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誰と組み、誰と戦うのか~政治家の次の一手を数理分析する、(架空)政界参謀士

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政治家には秘書がいる。それなら「参謀」はどうだろう

 政治家の仕事というと、国会で質問し、政策を考え、地元を回り、ときには街頭に立って自らの考えを訴える姿が思い浮かぶ。しかし、政治という仕事をもう少し内側から眺めると、政策の正しさだけでは説明できない、もう1つの巨大な世界が見えてくる。誰と会うのか、誰とは距離を置くのか、誰の提案に乗り、誰からの誘いを断るのか、そして今発言するのか、それとも何も言わずに3日待つのかという、人間関係とタイミングの世界である。

 同じ政党に所属しているからといって、全員が同じ方向を向いているわけではない。経済政策では協力している2人が党内人事では競争相手になることもあれば、普段は意見の合わない議員同士が特定の政策だけで手を組むこともある。表面上は対立していても、その裏では話のできる関係を維持している場合もあるだろうし、反対に記者の前では親しそうに並んでいても、政治的な利害は激しく衝突しているかもしれない。

 政治家は、こうした複雑な人間関係の中で毎日のように「次の一手」を選ばなければならず、しかも、その判断には正解が書かれた教科書があるわけではなく、昨日まで有効だった判断が今日には裏目に出ることさえある。

 それなら、こうした政治家の意思決定そのものを専門的に分析する職業が、いつか生まれることはないだろうか。名前を付けるなら、「政界参謀士」である。

政局を読めないのか、それとも政局が複雑になりすぎたのか

 政治の世界では昔から「政局を読む」という言葉が使われてきた。次に誰が動くのか、誰と誰が接近しているのか、ある発言が単なる政策論なのか、それとも別の人物へ向けた政治的な信号なのかを読み取り、自分が動くべき瞬間を判断する能力である。かつてなら、その能力は長年の経験、人脈、勘、記憶力、そして人を見る目によって養われるものだと考えられてきただろう。

 しかし、現代でもそれだけで十分なのだろうか。政治家が見なければならない範囲は党内だけではなく、国会、行政、地方自治体、業界、地域社会、報道、インターネット上の反応、他党との関係へと広がり、それぞれが互いに影響を与えながら動いている。1つの発言が数時間後には全国へ広まり、別の議員の発言と結びつけられ、本人が意図していなかった意味を持って受け取られることさえある。

 こうした状況で政治判断を誤った議員を見て、単純に「政局を読めない政治家が増えた」と断定するのは科学的ではない。そもそも「政局を読む能力」を客観的に測定する共通尺度が存在するわけではなく、過去と現在の政治家を同一条件で比較した統計も容易には作れないからである。

 むしろ考えるべきなのは、政治家の能力が低下した可能性だけではなく、政治家が処理しなければならない情報と関係性の方が複雑になっている可能性である。人間の判断能力には限界があり、すべての情報を同時に処理し、すべての相手の反応を読み、何手も先まで正確に予測することはできず、政治家だけが、この人間の限界から自由であるはずもない。

 だからこそ、今後もし「なぜこの時点でその人と組んだのか」「なぜ今その発言をしたのか」「なぜ味方になる可能性のあった相手まで敵に回してしまったのか」と疑問を持たれる政治行動が繰り返されるなら、政治家本人の能力だけを問題にするのではなく、意思決定を支援する仕組みそのものを考える時代が来るかもしれず、そこに、政界参謀士という架空の職業が姿を現す。

最初に作るのは「政界の人間関係地図」

 政界参謀士が政治家の部屋へ入って最初にする仕事は、「先生、こう動きましょう」と助言することではなく、まず、政治家を取り巻いている世界を地図にすることである。ただし描くのは都道府県や選挙区の地図ではなく、人間関係の地図である。

 仮に1つの政党に100人の議員がいるなら、100人を100個の点として配置し、関係する人物同士を線で結んでみる。ここまでは子どもの相関図のように見えるが、政界参謀士の分析はそこから急に複雑になる。同じ2人の議員でも、政策では協力関係にありながら、党内人事では競争関係にあり、地域利害では対立し、個人的には信頼し合っているということがあり得るからである。

 したがって「仲が良い」「仲が悪い」という1本の線だけでは政治的人間関係を表せない。政策、党内人事、議員グループ、議員連盟、地域利害、過去の共同活動、国会での行動など、異なる関係を重ね合わせた多層的な地図が必要になる。

 ここにネットワーク分析の考え方が入ってくる。誰が多くの人物とつながっているのかを見るだけではなく、普段は接点の少ない2つの集団を誰が橋渡ししているのか、ある人物が離れたときに人間関係の経路がどれほど切断されるのか、どこに情報が集まりやすいのかを数学的に調べるのである。

 すると、肩書だけでは見えない人物が浮かび上がる可能性がある。役職は目立たなくても複数のグループと話のできる議員、特定の政策分野で異なる勢力を結び付けられる議員、ある人物を経由しなければ接触しにくい2つの集団を結んでいる議員などは、形式上の序列とは異なる政治的重要性を持っているかもしれない。

 政界参謀士が見る「力」とは、役職の高さだけではなく、誰に電話できるのか、誰から電話が来るのか、誰と誰を同じテーブルに座らせられるのかという、人間関係の構造そのものも政治的な力なのである。

誰と組むのかを「好き嫌い」から切り離す

 政治家にとって難しい判断の1つが、どのグループへ参加し、誰と協力関係を築くかである。政治の世界では、人間的な相性も無視できないが、それだけで政治的な所属を決めれば、長期的には別の問題が生まれる可能性がある。

 ある議員が、新しく形成される政策グループへの参加を打診されたとしよう。そのグループには自分と政策的に近い議員が集まっており、参加すれば政策実現力が高まる可能性がある一方、そのグループと対立する別の集団からは距離を置かれるかもしれない。また、今は小さなグループでも将来拡大する可能性があれば早期参加には意味があるが、逆に中心人物が失速すれば一緒に影響力を失う危険もある。

 政界参謀士は、こうした判断を単純な好き嫌いから切り離して考える。政策実現への効果、党内での影響力、新しい協力者との接続、既存の仲間への影響、対立勢力との摩擦、将来の選択肢がどれだけ残るかといった要素へ分解し、参加する場合、参加しない場合、一定期間態度を保留する場合について、それぞれ異なる未来を描く。

 もちろん政治を数式に入れれば正解が出てくるわけではなく、人間関係に「信頼度0.76」と数字を付けても、本当の信頼が小数点以下まで測れるはずはなく、その数字は現実そのものではなく判断を整理するための模型にすぎない。

 それでも模型には意味がある。模型を作れば、「なぜ自分はこの人と組もうとしているのか」「その判断によって失う関係は何か」「別の選択肢は本当に存在しないのか」という問いを、感覚だけでなく構造として確認できるからである。

対立相手への対抗は「攻撃すること」と同じではない

 政界参謀士という名称からは、ともすると敵を倒すための策を考える人物を想像するかもしれない。しかし、本当に数理的に政治関係を考えるなら、対立相手へ強く攻撃することが合理的とは限らない。

 ある政治家と対立したとき、真正面から批判すれば自分の支持者には分かりやすい。しかし同時に、相手側を結束させたり、これまで中立だった議員を相手側へ押し出したりする可能性もある。逆に何も反応しなければ短期的な衝突は避けられるが、「反論できなかった」と受け取られる危険もある。

 そこで政界参謀士が考えるのは、「戦うか、戦わないか」という2択ではなく、行動した後に人間関係の地図がどう変わるかである。直接反論する場合と政策上の争点だけを切り離して議論する場合では、その後に残る関係が違い、第三者を介して調整する場合、いったん時間を置く場合、別の政策では協力関係を維持する場合でも、その先に形成される政治的な盤面は変化する。

 つまり対立相手への対抗とは、相手を傷つける方法を探すことではなく、自分の政策活動や協力関係を守りながら、相手との力関係が変化した場合にも行動できる余地を残すことである。短期的な勝敗だけを見れば強硬策が魅力的でも、半年後や1年後に別の政策でその相手との協力が必要になる可能性まで考えれば、まったく別の選択が合理的になることもある。

 政治に永遠の敵も永遠の味方もいないという古い言い回しがあるが、ネットワークとして政治を見ると、その言葉には別の意味が生まれる。重要なのは敵か味方かという分類ではなく、どの問題では協力し、どの問題では対立し、その関係が時間とともにどう変化しているかなのである。

政界参謀士が見るのは「静止画」ではなく「動画」

 人間関係の地図を作ったとしても、その地図を机に貼って半年間眺めているだけなら大した意味はない。政治的人間関係は常に変化するからである。

 1週間前にはほとんど接点のなかった2人が頻繁に同じ会合へ出席するようになり、これまで一緒に活動してきた議員同士の共同歩調が少なくなり、ある政策をきっかけに複数のグループを横断する新しい関係が生まれることもあるだろう。重要なのは現在誰と誰がつながっているかだけでなく、その線が太くなっているのか、細くなっているのかという変化である。

 この考え方を採れば、政界参謀士の仕事は「現在の政局を説明する人」から「関係の変化を観測する人」へ変わる。昨日まで重要人物だった議員が今日も同じ重要性を持つとは限らず、それまで目立たなかった人物が複数のグループを結び始めれば、その変化自体が重要な情報になる。

 政治の世界を1枚の写真としてではなく連続した映像として見ることによって、初めて「次の一手」を考える材料が生まれるのである。

月曜日の正解が火曜日には消える

 例えば月曜日の朝、ある国会議員のもとへ3つの政治的な情報が届いたとする。自分が関係する政策グループから共同提言への参加を求められる一方、党内では慎重な対応を望む声があり、さらに同じ政策分野を主戦場としている別の議員が近く新しい動きを見せそうだという状況である。

 本人と秘書は電話をかけ、周囲の反応を調べ、経験から判断するだろうが、政界参謀士がそこへ加われば、それまでとは別の種類の資料が机に置かれる。

 共同提言へ直ちに参加した場合には政策グループとの関係が強まる可能性がある一方、別の勢力との調整余地が狭くなるかもしれない。参加を保留すれば選択肢は残るものの、政策上の主導権を他の議員に握られる可能性があり、単純な賛否ではなく修正案を示せば、双方と一定の関係を残しながら独自の立場を作れるかもしれない。

 しかし火曜日の朝、別の有力議員が共同提言への参加を表明したなら盤面は変わる。月曜日に計算した選択肢の価値は変化し、昨日なら合理的だった判断をそのまま使う理由もなくなる。

 政界参謀士に求められるのは、未来を1度当てる能力ではなく、状況が変化するたびに前提を更新し、新しいシナリオを作り直す能力である。

未来を当てる仕事ではなく、未来を複数用意する仕事

 ここには、政界参謀士という職業を荒唐無稽な予言者にしないための重要な境界がある。

 政治家という人間の行動を、「この議員は3か月後に必ずこう動く」と正確に予言することは難しい。本人の考えが変わることもあれば、予想外の事件が起きることもあり、政治の外側で発生した出来事が一夜にして状況を変えることもある。

 そこで政界参謀士は未来を1本に絞らず、「Aが動けばBはこう反応する可能性がある。その場合Cは中立を維持する可能性が高いが、Dが参加すればCの判断も変わる」というように、条件によって枝分かれする複数の未来を用意する。

 重要なのは予言の的中率を競うことではなく、予想外の事態が起きたときにも次の選択肢を残しておくことであり、政治家本人が「この未来しかない」と思い込んでいるとき、別の経路が存在することを示すだけでも、参謀として大きな役割を果たす可能性がある。

 言い換えれば、政界参謀士とは未来を当てる人ではなく、未来を1つに決めつけないための専門家なのである。

データが増えるほど、数字にできない情報も重要になる

 ここで1つの逆説が生じる。数理分析を重視すればするほど、政界参謀士は「数字では測れないもの」を軽視できなくなる。

 例えば2人の議員が過去5年間に何回共同提言へ参加したかは数えられるし、国会での行動や公開された発言を調べることもできる。しかし、20年間の付き合いから生まれた信頼、過去に受けた恩義、本人同士しか知らない感情まで、公開データから正確に計算することはできない。

 だから公開情報から作られた人間関係地図には必ず誤差が含まれ、数学的に精密な模型ほど、それが現実そのものではないことを理解して扱わなければ危険になる。

 優れた政界参謀士がいるとすれば、数字を絶対視する人物ではないだろう。データから見える部分と、データでは見えない部分を区別し、「この分析にはここまでしか分からない」という限界まで政治家へ説明できる人物であり、数字に強いこと以上に、数字を疑えることが重要な資格になるかもしれない。

政治家が合理的でも「参謀」が必要になる理由

 政界参謀士という職業の必要性を説明するとき、「最近の政治家は政局を読めなくなったからだ」としてしまえば話は簡単である。しかし、その説明では根拠が弱いうえに、この職業の本当の面白さも失われてしまう。

 むしろ政治家本人が優秀であっても、政界参謀士は成立し得ると考えた方がよい。

 人間には、同時に扱える情報量にも時間にも限界がある。政治家自身が政策を考え、国会活動を行い、地元と接し、党内調整を続けながら、数十人あるいは数百人の政治家の関係変化を継続的に観測し、さらに複数の行動シナリオまで計算することには限界がある。

 企業経営者が、会計、法務、技術、市場分析のすべてを自分1人で専門家以上に処理しなくても経営者として失格にならないのと同じように、政治家が政治判断に必要な分析の一部を専門家から受け取ることも、必ずしも政治家本人の能力不足を意味しない。

 最終的な判断を本人が行うのであれば、参謀の存在は政治家から判断力を奪うのではなく、判断材料を増やす役割を持つことになる。

「政局を読めない政治家」が注目されたときに市場が生まれる

 それでも、政界参謀士という職業が実際に世の中へ現れるとすれば、そのきっかけの1つは、政治家の判断ミスが社会から強く意識されるようになったときかもしれない。

 発言する時期を誤ったように見える政治家、協力できたはずの相手と関係を壊した政治家、目先の対立に集中するあまり中長期の協力関係を失った政治家が繰り返し注目されれば、「政治家自身の経験と勘だけに任せていてよいのか」という疑問が生まれる可能性がある。

 ただし、そこから「政局を読めない政治家が増えた」と結論づけることはできない。昔にも判断を誤った政治家はいただろうし、現代では政治行動が以前より可視化されているため、失敗が目立ちやすくなっただけかもしれない。

 重要なのは、本当に政治家の能力が低下したかどうかではなく、「政治判断を分析によって補助することに価値がある」と政治家自身が認識するかどうかである。

 需要が生まれれば、最初は資格など持たない個人的な助言者として現れるだろう。次に政治データを分析する専門家、政策スタッフ、統計分析者、政治コンサルタントなどの一部が似た仕事を始め、やがて一定の分析手順や倫理基準が形成されれば、「政界参謀士」のような名前を持つ専門領域が成立する可能性も考えられる。

 つまり政界参謀士は、ある日突然発明される職業ではなく、すでに存在する複数の仕事と分析技術の境界が少しずつ溶け、その交差点から生まれてくる職業なのである。

「資格」になるためには数学だけでは足りない

 もし政界参謀士が資格制度として成立するとすれば、その試験で統計学やデータ分析だけを出題しても不十分だろう。

 政治制度を知らなければ分析した数字の意味を理解できず、組織論を知らなければ派閥やグループの形成を読み違え、人間関係を理解しなければネットワーク図を現実より単純に見てしまう。ゲーム理論を知っていても、相手が必ず合理的に行動するとは限らないことを理解していなければ、計算そのものが誤った自信を生む。

 したがって政界参謀士には、政治学、統計学、ネットワーク分析、意思決定論、交渉論、組織論、心理学、データ分析などを横断する知識が必要になり、そこに文章を読み解く力、人間を観察する力、そして「分からないものを分からないと言う能力」が加わる。

 数学によって人間を単純化する資格ではなく、数学を使いながらも、人間は数学だけでは説明できないことを知っている資格でなければならない。

最大の問題は「分析できるか」ではなく「どこまで分析してよいか」

 そして、この職業が本当に成立するとき、最も難しい問題は計算方法ではないかもしれず、何を分析してよいのかという倫理の方が、はるかに大きな問題になる可能性がある。

 公開された政治活動を分析することと、私生活や非公開情報まで収集して政治的弱点を探すことでは意味が違う。協力関係を作るための分析と、相手を不当に失脚させる目的の分析も同じではない。虚偽情報を流した場合の効果まで計算して提示するようになれば、それはもはや意思決定支援ではなく、民主政治そのものへの危険になり得る。

 そのため架空の資格「政界参謀士」が本当に制度化されるなら、秘密を守る義務、個人情報の扱い、分析対象となる情報の範囲、虚偽情報を利用しない原則などについて、厳しい倫理基準が必要になるだろう。

 そして何より、参謀が政治家の代わりになってはならず、参謀が示すのは地図であり、進む道を決めるのは政治家本人である。この境界が失われれば、有権者が選んだ政治家の背後で、選ばれていない専門家が実質的な政治判断を行うという別の問題が生まれる。

人間関係を数式で読むという、一見奇妙な仕事

 政治と数学は遠い世界のように見える。しかし考えてみれば、政治とは多数の人間がそれぞれ異なる目的を持ちながら、協力したり競争したりする世界であり、数学やデータサイエンスが長く扱ってきた問題とも意外なほど重なっている。

 誰と誰がつながっているのかをネットワークとして見ることができ、協力と対立を異なる関係として扱うことができ、状況が時間とともに変化する様子も分析できる。それでも人間の感情や信頼を完全に数値化することはできないから、最後には人間を理解する能力が必要になる。

 そこに、この架空の職業の奇妙な魅力があり、最も数学的な政治スタッフが、最も人間くさい部分を見なければならないのである。

いつか議員会館で「3つのシナリオを作りました」と言う人

 現在、「政界参謀士」という資格は存在しないし、将来誕生することを示す統計もない。したがって、この職業が10年後や20年後に実在すると断言することはできない。

 しかし、その構成要素まで存在しないわけではない。政治家を補佐する人々はすでに存在し、人間関係をネットワークとして分析する数学があり、不確実な状況で複数のシナリオを比較する意思決定の考え方もある。大量の公開情報を処理する技術も発達している。

 まだ存在しないのは、それらを1人の政治家の日常的な政治判断へまとめて適用する職業なのである。

 もし政治関係がさらに複雑になり、公開される情報が増え、政治家が経験と勘だけですべてを処理することが難しくなれば、その空白を埋めようとする人が現れても不思議ではない。最初から「政界参謀士」という資格証を持って現れるのではなく、「先生の分析担当」「政治戦略担当」「データ担当」と呼ばれていた人々が、いつの間にか同じ種類の仕事を始めているという形の方が現実的だろう。

 ある朝、議員会館の一室で政治家が「例のグループへ入った場合、どうなると思う」と尋ねると、隣の人物は自分の勘だけでは答えず、党内の人間関係、最近の協力関係の変化、政策上の利害、周囲の反応を分析した資料を机に置き、「現時点では3つのシナリオが考えられます」と説明を始める。

 1つのシナリオを選べとは言わず、それぞれを選んだとき、何を得る可能性があり、何を失う危険があり、その後どのような選択肢が残るのかを示していく。

 政治家の仕事が決断することであるなら、参謀の仕事は、決断する前に見える世界を少し広げることなのかもしれない。

 誰と組むのか、誰とは距離を置くのか、いま動くのか、それとも待つのか、対立するのか、それとも対立を残したまま別の場所では協力するのかという、これまで政治家が経験と勘の中で考えてきた問いを、データ、数学、人間観察によって整理し、複数の未来として机の上に並べる。

 未来を予言するのではなく、未来を1つに決めつけないことが、いつか「政界参謀士」と呼ばれる人々の仕事になるのかもしれない。

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