とは異なる任期と選挙制度を持ち、独自の国民代表として法律案の審議、修正、否決などを行う。そのため、衆議院の3分の2を利用できるからこそ、再可決をどのような場合に用いるのかという政治判断には重い説明責任が伴い、制度上可能であることと、政治的に適切であることを区別して考える必要がある。

 したがって、高市政権の参議院対応を見る際には、「参議院野党の同意を得られたか」だけでなく、事前協議をどの程度行ったか、参議院で十分な審議時間を確保したか、参議院側の修正要求をどの程度受け入れたか、与党以外の会派からどの程度賛成を得たか、さらに再可決という制度的手段をどのような条件で使用するかといった複数の指標を継続的に見る必要がある。

財務省と異なる政策を採ること自体は「官僚軽視」ではない

 高市首相は「責任ある積極財政」を掲げ、従来の財政規律を重視する考え方とは異なる立場の経済学者や元日本銀行関係者などを政府の会議に登用してきた。これに対しては、財務省側の警戒や、市場関係者から円安、金利上昇、財政規律の緩みなどを懸念する見方が報じられる一方、景気下支えや成長投資を評価する意見も存在しており、政策効果については現在も評価が分かれている。

 しかし、財務省と政策的に対立しているという事実だけから、「財務省を軽視している」「官僚を無視している」と結論づけることはできない。日本の財政政策の最終的な決定主体は財務省ではなく、選挙によって政治的責任を負う内閣と国会であり、財務省の政策判断に異論を唱え、異なる経済理論を採用すること自体は、民主政治における政治主導の一形態として理解できる。

 検証すべきなのは、財務省と異なる結論を採用したという結果ではなく、その政策形成過程である。積極財政による景気や雇用への効果だけでなく、金利、物価、為替、国債費、将来の利払い負担、政府債務のGDP(Gross Domestic Product・国内総生産)比などのリスクを数量的に検証したか、異なる理論を持つ専門家を意思決定過程に参加させたか、政策効果が想定から外れた場合の修正条件を設けているかという点を確認する必要がある。

 つまり、財務官僚を政策決定の最終主体にしないことと、財務官僚が持つ専門知識や反対意見を排除することは別の問題である。7月末時点で確認できる範囲では、「財務省を軽視している」と断定するより、「従来の財政政策とは異なる専門家や政策思想を政府内に取り込み、政策決定の重心を変えようとしている」と表現する方が正確である。

長い議員経験だけで首相としての国会運営を説明することはできない

 高市氏は長期間にわたって国会議員を務め、複数の閣僚や党役職を経験しているため、制度、立法、行政組織、党内調整などへの知識が蓄積されていることは一般的に考えられる。しかし、経験年数そのものから首相としての国会運営の質を直接推定することはできず、重要なのは、その経験が実際の行動や政策形成にどのように反映されているかである。

 客観的に確認できるのは、国会日程に余裕を持たせているか、野党時代に政府へ求めていた説明責任を自らの政権でも維持しているか、官僚の専門性と政治主導を両立しているか、参議院で多数を持たない状況に対して協議や修正を行っているかといった具体的な行動であり、こうした指標を時系列で比較する方が経験年数そのものを評価するより適切である。

 令和8年の国会では、会期末に重要法案を巡る与野党対立が強まり、首相出席を巡る攻防や野党欠席下の審議も発生したが、この事実だけから首相個人の能力や学習の有無を断定することはできない。解散・総選挙による特殊な日程、野党側の戦術、議員立法の扱いなど複数の要因を分離した上で、その中で高市首相がどのような判断を行ったのかを見る必要がある。

安倍晋三元首相との比較は「政策」と「政権運営」を分ける必要がある

 高市首相は、安全保障、憲法観、経済政策などの面で安倍晋三元首相の政治路線を継承する人物として語られることが多いが、政治的な後継を検証する場合には、政策思想の類似と政権運営手法の類似を分けなければならない。

 安倍政権も常に野党との合意を最優先した政権だったわけではなく、安全保障関連法制、特定秘密保護法、いわゆる共謀罪を巡って、審議方法や説明責任について強い批判を受けた。そのため、「安倍政権は常に熟議型だったのに、高市政権だけが対立型である」という比較は歴史的事実を単純化しており、両政権について同じ基準を用いて検証する必要がある。

 一方、第2次安倍内閣の発足時にも参議院で与党が安定した多数を持たない時期が存在し、その後の長期政権では、選挙での勝利だけでなく、自民党内、連立相手、官僚組織、経済界などとの調整や、政策の優先順位づけが重要な役割を果たしたと考えられる。このため、高市首相を安倍氏の「後継者」と呼ぶ場合には、政策理念をどこまで共有しているかと、異なる利害を調整しながら政策を実施する政権運営手法まで共通しているかを別々に検証しなければならない。

 7月末時点では、高市政権と安倍政権との間に政策路線上の継続性を確認できる部分は多いが、政権運営手法まで同じであるかどうかを判断するには観察期間が短く、今後の党内調整、連立運営、野党との協議、参議院対応などを継続して見る必要がある。

「似非安倍後継者」のような表現は分析には適さない

 「似非安倍晋三の後継者」のような表現は政治評論としては強い印象を与えるものの、客観的な検証には適していない。「似非」には本物を装う偽物という意味が含まれるため、高市首相が意図的に安倍氏を偽装しているという事実が確認できない以上、事実分析の用語として用いることは適切ではない。

 分析的に表現するのであれば、「高市首相には安倍政権と共通する政策理念が確認できる一方、党内統治、連立調整、官僚機構との関係、参議院対応などの政権運営手法について、同程度の継続性があるかは現段階では判断できない」とする方が正確であり、人物に対する好悪ではなく、比較可能な行動や制度運営を対象にする方が検証可能性も高くなる。

100点満点の採点より、観測可能な指標を使うべきである

 政治的力量を数値化すれば客観的に見えるが、数字を付けただけで科学的になるわけではない。説明責任20点、野党との合意形成20点、参議院対応20点というように配点しても、なぜ各項目を20点とするのか、10点と12点の差にどのような客観的意味があるのかが定義されていなければ、その得点は評価者の主観を数字に置き換えたものにすぎない。

 さらに、説明責任、野党との合意形成、参議院対応、日程管理には相互関係があり、一つの国会混乱を複数項目で重複して減点してしまう危険もある。また、過去の首相を同じ基準で大量に評価した比較データが存在しない以上、「何点なら優秀」「何点なら問題がある」という統計的基準を設定することも難しい。

 そのため、本稿では総合得点を付けるのではなく、首相出席要請に対する応諾率、重要法案の審議時間、政府・与党案が野党や参議院の指摘によって修正された割合、与党以外の会派が賛成した重要法案の割合、重要法案が会期末に集中した程度、予定した法案と実際に成立した法案の差など、観測可能な指標を継続して蓄積する方法を採る方が適切である。

 もっとも、この方法を用いても「首相の能力」を直接測定できるわけではない。国会運営は首相一人で行うものではなく、与党、野党、委員長、国会対策部門、官僚組織など多数の主体が関与するため、こうした数値はあくまで政権を取り巻く国会運営の状態を示す指標として扱い、その背景にある政治状況と組み合わせて解釈する必要がある。

高市政権を支持する立場からの反論も検討する必要がある

 高市政権の国会運営を検証するなら、批判だけでなく、政権を支持する側から考えられる反論も同じ基準で検討しなければならない。例えば、担当大臣で回答できる政策まで首相出席を求めれば、首相の時間が国会に過度に拘束され、外交や危機管理など他の職務に影響するという反論には一定の合理性があり、問題は首相の総出席時間そのものではなく、首相本人が説明すべき問題に十分答えたかどうかにある。

 また、衆議院選挙で自民党が316議席を獲得した以上、公約した政策を迅速に実行することも民主的責任であるという主張も無視できない。野党の反対があるという理由だけですべての公約を棚上げすれば選挙結果が政策に反映されなくなる一方、選挙で勝ったことと国会審議を短縮してよいことは同義ではないため、政策実行の速度と審議の質は別々に検証する必要がある。

 さらに、財務省と異なる経済政策を採用することは、官僚主導を弱め、選挙で選ばれた政治家が政策決定の責任を負うという意味で政治主導だという考えにも制度的な根拠がある。ただし、政治主導とは反対する専門家を排除することではなく、異なる見解を比較した上で政治が最終判断を行い、その結果について責任を負うことであるため、積極財政を採用したこと自体より、その意思決定過程が開かれているかどうかを評価する必要がある。

7月末時点で確認できること

 令和8年7月31日時点の記録から明確に確認できるのは、高市政権が衆議院で極めて強い議席基盤を持ち、自民党単独でも通常法案の再可決に必要となり得る3分の2を超える一方、参議院では異なる政治状況に置かれているということである。また、高市首相は選挙結果を政策実現の基盤としながらも、公式には白紙委任を得たものではないと述べ、野党への協力要請も行っている。

 一方、国会終盤には首相出席、定数削減、副首都構想などを巡って与野党対立が強まり、野党欠席下で審議が行われる場面も発生した。しかし、そこから「高市首相は国会運営能力が高い」「低い」と科学的に断定することはできず、確認できるのは、強い衆議院基盤を政策実現に利用できる制度環境があること、参議院では与党だけで完結しない政治環境があること、そしてその二つの条件の間でどのように調整するかが政権運営上の重要な課題になっているという点である。

 財務省との関係についても、従来の政策路線とは異なる専門家を登用していることは確認できるが、それだけで官僚軽視と同一視することはできない。今後の評価には、積極財政による成長や雇用への効果だけでなく、物価、金利、為替、国債費などの結果と、それらが当初の想定から外れた場合に政策修正を行う仕組みが実際に機能するかを見る必要がある。

結論~強い多数をどのように使うかが問われる

 高市政権の特徴を7月末時点で整理すると、衆議院では戦後の政権の中でも非常に強い議席基盤を持つ一方、参議院では異なる政治的構成と向き合わなければならないという二つの条件が同時に存在しており、この非対称な議会構成をどのように運営するかが重要な検証点となる。

 ここで重要なのは、衆議院3分の2という力を持っていること自体を肯定的あるいは否定的に評価することではない。民主的な選挙によって得た議席である以上、その制度的権限を行使することには正当性がある一方、参議院、野党、専門家など異なる立場から示された意見をどの程度政策改善へ取り込むかも、二院制と議院内閣制の下では重要な評価対象となる。

 安倍晋三元首相との関係についても、政策思想の継承と政権運営手法の継承は別々に見るべきである。高市首相と安倍氏との政策的な共通点は確認できる一方、長期政権を支えた党内調整、連立運営、官僚との関係、政策の優先順位づけなどまで同じ形で再現されているかについては、7月末までの期間だけで結論を出すことは難しい。

 今後確認すべきなのは、高市政権が参議院や野党を単なる政策実現上の障害として扱うのか、それとも政策を検証し修正する制度的な相手として位置づけるのか、財務官僚を含む専門家の異論をどのように政策形成へ統合するのか、そして衆議院の大きな多数を単なる採決力として使うのか、それとも多数を得た政権ほど丁寧な説明を行うという責任につなげるのかという点である。

 政治家に対する評価は固定されたものではなく、7月末までに観察された国会運営上の対立も、その後の協議、政策修正、法案提出の時期、参議院との関係によって意味が変わる可能性がある。だからこそ、支持か反対かという結論から逆算するのではなく、同じ指標を継続的に用い、行動と結果が変化したときには評価も更新することが、人物への好き嫌いではなく、反証可能な事実に基づいて政治を検証するための基本姿勢である。

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