地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

衆議院と参議院を分けて見ると、「党のナンバー2」では説明できない

 政治ニュースを見ていると、党首の隣にはしばしば幹事長がいる。選挙になれば候補者について語り、党内で問題が起これば調整に動き、他党との交渉でも名前が出てくるため、「党のナンバー2」と説明されることも多い。しかし、この説明だけでは幹事長という役職の本当の姿は見えてこない。日本の政党は、党首と幹事長だけで動く単純な組織ではなく、党本部、地方組織、選挙組織、政策部門、国会対策部門に加えて、衆議院と参議院という制度も選挙周期も異なる二つの議院を同時に抱えているからである。

 しかも2026年の日本政治を見ると、この構造はさらに複雑になっている。以下では自由民主党、立憲民主党、日本維新の会、公明党を主な例として見るが、これら4党だけで日本のすべての政党を説明できるわけではなく、幹事長という名称や権限、衆議院と参議院の組織関係は政党によって異なる。その前提を置いたうえで各党を比較すると、幹事長の力とは「何でも一人で決定できる力」ではなく、人事、資金、選挙、国会、地方組織、そして衆参両院を結び付ける位置から生まれる力だということが見えてくる。

まず、「政党」と「国会会派」は同じものではない

 幹事長を理解する前に、一つ重要な区別がある。それは政党と国会会派の違いである。政党とは、共通する理念や政策を実現するためにつくられる政治組織であり、国会会派とは衆議院や参議院の内部で活動を共にする議員の集団である。同じ政党の議員が一つの会派をつくることが多いものの、複数政党が一つの会派を構成することもあれば、政党に所属していない議員が会派に加わることもあるため、「政党の所属」と「国会でどの会派に所属するか」は必ずしも一致しない。

 2026年は、この違いを理解するのに象徴的な年になった。衆議院が公表している2026年2月18日現在の会派構成では、自由民主党・無所属の会が316人、中道改革連合・無所属が48人、日本維新の会が36人などとなり、立憲民主党と公明党はそれぞれ独立した衆議院会派としては存在していない。一方、参議院の2026年6月30日現在の会派構成を見ると、自由民主党・無所属の会101人、立憲民主・無所属40人、公明党21人、日本維新の会19人となっており、衆議院と参議院では同じ政党名をめぐる組織構造が大きく異なっている。

2026年には、衆議院と参議院の「政党地図」がずれた

 このずれが生じた大きな理由の一つが、2026年初めの政党再編である。立憲民主党所属だった衆議院議員と公明党所属だった衆議院議員は、中道改革連合の結成に伴ってそれぞれ元の党を離れ、2月の衆議院選挙を中道改革連合から戦った。その結果、立憲民主党と公明党は参議院や地方組織では存続しながら、衆議院ではそれぞれ独自の議員団を持たないという、通常とは異なる状態になった。

 ところが、この体制も固定されたわけではない。2026年9月には、中道改革連合、立憲民主党、公明党の3党による組織的な合流が実現しないことが明らかになり、中道改革連合は新たな形態へ移る方針を決めた。公明党出身の衆議院議員は公明党へ再結集し、立憲民主党出身の衆議院議員は新党を立ち上げ、そのうえで次の国会では両者が衆議院の統一会派「中道」を形成する方向が示されている。したがって2026年9月16日現在の衆議院については、「中道改革連合という既存政党がそのまま存続している」とも、「すでに新しい体制への移行が完全に終了した」とも単純には言えず、政党所属と国会会派の組み替えが進んでいる過渡期として見る必要がある。

 この出来事は、幹事長を理解するうえでも重要である。政党組織は衆議院と参議院で必ずしも同じ形を取らず、一方の議院で党所属議員がいなくなっても、他方の議院や地方組織を基盤として政党そのものは存続できるからである。幹事長とは、単に国会議員を束ねる役職ではなく、このような複数の組織を一つの政党として維持する党務の責任者なのである。

幹事長とは、そもそも国会の役職ではない

 衆議院議長や参議院議長は国会という国家機関の役職だが、政党の幹事長はその政党内部の役職である。そのため、日本国憲法に「幹事長」という役職が定められているわけではなく、その権限は各党の党則や規約によって決められる。同じ「幹事長」という名前でも、自由民主党と日本維新の会と公明党では制度設計が異なり、さらに党本部の幹事長とは別に、参議院幹事長や国会議員団幹事長を置く政党もある。

 自由民主党では、党本部の幹事長は総裁を補佐して党務を執行する役職とされ、その管掌下に人事局、経理局、情報調査局、国際局が置かれている。一方、参議院側には参議院議員総会や参議院幹事長、参議院政策審議会長、参議院国会対策委員長などの独自の組織が存在するため、「自由民主党幹事長」と「参議院幹事長」は名前こそ似ていても別の役職である。

 日本維新の会ではさらに構造が重なる。党本部には代表を補佐して予算執行など党運営を統括する幹事長がいる一方、国会議員で構成される国会議員団にも幹事長を置く仕組みがあり、さらに参議院には参議院会を設け、参議院会長や参議院幹事長、参議院国会対策委員長などを置くことができる。したがって政治ニュースで「維新の幹事長」と書かれていた場合、それが党本部を指しているのか、国会議員団を指しているのかまで確認しなければ、権限の意味を正確には理解できない。

衆議院と参議院では、政治を刻む時計そのものが違う

 なぜ一つの政党の中に、衆議院と参議院で別々の組織が必要になるのか。それは両院が同じ国会を構成しながら、まったく同じ制度では動いていないからである。衆議院議員の任期は4年だが、衆議院が解散されれば任期途中でも選挙になるため、衆議院議員は常に「いつ選挙になるか分からない」という不確実性の中で政治活動を行う。

 これに対して参議院議員の任期は6年で、参議院には解散がなく、3年ごとに半数が改選される。議員全員が一度の選挙で入れ替わることがないため、参議院という議院そのものには制度的な継続性が組み込まれている。したがって衆議院では突然の解散に備えた候補者や選挙区の準備が重要になり、参議院では3年ごとの改選周期を前提に、より長い時間軸で選挙や院内活動を組み立てることができる。

 さらに両院は権限も完全には対称ではない。予算は衆議院に先に提出され、内閣総理大臣の指名、予算、条約など一定の事項では条件を満たせば衆議院の議決が優越し、内閣不信任決議も衆議院に認められた制度である。このため衆議院は内閣の成立や存立とより直接的に結び付く一方、参議院は解散の影響を受けずに活動を継続する。党本部の幹事長は、この異なる時計で動く二つの議員集団を同時に政党の中へ組み込まなければならない。

自由民主党では、「党本部」と「参院自民党」が重なって動く

 自由民主党を見ると、この構造が比較的分かりやすい。党本部では総裁が最高責任者となり、幹事長が党務執行の中心に立つ一方、参議院には参議院議員総会を中心とする独自の組織があり、参議院幹事長などが置かれている。参議院側は党本部と無関係な別組織ではないが、党本部幹事長の直属部門として単純に一本化されているわけでもない。

 ここで重要なのは、幹事長の力を「上から命令する力」だけで測らないことである。党本部では全国の地方組織、選挙、人事、資金などを扱わなければならず、参議院側には参議院独自の議員間調整や国会運営があるため、両者の考えが完全に一致するとは限らない。その間を党として一つの方向へまとめることができるかどうかが、幹事長の政治的な力になる。

立憲民主党は、2026年に「参議院と地方組織を持つ政党」という性格が強くなった

 立憲民主党については、2026年以前の規約だけを読んで現在を説明すると誤解が生じる。規約上は衆議院議員団と参議院議員団を置くことができ、幹事長は代表を補佐して党務執行全般を統括し、国会対策委員長は代表と幹事長の下で衆参にまたがる国会対策を担うという構造が想定されている。しかし2026年には、所属していた衆議院議員が中道改革連合へ移ったことから、現実の立憲民主党は参議院議員、地方議員、地方組織を中心に存続することになった。

 2026年8月時点の立憲民主党役員を見ると、代表、幹事長、選挙対策委員長、政務調査会長、国会対策委員長など党執行部の中心を参議院議員が担っており、党自身も衆議院小選挙区の暫定総支部を設けるなど、将来の衆議院との関係を見据えながら地方組織を維持している。9月には中道改革連合の立憲民主党出身衆議院議員が新党をつくる方針となり、立憲民主党との今後の関係はなお調整段階にあるため、現在の立憲民主党を「従来と同じ衆参一体の政党」として描くことはできない。

 むしろここから分かるのは、幹事長の仕事が国会議員団の人数だけで決まるわけではないということである。衆議院に所属議員がいない時期でも、地方組織、党員、選挙準備、政策活動、参議院議員団を維持しなければ政党は存続できない。幹事長とは、国会内だけでなく、その背後にある組織を切れ目なく動かす役職なのである。

公明党も2026年に、衆議院と参議院の関係が大きく変わった

 公明党についても同じ注意が必要である。2026年1月、公明党所属の衆議院議員は中道改革連合への参加に伴って公明党を離れ、公明党は一時、参議院議員と地方議員を中心とする政党になった。それでも党本部には代表、幹事長、中央幹事会、常任役員会などが存続し、参議院側には参議院公明党議員団の組織が存在したため、衆議院から所属議員がいなくなっても政党そのものが消滅したわけではない。

 その後、2026年9月には中道改革連合の再編方針を受け、公明党出身の衆議院議員を公明党側が受け入れ、再び衆参両院に国会議員を持つ体制へ移行する方針が示された。ただし衆議院では、立憲民主党出身議員が設立する新党と統一会派「中道」を組む方向であるため、今後は「政党としての公明党」と「衆議院会派としての中道」が重なって存在することになる。

 この構造は一見ややこしいが、政党と会派を分ければ理解しやすい。公明党という政党には独自の代表や幹事長、党組織がありながら、衆議院では別の政党に所属する議員たちと一つの会派をつくることが可能である。つまり幹事長は、党の内部だけでなく、必要に応じて他党と組む国会会派との関係まで調整しなければならない。

「幹事長が金を握る」という言葉は、かなり乱暴である

 幹事長について昔から語られてきたのが、「金と人事を握るから強い」という説明である。しかし制度を確認すると、この言葉はそのままでは正確ではない。自由民主党では経理局が幹事長の管掌下に置かれているが、党財政には財務委員会など別の監督機構が存在する。日本維新の会では幹事長が予算を執行することが明確に規定されている一方、公明党では党の収支を管理する財務委員会や会計を監査する組織が置かれているため、いずれの党でも「幹事長が個人的判断で党の金を自由に使える」という意味ではない。

 それでも資金と幹事長が強く結び付けられるのは、政治における資金配分が単なる経理処理ではないからである。選挙対策にどれだけの組織資源を投入するのか、地方組織をどこまで支えるのか、党本部の活動をどう組み立てるのかという判断は、最終的には党の政治戦略と結び付いているため、党務全般に関与する幹事長がその調整から離れることは難しい。したがって「金を握る」というより、「党の限られた資源をどこへ向けるかという調整の中心に近い」と表現する方が実態に近い。

人事も、公認も、一人で決めているわけではない

 人事についても同じことが言える。自由民主党では幹事長管掌の部局について、総務会の承認を受けて幹事長が局長や次長を決定する仕組みがあり、日本維新の会では幹事長が常任役員会の承認を受けて幹事会の構成員などを選任できる。公明党でも幹事長室を中心に党務を統括する仕組みがあるが、中央幹事会などの議決機関と常任役員会などの執行機関が別に存在するため、幹事長が党内のあらゆる役職を単独で決定しているわけではない。

 選挙の公認についても同様である。候補者を正式に公認する手続きには各党の選挙対策機関や議決機関が関与するため、「幹事長の一声で候補者が決まる」という説明は制度上正しくない。しかし実際の候補者選定では、地方組織の希望、現職との関係、選挙区事情、比例代表との配分、他党との協力、資金や応援態勢などを事前に調整しなければならない。この長い調整過程に深く関わることが、幹事長の影響力につながるのである。

衆議院の選挙と参議院の選挙では、幹事長が考える時間軸も変わる

 衆議院では解散があるため、党本部は常に「次の総選挙が予定より早く来るかもしれない」という可能性を考えなければならない。候補者が決まっていない選挙区、地方組織が弱い地域、現職と新人の調整、他党との候補者競合などを日常的に整理しておかなければ、突然の解散に対応できなくなる。

 一方、参議院では改選時期があらかじめ分かっているため、衆議院とは異なる準備が可能になる。しかし参議院選挙には選挙区と比例代表があり、党全体の得票戦略や全国組織との関係が強く影響するため、こちらにも独自の調整が必要になる。幹事長は一種類の選挙だけを見ていればよいのではなく、いつ起こるか分からない衆議院選挙と、周期が決まっている参議院選挙を同じ党組織の中で並行して準備しなければならない。

幹事長には、「異なる種類の情報」が集まりやすい

 幹事長の力を考えるとき、資金や人事ほど目立たないものの、情報も重要である。ただし「幹事長が誰よりも早くすべての情報を知る」と断定する根拠はなく、より正確には、役職上、異なる種類の情報が集まりやすい位置にいると考えるべきである。

 自由民主党では情報調査局が幹事長の管掌下にあり、日本維新の会では幹事長が役職者の連絡や調整のための会議を招集できる。立憲民主党でも幹事長を中心とする党執行部には地方組織、選挙、国会対策、政策などの情報が集まる構造がある。衆議院側からは解散や選挙区情勢を意識した情報が入り、参議院側からは独自の国会運営や改選事情が届き、地方組織からは候補者や地域政治に関する情報が上がるため、幹事長はそれらを直接すべて処理しなくても、どの問題をどこで解決すべきかを判断する位置に置かれる。

だからといって、幹事長が党首より強いわけではない

 これだけ多くの分野に関わると、幹事長が党首の裏側で党を動かしているようにも見える。しかし制度上の最高責任者は、自由民主党なら総裁、立憲民主党や日本維新の会、公明党なら代表であり、幹事長ではない。また各党には総務会、常任幹事会、中央幹事会、常任役員会、両院議員総会などの合議機関が置かれており、重要事項を幹事長一人で決定する仕組みにはなっていない。

 むしろ幹事長の政治的な力は、党首からどこまで信頼されているか、衆議院議員や参議院議員とどのような関係を持つか、地方組織との調整能力があるかによって変化する。同じ党則の下でも、強い幹事長と目立たない幹事長が生まれるのはこのためであり、役職に書かれた権限だけを読んでも、その人物の実際の政治的影響力までは分からない。

幹事長の本当の力は、「接続点」と考えると見えてくる

 ここまで見てくると、「幹事長は何を握っているのか」という問いに、「金」「人事」「選挙」とだけ答えることが不十分である理由が分かってくる。資金は財務機構と共有され、人事には党内の承認手続きがあり、候補者公認には選挙対策部門や議決機関が関与し、国会運営には国会対策委員長や衆参それぞれの議員組織が存在するため、幹事長が一つ一つの権限を独占しているわけではない。

 それでも幹事長が重要なのは、これらの機能が互いに切り離されていないからである。候補者を立てれば資金と地方組織が必要になり、地方組織を動かせば人事や党本部との調整が必要になり、選挙で議席を得れば衆議院や参議院の国会運営へつながり、国会での政策判断は次の選挙に影響する。その循環の途中に幹事長が何度も現れる。

 したがって、幹事長が何か一つの巨大な権力を「握っている」と考えるより、人事、資金、選挙、国会、地方組織、衆議院、参議院という別々の回路を結ぶ「接続点」にいると考える方が実態を捉えやすい。これは党則に書かれた正式な定義ではなく、複雑な政党組織を理解するための一つのモデルであるが、幹事長という役職がなぜこれほど政治ニュースで重く扱われるのかを説明するには有効である。

 2026年の政党再編は、そのことを逆に鮮明にした。立憲民主党や公明党のように衆議院と参議院で一時的に所属構造が分かれても、政党そのものは地方組織や参議院議員、党員を基盤として存続し、その後また衆議院側との関係を組み直すことができる。その過程では、国会議員の数だけでなく、組織、人事、選挙、資金、他党との関係を同時に調整しなければならない。

 政治の表舞台で最も強い照明を浴びるのは党首である。しかし政党が実際に動く場所では、衆議院と参議院という異なる時間で動く二つの議院、全国の地方組織、選挙、政策、人事、資金が絶えず結び直されている。幹事長の力とは、そのすべてを独占することではなく、それぞれ別の方向へ動きかねない歯車を、一つの政党として噛み合わせ続ける位置にいることなのである。

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 政治の権力者という言葉から、多くの人が思い浮かべるのは首相か、自民党幹事長だろう。衆議院で当選を重ね、派閥や総裁選挙を通じて党内での地位を高め、政策を掲げて国民の支持を集め、最後には首相官邸へ入る。それが日本政治における「大物政治家」の分かりやすい姿である。しかし、実際の政治を動かす力が、常にこうした表舞台の役職に集中しているとは限らない。

 青木幹雄は、その典型から大きく外れた政治家だった。国政では一貫して参議院議員であり、首相になったことも自民党総裁になったこともない。全国的な人気を背景に政治を動かした人物でも、強烈な演説によって世論を引き付ける政治家でもなかった。それにもかかわらず、1990年代末から2000年代の自民党政治を振り返ると、首相交代、党内人事、総裁選挙、国会運営といった重要な局面の数多くに青木の名前が現れる。やがて彼は「参院のドン」と呼ばれ、首相や党幹部でさえ無視できない実力者として知られるようになった。

 ただし、この呼び名から青木を参議院全体の支配者だったと理解するのは正確ではない。彼の政治力は、参議院議員を命令だけで動かせたことにあるのではなく、参議院の制度的権限、自民党参議院組織の独自性、竹下派以来の人的関係、選挙と人事に関する情報、そして首相官邸と党内の異なる勢力を結び付ける調整能力が、一人の政治家のところに重なったことから生まれていた。青木の権力を理解するには、政治家個人の力量だけでなく、その人物がどのような組織の中で、誰と誰を結び付ける位置にいたのかを考える必要がある。

 青木幹雄の政治を振り返ることは、首相や党総裁だけが政治を動かしているわけではないという、日本政治のもう一つの構造を知ることでもある。そして2026年、衆議院で巨大な多数を持ちながら参議院では過半数を確保できていない高市早苗政権を考えるうえでも、その歴史には検討すべき問題が残されている。

竹下登のそばで学んだ調整型政治

 青木幹雄は1934年6月8日、島根県に生まれた。早稲田大学を中退した後、竹下登の秘書を務め、1967年から島根県議会議員として5期19年にわたり地方政治に携わった。1986年の参議院議員通常選挙で島根県選挙区から初当選し、その後4期24年間にわたって参議院議員を務めた。青木の政治人生を理解するうえで、地元島根の政治的基盤とともに欠かせないのが、後に首相となる竹下登との関係である。

 竹下の政治手法は、強烈な理念によって党内を二分するというより、相手の事情を読み、対立する政治家の間に入って妥協点を探し、人間関係や組織内の力学まで含めて自民党を動かしていくものだった。政策の内容だけでなく、誰が誰を信用しているのか、どの派閥がどの役職を求めているのか、地方組織や業界団体が何を重視しているのかを理解することが、当時の自民党政治における重要な政治技術だったのである。

 青木は、その政治が実際に動く現場の近くにいた。もちろん、竹下の秘書だったという事実だけで、青木が後に発揮した調整能力の原因を証明できるわけではない。しかし、青木がその後、政策理念を前面に掲げる政治家というより、組織内の利害を調整し、異なる政治勢力をつなぐ人物として頭角を現したことを考えれば、竹下の政治環境が彼の活動方法に影響を与えたと考えることには一定の合理性がある。

 組織の権力は、公式の役職表だけで決まるものではない。人事の事情を知り、誰と誰の関係が悪化しているのかを理解し、どこに話を通せば意思決定が進むのかを把握している人物には、形式的な権限とは別の影響力が生まれる。さらに、多くの人がその人物を通じて情報を得たり、対立を解決したりするようになれば、本人が最高責任者でなくても、組織の意思決定に大きく関与できる。

 青木が後に築いたのは、こうした情報と調整を基盤とする政治力だった。自分自身が首相になる必要はなく、党内人事、選挙、派閥間交渉、国会運営などが交差する場所に入り、それぞれの関係を結び直す役割を果たせば、首相を目指す政治家とは異なる種類の権力を持つことができる。青木は政治の舞台の中央に立ち続ける人物というより、複数の舞台をつなぐ通路で存在感を発揮する政治家だった。

参議院は本当に衆議院より弱いのか

 ここで一つの疑問が生まれる。それほど政治力があったのであれば、青木はなぜ衆議院へ転じなかったのだろうか。日本の政治では首相の大半が衆議院議員から選ばれてきたため、政治的な出世を目指すなら衆議院議員になる方が有利だという印象がある。しかし、首相になりやすいことと、政治的な影響力を持ちやすいことは、必ずしも同じではない。

 日本国憲法では、首相の指名、予算、条約の承認などについて衆議院の優越が認められている。一方、通常の法律案については、憲法第59条により、原則として衆議院と参議院の双方による可決が必要となる。参議院が衆議院と異なる議決をした場合でも、衆議院が出席議員の3分の2以上で再可決すれば法律は成立するが、単に衆議院で過半数を持っているだけでは、この手続きを利用できるとは限らない。

 例えば、衆議院の定数が465議席で全員が出席した場合、法律案の再可決には310票以上が必要になる。233議席あれば過半数には達するが、310議席には77議席足りない。つまり、政権与党が衆議院で安定した過半数を確保していても、参議院で法案を否決されれば成立できない場合があり、その状況では参議院側との調整が政策実現の重要な条件となる。

 参議院の特徴は、法律案への議決権だけではない。参議院議員の任期は6年間で、3年ごとに半数が改選され、衆議院のような解散制度も存在しない。首相が参議院の多数派と対立したとしても、参議院全体を解散して新たな多数派をつくり直すことはできないため、衆議院とは異なる時期の選挙結果が長期間にわたって政治に影響する。参議院が衆議院の単なる下部組織ではなく、独自の選挙事情や院内秩序を持つ理由は、この制度的な違いにある。

 もっとも、参議院に制度上の権限があることと、特定の参議院議員がその権限を自由に行使できることは別である。参議院の議決は議員個々の投票によって決まり、一人の有力者が全議員の意思を代弁できるわけではない。それでも、参議院内の多数派形成や党内調整に深く関与できる人物には、制度の仕組みを背景とした大きな政治的価値が生まれる。

 青木の権力を理解するには、この制度的権力と個人的権力を区別することが重要である。参議院には政府提出法案の成立を左右する制度上の力があり、自民党参議院組織には独自の選挙や人事に関する組織的な力があった。青木は、それらを自分一人で所有していたのではなく、その組織の中で調整を担うことによって個人的な影響力を高めていったのである。

小渕政権で舞台裏から首相官邸へ

 青木が全国政治の表舞台に現れた大きな転機は、1999年10月5日の内閣官房長官就任だった。小渕恵三首相は、それまで自民党参議院幹事長などを務めていた青木を、首相官邸の中枢である官房長官に起用した。参議院議員である青木が政権運営の中心に入ったことは、彼の政治的な役割が参議院内部にとどまらなかったことを示している。

 小渕と青木を結び付けていたのは、竹下登を中心とする政治的な人間関係だった。両者は竹下派の中で長く活動し、党内の利害や人事、地方組織の事情を共有していた。官房長官への起用について、こうした人的関係がどの程度決定的だったかを厳密に測ることは難しいが、青木が官邸と党内勢力の間に立って調整できる人物として評価されていたことは、その後の政治的な役割とも整合している。

 2000年4月、小渕首相が脳梗塞で倒れると、内閣官房長官だった青木は内閣総理大臣臨時代理を務め、政権移行の対応に当たった。その後、小渕内閣は総辞職し、森喜朗が新たな首相に指名されたが、この交代の過程で大きな批判を集めたのが、後に「5人組」と呼ばれる自民党有力者による協議だった。

 協議に加わったのは、森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、亀井静香政務調査会長、村上正邦参議院議員会長、そして青木幹雄官房長官の5人である。当事者によって会合の目的や後継者決定の経緯に関する説明には違いがあるため、5人だけが正式な手続きを経ずに首相を決定したと断定するのは正確ではない。しかし、有力者同士による非公式の協議が森後継の流れを形成し、その透明性が厳しく批判されたことには、政治史上の重要な意味がある。

 ここで注目したいのは、2000年当時の参議院議員会長が青木ではなく村上正邦だったという事実である。青木は参議院自民党の最高幹部という肩書ではなく、官房長官として協議に参加していた。つまり、この時点ですでに青木は、参議院内部の特定の役職だけでは説明できない政治的な位置を確保していたのである。

 青木は森内閣でも官房長官に再任され、2000年7月までその職を務めた。首相交代という政治の最重要局面に関わり、新政権でも中枢に残った経歴は、彼が竹下派、参議院、衆議院側の党幹部、首相官邸という複数の政治空間を横断できる人物だったことを示している。一方、「5人組」に象徴される非公式な調整のあり方には、意思決定が国民から見えにくくなるという重大な問題があり、青木の政治力を評価することと、その手法を民主政治の理想として肯定することは区別しなければならない。

「参院のドン」は参議院を支配していたのか

 青木は官房長官退任後、参議院自民党の有力者として活動を続け、2004年から2007年まで自民党参議院議員会長を務めた。この時期、参議院を代表する実力者としての存在感は一段と大きくなり、「参院のドン」という呼び名が広く知られるようになった。

 しかし、「ドン」という言葉から、青木が参議院議員を恐怖や命令によって従わせていたと考えるのは単純化しすぎである。青木の強さは、むしろ多くの参議院議員が彼との関係を必要とする政治的な仕組みにあったと考えられる。議員にとって6年ごとの選挙は政治生命を左右する重要な機会であり、その準備には公認、党内の候補者調整、後援会、地方組織、業界団体、選挙資金など、多くの要素が関係する。

 こうした事情を詳しく知り、党本部や地方組織、官邸との間で調整できる人物は、正式な決定権をすべて持っていなくても、大きな影響力を発揮できる。青木の場合、島根県議会議員として積み重ねた地方政治の経験に加え、竹下派の人脈や官房長官としての経験があり、参議院議員の要求を衆議院側の党幹部や政府に伝える回路を持っていた。反対に、官邸や党執行部の事情を参議院側に伝え、対立を調整する役割も担うことができた。

 この構造は、社会ネットワーク分析でいう「媒介者」という概念に近い。異なる集団の間を結ぶ位置にいる人物は、情報の伝達や交渉の過程に関与しやすく、そのことが影響力の源泉になる場合がある。青木は、参議院自民党、衆議院側の派閥、首相官邸、地方組織などの間に立つことで、自分自身の政治的な価値を高めていたと解釈できる。

 ただし、この説明は当時の人的関係を網羅的に数値化した分析結果ではなく、確認できる政治的経歴や行動から導かれる説明モデルである。青木が実際にどの程度多くの交渉を仲介し、どれだけ政策決定を変化させたのかを科学的に評価するには、個々の案件について交渉経過や参加者の行動を比較する必要がある。したがって、青木を政治組織間の結節点と捉える見方には合理性があるものの、それだけで彼の影響力の大きさを定量的に証明できるわけではない。

 それでも、単に参議院を支配していた人物と考えるより、異なる政治集団をつなぐ役割を担っていた人物と考えた方が、青木の経歴や活動を一貫して説明しやすい。彼は参議院という一つの組織の頂点にいるだけではなく、その外側にある政治的な関係を利用できることによって強さを発揮していたのである。

小泉純一郎との関係が示した調整型政治の強さ

 青木の政治力を考えるうえで重要なのは、旧来の派閥政治を変えると訴えた小泉純一郎との関係である。2001年、小泉は「自民党をぶっ壊す」と掲げて総裁となり、派閥間の均衡を重視した人事慣行を見直し、首相官邸の主導力を強めていった。その政治手法は、竹下登や青木幹雄が得意とした調整型政治とは異なるものに見えた。

 しかし、小泉が強い政治的指導力を発揮したからといって、参議院自民党の独自性が消えたわけではなかった。衆議院側で派閥の意向を抑えた人事が行われても、参議院側には選挙や党内人事、議員間の関係を通じて形成された秩序があり、政府提出法案を円滑に成立させるためには一定の協力が必要だった。小泉が青木個人に従属していたという意味ではないが、首相の政治的な人気と、参議院側の多数派を安定して維持する能力とは別の問題だったのである。

 青木は小泉政権を一貫して妨害する立場を取ったわけでもなく、2003年の自民党総裁選挙では小泉の再選を支持した。ここには、単純な改革派と守旧派の対立では説明できない自民党政治の現実が表れている。首相の政治手法に違いがあっても、政権運営や選挙をめぐる利害が一致すれば協力することがあり、青木はそのような関係を組み立てる政治家だったと考えられる。

 この意味で、青木の力は小泉政権と対立できたことだけにあったのではない。首相官邸が参議院側との協力を必要とするとき、調整相手として一定の役割を果たせたことにこそ、彼の政治的価値があったのである。

2005年の郵政民営化が示した青木の力と限界

 小泉政権と参議院の関係を象徴する出来事が、2005年の郵政民営化法案をめぐる対立だった。小泉が政権の最重要政策として掲げた郵政民営化関連法案は衆議院を通過したものの、同年8月8日の参議院本会議では賛成108票、反対125票で否決された。政権与党が重要法案の成立を目指していたにもかかわらず、参議院での多数派形成に失敗したのである。

 このとき、自民党所属の参議院議員114人のうち、賛成したのは84人、反対したのは22人で、残る8人は記録上「投票なし」だった。割合にすると賛成73.7%、反対19.3%、投票なし7.0%であり、青木自身は賛成票を投じていた。投票しなかった8人について、その理由を一律に政治的な棄権と解釈することはできないが、党所属議員の相当数が賛成に加わらなかったことは明らかだった。

 この結果は、青木が参議院を完全に支配していたわけではないことを示す重要な事実である。参議院議員会長が法案を支持していても、所属議員全員を同じ方向に動かすことはできなかった。青木が大きな調整力を持っていたとしても、それは議員一人ひとりの投票行動を確実に支配できるほどの権力ではなかったのである。

 採決結果を数理的に見ると、賛成108票に対して反対125票だったため、仮に反対した9人が賛成に転じ、その他の投票行動が変わらなければ、賛成117票、反対116票となって可決される計算だった。この数字は、党内の少数の議員の判断が法案の帰趨を左右し得たことを示している。ただし、青木がその9人を追加で説得できたかどうかは別の問題であり、採決結果だけから彼の交渉能力を数量的に評価することはできない。

 一方で、この否決は参議院そのものの制度的な力を明確に示した。小泉は高い政治的支持を背景に政権運営を進めていたが、当時の衆議院では、参議院が否決した法案を安定して再可決できる3分の2以上の議席を与党が確保していなかった。そのため、参議院の否決を受けた小泉は衆議院を解散し、郵政民営化の是非を中心的な争点とする総選挙に踏み切った。小泉自身も後に国会で、このような解散は「異例中の異例」だったと認めている。

 ここで重要なのは、2005年の出来事が青木個人の強さと弱さ、さらに参議院の制度的な強さを同時に示したということである。青木は造反議員を十分に抑えられなかったが、参議院は首相の重要政策を否決することができた。制度上の権限と、それを組織的にまとめる人物の能力とは、必ずしも一致しないのである。

郵政民営化法案は、その後どうなったのか

 ただし、2005年8月の否決だけを取り上げて、参議院が最後まで郵政民営化を阻止したと考えるのは誤りである。9月11日の衆議院総選挙では自民党が296議席を獲得し、公明党の31議席を合わせた与党は327議席となった。当時の衆議院定数480議席に対して、再可決に必要な3分の2に相当する320議席を上回り、政権側は参議院が再び法案を否決しても、衆議院で成立させられる議席構成を確保した。

 その後、郵政民営化関連法案は新たな国会に提出され、10月14日の参議院本会議で賛成134票、反対100票により可決され、成立した。8月には108対125で否決された法案が、約2か月後には134対100で可決されるという大きな変化が生じたのである。しかも、同日の自民党参議院議員の投票は賛成110人、反対0人となっており、8月に存在した党内の大規模な反対は、採決結果の上では解消されていた。

 この変化を、衆議院選挙の結果だけで説明することには慎重であるべきだろう。法案の再提出、選挙によって示された政治的な支持、衆議院での再可決が可能になった議席構成、党内の説得や議員個々の判断など、複数の要因が関係していたと考えられる。少なくとも、参議院議員自身の選挙が行われなくても、衆議院側の議席構成や政治環境が大きく変化すれば、参議院の投票行動も変わり得ることが示された。

 この後日談は、青木の政治を考えるうえでも欠かせない。参議院の権限が強いことは、参議院の意思が外部の政治環境から完全に独立していることを意味しない。首相の支持基盤、衆議院の議席構成、政党内の力関係、次の選挙への見通しによって、参議院議員の判断は変わる可能性がある。青木のような調整型政治家が重要だったのは、まさにこうした変化する利害の中で、議員や党内組織の行動を調整する必要があったからだと考えられる。

首相を目指さなかったことも強さの一因だったのか

 青木には、自ら首相の座を争う政治家ではなかったという特徴もある。自民党の衆議院側では、実力者が最終的に総裁や首相という限られた地位を争うため、普段は協力している政治家同士でも、総裁選挙になれば直接の競争相手になることがある。これに対して、首相就任を目指さない有力者は、その競争から一定の距離を置きながら、複数の候補者や派閥と関係を築くことができる。

 ただし、参議院議員だから首相になれないという制度上の制約があるわけではない。憲法第67条は、内閣総理大臣を国会議員の中から指名すると定めており、参議院議員を法的に排除していない。それでも、実際の政治では衆議院議員が首相となることが慣例であり、青木自身も総裁・首相を目指す政治家として活動していたわけではなかった。

 この立場は、他の政治家にとって青木を直接の競争相手ではなく、相談や仲介を依頼する相手として位置付けやすくした可能性がある。首相候補同士では利害が衝突する場面でも、青木は参議院側の事情を踏まえた調整役になり得た。ただし、本人が首相を目指さなかったことと、その結果として影響力が高まったことの間に、どの程度の因果関係があったのかは、現存する公開資料だけで厳密に確定できるものではない。

 青木の政治力を単一の原因で説明することは難しい。参議院の制度的な権限と組織的な独自性が土台にあり、そこへ竹下派以来の人脈、地方政治の経験、官邸との関係、選挙や人事に関する知識が重なった。首相を争う競争から一定の距離にいたことも、その複合的な条件の一つだった可能性がある。

2007年の敗北と引退後も残った影響力

 2007年の参議院議員通常選挙で自民党が大敗すると、青木は参議院議員会長を辞任した。参議院選挙は自民党にとって重要な政治的基盤を形成する機会であり、その結果が悪化すれば、参議院側の指導者にも責任が問われる。青木の辞任は、彼の影響力が大きかった一方で、選挙結果という政治的な現実から自由ではなかったことを示している。

 2010年には、いったん表明していた参議院選挙への立候補を体調不良により断念し、政界を引退した。しかし、その後も青木が自民党内の政治的な議論から完全に姿を消したわけではない。長く築いてきた人脈や派閥内の関係は、議員を辞職した瞬間に失われるものではなく、引退後も党内の重要な局面で青木の意向が注目されることがあった。

 その具体例の一つが、2018年の自民党総裁選挙である。当時、竹下派では衆議院議員の多くが安倍晋三首相の続投を支持する一方、参議院側は石破茂を支持する方向にまとまった。この過程では、引退していた青木が参議院側の石破支持に影響を与えたと報じられている。青木本人がどこまで意思決定を主導したのかについては関係者の証言や報道に依存する部分があるが、引退から8年を経ても、その政治的な意向が分析の対象となっていたことは注目に値する。

 2018年の竹下派の動きは、青木型政治のもう一つの側面も示している。青木が影響力を持っていたとされる参議院側と、衆議院側の議員が同じ候補を支持したわけではなく、派閥全体の意思統一は実現しなかった。ここでも青木は、組織のあらゆる判断を一人で決められる支配者というより、特定の政治集団に長く影響を与え続けた有力者として理解する方が妥当だろう。

 青木は2023年6月11日、89歳で死去した。島根県議会議員として19年間、参議院議員として24年間活動し、その後も政治との関係を持ち続けた生涯を振り返ると、彼の政治的な資源は役職だけではなく、人と人との関係について蓄積された情報や信頼、過去の交渉の経験にあったと考えられる。ただし、そのことは彼の政治的な影響力を無制限に評価してよいことを意味せず、実際にどの案件でどのような役割を果たしたのかを個別に見極める必要がある。

2026年、高市早苗政権と参議院の関係はどう違うのか

 青木幹雄の政治を2026年の日本政治と比較する場合、まず明確にしなければならないのは、2005年の小泉政権と2026年の高市政権では、衆議院の議席構成が大きく異なるという点である。2005年8月当時の小泉政権は、参議院で否決された法案を衆議院で安定して再可決できる3分の2以上の議席を確保していなかった。これに対して、高市政権は2026年2月8日の衆議院選挙で、自民党単独でも3分の2を上回る議席を獲得している。

 2026年2月の選挙で自民党が獲得した議席は316議席だった。その後の議席変動を経て、同年9月28日現在の衆議院の公式な会派別議席数では、「自由民主党・無所属の会」が315議席、日本維新の会が36議席となっている。選挙直後の政党別議席数と、その後の国会における会派別議席数は集計の基準が異なるが、いずれにしても高市政権を支える勢力が衆議院で圧倒的な多数を持っていることに変わりはない。

 衆議院の定数465議席を基準に全員が出席すると仮定すれば、憲法第59条に基づく法律案の再可決には310票以上が必要になる。2026年9月28日現在の自民党・無所属の会の315議席は、この数字を5議席上回っている。実際には欠員や欠席者がいれば出席議員数に応じて必要票数が変わるため、成立の可否は採決時の状況によって判断する必要があるが、少なくとも衆議院側では参議院の否決を乗り越えることが制度上可能な議席構成となっている。

 一方、参議院の2026年6月30日現在の会派別議席数では、「自由民主党・無所属の会」が101議席、日本維新の会が19議席で、合計120議席だった。参議院の定数248議席に対する過半数は125議席であるため、両会派を合わせても過半数には達していなかった。衆議院では巨大な多数を確保しながら、参議院では同じような多数を持っていないという非対称性が、2026年の政権運営の特徴となっている。

 ただし、この議席構成から、参議院が高市政権の通常の法律案を最終的に阻止できると結論付けることはできない。衆議院に再可決が可能な議席がある以上、参議院の否決が法案の不成立へ直結するとは限らないからである。2005年8月の小泉政権との比較では、この制度的な違いを無視してはならない。

 それでも、衆議院で3分の2を超える議席を持つことが、参議院の存在を無意味にするわけではない。再可決には衆議院の出席議員の3分の2以上の賛成が必要であり、与党内で造反が生じたり、議員の出席状況が変わったりすれば、必要な賛成票を確保できない可能性もある。また、議席数の計算だけで法案が成立するわけではなく、政府と与党は参議院での審議や政治的な説明責任に対応しなければならない。

 参議院には、憲法第62条に基づく独自の国政調査権もある。さらに、憲法改正の発議には衆議院と参議院それぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要であり、通常の法律案のように衆議院だけで再可決する仕組みはない。予算や条約、首相指名については衆議院の優越が認められているが、それぞれ成立の仕組みが異なるため、参議院の権限を一律に強い、あるいは弱いと評価することは適切ではない。

 したがって、2026年の高市政権にとっての問題は、参議院が通常の法律案を最終的に阻止できるかどうかだけではない。衆議院で圧倒的多数を持つ政権が、別の選挙によって選ばれた参議院の審議をどのように位置付け、どの程度の説明と調整を行うのかという、二院制の運営そのものが問われているのである。

高市首相の国会出席問題から見えるもの

 この問題を考えるうえで、2026年の参議院における高市首相の出席をめぐる与野党間の対立は、一つの具体例となる。同年4月1日、立憲民主党の斎藤嘉隆参議院国会対策委員長は、2026年度当初予算案の審議に関して、首相出席による集中審議が行われなければ採決は難しいとの考えを与党側に伝えた。参議院側で十分な審議時間を確保することが、政権と野党との間の政治的な争点となったのである。

 一方、高市首相は3月30日の参議院予算委員会で、集中審議に応じない意向を示したとする一部報道を否定し、国会側から求められれば出席するとの説明を行っている。その後、4月6日には高市首相が出席して参議院予算委員会の集中審議が実施され、4月27日にも首相出席の集中審議が行われた。したがって、首相が参議院での審議を一切拒否したという理解は事実に反する。

 この経緯から、高市首相が意図的に参議院を軽視していたと断定することもできない。首相の出席日程をめぐる政治的な交渉と、憲法第63条に規定された、答弁や説明のために出席を求められた場合の義務とは区別する必要がある。実際の出席回数や審議時間を評価するのであれば、過去の首相との比較、委員会での質疑内容、政府側の説明、国会側の正式な要求などを総合的に検討しなければならない。

 しかし、こうした留保を置いたとしても、参議院で首相出席が争点となったこと自体には、政治制度上の意味がある。衆議院で大きな多数を持つ政権であっても、参議院側の審議要求や政治的な反発を無視して、何の問題もなく国会運営を進められるわけではない。参議院の役割は、法案に賛成するか反対するかだけではなく、政府に説明を求め、政策の問題点を検討し、その過程を国民に示すことにもある。

 ここで重要なのは、衆議院で多数を持たないから参議院と話し合うのではなく、参議院が独立した議院だからこそ、その審議を尊重する必要があるという考え方である。もっとも、審議を尊重することが、あらゆる場面で野党の要求に従うことを意味するわけでもない。議会運営には審議の充実と意思決定の効率性の両方が求められ、その均衡をどのように取るかは、与党と野党の双方が責任を持つべき問題である。

2026年の政権が青木型政治から学べること

 青木幹雄の政治から高市政権が学べることがあるとすれば、それは古い派閥政治の方法をそのまま復活させることではない。青木の時代のように、限られた有力者の非公式な協議を通じて国政の重要事項が決まる仕組みには、透明性や説明責任の面で重大な問題があった。2000年の「5人組」に対する批判は、政治の意思決定が国民から見えなくなることへの警戒として理解する必要がある。

 一方で、異なる政治集団の利害を把握し、制度上の権限を踏まえて調整する能力は、政権運営にとって現在でも重要である。衆議院に圧倒的多数があるからといって、参議院の議員が同じ選挙環境や政治的事情を共有しているわけではない。参議院議員には独自の選挙区事情、支持組織との関係、政策上の優先順位があり、それらを理解したうえで合意を形成することが、安定した国会運営につながる場合がある。

 もっとも、青木型政治がすべての時代に同じように有効であるとは限らない。政党の組織構造、派閥の影響力、選挙制度、首相官邸の権限、世論形成の仕組みが変われば、求められる調整能力も変化する。また、非公式な交渉が政策の合意形成に役立ったとしても、その過程が不透明になれば、利益誘導や政治的な不公平を生み出す危険がある。

 2026年の高市政権は、2005年8月の小泉政権よりも、通常の法律案について衆議院側の議席による制度的な選択肢を多く持っている。しかし、そのことは参議院との調整が政治的に不要になったことを意味しない。むしろ、再可決できる力があるからこそ、その力をいつ、どのような理由で行使するのかについて、政権には慎重な判断と国民への説明が求められる。

 青木の政治から引き出すべき教訓は、参議院には常に衆議院を止める力があるという単純なものではない。衆議院と参議院では制度的な権限も選挙の仕組みも異なり、その違いを理解しながら、政治的な合意を形成しなければならないということである。形式上の議席数によって法律を成立させる能力と、異なる政治的な立場を調整して安定した政権運営を実現する能力は、関連していても同一ではない。

青木が握っていたのは政治の「接続」だった

 青木幹雄の政治人生を通じて見えてくるのは、首相や党総裁という地位とは異なる場所にも政治的な権力が存在するという事実である。彼は参議院の制度的な権限を自分一人で所有していたわけでも、参議院議員全員を自由に動かせたわけでもなかった。しかし、参議院自民党の組織的な利害を把握し、衆議院側の派閥や官邸と交渉することで、他の政治家にとって必要な調整役となっていた。

 政治の意思決定では、正式に決定権を持つ人物と、決定に至る過程で影響力を持つ人物が一致するとは限らない。首相が政策を掲げ、党幹部が方針をまとめ、国会議員が採決に参加するまでには、人事、選挙、支持組織、党内の力関係など、さまざまな条件を調整する必要がある。青木は、こうした複雑な関係を理解し、それぞれの政治的な立場の間に入ることで、自分自身の存在価値を高めていた。

 ただし、青木が関わったことで、実際にどれほど多くの政策が成立し、どれほど多くの対立が解消されたのかを、公開された数値だけで正確に測定することは難しい。政治的な影響力を科学的に検証するのであれば、青木の関与があった案件となかった案件を比較し、交渉の成立率、法案への賛否、議員の行動、人事や選挙への影響などを分析する必要がある。その意味で、青木を「接続」の政治家と捉える説明は、彼の政治的な経歴と整合する有力な解釈である一方、厳密な因果関係がすべて証明された理論ではない。

 それでも、青木を単なる参議院の支配者と考えるより、複数の政治集団を結び付けることによって影響力を発揮した人物と捉える方が、その活動を理解しやすい。彼が握っていたのは、議員一人ひとりへの絶対的な命令権ではなく、政治組織の間にある情報と交渉の通路だったのである。

「参議院議員でありながら」ではなく「参議院議員だったから」

 最初の問いに戻ろう。なぜ青木幹雄は、参議院議員でありながら自民党政治を動かすことができたのだろうか。この問いには、政治の中心は衆議院にあり、参議院議員が強い影響力を持つことは例外的だという前提が含まれている。しかし、青木の場合には、その前提を逆転させて考えることができる。

 青木幹雄は、参議院議員でありながら強かったのではない。ある意味では、参議院議員だったからこそ、あのような政治的な位置を確保できたのである。首相を生み出す政治競争の中心から一定の距離を置きながら、首相が政策を実現するうえで無視できない参議院側の事情を理解し、衆議院の派閥や官邸、地方組織とも直接交渉できる立場にいたことが、彼の影響力を支えていた。

 もちろん、その政治力には明確な限界があった。2005年の郵政民営化法案では、青木自身が賛成しても党内の造反を抑えられず、参議院で法案は否決された。また、後の総選挙によって衆議院の議席構成が変わると、参議院側の投票行動も大きく変化した。こうした事実は、政治の権力が一人の人物に集中していたという説明では理解しきれないことを示している。

 それでも、青木の経歴が教えてくれることは小さくない。政治の権力は、誰が首相になるのか、どの政党が何議席を持つのかという問題だけで決まるものではない。誰が情報を持ち、誰が異なる政治集団を結び付け、誰が対立する利害を調整できるのかという点も、実際の政策決定に影響を与える。青木は、その役割を長年にわたって担っていた政治家だった。

 そして2026年、衆議院で巨大な多数を持つ高市政権にとっても、この問題は無関係ではない。ただし、現在の政権は衆議院で法律案を再可決できる議席を持っており、2005年8月の小泉政権とは制度的な条件が異なる。この違いを認めたうえでなお、参議院で十分な審議を行い、異なる選挙で選ばれた議員の意見をどう政治に反映させるのかという問題は残る。

 小泉純一郎でさえ、2005年8月には参議院で郵政民営化法案を否決された。その後、衆議院選挙による議席構成の変化を経て、10月には参議院でも法案が可決された。この一連の経過が示しているのは、参議院が常に政策を阻止する機関だということではなく、衆議院と参議院の力関係が制度と政治環境の双方によって変化するという現実である。

 青木幹雄は、その複雑な関係の中で政治活動を続けてきた。政治の中心に立つ人物ではなくても、異なる組織を結び付ける場所にいることで大きな影響力を持ち得ることを、彼の経歴は示している。一方で、その力が非公式な人間関係に依存しすぎれば、民主政治に不可欠な透明性と説明責任が損なわれる危険もある。

 「参院のドン」という呼び名が伝えているのは、一人の政治家が参議院を絶対的に支配していたという物語ではない。衆議院と参議院、政府と政党、中央政治と地方政治の間には、それぞれ異なる利害と制度的な権限が存在し、それらを結び付ける人物が政治の意思決定に深く関わることがあるという、日本政治の構造そのものなのである。

 衆議院で強い多数を持つ政権に求められるのは、その議席を背景に政策を実現する能力だけではない。参議院という独立した議院の役割を理解し、必要な審議を尽くし、国民に説明できる形で意思決定を進める能力もまた、政権運営の質を左右する。青木幹雄の時代から学ぶべきものがあるとすれば、古い派閥政治の復活ではなく、異なる権限と政治的基盤を持つ二つの議院を、一つの民主政治として機能させるための調整の重要性である。

 青木幹雄は首相官邸の主役ではなかった。しかし、政治家たちが政策の実現へ向かう過程で、彼の持つ人脈や情報、調整能力が必要とされる場面があった。その政治的な通路の重要な一つが、参議院だったのである。

九条レオンのリベラル文庫

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 本稿は、令和8年7月31日までに確認できた国会会議録、政府・国会・政党の公表資料、複数の報道などを基に執筆しており、その後の国会運営や政策変更、人事、各党間の協議については評価に含めていない。政治家に対する評価は、その後の行動によって変化し得るため、本稿はあくまで「7月末時点の記録を用いた中間的な検証」として位置づける。

はじめに~政策への賛否と国会運営の評価は分けて考える

 本稿の目的は、高市早苗首相の人格、性別、家族、容姿、支持者などを批判することではなく、高市首相の政策そのものへの賛否と、首相として国会や行政組織をどのように運営してきたかという問題を区別した上で、後者をできる限り観察可能な事実から検証することにある。

 政治家の「力量」は、自然科学の実験のように単一の数値によって証明できるものではなく、とりわけ首相の場合には、政策結果に本人の判断だけでなく、衆参両院の議席構成、連立政党、野党の対応、国際情勢、経済環境、官僚組織、国会日程など多数の要因が作用するため、結果だけを首相個人の能力へ直接帰属させることはできない。

 そこで本稿では、本人の内面や人格を推測するのではなく、①国会への説明責任、②野党との合意形成、③参議院と衆参二院制への対応、④官僚機構と専門知の活用、⑤政策実現と国会日程の管理という五つの観察可能な領域を中心に検討する。また、高市首相が安倍晋三元首相の政治路線を継承する人物として評価されてきたことについても、政策思想の類似だけでなく、党内調整、連立運営、官僚との関係、参議院への対応という制度運営の面から比較する。

高市政権は衆議院で極めて強い基盤を得た

 令和8年2月8日の衆議院議員総選挙では、自由民主党が316議席、日本維新の会が36議席を獲得し、連立与党は合計352議席となった。衆議院の定数465に対して与党は約75.7%を占め、自民党だけでも約68.0%となるため、これは単なる過半数ではなく、自民党単独で衆議院の3分の2を超える極めて強い議席基盤である。

 2月18日の首相指名では、高市氏は衆議院で投票総数464票のうち354票を獲得した一方、参議院の1回目の投票では、投票総数246票、過半数124票に対して123票にとどまり、決選投票によって首相に指名された。この結果は、高市政権が衆議院では圧倒的に強い基盤を持ちながら、参議院では同じような政治的優位を持っていないという、二つの異なる条件の下で政権運営を行うことになったことを示している。

 高市首相自身も、衆議院選挙後の記者会見で、自民党が単独で3分の2を超えたからといって「白紙委任」を得たつもりはないという趣旨を明確に述べ、野党にも協力を求める姿勢を表明している。そのため、高市政権を評価する際には、選挙によって得た強い政策推進力そのものと、その力を実際の国会運営においてどのように使ったのかを分けて検証する必要がある。

衆議院の3分の2という制度的条件を無視してはならない

 高市政権の国会運営を考える際に特に重要なのが、衆議院で自民党単独が3分の2を超えているという事実である。日本国憲法第59条では、衆議院で可決された通常の法律案について参議院が異なる議決をした場合でも、衆議院が出席議員の3分の2以上で再可決すれば法律として成立させることができ、また、参議院が法律案を受け取ってから一定期間議決しない場合についても、衆議院側に一定の手続が認められている。

 したがって、「参議院で与党が過半数を持たない以上、すべての法案について野党との合意がなければ政策を実現できない」という理解は正確ではなく、少なくとも通常の法律案では、衆議院の3分の2を背景として再可決する制度的な選択肢が存在する。この点で高市政権は、衆議院でも十分な多数を持たなかった過去の一般的な「ねじれ国会」とは異なり、参議院で与党が多数を持たなくても、一定の条件の下で法律を成立させる制度的な力を備えている。

 もっとも、制度上再可決が可能であることと、政治的にそれを多用することが望ましいかどうかは別問題である。再可決が認められているからといって参議院審議に実質的な意味がなくなるわけではなく、衆議院の3分の2を繰り返し利用して参議院の意思を覆せば、法律上は問題がなくても政治的対立が深まり、政策に対する社会的合意や制度への信頼、さらに政策の持続性へ影響する可能性がある。

 つまり、高市政権にとって参議院野党との合意形成は、通常法案の成立における絶対的な制度条件ではない一方、二院制の下で政策の正統性や安定性を高めるためには重要な政治条件であり、この二つを区別しなければ国会運営を正確に評価することはできない。

衆議院の大勝は国会全体への白紙委任ではない

 選挙で掲げた政策を実行することは民主政治の重要な原則であり、大勝した政権が選挙後に公約を簡単に放棄すれば、それ自体が有権者との関係で問題になる。しかし一方で、衆議院選挙に勝利したことから、国会審議の結論まですべて選挙によって確定したと考えることもできない。

 日本では首相を国民が直接選ぶ制度は採られておらず、衆議院選挙で有権者が一票を投じる理由も、高市首相個人への支持だけでなく、選挙区候補への支持、経済政策への期待、野党への評価、安全保障政策、地域事情など多様である。このため、自民党が316議席を獲得したという事実を、政府が掲げる個々の政策すべてに対する国民投票と同一視することはできない。

 また、参議院議員も国民の選挙によって選ばれており、任期、改選時期、選挙制度が衆議院とは異なるからこそ、衆議院とは異なる政治的構成が生まれる。二院制には、一度の選挙による多数だけで政策決定を完結させず、異なる時期と異なる選挙制度を通じて複数の民意を政策形成へ反映させるという機能があるため、衆議院選挙の大勝と参議院の構成は、どちらか一方だけを民意として扱うのではなく、同時に存在する政治的条件として考える必要がある。

首相の国会出席時間は重要だが、それだけでは評価できない

 令和8年の国会では、高市首相の予算委員会などへの出席時間が過去の政権と比べて少ないとの報道が相次ぎ、野党などから国会軽視ではないかという批判が出た。会期を通じた集中審議への出席が30時間台にとどまったとの報道もあり、首相出席を巡る与野党の対立は、令和8年国会を特徴づける重要な争点の一つとなった。

 もっとも、首相の国会出席時間が長ければ優れた政権運営で、短ければ問題があると単純に判断することはできない。首相には外交、安全保障、危機管理、経済政策、行政各部の統括など国会以外にも多数の職務があり、各省庁の専門的な政策については担当大臣が答弁する方が行政運営として合理的な場合もあるため、国会出席の総時間だけで説明責任を測ることには限界がある。

 高市首相自身も7月末の記者会見で、出席要請があれば出席して答弁してきたとした上で、日本の首相は他の議院内閣制諸国と比較して国会に拘束される時間が長いとの議論を紹介し、国家戦略などを考える時間を確保する必要性にも言及している。この主張には行政運営の効率という観点から検討すべき部分があり、首相が国会に長時間いること自体を目的化することも適切ではない。

 一方で、予算全体の基本方針、衆議院解散の判断、内閣全体の政治姿勢、重要な制度変更など、首相本人の判断が中心となる問題については担当大臣だけでは説明できない場合があるため、首相本人がどこまで直接答弁したかは重要な評価対象となる。したがって必要なのは単純な総出席時間の比較ではなく、首相出席を正式に求められた回数、そのうち実際に出席した割合、首相本人でなければ答えにくい質問への対応、答弁の具体性、再質問への回答、資料提出状況などを組み合わせた検証である。

 さらに令和8年は、衆議院解散と総選挙によって国会日程そのものが通常年と異なっているため、歴代首相との総出席時間を単純比較するだけでは条件をそろえた統計比較にはならない。この点を考慮せず、「出席時間が少ないから説明責任が低い」と直接結論づけることには、数理的にも統計的にも注意が必要である。

「国会運営は国会が決める」という説明には制度上の正しさと政治上の限界がある

 2月の予算委員会で、高市首相は国会運営について国会で決めるべきだと答弁し、委員会開催時間についても「お呼びがあれば私は参ります」という趣旨を述べている。この説明は制度論として間違っているわけではなく、委員会の日程や議事運営は国会が自律的に決定するというのが憲法と国会制度の基本である。

 しかし、現実の国会政治では、政府提出法案の提出時期、政府が優先する政策、首相や閣僚が出席可能な日程、与党による採決方針などを通じて内閣と与党が国会日程に大きな影響を及ぼしているため、政府と与党が政策実現の局面では強いリーダーシップを掲げながら、日程上の問題になると国会の自主性だけを強調すれば、権限と責任の境界が分かりにくくなる。

 もっとも、ここでも首相個人、内閣、自民党総裁、党の国会対策部門、委員長を同一視するべきではない。国会運営上の判断について、すべてを高市首相個人が直接指示していると仮定することも、逆に首相には一切の政治的責任がないと考えることも適切ではなく、誰がどの段階で意思決定したのかを可能な限り区別し、その上で首相としての政治的責任を検証する必要がある。

野党との対立はあったが、「首相が野党を完全に無視した」とまではいえない

 高市政権が野党と全く対話していないという表現は正確ではなく、高市首相は党首討論や予算委員会などに出席し、野党に協力を求める発言も繰り返しているため、「野党とは一切協議していない」と断定することは事実と一致しない。問題となるのは対話したかどうかという形式面より、重要法案についてどの程度の審議時間を確保し、野党の意見によって政府・与党案がどの程度修正され、採決までにどこまで合意形成を試みたのかという実質面である。

 令和8年夏の国会では、衆議院議員の定数削減法案や副首都に関する法案などを巡り、野党が審議を欠席する中で与党側が委員会審議を進める場面があり、野党や一部報道から強引な国会運営との批判が出た。特に議員定数や選挙制度は、現在の多数派だけでなく、将来の政党間競争、少数政党、地域代表、比例代表による民意の反映に直接影響するため、通常の個別政策より幅広い合意を求めるべきだという考えには一定の制度的根拠がある。

 一方で、定数削減法案や副首都法案は議員提出法案であり、内閣提出法案とは性格が異なる。高市首相も内閣総理大臣の立場では、議員立法の具体的な審議方法に関する発言を控える一方、自民党総裁としては定数削減と副首都構想を連立合意上の重要政策と位置づけていたため、首相としての制度上の立場と、自民党総裁としての政治上の影響力を区別して考える必要がある。

 最終的には、副首都に関する法律は衆議院で修正された上で7月24日に参議院でも可決され、7月31日に公布された一方、衆議院議員の定数削減はこの国会での成立には至らず、今後の議論に持ち越された。この結果を見る限り、夏の国会を「与党がすべてを一方的に押し切った」と描くのも、「野党の意見が十分に反映された」と描くのも単純化しすぎており、法案ごとに審議過程と結果を分けて評価する必要がある。

 また、野党側についても同様に検証が必要であり、審議拒否が政策内容を修正するために必要な交渉手段だったのか、それとも実質審議を減らす結果になったのか、さらに具体的な対案や修正案をどの程度提示したのかという点を確認しなければ、国会運営の責任を政府・与党だけに帰属させることはできない。

参議院をどう位置づけるか~法的権限と政治的合意を分ける

 参議院では与党が安定した過半数を持っていないため、衆議院とは異なる政治力学が働くが、ここで重要なのは、「参議院で多数がないから政策を実行できない」という制度論と、「参議院を尊重しながら政策を実行することが望ましい」という政治論を区別することである。

 予算、条約、首相指名については憲法上、一定の条件の下で衆議院の意思が優越し、通常の法律案についても、前述のように衆議院で3分の2以上による再可決が可能である。自民党は単独で316議席を持つため、通常法案について高市政権の衆議院側の制度的な力は非常に大きく、参議院で与党が過半数を持たないことだけを理由に、政策実現能力が著しく制約されていると見るのは正確ではない。

 しかし一方、参議院は単なる衆議院の追認機関ではなく、衆議院とは異なる任期と選挙制度を持ち、独自の国民代表として法律案の審議、修正、否決などを行う。そのため、衆議院の3分の2を利用できるからこそ、再可決をどのような場合に用いるのかという政治判断には重い説明責任が伴い、制度上可能であることと、政治的に適切であることを区別して考える必要がある。

 したがって、高市政権の参議院対応を見る際には、「参議院野党の同意を得られたか」だけでなく、事前協議をどの程度行ったか、参議院で十分な審議時間を確保したか、参議院側の修正要求をどの程度受け入れたか、与党以外の会派からどの程度賛成を得たか、さらに再可決という制度的手段をどのような条件で使用するかといった複数の指標を継続的に見る必要がある。

財務省と異なる政策を採ること自体は「官僚軽視」ではない

 高市首相は「責任ある積極財政」を掲げ、従来の財政規律を重視する考え方とは異なる立場の経済学者や元日本銀行関係者などを政府の会議に登用してきた。これに対しては、財務省側の警戒や、市場関係者から円安、金利上昇、財政規律の緩みなどを懸念する見方が報じられる一方、景気下支えや成長投資を評価する意見も存在しており、政策効果については現在も評価が分かれている。

 しかし、財務省と政策的に対立しているという事実だけから、「財務省を軽視している」「官僚を無視している」と結論づけることはできない。日本の財政政策の最終的な決定主体は財務省ではなく、選挙によって政治的責任を負う内閣と国会であり、財務省の政策判断に異論を唱え、異なる経済理論を採用すること自体は、民主政治における政治主導の一形態として理解できる。

 検証すべきなのは、財務省と異なる結論を採用したという結果ではなく、その政策形成過程である。積極財政による景気や雇用への効果だけでなく、金利、物価、為替、国債費、将来の利払い負担、政府債務のGDP(Gross Domestic Product・国内総生産)比などのリスクを数量的に検証したか、異なる理論を持つ専門家を意思決定過程に参加させたか、政策効果が想定から外れた場合の修正条件を設けているかという点を確認する必要がある。

 つまり、財務官僚を政策決定の最終主体にしないことと、財務官僚が持つ専門知識や反対意見を排除することは別の問題である。7月末時点で確認できる範囲では、「財務省を軽視している」と断定するより、「従来の財政政策とは異なる専門家や政策思想を政府内に取り込み、政策決定の重心を変えようとしている」と表現する方が正確である。

長い議員経験だけで首相としての国会運営を説明することはできない

 高市氏は長期間にわたって国会議員を務め、複数の閣僚や党役職を経験しているため、制度、立法、行政組織、党内調整などへの知識が蓄積されていることは一般的に考えられる。しかし、経験年数そのものから首相としての国会運営の質を直接推定することはできず、重要なのは、その経験が実際の行動や政策形成にどのように反映されているかである。

 客観的に確認できるのは、国会日程に余裕を持たせているか、野党時代に政府へ求めていた説明責任を自らの政権でも維持しているか、官僚の専門性と政治主導を両立しているか、参議院で多数を持たない状況に対して協議や修正を行っているかといった具体的な行動であり、こうした指標を時系列で比較する方が経験年数そのものを評価するより適切である。

 令和8年の国会では、会期末に重要法案を巡る与野党対立が強まり、首相出席を巡る攻防や野党欠席下の審議も発生したが、この事実だけから首相個人の能力や学習の有無を断定することはできない。解散・総選挙による特殊な日程、野党側の戦術、議員立法の扱いなど複数の要因を分離した上で、その中で高市首相がどのような判断を行ったのかを見る必要がある。

安倍晋三元首相との比較は「政策」と「政権運営」を分ける必要がある

 高市首相は、安全保障、憲法観、経済政策などの面で安倍晋三元首相の政治路線を継承する人物として語られることが多いが、政治的な後継を検証する場合には、政策思想の類似と政権運営手法の類似を分けなければならない。

 安倍政権も常に野党との合意を最優先した政権だったわけではなく、安全保障関連法制、特定秘密保護法、いわゆる共謀罪を巡って、審議方法や説明責任について強い批判を受けた。そのため、「安倍政権は常に熟議型だったのに、高市政権だけが対立型である」という比較は歴史的事実を単純化しており、両政権について同じ基準を用いて検証する必要がある。

 一方、第2次安倍内閣の発足時にも参議院で与党が安定した多数を持たない時期が存在し、その後の長期政権では、選挙での勝利だけでなく、自民党内、連立相手、官僚組織、経済界などとの調整や、政策の優先順位づけが重要な役割を果たしたと考えられる。このため、高市首相を安倍氏の「後継者」と呼ぶ場合には、政策理念をどこまで共有しているかと、異なる利害を調整しながら政策を実施する政権運営手法まで共通しているかを別々に検証しなければならない。

 7月末時点では、高市政権と安倍政権との間に政策路線上の継続性を確認できる部分は多いが、政権運営手法まで同じであるかどうかを判断するには観察期間が短く、今後の党内調整、連立運営、野党との協議、参議院対応などを継続して見る必要がある。

「似非安倍後継者」のような表現は分析には適さない

 「似非安倍晋三の後継者」のような表現は政治評論としては強い印象を与えるものの、客観的な検証には適していない。「似非」には本物を装う偽物という意味が含まれるため、高市首相が意図的に安倍氏を偽装しているという事実が確認できない以上、事実分析の用語として用いることは適切ではない。

 分析的に表現するのであれば、「高市首相には安倍政権と共通する政策理念が確認できる一方、党内統治、連立調整、官僚機構との関係、参議院対応などの政権運営手法について、同程度の継続性があるかは現段階では判断できない」とする方が正確であり、人物に対する好悪ではなく、比較可能な行動や制度運営を対象にする方が検証可能性も高くなる。

100点満点の採点より、観測可能な指標を使うべきである

 政治的力量を数値化すれば客観的に見えるが、数字を付けただけで科学的になるわけではない。説明責任20点、野党との合意形成20点、参議院対応20点というように配点しても、なぜ各項目を20点とするのか、10点と12点の差にどのような客観的意味があるのかが定義されていなければ、その得点は評価者の主観を数字に置き換えたものにすぎない。

 さらに、説明責任、野党との合意形成、参議院対応、日程管理には相互関係があり、一つの国会混乱を複数項目で重複して減点してしまう危険もある。また、過去の首相を同じ基準で大量に評価した比較データが存在しない以上、「何点なら優秀」「何点なら問題がある」という統計的基準を設定することも難しい。

 そのため、本稿では総合得点を付けるのではなく、首相出席要請に対する応諾率、重要法案の審議時間、政府・与党案が野党や参議院の指摘によって修正された割合、与党以外の会派が賛成した重要法案の割合、重要法案が会期末に集中した程度、予定した法案と実際に成立した法案の差など、観測可能な指標を継続して蓄積する方法を採る方が適切である。

 もっとも、この方法を用いても「首相の能力」を直接測定できるわけではない。国会運営は首相一人で行うものではなく、与党、野党、委員長、国会対策部門、官僚組織など多数の主体が関与するため、こうした数値はあくまで政権を取り巻く国会運営の状態を示す指標として扱い、その背景にある政治状況と組み合わせて解釈する必要がある。

高市政権を支持する立場からの反論も検討する必要がある

 高市政権の国会運営を検証するなら、批判だけでなく、政権を支持する側から考えられる反論も同じ基準で検討しなければならない。例えば、担当大臣で回答できる政策まで首相出席を求めれば、首相の時間が国会に過度に拘束され、外交や危機管理など他の職務に影響するという反論には一定の合理性があり、問題は首相の総出席時間そのものではなく、首相本人が説明すべき問題に十分答えたかどうかにある。

 また、衆議院選挙で自民党が316議席を獲得した以上、公約した政策を迅速に実行することも民主的責任であるという主張も無視できない。野党の反対があるという理由だけですべての公約を棚上げすれば選挙結果が政策に反映されなくなる一方、選挙で勝ったことと国会審議を短縮してよいことは同義ではないため、政策実行の速度と審議の質は別々に検証する必要がある。

 さらに、財務省と異なる経済政策を採用することは、官僚主導を弱め、選挙で選ばれた政治家が政策決定の責任を負うという意味で政治主導だという考えにも制度的な根拠がある。ただし、政治主導とは反対する専門家を排除することではなく、異なる見解を比較した上で政治が最終判断を行い、その結果について責任を負うことであるため、積極財政を採用したこと自体より、その意思決定過程が開かれているかどうかを評価する必要がある。

7月末時点で確認できること

 令和8年7月31日時点の記録から明確に確認できるのは、高市政権が衆議院で極めて強い議席基盤を持ち、自民党単独でも通常法案の再可決に必要となり得る3分の2を超える一方、参議院では異なる政治状況に置かれているということである。また、高市首相は選挙結果を政策実現の基盤としながらも、公式には白紙委任を得たものではないと述べ、野党への協力要請も行っている。

 一方、国会終盤には首相出席、定数削減、副首都構想などを巡って与野党対立が強まり、野党欠席下で審議が行われる場面も発生した。しかし、そこから「高市首相は国会運営能力が高い」「低い」と科学的に断定することはできず、確認できるのは、強い衆議院基盤を政策実現に利用できる制度環境があること、参議院では与党だけで完結しない政治環境があること、そしてその二つの条件の間でどのように調整するかが政権運営上の重要な課題になっているという点である。

 財務省との関係についても、従来の政策路線とは異なる専門家を登用していることは確認できるが、それだけで官僚軽視と同一視することはできない。今後の評価には、積極財政による成長や雇用への効果だけでなく、物価、金利、為替、国債費などの結果と、それらが当初の想定から外れた場合に政策修正を行う仕組みが実際に機能するかを見る必要がある。

結論~強い多数をどのように使うかが問われる

 高市政権の特徴を7月末時点で整理すると、衆議院では戦後の政権の中でも非常に強い議席基盤を持つ一方、参議院では異なる政治的構成と向き合わなければならないという二つの条件が同時に存在しており、この非対称な議会構成をどのように運営するかが重要な検証点となる。

 ここで重要なのは、衆議院3分の2という力を持っていること自体を肯定的あるいは否定的に評価することではない。民主的な選挙によって得た議席である以上、その制度的権限を行使することには正当性がある一方、参議院、野党、専門家など異なる立場から示された意見をどの程度政策改善へ取り込むかも、二院制と議院内閣制の下では重要な評価対象となる。

 安倍晋三元首相との関係についても、政策思想の継承と政権運営手法の継承は別々に見るべきである。高市首相と安倍氏との政策的な共通点は確認できる一方、長期政権を支えた党内調整、連立運営、官僚との関係、政策の優先順位づけなどまで同じ形で再現されているかについては、7月末までの期間だけで結論を出すことは難しい。

 今後確認すべきなのは、高市政権が参議院や野党を単なる政策実現上の障害として扱うのか、それとも政策を検証し修正する制度的な相手として位置づけるのか、財務官僚を含む専門家の異論をどのように政策形成へ統合するのか、そして衆議院の大きな多数を単なる採決力として使うのか、それとも多数を得た政権ほど丁寧な説明を行うという責任につなげるのかという点である。

 政治家に対する評価は固定されたものではなく、7月末までに観察された国会運営上の対立も、その後の協議、政策修正、法案提出の時期、参議院との関係によって意味が変わる可能性がある。だからこそ、支持か反対かという結論から逆算するのではなく、同じ指標を継続的に用い、行動と結果が変化したときには評価も更新することが、人物への好き嫌いではなく、反証可能な事実に基づいて政治を検証するための基本姿勢である。

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※本稿は、令和8年7月28日に掲載した記事について、その後の第221回国会の閉会、第2次高市改造内閣の発足、社会保障国民会議における与野党協議などを踏まえ、令和8年10月5日午前時点の状況に合わせて全面的に加筆・修正したものである。

 令和8年10月5日現在、高市早苗首相は、衆議院において極めて強い政治的基盤を持っている。令和8年2月8日の衆議院議員総選挙では、自由民主党が316議席、日本維新の会が36議席を獲得し、両党を合わせて352議席となった。その後の会派構成には若干の変動があり、9月28日時点では自由民主党・無所属の会315人、日本維新の会36人の計351人となっているが、衆議院における政府・与党の優位が極めて大きいことに変わりはない。

 一方、参議院では自由民主党と日本維新の会だけでは過半数に達しておらず、高市政権は、衆議院では圧倒的多数を持ちながら、参議院では他党との協議を必要とするという特徴的な政治状況に置かれている。これは単なる政局上の不便ではなく、任期や選挙時期が異なる二つの議院を設けた日本の二院制が、異なる時期の民意を国政へ反映させる仕組みとして働いている結果でもある。

 第221回国会は7月25日に閉会したが、この国会については、高市内閣の国会運営を一方的な失敗と評価することはできない。政府が提出した64本の法律案はすべて成立しており、その中には皇室典範等改正法も含まれている。また、これとは別に議員立法として提出された副首都関連法も成立しており、少なくとも政府提出法案を国会で処理する能力という観点では、高い成立実績を残したことは事実である。

 ただし、法案成立率が100%だったという事実だけから、高市政権の政策遂行能力全体が極めて高いと結論することはできない。法案の成立率は、法案そのものの難易度、政府が提出段階で行う事前調整、野党との協議、法案の修正、国会日程など複数の要因に左右されるためであり、政策遂行能力を総合的に評価するのであれば、法案成立後の施行状況、予算執行、政策目標の達成度、審議時間、修正率なども併せて検証する必要がある。

 また、自民党と日本維新の会が重視してきた衆議院議員定数削減法案は、第221回国会では成立せず継続審議となった。ただし、この法案は参議院まで送付された上で否決されたわけではなく、衆議院政治改革特別委員会で審査された後、衆議院段階で閉会中審査となったものである。そのため、この法案が成立しなかった理由を「参議院で与党が過半数を持っていないから」と説明することはできず、衆議院内での与野党協議、選挙制度改革との関係、審議日程、政府・与党の優先順位などを含めて評価する必要がある。

 さらに9月17日には第2次高市改造内閣が発足し、日本維新の会からも閣僚が加わったことで、自民党と日本維新の会による連立政権は新たな段階へ進んだ。そして本日10月5日には第222回臨時国会が招集され、衆議院本会議は正午から開かれる予定であり、高市首相の所信表明演説を経て、税・社会保障改革や衆議院議員定数削減などが重要な政治課題として再び議論されることになる。

 したがって、令和8年10月5日時点で問うべきなのは、「高市内閣は野党の意見をまったく聞かないのか」という単純な問題ではない。実際には、社会保障政策を中心として野党を含めた協議が行われ、政府の当初構想から制度設計が変化した例もあるため、高市政権が一貫して異論を排除していると断定するのは事実に合わない。むしろ今後問われるのは、衆議院に圧倒的多数を持つ政権が、自らの力だけでも法案成立を目指せる状況の中で、どこまで参議院や野党の意見を政策形成へ取り込めるかという問題である。

高市首相への批判は、保守かリベラルかという問題ではない

 高市首相を支持する人の中には、野党の質問を「揚げ足取り」と考え、長時間の国会審議を政策実行の妨げだと感じる人もいるだろう。国際情勢が不安定化し、物価高、人口減少、社会保障、防衛、エネルギーなどへの対応を急ぐ必要がある中で、政治に迅速な意思決定を求めること自体には合理性があり、政府が決断を避けて問題を先送りし続ける政治が望ましくないことも確かである。

 しかし、迅速な意思決定と、十分な検討を経ない意思決定は同じではない。政策を短時間で決定できることには一定の利点がある一方、制度上の問題や予想外の副作用を十分に検証しないまま実施すれば、後に修正するための社会的、財政的費用が大きくなる可能性もある。その意味で、国会審議は単なる政策実行の障害ではなく、政府案の欠陥を発見し、政策の実現可能性や副作用を検証する過程として理解する必要がある。

 本来、制度を重視する保守政治であるなら、権力を握ったときほど議会制度、権力分立、慎重な審議、少数意見の存在を尊重する姿勢が重要になる。自分が支持する政治家が首相である間だけ、議会による統制を政策実行の障害と考えるなら、将来自分が強く反対する政治家が同じ権限を利用したとき、その政治を批判する制度的根拠まで弱めることになる。

 制度は、常に信頼できる人物が権力を握ることを前提として作られるものではなく、誰が権力を握ったとしても、その権力を一定の範囲内に抑え、異なる意見を表明できる余地を残すために存在する。したがって、高市内閣の国会運営を検証することは、高市氏を支持するか反対するかという政治思想上の問題だけではなく、日本の立憲政治を長期的に安定させるために、どのような権力行使が望ましいのかという制度上の問題なのである。

衆議院の圧勝には大きな意味がある~しかし白紙委任ではない

 令和8年2月の総選挙で、自民党と日本維新の会が合わせて352議席を獲得したことには、当然ながら大きな政治的意味がある。選挙で多数を得た政党が掲げた政策を実行しようとすることは議会制民主主義の基本であり、野党が反対しているという理由だけで選挙結果を事実上無効化するような政治も適切ではない。

 高市首相が、総選挙によって重要政策について国民から一定の信任を得たと評価することには合理性がある。しかし、日本の衆議院議員総選挙は首相個人を直接選ぶ大統領選挙ではなく、有権者が自由民主党や日本維新の会の候補者へ投票した理由も、高市首相個人への支持だけに還元することはできない。経済政策、安全保障政策、社会保障、地元候補への評価、野党への不信、政党支持、候補者個人との関係など、さまざまな判断が一票の中には含まれている。

 したがって、352議席という結果を、高市首相が今後行うあらゆる政策判断や国会運営について包括的な承認を得たと解釈することは適切ではない。選挙で得られるのは、一定期間政策を進めるための強い政治的基盤であって、国会審議を不要にする白紙委任状ではなく、むしろ大きな多数を持つ政権ほど、その力をどのように用いるかについて強い政治的責任を負うことになる。

衆議院の多数は、参議院の反対を乗り越え得る規模にある

 現在の高市政権を考えるうえで重要なのは、単に「衆議院で多数を持っている」というだけではなく、その多数が憲法上どの程度の意味を持つかという点である。憲法第59条第2項では、衆議院で可決された法律案について参議院が異なる議決をした場合でも、衆議院で出席議員の3分の2以上により再び可決すれば法律となることが定められている。

 9月28日時点の衆議院会派構成では、自由民主党・無所属の会315人、日本維新の会36人の計351人となっている。仮に衆議院現員464人全員が出席した場合、3分の2以上に必要な票数は310票となるため、与党会派351人はこの水準を41人上回る。ただし、憲法上必要なのは「総議員の3分の2」ではなく「出席議員の3分の2」であり、実際の再議決では議員の出席状況や与党内の造反などによって必要票数や成立可能性が変わるため、単純に351議席あれば常に再議決できると断定することは適切ではない。

 それでも、現在の衆議院会派構成が、参議院で否決された通常の法律案について再議決を現実的な選択肢とし得るほど大きな多数であることは確かである。だからこそ、高市政権にとって重要なのは、憲法上可能であるから再議決を多用するという姿勢ではなく、参議院との協議や法案修正を行った上で、それでも両院の意思が一致しない場合に最終手段として再議決を用いるという順序を守れるかどうかである。

 法的に可能であることと、政治的に望ましいことは同じではない。強い議席数を持つ政権ほど、何ができるかだけではなく、何をあえてしないのかという自制も統治能力の一部になる。

第221回国会は「政府の失敗」とも「完全な成功」とも言えない

 第221回国会を評価する際には、一方向からだけ見ることを避ける必要がある。政府提出64法案がすべて成立したことは、少なくとも国会における政府法案の処理という観点では重要な実績であり、参議院で与党が過半数を持たない状況にありながら、必要な調整を行って政府法案を成立させたことは評価の対象となる。

 ただし、64本がすべて成立したという数字だけで国会運営の質まで判断することはできない。政府が成立可能性の高い法案だけを提出すれば成立率は高くなるし、逆に政治的に困難な法案を多く提出すれば成立率は下がるためであり、成立率を評価するには、審議時間、法案の重要度、野党との修正協議、衆参両院での修正回数なども併せて見る必要がある。

 一方、衆議院議員定数削減法案が継続審議となったことは、圧倒的多数を持つ与党であっても、すべての政策を自動的に成立させられるわけではないことを示している。しかし、この法案は参議院で否決されたのではなく、衆議院段階で審議が継続されているため、これを参議院の抵抗や参議院での少数与党の効果と直接結び付けることはできない。

 むしろ、この事例から読み取れるのは、国会で大きな多数を持っていても、選挙制度のように制度そのものへ影響する法案については、審議日程、政党間協議、制度設計など複数の条件を整えなければ成立しないということである。そこに議会政治の調整機能を見ることはできるが、その原因を一つの要素だけに求めるべきではない。

予算の年度内成立を逃した経緯は、今後も検証すべきである

 令和8年度予算を巡る国会運営については、今後も検証を続ける必要がある。高市首相は1月23日に衆議院を解散し、2月8日に総選挙を実施した結果、第2次高市内閣の発足は2月18日、施政方針演説は2月20日となり、年度末までに残された予算審議期間は通常より短くなった。

 最終的に本予算の年度内成立は実現せず、3月30日に暫定予算が成立し、本予算の成立は4月7日となった。この結果について、政府だけに責任があると断定することは適切ではなく、野党側の審議姿勢、質問内容、与野党間の協議なども検証する必要がある。

 しかし同時に、解散時期を判断したのは内閣であり、総選挙によって政治的基盤を強化する利益を得た以上、その選択によって予算審議の日程が圧縮されたことについても、政府は一定の政治的責任を負うべきである。国民生活への重大な混乱が回避されたことと、当初の日程設定が適切だったかを検証することは別問題であり、結果的に予算が成立したからといって、解散と予算審議の関係について検証する必要がなくなるわけではない。

「国会運営は国会が決める」は制度上正しい~しかし政治的責任は残る

 高市首相は国会運営について、「国会でお決めいただくこと」という趣旨の説明をしてきた。この説明は制度上正しく、国会の会期や委員会運営、審議日程などは、本来、国会自身が決定するものであり、内閣が一方的に国会へ命令する制度にはなっていない。

 しかし現実の政治では、政府提出法案の提出時期、法案の優先順位、首相や閣僚の出席、与党の審議方針などについて、首相官邸や与党執行部が大きな影響を及ぼしている。そのため、国会運営が難航した場合に、「国会が決めることである」という形式的な説明だけで、内閣や与党の政治的責任までなくなるわけではない。

 議院内閣制における首相の指導力とは、国会から距離を取る能力ではなく、国会で批判を受け、政策の根拠を説明し、必要であれば政府案を修正しながら合意を形成する能力まで含むものである。行政を効率的に動かす能力と国会で説明責任を果たす能力は対立するものではなく、両方を実現できて初めて、安定した統治能力と評価できる。

首相の国会出席は、量だけでは評価できない

 首相の国会出席についても、単純に「出席が多ければ良い」「少なければ議会軽視だ」と評価することは避ける必要がある。首相には外交、安全保障、危機管理、行政各部の統括など広範な職務があり、専門的な政策について担当大臣が答弁することには合理性があるため、首相をあらゆる委員会に長時間出席させることが国会審議の質を高めるとは限らない。

 その一方で、予算の基本方針、外交・安全保障の重大な判断、衆議院解散の理由、内閣全体の統治姿勢、重要な制度改革などについては、担当大臣だけでなく首相自身の政治判断が問われるため、首相本人が説明すべき場面が存在する。したがって、本当に検証すべきなのは単純な出席回数ではなく、どの案件について首相が出席し、何時間答弁し、歴代政権と比較してどの程度説明責任を果たしているのかという具体的なデータである。

 現時点の記事だけから、「高市政権は歴代政権より首相の国会出席を減らしている」と統計的に証明することはできない。この問題を今後さらに厳密に検証するのであれば、予算委員会への出席時間、党首討論の回数、国会答弁時間、歴代首相との比較などを時系列で分析する必要がある。

社会保障国民会議は、高市政権への重要な反証でもある

 高市政権について「異論を聞かない政権」と単純に評価できない最大の理由の一つが、社会保障国民会議である。政府は給付付き税額控除や飲食料品の消費税率引下げについて、与党内だけで制度を決めるのではなく、複数の政党を含む協議を進めた。

 7月29日に中間取りまとめが行われ、8月5日には給付付き税額控除の制度導入に関する基本方針が決定され、さらに9月15日には、飲食料品の消費税率引下げと就業者負担軽減支援金を組み合わせた大綱が決定された。制度案は、令和9年4月1日から2年間、飲食料品の消費税率を1%とし、所得に応じた支援制度を組み合わせる方向となっており、高市首相が当初掲げていた飲食料品の消費税率ゼロという政策とは異なる設計になっている。

 この変化がすべて野党の要求によるものだと証明することはできないが、少なくとも政府が最初に掲げた案を一切変更せずに押し通したわけではなく、複数政党との協議を経て政策設計が変化したことは事実である。その意味で、社会保障国民会議は、高市政権が必ずしも異論を排除するだけの政権ではないことを示す重要な反証であり、高市政権を批判的に評価する立場からも正当に扱う必要がある。

 今後の焦点は、このような超党派協議が社会保障政策だけの例外なのか、それとも他の重要政策へも広がっていくのかである。政府案の修正を政治的敗北と考えず、より良い制度を作るための過程として受け入れられるのであれば、高市首相が掲げる「様々な声に耳を傾け、謙虚に」という姿勢にも実質が伴うことになる。

10月臨時国会で高市政権の国会観が試される

 本日10月5日に招集される第222回臨時国会は、高市政権の国会運営を改めて評価する重要な機会になる。第2次高市改造内閣発足後初めての本格的な国会であり、税・社会保障改革に加え、前国会から継続審議となっている衆議院議員定数削減法案など、今後の政治制度そのものに関係する課題も議論されることになる。

 特に議員定数削減については、「政治家自身が身を切る改革」という分かりやすい説明だけで判断することは危険である。比較政治学の研究では、議会の規模が代表性に影響する可能性が指摘されており、議員数を減らすことで人口の少ない地域や規模の小さい政党、従来代表されにくかった集団の国会へのアクセスが弱くなる可能性がある一方、その影響の大きさは選挙制度や選挙区設計によって異なるため、「議員を減らせば必ず少数意見が失われる」と断定することもできない。

 したがって、議員定数削減を議論する際には、単純に何人減らすかという問題だけではなく、一票の格差、地域代表性、比例代表制度、選挙区の大きさ、候補者の選挙費用、少数政党の議席獲得可能性などを同時に検討する必要がある。こうした制度的影響を十分に検証せず、連立合意や政治日程だけを理由として成立を急ぐのであれば問題があるが、逆に野党や専門家の指摘を踏まえて制度設計を修正するのであれば、議会審議が本来の役割を果たしたと評価できる。

参議院は障害物ではない~しかし絶対的な拒否権を持つわけでもない

 参議院についても、政府を批判するための存在としてだけ理解するのではなく、制度上の役割と限界の双方を見る必要がある。参議院議員も国民による選挙で選ばれており、任期6年、3年ごとの半数改選という衆議院とは異なる仕組みを持つことで、一度の衆議院選挙で生じた政治的な変化が、そのまま国会全体を短期間で完全に変えることを防ぐ構造になっている。

 参議院には、衆議院とは異なる時点の民意を反映し、政府や衆議院で決められた政策について改めて審議する機会を設ける制度的機能が期待されている。令和8年7月8日に参議院が令和6年度決算を是認すると同時に内閣への警告を議決したことも、予算を成立させるだけでなく、実際に使われた税金について事後的に政府を監視する役割の一例である。

 ただし、二院制が存在すれば必ず政策の質が高まるとか、参議院が政府に反対するほど民主主義が良くなると科学的に断定することはできない。第二院が存在することで政策決定が慎重になる一方、必要な改革が遅れる場合もあり得るため、重要なのは参議院が単に法案を止めることではなく、具体的な問題点を提示し、修正案を示し、より良い制度へ変える機能を果たしているかどうかである。

 参議院にも党利党略に陥る危険はあり、野党が多数を利用して合理的理由なく政府法案を止め続けるのであれば、それも適切な二院制の運用とはいえない。政府と参議院のどちらか一方が常に正しいわけではなく、双方の主張を制度的根拠、財源、政策効果などから検証する必要がある。

異論があれば必ず正しい判断になるわけではない

 政策決定に異論を取り入れることの重要性についても、科学的には慎重に考える必要がある。心理学や組織論の研究では、異なる意見が存在することで議論が増え、共有されていなかった情報が検討されやすくなり、一定の条件では判断の質が改善することが確認されている。

 しかし、意見対立が存在すれば常に良い結論が得られるわけではなく、対立が激しくなり過ぎれば、意思決定の遅延、感情的対立、組織内協力の低下を引き起こす可能性もある。このため、重要なのは異論そのものを増やすことではなく、異論の中から合理的な指摘を見つけ、それを政策修正へ結び付けられる仕組みを持つことである。

 国会についても同じであり、野党が反対するだけで政策が良くなるわけではなく、政府が野党の要求をすべて受け入れれば良いわけでもない。政府案、野党案、専門家の指摘を比較し、その政策によって誰が利益を得て、誰が負担を負い、財源はどこから確保され、どのような副作用が生じる可能性があるのかを検討することによって、初めて異論が政策改善につながる。

高市内閣の問題は「強過ぎること」ではなく、強さをどう使うかである

 高市首相が強い政治的指導力を持つこと自体を否定する必要はなく、行政組織を動かし、政策の優先順位を決め、必要な法制度を実現する能力は首相に必要である。第221回国会で政府提出64法案がすべて成立したことも、少なくとも政府法案を国会で処理する能力という点では、高市政権の強さを示す材料である。

 問題は、その強さをどの方向へ使うかであり、官僚組織の縦割りを克服したり、長期間先送りされてきた制度改革を進めたり、国民に説明しにくい政策についても正面から説明したりするために使うのであれば、強い政治的指導力には大きな意味がある。一方、議会審議を短縮し、合理的な反対意見を無視し、議席数だけを根拠として制度変更を急ぐために使うのであれば、同じ強さでも評価は大きく異なる。

 政治の強さは、単純に反対者を多数決で上回る能力だけによって測るべきではない。異なる利害を持つ人々の意見を整理し、必要な修正を加えながら、長期的に維持可能な制度へまとめる能力もまた統治能力であり、採決で勝つことができる政権ほど、その過程を軽視しないことが重要になる。

野党にも問われる責任

 高市内閣だけを批判しても、公正な国会評価にはならず、野党にも国会を正常に機能させる責任がある。首相出席を求めるのであれば、なぜ首相本人でなければ答えられない論点なのかを明確にし、担当大臣で十分回答できる専門的な問題まで首相へ集中させない工夫が必要である。

 政府案に反対する場合も、単に成立を阻止するのではなく、代替案、財源、実施方法、政策効果を具体的に示すことが求められる。審議拒否や採決引き延ばし、人格攻撃などを政局の手段として多用すれば、野党自身も国会への信頼を損なうことになるため、高市首相への批判についても、発言の一部だけを切り取るのではなく、予算、法案、国会答弁、政策効果など検証可能な事実を基礎とすべきである。

 国会の質を高める責任は政府と野党の双方にある。政府に説明責任を求める野党もまた、自らの政策と批判について説明責任を負うという関係が成立してこそ、国会審議は単なる政治的対立から政策選択の場へ変わる。

高市首相に求められる五つの改善

 今後の高市政権に求められる第一の課題は、首相本人が国会へ出席すべき案件について合理的な基準を形成することである。予算の基本方針、外交・安全保障上の重大な判断、衆議院解散、統治機構改革など、首相自身の政治判断が中心となる問題については本人が説明し、専門的な各論については担当大臣が答えるという役割分担を明確にすれば、説明責任と行政効率を両立させやすくなる。

 第二は、参議院を法案成立の最後の障害物として扱わないことであり、重要な法案ほど衆議院通過後に初めて参議院を説得するのではなく、法案作成段階から参議院各会派や専門家と協議することが望ましい。第三は、社会保障国民会議で行われたような超党派協議を他の政策にも広げ、政府案を修正した場合には、どの意見を受け、なぜ変更したのかを国民へ説明することである。

 第四は、選挙制度、議員定数、統治機構など民主主義の枠組みそのものを変更する法案について、政治日程から成立期限を逆算するのではなく、必要な審議時間から日程を組み立てることである。第五は、衆議院の圧勝を無制限の白紙委任と解釈せず、与党へ投票しなかった有権者、参議院選挙で異なる政党を選んだ有権者、選挙後に政策への評価を変えた有権者も、等しく主権者であることを実際の政治運営によって示すことである。

高市首相を支持する人にこそ考えてほしい

 高市首相を支持しているからこそ、国会で十分な説明を求めることには意味がある。支持する政治家に批判的な質問をすることは、その政治家への敵意や裏切りではなく、政策の誤りを早期に発見し、政権が長期的に安定するための検証として考えることができる。

 政策が本当に優れているのであれば、参議院での再審議、野党の追及、専門家による検証にも耐えられるはずであり、合理的な批判によって欠陥が明らかになった場合には、実施前に修正できたことを政策形成の成果と考えるべきである。反対に、支持する政治家の政策だからという理由だけで批判を排除すれば、誤った判断を修正する機会そのものを失う可能性がある。

 ただし、異論を増やせば自動的に良い政策になるわけでもないため、重要なのは批判の数ではなく質である。政府側も野党側も、理念や印象だけではなく、制度、財源、実施可能性、統計、政策効果などを示しながら議論することで、異論が単なる政治的対立ではなく政策改善のための情報として機能する。

結論~高市政権の真価は、勝てる国会でどこまで自制できるかにある

 高市早苗首相は、令和8年2月の衆議院議員総選挙によって極めて強い政治的基盤を得て、第221回国会では皇室典範等改正法を含む政府提出64法案をすべて成立させるなど、政府法案を成立へ導く能力も示した。その一方で、参議院では与党が過半数に達しておらず、衆議院議員定数削減法案は衆議院段階で継続審議となり、社会保障政策では複数政党との協議を通じて当初構想とは異なる制度設計が形成されている。

 これらの事実を総合すると、高市内閣の国会運営を「多数の力だけですべてを押し切っている」と評価することは現時点では正確ではない。政府提出法案の成立実績や社会保障政策での与野党協議を見る限り、一定の調整機能は働いており、高市政権が一貫して国会や野党を無視していると証明できるだけの事実はそろっていない。

 しかし、だからといって国会運営への懸念が消えたわけでもない。現在の与党は衆議院で351議席を持ち、出席状況や党内結束などの条件を満たせば、通常の法律案について参議院の反対を憲法第59条第2項による再議決で乗り越え得るだけの議席規模を持っている。高市政権がこれほど強い衆議院基盤を持つからこそ、今後の国会運営では、何を押し通せるか以上に、どの場面で協議し、どこで修正し、どの程度自制できるかが重要になる。

 政治家の民主主義観は、自らが少数派にいるときだけでなく、多数派になったときにこそ表れる。反対意見を聞かなくても採決に勝てる状況であえて聞くことができるか、政府案を修正しなくても成立させられる状況で合理的な批判を受け入れられるか、参議院を単なる障害としてではなく政策を再検討するもう一つの議院として扱えるかによって、高市政権の国会運営に対する評価は大きく変わる。

 令和8年10月5日に招集される臨時国会は、その意味で重要である。高市首相が掲げてきた「様々な声に耳を傾け、謙虚に」という姿勢が、単なる政治的な表現にとどまるのか、それとも実際の法案修正、与野党協議、首相答弁、参議院との合意形成として具体化するのかについては、今後の国会審議を見ながら判断する必要がある。

 強い首相だけでは、長期的に強い国家をつくることはできない。政府を監視できる国会、衆議院とは異なる役割を果たす参議院、具体的な対案を示す野党、そして支持する政治家についても事実に基づいて検証する国民が存在し、それぞれが適切な役割を果たすことで、政策決定の速さと慎重さの均衡を取ることができる。

 衆議院で圧倒的な多数を持つ高市政権に今求められているのは、さらに政治的な力を強めることではなく、その力をどこまで適切に制御し、合理的な異論を政策形成の中へ取り込めるかを示すことである。高市政権の国会運営に対する最終的な評価は、すでに決まっているのではなく、まさにこれからの国会で形成されるべきものである。

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