地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

 地方議会の議員報酬ほど、見る立場によって金額の意味が変わるものは少ない。住民の側から見れば、「議会は一年中開かれているわけではないのに、毎月これだけ受け取るのか」という疑問が生まれる一方、四十代や五十代の会社員が仕事を辞め、四年後には落選して収入を失うかもしれない人生を選ぼうとすれば、「この金額で現在の仕事と将来を手放せるのか」という、まったく反対の疑問が現れる。同じ月額二十万円、三十万円、四十万円という数字が、一方からは高く見え、もう一方からは安く見えるのである。

 この食い違いを、「議員はもらいすぎだ」「いや、報酬が低いから人が集まらない」という二つの主張に分けてしまうと、地方議会が抱えている問題の核心は見えにくくなる。本当に考えなければならないのは、議員一人がいくら受け取っているかだけではなく、その報酬水準と制度によって、どのような人なら政治に参加でき、反対にどのような人が立候補する前から選択肢を失っているのかという問題だからである。さらに、公費を負担する住民の立場からすれば、その報酬によってどのような議会活動が行われ、行政への監視や政策形成がどれほど実効的になっているのかも、当然ながら問われなければならない。

月二十万円台の町議は、本当に高給なのか

 全国町村議会議長会の調査によれば、令和七年七月時点の町村議会一般議員の平均報酬月額は二十二万二千七百四十円で、人口五千人未満の町村では十九万一千六百二十四円、人口二万人以上の町村では二十七万三千三百四十円となっている。同じ町村議会でも人口規模による差はかなり大きく、全国平均の一つの数字だけで「町議はこれだけもらっている」と語ることには注意が必要である。議員定数や人口密度、自治体の財政規模、議会運営の方式もそれぞれ異なるため、人口規模が違う町村の報酬を単純に比較して、その高低を判断することは適切ではない。

 市議会になると金額はさらに上がる。全国市議会議長会の令和七年十二月末時点の調査では、一般市議会議員の平均報酬月額は約四十二万九千円で、人口五万人未満の市では約三十四万二千円、指定都市では約七十八万九千円となっている。したがって「市議会議員」という名称が同じでも、人口数万人の小都市と数百万人規模の大都市では、報酬だけでなく、扱う予算の規模、行政組織の複雑さ、議員一人が代表する住民数も大きく異なる。町議会まで含めて地方議員を一つの職業のように扱い、全国一律の報酬水準が妥当かどうかを論じること自体に限界がある。

 さらに、月額報酬だけを十二倍して議員の年間収入と考えるのも正確ではない。町村議会では六月と十二月に期末手当が支給される自治体が大部分を占め、令和七年調査では年間平均支給率が三・六三か月分となっている。平均月額二十二万二千七百四十円に十二か月と三・六三か月分を単純に掛ければ、年間約三百四十八万円となるが、実際には期末手当の算定基礎に加算措置を設けている町村が約九割に達しているため、この金額が全国の議員の実際の平均年収を表すわけではない。報酬月額の集計値と期末手当の平均支給率を組み合わせた概算であり、個々の議員の年間受取額は各自治体の条例や在職期間によって異なる。

 ここまでを見ると、「地方の所得水準を考えれば、それほど安くないではないか」という住民の感覚にも相応の根拠がある。特に人口の少ない地域では、年金生活者や非正規雇用者、所得の低い自営業者も暮らしており、公費から年間数百万円を受け取る議員を見て、それを「安い」と感じられない人がいるのは不自然ではない。もっとも、報酬は税金や社会保険料などを控除する前の金額であり、議員活動に伴う個人的な負担が発生する場合もあるため、単純に全額が自由に使える所得になるわけではない。政務活動費や費用弁償についても、本来は政策調査などの活動経費や職務上の費用に対応する制度であり、議員個人の報酬と同一視してはならない。

 議員報酬が高いか安いかを住民所得と比較することは重要である。しかし、それだけでは議員になろうとする人の経済的な負担を説明できない。ここからは、報酬を受け取る側ではなく、立候補を考える人の立場から数字を見直す必要がある。

議員報酬より高い「立候補の値段」

 例えば四十五歳の会社員がいるとする。住宅ローンを払い、子どもの教育費を負担し、毎月の給与と賞与を受け取り、厚生年金にも加入しながら働いている。その人が地域の将来に危機感を持ち、「町議会議員になってみよう」と考えたとき、比較するのは議員報酬とゼロ円ではない。現在受け取っている給与や賞与に加えて、勤務先を通じた社会保険、退職金、昇進の可能性、会社員として経験を積み重ねることによる将来の所得、そして仕事を続けられる見通しまで含めて、議員になった場合の生活と比較することになる。

 経済学では、ある選択をすることで失われる最も価値の高い別の選択肢を「機会費用」と呼ぶ。地方議員の報酬を考えるうえでも、この概念は重要であり、同じ年間三百五十万円であっても、退職後の人にとっての三百五十万円と、年収六百万円の現役会社員にとっての三百五十万円では、経済的な意味が異なる。仮に年収六百万円の会社員が退職して、年間三百五十万円の議員報酬だけで生活することになれば、額面上の年間収入は二百五十万円減少し、四年間では単純計算で一千万円の差となる。実際には税金や社会保険、将来の昇給、退職給付などを考慮する必要があり、この一千万円をそのまま経済的損失とみなすことはできないものの、議員報酬の絶対額だけでは立候補の負担を測れないことは明らかである。

 しかも地方議員は、原則として四年ごとに選挙という審判を受ける。会社を辞めて初当選したとしても、四年後に再選される保証はなく、落選した時点で元の職場や元の待遇に戻れることが一般的に保障されているわけでもない。任期終了後に再就職できるかどうか、以前と同程度の所得を得られるかどうかも不確実であり、議員を目指すことには、四年間の収入差だけでは測れない将来の職業上の危険が伴う。特に住宅費や教育費の負担が大きい現役世代ほど、この不確実性を重く評価する可能性がある。

 ただし、地方議員になるために、すべての会社員が必ず退職しなければならないわけではない。議員活動と本業を両立できる場合もあり、その可能性は勤務先の就業規則、議会活動に必要な時間、職務内容などによって異なる。労働基準法第七条は、公民としての権利行使や公の職務の執行に必要な時間について一定の保護を定めており、自ら立候補して法定の選挙運動期間中に選挙運動を行うことも、保護対象に含まれると解されている。しかし、その時間について賃金の支払いまで義務付けるものではなく、当選後四年間の休職や任期終了後の復職を一律に保障する制度でもないため、会社員が職業上の危険を負わずに立候補できる環境が十分に整っているとはいえない。

 したがって、地方議員のなり手不足を考えるときには、「議員になればいくら受け取れるのか」という問題だけでなく、「議員になるために何を失う可能性があるのか」という問題を同時に考える必要がある。地方議員の報酬が地域の平均的な所得より高かったとしても、それだけで現役会社員の立候補を促すのに十分だとは限らないのである。

議員の高齢化は何を意味しているのか

 令和七年の町村議会議員の平均年齢は六十四・九歳で、六十歳代が三二・四%、七十歳代が三七・六%、八十歳以上も三・七%を占めている。これらを合計すると六十歳以上が七三・七%となり、町村議員のおよそ四人に三人が六十歳以上という計算になる。また、女性議員の割合は一四・六%にとどまり、職業別では議員専業が二五・一%、農業が二三・七%を占める。町村議会の議員構成が、一般的な就業者全体の年齢構成や職業構成と必ずしも一致していないことは、こうした統計から読み取れる。

 しかし、この数字から直ちに「報酬が低いから高齢者ばかりになった」と結論づけることはできない。地方そのものの高齢化、若い世代の都市流出、農業や自営業を中心とする産業構造、議員活動に必要な時間、地域社会における知名度や人間関係など、候補者の年齢構成を左右する要因は数多く存在するからである。そもそも、議員の平均年齢が高いことを評価するためには、当該地域で被選挙権を持つ住民の年齢構成も比較しなければならず、地域の高齢化を考慮せずに議員の高齢化だけを問題視することは統計的に適切ではない。

 さらに、若い世代の議員が少ない理由を調べるには、候補者の年齢構成と当選者の年齢構成を分けて考える必要がある。若い世代が立候補していないのであれば、報酬や勤務条件、選挙費用、地域社会の慣行などが参入障壁となっている可能性がある一方、立候補しても当選しにくいのであれば、有権者の選択や選挙運動の仕組みなど、別の問題を検証しなければならない。議員の平均年齢だけでは、そのどちらが主な原因なのかを判断できないのである。

 また、現役の会社員ほど議員になることで失う所得や職業上の安定が大きくなりやすいことを考えれば、報酬水準や兼業の難しさが候補者の構成に一定の選別作用を及ぼしている可能性はある。ただし、報酬を引き上げれば若年議員や女性議員が自動的に増えるという因果関係まで、十分に確立しているわけではない。高齢の議員が多いこと自体を否定的に捉えるのではなく、年齢や職業、家庭環境にかかわらず、立候補を希望する人が現実的に競争できる制度になっているかどうかを検証することが重要である。

選挙をしない町が増えている

 地方議会のなり手不足を表す数字の一つが、無投票選挙の増加である。全国町村議会議長会の集計では、平成二十三年五月から平成二十七年四月までに行われた町村議会一般選挙のうち、無投票となった議会は二〇・四%だったが、その次の四年間には二一・九%、令和元年五月から令和五年四月までには二七・四%へと上昇した。また、令和五年の統一地方選挙では、三百七十三町村のうち百二十三町村、三三・〇%が無投票となった。ただし、四年間の一般選挙全体を対象とした集計と、統一地方選挙だけを対象とした集計では母集団が異なるため、これらの数値をそのまま連続した時系列として比較することはできない。

 無投票選挙では、候補者数が議員定数以下となり、住民が候補者を比較して投票する機会が失われる。候補者数が定数を下回れば欠員が生じる場合もあるため、無投票と定数割れは区別して考える必要があるが、いずれも候補者の供給が十分でない可能性を示している。議会という制度そのものは存続しても、候補者が政策や実績を示し、有権者が投票によって代表者を選ぶという民主主義の競争部分が弱くなることは、軽視できない問題である。

 では、その原因は議員報酬の低さなのだろうか。全国町村議会議長会が平成三十一年に公表した「町村議会議員の議員報酬等のあり方」に関する研究報告では、過去の町村議会選挙を対象として、無投票議会と無投票ではなかった議会の報酬水準が比較されている。その結果、無投票となった議会の一般議員平均月額報酬は約十九万五千五百円、無投票ではなかった議会では約二十一万七千四百円であり、平均値に約二万二千円の差が認められ、統計的にも有意とされている。これは令和七年の報酬水準を比較したものではなく、過去の調査データに基づく分析である点に注意が必要だが、少なくとも報酬が低い議会ほど無投票になりやすいという統計的な関係が存在したことを示している。

 しかし、ここから「報酬が低いから無投票になった」と断定することはできない。無投票となる町村は、人口規模や人口密度、産業構造、財政力、議員定数などの条件も異なる場合があり、人口減少や地域経済の縮小が、報酬水準と候補者不足の双方に影響している可能性がある。例えば、人口減少によって自治体の財政的な余裕が小さくなり、議員報酬を引き上げにくくなる一方、立候補を考える住民そのものも減少しているとすれば、報酬と無投票との間に統計的な関係が現れたとしても、それが報酬の直接的な効果とは限らない。

 さらに、無投票が増えた自治体ほど、対策として議員報酬を引き上げる場合も考えられる。このとき、報酬改定は候補者不足の原因であると同時に、その結果を受けた政策対応にもなるため、単純な統計比較では因果関係の方向を判断できなくなる。統計学でいう交絡や逆因果の問題であり、報酬と候補者数の関係を評価する際には、人口構成、地域の経済状況、過去の選挙状況などを考慮した分析が必要となる。

 したがって、「報酬が低い地域ほど無投票選挙が多い傾向が確認されている」というところまではデータによって支持されるが、「報酬を引き上げれば無投票選挙が解消する」という政策効果まで確認されたわけではない。議員報酬の低さは、なり手不足を構成する重要な要因の一つである可能性があるものの、その寄与の大きさを正確に測るには、人口減少、若者の流出、選挙運動への負担、本業との両立の難しさなどを含めた、より厳密な実証研究が必要なのである。

「議会に出る日数」で時給を計算してはいけない

 地方議員への批判でしばしば聞かれるのが、「議会は一年中開かれていないのだから、月に何十万円も払うのは高すぎる」という議論である。確かに、本会議への出席日数だけを数えれば、一般企業の年間勤務日数より少ない自治体が多いだろう。しかし、この比較には、仕事のどの部分を労働時間として数えるのかという問題がある。

 地方議員の仕事には、本会議への出席だけでなく、予算書や決算書の分析、条例案の検討、委員会審査、一般質問の準備、行政への調査、住民相談、地域課題の把握などが含まれる。地方自治法でも、議会は地方公共団体の重要な意思決定を担う議事機関として位置づけられ、議員には住民の負託を受けて誠実に職務を行うことが求められている。したがって、議員を「議場に座っている時間だけ働く人」とみなし、年間報酬を本会議への出席時間だけで割って時給を計算することは、仕事内容の一部分しか捉えていない点で適切ではない。

 もっとも、だからといって反対方向の誇張をしてもいけない。地方議員が年間何時間活動しているのかについて、全国の自治体を同じ定義と測定方法で比較できる網羅的な実働時間データが十分に整備されているわけではなく、議員ごとの活動量にも差があると考えられる。政策調査や行政監視に多くの時間を費やしている議員もいれば、住民から活動内容が十分に見えない議員もいるだろうし、地域の行事への参加や住民との交流を、どこまで公的な議員活動として計上するかという問題もある。

 また、活動時間の長さがそのまま仕事の質を意味するわけでもない。長時間を費やして大量の資料を作成したとしても、政策判断や行政監視に十分な効果がなければ、それだけで高い報酬を正当化することはできない。一方、短い時間で重要な行政上の問題を発見し、条例や予算の改善につなげた場合には、単純な労働時間だけで仕事の価値を評価することも適切ではない。議員の活動を評価するには、時間だけでなく、審議への参加、政策提案、行政監視、住民への説明といった複数の観点が必要となる。

 合理的な結論は、「本会議の開催日数だけから議員の実質的な時間単価を計算することはできない」ということであり、それと同時に「議員は大変な長時間労働だから報酬が安い」とも一律には断定できないということである。議員報酬の妥当性を議論するためには、議会活動の実態を住民が確認できる仕組みを整えることが先決であり、報酬の高低をめぐる印象論だけでは、適正な水準を判断できない。

議員報酬を削れば、自治体財政は救われるのか

 議員報酬を引き上げようとすると、「人口が減り、財政も厳しい時代に、なぜ議員だけ報酬を増やすのか」という反発が起こる。これは住民の立場からすれば理解できる疑問であり、議員報酬も税金によって支払われる以上、支出の合理性について説明責任がある。しかし、財政問題として考えるのであれば、自治体全体の歳出に対して議会関係費がどの程度を占めているのかも確認する必要がある。

 令和七年度当初予算における全国町村の平均では、一般会計歳出は約八十五億一千二百万円、議会費は約八千五十三万円であり、両者の比率は約〇・九%となっている。この議会費には議員報酬だけではなく、議会事務局職員の給与、共済費、旅費、委託費なども含まれているため、議員報酬だけを削減して自治体財政を大幅に改善することは、金額の規模から考えにくい。ただし、これは全国町村の平均金額を用いた比率であり、個々の自治体の議会費割合が一律に〇・九%という意味ではない。

 例えば一般議員十人の月額報酬を一人三万円ずつ引き下げ、期末手当も同じ割合で減ると仮定した場合、年間削減額は期末手当の算定基礎への加算を考慮しなければ約四百六十九万円となる。年間約八十五億円の一般会計に対する割合は約〇・〇六%であり、たとえ期末手当への加算措置を考慮しても、自治体全体の財政規模に対する影響は限定的である。もちろん、数百万円だから無視してよいという意味ではなく、その財源をどこへ配分するかには政策的な意味があるものの、議員報酬の削減だけを財政再建の中心的な手段と考えることには無理がある。

 むしろ検討すべきなのは、報酬削減によって年間数百万円を節約した場合に、候補者の参入や議会の行政監視能力へどのような影響が及ぶのかという点である。仮に報酬削減によって立候補できる人の範囲が狭まり、結果として議会での議論や行政監視が弱くなるのであれば、歳出の削減額とは別のところで社会的な費用が発生する可能性がある。地方議会は自治体の予算や条例、重要な行政上の意思決定を審議する機関であり、その機能を維持するための費用も自治体運営の一部だからである。

 ただし、ここでも「議会費は一般会計の一%未満だから、議員報酬を引き上げても問題ない」という結論にはならない。財政全体に占める割合が小さいことと、支出増加に政策効果があることは別の問題であり、報酬を増やしても候補者数が変わらず、議会活動にも改善が見られないのであれば、追加負担の合理性は弱くなる。議員報酬を行政監視のための制度コストとして位置づけることは妥当だが、実際にその費用が議会機能の充実につながっているかどうかは、別途検証されなければならない。

報酬を上げるだけでは、会社員は議場へ来ない

 地方議会のなり手不足を報酬だけで解決しようとすると、別の壁にぶつかる。仮に町議会議員の月額報酬を二十二万円から三十万円へ引き上げたとしても、現在年収六百万円を得ている四十代会社員が、それだけを理由に仕事を辞めて立候補するかと考えれば、答えは簡単ではない。月額三十万円に期末手当を加えても、現在の給与や賞与、退職給付、将来の昇進や職業上の安定を十分に代替できるとは限らず、任期終了後に再就職できるかどうかという問題も残るからである。

 社会保障の問題も重要である。地方議員は、議員という身分だけによって厚生年金保険への加入資格が与えられるわけではなく、地方議会関係団体からは加入制度の整備を求める要望が続いている。ただし、会社員などとして別の加入要件を満たしている議員まで厚生年金へ加入できないという意味ではなく、議員以外の働き方や保険加入状況によって取扱いは異なる。地方議員になることで社会保障上の不利益が生じるかどうかは、それまでの職業や議員就任後の就労形態によって違うため、報酬額だけで一律に評価することはできない。

 自営業者については、制度面で一定の改善が進められている。地方自治法の改正により、議員個人が当該自治体と行う請負について、各会計年度に支払われる請負対価の総額が三百万円以下の場合は、地方自治法上の請負規制の対象から除かれることとなった。これは、自治体との小規模な取引を行っている自営業者などが、事業を継続しながら議員を目指しやすくするための措置である。ただし、三百万円以下であればすべての取引が無条件に認められるわけではなく、他の法令や条例、利益相反の問題などは別途考慮する必要がある。

 現役世代が政治に参加しやすくするには、報酬だけでなく、兼業のしやすさ、勤務先の休職制度、任期終了後の復職可能性、社会保険、育児や介護との両立、議会日程の柔軟化などを総合的に考える必要がある。夜間や休日の議会開催、会議日程の早期公表、必要な範囲での情報通信技術の活用なども選択肢となるが、議会職員や行政職員の勤務負担、審議時間の確保、公開性の維持といった条件を無視して導入できるものではない。重要なのは、特定の方法を一律に採用することではなく、地域ごとの事情に応じて立候補と議員活動の障壁を減らすことである。

 また、候補者不足を解消するには、議員報酬を増やすこと以外にも、議会活動の情報公開、立候補に必要な手続きの周知、若い世代や女性が地域課題について議論できる機会の確保などが考えられる。地方議員のなり手不足は、給与問題であると同時に、政治を一時的な職業として選択しても、その後の生活や職業人生に過度の不利益が生じにくい制度をどう整えるかという問題でもある。

報酬を上げれば、議会の質も高まるのか

 ここで、報酬引き上げに肯定的な議論にも注意が必要である。報酬が高くなれば立候補者が増える可能性はあるが、候補者が増えたことと議会の質が高まったことは同じではない。政策を理解し、予算や決算を検証し、行政の説明を吟味し、住民の利益を考えて判断する能力は、報酬水準だけで決まるものではないからである。

 例えば、報酬を引き上げた結果として立候補者数が増え、無投票選挙が解消された場合、それは住民の選択肢が増えたという意味で一定の成果と評価できる。しかし、選挙後の議会で政策審議が十分に行われず、重要な予算や条例が実質的な検討を欠いたまま処理されるのであれば、議会機能そのものが改善されたとは判断できない。候補者の人数は民主主義の競争性を測る指標の一つではあるが、それだけで議員の能力や議会全体の実効性を評価することはできないのである。

 また、報酬引き上げの効果を検証する際には、候補者数だけでなく、新人候補者の割合、年齢や職業構成、無投票選挙の発生状況、議会活動の実態などを継続的に調べる必要がある。さらに、報酬を改定した自治体と、人口規模や地域経済などの条件が似ている改定していない自治体を比較し、改定前からの候補者数の変化も考慮すれば、報酬の政策効果をより厳密に検討できる。ただし、このような比較でも、地域の政治的慣行や社会経済条件など、観測が難しい要因の影響を完全に取り除けるとは限らない。

 逆に、議員報酬を削減した自治体についても、削減前後の候補者数や議会活動を検証する必要がある。報酬削減の後に無投票選挙が発生したとしても、それだけで削減が原因とはいえず、人口減少や候補者の世代交代など、同じ時期に生じた変化を考慮しなければならない。報酬の増額にも減額にも、政策効果を実証的に確認する姿勢が求められるのであり、どちらか一方だけに厳しい証明を要求することは公平ではない。

 議員報酬を議会機能の維持や人材確保のための投資と考えるなら、その投資が何を実現したのかを住民へ説明する必要がある。単に高い報酬を支払えば優秀な人が集まるという考え方も、報酬を低くすれば志の高い人だけが残るという考え方も、いずれも十分な根拠がなければ成立しない。

そもそも「高い」「安い」は何と比べるのか

 議員報酬について「高い」「安い」と言うためには、比較する物差しを明確にする必要がある。住民の立場から負担の適正さを判断するなら、その地域の所得水準や生活費、自治体の財政状況との比較が重要になる。年間三百五十万円の報酬は、平均所得の高い地域と低い地域では受け止められ方が異なり、同じ報酬であっても地域住民との所得格差が大きければ、公費負担に対する疑問が生じることには経済的な理由がある。

 ただし、住民所得と比較する場合にも、統計上の注意が必要である。会社員の給与所得、個人事業主の事業所得、年金所得、世帯所得などは、それぞれ対象とする人や所得の定義が異なるため、異なる統計を無条件に比較してはならない。特に高齢化の進んだ地域では、住民全体の平均所得と現役就業者の平均所得が大きく異なる可能性があり、どの所得指標を基準にするかによって、議員報酬の相対的な評価も変わってくる。

 一方、仕事の価値という観点から判断するなら、議員がどのような活動を行い、政策形成や行政監視にどのような役割を果たしているかを確認する必要がある。ただし、議会が果たした成果を議員一人ひとりに正確に配分することは難しく、行政の政策結果も人口動態や経済状況、国や県の制度など多くの要因に左右される。自治体の財政が改善したから議員が優秀だとも、人口が減少したから議員が無能だとも、単純には判断できないのである。

 さらに、人材確保という観点から考えれば、現在の報酬や制度によって、どのような職業や年齢層の人が立候補できているかが重要になる。仮に報酬水準が低いために、安定した別の所得を持つ人や、時間の自由が利く人に立候補者が偏っているのであれば、議会の代表性という面で検証すべき課題がある。ただし、それが報酬によるものなのか、地域人口の構成や職業環境によるものなのかは、候補者の属性や立候補を断念した理由などを調べなければ判断できない。

 議員報酬の適正水準は、住民の負担、人材確保、議会活動の実態、行政監視の実効性という複数の観点から検討されなければならない。しかも、これらの観点が常に同じ方向を示すとは限らず、住民負担を重視すれば報酬を抑える方向へ、人材確保を重視すれば引き上げる方向へ判断が傾く場合もある。だからこそ、単一の数値だけで全国共通の適正報酬を決めることは難しいのである。

高すぎるのに、安すぎるという矛盾

 結局のところ、「地方議員の報酬は高すぎるのか、それとも安すぎるのか」という問いには、全国一律の答えは存在しない。人口数千人の町で年間数百万円の報酬を公費から支給することを高いと感じる住民の感覚には理由があり、同時に、安定した会社員が給与や賞与、厚生年金、昇進、退職金、そして任期終了後も働けるという職業上の安定を失う可能性を考えれば、その金額では立候補することが難しいという判断にも合理性がある。

 つまり地方議員の報酬は、住民所得との比較では高く見える一方、現役世代を政治へ呼び込むための条件としては不十分になり得る。この二つは矛盾しているように見えるが、比較している対象が違うため、同時に成立する。問題は、住民から見た負担の大きさと、立候補者から見た機会費用という二種類の値段を、しばしば同じものとして議論してきたことにある。

 報酬を下げれば、税金を節約したという分かりやすい成果を住民に示すことができる。しかし、その金額では立候補できる人がさらに限られ、無投票選挙が増え、議会が地域社会の一部の年齢層や職業だけで構成されるようになれば、節約した金額とは別の場所で民主主義の費用が発生する可能性がある。ただし、これも報酬削減によって必ず生じる結果ではなく、実際にどの程度の影響があるかは地域の条件によって異なるため、報酬削減の是非はその効果を検証したうえで判断しなければならない。

 逆に、報酬を上げるだけで活動内容を公開せず、議員ごとの仕事の実態も検証せず、候補者数や議会活動に変化があったかどうかも確かめないのであれば、単なる公費負担の増加に終わる可能性がある。議員報酬の引き上げを正当化するためには、候補者の参入障壁を下げるという目的を明確にするとともに、報酬以外の制度改善にも取り組み、その結果を継続的に確認することが必要である。

 そこで重要になるのは、報酬額だけを上下させるのではなく、議員が何をしているのかを住民から見えるようにし、その責任と活動に見合った報酬水準を検討すると同時に、会社員、自営業者、子育て世代、介護を担う人などが、職業人生や家庭生活に過度の負担を負わず政治に参加できる仕組みを整えることである。議会への参加を一部の人だけが選べる特別な進路にするのではなく、さまざまな立場の住民に開かれた選択肢にしていくことが、なり手不足への長期的な対応につながると考えられる。

 無投票となる町村が珍しくなくなった現在、地方議員報酬は、もはや政治家が「いくらもらっているのか」というだけの話ではない。住民が考えるべきなのは、その報酬でどのような人なら議員になることができるのかということであり、さらに重要なのは、報酬や職業上の制度が障壁となることによって、本来なら候補者になったかもしれない人が、立候補を決断する前に諦めていないかという問題である。

 地方議会の報酬を削減することは、制度上の手続きを踏めば実施できる。しかし、いったん候補者が減少し、議会への参加が限られた人だけのものになれば、報酬を元に戻しただけで以前の競争環境が回復するとは限らない。一方で、報酬を引き上げれば自然に候補者が集まり、議会の政策形成能力まで向上するという保証もない。必要なのは、議員報酬を削ることでも増やすことでもなく、議会にどのような人材と機能を求め、そのためにどの程度の財政負担を認めるのかを、検証可能な根拠に基づいて判断することである。

 議員報酬とは、政治家個人に支払われる対価であると同時に、住民が「誰に地域の意思決定を任せるのか」を選べる状態を維持するための制度費用でもある。ただし、その費用が民主主義の競争性や議会の実効性を高めているかどうかは、支出額だけでなく実際の成果によって評価されなければならない。

 地方で無投票選挙が広がるいま、私たちが決めようとしているのは、議員一人の報酬額だけではない。多様な住民が政治へ参加し、行政を監視し、地域の将来を議論できる地方議会を維持するために、社会全体としてどのような制度を整え、どこまで費用を負担するのかという、地方自治そのもののあり方なのである。

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 選挙の日が来たのに、選挙がない。候補者のポスターが町を埋めることも、選挙カーの声が朝の静けさを破ることもなく、それでも告示の日が過ぎれば議員や首長が決まっている。無投票当選とは、候補者数が定数を超えなかったため投票を行わずに当選者が決まる制度上まったく合法的な仕組みであり、それ自体を直ちに民主主義の異常と呼ぶことはできない。しかし、その静けさが一度だけではなく、各地で繰り返されるようになったとき、その背後には人口減少時代の地方自治が抱える構造的な変化が見えてくる。

 本稿では、首長選挙や都道府県議会議員選挙でも発生する無投票のすべてを一括して論じるのではなく、なり手不足の問題がとりわけ鮮明に表れている町村議会議員選挙を中心に考えていく。選挙の種類が違えば無投票になる理由も完全には同じではなく、たとえば首長選挙では現職の強さや政党・地域勢力の関係などが大きく作用するため、「地方選挙の無投票には一つの原因がある」と考えること自体が適切ではないからである。

町村議会では、無投票はすでに珍しい出来事ではない

 全国町村議会議長会の集計を見ると、町村議会議員の一般選挙で無投票となった町村の割合は、2011年5月から2015年4月までの20.4%から、2015年5月から2019年4月には21.9%、2019年5月から2023年4月には27.4%へと上昇している。さらに2023年の統一地方選挙だけを見ると、町村議会議員選挙が行われた373町村のうち123町村、33.0%が無投票となった。

 さらに重要なのは、実際に無投票となった自治体だけを見ても候補者不足の全体像は分からないことである。2019年5月から2023年4月までの町村議会議員選挙では、無投票となった町村に、候補者数が定数をわずか1人だけ上回った町村まで加えると全体の59.7%に達しており、これは町村議会の約6割が「候補者があと一人少なければ無投票」という境界付近にあったことを意味する。無投票選挙は、もはやごく一部の山間部や離島だけで起きる例外的な現象ではなく、地方議会の候補者供給そのものが細くなっていることを示す現象として考える必要がある。

人口が少ない自治体ほど無投票になりやすいのは確かである

 最初に思い浮かぶ原因は人口減少だろう。住民が少なくなれば議員になろうとする人の母数も小さくなるため、小規模自治体ほど無投票になりやすいという説明には直感的な説得力があり、実際の統計もその傾向をかなり明瞭に示している。

 2017年5月から2021年4月までの市町村議会議員選挙を分析した研究では、無投票となった252選挙のうち241選挙、95.6%が「選挙人5万人以下、当選者20人以下」という比較的小規模な範囲に入っていた。また、無投票自治体の選挙人平均は約1万2900人だったのに対し、投票が行われた自治体では約5万4200人となっており、自治体規模と無投票との間には明瞭な関連が確認できる。

 ただし、ここで「人口が少なければ無投票になる」と単純化してしまうと、現象のかなり重要な部分を見落としてしまう。同じ研究では自治体の面積そのものには極端な差がみられなかった一方、1平方キロメートル当たりの選挙人数は、無投票自治体で約69人、投票が行われた自治体では約253人と大きく異なっていた。つまり、人口の総数だけでなく、人がどの程度まとまって暮らしているかという人口密度も無投票と関連しているのである。

 もっとも、この数字から「人口密度が低いことが無投票を引き起こす」と因果関係まで断定することはできない。人口密度の高い自治体では企業や商店、学校、地域組織、政党活動、職業構成なども同時に異なるため、人口密度だけの効果を切り離すことは難しいからである。統計が確実に示しているのは、小規模で人口密度の低い自治体ほど無投票が多いという相関であって、その背後にどのような社会構造が介在しているかは、さらに考える必要がある。

同じ5000人の町でも、候補者を生み出す力は同じではない

 人口5000人の町を二つ想像してみよう。一方には駅があり、その周囲に住宅、商店、学校、診療所、事業所が集まり、多様な職業や世代の住民が日常的に交わっている。もう一方では広い山間部に小さな集落が点在し、若い世代の多くが町外へ通勤し、地域組織の担い手も高齢化している。同じ人口5000人であっても、この二つの町から新しい議員候補が生まれる可能性まで同じだと考える理由はない。

 選挙とは、住民の頭数から一定割合で候補者が発生する仕組みではなく、政治に関心を持つ人が存在し、その人が立候補を現実的な選択肢だと考え、仕事や家族生活との調整ができ、周囲から一定の支援を受け、選挙に必要な時間と費用を負担できて初めて候補者が一人誕生する制度である。この過程のどこか一つでも大きな障壁が生じれば、人口が存在していても候補者は出てこない。

減っているのは「議員になれる年齢の人」だけではない

 町村議会の変化を見るうえでは、人口減少とともに年齢構成にも注意する必要がある。全国町村議会議長会の調査では、町村議会議員の平均年齢は2015年の62.7歳から2019年には63.9歳、2023年には64.4歳へ上昇している。また、在職20年以上の議員割合も12.3%から15.3%、16.2%へ増加している。

 一方、在職4年未満の議員割合は2015年の26.3%から2019年には24.9%へ低下し、2023年には25.9%までやや回復したものの、2015年をなお下回っている。このため「新人議員が一貫して減り続けている」と表現するのは正確ではないが、長期在職者の比率が高まり、議会構成の高齢化が進んでいることは確かであり、新しい世代への交代が十分に進んでいるとは言いにくい。

 問題は単なる年齢ではなく、現役世代が地方議員という仕事を選択できる生活条件を持っているかどうかである。若い人が町に残っていても、住宅ローンを抱え、子どもを育て、会社員としてフルタイムで勤務しているなら、地方議員への立候補は容易ではない。したがって候補者不足を考えるとき、本当に見るべきなのは「25歳以上の住民が何人いるか」ではなく、「現実に立候補できる生活条件を持つ人が何人いるか」なのである。

月額約22万円の議員報酬をどう見るか

 町村議会議員の報酬の低さも、なり手不足を考えるうえで無視できない。全国町村議会議長会の2025年調査では、町村議会議員の平均月額報酬は約22万3000円であり、人口5000人未満の町村では平均約19万2000円にとどまっている。

 もちろん、議員報酬が低いという事実だけで無投票が発生するわけではなく、報酬を上げれば候補者不足が自動的に解消するとも限らない。しかし、地方議員の仕事には本会議への出席だけでなく、委員会、行政資料の調査、住民相談、地域行事、政策研究などが伴うため、十分な生活収入を得られる専業職とは言いにくい一方、副業として簡単にこなせるほど軽い仕事でもないという矛盾が生じる。

 この条件は、とりわけ会社員に重くのしかかる。勤務先に兼業制度や休職制度がなければ立候補を機に退職せざるを得ない場合があり、しかも選挙に当選する保証はなく、当選しても4年後に再選できる保証はない。そのため、40代や50代の会社員が「地域のために働いてみたい」と考えても、その意欲だけでは越えられない経済的な壁が存在する。

 地方議会のなり手不足とは、政治に関心のある人がいない問題というより、政治に関心があっても職業生活を維持したまま参加することが難しい問題として捉えた方が実態に近い。

小さな町ほど、立候補は本人だけの問題ではなくなる

 小規模地域では住民同士の関係が密接であり、それは災害時の助け合いや高齢者の見守りでは大きな長所となるが、選挙では必ずしも政治参加を促進する方向だけに作用するとは限らない。

 全国町村議会議長会が行った現地調査では、小規模な町村では候補者本人だけでなく家族や親族まで地域から注目されるため、家族の反対によって立候補を断念した事例や、地域の推薦を受けていない移住者が立候補を考えた際に周囲から難色を示された事例などが報告されている。また、一部地域には、自ら立候補することを「出過ぎた行為」と捉える文化的な感覚が残っているとの指摘もある。

 ただし、これらは全国すべての小規模自治体に共通することを統計的に証明した結果ではなく、現地調査や聞き取りから得られた事例であることには注意が必要である。それでも、立候補が匿名性の高い都市部とは違って本人の政治的決断だけでは完結せず、家族や地域の人間関係を巻き込む場合があるという指摘は、候補者不足を人口統計だけでは説明できない理由の一つになる。

 ここには地方政治の難しい逆説がある。地域とのつながりが強い人ほど議員に向いているように見える一方、その人ほど立候補によって失う可能性のある人間関係も多い。商売をしていれば顧客との関係を考え、会社員なら勤務先を考え、家族は近所付き合いを考えるため、政治参加によって生じる社会的な費用が大きくなれば、「そこまでして議員にならなくてもよい」と判断することも個人にとっては合理的なのである。

候補者不足の背景には人口減少だけでなく、自治体そのものの規模や行政運営のあり方という問題もあります。そこで別の記事では、「市町村合併は本当に地方を救ったのか」という観点から、この問題を考えています。

候補者だけでなく、候補者を「担ぐ人」も減っている

 地方選挙では、候補者本人がある日突然政治家を志し、すべてを一人で準備して立候補するとは限らない。かつては自治会、商工団体、農業関係者、地域の世話役などが候補者を探し、「次はあの人に出てもらおう」と本人を説得し、選挙運動を支えることも珍しくなかった。候補者の背後には、候補者を発見し、支援し、政治へ送り込む地域社会の仕組みが存在していたのである。

 ところが人口減少と高齢化は、候補者になる世代だけでなく、その「担ぎ手」となってきた地域組織の側にも及んでいる。全国町村議会議長会の調査でも、従来の選挙を支えた組織や担ぎ手が弱まり、初めて立候補する人が選挙手続きや人員確保、資金準備などを自ら行わなければならない状況が指摘されている。

 もっとも、自治会や商工会などの縮小が候補者数をどの程度減らすのかを全国的な統計から数量的に示した研究は十分ではないため、「地域組織が弱くなったから無投票が増えた」と直接的な因果関係を断定することはできない。それでも、政治参加には候補者本人だけでなく候補者を発掘し支援する社会的な基盤が必要だという考え方には十分な合理性がある。

 人口減少から無投票へ至る経路は、「人口が1割減れば候補者も1割減る」という単純なものではないのかもしれない。人口が減ることで若年層が減り、事業所や商店が減り、地域組織が弱まり、候補者を探す人も支援する人も少なくなり、その長い連鎖の最後に候補者不足が数字となって表れると考える方が、地方社会の実態には近い。

定数を減らせば解決するという単純な話でもない

 候補者が少ないのであれば議員定数を減らせばよいという考え方も、一見すると合理的である。定数12人に候補者が12人しかいないため無投票になるのであれば、定数を10人に減らせば候補者12人で選挙が成立するからである。

 しかし、定数削減には別の作用もある。議席が少なくなれば一人の候補者が当選するために必要な支持は相対的に大きくなり、既存の支持基盤を持たない新人にとって参入障壁が高くなる可能性がある。町村議会を対象とした研究でも、低い議員報酬だけでなく少ない議員定数と無投票との関連が指摘されている。

 もちろん、定数を減らせば必ず候補者がさらに減るという意味ではなく、短期的には候補者数と定数との差が広がり、無投票を回避できる自治体もあるだろう。しかし、無投票を解消することだけを目的として定数を減らし続ければ、形式上は選挙が成立していても、新しい人が政治へ参入するための入口まで狭くしてしまう可能性がある。

無投票になりやすい自治体にあるのは、一つの原因ではなく「条件の重なり」ではないか

 ここまでを整理すると、無投票選挙が増える自治体の特徴を一つの数字だけで説明することは難しいことが分かる。統計的にかなり確実なのは、小規模で人口密度の低い自治体ほど無投票が発生しやすいということであり、その背景には高齢化、議員報酬の低さ、会社員が立候補する際の職業上のリスク、地域組織の担い手不足、新人が参入する際の障壁など、複数の条件が重なっている可能性がある。

 したがって、「人口5000人以下なら無投票になる」といった明確な境界線を設定することはできない。同じ5000人の町でも人口密度、産業構造、通勤形態、議員報酬、議員定数、地域組織、移住者の割合、地域社会の開放性などが違えば候補者供給の条件も異なるからである。

 科学的に重要なのは、ここで相関と因果を混同しないことである。小規模自治体ほど無投票になりやすいことはかなり強いデータで確認できるが、「人口が少ないから無投票になる」という単独の因果関係が証明されているわけではない。むしろ自治体が小規模になるにつれて、候補者を生み出す社会的・経済的条件が複数同時に厳しくなると考える方が、現在確認できる研究には整合的である。

本当に問題なのは「選べない状態」が続くことである

 無投票選挙については、選挙費用がかからず、地域内で候補者への合意が形成されているのであれば合理的ではないかという考え方もできる。実際、一度無投票になったという事実だけから、その自治体の民主主義が機能していないと断定することはできない。

 しかし、無投票が何度も繰り返される場合には別の問題が生じる。選挙がなければ候補者同士の政策比較は行われず、住民は複数の選択肢から地域の将来像を選ぶ機会を持たない。選挙期間中に本来行われるはずだった政策論争そのものが発生しないため、誰が当選するかという結果だけでなく、地域社会が政治を考える過程そのものが失われることになる。

 競争性の低い選挙と投票率との関連を示す研究は存在するものの、「無投票が続くことで住民の主権者意識が低下し、その結果としてさらに候補者が減る」という因果の連鎖までが全国的なデータによって十分に証明されているわけではない。逆に、もともと政治参加の低い地域だからこそ無投票が起こりやすいという逆方向の因果も考えられる。

 したがって、無投票が住民の政治意識を必ず低下させると断定するよりも、無投票が繰り返されれば、住民が候補者を比較し、政策を選択し、地域の将来について議論する機会が継続的に失われるという事実そのものを問題として捉える方が適切である。

無投票率は「地域の更新能力」を映す指標になり得るか

 ここから先は、現在の研究によって確立された結論ではなく、一つの仮説として考えてみたい。無投票率は、その地域社会が新しい担い手をどれだけ生み出せるかという「地域の更新能力」を見る補助的な指標として使えるのではないだろうか。

 人口減少率や高齢化率は地域の人口構造をよく表すが、それだけでは新しい住民が地域活動へ参加できるのか、若い世代が意思決定に入れるのか、既存組織の外から新しい人が出てこられるのかまでは分からない。もし人口規模や高齢化率がほぼ同じ二つの自治体で、一方では毎回複数の新人候補が現れ、もう一方では何期も無投票が続いているとすれば、その違いには人口統計だけでは捉えられない社会的な条件が存在する可能性がある。

 この仮説を検証するには、自治体ごとの無投票回数と人口減少率、高齢化率、人口密度、議員報酬、定数、産業構造、新人候補割合、移住者割合、地域組織への参加状況などを長期間にわたって比較する必要がある。その研究が十分に行われているわけではない以上、「無投票率が地域衰退を示す」と断定することはできないが、地域社会の政治的な新陳代謝を見る材料として注目する価値はある。

選挙がなくなる前に、何が地域から失われているのか

 無投票選挙の増加を人口減少だけの問題として処理すると、「人口が少ない地域では仕方がない」という結論になりやすい。しかし、実際には同じ規模の自治体であっても選挙になるところと無投票になるところが存在している以上、人口だけでは説明できない何かがある。

 そこには議員という仕事の経済条件、会社員が政治参加するための制度、候補者を支える地域組織、外部から来た住民や若い世代を受け入れる地域社会の開放性、そして議会そのものが住民から魅力ある政治参加の場として見えているかどうかまで、多くの要素が絡んでいる可能性がある。

 選挙とは、誰を選ぶかを決める制度である。しかし、その前にはもっと根本的な条件が存在する。選ばれようとする人が複数いなければ、住民が「選ぶ」という行為そのものが成立しないからである。

 地方自治にとって本当に注意すべき変化は、投票率が50%を切ることだけではないのかもしれない。そのさらに手前で、投票率を計算する選挙そのものが行われなくなっていくことにも目を向ける必要がある。

 人口が静かに減る町では、最初に学校が統合され、商店が閉じ、路線バスが消えるとは限らない。それらの変化と並行して、「次の選挙に出る人がいない」という政治の担い手不足が先に姿を現すこともある。ポスターのない選挙期間は静かであり、住民の日常生活が直ちに変わるわけでもない。しかし、その静けさが4年ごとに繰り返されるようになったとき、私たちは「選挙がなくて困らない」と考えるだけでなく、なぜこの地域から選ばれようとする人が生まれにくくなったのかを問い直す必要がある。

 無投票選挙が発しているのは、「人口が減った」という単純な警報ではない。それは、地域社会が新しい担い手を生み出し、世代を交代させ、異なる意見を政治へ送り込む力が今も残っているのかを問いかける、人口減少時代の地方自治から届く静かな警告なのかもしれない。

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