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二階俊博はなぜ批判されても長く権力の中心に残ることができたのか

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 政治家の力を人気で測ろうとすると、二階俊博という政治家はひどく分かりにくい。

 テレビ映りのよさを武器にした政治家ではない。演説によって大衆を熱狂させるタイプでもなく、国民的人気を背負って総理大臣の座を目指したわけでもない。それどころか、中国との近い関係をめぐっては保守層の一部から厳しく批判され、道路や国土強靱化への強い関与からは利益誘導型政治の象徴のように語られることもあった。新型コロナウイルス感染症の流行期には、旅行業界との長い関係にも批判的な視線が向けられた。そして晩年には政治資金をめぐる問題が直撃し、2024年3月、次の衆議院選挙に立候補しないことを表明するに至った。

 ところが、その二階は2016年8月から2021年10月まで、1886日にわたって自由民主党(自民党)の幹事長を務めた。これは歴代最長である。安倍晋三政権から菅義偉政権へと総理大臣が交代しても、二階は党の中枢に残った。1983年の初当選から数えれば、衆議院議員として13回当選している。

 なぜ、これほど批判されながら権力の中心にいられたのか。

 この問いを解くには、「なぜ二階は人気があったのか」と考えるだけでは足りない。むしろ二階政治の核心は、好かれることよりも、政治の内部で必要とされることにあったのではないか。

権力は、拍手の大きさだけでは測れない

 民主政治では、選挙に勝つことが権力への入口になる。しかし、議員になった後の力関係は、得票数や世論調査の数字だけでは決まらない。

 候補者を誰にするのか。党内の対立をどう収めるのか。地方組織から上がってきた要求をどこへ運ぶのか。政権が危機に直面したとき、誰が異なる派閥の間を走り回るのか。選挙で苦戦している議員を誰が支えるのか。政府と党の意思がずれたとき、最後の着地点を誰が探すのか。

 こうした仕事は、国会中継にはほとんど映らない。

 だが政治組織は、演説する人間だけでは動かない。調整し、紹介し、つなぎ、時には対立する者同士の間に入り、誰かが決断できる環境をつくる人間が必要になる。

 二階は、この見えにくい政治を長く生きてきた。

 その経歴自体が異色である。1993年に自民党を離れ、新生党、新進党、自由党、保守党、保守新党と政党再編の時代を渡り歩いた後、2003年に保守新党が自民党へ合流する形で約10年ぶりに戻った

 普通なら、このような政党遍歴は弱点にもなる。

 しかし、別の角度から見れば、それは一つの政治的資産でもあった。

 自民党の中だけを歩いてきた政治家よりも、野党の事情を知っている。巨大政党だけでなく、小さな政党が生き残る難しさも知っている。昨日まで敵だった政治家が明日には連立相手になることも、新しい政党が数年で消えてしまうことも知っている。

 その経験から何を学んだのかは本人の内面に属するため断定できない。ただ、その後の二階の行動を見る限り、政治的な人間関係を一度の対立だけで切断しないという特徴は繰り返し現れている。

 政治の世界では、今日の敵が永久に敵であるとは限らない。

 その感覚を早くから身につけていたことが、二階の長い政治人生を理解する一つの手掛かりになる。

二階の力は「城」よりも「交差点」に近かった

 二階の権力を「派閥の領袖だったから」と説明することはできる。

 しかし、それだけでは十分ではない。

 2003年に自民党へ戻った二階は、旧保守新党の議員らを中心に「新しい波」という政治グループをつくった。その勢力は決して大きくなかった。2009年に自民党が政権を失った衆議院選挙では、所属国会議員は二階を含めてわずか3人まで減った。それが次第に議員を増やし、2020年には47人となり、党内第4派閥にまで成長している。

 ここには、二階政治を理解する重要な特徴がある。

 巨大派閥を最初から相続したのではない。

 小さな集団から始めて、人を増やしたのである。

 政治学や社会ネットワーク研究には、ブローカー(broker・異なる集団を仲介する主体)という考え方がある。ネットワークの中で力を持つ人物とは、単純に知り合いの数が最も多い人物とは限らない。互いに直接つながっていない人々や集団の間に位置し、情報や交渉の経路になる人物が大きな影響力を持つ場合がある。

 これを数理的に捉える考え方の一つが、媒介中心性(betweenness centrality・他者同士を結ぶ経路上に、ある主体がどの程度位置しているかを見る指標)である。政治に関するネットワーク研究でも、集団間をつなぐ仲介者が、情報伝達や政治的動員において特徴的な位置を占めることが示されている。

 もちろん、二階について媒介中心性を計算した研究が存在するわけではない。

 それでも、この考え方を借りると彼の立ち位置は理解しやすい。

 二階の権力は、巨大な城というより、交通量の多い交差点に近かった。

 交差点そのものは目的地ではない。だが、複数の道がそこで交わり、そこを通らなければ別の場所へ行きにくいとなれば、交差点には独自の価値が生まれる。

 二階が長年築いたのも、それに似た位置だったのではないか。

幹事長という地位が、交差点をさらに大きくした

 その二階に決定的な力を与えたのが、2016年の自民党幹事長就任だった。

 自民党の党則では、幹事長は「総裁を補佐し、党務を執行する」と定められている。また、自民党は過去の機構改革で、選挙実務を総裁と幹事長の下へ集中させる方針も明確にしてきた。  これは単なる名誉職ではない。

 党組織、選挙、人事、資金、地方組織との調整など、政党を実際に動かすさまざまな情報が幹事長周辺へ集まりやすい。

 ここで重要なのは、権力には「命令できる」という形だけでなく、「相談される」という形もあることである。

 相談が集まれば、情報が集まる。

 情報が集まれば、誰が困っているのかが見えてくる。誰と誰が対立しているのか、どの選挙区が危ないのか、どの議員が不満を持っているのか、地方が政府に何を求めているのかが分かる。

 そして、困っている人間を助けることができれば、その間には新しい政治的関係が生まれる。

 したがって、二階については「幹事長になったから強くなった」という一方向だけで考えない方がよい。

 長年蓄積した人脈と政治力があったからこそ幹事長に選ばれ、その幹事長という地位によって、さらに情報、人事、選挙、党内調整への接点が増えた。既存の政治力が役職を生み、役職がまた政治力を強くする。

 その循環が1886日続いたのである。

「総理にならない実力者」という奇妙な強さ

 二階政治には、もう一つ興味深い特徴があった。

 長い政治人生の中で大きな権力を持ちながら、自らが自民党総裁となって総理大臣を目指す動きは前面に出なかった。

 ここを、「安倍晋三にとって二階は使いやすかった」と断定してしまうのは慎重であるべきだろう。安倍本人の心理を外部から確定することはできない。

 しかし、客観的に確認できることはある。

 二階は安倍と総裁職を直接争う立場には立たず、安倍政権下で長期間幹事長を務めた。総理の座を奪う競争相手としてではなく、党運営を担う実力者として存在していた。

 一般論として、党首を目指す有力派閥の領袖と、党首の座を直接争わず組織運営を担う実力者とでは、総裁との関係は異なる。

 二階の長期在任についても、この位置関係は無視できない。

 権力者にとって恐ろしいのは、有能な部下そのものではない。有能で、なおかつ自分の椅子を狙う部下である。

 反対に、最高権力の座を直接競わず、そこで必要となる調整を引き受ける人物には別の価値が生まれる。

 二階は、総理大臣にならなかったから権力を持てなかったのではなく、総理大臣にならない位置から別種の権力を蓄積した、と見る方が実像には近い。

地方政治では「何を語ったか」だけでは評価されない

 東京から二階を見ると、しばしば古い政治の象徴に見える。

 しかし和歌山から見ると、景色は少し違ってくる。

 二階は道路、防災、国土強靱化、観光、港湾などの政策に長く関与してきた。本人の政治活動記録には、紀伊半島の道路整備、地震対策、ドクターヘリ、港湾など、地元の社会基盤に関係する事業が大量に記録されている。もっとも、政治家本人が掲げる「実績」は自己評価を含むため、それだけで政策効果や本人の寄与を証明することはできない。

 それでも、二階政治が地方の具体的な政策課題と深く結びついていたことまでは確認できる。

 地方の有権者が国会議員を見るとき、全国的な政治論争だけが判断材料になるわけではない。

 道路が整備されたか。災害対策が進んだか。地域の要望を中央政府まで運んでくれるか。行政との交渉力を持っているか。

 こうした評価軸も存在する。

 実際、二階が最後に出馬した2021年の衆議院選挙では、和歌山3区で10万2834票、得票率69.3%を獲得して当選している。2位候補は13.9%であり、選挙結果だけを見れば圧倒的だった。

 ただし、ここから「公共事業を持ってきたから69.3%を取った」と結論することはできない。

 選挙結果には、現職としての知名度、自民党の組織力、後援会、地域の政党支持構造、対立候補の顔ぶれなど、多数の要因が作用しているからである。

 それでも、全国的な評価と地元の評価が大きく異なり得るという事実は重要である。

 国会議員は全国民による一つの人気投票で選ばれるわけではない。

 二階が長く強固な議席を維持した背景には、こうした小選挙区政治の構造もあった。

「中国に近い」という批判が、同時に外交経路にもなる

 二階を語るとき、中国との関係を避けることはできない。

 象徴的なのが2015年である。

 この年、二階は総勢3162人に及ぶ「日中観光文化交流団」の名誉団長として中国を訪れた。北京の人民大会堂では習近平国家主席も出席して交流行事が行われ、二階は当時、全国旅行業協会会長でもあった。

 このような長年の日中交流を背景に、二階はしばしば「親中派」と呼ばれ、その姿勢は政治的批判の対象になった。

 その批判には政策論として検討すべき論点がある。中国政府に対してどこまで厳しい態度を取るべきか、安全保障と経済交流をどのように両立するのかは、日本外交にとって現実の争点だからである。

 ただし、ここにも二階政治らしい逆説がある。

 外交関係が悪化すると、相手国と会話できる経路そのものが不足する。

 そのとき、長年にわたり関係を維持してきた政治家の人的ネットワークは、少なくとも潜在的には、他の政治家では容易に代替できない外交資源になり得る。

 ここで重要なのは、「中国とのパイプがあったから二階は国内で権力を持てた」とまで断定しないことである。

 そこまでの因果関係を示す資料はない。

 しかし、中国との長期的な人的関係が二階固有の政治資源の一つだったこと、その資源が日中関係の悪化時には外交経路として利用可能だったことは、十分に合理的な説明である。

 つまり、「中国に近い」という評価は、ある有権者にとっては政治的弱点になり、別の場面では希少な交渉経路という価値を持ち得る。

 二階政治では、批判される理由と必要とされる理由が、同じ場所から生まれることがあった。

2020年、二階の政治技術が最も鮮明に現れた

 その特徴が最も分かりやすく現れたのが、2020年の安倍晋三退陣後である。

 安倍が辞意を表明すると、後継総裁をめぐる動きが一気に始まった。

 当時、二階派は47人であり、党内最大派閥ではなかった。

 それでも二階派が菅義偉支持を打ち出すと、最大派閥の細田派をはじめ、麻生派などが相次いで菅支持へ動いた。日本大百科全書も、菅が二階に出馬意向を伝え、二階派が支持を打ち出した後、党内各派が次々に支持を表明した経過を記録している。

 ここで二階派だけが菅政権をつくった、と考えるのは正確ではない。

 麻生派、細田派、竹下派など他の有力派閥もそれぞれの政治的判断によって菅を支持した。菅本人の官房長官としての実績や、安倍政権との継続性を求める力も作用した。

 しかし、二階派が早期に支持を打ち出したことが、総裁選初期の流れを形成する一要素になったことは否定しにくい。

 政治では、単純な人数だけでなく、いつ動くかが重要になる。

 全員が様子を見ている段階で一つの勢力が動けば、それ自体が新しい情報になる。

 「あの派閥が支持した」

 という事実を見て、別の派閥が勝敗を予測し、さらに動く。その動きを見た第三の勢力がまた判断を変える。

 雪崩は、最も大きな石だけが起こすとは限らない。

 斜面の状態を読んで、最初に動いた塊が全体を動かすことがある。

 2020年の総裁選は、二階の力を単なる派閥人数だけでは説明できないことを象徴する出来事だった。

 菅が総裁に就任すると、二階はそのまま幹事長に留任した。菅自身も当時、二階を「党の要」と位置付けていたと報じられている。

 この時期、二階は確かに「キングメーカー」と呼ばれるほどの影響力を持っていた。

 しかし、その力の本体は「自分の言うことを全員に聞かせる」という絶対的な支配ではなかった。

 むしろ、次に誰が動くのかを読み、先に動き、異なる勢力をつなぐ能力だったと見る方が適切だろう。

しかし、「必要とされる政治」は同時に不信も生む

 ここまで見ると、二階政治は非常に合理的に見える。

 だが、その強さを生み出した仕組みには、最初から弱点も埋め込まれていた。

 人間関係による調整を重視すれば、意思決定の過程は外から見えにくくなる。

 地方に具体的な政策を持ち帰る政治を重視すれば、政治力の強い地域ほど有利になるのではないかという疑問が生まれる。

 業界との長い関係を政策形成に利用すれば、専門知識や実行力を得られる一方で、政治と業界利益との距離が近すぎるのではないかという批判も起こる。

 選挙、資金、人事、派閥、地方、業界を結ぶ政治技術は、政治組織の内部では調整能力として評価され得る。しかし国民から見れば、「誰が、どのような理由で、どのように決定したのか」が分かりにくい政治にもなる。

 つまり、二階の強さをつくった仕組みそのものが、二階への不信をつくる仕組みにもなっていた。

 その矛盾が晩年に最も強く表れたのが、自由民主党派閥の政治資金問題だった。

 二階派「志帥会」の元会計責任者は、2022年までの5年間で約2億6000万円の政治資金パーティー収入などを収支報告書に記載しなかったとして起訴され、裁判で起訴内容を認めた。二階自身については、派閥の政治資金をめぐって刑事告発されたものの、東京地方検察庁特別捜査部は2024年7月、「嫌疑なし」として不起訴処分としている。したがって、会計責任者らの刑事責任と二階本人の刑事責任は明確に区別しなければならない。  それでも政治的責任という問題は残った。

 二階は2024年3月、次の衆議院選挙に出馬しないことを表明し、自らの政治責任について言及した。

 長い間、二階を支えてきた「必要とされる力」と、その政治手法を抱えることによって党が負う政治的コストとの均衡が、大きく崩れた時期だったと見ることができる。

二階を長く残したものは何だったのか

 二階俊博という政治家を「古い政治家」の一言で片付けるのは簡単である。

 確かに、彼が得意とした政治には、昭和以来の自民党政治を思わせる部分が多い。

 人に会う。敵とも関係を切らない。選挙で困っている人間を支える。地方の要求を中央へ運ぶ。業界との関係を維持する。外交が詰まれば別の経路を探す。派閥を越えて人間関係を残しておく。

 こうした政治は、透明性や公平性を強く求める現代の政治観とは緊張する。

 だから二階は批判された。

 しかし同時に、政党政治が依然として人間によって動き、選挙区が存在し、地方と中央の利害が異なり、派閥間の調整が必要で、外国との交渉経路も必要であるかぎり、二階の持っていたような技術にも需要が存在した。

 そこに、二階俊博が長く権力の中心に残った理由を考える鍵がある。

 もちろん、単一の原因で説明することはできない。

 強固な選挙基盤、長い議員経験、派閥、人事と選挙に関わる幹事長という地位、地方政策への関与、業界とのネットワーク、外交上の人的関係、そして党内の異なる勢力をつなぐ仲介能力。それらが互いに作用し合った結果として、二階の政治的影響力は形成されたと考えるのが最も慎重である。

 その中でも、とりわけ特徴的だったのは、自分を最大勢力にすること以上に、自分がいることで複数の勢力がつながる位置を確保したことではないか。

 政治の世界では、最も拍手を受ける人物が、必ずしも最も強いとは限らない。

 演説台の中央にいる人よりも、舞台裏で何本もの電話を受けている人の方が、重大な決定に近いことがある。

 人気のある人より、相談される人。

 誰からも愛される人より、対立する人々の双方と話せる人。

 最大の軍団を率いる人より、複数の軍団の間を行き来できる人。

 二階俊博の長い政治人生は、日本政治に存在するそうしたもう一つの権力の姿を、極端なほど分かりやすく示している。

 だから、最後に残る問いは「なぜ二階だけが生き残ったのか」ではないのかもしれない。

 より正確に言えば、自民党内の権力調整、選挙、地方、業界、外交を結ぶ政治構造の中で、なぜ二階のような政治家を必要とする局面がこれほど長く続いたのか、という問いである。

 二階俊博を理解することは、一人の老練な政治家を理解するだけではない。

 表に見える人気とは別の場所で、政治権力がどのように生まれ、どのように蓄積され、そして最後にはどのように失われていくのか。

 その仕組みを見ることなのである。

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