地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

田中真紀子はなぜあれほど人気を集め、そして急速に政治の中心から離れたのか

2001年の日本政治を振り返ると、首相になったわけでもない一人の政治家が、政権そのものの印象を左右していたことに気づく。

田中真紀子である。

正確には田中眞紀子。田中角栄元首相の長女として政界入りした彼女は、政治家としての経歴だけを見れば、長期間にわたり政権を支配したわけでも、自らの名前を冠した巨大な制度改革を残したわけでもない。それにもかかわらず、2001年前後の田中の存在感は、一人の閣僚という範囲を明らかに超えていた。

テレビに映ればニュースになり、街頭に立てば人が集まり、彼女が誰かを評すれば、その言葉が翌日の新聞見出しになった。政治に詳しくない人までが田中の話を聞き、彼女が既成政治を批判すると、「よく言ってくれた」と感じる人がいた。

ところが、その絶頂は長く続かなかった。

2001年4月に日本初の女性外務大臣として小泉純一郎内閣に入閣した田中は、翌2002年1月には更迭される。同年には衆議院議員を辞職し、わずか一年ほど前まで政権の象徴の一人だった政治家が、急速に永田町の中心から外れていった。

もっとも、ここで誤解してはいけない。

田中真紀子は2002年を境に政治から消えたわけではない。2003年には無所属で衆議院議員に返り咲き、その後も国政に残った。2009年には民主党に入り、2012年には野田佳彦内閣で文部科学大臣として再入閣している。

したがって、本稿でいう「政治の中心から離れた」とは、国会議員でなくなったという意味ではない。

2001年当時のように、田中の発言や去就そのものが政権の支持や政治日程に影響するほどの、全国政治の中心的存在ではなくなったという意味である。

では、なぜ田中真紀子はあれほどの人気を集め、その人気を長期的な政治権力へ変えることができなかったのだろうか。

そこには本人の個性だけでは説明できない、1990年代から2000年代初頭という時代そのものが横たわっている。

「田中角栄の娘」だけでは、あの人気は説明できない

田中真紀子を語るとき、父・田中角栄を避けて通ることはできない。

田中角栄は、戦後日本政治の中でも特異な巨大政治家だった。道路を造り、新幹線を引き、地方へ公共事業を導き、「日本列島改造論」を掲げたその政治は、高度経済成長期の日本が抱いていた上昇への欲望と重なっていた。

その娘が1993年の衆議院選挙で初当選したのだから、政治的知名度という点で田中真紀子が最初から圧倒的に有利だったことは否定できない。

だが、父の名前だけで2001年前後の熱狂まで説明することは難しい。

むしろ興味深いのは、父と娘がまったく異なる方法で大衆と結びついたことである。

田中角栄の政治は、道路、鉄道、予算、公共事業という目に見える利益を地方へ配分することによって支持を形成した。それに対して田中真紀子が有権者に与えたものは、道路でも補助金でもなかった。

彼女が提供したものは、「政治に対して自分たちが感じている不満を、代わりに言葉にしてくれる」という感覚だった。

1998年の自由民主党総裁選で、小渕恵三を「凡人」、梶山静六を「軍人」、小泉純一郎を「変人」と評した有名な言葉は、その特徴をよく表している。

この三語には政策論がほとんどない。

しかし政治家の人物像は、一瞬で伝わる。

複雑な派閥力学や政策思想を知らなくても、「凡人・軍人・変人」なら誰にでも分かる。田中は永田町の複雑な出来事を、普通の人が理解できる人物劇へ変換する能力を持っていた。

政治を「翻訳する政治家」だったのである。

田中真紀子を必要とした1990年代

しかし、優れた話術を持つ政治家なら、それ以前にもそれ以後にもいた。

田中人気を理解するには、彼女の能力だけではなく、彼女を必要とした時代を見る必要がある。

1990年代の日本は、政治に対する信頼が大きく揺らいだ時代だった。

バブル経済が崩壊し、長い経済停滞が始まった。1993年には自民党が一時政権を失い、その後も新党の結成と解散、政党の合流と分裂が繰り返された。官僚不祥事も続き、それまで日本を支えてきたはずの政治家、官僚、金融機関、大企業への信頼が少しずつ崩れていった。

それでも永田町では、派閥、人事、政局という一般国民には理解しにくい論理が動いているように見えた。

そこに田中真紀子が現れた。

彼女は「政治とは複雑なものだから仕方がない」とは言わなかった。

むしろ、その複雑さ自体を笑った。

政治家をあだ名のような言葉で評し、官僚の論理を茶化し、自民党内部にいながら自民党の古さを批判する。

その姿は、政治家というより、ときに永田町へ送り込まれた国民代表の評論家のように映った。

この時代背景を考えれば、田中人気は本人の話術だけによって生まれたものではない。

「既成政治を信用できない」という社会側の需要と、「既成政治を分かりやすく批判できる」という田中の能力が一致した結果だったと考える方が合理的である。

人気を一つの原因だけで説明するのではなく、田中角栄という政治的資産、本人の言語能力、テレビという媒体、政治不信の拡大、自民党への閉塞感が重なった結果として考えるべきだろう。

テレビ政治と田中真紀子

さらに、田中真紀子の政治家としての性格は、テレビという媒体と非常に相性がよかった。

テレビは長い政策説明より、一瞬で意味が伝わる言葉を好む。

財政政策について十分間説明する政治家より、「この人は凡人です」と一言で言う政治家の方が映像として強い。

田中には表情があり、声に抑揚があり、言葉に毒があった。

だから発言の一部を切り取ってもニュースになる。

これは政策能力とは別の能力である。

政治家の人気を考える場合、本来なら「政策形成能力」「組織管理能力」「選挙能力」「説明能力」「メディア適応能力」といった複数の能力を分けて考えなければならない。

田中が突出していたのは、その中でも説明能力とメディア適応能力だった。

ところが視聴者から見ると、その区別は見えにくい。

分かりやすく話す政治家は、政治そのものにも強そうに見える。

ここに、後に田中政治が直面する問題の萌芽があった。

人気は政治家を権力の入口まで運ぶ。

しかし、人気と統治能力は同じものではない。

小泉純一郎と田中真紀子という「最強の組み合わせ」

2001年、この田中人気を最大限に利用した政治家が小泉純一郎だった。

森喜朗政権末期、自民党に対する閉塞感は極めて強かった。そこへ小泉は、「自民党を変える」「自民党をぶっ壊す」という、従来の自民党総裁候補とは異なる姿勢で登場した。

田中は小泉支持に回った。

ここで二人の政治スタイルが奇妙なほど一致する。

小泉は政治を「改革する側」と「抵抗する側」という物語に変えた。

田中もまた、「普通の国民」と「古い永田町」という構図で政治を語ってきた。

政策の内容まで同じだったわけではない。

しかし政治を複雑な利害調整ではなく、分かりやすい対立として示すという方法では非常によく似ていた。

田中の人気が小泉総裁選勝利のどれほどを説明するのかを数量的に分離することはできない。総裁選の結果には地方票、小泉自身の人気、森政権への反発、党内事情など多くの要因が存在するからである。

それでも、田中が小泉陣営に「古い自民党と闘う」という象徴性を加えたことは否定しにくい。

そして2001年4月、小泉が首相になると、田中真紀子は外務大臣に就任した。

政治を批判する人から、政治を実際に動かす人へ。

ここで、田中真紀子の政治人生は大きく変わった。

外から批判する政治と、中から動かす政治

外務省は当時、決して平穏な組織ではなかった。

機密費をめぐる不祥事などによって国民の信頼を失い、組織改革を迫られていた。田中が「外務省改革」を掲げたこと自体には、十分な社会的背景があった。

さらに、その後の外務省自身の調査でも、鈴木宗男衆議院議員と外務省との関係について、行政の公平性や透明性への疑念を招く問題が存在していたことが認められている。

外務省はその関係を、「社会通念に照らしてあってはならない異常な状態」とまで総括した。

したがって、田中が外務省と政治家との関係に問題意識を持ったこと自体を、単なる思い込みや感情的反発として処理するのは公平ではない。

実際に改革すべき問題は存在していたのである。

しかし、ここからが難しい。

問題を発見する能力と、問題を解決する能力は同じではない。

政治家が役所の外から官僚を批判するなら、「ここがおかしい」と指摘するだけでも政治的意味がある。しかし大臣になれば、その役所は翌朝から自分が動かさなければならない組織になる。

昨日批判した官僚とも会議をしなければならない。

外交日程を組み、人事を決め、外国政府と交渉し、国会へ答弁し、首相官邸とも調整する。

外務省という巨大組織を改革するには、問題を暴くだけでは足りない。

組織内部に協力者をつくり、制度を変更し、その制度を継続して動かす必要がある。

田中の政治手法は、対立点を鮮明にする局面では非常に強かった。

一方で、対立した相手を含む組織を内部から動かさなければならない局面では、大きな摩擦を生じさせた。

これは田中個人の人格を断定する話ではない。

政治手法と役職との適合性の問題である。

「既成組織を批判する政治家」として効果的だった方法が、「既成組織を使って政策を実行する大臣」になったときには、必ずしも同じ成果を生まなかったのである。

NGO問題では、何が確定しているのか

その矛盾が最も大きく表面化したのが、2002年1月のアフガニスタン復興支援国際会議をめぐる問題だった。

NGO(Non-Governmental Organization・非政府組織)の会議参加をめぐり、田中外相と外務省事務方との説明が食い違った。

田中側は鈴木宗男議員の関与を問題視した一方、外務省側とは事実認識に相違が生じ、国会審議まで混乱することになる。

ここは、後から振り返るほど慎重に区別しなければならないところである。

鈴木宗男氏と外務省との関係に問題が存在していたこと自体は、その後の外務省調査によって確認されている。

しかし、それによって、このNGO参加問題について田中の認識がすべて正しかったと証明されたわけではない。

「外務省と政治家との間に不適切な関係が存在した」という事実と、「この個別案件がその政治的圧力によって決定された」という事実は同じではない。

後者については当事者の説明に食い違いが残った。

田中真紀子の外相時代を公平に評価するなら、「彼女の問題意識には根拠があった」ということと、「個々の判断や行政運営が適切だったか」ということを分けて考えなければならない。

批判対象に問題があったからといって、批判する側のすべての判断が正しくなるわけではない。

逆に、行政運営に混乱を生じさせたからといって、指摘していた問題まで存在しなかったことになるわけでもない。

田中真紀子をめぐる評価が今も分かれる理由の一つは、この二つがしばしば混同されるからだろう。

2002年1月29日、更迭

国会の混乱が続く中、小泉首相は2002年1月29日、田中外相を更迭した。

政府は後の国会答弁で、特定の一発言への処分というより、NGO問題をめぐって国会審議が混乱した状況を収拾し、審議を正常化するための判断だったと説明している。

それでも国民の側から見れば、別の物語が成立した。

古い自民党や官僚組織と闘っているように見えた田中が、その政治の内部から排除された。

小泉も結局、既存組織に妥協したのではないか。

その印象が政権に大きな打撃を与えた可能性は高い。

実際、時事通信の世論調査では、小泉内閣の支持率は2002年1月の67.8%から、2月には46.5%へ低下した。

下落幅は21.3ポイントに達する。

相対的に見れば、直前の支持率水準の約31%に相当する極めて大きな落ち込みだった。

ただし、この数字を扱う場合には注意が必要である。

時間的には、田中更迭と支持率急落がほぼ同時に起きている。

しかし、「更迭後に支持率が21.3ポイント下がった」という観測事実と、「田中を更迭したため21.3ポイント下がった」という因果関係は同じではない。

当時の政治状況には、外務省問題そのものへの不信や経済状況、政権運営への評価など複数の変数が存在した。

田中を更迭しなかった場合の小泉内閣支持率を観測することはできない以上、21.3ポイントのすべてを田中更迭の効果とみなすことはできない。

それでも、下落の時期と大きさを考えれば、更迭が小泉政権にとって重要な政治的転機の一つだったと評価することには十分な合理性がある。

つまり、田中真紀子は一閣僚だったにもかかわらず、その去就が政権全体の「改革イメージ」と結びつくほど大きな存在になっていたのである。

それでも「改革者の悲劇」だけでは終わらなかった

もし田中が外相を更迭されただけなら、その後も「官僚機構に抵抗して排除された改革者」という物語によって、人気を維持した可能性はあった。

しかし、その年、政治状況はさらに変わる。

公設秘書給与をめぐる疑惑が浮上し、自民党は田中に2年間の党員資格停止処分を決めた。田中は不正を否定したが、2002年8月には衆議院議員を辞職する。

重要なのは、その後の司法判断である。

東京地方検察庁は最終的に田中を起訴せず、2003年には不起訴となった。

したがって、この問題を「田中真紀子が秘書給与を不正に取得した事件」と断定するのは適切ではない。

疑惑が政治問題化したことと、犯罪が立証されたことは別である。

しかし、政治の時間は司法判断より速く進む。

外相を更迭された政治家が、その数カ月後には党から処分され、さらに国会議員を辞職した。

2001年春から見れば、わずか一年余りである。

この速度が、「田中真紀子は突然消えた」という後世の印象をつくった。

ただし実際には、ここで政治生命が終わったわけではなかった。

田中真紀子は、一度消えてから戻ってきた

2003年の衆議院選挙で、田中は無所属として新潟5区から出馬し、当選する。

これは重要な事実である。

もし2001年の田中人気がテレビだけによってつくられた一時的な現象だったなら、一度議員を辞めた後に選挙で国政へ戻ることは容易ではない。

少なくとも地元には、なお相当な政治基盤が残っていた。

そこには田中角栄以来の後援基盤、田中本人への支持、外相更迭への同情など、複数の要因が作用していたと考えるべきだろう。

その後、田中は2009年に民主党へ入党する。

田中角栄の娘が、自民党から政権を奪おうとしていた民主党に加わったという出来事には、日本政治の30年間を凝縮したような皮肉があった。

そして民主党政権下の2012年10月、野田佳彦第3次改造内閣で文部科学大臣となる。

外相更迭から約10年。

田中真紀子は再び大臣として中央政治へ戻ったのである。

だから、田中真紀子の政治人生を「2002年に失脚して終わった」と書くのは正確ではない。

本当に問うべきなのは、なぜ復活したにもかかわらず、2001年当時のような圧倒的な政治的存在感を取り戻すことができなかったのか、ということである。

文部科学大臣でも繰り返された「問題提起と実施」の距離

2012年、田中文部科学大臣は再び大きな論争を起こした。

大学設置・学校法人審議会が設置を認める答申を出していた三大学について、田中は当初、認可しない方針を表明した。

背景には、少子化にもかかわらず大学数が増えてきたことや、大学設置行政そのものを見直す必要があるという問題意識があった。

この問いそのものは、その後の日本社会を考えても無意味ではない。

人口が減り、18歳人口も減少する中で、大学の数と教育の質をどう考えるのかは現在まで続く政策課題だからである。

しかし、制度全体を改革すべきだという問題意識と、現行制度に従って長期間準備を進め、審議会の答申まで得た個別大学を認可しないことは別問題だった。

学生募集を予定していた大学や受験生に混乱が広がり、国会でも大きな問題となる。

最終的に田中は方針を変更し、三大学は認可された。

ここには、外相時代とある程度共通する構造を見ることができる。

既存制度に対する問題点を発見し、それを強い言葉で提示するところでは田中の政治は大きな注目を集める。

しかし、その問題を現行制度の中でどう処理し、どの順序で制度改革へつなげるかという段階になると、大きな摩擦が起きる。

一度だけなら偶然かもしれない。

しかし外務大臣時代と文部科学大臣時代という、約10年離れた二つの局面で似た現象が見られたことを考えれば、「田中の政治手法には、問題提起の強さに比べて制度的実装の段階で摩擦が大きくなりやすい傾向があった」という仮説には一定の説明力がある。

ただし、それは田中という人物の性格を心理的に断定することとは違う。

政治家として観察された行動パターンについての評価である。

2012年の落選だけを、田中人気の消滅とは読めない

2012年12月の衆議院選挙で、田中は新潟5区から民主党候補として出馬した。

得票は5万1503票。

自民党の長島忠美は8万0488票を獲得し、田中は敗れた。

票差は2万8985票であり、決して僅差ではなかった。

この選挙を境に、田中は国会議席を失い、その後、再び国政の中心へ戻ることはなかった。

しかし、ここでも原因を単純化すると歴史を読み違える。

2012年の衆議院選挙は、民主党政権全体が猛烈な逆風を受けた選挙だった。

2009年の政権交代で308議席を得た民主党は、この選挙で大幅に議席を失う。

したがって田中の落選を、田中個人への評価だけで説明することはできない。

個人人気の低下、民主党政権への失望、自民党への政権回帰、選挙区事情などが同時に作用した結果と考える方が妥当である。

田中真紀子の政治人生は、いつも一つの原因で説明することが難しい。

人気が出たときもそうだった。

人気を失ったときもそうだった。

なぜ人気を「権力」に変えられなかったのか

ここまでを振り返ると、田中真紀子という政治家の特徴が少し違って見えてくる。

「毒舌だから人気が出て、毒舌だから失敗した」という説明では不十分である。

田中人気を形成した要因は少なくとも複数存在していた。

父・田中角栄から受け継いだ圧倒的な知名度と選挙基盤があり、1990年代の政治不信があり、テレビ政治の発達があり、自民党政治への閉塞感があり、そこへ田中自身の卓越した言語表現能力が重なった。

さらに2001年には、小泉純一郎というもう一人の強力なメディア型政治家との組み合わせが生まれた。

これらが同時に作用したため、田中人気は爆発的なものになった。

一方、政治の中心から遠ざかった理由も一つではない。

外務省との対立だけではなく、行政組織を率いることの難しさ、NGO問題による国会混乱、秘書給与問題による政治的打撃、自民党との関係悪化、その後の政党移動、民主党政権への逆風、2012年の大学認可問題などが時間をかけて重なった。

つまり田中真紀子を理解するには、一つの原因から一つの結果が生まれたと考えるより、複数の要因が相互作用した多変量的な政治現象として見る方がよい。

そして、その中でも特に重要なのが「人気」と「統治」の違いではないだろうか。

人気政治家には、人々の感情を言葉に変える能力が必要である。

しかし政権中枢に長く残る政治家には、それとは別の能力も必要になる。

役所を動かし、党内をまとめ、対立する相手とも交渉し、制度へ落とし込み、法律や予算として残す能力である。

田中真紀子は、前者では平成政治を代表するほど強かった。

後者については、少なくとも外務大臣時代と文部科学大臣時代を見る限り、その強さを同じ程度には示すことができなかった。

ここに、彼女の人気と権力との間に生まれた距離がある。

小泉純一郎との違いは、どこにあったのか

この点で、小泉純一郎との比較は興味深い。

二人とも既成政治を批判し、分かりやすい言葉を使い、テレビと相性がよかった。

しかし小泉は、郵政民営化という具体的な政策目標へ政治エネルギーを集中させた。

党内で反対されると衆議院を解散し、反対派を公認せず、選挙で多数を取り、最後には法案を成立させる。

その政策自体をどう評価するかは別問題である。

重要なのは、小泉が自分の政治的メッセージを、党の公認、選挙、議席数、国会採決、法律という制度へ変換したことである。

田中の政治は、それとは違った。

彼女の最大の武器は、「誰も口にしない違和感を、一言で言葉にする」ことだった。

それによって世論を動かすことはできた。

しかし、その違和感を法律や制度へ変えるところまで政治を継続することは、はるかに難しかった。

ここに二人の決定的な違いがある。

小泉は分かりやすさを権力へ変換した。

田中は分かりやすさそのものが政治的魅力だった。

それでも、田中真紀子が記憶から消えない理由

では、田中真紀子は失敗した政治家だったのだろうか。

そう結論づけると、やはり何か重要なものを落としてしまう。

首相にはならなかった。

外相在任は短かった。

文部科学大臣としても長期政権を担ったわけではない。

田中の名前を冠した巨大な制度改革が残ったわけでもない。

それでも、2001年前後の日本政治を語るとき、田中真紀子を抜きにその時代の空気を説明することは難しい。

なぜなら田中が表現していたものは、田中自身だけの感情ではなかったからである。

「政治家はなぜこんなに分かりにくいことを話すのか」

「官僚は本当に国民のために動いているのか」

「派閥の都合で政治が決まっているのではないか」

「もっと普通の言葉で説明できないのか」

1990年代から2000年代初頭の日本社会に蓄積していたそうした疑問を、田中はテレビの前で言葉にした。

だから、人々は彼女に自分たちの不満を重ねることができた。

そこに田中人気の本質があった。

そして、そこに田中政治の限界もあった。

政治を外から見る人間にとって、「おかしいものを、おかしいと言う」ことは政治参加になる。

しかし政治の中心に入った人間には、その次の仕事がある。

おかしい制度をどう変えるのか。

誰を説得するのか。

どの法律を変えるのか。

予算はいくら必要なのか。

反対する人間とはどこまで妥協するのか。

そこから先の政治は、テレビではあまり面白くない。

会議があり、根回しがあり、文書があり、修正協議があり、採決がある。

だが、国家を実際に動かしているのは、その退屈な部分でもある。

田中真紀子は、その退屈さに苛立つ国民の感情を、驚くほど鮮明に表現した政治家だった。

だからこそ、人々は彼女を支持した。

一方で、政治の中心に長く残るためには、その退屈な政治そのものを引き受けなければならない。

そこに田中真紀子という政治家の最大の逆説があったのではないだろうか。

人気が政治家を権力の入口まで運ぶことはある。

一人の閣僚の更迭が、政権支持率を大きく揺らすことさえある。

しかし人気は、官僚組織を自動的に動かしてくれるわけではない。

法律を成立させてもくれない。

対立する政治家との合意をつくってもくれない。

田中真紀子の政治人生が示したのは、人気と政治的実行力が同じものではないという、民主政治にとって単純だが厄介な事実だった。

彼女は政治の中心に長くいたから記憶されているのではない。

政治の外から永田町を切り、その言葉によって一気に中心へ入り込み、中心に入ったことで自らの政治手法の限界にも直面し、それでも一度は戻り、最後には再び中心から離れていった。

その軌跡そのものが、平成という時代の政治を映している。

田中真紀子はなぜ、あれほど人気を集めたのか。

国民が言いたかったことを、国民より先に言ったからである。

では、なぜその人気を長期的な権力へ変えられなかったのか。

政治には、言うこととは別に、動かすことが必要だったからである。

田中真紀子という政治家を振り返ったとき最後に残るのは、おそらくこの二つの事実の間に横たわる距離なのである。

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政治家について、「あの人は政局が読める」「政局がまったく読めていない」という言い方をすることがある。

しかし、この「政局を読む」という言葉は、考えてみるとかなり曖昧である。

世論を読むことなのか。選挙で勝てる時期を判断することなのか。党内の議員が誰につくかを見抜くことなのか。それとも、連立相手がどこまで譲歩するかを判断することなのか。

おそらく、そのすべてである。

だからこそ、「政局を読める政治家」とは、単に勘の鋭い政治家ではない。複数の人間がそれぞれ異なる利害を持って動く政治空間を観察し、その結果として「誰が、いつ、どちらに動くのか」を相対的に高い確率で予測できる政治家なのである。

そして、ここから政治家は少なくとも三つに分けることができる。

政局を読める政治家。

政局を読めない政治家。

そして、政局は読めているが、あえて政局に従わない政治家である。

この三つは似ているようで、かなり違う。

「政局が読める」とは何を読むことなのか

優れた将棋棋士は、次の一手だけを考えているわけではない。

自分が一手指せば相手がどう応じ、その結果として数手後にどのような局面になるかを考える。政治にもこれとよく似たところがある。

例えば首相が衆議院を解散するとする。

その瞬間の内閣支持率だけを見ても十分ではない。野党の準備状況、候補者調整、争点の形成状況、自党の地方組織、連立相手との関係、投票率、無党派層の動向まで考えなければならない。

自民党総裁選でも同じである。

世論調査で最も人気のある候補が必ず総裁になるわけではない。党員票、国会議員票、派閥や旧派閥の人間関係、決選投票になった場合の二位・三位候補の票の移動まで読まなければならない。

したがって、政局を読む能力を単純化すれば、

「現在の支持率を知る能力」ではなく、「自分が動いた後に他者がどう動くかを推測する能力」

と定義した方がよいだろう。

ここには少なくとも、世論を読む力、党内力学を読む力、選挙の時機を読む力、連立相手を読む力、そして制度上の制約を読む力が含まれる。

すべてに優れた政治家はそれほど多くない。

国民的人気のある政治家が党内抗争には弱いこともあるし、党内人事には抜群に強い政治家が国政選挙では国民の気持ちを読み違えることもあるからである。

政局を読めない政治家とは

では、「政局を読めない政治家」とはどのような人なのだろうか。

典型的なのは、自分の希望と現実の区別ができなくなる政治家である。

「この政策は正しい。だから国民も支持するはずだ」

「私はこれだけ党に貢献してきた。だから議員は私を支持するはずだ」

「これまで連立してきたのだから、今回も相手は離脱しないはずだ」

この「はずだ」が積み重なっていく。

政治では、自分が正しいと思っていることと、相手がどう行動するかは別問題である。

ゲーム理論的にいえば、政治家が考えなければならないのは自分の効用だけではない。他の政治家、政党、有権者が何を利益と考え、どの選択肢を取る可能性が高いのかを推測しなければならない。

政局を読めない政治家は、ここで自分自身の価値観を他人にも当てはめてしまう。

その結果、「こんなはずではなかった」という事態が起きる。

重要なのは、失敗した政治家がすべて「政局を読めなかった」とは限らないことである。

確率70%で成功すると考えて行動しても、30%の失敗は起こる。政治は確率的な世界であり、結果だけから能力を判定すると、典型的な結果論になってしまう。

したがって評価すべきなのは、「負けたか勝ったか」だけではなく、判断した時点で利用可能だった情報から、その選択に合理性があったかどうかである。

「政局を読まない政治家」はまったく別の存在である

もっと興味深いのが、「政局を読まない政治家」である。

このタイプは政局を理解していないとは限らない。

むしろ、

「こちらの方が政治的には得だ」

「ここで妥協すれば政権は安定する」

「この発言をしなければ支持層を広げられる」

と分かっていて、それでも別の選択をする。

理由は政策や理念である。

政治家の目的を単純に「権力の最大化」と考えるなら、この行動は非合理に見える。

しかし政治家の目的関数に、

政策実現、理念、歴史的評価、支持者との約束、個人的信念

まで入れれば話は変わってくる。

例えば、政権維持を最優先する政治家なら、支持を失う可能性のある政策を避けるだろう。

しかし「首相になった目的は、この政策を実現することだ」と考える政治家なら、一定の支持低下を覚悟して政策を進めることがある。

これは「政局が読めない」のではない。

政局より政策を上位に置いているのである。

もちろん、その姿勢を良い政治だと評価するかどうかは別問題である。

民主政治では理念だけで政治はできない。議会で多数を形成しなければ法案は成立しないし、選挙に負ければ政策そのものを実現できなくなる。

したがって「政局を読まない政治家」は、信念の人にもなり得る一方、独善的な政治家にもなり得る。

両者を分ける境界線は非常に細い。

では、高市早苗は「政局を読めない政治家」なのか

ここで高市早苗という政治家を考えてみたい。

高市氏については、思想や政策への評価が先行しやすい。支持者からは「信念を曲げない政治家」と評価され、批判者からは「周囲との調整が不得手な政治家」と見られることがある。

しかし今回は政策の是非から離れ、政局判断という一点だけを見てみる。

すると、かなり複雑な人物像が浮かんでくる。

まず「高市氏は政局が読めない」という仮説を立ててみよう。

この仮説を支持する材料として注目すべきなのが、自民党と公明党の関係である。

2025年10月4日、高市氏は自民党総裁選の決選投票で185票を獲得して小泉進次郎氏を破り、自民党総裁になった。

ところが、そのわずか6日後の10月10日、公明党は長年続いた自民党との連立から離脱する方針を表明した。企業・団体献金規制などを巡る隔たりが埋まらなかったことが直接的な理由とされた。

政治学者の中北浩爾氏は、この過程について、高市氏が国民民主党との連立拡大を優先して公明党を軽視したことなどが、連立離脱に至る背景の一つになったと分析している。

ここだけを切り取れば、

「26年間続いた連立相手が、本当に離脱するところまで追い込まれるとは読めなかったのではないか」

という仮説は成立する。

公明党は単なる国会内の協力政党ではなかった。長年にわたり小選挙区で自民党候補を支援してきた選挙協力の相手でもあった。

それを失うことは、本来なら自民党にとって極めて大きなリスクである。

この点では、高市氏の政局判断にはかなり大きな賭けが含まれていた。

ところが、その後を見ると評価が逆転する

もしここで高市政権が行き詰まっていたなら、「やはり政局を読めなかった」という評価はかなり説得力を持っただろう。

しかし実際の政治はそうならなかった。

公明党との連立が崩れると、高市氏は日本維新の会との協力関係を形成した。

そして2026年1月、衆議院解散というさらに大きな賭けに出る。

興味深いのは、この解散が必ずしも世論に歓迎されていたわけではないことである。

朝日新聞社が2026年1月17、18日に実施した世論調査では、その時点での衆議院解散・総選挙について「賛成」は36%、「反対」は50%だった。

普通に数字だけを読めば、かなり危険な解散に見える。

ところが2月8日の総選挙では、自民党は316議席を獲得した。

衆議院の定数465に対して単独で3分の2を上回る議席であり、選挙前の198議席から118議席を増やす歴史的な大勝となった。

ここには重要な意味がある。

解散そのものへの賛否と、実際の投票行動は同じではなかったのである。

「今、選挙をする必要はない」と考えていた有権者であっても、選挙になれば自民党に投票することはあり得る。

高市氏あるいはその周辺がこの違いを認識していたのなら、表面的な世論調査以上に、野党の状況、自民党への投票意向、政権支持、候補者事情などを読んで解散したことになる。

結果論だけではあるが、少なくともこのケースを前にして、

「高市早苗は選挙の政局をまったく読めない」

と評価するのは難しい。

むしろ2026年総選挙についてだけ見れば、タイミングを読む能力は極めて高かったと評価する方がデータには整合的である。

2024年の敗北と2025年の勝利も興味深い

さらに時間を遡ると、もう一つ興味深い変化が見える。

2024年の自民党総裁選で、高市氏は第1回投票では首位になった。

それにもかかわらず、決選投票では石破茂氏に敗れた。

これは高市氏の「一般党員への訴求力」と「国会議員をまとめる力」の間に差があったことを示していたと考えることができる。

つまり党内政局という観点では、当時の高市氏には弱点があった可能性がある。

ところが翌2025年の総裁選では、再び決選投票に進み、今度は小泉進次郎氏を破った。決選投票で185票を獲得している。

一年前の敗北から同じところで再び敗れたわけではない。

これは少なくとも、

一度失敗した党内多数形成について、修正する能力があった

ことを意味する。

「政局を読めない政治家」という仮説にとっては、かなり大きな反証である。

高市氏の弱点は「政局全体」ではなく「読む対象」にあるのではないか

ここまでの出来事を並べると、一見矛盾した結果になる。

自公関係では大きな亀裂を生んだ。

しかし総裁選では勝った。

衆議院解散では大勝した。

では、どれが本当の高市早苗なのだろうか。

私は、ここで「政局が読める・読めない」という二分法そのものを疑った方がよいと考える。

高市氏は、

選挙という競争を読む能力は比較的高いが、異質な相手と長期間妥協しながら関係を維持する政治については、同じ強さを持っていない可能性がある。

こう考えると、一連の現象をかなり矛盾なく説明できる。

総裁選は勝敗が明確な競争である。

衆議院選挙も同じである。

どの支持層を固め、どこで争点を作り、いつ勝負に出るかという問題になる。

一方、連立政治は違う。

自分とは政策思想の異なる相手に譲り、相手にも成果を持ち帰らせ、時には自分の支持者が望まない妥協までしなければならない。

必要なのは勝負勘より、関係管理能力である。

両者は同じ「政治力」と呼ばれていても、かなり違う能力なのではないか。

そしてもう一つの可能性~「読めなかった」のではなく「読んだうえで選んだ」

ただし、自公連立の崩壊についても注意が必要である。

高市氏が公明党の離脱可能性をまったく予測していなかった、と証明する資料はない。

ここは事実と推論を分ける必要がある。

別の説明も成立する。

つまり、

「公明党との関係を維持するために政策や人事を変更するコスト」

と、

「公明党を失うコスト」

を比較し、前者の方が大きいと判断した可能性である。

もしそうなら、これは「政局を読めなかった」のではない。

読んだうえでリスクを取った

ことになる。

実際、その後に日本維新の会との協力へ転換し、さらに衆議院選挙で316議席を獲得したという結果まで含めれば、少なくとも短期的には、その賭けは政治的に成功した。

ただし、ここにも留保が必要である。

衆議院で圧倒的な議席を得ても、参議院では政治状況が異なる。

2026年2月18日の首相指名では、衆議院では高市氏が354票を得た一方、参議院の第1回投票では123票で過半数に届かなかった。決選投票で125票を得て首相に指名されている。

さらに2026年7月には、参議院で与党が少数のため、重要法案の成立を巡って綱渡りの国会運営が続いていると報じられた。

衆議院選挙の一度の大勝で、すべての政局問題が消えたわけではない。

支持率の低下は、次のテストになる

もう一つ注目すべき数字がある。

2026年7月の主要報道機関の世論調査では、高市内閣の支持率が全社で前月より低下した。調査によって41.0%から61.6%までかなり幅があるものの、8社すべてで政権発足後最低となったと整理されている。

日本経済新聞・テレビ東京系の調査でも、7月の内閣支持率は58%で、6月から10ポイント低下した。

ここから先こそ、高市氏の政局観を見るうえで重要になる。

支持率が高いときに選挙をすることと、支持率が低下し始めたときに政策や党内関係を調整することは別の能力だからである。

人気がある政治家は強い。

しかし、本当に政局に強い政治家かどうかが分かるのは、人気が落ち始めた後なのかもしれない。

結局、高市早苗はどのタイプなのか

以上を総合すると、私は高市早苗氏を単純な「政局を読めない政治家」に分類することには慎重である。

データがそれを許さないからだ。

2024年の総裁選では決選投票で敗れた。

しかし2025年には総裁選を制した。

自公連立は崩壊した。

しかし新しい政治的組み合わせを作った。

2026年1月の解散には世論の反対が多かった。

しかし総選挙では自民党を316議席まで伸ばした。

これだけを見るなら、むしろ重要な勝負所を察知する能力はかなり高い政治家と考える方が自然である。

一方、長期的な連立関係の維持や、思想的に距離のある相手との調整という面には不安材料がある。

したがって、高市氏を分類するなら、

「政局を読めない政治家」でも、「政局を完全に無視する政治家」でもない。

もっと正確には、

「政局は読む。しかし、読む対象と、従う政局をかなり選ぶ政治家」

ではないだろうか。

選挙で勝つための政局は読む。

党内で多数を作るための政局も読む。

しかし、自分の政策や政治理念を修正してまで既存の関係を維持すべきかという局面では、必ずしも政局を最優先しない。

もしこの仮説が正しいなら、高市氏の政治を理解するうえで「政局音痴」という言葉はあまり役に立たない。

むしろ問題は、

「読めているか」ではなく、「何を読んで、何を読まないことにしているのか」

なのである。

政治家には、すべての方向を見ることはできない。

選挙を見れば党内が見えなくなり、党内を見れば世論が見えなくなることがある。政策を守れば連立相手との距離が広がり、連立を守れば支持者との距離が広がることもある。

政局を読むとは、おそらく未来を当てる特殊能力ではない。

複数の不完全な情報の中から、どのリスクを取るかを決める仕事である。

そう考えると、高市早苗という政治家への評価も少し変わって見える。

彼女は政局が読めないのか。

それとも、政局を読みながら、それでも自分が取るべきだと考えたリスクを取っているのか。

2026年2月の総選挙までは、後者を支持する証拠の方が少なくとも強かった。

しかし政治家の政局観は、一度の選挙では確定しない。

圧倒的な衆議院議席を持つ一方で、参議院では多数形成を必要とし、内閣支持率にも下落が見え始めた現在こそ、高市早苗が本当に「政局を読める政治家」なのかを判定する、次の局面に入っているのである。

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国会議員の発言を見ていると、中立的・中道的な立場から離れ、リベラル、左派、保守、右派の色彩を強めるほど、表現が激しくなり、相手を非難する言葉が増え、時には社会通念から外れた発言をするように見えることがある。

右派の政治家が、外国人、少数者、報道機関、野党などを強い言葉で攻撃する場合がある。一方、左派の政治家にも、保守層、企業、防衛政策の支持者、伝統的価値観を持つ人々を一括して非難するような言説が見られる。

しかし、この現象を単純に、

「右派は危険である」

「左派は非常識である」

「中道だけが良識的である」

と説明することはできない。

政治思想が右か左かということと、その政治家が乱暴な言葉を使うかどうかは、本来、別の問題である。穏健な保守政治家もいれば、穏健な社会民主主義者もいる。反対に、左右のどちらにも、敵対心をあおり、事実関係を単純化し、支持者の感情に訴える政治家が存在する。

したがって、分析すべきなのは、思想の内容そのものではない。

なぜ政治的立場を先鋭化させた政治家ほど、過激な言葉を使う利益が大きくなり、穏健な言葉を使う利益が小さくなるのかという、政治を取り巻く構造である。

最初に確認すべきこと~「端にいる政治家ほど過激」という印象は必ずしも事実ではない

この問題を考える際には、最初から重要な注意点がある。

私たちが目にする政治家の発言は、政治家全体の発言を均等に抽出したものではない。

テレビ、新聞、インターネットニュース、動画配信、交流サイトでは、目立つ発言ほど取り上げられやすい。政策の細部を説明する10分間の発言よりも、相手を強い言葉で批判した10秒間の映像の方が、多く拡散される。

その結果、次のような選択の偏りが生じる。

穏健な政治家の発言は、ニュースになりにくい。

過激な政治家の発言は、ニュースになりやすい。

さらに、同じ政治家であっても、日常的な政策説明より、失言や攻撃的な発言だけが記憶されやすい。

したがって、「中道から離れた政治家ほど必ず言葉が汚い」とまでは断定できない。

より正確には、

「思想的に先鋭化した政治家のうち、強い言葉を使う人が可視化されやすい」

「政治的対立が強い環境では、左右を問わず攻撃的な政治家が注目を集めやすい」

と考えるべきである。

ここを区別しなければ、観察された印象と、実際の政治家全体の傾向を混同してしまう。

政治的分極化には二つの種類がある

政治学では、政治的な対立を考える際に、少なくとも二つの分極化を区別する必要がある。

一つは、政策や思想の違いが大きくなる「政策的分極化」である。

例えば、税率を高くして社会保障を拡充するのか、税負担を抑えて民間の選択を重視するのか。防衛力を強化するのか、外交や軍縮を優先するのか。こうした政策上の距離が広がることである。

もう一つは、「感情的分極化」である。

感情的分極化とは、自分と異なる政党や政治集団を、単に政策の違う相手としてではなく、嫌悪すべき相手、信用できない人々、社会にとって危険な存在として見る傾向を指す。

近年の比較研究でも、政党間や政治指導者間の感情的な対立は、複数の民主主義国で確認されている。ただし、その程度や現れ方は国によって異なる。感情的分極化が強まると、反対派への差別や排除を容認しやすくなる可能性も指摘されている。

政策的分極化それ自体は、必ずしも悪いものではない。

政党間の違いが明確でなければ、有権者は何を基準に投票すればよいか分からない。すべての政党が似た政策を掲げる政治も、民主主義にとって健全とは限らない。

問題は、政策の対立が人物や集団への敵意に変わることである。

「この政策は誤っている」

という主張が、

「この政策を支持する人間は無知である」

「この政党を支持する人間は国民ではない」

「反対派は社会から排除すべきである」

という言葉に変わったとき、政策論争は感情的な敵対関係へ移行する。

政治家の言葉が汚くなる背景には、思想上の距離そのものより、この感情的分極化の方が強く関係している可能性がある。

数理的に見ると、過激な発言には利益がある

政治家の行動を道徳心だけで説明すると、構造が見えにくくなる。

政治家も、限られた時間、資金、人員、知名度の中で、自分にとって有利な行動を選択する主体である。

単純化すると、政治家がある発言を行う際の期待利益は、次のように整理できる。

発言の期待利益 = 支持者の増加 + 注目度の上昇 + 資金や協力者の増加 + 党内での影響力上昇 - 失言による批判 - 無党派層の離反 - 政党や議会からの処分 - 社会的信用の低下

穏健な政治環境では、過激な発言による損失が大きい。

無党派層が離れ、党執行部から注意され、報道機関から批判され、選挙で不利になるからである。

ところが、政治的分極化が進むと、この計算が変わる。

強い言葉を使うことで、熱心な支持者から評価される。

交流サイトで拡散される。

動画の再生回数が増える。

政治資金を集めやすくなる。

党内の特定の支持層に対する影響力が高まる。

一方で、反対陣営からの批判は、もともと自分に投票しない人からの批判であるため、政治的損失が小さい。

この状態では、過激な発言の期待利益が穏健な発言を上回る可能性がある。

つまり、政治家の人間性が突然悪化したのではなく、政治環境の変化によって、乱暴な言葉を使うことが合理的な選択になってしまうのである。

中道から離れるほど支持者の構成が変わる

一般に、中道的な政党や政治家は、幅広い有権者から支持を得る必要がある。

会社員、自営業者、高齢者、若者、都市部、地方、保守層、リベラル層、無党派層など、異なる利害を持つ人々を取り込まなければならない。

そのため、極端な発言には大きな費用が伴う。

一つの集団を強く喜ばせても、別の集団を失う可能性があるからである。

これに対し、左右の端に近い政治家は、支持者の範囲を広く取るより、狭くても熱心な支持者を固める戦略を選びやすい。

支持者の人数を「広さ」、支持の強さを「深さ」と考えると、中道政治家は広く浅い支持を必要とする。一方、先鋭的な政治家は、狭くても深い支持によって政治活動を維持できる場合がある。

例えば、支持者が100万人いても、その多くが関心の薄い支持者であれば、選挙運動、寄付、交流サイトでの拡散にはつながりにくい。

反対に、支持者が10万人でも、全員が熱心に活動し、寄付を行い、周囲に働きかけるなら、政治的影響力は大きくなる。

そのため、先鋭的な政治家にとっては、支持者の数を最大化することより、支持者の感情的な熱量を最大化することが合理的になる場合がある。

このとき有効なのが、敵の設定である。

「私たちの生活が悪化したのは、あの集団の責任だ」

「既存の政治家はすべて腐敗している」

「専門家や報道機関は真実を隠している」

「自分だけが国民の声を代弁している」

という物語を提示すれば、支持者の帰属意識を強めることができる。

政治家と支持者の関係は、政策への賛成から、集団としての一体感へ変化する。

ポピュリズムとは、単なる人気取りではない

ポピュリズムは、日本語ではしばしば「大衆迎合」と説明される。

しかし、政治学上のポピュリズムは、単に人気のある政策を掲げることだけを意味しない。

一般的には、社会を「善良で純粋な国民」と「腐敗した既成勢力」に分け、政治は国民の単一の意思をそのまま実現すべきだと主張する政治的な考え方や言説を指す。

この構造では、社会内部の多様な利害や価値観が見えにくくなる。

実際の国民には、会社員、自営業者、農業者、高齢者、子育て世帯、障害のある人、外国にルーツを持つ人など、異なる立場がある。国民全体が一つの意思を持っているわけではない。

ところが、ポピュリズム的な政治家は、

「普通の国民は皆そう思っている」

「反対する者は既得権益側である」

「自分に反対する政治家は国民の敵である」

と主張しやすい。

こうした政治は、左派にも右派にも存在する。

右派型のポピュリズムでは、移民、外国、国際機関、都市部の知識人、報道機関などが敵として設定されやすい。

左派型のポピュリズムでは、大企業、富裕層、金融機関、官僚、既成政党などが敵として設定されやすい。

敵として挙げる対象は異なるが、「善良な国民対腐敗した支配層」という構図は共通している。

国際民主化選挙支援機構の分析でも、ポピュリズム政権の影響は、左右の政策内容だけでなく、議会、司法、報道、制度的な抑制との関係から評価する必要があるとされている。

ポピュリズムに迎合する政治と、理念を訴える政治は違う

政治家が有権者の意見を聞くことは重要である。

民主主義において、政治家が国民の声を無視してよいはずはない。

しかし、有権者の声を聞くことと、その時々の感情に迎合することは異なる。

迎合型の政治家は、世論調査や交流サイトの反応を見ながら、最も支持を得られそうな言葉を選ぶ。

その政策が長期的に正しいかどうかより、今日の反応を優先する。

社会保障を増やすと言いながら、財源には触れない。

税金を下げると言いながら、どの支出を減らすのか説明しない。

治安対策を強化すると言いながら、人権侵害の危険を検討しない。

外国人を批判しながら、労働力不足や産業構造には触れない。

防衛費削減を主張しながら、安全保障上の代替策を示さない。

このような政治は、支持者が聞きたい言葉を返しているだけであり、政治的指導とはいえない。

望ましい政治家とは、有権者の感情をそのまま増幅する人物ではない。

自らの理念、政策、価値判断を明らかにしたうえで、それがなぜ必要なのかを説明し、有権者を説得する人物である。

政治家は、国民の意見を受け取るだけの受信機ではない。

情報を整理し、利害を調整し、将来の危険を説明し、時には人気のない決定についても責任を負う存在である。

したがって、政治家に求められるのは「扇動」ではなく「説得」である。

扇動とは、恐怖、怒り、憎悪を利用して、人々を特定の方向へ動かすことである。

説得とは、事実、論理、価値判断、費用、利益を示し、相手が自分で判断できるようにすることである。

両者は、似ているようで正反対である。

交流サイトは強い感情を増幅しやすい

SNS(Social Networking Service・交流サイト)は、政治家が有権者と直接つながる手段を拡大した。

従来、政治家の発言は、記者会見、新聞、テレビ、議会中継などを通じて伝えられていた。現在では、政治家自身が短い文章や動画を直接発信できる。

これは政治参加の面では大きな利点がある。

小規模政党や新人候補でも情報発信ができ、報道機関が扱わない論点を提示できる。市民も政治家に意見を伝えやすくなった。

一方、交流サイトには、強い感情を伴う情報が拡散されやすいという問題がある。

怒り、恐怖、侮辱、驚きなどを含む投稿は、反応を集めやすい。穏健で条件の多い政策説明は、短い投稿や動画に向きにくい。

デジタルメディアと政治に関する研究では、インターネットや交流サイトが政治参加や情報アクセスを広げる一方、誤情報、分極化、政治的動員との関係について、国や制度によって異なる結果が確認されている。交流サイトが必ず分極化を生むと単純化することはできないが、政治的対立を増幅する条件になり得ることは無視できない。

また、自分と反対の意見を見せれば、必ず穏健になるとも限らない。

反対意見への接触によって、かえって自分の立場を強める場合があることも研究で示されている。

人は、自分と異なる情報を見たとき、常に冷静に再検討するわけではない。

相手から攻撃されたと感じれば、自分の所属集団を守ろうとする。

結果として、

反対派の強い発言を見る ↓ 自分の立場を守ろうとする ↓ さらに強い政治家を支持する ↓ 政治家がさらに強い言葉を使う ↓ 反対派も対抗して強い言葉を使う

という循環が生まれる。

過激化は左右対称に起きるとは限らない

中立的に分析することは、左右に必ず同じ量の問題があると結論づけることではない。

ある時期、ある国、ある争点では、右派側の過激化が強い場合がある。別の時期や争点では、左派側の排他的な言説が強くなる場合もある。

重要なのは、形式的に左右を同数ずつ批判することではない。

同じ評価基準を適用することである。

例えば、次の基準で比較する必要がある。

事実と異なる情報を意図的に使っていないか。

反対派を国民として認めない表現をしていないか。

暴力や威圧を容認していないか。

司法、議会、報道機関などの独立性を弱めようとしていないか。

少数者の権利を、多数者の感情だけで制限しようとしていないか。

政策の費用や副作用を隠していないか。

自分の支持者による問題行動だけを正当化していないか。

この基準を適用した結果、一方の陣営により多くの問題が確認されることはあり得る。

それを無理に均等化する必要はない。

公正中立とは、結論を中央に置くことではなく、評価方法を共通にすることである。

党内競争が政治家を先鋭化させる

政治家は、他党との選挙だけを戦っているのではない。

政党内でも、候補者選定、役職、発言力、資金、人事を巡る競争がある。

中道的な有権者を対象とする本選挙よりも、党員、活動家、熱心な支持者の影響が強い候補者選定では、より明確な思想を示す候補が有利になる場合がある。

党内の熱心な支持者は、一般有権者より政治への関心が高い。そのため、政策的にも感情的にも明確な立場を持つ傾向がある。

政治家が党内で存在感を示すためには、

「私は他の議員よりも本物の保守である」

「私は他の議員よりも一貫したリベラルである」

と示す必要が生じる。

この競争では、穏健な妥協は裏切りと見なされやすい。

相手政党と協議すれば、弱腰と批判される。

法案を修正すれば、信念を曲げたと批判される。

発言を訂正すれば、圧力に屈したと批判される。

その結果、政治家は自らの立場を修正しにくくなる。

政治家の思想が先鋭化するというより、先鋭化した態度を示さなければ、党内で生き残りにくくなるのである。

メディア環境は中間的な説明を不利にする

政治問題の多くは、本来、単純な二択ではない。

原子力発電を増やすか減らすかという問題には、電力価格、二酸化炭素排出量、廃棄物、事故リスク、立地地域の経済、再生可能エネルギー、送電網などが関係する。

外国人労働者を受け入れるかという問題にも、人手不足、賃金、社会保障、教育、地域統合、企業責任などが関係する。

ところが、報道や交流サイトでは、

賛成か反対か。

味方か敵か。

愛国か反国か。

改革派か抵抗勢力か。

という単純な対立に置き換えられやすい。

複雑な説明を行う政治家は、分かりにくいと評価される。

条件付きの賛成や部分的な反対は、態度が曖昧だと見なされる。

一方、単純で強い主張は、理解しやすく、映像や見出しにしやすい。

その結果、政治家は、政策の正確さより、情報としての分かりやすさを優先するようになる。

しかし、分かりやすいことと、正しいことは同じではない。

政策を単純化しすぎれば、費用、例外、副作用、実施上の困難が見えなくなる。

政治への不信が、強い言葉を求めさせる

政治家の過激化は、政治家側だけの問題ではない。

有権者が既存の政治や行政に強い不信を持っているとき、穏健な説明は「ごまかし」と受け取られやすい。

「慎重に検討する」

「関係者と調整する」

「段階的に実施する」

という言葉が、何もしない政治の象徴に見えるからである。

その反動として、

「すぐに廃止する」

「全員追放する」

「既得権益を壊す」

「一気に変える」

という政治家が支持を得る。

経済停滞、格差、地域間格差、公共サービスへの不満、行政への不信などは、ポピュリズムを支持する背景になり得る。緊縮政策や経済的不安とポピュリズムの関係についても、比較政治学で研究が蓄積されている。

経済協力開発機構の調査でも、政府への信頼が低い人の割合は高く、政治的な発言力を持てないという感覚や、政府が公平に行動していないという認識が、信頼の低下と関係している。

したがって、過激な政治家だけを批判しても、問題は解決しない。

なぜ有権者が強い言葉を必要としているのか。

既存政党がどの不満に答えられていないのか。

政策決定が特定の利益集団に偏っていないか。

行政が十分な説明をしているか。

地域や世代による不利益が放置されていないか。

こうした背景を検証する必要がある。

過激な言葉は、政治家の能力不足を隠すことがある

強い言葉を使う政治家が、強い政策能力を持っているとは限らない。

政策を実行するには、法律、予算、行政組織、人員、地方自治体、民間企業、国際関係などを調整しなければならない。

ところが、制度設計の能力が弱い政治家ほど、抽象的な敵を攻撃することで、自らの能力不足を隠せる場合がある。

政策が実現しなければ、

野党が邪魔をした。

官僚が抵抗した。

報道機関が偏っている。

外国勢力が妨害した。

国民の理解が不足している。

と説明できる。

この構造では、失敗の責任が常に外部へ移される。

政治家の支持者も、政策の成果ではなく、敵と戦っている姿勢を評価するようになる。

その結果、政治家は問題を解決するより、問題を解決できない理由となる敵を維持する方が得になる。

これは、政治の目的が政策成果から集団対立へ変わった状態である。

中道が常に正しいわけではない

ここで誤解してはならないのは、中道であること自体が正しさを保証するわけではないということである。

歴史上、当時は過激とされた主張が、後に社会の標準になった例は多い。

普通選挙、女性参政権、労働者の権利、人種差別撤廃、障害者の権利などは、既存秩序に対する強い異議申し立てから始まった。

逆に、中道を名乗る政治家が、必要な改革を先送りし、問題を放置する場合もある。

重要なのは、政治的位置が中央にあるかどうかではない。

主張に根拠があるか。

人権を侵害しないか。

政策として実行可能か。

費用と負担を説明しているか。

反対意見を排除せず、検討しているか。

誤りが判明した場合に修正できるか。

この基準で評価すべきである。

先鋭的な政策であっても、十分な根拠があり、少数者の権利を守り、実施可能性が高いなら、検討に値する。

中道的な政策であっても、問題を先送りするだけなら、評価できない。

望ましい政治家は「鏡」ではなく「案内役」である

有権者の感情をそのまま映すだけの政治家は、国民の代表ではあっても、政治的指導者とはいえない。

政治家は、国民がすでに考えていることを繰り返すだけではなく、知られていない事実を示し、複雑な利害を説明し、長期的な選択肢を提示する必要がある。

例えば、有権者が減税を望んでいるなら、

どの税を減らすのか。

減収はいくらか。

どの支出を削減するのか。

国債で補うのか。

将来の金利や物価にどのような影響があるのか。

自治体財政にどう影響するのか。

まで説明しなければならない。

防衛力を増強するなら、装備品の価格、維持費、人員、外交上の効果、軍拡競争の危険を説明する。

社会保障を拡充するなら、財源、労働力、給付対象、世代間負担を説明する。

政治家の役割は、有権者の希望を無条件に肯定することではない。

選択には必ず費用があることを示し、それでもなぜ自分の政策を選ぶべきかを説得することである。

政治家に必要なのは、主義の明示と反証可能性である

政治家が自らの主義を明確に主張することは望ましい。

何を大切にするのか。

国家と個人の関係をどう考えるのか。

市場と政府の役割をどう分けるのか。

どのような社会を目指すのか。

これらを曖昧にしたまま、世論に合わせて発言を変える政治家は信頼しにくい。

ただし、主義を持つことと、主義に固執することは違う。

望ましい政治家は、自分の理念を示すと同時に、どのような事実が確認された場合に政策を修正するのかを示すべきである。

例えば、

「この政策により雇用が増える」

と主張するなら、何年後に、何人増えるのかを示す。

成果が出なければ、政策を見直す。

「犯罪が減る」

と主張するなら、どの統計で検証するのかを示す。

「地域経済が活性化する」

と主張するなら、所得、雇用、税収、人口、事業継続率など、評価指標を明確にする。

主義だけを語り、結果による検証を拒む政治は、信念ではなく教条主義になる。

政治的過激化を抑えるために必要なこと

政治家の過激な言葉を禁止するだけでは、問題は解決しない。

表現の自由への過度な制限にもつながり得る。

必要なのは、過激な発言の利益を小さくし、実質的な政策説明の利益を大きくする制度と文化である。

第一に、報道機関は、失言の一部分だけでなく、政策の内容、法案、予算、実績を継続的に報道する必要がある。

第二に、交流サイトの反応数を、世論全体と同一視しないことである。投稿を頻繁に行う人は、有権者全体を代表しているとは限らない。

第三に、政党は、攻撃的な発信だけで知名度を得た政治家を安易に優遇しないことである。政策立案、議会活動、法案修正、合意形成も評価すべきである。

第四に、有権者は、政治家が誰を攻撃しているかではなく、何を実現したかを見る必要がある。

第五に、政府や議会は、政策決定の資料、議事録、費用、効果測定を公開し、事実に基づく検証を可能にする必要がある。

第六に、異なる政党の政治家が、協力できる分野では協力することである。政治指導者同士が協力の可能性を示すことが、支持者間の感情的な敵意を弱める可能性を示した研究もある。

結論~政治家は民意に迎合するのではなく、民意に責任を負うべきである

中立や中道から離れた政治家ほど過激で、言葉が汚く、常識を逸脱しているように見える現象は、左右どちらかの思想に固有の問題ではない。

その背景には、複数の要因がある。

先鋭的な政治家ほど、広い支持より熱心な支持を必要とすること。

敵を設定することで支持者の結束を高められること。

交流サイトでは強い感情を伴う情報が拡散されやすいこと。

党内競争では、穏健な妥協より思想的純粋さが評価されやすいこと。

政治不信や経済的不安が、強い言葉への需要を生むこと。

政策能力が不足した政治家が、敵への攻撃によって責任を回避できること。

こうした条件が重なると、政治家にとって過激な発言が合理的な戦略になる。

しかし、合理的であることと、望ましいことは同じではない。

政治家は、有権者が怒っているから一緒に怒るだけの存在であってはならない。

有権者が不安を感じているなら、その原因を調べ、複数の選択肢を示し、必要な負担も説明しなければならない。

政治家は、世論を追いかけるだけではなく、自らの理念を示し、それを事実と論理によって説得する責任がある。

ただし、理念を主張することは、支持者を扇動することではない。

反対派を敵として扱い、恐怖や憎悪を利用するのは政治的指導ではない。

望ましい政治家とは、自らの主義を明確にしながら、反対意見を聞き、事実によって政策を修正し、異なる立場の国民にも説明しようとする人物である。

民主主義に必要なのは、何も主張しない中立的な政治家でも、支持者の感情を増幅する過激な政治家でもない。

明確な理念を持ち、その理念を政策に変換し、その費用と結果について責任を負い、反対する人々をも説得しようとする政治家である。

政治家は、民意に迎合するのではなく、民意を理解し、民意に説明し、民意に対して責任を負うべきなのである。

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