当確師」の変遷
選挙になると、表舞台には候補者が立つ。駅前でマイクを握り、街角で頭を下げ、集会では政策を語り、選挙カーから名前を繰り返すが、その少し後ろには、候補者とはまったく違う景色を見ている人物がいる。「この地区では票が足りない」「この訴え方では高齢層には届くが若い世代には響かない」「こちらの支持者は多いが投票所まで来てくれるか分からない」と考えながら、目の前の一人ではなく、選挙区全体を眺めている人である。
そうした人物は、時代によって選挙参謀、選挙プランナー、選挙コンサルタントなど、さまざまな名前で呼ばれてきた。本稿では、それらを少し俗っぽく、象徴的に「当確師」と呼ぶことにしたい。もちろん「当確師」という公的な資格や正式な職業が存在するわけではないが、この言葉には、結果の見えない選挙において、誰よりも早く勝敗の形を読もうとする人間の姿がよく表れている。
もっとも、昭和、平成、令和の当確師を、まったく別の種類の人間として考えるのは正確ではない。昭和の技術が平成に消え、平成の技術が令和に消えたわけではなく、むしろ地縁や組織、人間関係を読む技術の上に、世論調査やイメージ設計が加わり、さらにデータ分析やインターネット上の情報が積み重なってきたと見る方が実態に近い。選挙は時代ごとに着替えてきたのではなく、古い服の上に新しい布を縫い足しながら、次第に複雑な装いになってきたのである。
昭和の当確師は「人間関係の地図」を持っていた
昭和の選挙を考えるとき、現代のような巨大なデータベースやスマートフォンを思い浮かべる必要はない。当時の優秀な選挙参謀にとって最大の情報資産は、コンピューターの中ではなく、人間の頭と足の中に蓄積されていたからである。どの集落では誰に話を通せば人が集まるのか、商店街では誰の一言が効くのか、農家同士の関係はどうなっているのか、前回はこちらに入れた家が今回はなぜ静かなのかといった細かな情報が積み重なり、それが選挙区の「地図」になっていた。
戦後の衆議院選挙では長く、複数の候補者が同じ選挙区から当選する中選挙区制が用いられ、同じ政党から複数候補が立つことも珍しくなかった。そのため候補者は他党の候補者だけでなく、同じ党の候補者とも個人票を争わなければならず、「政党に入れる」というより「この人に入れる」という支持を確保する必要が強かった。そこで大きな意味を持ったのが後援会であり、候補者本人と地域社会を長期的につなぐ組織だった。
ただし、後援会の発達を中選挙区制だけで説明するのは正確ではない。戦前から個人後援会は存在しており、戦後に広く発達した背景には、中選挙区制による候補者間競争だけでなく、公職選挙法によって選挙期間中の運動が細かく規制されたことも関係していたと考えられている。選挙期間だけ活動するのでは足りないため、日常から人間関係を保ち続ける必要があり、冠婚葬祭や地域行事、業界団体、町内会などとの接点が政治活動の一部になっていったのである。
こうした環境では、選挙参謀が見るべきものは数字そのものというより、数字になる前の空気だった。「この地区は前回より集まりが悪い」「いつも顔を出す人が今回は来ない」「こちらを支持すると言っていた人物の返事が曖昧になった」といった小さな変化から、まだ集計表には現れていない潮目を読み取ろうとしたのである。
もちろん昭和にも票読みはあった。「この地区なら千票は固い」「この団体からは七割程度が出る」といった数字が語られたが、それらは今日の統計モデルのように大量の観測データから機械的に算出されたものではなく、過去の選挙、地域事情、人間関係、担当者の経験を組み合わせて作られることが多かった。つまり昭和の当確師とは、数字を使わなかった人ではなく、数字を人間関係の中から掘り出していた人なのである。
平成の政治改革が変えたもの
平成に入ると、日本の国政選挙では大きな制度変更が起きた。1994年の政治改革によって衆議院選挙に小選挙区比例代表並立制が導入され、1996年の総選挙から新しい制度による選挙が始まった。小選挙区では一つの選挙区から原則一人しか当選しないため、同じ党の候補者同士が一つの選挙区で競う旧来の構図は大きく後退し、候補者や政党は選挙区全体で相手候補より多くの票を獲得する必要に迫られた。
ただし、この変化をそのまま地方選挙へ当てはめることはできない。市長選や町長選、知事選、地方議会議員選挙が1994年を境に同じ制度へ変わったわけではなく、衆議院選挙の制度改革と地方選挙の制度は別に考えなければならない。それでも、国政の政治環境が変化し、政党間競争やメディアの役割、世論調査の重要性が高まれば、その影響は地方政治にも徐々に広がっていくため、平成という時代を「選挙の見方が変わっていった時期」と捉えること自体には意味がある。
昭和型の選挙では、自分の支持者を固め、その支持を長期的に維持する力が大きな武器だったが、小選挙区を中心とした競争では、それだけでは足りない場面が増える。自分を強く支持している人だけでなく、支持政党を決めていない人、選挙ごとに投票先を変える人、政策や候補者の印象によって判断する人まで含めて、選挙区全体にメッセージを届ける必要が大きくなったからである。
ここで当確師の仕事には、新しい問いが加わる。どこを回ればよいかだけではなく、どの言葉を使えばよいか、何を候補者の中心的なイメージにするか、どの政策を前面に出し、どの政策は詳しく説明するにとどめるかといった「見せ方」の設計が、従来以上に重要になっていったのである。
平成の当確師は、候補者を「編集」するようになった
平成の選挙で重要になったのは、候補者自身が自分をどう評価しているかではなく、有権者からどう見えているかという視点だった。本人は「慎重で誠実な政治家」と考えていても、有権者には「決断力が弱い」と映るかもしれず、「改革派」を自称していても、長年議員を続けていれば「既存政治の一部」と受け取られることもあるため、自己評価と外部評価のずれを把握する必要が生じる。
そこで選挙参謀や選挙コンサルタントは、候補者の人格を作り変えるというより、候補者の中にすでに存在している複数の特徴から、どの部分を前面に出せば有権者に伝わりやすいかを考える編集者のような役割を担うようになる。経歴、年齢、専門性、家族像、政策、話し方、服装、写真、キャッチフレーズといったさまざまな要素の中から、「この人は何者なのか」という像を一つにまとめる作業である。
これは商品の広告に似ているようで、完全には同じではない。政治家は選挙が終われば消える商品ではなく、当選すれば議会や地域に残り続けるため、選挙期間中につくったイメージと本人の実像が大きく離れていれば、やがて矛盾が表面化する。したがって長期的に強い候補者ほど、別人を演じるのではなく、自分が本来持っている特徴の中から、有権者に伝わりやすく、しかも本人が維持できる姿を選び取る必要がある。
この意味で、平成型の当確師は「候補者を商品化する人」というより、「候補者を翻訳する人」と考えた方が適切だろう。候補者が持つ専門用語や政治的理念を、有権者が日常生活の中で理解できる言葉へ置き換え、複雑な人物像を一つの分かりやすい印象へまとめるのである。
令和には、画面の中にも選挙区ができた
そして令和になると、選挙区にはもう一つの空間が加わった。道路や住宅地によって区切られた現実の選挙区とは別に、スマートフォンの画面の中にも、人々が候補者を知り、評価し、語り合う空間が広がったのである。
2013年にはインターネットを利用した選挙運動が解禁され、ウェブサイトやSNS(Social Networking Service・ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使った情報発信が選挙運動の一部として定着していった。候補者の演説は、その場にいる数十人や数百人だけに届くものではなくなり、撮影された動画が後から何千人、何万人に見られる可能性を持つようになったため、街頭演説は同時に映像素材でもあり、候補者の一つの発言が切り取られて広がることも珍しくなくなった。
ただし、ネット選挙の効果を過大評価してはいけない。日本の選挙研究では、インターネット上の情報接触が政治認知や一部の投票行動に影響する可能性は確認されているものの、ネット選挙運動の解禁だけで投票行動が大きく変わったとまでは言えず、特に選挙参加については年齢、政治関心、所得、従来型メディアへの接触など、さまざまな要因が重なっていることが示されている。
そのため、令和の当確師が「SNSで話題になれば勝てる」と考えるなら、それはむしろ危険である。地方選挙では特に、投稿に反応している人の多くが選挙区外に住んでいる可能性があり、選挙権を持たない人、同じ人による複数の反応、支持ではなく批判としての反応も混ざるため、画面上の数字と票数は直接対応しないからである。
一万の「いいね」が、一万票にならない理由
ここで令和の選挙が抱える難しさが見えてくる。データは昭和より圧倒的に増えたが、データが増えれば真実がそのまま見えるわけではない。SNSの反応数、動画の再生回数、検索回数、世論調査、年代別人口、地区別投票率など、多くの数字を集めることはできるものの、その数字が何を表しているのかを間違えれば、情報が多いほど判断を誤る危険さえある。
例えば、ある候補者の投稿に一万件の反応が付いたとしても、その一万人がその候補者に投票するとは限らない。選挙区外の人が半分を占めているかもしれず、候補者を批判する目的で見ている人もいれば、投票日に投票所へ行かない人もいるため、SNS上の人気と実際の得票の間には複数の段階が存在する。
さらに重要なのは、人気と得票の因果関係である。SNSで人気になったから票が増えたのか、それとも元々支持の強い候補者だからSNSでも反応が多かったのかは、単純な観察だけでは分からない。候補者の知名度、政党、地域での基盤、報道量などが両方に影響している可能性もあり、データサイエンスの言葉で言えば、選択バイアスや交絡を無視してはならない。
昭和の当確師には情報が足りないという苦労があったが、令和の当確師には、情報が多すぎる中から「本当に票につながる情報」を選ばなければならないという別の苦労がある。道具は進歩しても、判断が簡単になったわけではない。
支持率だけでは選挙は読めない
選挙を数理的に考えると、支持者の人数だけを数えても十分ではない。重要なのは、その人が候補者を支持しているかだけでなく、実際に投票へ行く可能性、投票所へ行ったときに最終的にその候補者を選ぶ可能性まで考えることである。
仮に候補者Aを支持している人が一万人いても、そのうち六割しか投票に行かなければ、得られる票は単純計算では六千票程度になる。一方で候補者Bの支持者が八千人しかいなくても、その九割が投票すれば七千二百票程度になるため、「支持者が多い候補者が必ず勝つ」とは言えない。
実際の選挙はこれよりはるかに複雑で、選挙戦中の出来事、候補者間の競争、投票日の条件、期日前投票の広がりなども影響するが、少なくとも「支持」と「実際の投票行動」を分けて考える必要があることは変わらない。また、天候についても単純に「雨が降れば投票率が下がる」と決めつけるのは危険で、日本の選挙研究では降雨量よりも風など別の気象条件が影響している可能性も指摘されているため、悪天候や交通事情など、その日の条件が投票参加に影響することがある、という程度に考える方が慎重である。
令和の当確師が本当に見なければならないもの
現代の選挙参謀が見るべきものは、単なる人気ではない。誰が支持しているか、その支持はどの程度強いか、投票まで行動する可能性はどの程度あるか、どの地区で支持が不足しているか、無党派層の関心はどこにあるか、相手候補の支持がどれほど固いかといった複数の要素を、同時に考える必要がある。
だから選挙戦終盤で最も合理的な行動が、必ずしも「もっと有名になること」とは限らない。新しい支持者を一万人増やそうとするより、すでに好意的な有権者の中から投票に迷っている人を動かした方が有効なこともあり、地域によって支持の偏りが大きい場合には、選挙区全体へ均等に働きかけるより、弱い地区へ重点的に足を運ぶ方が合理的な場合もある。
この意味で、令和の当確師は世論を自在に操る魔術師ではなく、不完全な情報から人間の行動を推定し、限られた時間、人員、資金をどこへ配分するかを決める戦略家へ近づいている。統計やデータはその判断を助けるが、最後の判断まで自動化してくれるわけではない。
それでも昭和は消えていない
ここまで読むと、昭和、平成、令和で選挙の技術が完全に入れ替わったように見えるかもしれないが、実際にはそうではない。令和の地方選挙でも、地域の有力者、自治会、業界団体、後援会、日常の人間関係は依然として意味を持ち、候補者が地域でどれほど顔を知られているか、何年活動してきたか、困ったときに相談できる人物だと思われているかといった評価は、デジタル時代になっても簡単には消えない。
一方で、昭和の当確師が使っていた地縁だけでも足りず、平成に広がった世論調査や候補者イメージの設計だけでも足りず、令和ではさらにSNSや動画、人口統計、投票データなどを組み合わせなければならない。現代の当確師は、昭和を捨てた人ではなく、昭和の技術を持ったまま平成と令和の技術まで背負わされるようになった人なのである。
この累積こそが、現代の選挙を難しくしている。使える道具が増えたから仕事が簡単になるのではなく、見るべきものが増え、判断しなければならないことが増えたため、選挙参謀には以前より広い視野が求められるようになった。
「見える票」から「見えにくい票」へ
昭和の選挙では、現在より地域組織や職場、業界団体、後援会などとの結びつきが強く、候補者側から見て支持の所在を把握しやすい部分が大きかったと考えられる。それに対して現在では、後援会にも入らず、政治集会にも参加せず、SNS上でも政治的な意見を表明しないまま、投票日だけ静かに投票所へ向かう有権者も少なくない。
ただし、「昭和はすべての票が見え、令和は見えなくなった」とまで言うことはできない。無党派層は平成期からすでに政治学上の重要な研究対象となっており、政党や組織との結びつきが弱い有権者は以前から存在していたため、正確には、従来の組織関係だけでは投票行動を把握しにくい人々の存在が、選挙戦略上ますます重要になったと考えるべきだろう。
つまり、当確師の仕事が難しくなった理由の一つは、データ不足だけでもデータ過剰だけでもなく、有権者そのものが以前より多様な情報源を持ち、投票先を決める経路が複雑になったことにある。
当確師が進化したのではなく、見るべき世界が増えた
昭和の当確師は地域の人間関係を読み、平成の当確師はそれに世論や候補者イメージの設計を加え、令和の当確師はさらにデジタル空間の反応と大量のデータを見るようになった。しかし、この三つは互いに排他的なものではなく、現代の選挙ではすべてが同時に存在している。
だから優秀な選挙参謀とは、最新の分析ツールを使える人だけでもなければ、地域の有力者を多く知っている人だけでもない。数字を見るときに、その数字の後ろにいる人間を想像でき、地域の声を聞くときに、それが選挙区全体を代表しているとは限らないことを理解し、ネット上の盛り上がりを見ても、それがそのまま票になるとは考えない人である。
選挙という現象は、政治学であると同時に、社会学であり、心理学であり、統計学でもあるが、そのどれか一つだけで完全に説明することはできない。だからこそ当確師という存在には、いつの時代にも最後まで職人の部分が残る。
最後に残るのは、やはり人間である
昭和の当確師は手帳を開き、平成の当確師は世論調査を読み、令和の当確師は画面いっぱいに並んだ数字を見る。しかし、最後に知りたいことは三つの時代で変わっていない。
人は、なぜこの候補者に一票を入れるのか。
政策への共感かもしれないし、人柄への信頼かもしれない。政党を支持しているからかもしれず、現職への不満から対立候補を選ぶ人もいれば、知人から頼まれたことが最後の一押しになる人もいる。投票用紙に書かれる名前は一つでも、そこへ至る理由は有権者の数だけ存在する。
だから選挙のプロが最後に向き合うのは、統計そのものではなく、統計の向こう側にいる人間である。
昭和には、その人間を集落の道を歩きながら見た。平成には、世論調査やテレビ、候補者の印象を通じて見た。令和には、地域の人間関係に加えて、データやスマートフォンの画面を通じても見ようとしている。
道具は変わった。情報量も変わった。しかし、完全に予測できないという選挙の本質までは変わっていない。
もし誰かが、すべての有権者の行動を正確に予測し、必ず候補者を当選させる方法を発明したなら、その瞬間に選挙は不確実な政治過程ではなく、計算問題になってしまうだろう。しかし現実には、投票箱が閉じられるまで人間は考えを変え、迷い、時には最後の瞬間に選択する。
だから当確師は、いつの時代にも数字を読み、人を読み、空気を読み、それでも最後には完全には読めない何かを残したまま投票日を迎える。
昭和から平成、そして令和へと変わったのは、当選させるための魔法ではない。見なければならない世界が増えただけである。
そして、その世界の中心には今も変わらず、一枚の投票用紙を前にして最後の名前を決める、一人の有権者がいる。

