地域政経

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選挙が終わったのに、なぜ後援会は解散しないのか

 選挙期間中には街に候補者のポスターが並び、選挙カーが走り、駅前や商店街では演説が行われ、事務所には支持者や運動員が出入りするが、投票日が終わって当落が決まると、それまでの騒がしさが嘘のように消えていくため、有権者の側から見れば「選挙が終わったのだから、後援会もいったん役目を終えてよいのではないか」と感じても不思議ではない。しかし現実には、選挙後も存続して政治活動を続ける後援会は少なくなく、その理由を単に「次の選挙に備えているから」と説明してしまうと、政治家と後援会との関係をかなり単純化することになる。

 政治家にとって選挙は政治活動そのものではなく、数年間にわたって続く政治活動の途中で有権者から評価を受ける機会であり、当選した政治家には投票日の翌日から議会活動、政策判断、地域との連絡、住民への説明などの日常が再び始まる。公職選挙法も、特定の候補者や公職にある者の政治上の主義や施策を支持したり、その人物を推薦、支持したりすることを主な政治活動とする団体を「後援団体」として想定しており、後援会を選挙期間だけ存在する臨時組織として制度化しているわけではない。

 したがって、「選挙が終わったのに、なぜ後援会が残っているのか」という問いは、少し角度を変えて考えた方が分かりやすい。政治活動そのものが投票日で終了するわけではないのなら、その活動を支えてきた組織まで投票日の翌日に当然に消滅する理由もなく、むしろ問題になるのは、政治家が選挙と選挙の間に後援会をどのように利用し、なぜその組織を維持する価値があると考えるのかという点なのである。

選挙運動と政治活動は、似ているようで同じではない

 後援会について考える際に最初に整理しておかなければならないのが、「選挙運動」と「政治活動」の違いである。公職選挙法上の選挙運動には期間や方法についてさまざまな規制があり、候補者がいつでも自由に投票を求める活動を始められるわけではない一方、政治家が政策について説明したり、議員としての活動を報告したり、地域住民から意見や要望を聞いたり、政治団体が平常時の政治活動を行ったりすることまで、選挙終了と同時に消えるわけではない。

 もちろん、選挙期間外であれば何をしてもよいという意味ではなく、事前運動、寄附、文書図画、政治活動用の看板、選挙後のあいさつ行為などについても公職選挙法には細かな規制が設けられており、後援会もその外側に置かれているわけではない。それでも、法律が後援団体による平常時の政治活動を前提として規制を設けていることから分かるように、選挙が終わった後に後援会が存在し、適法な範囲で政治活動を続けること自体を、直ちに次の選挙のための選挙運動とみなすことはできない。

 選挙を数年に1度の定期試験にたとえるなら、政治家の仕事の大部分は試験当日ではなく、その間の長い時間にある。後援会もまた、試験の日だけ現れる応援団というより、その長い時間の中で政治家と地域社会との関係を支える組織の一つとして存在している、と考えた方が実態には近い。

後援会が持っているのは、名簿よりも時間である

 後援会という言葉から、支持者名簿、会報、集会、事務所、選挙時の電話連絡などを思い浮かべる人は多いかもしれないが、組織として考えたときに本当に重要なのは、そこに何人の名前が記録されているかだけではなく、その人々との関係がどれだけの時間をかけて形成されてきたかである。ある地域に政治家を長く知る人がいて、その人を通じて別の住民との接点が生まれ、地域の行事や会合を通じて話を聞く機会が増え、地域で起きている問題が政治家側へ伝わり、反対に議会や行政で議論されていることが地域へ戻っていくという往復が何年も続けば、後援会は単なる名前の一覧ではなく、人と人との関係そのものを含む組織になっていく。

 しかも、人間関係にはコンピューターのデータのような保存機能がないため、一度活動を完全に止めても、必要になったときに以前と同じ状態へ戻せるとは限らない。次の選挙が近づいてから数年前の名簿を取り出したとしても、その間には転居した人もいれば、高齢になって活動から離れた人もおり、地域の役職や人間関係も変化し、新しく転入してきた住民との接点も作らなければならないため、組織を完全に停止させてから再構築することには相応の時間と労力が必要になる。

 この意味では、選挙後も政治活動を続ける政治家にとって、すでに存在する人的なネットワークを一定程度維持することには組織運営上の合理性があり得る。ただし、ここで重要なのは「後援会を持てば必ず選挙に有利になる」とまでは言えないことであり、選挙区の人口、都市化の程度、政治家自身の知名度、政党組織の強さ、後援会を維持するための費用などが違えば、その価値も当然変わってくる。

実は、後援会に入る人は長期的に減っている

 ここで、現在の後援会を考えるうえで見落としてはならない数字がある。明るい選挙推進協会が2023年の第20回統一地方選挙後に実施した全国意識調査では、「今回の統一地方選挙の候補者の後援会に加入している」と回答した人は7.1%であり、同じ質問に対して1991年の調査では27.1%、1995年には26.9%、1999年には26.0%、2003年には23.1%、2007年には21.4%、2011年には16.3%だった。

 ただし、この数字を一直線につないで「1991年から2023年まで同じ条件で測定した結果、後援会員が4分の1近くまで減少した」と単純に結論づけることには注意が必要であり、第17回までの調査は面接方式だったのに対して、第18回以降は郵送方式へ変更されているため、2011年の16.3%から2015年の8.7%への大幅な変化には、実際の社会変化だけでなく調査方法の変更による影響が含まれている可能性がある。

 それでも、調査方式が変更される以前だけを見ても1991年の27.1%から2011年の16.3%へ低下しており、郵送方式になった後についても2015年8.7%、2019年8.4%、2023年7.1%と推移していることから、後援会への加入が長期的に縮小してきたという大きな方向そのものは読み取ることができる。つまり、現代の後援会を理解する際には「昔ながらの巨大な後援会が今も変わらず日本政治を支配している」という前提を置くべきではなく、むしろ勢力を縮小させながら、それでも完全には消えていない組織として考える必要がある。

7.1%という数字にも、読み方がある

 2023年調査では3,150人が調査対象となり、1,666人から有効回答を得ているため、有効回収率は52.9%だったが、この調査は統一地方選挙で議会議員選挙が行われなかった東京都など6都県を対象地域から除いており、さらに年代によって回答率にも違いがあるため、7.1%という数字を「日本の全有権者のうち正確に7.1%が政治家の後援会員である」と読み替えることはできない。

 調査が実際に尋ねているのは、今回の統一地方選挙候補者の後援会に加入しているかどうかであり、この7.1%は日本に存在するすべての国会議員、地方議員、首長その他の政治家の後援会への加入状況を網羅した数字ではない。それでも、同じ調査系列の中で後援会との接点が長期的に弱まっていることを知る資料としては意味があり、後援会を現在も巨大な大衆組織であるかのように説明することには慎重でなければならない。

 統計は数字が細かいほど正確に見えるが、小数点以下まで示された数字であっても、その背景には調査対象、抽出方法、回収率、質問文、調査方式が存在する。後援会の7.1%という数字も例外ではなく、数字そのものより「何を、誰に、どのように尋ねた結果なのか」を理解したうえで使うことが重要になる。

後援会との距離には、世代や地域による違いが見える

 同じ2023年調査を年代別に見ると、今回の統一地方選挙候補者の後援会に加入していると回答した割合は50歳未満で4.0%、50~60歳代で6.7%、70歳以上では10.5%となっており、少なくともこの調査では高い年齢層ほど加入率も高かった。また都市規模別では大都市が4.5%だったのに対し、人口20万人以上の市では8.9%、人口10万人以上の市では7.1%、人口10万人未満の市では7.4%、町村では9.1%となっており、大都市よりその他の地域で比較的高い割合が観察されている。

 もっとも、この数字だけから「高齢だから後援会に入る」「町村だから後援会が強い」と因果関係まで断定することはできない。町村には大都市より高齢者が多い可能性もあり、職業構成、居住年数、政治関心、地域社会との結び付きなど別の要因が関係している可能性もあるため、ここで確認できるのは年齢や都市規模と後援会加入との間に一定の関連が見られるというところまでで、それぞれが独立した原因であることを示したものではない。

 それでも、この違いは後援会について一括りに語ることの難しさを示している。「地方では後援会がなければ選挙にならない」という説明も、「若い人は後援会とは無縁である」という説明も、それだけでは根拠が足りず、政治家の種類、地域、世代、政党組織、選挙の性格によって後援会との距離は大きく異なると考える方が現実的だろう。

後援会は地域の情報を運ぶ経路にもなり得る

 政治家本人が直接会って話を聞ける人数には物理的な限界があるため、地域に継続した人的ネットワークが存在すれば、ある制度について住民がどのような不便を感じているのか、地域で何が問題になっているのか、以前とは関心がどのように変わってきたのかといった情報が政治家へ届く経路になり得る。人口減少という数字一つを取っても、どの地区で買い物が難しくなったのか、どの道路を高齢者が危険だと感じているのか、公共交通の変化が誰の生活に影響しているのかといった細かな事情まで行政統計だけで把握することは難しく、人を介した情報には統計とは異なる意味がある。

 しかし、ここでも後援会を万能な情報網と考えることはできない。後援会から政治家へ届く声は、当然ながらその政治家を支持する人や政治への関心が高い人の意見に偏る可能性があり、その情報だけを地域全体の意見だと受け取れば、かえって住民の考え方を見誤る危険があるため、行政統計、各種調査、議会での議論、支持者ではない住民との対話など、別の情報と組み合わせて判断する必要がある。

 後援会を「地域のセンサー」と表現するとすれば、それは地域社会のあらゆる場所を均等に測定する精密機器ではなく、接点を持っている場所については細かな変化を伝えてくれる一方、そのネットワークの外側で起きていることを捉えにくいセンサーということになる。それでも政治家にとって、そのような情報経路を長期間かけて形成してきたのであれば、選挙が終わったという理由だけで直ちに手放さないことには一定の合理性がある。

政治団体として続けるなら、会計事務も続く

 後援会には人間関係とは別に、政治団体としての制度的な側面もある。政治資金規正法は、政治団体について届出や政治資金の収支報告などの仕組みを設けており、政治団体の会計責任者には収支を記録し、法律が定める収支報告書を提出するなどの事務が求められているため、政治団体として後援会を継続するのであれば、それに伴う会計や報告の仕事も年間を通じて発生する。

 ただし、この会計制度そのものが「だから政治家は後援会を残したがる」という動機を生み出しているわけではなく、むしろ会計や報告に必要な手間は後援会を維持する側から見ればコストでもある。政治資金規正法が説明しているのは、後援会をなぜ維持するのかという政治家の動機ではなく、政治団体として活動を続けるのであれば、資金についてどのような責任を負わなければならないかという制度的な枠組みである。

 この区別は重要であり、後援会が存在していることと、その活動が適法かつ適切に行われていることも同じではない。政治家による選挙区内の人への寄附をはじめ、公職選挙法や政治資金規正法にはさまざまな規制が設けられているため、「後援会だから許される」という特別な領域が存在するわけではなく、後援会という制度的な存在を説明することと、個々の団体の活動を評価することは分けて考えなければならない。

数理的に考えると、なぜ「維持する」という選択が生まれるのか

 後援会を維持するかどうかを極めて単純な組織の意思決定として考えれば、政治家側が後援会を維持することで将来得られると期待する便益と、その組織を維持するために負担しなければならない費用を比較する問題として捉えることができる。将来の便益には、すでに形成された人的関係、政治活動への協力、地域との接点、情報の伝達、さらに一度失った組織を将来になって再構築しなくて済むことなどが考えられる一方、維持する側には人員、通信、会合、事務所、会計、時間などの費用が発生する。

 そこで、将来得られると期待される便益の現在価値が維持費用を上回ると政治家側が考えるなら組織を残すことには合理性があり、逆に費用の方が大きいと判断すれば規模を縮小したり、活動を停止したりする選択も合理的になる。この考え方は、特定の政治家について「後援会を維持すれば何票増える」という実測値を示すものではなく、経済学や組織論で用いられる合理的選択の枠組みから、なぜ選挙終了後にも既存組織を残す行動が生まれ得るのかを説明するモデルである。

 特に人間関係を含む組織では、再構築に必要な費用を考える必要がある。選挙のたびに完全に解散して数年後にゼロから同じ組織を作り直せるのであれば平時の維持には意味が少なくなるが、実際には一度失われた信頼、地域での接点、連絡網を以前と同じ状態へ戻せる保証はないため、すでに形成された組織を一定程度維持する選択には理論上の説明がつくのである。

「結局、次の選挙のためではないか」という疑問

 ここまで説明しても、「それでも結局は次の選挙で当選するために後援会を残しているのではないか」と感じる人はいるだろうし、その見方を完全に否定する必要もない。再選を目指す政治家であれば、任期中に維持した支持者との関係や地域での活動が将来の選挙に結び付く可能性はあり、後援会が選挙の際の人的基盤として働き得ることは、後援会という組織を考えるうえで無視できない側面である。

 しかし、それだけで説明してしまうと、政治活動から選挙へ向かう一方向の関係だけを見ることになる。実際には次の選挙までの間にも政治家は議会に出席し、政策について判断し、地域から要望を聞き、自らの活動を説明し続け、その過程で支持を続ける人もいれば離れる人もおり、新しく接点を持つ人も現れるため、日常の政治活動によって維持された人間関係が結果として次の選挙でも利用され得る、と考える方が現実には近い。

 つまり、「次の選挙のために数年間ずっと後援会を維持している」という説明だけでなく、「選挙と選挙の間にも政治活動があり、その活動を支えるために維持された組織が、結果として次の選挙でも機能することがある」という循環として見ることによって、後援会がなぜ投票日とともに消えないのかが理解しやすくなる。

SNSが普及すれば、後援会は不要になるのか

 現在では政治家本人がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用し、議会での発言、政策についての考え方、地域活動の様子などを有権者へ直接発信できるようになり、かつて会報や集会などを通じなければ広く届けにくかった情報を、短時間で多数の人へ届ける手段は大きく広がった。

 しかし、そこから直ちに「SNSが後援会を代替した」と結論づけることはできない。SNSは多くの人へ直接情報を届けることに適している一方、オンラインで投稿を見る人と、地域で長年活動を続ける人との関係は同じではなく、反対に従来型の後援会には、若い世代や組織外の住民へ幅広く情報を届けるという点で限界があるため、両者は単純に一方が他方を置き換えるものではなく、性質の異なる政治的な接点として併存していると考える方が無理がない。

 後援会への加入率が長期的に低下していることを考えれば、将来も昔と同じ形の後援会が維持されるとは限らず、政治家と有権者を結ぶ経路の中で後援会が占める比重は今後さらに変化する可能性がある。それでも、SNSが普及したという一つの事実だけから後援会の消滅を導くことはできず、オンラインによる情報発信と、地域に蓄積された人的ネットワークがどのように組み合わされていくのかという問題として考える必要がある。

後援会が残る理由を、一つに決めることはできない

 政治家の後援会が選挙後も存続する理由について、「最大の理由はこれである」と一つだけを取り出して順位付けすることは難しい。全国の政治家本人を対象として、後援会を維持する理由を同じ尺度で測り、その寄与度を比較した資料が十分に存在するわけではない以上、次の選挙、日常の政治活動、既存の人的ネットワーク、地域との情報交換、組織を再構築する費用など、複数の事情が重なっていると考える方が慎重である。

 しかも、1991年には27.1%だった統一地方選挙候補者の後援会加入割合が、調査方法の変更という注意点を抱えながらも2023年には7.1%になっていることを考えれば、後援会は日本政治の中で不変の存在ではなく、すでに大きな変化の途中にある。だからこそ興味深いのは、「後援会は重要なのか、それとも不要なのか」という二者択一ではなく、これほど加入する人が減ってきたにもかかわらず、なぜ後援会という組織が完全には姿を消していないのかという問いである。

選挙は1日で決まるが、人間関係は1日では作れない

 投票所が閉まり、当落が決まり、候補者が支持者と万歳をして選挙事務所の明かりが消えれば、外から見える選挙はそこで終わるが、その翌日から当選した政治家は議会や行政との仕事へ戻り、地域住民の話を聞き、政策について判断し、自らの活動について説明し続けるため、政治家と有権者との関係まで投票終了時刻に合わせて白紙になるわけではない。

 後援会は、その長い時間をつなぐ仕組みの一つとして日本政治の中に存在してきたが、現在では加入する人が大幅に減り、政党、議員事務所、SNS、地域活動など政治家と有権者を結ぶ経路も多様化しているため、昔と同じ後援会像だけで現代政治を説明することはできない。それでも、時間をかけて形成された人間関係には再構築の費用があり、日常の政治活動は選挙後も続き、その組織が将来の選挙でも利用され得る以上、後援会を投票日の翌日に解散せず、一定の形で維持することには制度面から見ても組織論から見ても説明可能な合理性がある。

 選挙期間だけを切り取れば、後援会は票を集めるための組織に見えやすい。しかし視野を選挙と選挙の間にある数年間へ広げると、そこには政策を説明する時間、住民の声を聞く時間、支持する人が離れる時間、新しい人と関係を作る時間があり、それらが積み重なった先に次の選挙がやって来る。選挙は1日で結果が決まっても、人と人との関係は1日では作れず、数年間の空白を置いて以前と同じ状態へ戻せるとも限らないという、ごく現実的な事情こそが、加入者を減らしながらも後援会がなお残っている理由を考えるうえで重要なのである。

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