地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

衆議院と参議院を分けて見ると、「党のナンバー2」では説明できない

 政治ニュースを見ていると、党首の隣にはしばしば幹事長がいる。選挙になれば候補者について語り、党内で問題が起これば調整に動き、他党との交渉でも名前が出てくるため、「党のナンバー2」と説明されることも多い。しかし、この説明だけでは幹事長という役職の本当の姿は見えてこない。日本の政党は、党首と幹事長だけで動く単純な組織ではなく、党本部、地方組織、選挙組織、政策部門、国会対策部門に加えて、衆議院と参議院という制度も選挙周期も異なる二つの議院を同時に抱えているからである。

 しかも2026年の日本政治を見ると、この構造はさらに複雑になっている。以下では自由民主党、立憲民主党、日本維新の会、公明党を主な例として見るが、これら4党だけで日本のすべての政党を説明できるわけではなく、幹事長という名称や権限、衆議院と参議院の組織関係は政党によって異なる。その前提を置いたうえで各党を比較すると、幹事長の力とは「何でも一人で決定できる力」ではなく、人事、資金、選挙、国会、地方組織、そして衆参両院を結び付ける位置から生まれる力だということが見えてくる。

まず、「政党」と「国会会派」は同じものではない

 幹事長を理解する前に、一つ重要な区別がある。それは政党と国会会派の違いである。政党とは、共通する理念や政策を実現するためにつくられる政治組織であり、国会会派とは衆議院や参議院の内部で活動を共にする議員の集団である。同じ政党の議員が一つの会派をつくることが多いものの、複数政党が一つの会派を構成することもあれば、政党に所属していない議員が会派に加わることもあるため、「政党の所属」と「国会でどの会派に所属するか」は必ずしも一致しない。

 2026年は、この違いを理解するのに象徴的な年になった。衆議院が公表している2026年2月18日現在の会派構成では、自由民主党・無所属の会が316人、中道改革連合・無所属が48人、日本維新の会が36人などとなり、立憲民主党と公明党はそれぞれ独立した衆議院会派としては存在していない。一方、参議院の2026年6月30日現在の会派構成を見ると、自由民主党・無所属の会101人、立憲民主・無所属40人、公明党21人、日本維新の会19人となっており、衆議院と参議院では同じ政党名をめぐる組織構造が大きく異なっている。

2026年には、衆議院と参議院の「政党地図」がずれた

 このずれが生じた大きな理由の一つが、2026年初めの政党再編である。立憲民主党所属だった衆議院議員と公明党所属だった衆議院議員は、中道改革連合の結成に伴ってそれぞれ元の党を離れ、2月の衆議院選挙を中道改革連合から戦った。その結果、立憲民主党と公明党は参議院や地方組織では存続しながら、衆議院ではそれぞれ独自の議員団を持たないという、通常とは異なる状態になった。

 ところが、この体制も固定されたわけではない。2026年9月には、中道改革連合、立憲民主党、公明党の3党による組織的な合流が実現しないことが明らかになり、中道改革連合は新たな形態へ移る方針を決めた。公明党出身の衆議院議員は公明党へ再結集し、立憲民主党出身の衆議院議員は新党を立ち上げ、そのうえで次の国会では両者が衆議院の統一会派「中道」を形成する方向が示されている。したがって2026年9月16日現在の衆議院については、「中道改革連合という既存政党がそのまま存続している」とも、「すでに新しい体制への移行が完全に終了した」とも単純には言えず、政党所属と国会会派の組み替えが進んでいる過渡期として見る必要がある。

 この出来事は、幹事長を理解するうえでも重要である。政党組織は衆議院と参議院で必ずしも同じ形を取らず、一方の議院で党所属議員がいなくなっても、他方の議院や地方組織を基盤として政党そのものは存続できるからである。幹事長とは、単に国会議員を束ねる役職ではなく、このような複数の組織を一つの政党として維持する党務の責任者なのである。

幹事長とは、そもそも国会の役職ではない

 衆議院議長や参議院議長は国会という国家機関の役職だが、政党の幹事長はその政党内部の役職である。そのため、日本国憲法に「幹事長」という役職が定められているわけではなく、その権限は各党の党則や規約によって決められる。同じ「幹事長」という名前でも、自由民主党と日本維新の会と公明党では制度設計が異なり、さらに党本部の幹事長とは別に、参議院幹事長や国会議員団幹事長を置く政党もある。

 自由民主党では、党本部の幹事長は総裁を補佐して党務を執行する役職とされ、その管掌下に人事局、経理局、情報調査局、国際局が置かれている。一方、参議院側には参議院議員総会や参議院幹事長、参議院政策審議会長、参議院国会対策委員長などの独自の組織が存在するため、「自由民主党幹事長」と「参議院幹事長」は名前こそ似ていても別の役職である。

 日本維新の会ではさらに構造が重なる。党本部には代表を補佐して予算執行など党運営を統括する幹事長がいる一方、国会議員で構成される国会議員団にも幹事長を置く仕組みがあり、さらに参議院には参議院会を設け、参議院会長や参議院幹事長、参議院国会対策委員長などを置くことができる。したがって政治ニュースで「維新の幹事長」と書かれていた場合、それが党本部を指しているのか、国会議員団を指しているのかまで確認しなければ、権限の意味を正確には理解できない。

衆議院と参議院では、政治を刻む時計そのものが違う

 なぜ一つの政党の中に、衆議院と参議院で別々の組織が必要になるのか。それは両院が同じ国会を構成しながら、まったく同じ制度では動いていないからである。衆議院議員の任期は4年だが、衆議院が解散されれば任期途中でも選挙になるため、衆議院議員は常に「いつ選挙になるか分からない」という不確実性の中で政治活動を行う。

 これに対して参議院議員の任期は6年で、参議院には解散がなく、3年ごとに半数が改選される。議員全員が一度の選挙で入れ替わることがないため、参議院という議院そのものには制度的な継続性が組み込まれている。したがって衆議院では突然の解散に備えた候補者や選挙区の準備が重要になり、参議院では3年ごとの改選周期を前提に、より長い時間軸で選挙や院内活動を組み立てることができる。

 さらに両院は権限も完全には対称ではない。予算は衆議院に先に提出され、内閣総理大臣の指名、予算、条約など一定の事項では条件を満たせば衆議院の議決が優越し、内閣不信任決議も衆議院に認められた制度である。このため衆議院は内閣の成立や存立とより直接的に結び付く一方、参議院は解散の影響を受けずに活動を継続する。党本部の幹事長は、この異なる時計で動く二つの議員集団を同時に政党の中へ組み込まなければならない。

自由民主党では、「党本部」と「参院自民党」が重なって動く

 自由民主党を見ると、この構造が比較的分かりやすい。党本部では総裁が最高責任者となり、幹事長が党務執行の中心に立つ一方、参議院には参議院議員総会を中心とする独自の組織があり、参議院幹事長などが置かれている。参議院側は党本部と無関係な別組織ではないが、党本部幹事長の直属部門として単純に一本化されているわけでもない。

 ここで重要なのは、幹事長の力を「上から命令する力」だけで測らないことである。党本部では全国の地方組織、選挙、人事、資金などを扱わなければならず、参議院側には参議院独自の議員間調整や国会運営があるため、両者の考えが完全に一致するとは限らない。その間を党として一つの方向へまとめることができるかどうかが、幹事長の政治的な力になる。

立憲民主党は、2026年に「参議院と地方組織を持つ政党」という性格が強くなった

 立憲民主党については、2026年以前の規約だけを読んで現在を説明すると誤解が生じる。規約上は衆議院議員団と参議院議員団を置くことができ、幹事長は代表を補佐して党務執行全般を統括し、国会対策委員長は代表と幹事長の下で衆参にまたがる国会対策を担うという構造が想定されている。しかし2026年には、所属していた衆議院議員が中道改革連合へ移ったことから、現実の立憲民主党は参議院議員、地方議員、地方組織を中心に存続することになった。

 2026年8月時点の立憲民主党役員を見ると、代表、幹事長、選挙対策委員長、政務調査会長、国会対策委員長など党執行部の中心を参議院議員が担っており、党自身も衆議院小選挙区の暫定総支部を設けるなど、将来の衆議院との関係を見据えながら地方組織を維持している。9月には中道改革連合の立憲民主党出身衆議院議員が新党をつくる方針となり、立憲民主党との今後の関係はなお調整段階にあるため、現在の立憲民主党を「従来と同じ衆参一体の政党」として描くことはできない。

 むしろここから分かるのは、幹事長の仕事が国会議員団の人数だけで決まるわけではないということである。衆議院に所属議員がいない時期でも、地方組織、党員、選挙準備、政策活動、参議院議員団を維持しなければ政党は存続できない。幹事長とは、国会内だけでなく、その背後にある組織を切れ目なく動かす役職なのである。

公明党も2026年に、衆議院と参議院の関係が大きく変わった

 公明党についても同じ注意が必要である。2026年1月、公明党所属の衆議院議員は中道改革連合への参加に伴って公明党を離れ、公明党は一時、参議院議員と地方議員を中心とする政党になった。それでも党本部には代表、幹事長、中央幹事会、常任役員会などが存続し、参議院側には参議院公明党議員団の組織が存在したため、衆議院から所属議員がいなくなっても政党そのものが消滅したわけではない。

 その後、2026年9月には中道改革連合の再編方針を受け、公明党出身の衆議院議員を公明党側が受け入れ、再び衆参両院に国会議員を持つ体制へ移行する方針が示された。ただし衆議院では、立憲民主党出身議員が設立する新党と統一会派「中道」を組む方向であるため、今後は「政党としての公明党」と「衆議院会派としての中道」が重なって存在することになる。

 この構造は一見ややこしいが、政党と会派を分ければ理解しやすい。公明党という政党には独自の代表や幹事長、党組織がありながら、衆議院では別の政党に所属する議員たちと一つの会派をつくることが可能である。つまり幹事長は、党の内部だけでなく、必要に応じて他党と組む国会会派との関係まで調整しなければならない。

「幹事長が金を握る」という言葉は、かなり乱暴である

 幹事長について昔から語られてきたのが、「金と人事を握るから強い」という説明である。しかし制度を確認すると、この言葉はそのままでは正確ではない。自由民主党では経理局が幹事長の管掌下に置かれているが、党財政には財務委員会など別の監督機構が存在する。日本維新の会では幹事長が予算を執行することが明確に規定されている一方、公明党では党の収支を管理する財務委員会や会計を監査する組織が置かれているため、いずれの党でも「幹事長が個人的判断で党の金を自由に使える」という意味ではない。

 それでも資金と幹事長が強く結び付けられるのは、政治における資金配分が単なる経理処理ではないからである。選挙対策にどれだけの組織資源を投入するのか、地方組織をどこまで支えるのか、党本部の活動をどう組み立てるのかという判断は、最終的には党の政治戦略と結び付いているため、党務全般に関与する幹事長がその調整から離れることは難しい。したがって「金を握る」というより、「党の限られた資源をどこへ向けるかという調整の中心に近い」と表現する方が実態に近い。

人事も、公認も、一人で決めているわけではない

 人事についても同じことが言える。自由民主党では幹事長管掌の部局について、総務会の承認を受けて幹事長が局長や次長を決定する仕組みがあり、日本維新の会では幹事長が常任役員会の承認を受けて幹事会の構成員などを選任できる。公明党でも幹事長室を中心に党務を統括する仕組みがあるが、中央幹事会などの議決機関と常任役員会などの執行機関が別に存在するため、幹事長が党内のあらゆる役職を単独で決定しているわけではない。

 選挙の公認についても同様である。候補者を正式に公認する手続きには各党の選挙対策機関や議決機関が関与するため、「幹事長の一声で候補者が決まる」という説明は制度上正しくない。しかし実際の候補者選定では、地方組織の希望、現職との関係、選挙区事情、比例代表との配分、他党との協力、資金や応援態勢などを事前に調整しなければならない。この長い調整過程に深く関わることが、幹事長の影響力につながるのである。

衆議院の選挙と参議院の選挙では、幹事長が考える時間軸も変わる

 衆議院では解散があるため、党本部は常に「次の総選挙が予定より早く来るかもしれない」という可能性を考えなければならない。候補者が決まっていない選挙区、地方組織が弱い地域、現職と新人の調整、他党との候補者競合などを日常的に整理しておかなければ、突然の解散に対応できなくなる。

 一方、参議院では改選時期があらかじめ分かっているため、衆議院とは異なる準備が可能になる。しかし参議院選挙には選挙区と比例代表があり、党全体の得票戦略や全国組織との関係が強く影響するため、こちらにも独自の調整が必要になる。幹事長は一種類の選挙だけを見ていればよいのではなく、いつ起こるか分からない衆議院選挙と、周期が決まっている参議院選挙を同じ党組織の中で並行して準備しなければならない。

幹事長には、「異なる種類の情報」が集まりやすい

 幹事長の力を考えるとき、資金や人事ほど目立たないものの、情報も重要である。ただし「幹事長が誰よりも早くすべての情報を知る」と断定する根拠はなく、より正確には、役職上、異なる種類の情報が集まりやすい位置にいると考えるべきである。

 自由民主党では情報調査局が幹事長の管掌下にあり、日本維新の会では幹事長が役職者の連絡や調整のための会議を招集できる。立憲民主党でも幹事長を中心とする党執行部には地方組織、選挙、国会対策、政策などの情報が集まる構造がある。衆議院側からは解散や選挙区情勢を意識した情報が入り、参議院側からは独自の国会運営や改選事情が届き、地方組織からは候補者や地域政治に関する情報が上がるため、幹事長はそれらを直接すべて処理しなくても、どの問題をどこで解決すべきかを判断する位置に置かれる。

だからといって、幹事長が党首より強いわけではない

 これだけ多くの分野に関わると、幹事長が党首の裏側で党を動かしているようにも見える。しかし制度上の最高責任者は、自由民主党なら総裁、立憲民主党や日本維新の会、公明党なら代表であり、幹事長ではない。また各党には総務会、常任幹事会、中央幹事会、常任役員会、両院議員総会などの合議機関が置かれており、重要事項を幹事長一人で決定する仕組みにはなっていない。

 むしろ幹事長の政治的な力は、党首からどこまで信頼されているか、衆議院議員や参議院議員とどのような関係を持つか、地方組織との調整能力があるかによって変化する。同じ党則の下でも、強い幹事長と目立たない幹事長が生まれるのはこのためであり、役職に書かれた権限だけを読んでも、その人物の実際の政治的影響力までは分からない。

幹事長の本当の力は、「接続点」と考えると見えてくる

 ここまで見てくると、「幹事長は何を握っているのか」という問いに、「金」「人事」「選挙」とだけ答えることが不十分である理由が分かってくる。資金は財務機構と共有され、人事には党内の承認手続きがあり、候補者公認には選挙対策部門や議決機関が関与し、国会運営には国会対策委員長や衆参それぞれの議員組織が存在するため、幹事長が一つ一つの権限を独占しているわけではない。

 それでも幹事長が重要なのは、これらの機能が互いに切り離されていないからである。候補者を立てれば資金と地方組織が必要になり、地方組織を動かせば人事や党本部との調整が必要になり、選挙で議席を得れば衆議院や参議院の国会運営へつながり、国会での政策判断は次の選挙に影響する。その循環の途中に幹事長が何度も現れる。

 したがって、幹事長が何か一つの巨大な権力を「握っている」と考えるより、人事、資金、選挙、国会、地方組織、衆議院、参議院という別々の回路を結ぶ「接続点」にいると考える方が実態を捉えやすい。これは党則に書かれた正式な定義ではなく、複雑な政党組織を理解するための一つのモデルであるが、幹事長という役職がなぜこれほど政治ニュースで重く扱われるのかを説明するには有効である。

 2026年の政党再編は、そのことを逆に鮮明にした。立憲民主党や公明党のように衆議院と参議院で一時的に所属構造が分かれても、政党そのものは地方組織や参議院議員、党員を基盤として存続し、その後また衆議院側との関係を組み直すことができる。その過程では、国会議員の数だけでなく、組織、人事、選挙、資金、他党との関係を同時に調整しなければならない。

 政治の表舞台で最も強い照明を浴びるのは党首である。しかし政党が実際に動く場所では、衆議院と参議院という異なる時間で動く二つの議院、全国の地方組織、選挙、政策、人事、資金が絶えず結び直されている。幹事長の力とは、そのすべてを独占することではなく、それぞれ別の方向へ動きかねない歯車を、一つの政党として噛み合わせ続ける位置にいることなのである。

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政治の権力者という言葉から、多くの人が思い浮かべるのは首相か、自民党幹事長だろう。衆議院で当選を重ね、総裁選挙を戦い、テレビカメラの前で政策を語り、最後には首相官邸へ入る。それが日本政治における「大物政治家」の分かりやすい姿である。

青木幹雄は、その典型から奇妙なほど外れていた。国政では一貫して参議院議員であり、首相になったことも自民党総裁になったこともない。全国的な人気を競った政治家でもなければ、強烈な演説によって世論を動かした政治家でもない。それにもかかわらず、1990年代末から2000年代の自民党政治をたどると、重要な局面のかなり深いところに青木の名前が現れる。

やがて彼には「参院のドン」という呼び名が付いた。

この言葉だけを聞けば、古い自民党にいた一人のボス政治家の物語に見える。しかし、それでは青木幹雄という人物の面白さを半分も説明できない。青木の力は、単純に派閥の人数を持っていたからでも、参議院議員を命令で従わせていたからでもなかった。参議院という制度、自民党参院組織の独自性、竹下派以来の人的関係、選挙と人事に関する情報、そして衆議院と参議院、官邸と党をつなぐ調整能力が、一人の政治家のところで重なった。その結果、首相でも幹事長でもない人物が、首相でさえ無視できない存在になったのである。

青木幹雄を読むことは、政治の権力が必ずしも一番高い椅子に座っている者だけのものではないことを知ることでもある。そしてそれは、参議院の政治的意味があらためて問われている2026年の日本政治を考えるうえでも、決して過去の話ではない。

竹下登のそばで見た「人を動かす政治」

青木幹雄は1934年、島根県に生まれた。竹下登の秘書を務め、島根県議会議員を経て、1986年の参議院選挙で初当選した。青木の政治人生を考えるうえで、竹下との関係は避けて通れない。

竹下は、強烈な理念を掲げて党内を二分する政治家ではなかった。相手が何を求めているのかを読み、対立する政治家の間に入って妥協点を探し、人間関係の機微まで含めて巨大な自民党を動かしていく。後の時代から見れば古い派閥政治に映るかもしれないが、当時の自民党を運営するうえでは、そうした調整能力そのものが重要な政治技術だった。

青木は、その政治のすぐ近くにいた。もちろん、竹下のそばにいたことだけを理由に、青木が後の調整能力を獲得したと断定することはできない。それでも、青木がその後、政策理念を大声で主張する政治家ではなく、人間関係の間をつなぐ政治家として頭角を現したことを考えれば、竹下政治の環境が彼の政治観に影響を与えたと見るのは不自然ではない。

政治家の力を役職表だけで測ると、こうした人物は見えなくなる。組織にはしばしば、正式な最高責任者とは別に、「この人に話を通しておかなければ物事が進まない」という人物が生まれる。人事の事情を知り、組織内の感情や利害を知り、誰と誰を結び付ければ案件が動くのかを理解している人物である。情報と相談がその人物のところを通過するようになれば、組織図に書かれた肩書以上の権力が生まれる。

青木が後に築いたのは、まさにこの種類の政治力だった。自分自身が首相になる必要はない。人事や選挙、法案、派閥間の調整が行われる場所に入り、その複雑な関係を結び直す役割を担えば、首相になる政治家とは別の種類の権力を持つことができる。青木は舞台の中央に立ち続ける政治家というより、舞台と舞台をつなぐ通路を押さえる政治家だった。

そもそも参議院はそれほど弱いのか

ここで素朴な疑問が生まれる。それほど政治力があるなら、なぜ青木は衆議院へ行かなかったのだろうか。

日本では首相指名や予算、条約などについて衆議院の優越が認められており、首相を目指す政治家のほとんども衆議院議員である。そのため、参議院はどうしても「二番目の議院」のように見えやすい。しかし、この見方では日本の二院制を正確には理解できない。

日本国憲法第59条では、通常の法律案は原則として衆議院と参議院の双方の可決を必要とする。参議院が否決した法律案を衆議院だけで成立させるには、出席議員の3分の2以上による再可決が必要である。政権与党が衆議院で過半数を持つことと、3分の2を持つこととの間には大きな隔たりがあるため、参議院で多数を確保できなければ、政府は法案ごとに何らかの調整を迫られる。

つまり参議院は、首相をつくる力では衆議院より弱いが、首相が進めようとする政策を止めたり、修正を迫ったりする力については決して軽い存在ではない。権力とは、自分が命令できることだけを意味するわけではない。「自分の同意がなければ相手が困る」という位置に立つこともまた、権力なのである。

しかも参議院には衆議院のような解散がない。首相が参議院の多数派を気に入らないからといって、議員全員を選挙へ送り返すことはできず、半数ずつ改選される議員は6年間の任期を持つ。この制度のため、自民党政権にとって参院自民党は、衆議院側の単なる下部組織にはならなかった。独自の選挙事情と人事慣行を持ち、独自の院内秩序を形成する政治集団として発達したのである。

そこをまとめる人物には、本人の資質とは別に、制度そのものが政治的価値を与える。青木の権力を「とにかく顔が利く人物だった」という人物論だけで説明できない理由は、ここにある。

小渕政権で舞台裏から官邸へ

青木が全国政治の表舞台へ現れたのは、小渕恵三政権だった。1999年10月、小渕首相は青木を内閣官房長官に起用する。参議院議員である青木が、首相官邸の中枢である官房長官になったのである。

二人を結び付けていたのは、竹下登だった。竹下派という巨大な政治集団の中で、小渕と青木は長い時間を共有しており、政策だけではなく、人間として誰を信用できるのかという感覚まで含めた関係が形成されていたと考えられる。

そして2000年4月、小渕首相が病に倒れる。小渕内閣は総辞職し、官房長官だった青木は内閣総理大臣臨時代理となった。その後、森喜朗が首相に指名されるが、この政権移行の過程で大きな批判を浴びたのが、後に「5人組」と呼ばれた自民党有力者による協議だった。

青木、森喜朗、野中広務、亀井静香、村上正邦らが協議し、森後継の流れが形成されたとされる。ただし、会合が最初から後継首相を決める目的だったのか、どの時点で森後継が具体化したのかについては、当事者の説明にも違いがある。「5人が密室で森を首相に決めた」と単純化するのは、歴史的経緯をやや粗くしてしまう。

それでも、この場に青木がいたこと自体には大きな意味がある。首相交代という自民党政治最大級の局面で、参議院議員である青木が最高幹部の協議に加わっていたからである。竹下派を知り、官邸を知り、参議院を知り、衆議院側の実力者とも直接話ができる。青木はこの時点ですでに、複数の政治空間をまたぐ人物になっていた。

「参院のドン」は参議院を支配していたのか

青木はその後、参院自民党の中心へ戻り、参院幹事長などを経て、2004年から自民党参議院議員会長を務めた。このころから「参院のドン」という呼び名が定着していった。

しかし、この言葉は青木の実像を少し誤解させる。「ドン」と聞けば、参議院議員を命令一つで動かしていた人物のように感じられるが、実際の政治はそれほど単純ではなかった。

青木の強さは、議員を恐怖で服従させることではなく、多くの議員が青木との関係を必要とする仕組みを持っていたことにあった。参議院議員にとって6年ごとの選挙は政治生命そのものであり、その過程では公認、組織票、業界団体との関係、党や政府の人事などが複雑に絡み合う。こうした事情を把握し、その調整に深く関与できる人物は、それだけで大きな政治資源を持つことになる。

しかも青木は、参議院内部だけに人脈を持っていたわけではなかった。衆議院側の派閥幹部や首相官邸とも話のできる回路があり、参議院側の事情を官邸へ伝える一方、官邸側の事情を参議院へ持ち帰ることができた。参議院、衆議院、派閥、官邸という別々の世界の間に立つことで、青木自身の政治的価値が高まっていったのである。

社会ネットワーク論の概念を借りるなら、青木の位置は、異なる集団同士を結び付ける「媒介者」として理解することができる。ただし、これはあくまで説明モデルであって、当時の議員間関係をすべてデータ化して社会ネットワーク分析を行った結果ではない。それでも、青木を単なる参議院のボスと見るより、複数の政治集団をつなぐ結節点と考えた方が、彼の影響力ははるかに理解しやすい。

青木は参議院という島の王だったのではない。複数の島を結ぶ橋を管理する人物だったのである。

小泉純一郎でさえ、その橋を壊せなかった

青木の政治力を最も鮮明にしたのは、皮肉にも旧来の自民党政治を壊すと宣言した小泉純一郎だった。

2001年、小泉は「自民党をぶっ壊す」と訴えて総裁となり、派閥均衡型の人事を崩し、首相官邸の主導力を高めていった。その政治手法は、竹下や青木に代表される調整型政治とは対極にあるように見えた。

それでも小泉は、参院自民党の存在を消すことはできなかった。衆議院側で派閥人事を大胆に崩しても、参議院側には独自の秩序があり、その秩序との調整が必要だった。これは小泉が青木個人に服従していたという意味ではない。どれほど強い首相であっても、参議院という制度を消すことはできず、参院自民党が独自の政治集団である以上、そこをまとめる人物との交渉を避けることはできなかったということである。

その構造が劇的に表れたのが、2005年の郵政民営化だった。

小泉が政治生命を懸けた郵政民営化法案は衆議院を通過したが、8月8日の参議院本会議では賛成108、反対125で否決された。自民党からも22人が反対し、青木自身は賛成票を投じている。

この事件は、青木の力と限界を同時に示した。「参院のドン」である青木が賛成しても、自民党参議院議員の大量造反を止めることはできなかった。つまり青木は参議院を完全に支配していたわけではなく、通常の人事や選挙、国会運営において非常に大きな調整力を持っていた人物と理解するのが正確である。

ところが、青木個人の限界が明らかになった一方で、参議院そのものの力は逆に証明された。国民的人気を持ち、自民党総裁であり首相でもあった小泉でさえ、参議院によって最重要法案を一度止められたからである。小泉はその直後、衆議院を解散し、後に本人も国会で、このような解散は「異例中の異例」だったと認めている。

首相でさえ参議院を消すことはできない。だからこそ、参議院をまとめられる人物には大きな政治力が生まれるのである。

首相を目指さなかったことも、青木には有利だったのか

青木にはもう一つ特徴があった。自ら首相の座を争う政治家ではなかったことである。

自民党の衆議院側では、実力者たちは最終的に総裁・首相という一つしかない椅子を争う。普段は同じ派閥にいても、総裁選挙になれば競争相手になり得る。それに対して、首相候補ではない参議院の有力者は、その競争から少し外れた位置にいる。

そのため青木は、衆議院側の実力者にとって、自分の地位を直接奪う相手ではなく、相談や仲介を依頼できる人物になりやすかった可能性がある。ただし、これを青木の権力の決定的原因と断定することはできない。重要なのは、首相候補ではなかったという位置が、仲介者としての役割と矛盾せず、むしろその役割を果たしやすい条件の一つになっていたと考えられることである。

青木が強かった理由は、結局のところ単一ではない。参議院の制度的権限と参院自民党の組織的自律性が土台にあり、そこへ人事や選挙への関与、竹下派以来の人脈、官邸との連絡、本人の調整能力が重なった。どれか一つだけで「参院のドン」が生まれたのではなく、複数の条件が同じ人物のところで重なったことが、青木幹雄という政治現象を生み出したのである。

そして2026年、高市早苗は青木の政治から何を学ぶのか

青木幹雄を昔話の中へ戻してしまえば、この人物をいま読む意味は半減する。

2026年の高市早苗政権は、衆議院で圧倒的な議席を持つ一方、参議院ではそれとは全く異なる政治環境に置かれている。衆議院で巨大な多数を持っているからといって、参議院で同じように政策が通るわけではない。参議院には参議院の選挙によって形成された多数派があり、その政治的正統性は衆議院の議席数によって消えるものではないからである。

ここで高市政権に対して憂慮すべきなのは、本人が明確に「参議院を軽視する」と宣言したかどうかではない。そうした内心まで事実として断定することはできないし、政治的批判ほど事実との区別を慎重にしなければならない。

しかし、もし衆議院で得た巨大な多数を背景に、参議院を政策実現の途中にある面倒な障害物程度に扱う政治姿勢が強まるなら、それは制度論として極めて危うい。高市首相の国会出席をめぐって参議院側から批判が出ていることも、単なる出席回数の問題として片付けるのではなく、政権と第二院との関係という観点から考える必要がある。

衆議院で多数を持たないから参議院と話し合うのではない。参議院が、衆議院とは別の選挙によって選ばれた独立した議院だから話し合わなければならないのである。

2005年、小泉純一郎は非常に強い首相だった。それでも郵政民営化法案は参議院で止まった。2026年の政権が衆議院でどれだけ多くの議席を持っていても、参議院の一票を消すことはできない。

高市政権がこの重みを理解せず、衆議院での圧倒的多数を万能の政治資本と錯覚するようなことがあれば、それは青木幹雄の時代から政治が進歩したことを意味しない。むしろ、二院制を運営する政治技術の一部を失ったというべきだろう。

もちろん、青木型政治そのものを理想化する必要もない。彼が得意とした非公式な調整や派閥的人間関係には、意思決定が国民から見えにくくなるという重大な問題があった。しかし少なくとも青木は、参議院には参議院独自の論理があり、それを無視して衆議院側の都合だけで政治を動かそうとすれば、いずれどこかで行き詰まることを知っていた。

その意味で、青木から学ぶべきなのは古い派閥政治そのものではない。異なる民意を持つ二つの議院を、どうすれば一つの政治として動かせるのかという感覚なのである。

青木が握っていたのは「接続」だった

2007年の参議院選挙で自民党が大敗すると、青木は参議院議員会長を辞任し、2010年には参議院選挙への出馬を見送って政界を引退した。しかし、その後もしばらく自民党内で影響力が残ったことは、青木の力が役職だけに由来していたのではないことを示している。

長い政治生活の中で青木が蓄積していたのは、人と人との関係についての膨大な記憶だった。政治家同士の信頼や対立、選挙事情、支持団体とのつながり、人事の経緯などは、議員を辞職した瞬間に消えるものではない。誰に話を持っていけば物事が動くのかを知っている人物は、役職がなくなっても一定の価値を持ち続ける。

ここまで見てくると、「参院のドン」という呼び名も少し違って見えてくる。

青木が支配していたのは、参議院そのものではなかった。

彼が握っていたのは、政治の「接続」だった。

「参議院議員でありながら」ではなく「参議院議員だったから」

最初の問いへ戻ろう。

なぜ青木幹雄は、参議院議員でありながら自民党政治を動かすことができたのか。

ここまで考えると、この問いには最初から少し偏見が含まれていたことに気付く。「参議院議員でありながら」という言葉には、政治の本流は衆議院にあり、参議院議員が大きな力を持つのは例外だという前提があるからだ。

青木の場合、それを逆に考えた方が実態に近い。

青木幹雄は、参議院議員でありながら強かったのではない。ある意味では、参議院議員だったからこそ強くなった。

首相を生み出す衆議院とは別の場所に、首相が無視できない政治集団が存在する。そこには解散がなく、独自の人事と選挙があり、通常の法律案を止めることのできる制度的な力がある。そして、その政治集団をまとめながら、衆議院の派閥とも首相官邸とも地方政治とも話のできる人物が現れた。それが青木幹雄だった。

もちろん、青木型政治には民主政治から見て重大な問題もあった。「5人組」に象徴されるように、有力者同士の非公式な話し合いによって国家の重大な意思決定が進むなら、その過程は国民から見えにくくなる。青木を評価することと、そうした政治手法を肯定することは別の問題である。

それでも、青木の政治力がどこから生まれたのかを考える意味は残る。彼は制度を知り、人間関係を知り、それぞれが直接にはつながらない場所で自分が媒介者になることで力を得た。

政治では、目立つ人物が必ずしも最も重要な人物とは限らない。首相が政策を掲げ、幹事長が党を動かし、国会議員が採決する。その背後では、それぞれの利害を結び付け、対立する者同士を同じテーブルに着かせる役割が必要になる。青木幹雄は長い間、その役割を担っていた。

首相官邸の正面玄関に立っていたわけではない。テレビカメラの中央にいたわけでもない。それでも政治家たちが目的地へ向かう途中には、青木のいる細い廊下を通らなければならない場面があった。

その廊下の一つが、参議院だった。

「参院のドン」という呼び名が教えてくれるのは、一人の老人が参議院を支配していたという単純な物語ではない。民主政治の権力は、必ずしも一番高い椅子だけに存在するわけではないということである。

そして2026年、衆議院で巨大な多数を持つ政権ほど、そのことを忘れてはならない。

小泉純一郎ですら、参議院で止まった。

青木幹雄は、その重みをよく知っていた。

参議院を軽く見る政治がもしあるとすれば、それが軽く見ているのは単なる一つの議院ではない。異なる選挙で形成された二つの民意をあえて並立させ、政治を少し不便にすることで権力を抑制しようとする、日本の二院制そのものなのである。

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はじめに~本稿は個人攻撃を目的とするものではない

本稿は、高市早苗首相の人格、性別、家族、容姿、支持者などを批判するものではない。

令和8年7月31日時点で確認できる国会会議録、政府・政党の公式発表、衆参両院の資料、複数の報道を基に、高市首相の国会運営能力を検証することを目的とする。

高市首相の政策に賛成か反対かという問題と、首相として国会を適切に運営できているかという問題は分けて考える。

また、高市首相が安倍晋三元首相の政治的後継を自認、またはその支持基盤を継承していると評価されることについても、思想や政策の類似だけではなく、議会運営、野党との調整、参議院への対応、官僚機構の使い方という観点から比較する。

本稿で用いる「稚拙」「軽視」「後継者として不十分」といった評価は、感情的な印象ではなく、可能な限り観察可能な行動から導く。

ただし、政治的力量は自然科学の実験のように完全には証明できない。

そこで本稿では、事実を次の五つの評価軸に分ける。

  1. 国会への説明責任
  2. 野党との合意形成能力
  3. 参議院と衆参二院制への理解
  4. 官僚機構に対する統制と専門性の活用
  5. 政策実現のための日程管理と結果

この五項目によって、高市首相の国会運営を検証する。

高市首相は強い衆議院基盤を得た

令和8年2月8日の衆議院議員総選挙で、自由民主党と日本維新の会を合わせた与党は352議席を獲得した。

高市首相は選挙後の記者会見で、この結果を重要政策の転換に対する国民の信任と位置づけた。一方で、参議院では与党が過半数を有していないことを認め、「様々な声に耳を傾け、謙虚に」政権運営を行うと述べていた。

令和8年2月18日の首相指名では、衆議院で354票を得た。参議院では最初の投票で過半数に届かず、決選投票によって首相に指名された。

この結果は、高市内閣の政治基盤について二つの異なる事実を示している。

一つは、衆議院では極めて強い多数を持っていることである。

もう一つは、参議院では単独で安定した多数を形成できていないことである。

したがって、高市内閣に求められる国会運営は、衆議院では多数を背景に政策を推進しつつ、参議院では野党を説得し、修正協議を行い、法案ごとに合意を形成するというものであった。

これは高市首相に不利な条件だけではない。

議院内閣制と衆参二院制を理解する首相であれば、参議院との調整能力を示す機会でもある。

衆議院の勝利は、国会全体への白紙委任ではない

高市首相は、衆議院選挙の大勝を自らの政策転換に対する信任として強く位置づけている。

選挙で掲げた政策を実行することは、民主政治の基本である。大勝した政権が、選挙後に公約を放棄する方が問題である。

しかし、衆議院選挙の勝利を、国会審議の結論まであらかじめ決まったものと解釈することはできない。

日本では、首相を国民が直接選ぶ制度は採られていない。

衆議院議員は選挙区や比例代表で選ばれ、有権者の投票理由も一様ではない。高市首相個人への支持、地元候補への支持、経済政策への期待、野党への不信、連立政権への評価など、複数の理由が含まれる。

さらに、参議院議員も国民による選挙で選ばれている。

衆議院選挙が新しいという理由だけで、参議院に表れている民意が無効になるわけではない。

衆参二院制は、異なる時期、異なる任期、異なる選挙制度によって選ばれた二つの議院が、政策を重ねて審議する制度である。

高市首相が衆議院の大勝を強調する一方で、参議院の反対を政策実現の妨害とみなすなら、それは二院制の理解として不十分である。

国会への出席時間は、首相の姿勢を測る一つの指標になる

令和8年の国会では、高市首相の予算委員会などへの出席が少ないことが争点となった。

毎日新聞は、衆参両院の予算委員会集中審議における高市首相の出席時間が合計30時間余りにとどまり、与野党から国会軽視との批判が出たと報じている。

首相の国会出席時間が長ければ、必ず優れた首相であるとは限らない。

外交、安全保障、災害対応、行政全般の統括など、首相には国会以外にも重要な職務がある。各省の専門的事項については、担当大臣が答弁する方が適切な場合も多い。

したがって、単純に「出席時間が短いから失格」と結論づけることはできない。

一方、予算の基本方針、内閣全体の政策、衆議院解散の判断、重要な制度改革、首相自身の政治姿勢については、担当大臣だけでは答えられない。

これらの論点についてまで首相出席を抑制すれば、議院内閣制における内閣の国会責任が弱まる。

令和8年7月17日の参議院予算委員会では、野党議員から国会出席の少なさを問われ、高市首相は国会出席自体を嫌っているわけではないという趣旨で答えている。

問題は、首相が国会を嫌っているかどうかではない。

首相にしか説明できない問題について、必要な時間を確保したかどうかである。

本人の主観ではなく、実際の出席、答弁、資料提出、再質問への対応によって評価する必要がある。

「国会運営は国会が決める」という説明の限界

令和8年度予算審議において、高市首相は「国会の運営については国会でお決めいただくこと」と答弁した。

同時に、国民生活に支障を生じさせないため、野党にも協力を求め、予算の年度内成立を目指す考えを示した。委員会への出席については、「お呼びがあれば私は参ります」と述べている。

国会の委員会日程を国会自身が決めるという説明は、制度上は正しい。

しかし、現実の国会では、政府提出法案の提出時期、優先順位、首相や閣僚の出席可能日、与党の採決方針などに内閣と与党が大きな影響を持つ。

したがって、国会運営が混乱したときに、「国会が決めること」と述べるだけでは、首相としての政治的責任を十分に説明したことにはならない。

首相が強い衆議院基盤を政策推進の根拠にするのであれば、その日程管理と合意形成についても責任を負うべきである。

政策を進める局面では首相主導を強調し、審議日程が問題になると国会の自主性を持ち出すなら、権限と責任の関係が不均衡になる。

野党軽視と評価できるのか

高市内閣が野党を完全に無視していると断定することはできない。

高市首相は公式には、野党に協力を求め、様々な声に耳を傾けると繰り返している。党首討論や予算委員会にも出席している。

したがって、「野党とは一切対話していない」という批判は事実に反する。

しかし、野党への配慮は、会談や答弁の回数だけで測るものではない。

重要なのは、野党の指摘によって政府案が修正されたか、審議時間が確保されたか、資料が提出されたか、採決前に合意形成が試みられたかである。

令和8年夏の国会では、衆議院比例代表の定数削減法案や副首都構想に関する法案を巡り、野党が欠席する中で与党側が審議を進めたとして、複数の報道機関や公明党関係者から強引な運営との批判が出た。特に、連立政権内の合意を国会に押しつけているとの指摘が紹介されている。

議員定数や選挙制度は、現在の多数派だけに影響する問題ではない。

将来の政党間競争、少数政党の議席、地域代表、民意の反映方法に関わる。

この種の制度変更を、与党内の連立合意を根拠に短期間で進めることは、通常の政策法案以上に慎重でなければならない。

高市内閣が野党の出席を待たずに審議を進めたこと自体は、国会規則上直ちに違法という意味ではない。

しかし、制度変更の性質を考えれば、政治的には合意形成が不十分だったと評価できる。

したがって、「野党軽視」という評価には一定の根拠がある。

ただし、野党側にも、審議拒否や日程闘争を政策内容の検討より優先していなかったかという検証が必要である。

野党が反対するだけで、具体的な修正案や代替案を示さなかった場合には、野党も責任を免れない。

参議院軽視と評価できるのか

参議院軽視を判断するには、三つの要素を見る必要がある。

第一は、参議院の審議時間を十分に確保したか。

第二は、参議院で与党が過半数を持たない状況を踏まえ、事前の協議を行ったか。

第三は、参議院の修正や警告を政策へ反映したかである。

高市首相自身は、衆議院選挙後の会見で、参議院では与党が過半数を持たないことを明確に認め、野党の協力を求めると述べていた。

ところが、実際の国会運営では、衆議院での大きな多数を背景に審議を先行させ、参議院側に限られた時間で処理を求める形になったとの批判が出ている。

衆議院の優越が認められている事項はある。

予算、条約、首相指名では、衆議院の意思が参議院より強く扱われる。

しかし、衆議院の優越は、参議院審議を形式化してよいという意味ではない。

むしろ、憲法が衆議院の優越を個別に定めていることは、それ以外の領域では参議院の意思が独立した意味を持つことを示している。

高市首相の国会運営が、参議院を「衆議院で決めた内容を最終的に通過させる場所」として扱っていたなら、二院制への理解は浅いと評価せざるを得ない。

参議院で与党が過半数を持たないことは、異常事態ではない。

首相に対し、説得、修正、協議を求める政治的条件である。

それを煩わしい制約とみなすか、合意形成の機会とみなすかによって、首相の議会政治家としての力量が表れる。

財務省軽視という評価は、慎重に扱う必要がある

高市首相は「責任ある積極財政」を掲げ、従来の財政再建路線に批判的な経済学者や元日本銀行関係者を政府の会議に起用した。

ロイターは、高市政権が積極財政論者を経済財政諮問会議などに登用し、財務省内に警戒感が生じていると報じている。一方、民間エコノミストからは景気下支えを期待する評価と、金利上昇や円安、財政拡大への歯止めが弱くなるとの懸念の双方が示されている。

ここから確認できるのは、高市首相と財務省の政策的な緊張である。

しかし、これだけで「財務省を軽視している」と断定することはできない。

財務省の見解は、選挙で選ばれた政府が必ず従わなければならない絶対的な答えではない。

財政政策の最終的な決定責任は、官僚ではなく内閣と国会にある。

財務省の財政規律重視に対し、首相が異なる経済理論を採用すること自体は、政治主導として正当である。

問題となるのは、財務省と異なる意見を採用したことではない。

反対意見を十分に検討したか。

金利、物価、為替、国債費、将来の利払い負担について数量的な試算を示したか。

積極財政論者だけでなく、財政規律を重視する専門家も意思決定に参加させたか。

政策が想定どおりに機能しなかった場合の修正基準を設けたか。

これらが重要である。

高市政権が財務省の権限を相対化し、異なる専門家を登用したことは、直ちに問題ではない。

しかし、自らに近い理論だけを選び、反対方向のリスク分析を排除した場合には、科学的な政策形成とはいえなくなる。

現時点の公開情報だけでは、「財務省を軽視した」と断定するより、「財務省の従来路線に対抗する人事と政策枠組みを作った」と表現する方が正確である。

数十年の議員経験は、首相としての力量を保証するか

高市早苗氏は長年にわたり国会議員を務め、複数の閣僚や党役職を経験してきた。

しかし、経験年数と政治的能力は同じではない。

経験年数が長ければ、制度、法案、官僚組織、党内調整に関する知識は一般に増えると考えられる。

一方で、経験が同じ行動様式を強化し、異なる意見への対応を硬直化させる場合もある。

したがって、「数十年議員を務めたのだから、必ず優れた首相になる」という推論は成り立たない。

評価すべきなのは経験年数ではなく、経験から行動が改善したかである。

具体的には、次の点を確認すべきである。

  • 過去の国会混乱から日程管理を学んだか
  • 野党時代に求めていた説明責任を、自らが政権を持った後も守っているか
  • 閣僚経験を通じて、官僚の専門性と政治主導を両立できるようになったか
  • 少数与党や参議院のねじれに対応する協議能力を身につけたか
  • 批判を政策修正へ結びつけているか

令和8年国会で、重要法案の審議が会期末に集中し、首相出席を巡って審議が停滞し、野党欠席下で審議を進める場面が生じたとすれば、長い議員経験が十分な合意形成能力へ転化していない可能性がある。

ただし、一つの国会だけで「何も学んでいない」と断定するのも過剰である。

高市首相が長年の経験から何を学んだかは、本人の内面なので直接確認できない。

客観的にいえるのは、その学びが国会運営の結果として十分に表れていない場面があるということである。

安倍晋三元首相との比較は慎重でなければならない

高市首相は、政策思想、安全保障観、憲法観、積極財政などの点で、安倍晋三元首相の政治的路線を継承する人物として支持されてきた。

しかし、政治的後継者であるかどうかは、思想が似ているだけでは決まらない。

首相としての後継者を名乗るのであれば、選挙戦略、党内統治、官僚統制、外交、野党対応、参議院との関係など、政権運営全体が比較対象になる。

安倍氏も、常に国会を尊重し、野党との合意を重視した首相だったとはいえない。

安倍政権では、安全保障関連法、特定秘密保護法、共謀罪などを巡って、審議の強行や説明不足への厳しい批判があった。

したがって、「安倍氏は常に熟議型で、高市氏だけが強権的である」という比較は正確ではない。

一方、第2次安倍内閣の発足直後には参議院で与党が過半数を持たない、いわゆるねじれ状態が存在した。安倍政権は、平成25年7月の参議院選挙で与党が多数を得るまで、参議院の構成を前提に政権を運営しなければならなかった。安倍氏が長期政権を維持できた背景には、選挙の勝利だけでなく、党内調整、連立相手である公明党との関係、官僚機構の統制、政策の優先順位づけがあった。安倍氏の通算在職期間は憲政史上最長となった。

高市首相と安倍氏の違いとして注目すべきなのは、思想の純度ではなく、政治的な幅である。

安倍氏は強い保守的理念を持ちながらも、政権維持のために公明党、党内各派、官僚、経済界などとの調整を行った。

政策のすべてを一度に実現しようとせず、優先順位をつけ、選挙日程や政権基盤を見ながら進めた。

高市首相が、安倍氏の政策的主張だけを継承し、調整、譲歩、優先順位づけという政権運営の技術を十分に継承していないのであれば、安倍政治の一部分だけを受け継いでいることになる。

「似非安倍後継者」という表現は妥当か

「似非安倍晋三の後継者」という表現は、政治評論として刺激的ではあるが、客観的な分析用語ではない。

「似非」には、本物を装った偽物という人格的な含意がある。

高市首相が意図的に安倍氏を偽装しているという事実は確認できない。

したがって、事実に基づく記事では、この表現を結論として使用することは適切ではない。

より正確な表現は、次のようになる。

「高市首相は安倍氏の政策的理念を継承しているが、安倍政権を支えた合意形成、党内統治、連立調整、参議院対応まで継承できているかには疑問が残る」

これは人格攻撃ではなく、政治的能力の比較である。

安倍氏の後継を評価するなら、安倍氏と同じ言葉を使っているかではなく、安倍氏が実際に行った政権運営を再現できているかを見るべきである。

後継者とは、標語を受け継ぐ人ではない。

理念を現実の制度の中で実行可能な政策に変換できる人である。

数理的な評価枠組み

政治的力量を完全に数値化することはできない。

しかし、評価基準を明示することで、感情的な判断を減らすことはできる。

本稿では、五つの項目を各20点、合計100点として考える。

1.説明責任

評価対象は、首相出席、答弁の直接性、資料公開、訂正、再質問への回答である。

高市首相は国会へ出席し、答弁も行っているため、ゼロ評価にはならない。

一方、出席時間の少なさや首相出席を巡る審議停滞が確認されており、高得点も与えにくい。

暫定評価は10点から12点程度となる。

2.野党との合意形成

野党との会談や党首討論は行われている。

しかし、重要法案を巡り、野党欠席下で審議が進められたことや、強引な運営との批判が与野党から出ている。

暫定評価は7点から10点程度となる。

3.参議院への対応

高市首相は、参議院で与党が過半数を持たないことを認識し、協力を求めている。

一方、衆議院で決めた日程や法案を参議院に処理させる構図が強まり、参議院の独自性を十分に生かしたとは評価しにくい。

暫定評価は7点から10点程度となる。

4.官僚機構と専門性の活用

財務省の従来路線に異論を持つ専門家を登用したことは、政治主導と政策選択の多様化として評価できる。

一方、積極財政の副作用に対する検証が十分かは継続的に確認する必要がある。

暫定評価は11点から14点程度となる。

5.政策実現と日程管理

衆議院で強い基盤を築き、政策実現を推進する能力はある。

しかし、国会日程の混乱、重要法案の会期末集中、野党との対立による審議停滞は減点要素になる。

暫定評価は9点から12点程度となる。

合計すると、44点から58点程度になる。

これは、高市内閣が機能していないという意味ではない。

政策推進力と人事主導は認められる一方、議会運営、合意形成、参議院対応に明確な弱点があるという評価である。

なお、この得点は科学的に証明された絶対値ではない。

評価基準と根拠を公開し、異なる評価者が修正できるようにした分析上の目安である。

高市首相を支持する側から考えられる反論

公平を期すため、高市首相を支持する側の反論も検討する必要がある。

第一に、野党が首相出席を過度に要求し、政策審議を政局化しているという反論がある。

確かに、担当大臣で回答できる内容まで首相出席を求めれば、行政全体の効率が低下する。野党が同じ質問を繰り返したり、審議拒否を交渉手段として常態化させたりする場合には、野党にも責任がある。

第二に、衆議院選挙で圧倒的な信任を得た以上、政策を迅速に実行することが民主的責任だという反論がある。

これも一定の合理性がある。

選挙で公約を掲げて勝利した政権が、野党の反対を理由に何も実施しなければ、選挙結果が政策へ反映されない。

第三に、財務省への対抗は、官僚主導を改めるために必要だという反論がある。

財務省の財政規律論が常に正しいわけではない。経済成長、物価、雇用、災害対応、安全保障などを考えれば、積極財政が合理的な時期もある。

これらの反論は無視できない。

しかし、政策の迅速な実行と国会審議の軽視は同じではない。

政治主導と専門家の排除も同じではない。

首相出席の効率化と説明責任の縮小も同じではない。

高市首相を擁護する場合にも、この区別が必要である。

客観的な総合評価

令和8年7月31日時点で、高市首相について確認できるのは、次のような姿である。

衆議院選挙で大きな勝利を得て、強い政策推進基盤を築いた。

自らの経済・安全保障・国家観を明確にし、従来の政策路線を転換しようとしている。

財務省を含む官僚機構に対し、政治主導を強めようとしている。

この点では、方向性の明確な首相である。

一方、国会運営では、首相出席、野党との協議、重要法案の日程管理、参議院との合意形成に問題が表れている。

特に、衆議院の大きな多数を、政策実現の根拠として強く使う一方、参議院で与党が過半数を持たないという別の民意への対応が十分とはいえない。

高市首相の弱点は、理念がないことではない。

むしろ、理念が強い一方で、それを異なる立場の議員や国民が受け入れられる制度へ変換する政治技術が追いついていないことにある。

数十年の国会議員経験が、政策知識や発信力としては蓄積されている。

しかし、それが首相として必要な譲歩、調整、優先順位づけ、参議院対応へ十分に結びついているかには疑問が残る。

安倍晋三元首相の後継という点でも、政策思想の継承は明確である。

一方、安倍氏が長期政権の中で示した党内統治、連立調整、官僚統制、選挙戦略、政策の優先順位づけまで継承できているとは、現時点では評価しにくい。

したがって、高市首相を「安倍氏の偽物」と人格的に揶揄することは適切ではない。

しかし、「安倍路線の理念は継承しているが、安倍政権の統治技術までは継承できていない」という批判は、一定の事実的根拠を持つ。

結論~強い理念だけでは、首相の力量は完成しない

高市早苗首相は、政治的な方向性が明確であり、選挙で強い衆議院基盤を獲得した。

その事実は正当に評価すべきである。

財務省の方針に無条件で従わず、異なる経済理論を政策へ取り入れようとする姿勢も、それ自体は民主政治における政治主導の一形態である。

しかし、首相の力量は、政策を強く主張する能力だけでは測れない。

反対する野党を説得できるか。

参議院の独自性を尊重できるか。

自分に不利な質問にも答えられるか。

専門家の反対意見を政策へ取り込めるか。

法案を会期内に成立させるため、余裕を持った日程を組めるか。

必要なら修正や撤回を受け入れられるか。

これらが首相としての統治能力を構成する。

高市首相の国会運営には、強い衆議院基盤に依存しすぎ、参議院や野党との合意形成を政策実現の中心に置いていないように見える場面がある。

これは、単なる野党側の不満ではない。

議院内閣制と衆参二院制の下で首相を務める以上、制度上の弱点になり得る。

現時点での客観的評価は、次のようにまとめられる。

高市首相は、理念、発信力、選挙動員、政策転換の意思では強い。

一方、国会調整、少数意見への対応、参議院との関係、重要法案の日程管理では、首相として未成熟な部分を示している。

安倍晋三元首相の後継を評価するなら、安倍氏の政策的言葉を繰り返すだけでは足りない。

安倍氏が長期政権を維持するために身につけた現実的な調整力、優先順位づけ、連立運営、異なる勢力を政権内に取り込む技術まで継承できるかが問われる。

高市首相が今後、参議院と野党を障害ではなく、政策を検証し改善する相手として扱えるか。

財務官僚を敵視するのではなく、異論を含む専門知を政策へ統合できるか。

衆議院の多数を、押し切る力ではなく、より丁寧に説明する責任として使えるか。

それができなければ、高市首相は安倍政治の理念的後継者ではあっても、統治能力を含む実質的な後継者とは評価されにくい。

逆に、この弱点を認識して国会運営を修正するならば、長年の議員経験が首相としての学びへ転化したと評価できる。

結論は、今後の行動によって変わり得る。

それこそが、人物への好き嫌いではなく、反証可能な事実に基づいて政治家を評価するということである。

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令和8年7月28日現在、高市早苗首相は強い政治基盤を持つ首相である。

令和8年2月8日の衆議院議員総選挙では、自由民主党と日本維新の会を合わせた与党が352議席を獲得した。高市首相自身も、この結果を重要政策の転換について国民から信任を受けたものと位置づけている。一方で、高市首相は選挙直後の会見において、参議院では与党が過半数を有していないことを認め、野党に協力を求めながら「様々な声に耳を傾け、謙虚に」政権を運営すると述べていた。

問題は、その言葉と実際の国会運営との間に、看過できない距離が生じていることである。

衆議院で圧倒的多数を得たからといって、内閣が国会より上位に立つわけではない。まして、参議院の異論を障害物のように扱い、首相自身が国会審議への出席を抑え、与党内の決定を国会に追認させようとするならば、それは「強い政治」ではない。

むしろ、日本の統治制度に対する理解が十分でない、稚拙な国会運営と評価されても仕方がない。

高市首相への批判は、保守かリベラルかという問題ではない

高市首相を支持する人の中には、野党の質問を「揚げ足取り」と考え、長時間の国会審議を政策実行の妨げだと感じる人もいるだろう。

国際情勢が緊迫し、物価高や人口減少への対応も急がれる中、迅速な意思決定を求めること自体は理解できる。政府が何も決められず、先送りを繰り返す政治が望ましくないことも事実である。

しかし、迅速な決定と、異論を排除した決定は同じではない。

本来の保守政治とは、制度を壊してでも指導者の意思を通す政治ではないはずである。長い時間をかけて形成されてきた議会制度、権力分立、慎重な審議、少数意見の尊重を守ることこそ、制度を重視する保守主義の基本ではないか。

自分が支持する政治家が権力を握っているときだけ、議会の歯止めを邪魔だと考えるのは危険である。

今日、高市首相のために弱めた国会の統制は、将来、自分が強く反対する首相によって利用される可能性がある。制度とは、信頼できる指導者だけを想定して設計するものではない。信頼できない指導者が現れても権力の暴走を防げるように設計するものである。

したがって、高市内閣の国会運営を批判することは、高市氏の政治思想が好きか嫌いかという問題ではない。

日本の立憲政治を長期的に維持できるかという問題なのである。

議院内閣制は、内閣が国会を支配する制度ではない

日本は議院内閣制を採用している。

議院内閣制では、内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決によって指名され、内閣は国会に対して連帯して責任を負う。

ここで重要なのは、首相が国民から直接選ばれる大統領ではないという点である。

衆議院選挙で自由民主党を中心とする与党が勝利したとしても、それによって高市首相個人が国会を超越する権限を得たわけではない。首相は国会から独立した直接公選の統治者ではなく、国会によって指名され、国会に説明し、国会の審議を通じて統制を受ける立場にある。

高市首相は、令和8年1月の衆議院解散に際し、「高市早苗が内閣総理大臣で良いのかどうか」を国民に決めてもらうという趣旨の説明を行った。さらに、前回の衆議院選挙では掲げられていなかった重要政策について信を問うと述べている。

選挙によって政策の信任を問うこと自体には合理性がある。

しかし、この説明には注意が必要である。

日本の衆議院選挙は、首相個人を選ぶ選挙ではない。全国の小選挙区と比例代表で、それぞれの候補者と政党を選ぶ選挙である。有権者が自由民主党候補に投票した理由も、高市首相への支持だけとは限らない。地元候補への評価、野党への不信、経済政策、安全保障政策、政党組織、消去法による選択など、複数の理由が考えられる。

したがって、与党の大勝を「高市首相のあらゆる政策と国会運営が全面的に承認された」と読み替えることはできない。

選挙で得られるのは、一定期間政権を担当するための政治的基盤であって、国会審議を省略する権利ではない。

衆議院の圧勝だけで国民全体の意思を代表したことにはならない

高市内閣の国会運営を考えるうえで、衆参二院制の意味を改めて確認する必要がある。

国会には衆議院と参議院がある。

衆議院には解散があり、任期も参議院より短い。このため、直近の民意を反映しやすい。一方、参議院には解散がなく、議員の任期は6年で、3年ごとに半数が改選される。

この違いは偶然ではない。

一時的な政治状況や選挙の熱気だけで国の重要政策が決められないように、異なる選出時期と任期を持つ二つの議院が、相互に審議を重ねる仕組みとなっている。

衆議院で大勝した政権にとって、参議院の異論は確かに煩わしく感じられるかもしれない。しかし、その「煩わしさ」こそが二院制の機能である。

参議院が衆議院と常に同じ結論を出すのであれば、二つの議院を置く意味は薄い。衆議院の多数派が見落とした問題を指摘し、法案を修正し、政府に再考を迫ることが、参議院の重要な役割である。

令和8年2月の選挙後、与党は衆議院で352議席という圧倒的多数を得たが、参議院では過半数を有していない。高市首相自身も、この事実を認めている。

これは政治的な矛盾ではない。

異なる時期の選挙で示された、異なる民意が同時に存在しているのである。

高市内閣は、直近の衆議院選挙だけを本物の民意とみなし、参議院の構成を過去の民意として軽視してはならない。参議院議員もまた、正当な選挙によって選ばれた国民の代表である。

参議院で与党が過半数に達していないという事実は、「政策を邪魔する野党が多い」という意味ではない。

政府に対し、より丁寧な説明、合意形成、修正、譲歩を求める制度上の条件なのである。

予算の年度内成立を逃した責任を、参議院だけに転嫁できない

令和8年度予算を巡る国会運営は、高市内閣の制度理解と調整能力を考えるうえで象徴的であった。

高市首相は令和8年1月23日に衆議院を解散し、2月8日に総選挙を行った。その後、第2次高市内閣が2月18日に発足し、施政方針演説は2月20日に行われた。

当然ながら、年度開始までに残された予算審議の日程は厳しくなった。

政府は予算案の年度内成立を目指したが、最終的には年度内成立を断念し、11年ぶりとなる暫定予算が編成された。参議院は令和8年3月30日に暫定予算を議決し、本予算は4月7日に成立した。

もちろん、予算審議が長引いた責任のすべてが内閣にあるわけではない。

野党側の審議戦術、質問の重複、政党間対立なども検証されるべきである。国会審議を引き延ばすことだけを目的とした対応があったなら、野党も批判を免れない。

しかし、高市内閣が自ら衆議院を解散し、選挙日程によって予算審議期間を圧縮したことも動かせない事実である。

高市首相は予算委員会で、国会の運営は国会が決めるものだと答弁し、野党に協力を求めた。

形式的には正しい。

だが、内閣が自ら作り出した厳しい日程の中で、野党や参議院に「国民生活のために協力してほしい」と迫るだけでは、責任ある調整とはいえない。

政府には、十分な審議時間を確保できる日程を組む責任がある。与党には、野党が納得できる資料を早期に提出し、修正協議に応じる責任がある。首相には、国会に出席し、政策の根拠と解散の判断について自ら説明する責任がある。

圧倒的な衆議院議席を獲得するために解散を行い、その結果として予算審議が窮屈になったのであれば、まず内閣自身がその政治的費用を引き受けなければならない。

参議院に審議短縮を求めることで帳尻を合わせようとするなら、それは二院制を尊重した運営ではない。

「国会運営は国会が決める」という答弁だけでは責任を果たせない

高市首相は国会で、予算の審議方針を含む国会運営は国会が決めるものだと繰り返し述べている。

この説明は、国会と内閣の形式的な関係としては間違いではない。

しかし、現実の国会運営において、政府・与党と首相官邸が大きな影響力を持っていることは否定できない。政府提出法案の優先順位、法案提出の時期、首相や閣僚の出席、与党の審議方針などは、内閣と与党の判断に大きく左右される。

都合のよいときには「選挙で信任を得た」と強い指導力を強調し、審議が停滞すると「国会の運営は国会が決める」と距離を置くのでは、一貫性を欠く。

権限を行使するときには首相主導を掲げ、説明責任を問われたときだけ国会の自主性を持ち出すなら、それは責任ある議院内閣制の運用ではない。

議院内閣制における首相の指導力とは、国会を避ける能力ではない。

国会に出て批判を受け、異なる立場の議員を説得し、必要な修正を受け入れながら、最終的な合意を形成する能力である。

首相の国会出席を抑えることは「効率化」ではない

令和8年の終盤国会では、高市首相の国会出席の少なさが争点となった。

報道によれば、野党は高市首相の予算委員会などへの出席を求め、これに政府・与党が応じない状態が続いたため、国会審議が一時停滞した。与党側は定数削減法案や副首都法案などの成立を目指していたが、野党側は首相出席を求めて反発した。

7月15日には高市首相と野党6党首による党首討論が行われ、7月17日には参議院予算委員会で集中審議が実施された。

首相がすべての委員会に常時出席する必要はない。

外交、危機管理、行政全般の統括など、首相の職務は広範である。各省の専門的問題には、担当大臣が答えることが合理的な場合も多い。首相出席を過度に要求し、同じ質問を何度も繰り返すことが、国会審議の質を高めるとは限らない。

この点は野党側も自制すべきである。

しかし、予算、国家の基本政策、内閣の統治姿勢、衆議院解散の判断、重要な制度改革などは、担当大臣だけでは完結しない。内閣全体の方針と首相自身の政治判断が問われる問題である。

そうした場面で首相が出席を避け、閣僚による答弁で済ませようとすれば、議院内閣制における内閣の国会責任が形骸化する。

高市首相の支持者は、「首相を国会に縛りつけるより、外交や政策実行に専念させるべきだ」と考えるかもしれない。

だが、国会で説明することは、政策実行とは別の雑務ではない。

国会答弁そのものが首相の本務である。

国会への説明を負担としか考えないのであれば、それは議院内閣制の首相ではなく、議会の統制を受けない執行権力を求める発想に近づいてしまう。

法案を多く成立させることだけが、国会運営の能力ではない

政府・与党は、法案を成立させることを国会の成果として強調しがちである。

確かに、内閣には政策を実行する責任がある。審議だけを続け、何も決められない国会が望ましいわけではない。

しかし、成立した法案の数や処理の速さだけで国会運営を評価することはできない。

重要なのは、なぜその制度が必要なのか、既存制度では対応できないのか、どのような副作用があるのか、誰が利益を得て誰が負担するのか、修正可能性はあるのかという検討である。

高市首相は6月22日の与党党首会談後、皇室典範改正、議員定数削減、副首都法案などを今国会で成立させたいとの考えを示した。副首都構想については「我が国初の統治機構改革」であり、極めて大きな意義を持つと評価している。

それほど重要な統治機構改革であるなら、なおさら短期間で成立を急ぐべきではない。

副首都の権限、財源、対象地域、国と地方の関係、災害時の指揮命令系統、既存自治体への影響など、検討すべき論点は多い。議員定数削減も、単なる「身を切る改革」という印象だけで決められる問題ではない。議員数を減らせば、少数地域や少数意見の代表が国会に届きにくくなる可能性がある。

自ら「大改革」と位置づける法案を、会期末までに成立させること自体を目的化するならば、政治日程が制度設計より優先される。

これは大胆な改革ではない。

拙速な改革である。

多数派は、少数派の発言権を消すために存在するのではない

民主主義では、最終的に多数決が必要となる。

すべての政党が完全に合意するまで何も決められないとすれば、統治は機能しない。選挙で多数を得た政党が政策を実行することには、明確な民主的正当性がある。

しかし、多数決は民主主義の出発点ではなく、議論を尽くした後の最終手段である。

少数意見に耳を傾けるとは、野党に発言時間を与えれば済むという意味ではない。反対意見の中に合理的な指摘があれば、法案を修正し、場合によっては撤回することである。

政府が最初に決めた結論を一切変えず、質問に答え、採決まで待つだけなら、それは「聞いた」という形式を整えただけである。

本当に耳を傾けたかどうかは、結論や制度設計が変わったかによって判断される。

高市首相は選挙後、「様々な声に耳を傾け、謙虚に」政権運営を行うと明言した。

この言葉を空文にしないためには、野党との協議内容、政府案を修正した理由、修正を拒否した理由を公開しなければならない。

反対意見を「抵抗勢力」「既得権益」「反日」「左翼」などの言葉で一括して排除する態度は、政策の中身を検討することを放棄している。

同様に、高市首相を支持する人々を一括して無知、極右、低水準などと決めつけることも適切ではない。支持者の中には、安全保障、経済政策、エネルギー政策、国家観などについて、具体的な理由から高市氏を評価する人もいる。

必要なのは、支持者を侮辱することではない。

高市首相を本当に支持するのであれば、耳に心地よい言葉だけを求めるのではなく、その国会運営が日本の制度を強くしているのか、それとも首相個人への権力集中を進めているのかを問い直すことである。

参議院の抵抗は「民意への反逆」ではない

高市内閣に批判的な参議院議員の行動を、衆議院選挙の結果に逆らうものと見る意見もある。

しかし、参議院は衆議院の補助機関ではない。

参議院は独自の選挙によって構成される国会の一院であり、予算、法案、条約、決算、行政監視などに関する固有の役割を持つ。

令和8年7月には、参議院が令和6年度決算について内閣への警告を議決した。参議院の説明によれば、この警告は政府による不当・不適正な事象や非効率な予算執行などに対し、国会の立場から遺憾の意を示す制度である。

決算審査は、すでに使われた税金が適正だったかを検証するものである。

予算を成立させて終わりではなく、実際の支出を検証し、問題があれば政府に警告する。これは、行政権を監視する国会の基本的な役割である。

参議院が政府に異論を述べることは、政治の停滞ではない。

権力の監視が機能している証拠である。

もちろん、参議院の判断が常に正しいわけではない。野党が多数を利用して党利党略に走る可能性もある。参議院側の主張も、財源、制度設計、実現可能性によって検証されなければならない。

それでも、衆議院の多数と異なるという理由だけで参議院の意見を否定することは、二院制そのものを否定することになる。

高市内閣の問題は「強すぎること」ではなく、強さの使い方にある

高市首相が強い政治的指導力を持つこと自体を否定する必要はない。

政権の目標を明確に示し、行政組織を動かし、政策を実行する能力は、首相に必要である。高市内閣の支持者が、従来の曖昧な政治よりも明確な意思決定を評価することにも理由がある。

問題は、その強さがどこに向けられているかである。

官僚機構の縦割りを打破するために使われるのか。

既得権益を検証するために使われるのか。

国民に説明しにくい政策についても正面から語るために使われるのか。

それとも、国会審議を短縮し、反対意見を退け、首相への質問を避けるために使われるのか。

本当に強い首相は、批判から逃げない。

自分に不利な資料も公開し、反対党の議員から厳しい質問を受け、誤りがあれば認め、必要なら政策を修正する。

一方、議席数を盾にして説明を避ける政治は、外見ほど強くない。反論に耐えられないから、審議を避けるのではないかという疑念を生む。

高市内閣の国会運営に見られる稚拙さとは、単に言葉遣いや政局対応が未熟だという意味ではない。

衆議院の多数を政策実現の道具としては重視する一方、参議院の異論、野党の質問、首相自身の説明責任を、政策実行を遅らせる負担として扱っているように見える点にある。

これは議院内閣制への理解として不十分である。

野党にも問われる責任

高市内閣を批判するだけでは、公正な議論にはならない。

野党にも責任がある。

首相出席を求めるのであれば、首相にしか答えられない論点を明確にしなければならない。担当大臣で回答可能な細部まで首相に答弁させることは、国会審議の効率を下げる。

政府案に反対するなら、単に成立を阻止するだけでなく、具体的な修正案、財源、実施方法を示す必要がある。審議拒否や採決引き延ばしを目的化すれば、野党もまた国会を政局の道具にしていることになる。

高市首相への人格攻撃や、支持者への侮辱も慎むべきである。

野党が高市氏を批判する際には、発言の切り取りではなく、政策、予算、答弁、法案提出時期、国会出席、修正協議への対応といった検証可能な事実に基づくべきである。

高市内閣の国会運営を改善するには、政府だけでなく、野党側にも議論の質を高める努力が求められる。

高市首相に求められる五つの改善

今後、高市首相が国会運営への懸念を払拭するためには、少なくとも次の対応が必要である。

第一に、首相出席の基準を明確にすることである。

予算の基本方針、外交・安全保障、統治機構改革、解散権の行使、内閣全体の不祥事など、首相自身が答えるべき論点をあらかじめ整理し、合理的な範囲で国会出席を確保する必要がある。

第二に、参議院を「法案を通すための最後の関門」と考えないことである。

法案提出前から参議院各会派と協議し、修正可能な部分を明示する。衆議院通過後に形式的な説明をするだけでは、二院制を尊重したことにはならない。

第三に、政府案を変更した経緯を公開することである。

野党や専門家の意見を受けて、どの条文を、なぜ修正したのかを国民に示す。これによって「耳を傾ける」という言葉が実質を持つ。

第四に、重要法案を会期末に集中させないことである。

統治機構、皇室制度、議員定数などに関する法案は、成立日程から逆算するのではなく、必要な審議時間から逆算して提出すべきである。

第五に、選挙の勝利を無限定な白紙委任と解釈しないことである。

与党に投票しなかった有権者、参議院選挙で異なる政党を選んだ有権者、選挙後に政策への疑問を持った有権者も、等しく主権者である。

高市首相を支持する人にこそ考えてほしい

高市首相を支持しているからこそ、国会での説明を求めるべきである。

支持する政治家に厳しい説明責任を求めることは、裏切りではない。

無条件に擁護し、批判をすべて敵意として排除することの方が、長期的にはその政治家を弱くする。間違いを指摘する人が周囲からいなくなれば、政策判断は修正されず、失敗したときの損害が大きくなる。

高市首相の政策が本当に優れているのであれば、参議院の審議にも、野党の追及にも、専門家の批判にも耐えられるはずである。

反対意見を聞くことは、政策を弱めることではない。

政策の欠陥を事前に発見し、実施後の失敗を減らすための作業である。

企業経営でも、医療でも、工学でも、重大な判断ほど複数の立場から検証する。異論を排除し、一人の指導者の直感だけで決める組織は、短期的には速く見えても、大きな誤りを起こしやすい。

国家運営だけが例外であるはずはない。

結論~強い国会なくして、強い国家はない

高市早苗首相は、令和8年2月の衆議院選挙で大きな政治的基盤を得た。

その勝利には正当な重みがある。高市内閣が公約に掲げた政策を実行しようとすることも、議会制民主主義の一部である。

しかし、衆議院の圧倒的多数は、参議院を軽視する権利でも、少数意見を無視する権利でも、首相が国会への説明を避ける権利でもない。

日本の国会は、政府の政策を効率よく通過させるための機関ではない。

国民を代表する議員が、政府の判断を検証し、修正し、必要なら拒否するための機関である。

高市内閣の国会運営に対する最大の懸念は、政策内容が保守的であることそのものではない。

選挙で得た多数を、熟議を省略する根拠として用い、参議院や少数意見を政策実行の障害として扱いかねない姿勢である。

それは本当の保守政治ではない。

制度より指導者を優先し、議会より官邸を優先する政治である。

高市首相が「様々な声に耳を傾け、謙虚に」政権を運営するという自身の言葉を本気で守るのであれば、まず国会に向き合わなければならない。

反対意見を聞き、質問に答え、法案を修正し、参議院との合意形成に時間を使うべきである。

それは政治の弱さではない。

異なる民意を一つの国家意思へまとめる、議会政治の最も困難で、最も重要な仕事である。

強い首相だけでは、強い国家はつくれない。

強い国会、独立した参議院、政府に遠慮なく質問できる野党、そして支持する政治家にも批判的な目を向けられる国民がそろって、初めて民主国家は強くなるのである。

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