地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

選挙でトップが代わっても、役所の風景はほとんど変わらない

 市長選挙や町長選挙で長く続いた現職が敗れ、新しい首長が誕生すると、住民の側には「これで役所も大きく変わるのではないか」という期待が生まれやすい。選挙戦では行政改革や組織改革、しがらみのない人事といった言葉が語られることもあり、しかも市長や町長は行政組織の最高責任者なのだから、選挙結果によって役所の内部まで一気に変わるように感じられても不思議ではない。

 ところが選挙が終わり、新しい市長や町長が初登庁しても、庁舎の中の風景は驚くほど変わらないことが多い。昨日まで税務を担当していた職員は今日も税務の仕事を続け、福祉を担当していた職員は同じ住民から相談を受け、道路、水道、防災、戸籍などを担当する職員も、それまで蓄積してきた知識を使って日常業務を続けているため、部長や課長の一部に異動があったとしても、選挙結果を境に役所の職員が一斉に入れ替わるわけではない。

 だからといって、「役所が選挙結果に抵抗している」と直ちに考えるのは早い。日本の地方自治制度では、選挙によって交代する市長や町長に強い行政権限を持たせる一方、一般職員については能力に基づく任用や一定の身分保障を設け、さらに議会や行政委員会を組み合わせることによって、住民が選挙で示した政治的意思を行政へ反映させながら、税務や福祉、防災のような日常行政まで選挙のたびに不安定にならないような構造が作られている。

市長や町長の人事権はかなり強い

 まず確認しておかなければならないのは、「首長が代わっても職員が残るのだから、市長や町長にはそれほど人事権がない」という理解は正しくないということである。地方自治法では、普通地方公共団体の長が自治体を統轄し、その事務を管理、執行することが定められており、一般行政部門の職員についても長が任免することが基本となっているため、市長や町長は自治体行政の方向を決めるだけでなく、その方向を実行する組織の人事についても強い権限を持っている。

 したがって、新しく就任した首長が政策の重点に合わせて幹部人事を見直したり、重要な部署に経験のある職員を配置したりすることは十分に可能であり、例えば子育て政策を重視するなら福祉や子育て部門に経験者を配置し、財政再建を重視するなら財政や企画部門の体制を強化するというように、人事と政策を結び付けて行政を動かす余地は大きい。

 ただし、ここでいう「強い人事権」は、「首長が好き嫌いだけで職員を自由に昇進、降格、解雇できる」という意味ではない。地方公務員法では職員の任用を受験成績、人事評価その他の能力の実証に基づいて行うことが求められており、人事評価も任用、給与、分限その他の人事管理の基礎として利用される仕組みになっているため、首長に最終的な権限があることと、その権限を恣意的に使えることは別の問題なのである。

「任命権者であること」と「全部の人事を首長本人が決めること」は違う

 もう1つ重要なのは、市長や町長が法律上の任命権者であるからといって、数百人、あるいは大規模自治体なら数千人の職員について、誰をどの係に置くのかまで首長本人が1人で決めているわけではないということである。地方公務員法では、任命権者が人事に関する権限の一部を上級の地方公務員へ委任できる仕組みも設けられており、実際の自治体では人事担当部門や幹部職員が、職員の経歴、在職年数、過去の異動、能力、資格、人事評価、各部署の人員構成などを踏まえて人事案を組み立て、そのうえで重要な人事について首長が判断するという形が一般的に考えられる。

 この違いは、自治体人事を理解するうえでかなり重要である。法律上は市長が任命権者であっても、実際の人事形成には副市長、人事担当部門、各部局の幹部など複数の主体が関わることがあり、過去に大阪府内5市の市役所職員を対象として行われた実証研究でも、職員が人事への影響力を認識する相手は市長だけではなく、担当部局の職員などにも分散しており、その度合いは自治体によって異なっていた。

 つまり、法律上の権限配置だけを見て「市長がすべて決めている」と考えるのも、反対に人事担当部署が案を作っているから「市長には人事権がない」と考えるのも適切ではなく、制度上の最終的な権限と、実務上の人事形成過程を分けて考える必要がある。

新しい首長が就任しても、役所を白紙から組み直すことはできない

 自治体の人事は、毎回ゼロから組み立てられているわけではなく、何年、何十年という時間の中で積み上げられてきた職員の経験と専門性の上に成り立っている。税務には税務の知識があり、福祉には福祉の経験が必要であり、土木、建築、水道、情報システムなどには技術的な知識や資格が必要になる場合もあるため、選挙結果だけを理由として職員を大規模に配置転換すれば、かえって行政サービスの質を落とす可能性がある。

 さらに、自治体には書類だけでは表現しきれない「組織の記憶」がある。どの地域で過去に道路問題が起きたのか、ある公共施設を建設した際にどのような住民との調整が行われたのか、生活困窮者支援で地域のどの機関と連携してきたのか、災害時にどの道路が使えなくなるのかといった知識は、文書や情報システムにも残される一方、その一部は職員の経験として蓄積されている。

 そのため新しい首長が大きな改革を進めようとすればするほど、皮肉なことに、従来から役所で働いてきた職員の知識を必要とする場面も増えてくる。政治的なトップが代わったからといって行政組織の記憶まで同時に入れ替えることはできず、むしろ新しい政策と既存組織の知識をどう結び付けるかが、首長の行政運営能力を左右することになる。

「気に入らないから辞めてもらう」は原則としてできない

 首長の人事権について最も誤解されやすいのが免職であり、「市長が任命した職員なのだから、市長の考えに合わなければ辞めさせることもできるのではないか」と考えられることがあるが、一般職の地方公務員については、そのような制度にはなっていない。

 地方公務員法では、職員の分限や懲戒は公正でなければならず、本人の意思に反する降任や免職についても法律上の要件が設けられている。勤務実績が良くない場合、心身の故障によって職務遂行に支障がある場合、その職に必要な適格性を欠く場合、職制や定数の改廃などによって廃職や過員が生じた場合には、いわゆる分限処分として降任や免職が行われる可能性があるが、単に「前の市長の時代に重用されていた」「新しい市長と考え方が合わない」といった事情だけで一般職員を自由に免職できる仕組みではない。

 もっとも、地方公務員を免職できるのがこうした分限の場合だけというわけでもなく、法令違反、職務上の義務違反、職務懈怠、全体の奉仕者としてふさわしくない非行などがあれば、地方公務員法に基づく懲戒処分として免職される場合もある。このため正確には、職員には一定の身分保障がある一方、それはどのような行為をしても職が保障されるという意味ではなく、分限処分にも懲戒処分にも、それぞれ法律上の根拠と手続が必要だと理解するのが適切である。

身分保障は職員のためだけではなく、住民のためでもある

 地方公務員に一定の身分保障が設けられていることを、「役所の職員だけが守られている制度」と考えると、その半分しか見えていない。もし市長選挙や町長選挙のたびに、新しい首長が自分と考え方の合わない一般職員を自由に退職させ、自分に近い人物へ入れ替えられる制度であれば、政治的な変化は行政へ強く反映される一方、選挙のたびに税務、福祉、戸籍、防災、土木などの専門知識まで失われる危険が生じる。

 また、一般職員が自分の雇用を維持するために現職首長へ政治的に忠誠を示さなければならないような制度になれば、公務員が住民全体ではなく、その時点の政治権力者に奉仕する組織へ傾く危険もある。地方公務員法が能力実証による任用や分限、懲戒の基準を定めているのは、職員個人の生活を保護する側面だけではなく、行政組織そのものを一定程度政治的な恣意性から切り離し、住民に対する行政サービスを継続させるという意味も持っている。

 選挙によって政治的意思を変えられることと、選挙のたびに行政機構全体を入れ替えないことは矛盾しているように見えるが、実際にはこの2つを同時に成立させることによって、民主的な変化と行政の安定を両立させようとしているのである。

副市長は一般職員とは性格が違う

 こうした構造を理解するうえで分かりやすいのが、副市長と一般職員の違いである。副市長は市長が議会の同意を得て選任し、市長を補佐するとともに、市長の命を受けて政策や企画を担い、職員の事務を監督する立場であるため、一般職員より首長との政策的な結び付きが強い。

 そのため首長が交代すれば、副市長を含むトップ周辺の人事が変化することは十分にあり得るが、その原理がそのまま課長、係長、一般職員にまで及ぶわけではない。自治体の組織には、選挙結果を行政へ反映させるために首長との政策的な関係が強い部分と、行政の継続性を保つために政治的な交代から一定の距離を置く部分が併存しているのであり、この二重構造を理解すると、首長が代わっても役所全体が入れ替わらない理由が見えやすくなる。

市役所のすべての職員を、市長が直接任命しているわけではない

 さらに、住民から見れば同じ「市役所」で働いているように見えても、すべての職員が市長や町長を任命権者としているわけではない。地方公務員法では地方公共団体の長だけでなく、議会の議長、選挙管理委員会、代表監査委員、教育委員会、人事委員会、公平委員会、市町村の消防長なども、それぞれの組織について任命権者となる仕組みが設けられている。

 これは教育、選挙、監査など一定の分野について、行政権限を首長1人へ全面的に集中させないための制度でもある。そのため「市長になれば市役所内部のすべての人事を自由に決められる」という理解は正確ではなく、一般行政部門では大きな人事権を持ちながらも、自治体全体を見ると複数の任命権者が存在するという構造になっている。

 建物としての市役所は1つに見えても、法律上の自治体組織は複数の権限体系を組み合わせて構成されており、この仕組みもまた、1回の首長選挙によって行政機構全体が一方向へ急激に変化することを抑える働きを持っている。

組織改革にも議会と条例が関係する

 首長が職員配置だけではなく役所の組織そのものを変えようとした場合にも、すべてを首長の一存で行えるわけではない。地方自治法では長の直近下位に置かれる内部組織とその分掌事務を条例で定める仕組みがあり、職員定数についても条例で定めることとされているため、条例改正が必要となる組織改革や定数変更であれば議会の議決が必要になる。

 例えば新しい市長が行政改革のために大規模な組織再編を考えたとしても、首長が新しい組織図を書くだけで翌日から完成するわけではなく、再編内容によっては条例案を作り、議会の議決を得て、その後に具体的な人員配置を進めなければならない。この点でも、民間企業の経営者が社内組織を変更する場合と自治体行政には大きな違いがあり、自治体では組織変更そのものが民主的な手続や法制度の中に組み込まれている。

では、首長が代わっても役所は変わらないのか

 ここまで読むと、「それほど制約が多いのであれば、選挙で市長や町長を代えても役所はほとんど変わらないのではないか」という疑問が生じるかもしれないが、それも極端な理解である。首長には予算編成、政策形成、組織運営、人事などに大きな影響を及ぼす権限があり、その権限を毎年度積み重ねれば、行政組織の重点分野や仕事の進め方が徐々に変化していく可能性は十分にある。

 例えば、ある政策分野を4年間継続して重視し、そこへ予算と人員を配置し、担当職員に経験を積ませ、管理職にもその分野を理解する人材を配置すれば、就任当初には首長個人の政策だったものが、やがて役所内部に知識や実務経験として蓄積されていく可能性がある。逆に、首長が人事への介入を抑制したり、議会との関係によって政策が十分に実現できなかったり、職員構成や財政条件によって改革が進まなかったりする場合もあるため、「長く在任すれば役所の性格は必ず変わる」とまで断定することはできない。

 首長の在任期間が長くなるほど政策、人事、予算を通じて行政組織へ影響を与える機会は増えるが、実際にどの程度変化するかは首長の行政運営の方法、議会との関係、自治体の規模、財政状況、職員組織の構成などによって異なると考える方が、現実に近いだろう。

役所の変化は、一夜の交代ではなく蓄積として現れる

 選挙結果は開票によって一晩で決まるため、政治の変化は非常に速く見えるが、行政組織には多数の職員が在籍し、その中に経験、専門知識、条例、予算、契約、情報システム、住民との関係などが積み上がっているため、トップが1人交代しても、それらすべてが同時に入れ替わることはない。

 この違いを単純な数理モデルで考えても分かりやすい。仮に数百人の職員からなる組織で毎年一定割合の職員が退職や採用によって入れ替わるとしても、首長のように1回の選挙で100%交代するわけではなく、既存職員の相当部分は翌年度にも組織へ残り、その次の年度にもさらに多くが残るため、組織全体の変化はどうしても時間をかけたものになりやすい。

 もちろん、職員数が維持されているからといって内部の人員がまったく変わっていないとは限らず、一般職員の入れ替わり、管理職人事、組織改編、政策変更などを総合的に調べなければ、首長交代によって実際に行政組織が何%変化したかを統計的に断定することはできない。それでも、選挙によって1人の首長が完全に交代する政治部門と、多数の職員が継続して勤務する行政組織とでは、変化する速度が異なるという基本構造そのものは明らかである。

「役所が抵抗している」だけでは説明できない

 新しい首長が改革を掲げて当選したにもかかわらず、数か月が過ぎても住民から見える変化が少なければ、「役所の職員が抵抗しているのではないか」と感じることがあるかもしれない。実際の組織である以上、新しい政策に積極的な職員もいれば、慎重な職員も存在するため、職員の意識や組織文化が改革の速度に影響する可能性まで否定する必要はない。

 しかし、役所が急激に変わらない理由を職員の姿勢だけに求めるのも適切ではない。地方公務員法による任用や身分保障、複数の任命権者、条例による組織と定数の規律、議会との関係、職員が蓄積してきた専門知識など、制度と組織の双方に行政の継続性を保つ要因が存在しているからである。

 逆に言えば、行政組織が選挙の翌日から全面的に変化しないことは、必ずしも民主主義に対する抵抗を意味するものではなく、住民が政治的な方向を変える権利を持ちながら、同時に税金の徴収、住民票の発行、福祉サービス、防災、道路管理といった日常行政を止めないための仕組みでもある。

首長が変えるのは「職員の顔ぶれ」だけではなく「役所が向かう方向」である

 市長や町長の人事権を一言で表現するなら、「強いが、無制限ではない」というのが最も実態に近い。一般行政部門の職員について大きな任命権を持ち、管理職人事や組織運営を通じて政策を実現することができる一方、その権限は地方公務員法による能力実証、分限や懲戒の要件、条例、議会、複数の任命権者などによって枠を設けられており、しかも実際の人事形成には役所内部の人事担当部門や幹部職員も関与している。

 だからこそ、市長や町長が代わっても、翌朝から職員の顔ぶれが一変することはなく、住民からは「何も変わっていない」ように見えることがある。しかし、首長が予算の重点を変え、政策の優先順位を変え、組織を見直し、人事を積み重ねていけば、その影響が数年間のうちに行政組織へ広がっていく可能性はあり、変化は人の大量入れ替えではなく、仕事の優先順位や組織が向いている方向の変化として現れることの方が多い。

 選挙によって一瞬で交代する政治と、一瞬では交代しない行政は、互いに矛盾する存在ではない。政治だけが変わって行政がまったく変わらなければ選挙の意味は弱まり、反対に選挙のたびに行政組織まで全面的に入れ替われば、行政の専門性と継続性が失われる可能性があるため、日本の地方自治制度はその中間に、首長へ強い権限を与えながらも行政組織を完全には政治化しない仕組みを置いている。

 首長が代わっても役所がすぐには変わらないという現象は、単なる役所の保守性だけで説明できるものではない。それは、選挙で示された住民の意思によって行政の方向を変える力と、選挙が終わった翌朝も行政サービスを変わらず動かし続ける力を同じ自治体の中に共存させようとする、地方自治制度の特徴の1つなのである。

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 選挙が終わり、新しい市長や町長が役所に初登庁する光景を見ると、その日を境に自治体の政治も行政も大きく変わっていくように感じられる。選挙戦では「これまでの市政を変える」「新しい町をつくる」といった言葉が飛び交い、有権者もまた、新しい首長の誕生によって役所の方向が変わることを期待する。しかし半年、1年、2年と時間が過ぎてみると、道路は以前と同じように補修され、学校や保育所は同じ場所にあり、ごみ収集も介護も住民票の発行も続いているため、選挙期間中の大きな言葉とは対照的に、自治体の日常には驚くほど強い連続性がある。

 これは、新しい市長や町長に権限がないからではない。日本の地方自治制度では、首長には予算を編成し、行政を執行して自治体の方向を示す大きな権限がある一方、条例の制定や改廃、予算の決定などは議会の議決事項とされており、首長が考えを変えただけで自治体の制度全体を自由に書き換えられる仕組みにはなっていない。地方自治法では、首長が毎年度の予算を調製して議会へ提出し、その予算は議会の議決を経なければならないと定められているため、自治体政策は首長の意思だけではなく、議会、財政、法制度、職員組織という複数の仕組みを通して初めて現実の行政になる。

交代するのは自治体そのものではなく、自治体の最高責任者である

 会社で社長が交代したからといって、翌朝から工場、社員、取引先、商品、契約がすべて入れ替わるわけではないが、自治体には企業以上に強い継続性が求められる。首長が替わった翌日に「前の市長が始めた制度なので、ごみ収集をやめます」と言うことはできず、福祉、保育、教育、消防、防災、道路、上下水道、戸籍、住民登録など、住民の日常生活を支えている行政サービスは政治的な交代とは別の時間軸で動き続けなければならない。

 さらに、自治体の仕事のすべてが首長の独自政策から生まれているわけでもなく、法律によって実施する仕事、条例によって定められた仕事、国や都道府県の制度と結び付いた仕事、すでに住民が利用しているサービス、過去に契約した事業などが重なり、その上に新しい首長が自由に選択できる政策が載っている。新しい市長や町長に渡されるのは何も書かれていない白紙ではなく、すでに大量の文字が書き込まれた紙であり、首長はその余白を使いながら少しずつ新しい方向を描いていくことになる。

自治体の予算は、思っているほど自由ではない

 政策を変えるには、理念だけではなく予算を動かさなければならない。子育て支援を拡充するにも、道路を整備するにも、公共交通を維持するにも、観光政策を始めるにも職員、施設、委託費、補助金などが必要になるため、行政では「やりたい政策」と「実際に実施できる政策」の間に財政という大きな壁が存在する。

 その現実を千葉県内の市町村で見ると、2024年度普通会計決算では歳出総額が約2兆7,929億円で、そのうち人件費、扶助費、公債費からなる義務的経費だけで約1兆4,813億円、歳出全体の53.0%を占めている。これは千葉県内市町村全体の数字であり、全国すべての自治体にそのまま当てはめられる数字ではないが、少なくとも自治体予算の半分程度を新しい首長が自由に組み替えられるわけではないことを示す具体例にはなる。

 しかも残りの47.0%がすべて自由に使えるわけではなく、公共施設の維持管理、既存の委託契約、他会計への繰出し、継続中の建設事業なども含まれているため、首長が選挙で掲げた新政策に実際に振り向けられる財源は、自治体の歳出総額から想像するより小さくなることがある。自治体の政策変更の大きさは、単純化すれば「自由に動かせる財源の大きさ」「首長が政策を変えようとする意思」「議会の理解」「職員組織の実施能力」が重なったところで決まると考えることができ、首長1人の意思だけを見ても政策変更の大きさは予測できない。

4年の任期より長く続く事業が、すでに動いている

 市長や町長の任期は4年だが、自治体が扱う時間は4年よりもはるかに長い。道路、橋、学校、庁舎、上下水道といった公共施設は数十年単位で使われ、大規模な建設事業では計画、設計、用地取得、契約、工事という段階を経るため、1人の首長の任期を越えて続くこともある。地方自治法にも、履行に数年度を必要とする事業について継続費を設定できる仕組みが設けられており、自治体行政そのものが1年度や1任期ですべてを完結させる制度として作られているわけではない。

 例えば、新しい首長が就任した時点で前任者の時代に計画された公共施設の工事が半分まで進んでいたとすれば、新しい首長が別の政策を重視していたとしても、単純に工事をやめて予算を別の目的へ移すことは難しい。すでに支出した設計費や工事費があり、契約関係があり、中止にも費用が発生し、完成を前提に準備している住民や事業者もいるため、過去の選択が現在の選択肢を狭めることになる。

 このように、ある時点の選択が次の時点の選択可能性を左右していく現象は、政策研究では経路依存性という考え方で説明することができる。一度道路を造れば維持費が発生し、一度公共施設を造れば修繕や更新が必要になり、一度住民向けサービスを始めれば利用者が生まれるため、現在の自治体予算には、実は過去の市長や議会が行った判断が何年分も積み重なっている。

市役所には、過去の行政を知っている職員が残る

 首長が交代しても、市役所職員の大部分は交代しないが、これは単なる慣習ではなく、公務員制度そのものが政治的な交代と行政組織の継続を切り離しているためである。一般職の地方公務員には一定の政治的行為に対する制限があり、同時に法律上定められた事由がなければ本人の意思に反して免職できないという身分保障もあるため、市長や町長が替わったことだけを理由として職員組織全体が交代する仕組みにはなっていない。

 その結果、新しい市長が初めて市長室に入った日にも、財政を何年も担当してきた職員、福祉制度の変更を経験してきた職員、地域の道路や土地の事情を知っている職員が役所に残っている。そこに蓄積されているのは書類だけではなく、「なぜこの制度が始まったのか」「以前どのような問題があったのか」「ここを変更すると別の部署や住民にどのような影響が出るのか」という行政の記憶であり、新しい首長はその記憶を使わなければ巨大な自治体組織を動かすことができない。

 この仕組みは、ときに外部から「役所は変化を嫌う」と見えることもあるが、行政組織の継続性を単純に抵抗勢力と考えるのは適切ではない。住民サービスを選挙のたびに停止させず、過去の失敗や地域事情を引き継ぎながら新しい政策を実施するためには組織の記憶が必要であり、自治体は首長による政治的な変化と、職員組織による行政の継続性という異なる2つの力を同時に抱えながら動いている。

それでも、首長が替われば政策が大きく変わることはある

 ここまでを見ると、「結局、誰が市長や町長になっても同じなのではないか」と考えたくなるが、実証研究を見ると、その結論もまた正しくない。自治体政策の中には極めて変えにくいものがある一方で、首長の政治判断によって大きく方向転換するものもあり、どちらが強く現れるかは政策の種類によって違う。

 日本の都道府県営ダム事業を対象として政策終了を分析した研究では、知事交代が事業終了の重要な要因となり、知事に対抗する議会が事業終了への抵抗要因となることが統計分析によって示されている。これはダム事業という特定分野の研究であり、すべての自治体政策について同じ効果があると一般化することはできないが、「首長が替わっても政策はほとんど変わらない」という単純な見方も実証的には支持できないことを示している。

 さらに、都道府県営ダムの終了事例を詳しく追った研究では、5県22事例を調べたところ政策終了の過程には大きな違いがあり、終了を誰が主導したかなど政治過程との関係も確認されているため、政策が続くか終わるかは財政や技術だけで機械的に決まるものではない。

 つまり、自治体政策には「変わりにくい領域」と「変わりやすい領域」が存在すると考えた方が現実に近い。法律に基づく行政事務、社会保障、日常的な住民サービス、すでに供用しているインフラなどは首長交代だけでは急激に変更しにくい一方、新しい大型施設を造るかどうか、観光や移住促進のどこに重点を置くか、どの独自助成制度を新設するかといった比較的裁量性の大きな政策では、首長の政治姿勢が自治体の方向に強く表れる可能性がある。

本当の政策転換は、予算全体より「どこを少しずつ動かしたか」に現れる

 首長交代による政策変化を調べる場合、前年と今年の予算総額だけを比較すると重要な変化を見落とす可能性がある。自治体予算の大部分が継続的な支出によって構成されている以上、新しい首長の特徴は予算の全面的な入れ替えではなく、新規事業として何を始めたのか、どの事業を縮小したのか、公共施設の更新順位をどう変えたのか、限られた職員をどの部門へ配置したのかといった差として現れやすい。

 例えば、同じ道路関係予算でも生活道路を優先するのか観光地周辺を優先するのかによって政策の意味は異なり、同じ子育て予算でも現金給付を重視するのか保育環境の整備を重視するのかによって自治体が目指している方向は違ってくる。1年度だけを見れば小さな差であっても、その差が4年間、さらに次の4年間と積み重なれば、自治体の姿はゆっくりと変わっていく。

 このため、首長の政治的影響力を調べるには「予算が何%変わったか」という数字だけでは不十分であり、自由に選択できる部分の予算配分、事業の新設と廃止、施設整備の優先順位、行政組織の重点配分などを見る必要がある。自治体全体という巨大な数字の中では小さく見える変化であっても、その小さな変化が将来の選択肢を作り、後になって大きな政策差へ育つことがあるからである。

自治体は急には曲がれないが、進路を変えることはできる

 自治体を自動車のように考えると、首長が替われば運転手が替わり、ハンドルを切った瞬間に進行方向も変わるように思えてしまうが、実際の自治体は巨大な船に近い。船長には航路を決める権限があるものの、船には何十年も使う船体があり、機関室で働く人々がいて、すでに積み込まれた荷物があり、以前から結ばれている契約があり、大勢の乗客が乗っているため、新しい船長が進路変更を決めても、その場で船体を90度回転させることはできない。

 しかし、だからといって船長が誰でも同じというわけではない。舵を切らなければ船は以前の方向へ進み続けるが、舵を少しずつ切り続ければ、最初はほとんど違いが見えなくても、数年後には以前とは別の海域へ進んでいることがある。

 市長や町長が交代しても自治体政策のすべてが一気に変わらないのは、首長に力がないからでも、市役所が何も変えたくないからでもなく、法制度、議会、予算、職員組織、既存事業、長期的な契約、過去の政策判断が重なり合い、行政の継続性を生み出しているからである。その一方で、首長の裁量が大きい政策では交代そのものが政策転換の重要なきっかけになることも実証研究から確認されており、自治体政治を理解するには「変わるか、変わらないか」という2択ではなく、「何が変わりにくく、何なら変えることができるのか」を見なければならない。

 選挙の日に見えるのは船長の交代だが、自治体政治の本当の変化は翌朝の景色ではなく、その後4年間に船がどちらへ舵を切り続けたかに現れる。首長交代の意味を判断するなら、大きな言葉や目立つ公約だけを見るのではなく、限られた予算と制度の中で、何を残し、何をやめ、そして何に新しく資源を配分したのかを時間をかけて追う必要があるのである。

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市長が作った予算案は、市長だけでは決められない

 市役所が新しい年度を迎える少し前、庁内では翌年度の予算編成が大詰めを迎えます。道路を直すのか、学校施設を更新するのか、子育て支援を拡充するのか、老朽化した公共施設を建て替えるのか、それとも財政の悪化を避けるために新規事業を抑えるのか、市役所の各部署から上がってくる要望を査定しながら、市長と行政組織は限られた財源をどこへ配分するのかを決め、最終的に何百ページにも及ぶ予算案を作り上げていきます。

 ここまでの過程だけを見ると、自治体のお金は市長が決めているように見えるかもしれませんが、地方自治の制度はそのようには作られていません。地方自治法では、普通地方公共団体の長には予算を調製して執行する権限が与えられている一方、議会には予算を定める権限が与えられており、市長が作成した予算はあくまで「案」であって、それを自治体の正式な予算として成立させるには議会の議決を経なければなりません。

 日本の地方自治では、市長も議員も住民による直接選挙で選ばれるため、市長の下に議会が置かれているわけでも、議会の下に市長が置かれているわけでもありません。行政を執行する首長と、自治体の重要な意思決定を担う議会がそれぞれ独立した民主的正統性を持って向かい合っており、その2つの権力が最も具体的な形で接触する場所の1つが、毎年度の予算審議なのです。

議会は市長案に賛成するか反対するかだけではない

 では、市長が100億円の当初予算案を提出した場合、議会にできることは「100億円の予算案に賛成する」か「否決する」かの2つだけなのでしょうか。実際にはそうではなく、議会には予算案を修正して議決する権限があり、ある事業の必要性が低いと判断すればその金額を減額することができるだけでなく、一定の範囲では、市長が計上した金額を増額して議決することもできます。

 この点は地方議会の権限を理解するうえで重要であり、「予算を作るのは市長なのだから、議会は削ることしかできない」と考えるのは正確ではありません。地方自治法第97条第2項は、議会が予算を増額して議決すること自体を明確に認めており、例えば市長が子育て支援事業に5000万円を計上したものの、審議の結果として議会が7000万円必要だと判断した場合、その2000万円の増額が法律上直ちに禁止されるわけではありません。

 つまり、予算審議とは市長が作成した数字の誤りを探すための事務的な作業ではなく、その自治体が限られた財源をどの政策へ振り向けるべきなのかを議論する政治そのものです。道路整備を優先するのか、高齢者福祉を厚くするのか、学校設備を更新するのか、将来の財政負担を考えて基金を残すのかという判断が数字に置き換えられているため、予算書をめぐる議論は、その自治体が何を大切にしようとしているのかを映し出します。

増額できるからといって、議会が別の予算を作れるわけではない

 もっとも、議会に増額修正権があるからといって、市長の予算案を好きなように作り替えることができるわけではありません。地方自治法第97条第2項は増額修正を認める一方で、その修正によって首長の予算提出権を侵してはならないと定めており、ここに議会の修正権と市長の予算提出権との境界があります。

 興味深いのは、その境界が「当初予算の5%まで」「増額は1億円まで」というような数値で決められていないことです。従来の行政解釈では、問題になるのは単純な増額の大小ではなく、修正の内容や規模、予算全体との関係、さらに自治体の行政運営へ与える影響などを総合的に見て、その修正によって市長が提出した予算の趣旨が実質的に失われていないかどうかだと考えられています。

 予算を1冊の本にたとえるなら、議会には市長が書いた本の一部を書き直す権限はありますが、登場人物から筋書き、結末まで全面的に入れ替えて別の作品にしてしまえば、「そもそもこれは市長が提出した予算といえるのか」という問題が生じます。しかも、何ページを書き換えたら別の本になるのかという明確な数字は存在しないため、予算修正をめぐる対立が深刻になった場合には、市長と議会の間で予算提出権の侵害に当たるかどうかが争われることになります。

 実際、近年にも議会が増額修正した予算をめぐり、首長側が予算提出権を侵害されたと主張して争いになった事例があります。このことからも、議会の増額修正権は教科書上だけの制度ではなく、実際の地方政治において、市長と議会の権限の境界を問う現実的な問題だと分かります。

減額する場合にも越えられない線がある

 それでは増額には制限があるものの、議会が市長の計上した経費を削る方向であれば自由なのでしょうか。一般に議会には広い減額修正権がありますが、それでも何を削ってもよいわけではなく、自治体が法律上負担しなければならない経費や、非常災害への応急対応、復旧、感染症予防などに必要な経費については、通常の政策予算とは異なる扱いが定められています。

 地方自治法第177条では、このような経費を議会が削除したり減額したりした場合、市長が理由を示して再び議会に審議させる制度が置かれており、とりわけ法令上自治体が負担する義務のある経費について議会が再び削減した場合には、市長がその経費を予算に計上して支出できる仕組みまで用意されています。

 議会は住民を代表して行政を監視する機関ですが、議会の多数決によって法律上必ず支出しなければならない費用や住民の生命に直接関わる経費まで自由に消すことができれば、行政そのものが機能しなくなります。地方議会の修正権が広く認められながら、その一部に強い歯止めが置かれているのは、議会による民主的統制と行政の継続性を同時に守るためなのです。

市長には議会へ「もう一度審議してほしい」と返す力がある

 市長と議会の力関係を考えるとき、もう1つ重要なのが「再議」という制度です。議会が市長の予算案を修正して可決した場合でも、市長がその議決に異議を持てば、一定の場合に議会へ議決を返し、もう一度審議させることができます。

 ここでは再議を1種類の制度として理解すると少し分かりにくくなります。地方自治法第176条には、市長が予算に関する議会の議決に異議を持った場合の再議がある一方、議会の議決が権限を越えている、あるいは法令などに違反していると市長が認める場合の再議もあり、同じ「再議」という言葉でも法的な意味は完全には同じではありません。

 予算について市長が通常の異議を理由として再議に付した場合、議会側が同じ議決を維持するためには、単純な過半数ではなく出席議員の3分の2以上の同意が必要になります。そのため、市長と議会の対立が深まると、最初の採決では成立した修正案が再議では維持できなくなる可能性があります。

 例えば、議長を含め21人の議員が出席している議会を考えてみます。通常の採決では議長を除く20人が採決に加わり、11対9で市長の予算案を修正したとします。この段階では修正案は可決されますが、市長がこれを再議に付した場合、今度は特別多数による議決となるため議長も採決に参加し、出席議員21人の3分の2以上、すなわち14人以上の賛成が必要になります。最初は11人の賛成で成立した修正案が、再議ではさらに3人の賛成を獲得しなければ維持できないことになり、市長の再議権が議会の多数派に対して相当な政治的圧力を持つ理由がここにあります。

制度上は議会が修正できても、現実には原案が圧倒的に多い

 ここまで制度だけを見ていると、全国の地方議会では市長や町村長が提出した予算案が頻繁に修正され、市長と議会が激しく対立しているように感じられるかもしれません。しかし、実際の統計を見ると、その印象とはかなり異なる姿が浮かび上がります。

 全国町村議会議長会の第71回町村議会実態調査では、調査対象となった一般会計予算7,407件のうち、7,335件が原案可決などとなっており、その割合は約99.0%に達します。一方、修正可決は53件で約0.7%、否決などは15件で約0.2%にとどまり、さらに地方自治法第176条や第177条に基づく再議も2町2件しかありませんでした。

 もっとも、この統計は全国の「町村議会」を対象としたものであり、市や都道府県まで含むすべての地方議会をそのまま代表しているわけではありません。それでも、地方議会が法律上は強い予算修正権を持ちながら、実際には提出された予算の大部分が原案のまま成立しているという現実を理解する材料としては十分に意味があります。

 ここで注意しなければならないのは、原案可決が約99%だからといって、「地方議会は何もしていない」と結論づけることもできないという点です。議会からの要望や各会派との調整が予算案提出前に行われている場合もあれば、市長側が議会で否決されそうな事業をあらかじめ修正して提出している場合もあり、最終的に原案可決されたという結果だけから、予算編成の過程で議会の影響がなかったと判断することはできません。

なぜ制度上は対等でも、市長側が強く見えるのか

 市長と議会のどちらが強いのかという問いに対して、地方自治法は単純な答えを与えていません。市長には予算を調製して提出し、成立後に執行する権限がある一方、議会にはその予算を審議し、修正し、場合によっては否決する権限があるため、法律上は一方が全面的に他方を支配する関係ではないからです。

 ただし、政治過程を順番に見れば、市長には1つの重要な優位があります。それは「最初の案を作る」という力であり、政治学ではこうした力をアジェンダ設定の優位として考えることができます。市長側は行政組織を使って税収や地方交付税、国庫支出金、社会保障費、公共事業費など膨大な情報を集約し、そのうえで最初の予算案を提示しますが、議会側は基本的にその案を基準として審議し、修正するため、議論の出発点そのものは市長側が設定していることになります。

 しかも市長は予算案を作るだけでなく、成立後には行政組織を通じて実際に事業を執行する立場でもありますから、情報量や専門的な行政能力という面でも議会とは完全に対称ではありません。その意味では、市長には「最初の設計図を描く力」と「完成した設計図を実行する力」があり、議会には「その設計図を自治体の正式な計画として認めるか、どこを修正するかを決める力」があると考えると、両者の違いが理解しやすくなります。

 もっとも、町村議会の予算が約99%原案可決されているという統計だけを使って、「だから市長の方が議会より強い」と断定することはできません。原案可決率が高い理由としては、市長の制度上の優位だけでなく、提出前の政治的調整、議会多数派と首長との関係、行政側と議員側との情報量の差、予算編成に必要な専門性など、複数の要因が考えられるからです。

 統計から確認できるのは「原案のまま成立する予算が圧倒的に多い」という相関的な事実までであり、その原因が市長の権限の強さだけにあるとするには、さらに多くの自治体について首長と議会の会派構成、修正提案数、事前協議、選挙結果などを分析する必要があります。数字は現実を理解する強力な道具ですが、数字だけで政治の因果関係まで自動的に説明できるわけではありません。

予算書を見ると、その自治体で誰が何を重視しているのかが見えてくる

 地方議会の予算審議を眺めていると、何千万円を削った、何億円を増やしたという数字だけが目につきがちですが、その数字の背後には、「何を行政の仕事と考えるのか」という市長の判断と、「住民の代表としてそれをどこまで認めるのか」という議会の判断があります。

 例えば、市長が新しい公共施設を建設するために10億円を計上し、議会がその一部を削減したとすれば、争われているのは単に建設費が高いか安いかという問題だけではありません。人口が減少していく時代に新しい施設を持つべきなのか、将来の維持費をどう考えるのか、その財源を子育てや福祉に回すべきなのかという、その町の将来像そのものが数字を通じて議論されています。

 逆に、市長が計上しなかった政策について議会が予算を増やそうとすれば、今度は「住民代表である議会の意思をどこまで予算に反映させるべきか」という問題と、「予算を調製して提出するのは首長である」という制度上の原則が衝突します。予算修正をめぐる争いが難しいのは、単純に市長と議会のどちらかが正しいからではなく、どちらにも住民から直接与えられた民主的な権限が存在するからです。

予算は首長と議会の力関係を映す鏡である

 市長が予算案を作るからといって、市長だけで自治体のお金を決められるわけではありませんが、議会が最終的に議決するからといって、議会が市長とは別の予算を一から自由に作れるわけでもありません。市長には予算を調製し、提出し、成立後に執行する力があり、議会にはその案を審議し、修正し、あるいは否決する力があり、さらに両者が正面から衝突した場合には再議という制度まで用意されています。

 その一方で、実際の統計では大部分の予算が原案のまま成立していますから、地方政治の現実を理解するには「法律上できること」と「現実にどの程度行われているか」を分けて見る必要があります。議会に修正権があることと、議会が頻繁に修正していることは同じではなく、市長側にアジェンダ設定上の優位があることと、市長が議会を自由に支配できることも同じではありません。

 毎年議会へ提出される分厚い予算書は、一見すると数字ばかりが並んだ行政資料ですが、その中には市長が何を実現しようとしているのか、議会が何を認め、どこに疑問を持っているのか、そしてその自治体が将来どこへ向かおうとしているのかが記されています。地方自治の予算制度が複雑に見えるのは、制度が曖昧だからではなく、1人の市長にも議会の多数派にも自治体のお金を完全には委ねず、互いの権限をぶつけながら最終的な意思を形成するように設計されているからであり、予算を読むことは、その自治体の会計を見ること以上に、その自治体の政治そのものを読むことなのです。

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