「今年は観光客が増えた」「過去最高の来訪者数を記録した」というニュースを聞くと、その地域の経済も活性化しているように感じられる。自治体の観光政策でも、年間観光客数や宿泊者数の増加は成果として紹介されやすく、観光施設の利用者数が前年を上回れば、地域振興が進んでいると評価されることもある。
しかし、観光客が増えることと、地域住民が豊かになることは同じではない。来訪者が増えても消費単価が下がれば地域全体の観光消費額は減少する可能性があり、観光関連企業の売上が増えても、その利益が地域外へ流出したり、住民の賃金に反映されなかったりすれば、地域経済への恩恵は限定的になる。
観光庁が公表した2025年の旅行・観光消費動向調査によると、日本人国内旅行消費額は26兆7,845億円となり、2019年を22.1%上回った。旅行によって動く金額は極めて大きいが、この数値は全国の日本人国内旅行による消費額であり、訪日外国人旅行者による消費は含まれていない。また、旅行者が支払った金額を示すものであって、その全額が観光地の所得になるわけでもない。
観光を地域の豊かさにつなげるためには、単に何人訪れたかを数えるだけでは不十分である。旅行者がいくら使い、その消費が地域のどの産業に向かい、どれだけの付加価値が生まれ、最終的に誰の所得になったのか。さらに、観光を受け入れるために地域が負担した費用まで含めて考える必要がある。
観光客数と観光消費額は必ずしも同じ方向に動かない
地域の観光振興を評価する際、最も分かりやすい指標は観光客数である。年間100万人だった観光客が120万人になれば、20%の増加であり、自治体の政策成果として説明しやすい。しかし、観光客数だけでは、その地域で発生した消費額の大きさまでは分からない。
単純化すれば、観光消費額は「観光客数×1人当たり消費額」で表される。例えば、年間100万人が訪れ、1人平均1万円を使う地域なら、年間観光消費額は100億円となる。ところが、観光客数が120万人へ20%増加しても、日帰り客の割合が高まるなどして平均消費額が7,000円へ低下すれば、観光消費額は84億円となり、人数が増えたにもかかわらず16%減少してしまう。
これは仮定に基づく計算例だが、人数の増加と消費額の増加が一致しないことを示している。実際の観光政策では、宿泊客と日帰り客、県内客と県外客、日本人旅行者と訪日外国人旅行者では消費構造が異なるため、それぞれの旅行者数と消費単価を分けて把握することが望ましい。また、観光統計には同じ人が複数の観光地点を訪れた回数を数える延べ人数と、一定の集計範囲内で重複を調整した人数があるため、異なる集計方法の数値をそのまま比較しないことも重要である。
2025年の全国統計が示す「人数より消費単価」の重要性
観光客数と消費額の関係は、全国の実際の統計からも確認できる。観光庁によると、2019年の日本人国内延べ旅行者数は5億8,710万人、国内旅行消費額は21兆9,312億円、1人1回当たり旅行支出は37,355円だった。これに対して2025年は、延べ旅行者数が5億5,313万人、旅行消費額が26兆7,845億円、旅行単価が48,424円となっている。
つまり、2025年の国内延べ旅行者数は2019年と比較して約5.8%少ないにもかかわらず、旅行消費額は22.1%増加している。旅行単価が約29.6%上昇したことが、総消費額の増加につながった計算であり、旅行者数だけで観光市場の規模を判断することが適切ではないと分かる。
ただし、この増加をそのまま観光産業の実質的な成長と解釈することもできない。旅行支出の金額には宿泊料金、飲食代、交通費などの価格上昇が反映されるため、名目の消費額が増えても、提供されたサービスの数量や旅行者が得たサービスの実質的な価値が同じ割合で増えたとは限らない。地域の観光消費額を時系列で比較する場合にも、物価上昇による金額の変化と、利用者数やサービス需要そのものの変化を区別する必要がある。
したがって、観光客数の増加率だけでなく、1人当たり消費額、宿泊率、滞在時間、消費内容、そして物価変動を組み合わせて分析することが、観光振興の成果を正しく評価する第一歩となる。
日帰り観光と宿泊観光では消費構造が異なる
観光消費を左右する重要な要素の一つが滞在時間である。数時間だけ観光地に立ち寄り、駐車料金を払い、昼食を食べて帰る旅行と、ホテルや旅館に宿泊し、夕食や翌朝の食事、買い物、観光体験などを楽しむ旅行とでは、一般に1回の旅行で発生する消費額が大きく異なる。
観光庁の2025年確報では、日本人国内旅行の1人1回当たり旅行支出は、宿泊旅行が72,412円、日帰り旅行が20,000円だった。宿泊旅行の単価は日帰り旅行の約3.62倍であり、宿泊を伴う旅行が大きな消費を生み出す傾向が確認できる。国内旅行消費額26兆7,845億円のうち、宿泊旅行は21兆7,211億円、日帰り旅行は5兆634億円であり、宿泊旅行が国内旅行消費額の約81%を占めている。
もっとも、この旅行単価には交通費や旅行参加費なども含まれるため、宿泊旅行者が観光地の自治体内で日帰り旅行者の3.62倍を消費しているという意味ではない。旅行者が支払う鉄道運賃や航空運賃、地域外の旅行会社への支払いなどは、訪問先の市町村における売上とは必ずしも一致しないからである。
地域経済への効果を正確に判断するには、宿泊したかどうかだけでなく、旅行者が実際に地域内で使った金額を把握する必要がある。宿泊施設の利用、飲食店での食事、地域産品の購入、体験型観光への参加など、消費の内容を分けて調べることで、その地域のどの産業が観光需要の恩恵を受けているのかが明らかになる。
また、宿泊施設が不足する地域では、すべての旅行者を宿泊客へ転換できるわけではない。日帰り観光であっても、飲食、買い物、体験サービスなどの利用を促すことで地域内消費額を増やす余地はあるため、宿泊客の増加だけが唯一の解決策ではない。
観光客が使った1万円は、そのまま地域の所得にならない
観光消費額と地域所得を考える際、特に重要なのが地域外への資金流出である。例えば観光客が地域のホテルで1万円を支払った場合、その1万円はホテルの売上として記録されるが、全額が地域住民の所得になるわけではない。
ホテルが使う食材を地域外の卸売業者から仕入れていれば、その代金の一部は地域外へ支払われる。電力、燃料、設備保守、広告、予約サイトの手数料なども、取引先が地域外企業であれば地域内に残るとは限らない。さらに、本社が別の都市にある企業の場合、利益の一部が本社や地域外の株主に帰属する可能性もある。
ここで区別すべきなのが、売上、付加価値、住民所得という三つの概念である。売上は商品やサービスを販売して受け取った金額であり、付加価値は生産額から原材料や外部サービスなどの中間投入を差し引いて新たに生み出された価値を意味する。その付加価値は労働者への報酬や企業の営業余剰などに分配されるが、地域内で生じた付加価値のすべてが、その自治体の住民に帰属するわけではない。
例えば、地域内のホテルで働く従業員が隣接自治体に居住していれば、勤務先では地域内の生産活動が行われていても、賃金所得は居住地へ移る。また、地元住民が地域外の企業で働いて得た所得が地域内で消費される場合には、逆方向の資金流入も起きる。このように、事業所の所在地と所得を受け取る人の居住地が異なるため、地域内の売上と地域住民の所得を同じものとして扱うことはできない。
環境省の地域経済循環分析では、地域経済を生産、分配、支出の三つの側面から捉え、産業間取引や所得の流出入を分析している。観光客が地域で支払った金額だけでなく、そのお金が生産活動を通じてどのように分配され、再び地域内外で使われるのかを把握することが、地域経済の実態を理解するうえで重要なのである。
地域に残る付加価値が違えば、観光消費額の大小と経済効果は逆転する
観光消費額が同じでも、地域内の産業構造が異なれば、地域内で生み出される付加価値は変わる。例えば、観光消費に対する地域内付加価値の発生額が30%に相当する地域と、60%に相当する地域があると仮定すれば、前者で100億円の観光消費が発生した場合の地域内付加価値は30億円、後者で80億円の観光消費が発生した場合は48億円となる。
この割合は説明のために設定した仮定であり、実際の観光地の平均値を示すものではない。また、地域内付加価値の発生額と住民所得も一致しないため、これらの金額を地域住民に還元された所得と断定することはできない。しかし、観光消費額が少ない地域であっても、地域内の産業との結び付きが強ければ、より大きな付加価値を生み出す場合があることは理解できる。
重要なのは、観光消費額そのものを最大化することだけではなく、その消費が地域内の企業活動や雇用にどの程度結び付き、どれだけの価値を新たに生み出しているかを把握することである。観光客数、観光消費額、地域内付加価値、住民所得は相互に関係しているものの、それぞれ異なる指標として評価しなければならない。
全国チェーンと地元企業のどちらが地域に貢献するのか
観光地に大型ホテル、全国チェーンの飲食店、小売店などが進出すると、観光客の利便性が高まり、雇用や設備投資も生まれる。一方で、商品の仕入れや本部への支払い、広告、情報システムなどを地域外企業に依存していれば、売上の一部が地域外へ流出するため、地域内で生み出される付加価値が限定される場合もある。
これに対して、地元経営の旅館が地域の農家から野菜を仕入れ、漁業者から魚を購入し、地域住民を雇用していれば、観光客の支出が宿泊業だけでなく農業、漁業、商業などにも波及する。観光業と地域内の他産業が取引を増やすことで、それぞれの事業者に新しい売上や雇用が生まれる可能性がある。
ただし、地元企業であれば必ず地域経済への貢献が大きいというわけではない。全国チェーンでも地域住民を多数雇用し、地元農産物を積極的に購入し、継続的に設備投資を行っていれば、大きな付加価値を生み出す可能性がある。反対に、地元経営の企業でも仕入れを地域外に依存し、雇用が少なく、生産性が低い場合には、地域経済への貢献が限定されることもある。
したがって、観光関連企業を評価する際には、本社が地元にあるかどうかだけで判断するのではなく、地域内調達、地元雇用、労働生産性、利益の帰属先、再投資の状況などを総合的に見る必要がある。地域にとって望ましいのは、地元企業と地域外企業を単純に対立させることではなく、どちらの企業であっても地域の産業や雇用と結び付く仕組みを強めることである。
地元で仕入れることは重要だが、地域内取引の回数だけでは判断できない
地域経済では、観光客が持ち込んだお金が地域内の複数の産業に波及することがある。例えば、観光客が旅館に支払った代金の一部が地元農家への食材代となり、農家が地域の商店から商品を購入し、その商店が地域住民に賃金を支払えば、観光による需要が複数の事業者の売上や所得につながっていく。
ただし、こうした取引を何度も数えた合計額が、そのまま地域で新しく生み出された所得になるわけではない。旅館の売上に含まれていた食材代を農家の売上として再び数えれば、取引の合計額には重複が生じる。経済波及効果を分析する際には、生産活動が連鎖することによって増えた生産額と、新たに生み出された付加価値を区別する必要がある。
また、地域内調達率を高めれば必ず地域全体が豊かになるとも限らない。地元からの仕入れ価格が著しく高かったり、安定供給が難しかったりすれば、旅館や飲食店の経営を圧迫し、価格競争力を低下させる可能性がある。地域内調達を増やすことと、生産性や品質を維持することの両立が重要であり、地域外からの仕入れをすべて否定する考え方は合理的ではない。
観光政策としては、地元農産物や水産物の供給体制を整えること、事業者間の取引を仲介すること、共同配送などで物流費を抑えること、地域産品の品質や付加価値を高めることなどが考えられる。地域内の取引を増やすだけでなく、各事業者が継続して利益を確保できる仕組みを整えることが、持続的な経済波及効果につながる。
千葉県の観光統計から分かる消費額と経済波及効果の違い
実際の地域統計でも、観光消費額と経済波及効果は区別されている。千葉県が2026年3月に公表した2024年の観光入込動向の確定値によると、県内の観光消費額は約2兆1,355億円、経済波及効果は約2兆5,871億円と推計された。いずれも県の統計開始以降で過去最高額となったが、この二つの数字は同じものを表しているわけではない。
千葉県の経済波及効果は、県内の産業連関表を利用して推計した生産誘発額であり、観光需要に直接対応する県内生産額が約1兆7,507億円、原材料などの調達を通じて生じる第1次間接効果が約6,080億円、所得の増加によって新たな消費が生じる第2次間接効果が約2,284億円とされている。
この合計額が観光消費額を上回るのは、観光需要が県内のさまざまな産業の生産を誘発するためである。しかし、生産誘発額には産業間取引の重複が含まれるため、約2兆5,871億円が県民の所得として増えたという意味ではない。また、産業連関分析は一定の前提条件に基づく推計であり、すべての波及効果が実際に同じ規模で発生したことを直接確認した数字でもない。
さらに、千葉県の2024年調査では観光消費額などの推計に用いる調査方法が変更されているため、2023年の数値と単純に比較することには注意が必要である。統計の金額が増えた場合でも、実際の観光需要の変化なのか、物価の上昇なのか、調査方法の変更による影響なのかを確認しなければ、増加の理由を正しく判断することはできない。
この千葉県の例から分かるのは、観光消費額、経済波及効果、地域内付加価値、住民所得を混同してはならないということである。観光による経済的な成果を説明する場合には、どの指標を使っているのか、その数値が何を表しているのかを明確にする必要がある。
観光客が増えても住民の賃金が上がらない理由
観光産業は宿泊、飲食、小売、輸送、清掃、娯楽サービスなど幅広い雇用を生み出す。しかし、観光客が増え、企業の売上が拡大しても、それが地域住民の賃金上昇や生活水準の改善につながるとは限らない。売上増加分が原材料費、光熱費、設備維持費などの上昇に吸収されれば、企業の利益や賃金を増やす余力が限られるからである。
また、夏休みや大型連休などの繁忙期に需要が集中する地域では、短期間の雇用や勤務時間の増加で対応することがある。この場合、年間を通じて安定した仕事が増えるとは限らず、観光客数の増加と地域住民の年間所得の増加が一致しない可能性がある。地域外から通勤する労働者が多い場合には、観光地で発生した雇用者所得の一部が地域外の家計に帰属することもある。
一方で、観光需要が拡大することで、地域住民の勤務時間が増えたり、賃金が上昇したり、新しい事業への参入機会が生まれたりする場合もある。重要なのは、観光業の雇用を一律に不安定だと判断することではなく、雇用者数だけでなく、年間労働時間、賃金水準、雇用の継続性、労働生産性などを確認することである。
さらに、地域全体の所得が増えても、その利益が一部の事業者や資産所有者に集中すれば、多くの住民は豊かさを実感できない。平均所得だけでは所得分布の変化を十分に把握できないため、住民の所得中央値や実質的な購買力、生活費の負担などにも目を向ける必要がある。
観光には季節変動と供給能力の制約がある
観光需要には、季節によって大きく変動するという特徴がある。海水浴場では夏、紅葉の名所では秋、スキー場では冬に需要が集中しやすく、年間観光客数が多くても、それが数か月に偏っていれば地域経済の安定した基盤になりにくい。
宿泊施設や飲食店は、繁忙期に対応できる設備と人員を確保する必要がある一方、閑散期には施設の稼働率が下がり、固定費の負担が重くなる場合がある。季節によって雇用を調整する経営も可能だが、働く側にとっては安定した年間所得を確保しにくくなることがある。観光産業への依存度が高い地域ほど、天候、自然災害、感染症、景気変動、交通障害などによる需要減少の影響も受けやすい。
人口減少が進む地域では、こうした季節変動に加え、労働力不足が観光振興の制約になる。観光客をさらに呼び込もうとしても、宿泊施設、飲食店、交通機関などの人手が不足していれば、受け入れ能力には限界がある。過剰な需要がサービスの質を下げ、従業員の負担を増やす場合には、観光客数の拡大が必ずしも地域の利益につながらない。
ただし、観光客数の増加自体を否定する必要はない。閑散期の施設や交通機関に余裕がある地域なら、需要が少ない時期への誘客は設備の稼働率を改善し、雇用の安定につながる可能性がある。観光客を増やすかどうかだけではなく、いつ、どのような旅行者を、どの程度受け入れることが地域にとって合理的なのかを考える必要がある。
観光客の増加は住民の負担を増やすこともある
観光は地域に経済的な利益をもたらす一方で、交通渋滞、ごみ処理、公衆トイレ、駐車場、警備、公共交通、自然環境の維持など、さまざまな費用を発生させる。観光客が集中する時期には道路や公共施設の利用が増え、住民の日常生活に影響することもある。
自治体が観光施設の整備や維持管理に多額の予算を投入しても、それに対応する税収や使用料収入が十分に増えなければ、一般財源による負担が大きくなる可能性がある。ただし、観光関連の支出がすべて住民にとって不利益になるわけではない。道路、公共交通、トイレ、公園などの整備は、観光客だけでなく地域住民の生活環境を改善する場合もあるからである。
したがって、行政負担を評価する際には、観光客が増えたことによる追加的な支出と、それに伴う税収や使用料収入の増加を比較する必要がある。さらに、住民が受ける混雑や騒音などの負担と、施設整備による利便性向上などの利益も考慮しなければならない。
2026年3月に閣議決定された第5次観光立国推進基本計画でも、観光の持続的な発展、消費額の拡大、地方誘客の促進に加え、観光と交通・まちづくりとの連携強化などが政策の方向性として位置づけられている。観光客数を増やすことだけではなく、住民生活や地域社会と両立する観光のあり方が求められているのである。
観光客が増えても新しい需要が生まれたとは限らない
観光政策の効果を評価するうえでは、観光客数や消費額の増加が、本当に新しい経済需要を生み出した結果なのかという問題も重要になる。例えば、新しい観光施設が開業して多くの利用者を集めても、その利用者が以前から地域内の別の店舗を利用していた人々であれば、施設単体の売上増加ほど地域全体の消費額は増えない可能性がある。
また、ある自治体の観光客数が増えた理由が、隣接する観光地から旅行者が移ったことにある場合、その自治体には利益が生じても、周辺地域全体では観光需要がそれほど増えていないことも考えられる。自治体単位の成果と、広域的な地域経済への効果は必ずしも一致しない。
観光政策による追加的な効果を調べるには、政策を実施しなかった場合にどうなっていたかという反実仮想の視点が必要である。例えば、観光客数が10%増加したとしても、その増加が全国的な旅行需要の回復によるものなのか、自治体の施策によるものなのかを区別しなければ、政策の成果を正しく評価することはできない。
厳密な評価は容易ではないが、近隣自治体との比較、政策実施前後の変化、全国的な観光動向、宿泊者数や消費単価の推移などを組み合わせることで、政策の影響をある程度検討できる。自治体の観光政策では、増えた人数をすべて政策の成果とみなすのではなく、施策によってどれだけ新しい需要を獲得できたのかを検証する姿勢が重要である。
観光政策の成功は自治体財政と住民生活でも評価する
観光政策では、観光客数、消費額、宿泊者数などが成果指標として使われることが多い。しかし、自治体が公的資金を投入する以上、その支出によって地域社会にどのような利益が生じたのかも確認する必要がある。
例えば、自治体が観光振興に1億円を支出し、その結果として観光消費額が5億円増えたとする。この数字だけを見ると大きな成果に見えるが、増えた消費額のうち地域内で生み出された付加価値がどれだけあるか、住民の賃金や事業所得がいくら増えたか、観光客増加に対応するために新たな行政支出が必要になったかによって評価は変わる。
さらに、観光振興に使った1億円を、地域の交通、医療、子育て支援、他産業の生産性向上などに使った場合と比較することも重要である。限られた財源をある政策に投入すれば、他の政策に使う機会を失うため、観光事業の経済効果がプラスであっても、それだけで最も合理的な財政支出だったとは判断できない。
観光政策の成果は、地域内で新たに生み出された付加価値、住民の実質所得、安定した雇用、自治体財政への影響、住民生活の質という複数の側面から評価する必要がある。経済効果だけを見れば成功でも、住民負担が大きければ政策全体としての評価は下がる可能性があり、逆に観光収入が限定的でも、生活環境の改善や地域産業の維持に役立つ事業には一定の社会的価値がある。
人口減少地域で求められる観光政策とは何か
人口減少が進む小規模自治体では、観光客を際限なく増やす政策が常に合理的とは限らない。宿泊施設や飲食店、公共交通などの供給能力に制約があり、労働力不足が深刻であれば、大量の旅行者を受け入れるほど従業員や地域インフラへの負担が増える可能性がある。
こうした地域では、単純な来訪者数の拡大だけでなく、1人当たり消費額を高めること、滞在時間を延ばすこと、観光需要を年間に分散させること、地域産品の購入を促すこと、地元企業と観光関連事業者の取引を増やすことなどが有力な選択肢になる。ただし、料金を高く設定すれば自動的に収益が増えるわけではなく、価格に見合うサービスの品質や魅力を高め、旅行者に選ばれる必要がある。
例えば、千葉県外房地域の御宿町、勝浦市、いすみ市、大多喜町を考えても、観光資源や交通条件、宿泊施設、産業構造はそれぞれ異なる。海水浴や海岸景観を中心とする観光、漁業や農業と結び付いた飲食・買い物、歴史的な町並みや里山を活用した体験型観光などでは、旅行者の行動や地域内消費の構造が異なるため、同じ政策を実施しても同じ経済効果が得られるとは限らない。
また、これらの自治体は互いに隣接しており、旅行者が一度の旅行で複数の市町を訪れることも考えられる。市町村ごとに観光客数を競うだけでなく、地域全体で滞在時間を延ばし、宿泊、飲食、買い物、観光体験を組み合わせることで、広域的な観光消費を増やす方法も検討に値する。
ただし、地域全体の観光消費額が増えても、その利益がどの自治体のどの産業に帰属するかは別の問題である。地域間の連携を進める場合にも、事業者間の取引構造や住民所得への影響を把握し、利益と負担が極端に偏らない仕組みを考えることが必要になる。
地域が本当に見るべき観光の数字
観光政策の成果を正確に把握するには、来訪者数を入口として、その先にある経済的な変化を段階的に確認する必要がある。まず、どのような旅行者が何人訪れ、どの程度滞在し、何にいくら支出したのかを把握する。そのうえで、その消費のうち地域内で発生した売上や生産活動がどれだけあるかを調べ、地域内で新たに生み出された付加価値や、それが住民の所得にどの程度結び付いているかを分析する。
実務上は、観光客数、宿泊者数、平均滞在時間、1人当たり消費額といった観光需要の指標に加え、地域内調達率、雇用者数、賃金、企業の利益、労働生産性などを組み合わせる必要がある。さらに、自治体財政への影響を評価するためには、観光関連の税収や使用料収入と、施設整備、維持管理、環境保全などに必要な行政支出を比較することが重要になる。
ただし、市町村単位では、観光由来の付加価値や住民所得を直接示す統計が十分に整備されていない場合もある。そうした場合には、観光客への消費調査、事業者の仕入先調査、雇用調査、地域経済循環分析、産業連関分析などを組み合わせ、推計上の前提と限界を明示しながら評価する必要がある。統計が存在しない部分を安易な仮定で補い、あたかも正確な経済効果が判明したかのように示すことは避けなければならない。
なお、環境省の地域経済循環分析で用いられる地域経済循環率は、地域の生産額に相当する付加価値と分配所得の関係を示す指標であり、観光客が支払った金額のうち何%が地域内に残ったかを直接表すものではない。観光による地域内付加価値の発生割合や、住民に帰属する所得の割合とは定義が異なるため、指標を混同しないことも重要である。
「100万人来た町」より「住民の所得が増える町」
年間観光客100万人、前年比20%増、過去最高の宿泊者数といった数字は、観光政策の成果を説明するうえで分かりやすい。しかし、地域住民にとって重要なのは、その結果として安定した仕事が増え、実質的な所得が上昇し、地元企業の経営基盤が強まり、自治体の財政や生活環境が改善したかどうかである。
極端に言えば、年間100万人の観光客が訪れても、多くが短時間で通過し、地域内での消費が限られ、企業活動から生み出された所得の相当部分が地域外へ移れば、住民への経済的な恩恵は小さくなる可能性がある。反対に、年間50万人の来訪者であっても、宿泊や飲食、地域産品の購入、観光体験などが活発で、その需要が地域内の生産や雇用に結び付けば、より大きな付加価値を生み出すこともあり得る。
もちろん、観光客数を増やす政策が間違っているわけではない。地域に余剰の受け入れ能力があり、新しい需要を獲得できるなら、来訪者数の増加は重要な経済的機会になる。また、地域内調達を増やすことも、それ自体が最終目的ではなく、企業の生産性や競争力、住民所得の増加につながって初めて持続的な意味を持つ。
観光によって地域を豊かにするために必要なのは、地域外から新しい需要を獲得し、その消費を地域内の生産や雇用につなげ、新たに生み出された価値を住民の所得や生活の改善へと結び付けることである。同時に、観光を受け入れるために生じる行政負担や生活環境への影響を評価し、地域全体として利益が上回る仕組みを考えなければならない。
観光客数は地域経済を動かす重要な要素であるが、それ自体が観光政策の最終目的ではない。人口減少が進む地域ほど、限られた人材、施設、財源をどのように活用し、観光需要から持続的な付加価値を生み出すかという視点が求められる。
観光振興の本当の成果は、訪れた人数の多さではなく、その観光によって地域住民の暮らしがどれだけ改善したかによって評価されるべきなのである。