地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

 2002年9月30日、小泉純一郎首相は内閣改造を行い、大島理森氏を農林水産大臣に任命した。それから約6か月後の2003年3月31日、大島氏は元秘書による政治資金の取り扱いなどをめぐる疑惑を受け、農林水産大臣を辞任することになる。ところが、この問題を調べていくと、単に任命後に不祥事が発覚したという説明では済まない、重要な事実が浮かび上がってくる。

 2003年2月20日の衆議院予算委員会で、大島氏は、元秘書が受け取った600万円について、2001年の暮れには自分自身が報告を受けていたと答弁している。つまり、農林水産大臣に任命される約9か月前には、少なくとも大島氏本人は、この資金をめぐる問題を認識していたことになる。さらに、2002年1月には資金を提供した人物と直接面会し、謝罪していたことも国会で認めている。

 それでは、閣僚人事を決めた小泉官邸は、この事実を事前に把握していたのだろうか。知らなかったとすれば、どのような調査が行われていたのか。把握していたとすれば、なぜ任命する判断に至ったのか。この疑問を追っていくと、小泉首相の政治活動を長年にわたって支え、政権発足後は首席総理秘書官として官邸の中枢にいた飯島勲氏の存在に行き着く。

 飯島氏は後年、閣僚候補者の政治資金や過去の活動を調べる「身体検査」について、具体的な方法を明らかにしている。その説明は、公開資料を丹念に読み込み、疑問点を本人に確認するという実務的なものだった。しかし、優れた調査方法を知っていることと、現実の人事で問題を発見できたことは同じではない。小泉政権の内部で情報はどのように集められ、誰の判断によって大臣が選ばれていたのか。飯島氏の仕事を通して、首相官邸の人事管理能力と、その限界を考えてみたい。

1.小泉首相が信頼した秘書は、どれほどの影響力を持っていたのか

 飯島勲氏は1945年、長野県辰野町に生まれ、1970年代から小泉純一郎氏の秘書として政治活動を支えてきた。小泉氏が2001年4月26日に首相へ就任すると、飯島氏は首席総理秘書官となり、2006年9月の退陣まで官邸で首相を補佐した。中央省庁で専門行政を経験してきた事務秘書官とは異なり、長年の政治家秘書としての経験を持ち、政治家同士の関係や政党内の事情に接してきたことが特徴だった。

 飯島氏と小泉首相の関係を理解するうえで、注目したい国会答弁がある。2002年2月13日の衆議院予算委員会では、民主党の山岡賢次議員が飯島氏の立場や政治的影響力について小泉首相に質問している。これに対して小泉首相は、飯島氏を長年自分の秘書として働いてきた信頼すべき人物だと説明した。さらに、田中眞紀子外務大臣の更迭に飯島氏が関与したのではないかと問われた際には、更迭の決断は自分自身が行ったものだと明確に答えている。

 この答弁から分かるのは、小泉首相が飯島氏を信頼していたという事実と、重要な政治判断については首相自身の決断であると説明していたことである。ただし、それによって飯島氏が事前の情報収集や助言に関与していなかったと証明されるわけではない。政治の意思決定では、最終的に判断する人物と、その判断に必要な情報を集める人物が異なることは珍しくなく、首相に近い秘書官ほど、どの情報を優先して伝えるかという点で重要な役割を持ち得る。

 政治家の人物像は、履歴書や役職歴だけで分かるものではない。選挙区での活動、政治資金の管理状況、党内の人間関係、過去の発言や政策上の立場など、複数の情報を組み合わせて判断する必要がある。飯島氏が長年の政治活動で培った経験は、こうした情報を理解する際に役立った可能性があるが、それが実際の閣僚人事でどの程度の成果につながったかについては、具体的な事例を調べなければ判断できない。

2.鉛筆の予定表から見えてくる、小泉官邸の情報管理

 飯島氏は2008年の『プレジデント』への寄稿で、小泉官邸における仕事の進め方を振り返っている。その中で紹介しているのが、自分の机の上に置いていた予定表である。用紙は日本産業規格でB列4番に相当する大きさで、首相の日程を官邸の関係者が共有できるようにしていたという。予定が変われば書き直す必要があるため、記入にはボールペンではなく鉛筆を使っていたと説明している。

 首相の日程管理というと、面会や会議の時刻を整理する事務作業のように思える。しかし、首相が誰と会い、どの案件に時間を割き、何を優先して説明を受けるかは、政権の意思決定に関係する。飯島氏が予定表を共有する仕組みを重視していたことからは、複数の担当者が同じ情報を把握し、状況の変化に応じて行動できる体制を整えようとしていた様子がうかがえる。

 同じ寄稿によれば、飯島氏の周辺で小泉首相を支えたスタッフは、飯島氏自身を含む5人の首相秘書官と5人の参事官の計10人だった。事務秘書官は財務、外務、経済産業、警察の各省庁から派遣され、参事官はそれ以外の行政分野を補う役割を担っていた。この10人という数字は、官邸全体の職員数ではなく、飯島氏が説明した首相を直接補佐するチームの人数である。

 この体制については、当時内閣参事官として官邸に勤務していた黒江哲郎氏も、後年の回顧で説明している。黒江氏によれば、小泉政権では従来の秘書官体制を拡充し、複数の省庁から参事官を集めた官邸連絡室を設け、飯島氏の指示を受けながら特命事項への対応や行政機関との連絡を行っていた。首相の判断に必要な情報を各省庁から集め、政策の実行につなげるための体制だったと理解できる。

 もっとも、官邸連絡室が存在したことは、閣僚候補の身体検査についても同じ組織が調査を担当していたことを意味しない。どの秘書官が候補者の政治資金を調べ、どの担当者が過去の政治活動を確認し、調査結果を誰が取りまとめていたのかについて、公開資料から具体的な分担を確認することはできない。

 ここには、飯島氏の能力を評価するうえで重要な違いがある。行政組織を利用して政策情報を集める能力と、政治家個人の不祥事につながる情報を発見する能力は、必ずしも一致しないからである。前者では省庁の専門知識を活用できる一方、後者では政治団体の会計処理や個人的な人間関係など、行政資料だけでは把握できない問題に向き合う必要がある。

3.飯島勲が語った身体検査は、何を調べる仕組みだったのか

 2012年10月24日、飯島氏はテレビ朝日系の情報番組「モーニングバード!」に出演し、閣僚候補者の身体検査について説明した。当時の放送内容を紹介した報道によれば、基本となるのは、候補者が過去にどのような政治活動を行い、何を発言してきたのかという確認と、政治資金の流れを調べる作業だった。

 政治資金については、少なくとも直近2回の選挙に関する収支報告書を点検するという方法が紹介されている。さらに、選挙、政党支部、個人に関係する資金の流れを分けて確認し、疑問点があれば候補者本人に非公式に質問することや、係争事案の有無を調べることも重要な項目とされていた。

 ただし、ここでいう収支報告書については、法制度上の区別が必要になる。政治資金規正法第12条に基づく政治資金収支報告書は、政治団体の年間の収入や支出を記録するものである。一方、公職選挙法第189条に基づく選挙運動費用収支報告書は、候補者個人の選挙運動に関する収入や支出を記録するもので、提出先や記載対象も異なる。

 例えば、政党支部が受け取った寄付と、候補者の選挙運動費用として受け取った資金は、制度上の取り扱いが同じとは限らない。政治団体が複数存在する場合には、それぞれの報告書を確認する必要があり、特定の資金がどの団体に属するものなのかという問題も生じる。したがって、単に1種類の収支報告書を読むだけで、政治家に関係するすべての資金を把握できるわけではない。

 飯島氏がテレビ番組で説明した「直近2回の選挙」という方法が、これらの書類を具体的にどこまで含むものだったのかについては、原放送の詳細な記録を確認する必要がある。しかし、政治活動と政治資金を複数の資料によって照合するという基本的な考え方には、実務上の合理性がある。

 政治資金の調査では、単に金額の大きさを見るだけでは不十分である。前年に比べて寄付が急増していたとしても、選挙が行われたためなのか、政党支部の活動が拡大したためなのか、あるいは別の要因があるのかを調べる必要がある。支出についても、事務所費や人件費が増えたという事実だけで不正を推定することはできず、活動内容、支出先、過去の傾向などを合わせて確認しなければならない。

 こうした作業は、行政監査や企業会計の検証とも共通する部分を持つ。数字の変化から疑問点を見つけ、別の資料と照合し、必要に応じて当事者へ説明を求めるという方法である。ただし、帳簿に記載されていない資金や、資料の外で行われた約束まで、書類だけで把握できるとは限らない。この限界を具体的に考えるうえで、大島理森氏の600万円問題は重要な事例となる。

4.八戸市の大型店撤退問題が、なぜ政治資金疑惑につながったのか

 2003年2月20日の衆議院予算委員会で、民主党の細野豪志議員は、大島理森農林水産大臣に対して、青森県八戸市の大型商業施設をめぐる問題を追及した。問題の背景にあったのは、地元の大型店であるイトーヨーカドーの撤退と、店舗が入居する建物の所有者による存続への働きかけだった。

 大型商業施設の撤退は、単に1店舗の営業が終了するという問題ではない。中心市街地の買い物環境や商店街の人の流れ、建物所有者の経営、周辺の雇用などにも影響する可能性がある。八戸市でも、店舗の存続を望む関係者が政治家に働きかけていた経緯があり、大島氏自身も国会で、地元から相談を受け、店舗側に撤退を思いとどまるよう求めていたことを説明している。

 その過程で問題になったのが、2000年6月12日に建物所有者から大島氏の当時の秘書へ渡されたとされる600万円である。細野議員は、建物所有者から直接聞いた内容として、店舗存続への働きかけに対する謝意などから資金が提供されたという経緯を説明した。一方、大島氏は、2000年の衆議院総選挙に際して、選挙活動に役立ててほしいという趣旨で元秘書が受け取ったものだと説明している。

 双方の説明には違いがあるものの、資金が元秘書に渡されたこと自体について、大島氏は国会で認めている。そして、その元秘書は約1年半にわたり、大島氏や事務所のほかの関係者に受領を報告していなかったというのが、大島氏の説明だった。

 その後、2001年暮れに地元で資金に関する噂が広がり、事務所の関係者が元秘書に確認したことで、受領の事実が明らかになったとされる。大島氏は国会で、自らも元秘書を問いただし、資金を長期間預かっていたことや流用の疑いを認識したため、返金を指示したと説明している。

 2002年1月23日には、大島氏が建物所有者と面会したことも確認できる。細野議員は、この面会で大島氏が元秘書による資金の使い込みを謝罪したとする所有者の説明を紹介し、大島氏も資金が提供者の意向とは異なる扱いになっていたことについて謝罪した事実を認めた。その後、600万円が返還されたことについても、大島氏は元秘書から別の秘書を通じて返金したとの報告を受けたと答弁している。

 ここで注意しなければならないのは、600万円の法的な性格が国会で争われていたことである。細野議員は、元秘書が政治団体の会計責任者でもあったことなどを理由に、政治資金収支報告書に記載されていなかった点を追及した。一方、大島氏は、元秘書が個人的に預かっていた資金であり、事務所の政治資金として受け入れられたものではないという趣旨の説明を行っている。

 政治団体への寄付に該当するのか、元秘書による流用がどの範囲であったのか、大島氏自身にどのような責任があったのかは、それぞれ区別して検討する必要がある。国会で疑惑が追及されたことと、違法行為が法的に確定したことは同じではなく、元秘書の行為をそのまま大島氏本人の違法行為として扱うこともできない。

 さらに、大島氏の辞任を600万円問題だけで説明することも正確ではない。農林水産省の『平成15年度農林水産省年報』には、元秘書による企業献金流用問題のほか、衆議院法制局への想定問答作成依頼問題などをめぐって国会で質疑が行われ、審議が一時停滞したことが記録されている。こうした複数の問題が政治的な責任を問われる中で、大島氏は2003年3月31日に辞任し、翌4月1日に亀井善之氏が後任の農林水産大臣となった。

5.600万円を知っていた大臣と、知られていない官邸の判断

 大島氏の問題を時系列で見ると、重要な事実がはっきりする。600万円が元秘書に渡されたとされるのは2000年6月12日であり、大島氏が問題を認識したと説明しているのは2001年暮れ、提供者と面会して謝罪したのは2002年1月23日だった。その約8か月後の2002年9月30日に農林水産大臣へ任命され、翌2003年2月に国会で追及を受け、3月31日に辞任している。

 つまり、少なくとも候補者本人が問題を認識していた時期と、大臣への任命時期には相当の時間差があった。身体検査の観点から問題となるのは、この間に官邸がどのような情報を収集し、候補者本人に何を確認していたのかということである。

 しかし、今回確認した国会会議録や政府資料には、2002年9月の任命に先立って、飯島氏が大島氏の600万円問題を調査したことや、調査結果を小泉首相へ報告したことを直接示す記録は見当たらない。逆に、飯島氏がこの問題をまったく知らなかったと証明する資料も確認できていない。

 ここで、政治家本人が知っていた情報は、当然に首相官邸も把握していたはずだと考えるのは論理的に適切ではない。候補者本人が問題を説明しなかった場合も考えられるし、関係者からの情報が官邸に届いていても、その信憑性を十分に確認できなかった可能性もある。また、一定の情報を把握したうえで、任命を妨げるほどの問題ではないと判断した可能性も否定できない。

 ただし、これらはあくまで考えられる情報経路や判断の違いであり、実際の小泉官邸で何が起きたのかを示す証拠ではない。飯島氏の責任や能力を評価するには、調査を誰が指示したのか、どの資料を確認したのか、首相に何が報告されたのかという過程を明らかにする必要がある。

 さらに、仮に600万円が当時の正式な収支報告書に記載されていなかったのであれば、公開された報告書を読み込むだけでは、その資金を直接発見することは難しかったと考えられる。書類に表れていない問題を把握するためには、候補者本人への確認や、ほかの関係者からの情報などが必要になる場合がある。

 飯島氏が説明した身体検査には、疑問点を候補者本人に確認するという方法も含まれていた。そうであれば、公開情報だけでは発見できない事実を、本人への照会によって補う仕組みが実際に存在していたのかが重要になる。ただし、大島氏の任命時にどのような質問が行われたかは確認できないため、この事例をもって飯島氏の調査が失敗したと断定することはできない。

6.公開情報で90%調査できるという数字の落とし穴

 飯島氏は2011年に佐藤優氏との対談で、身体検査の大部分は公にされている情報によって実施可能だという趣旨の説明をしている。2012年の報道では、その割合が90%と紹介されているが、この数字については何を基準として算出したのかを慎重に考える必要がある。

 例えば、身体検査に100項目の確認事項があり、そのうち90項目を公開情報で調べられるとすれば、公開情報による調査項目の充足率は90%になる。しかし、これは問題のある候補者を90%の確率で発見できることを意味しない。重要な問題が、残された10項目に集中している可能性があるからである。

 また、同じ90%でも、100人の候補者のうち90人について十分な情報を収集できたという意味と、実際に問題のある100人のうち90人を正しく発見できたという意味では、統計学的な性質が異なる。前者は情報収集の範囲に関する指標であり、後者は問題発見能力を示す指標である。飯島氏の説明について、こうした分母や評価対象が明らかでない以上、90%という数字を実証された発見精度として採用することはできない。

 さらに、身体検査の能力を正確に測定するには、問題を見逃した件数だけでなく、実際には問題のない候補者を誤って不適格と判断した件数も確認する必要がある。疑惑の段階で候補者をすべて排除すれば、問題を見逃す可能性は低くなるかもしれないが、根拠の乏しい情報によって適格な人物を排除する危険も生じる。反対に、明確な証拠がない限り任命を妨げないとすれば、不適切な排除は減る一方で、問題を見逃す可能性が高くなる。

 調査の精度を評価する際には、実際に問題のある候補者のうち何人を発見できたかという割合と、問題のない候補者のうち何人を正しく適格と判断できたかという割合を、分けて考える必要がある。加えて、任命後に初めて発生した問題については、任命前の身体検査で予測できたかどうかを別に検討しなければならない。

 小泉政権で実際に何人の閣僚候補者が調査されたのか、何人について問題が発見されたのか、調査結果によって任命を見送った人物が何人いたのかという記録は、今回の公開資料から確認できない。したがって、飯島氏の身体検査について、成功率や発見率を数値で評価することはできない。

 ここで、辞任した閣僚の人数だけを数えて調査能力を評価することにも問題がある。そもそも閣僚に任命されなかった候補者の中に、身体検査によって問題が見つかった人物がいた可能性を排除できないためである。任命された人物だけを対象にすると、調査によって任命が見送られた人物を観察できないという偏りが生じる。

 身体検査の能力を実証的に検証するためには、調査対象者全体の情報が必要になる。飯島氏の方法が合理的だった可能性と、実際の調査成果を数値で証明できるかという問題は、区別して考えなければならない。

7.田中眞紀子、福田康夫、島村宜伸の退任も、調査失敗だったのか

 小泉政権では、大島氏の政治資金問題以外にも、閣僚の辞任や更迭、罷免が起きている。しかし、それぞれの事情を調べると、すべてを身体検査の失敗として扱うことが適切でないことが分かる。

 2002年1月29日には、田中眞紀子外務大臣が更迭された。政府は同年2月8日の質問主意書に対する答弁で、アフガニスタン復興支援国際会議への非政府機関の参加をめぐる外務省内の問題によって国会審議が紛糾し、事態を打開するために更迭したと説明している。また、田中氏の個々の発言を理由にした更迭ではないことも明記している。

 田中氏の事例は、閣僚候補の政策能力や行政組織との関係を、任命前にどこまで評価できるかという問題につながる。ただし、組織運営上の対立は、任命前から存在する問題だけでなく、就任後の具体的な出来事によって深刻化する場合もある。田中氏が外相として直面した問題を、任命時点でどこまで予測できたかについては、当時の判断材料を確認しなければ結論を出せない。

 2004年5月7日には、福田康夫官房長官が国民年金の保険料未納・未加入問題をめぐる混乱の中で辞任している。この事例では、政治資金収支報告書や国会会議録とは異なり、個人の年金加入記録という情報が問題になる。年金制度そのものの複雑さや個人情報の取り扱いも関係するため、公開資料を調べる能力だけで事前確認の適否を判断することはできない。

 さらに2005年8月8日には、郵政民営化関連法案が参議院で否決されたことを受け、小泉首相が衆議院解散を決断し、それに反対した島村宜伸農林水産大臣を罷免している。飯島氏が説明した身体検査には、内閣の政策への賛同を確認するという要素も含まれているが、政治家が将来の重要な政策判断について、任命時と同じ立場を取り続けるとは限らない。

 つまり、政治資金をめぐる疑惑、行政組織との対立、個人情報に関係する問題、政策上の意見対立は、原因も事前の発見可能性も異なる。これらを同じ種類の調査失敗として集計すれば、身体検査の能力を正確に評価することはできない。

 しかも、辞任や更迭が注目された事例だけを取り上げれば、問題が起きなかった多数の閣僚人事が分析対象から外れる。小泉政権の人事全体について評価するには、問題が発生した閣僚だけでなく、各内閣改造で任命された人物の構成や在任期間、辞任理由なども同じ条件で調べる必要がある。

8.そもそも身体検査は、誰の責任で行われるものなのか

 閣僚人事における身体検査という表現は広く使われているが、法律上、すべての閣僚候補者について統一された手順による審査を義務づける制度が定められているわけではない。

 日本国憲法第68条は、国務大臣の任命権を内閣総理大臣に与えており、首相が国務大臣を任意に罷免できることも規定している。一方、内閣法第22条第3項は、首相秘書官について、首相の命を受けて機密に関する事務を担当し、必要に応じて関係部局の事務を助けることを定めている。

 これらの規定から確認できるのは、閣僚を任命する権限は首相にあり、秘書官は首相の職務を補佐する立場にあるということである。法律には、首相秘書官が閣僚候補者の政治資金や交友関係を、どのような項目に従って調べなければならないかという具体的な規定はない。

 そのため、実際の身体検査がどのような仕組みで行われるかは、政権の運営方法や首相と側近の関係によって異なり得る。官房長官が調査を調整する場合も考えられれば、政務担当秘書官が政治的な情報を集め、事務担当秘書官が行政資料を確認する場合も考えられる。ただし、こうした一般的な役割分担が、小泉政権で実際にどのように運用されていたかは、個別の証拠に基づいて確認する必要がある。

 ここで重要になるのは、法的な責任と実務上の能力を混同しないことである。仮に秘書官が候補者に不利な情報を収集し、首相へ正確に報告していたとしても、首相がその情報をどのように評価するかは別の判断になる。政治的な経験や政策能力、党内の人事調整などを重視し、懸念事項を認識したうえで任命する場合も制度上はあり得る。

 反対に、首相が十分な情報を得られないまま任命していた場合には、情報収集や報告の仕組みが適切だったかという問題が生じる。しかし、その場合でも、候補者本人が情報を隠していたのか、調査担当者が見落としたのか、組織内で情報が共有されなかったのかを区別しなければ、具体的な責任の所在は明らかにならない。

 飯島氏が小泉首相から信頼され、官邸運営に重要な役割を果たしていたことは確認できる。しかし、そのことだけを根拠に、すべての閣僚人事について身体検査の最終責任者だったと断定することはできない。

9.飯島勲の能力を評価するなら、何を証明しなければならないのか

 飯島氏の調査能力について、今回確認した公開資料から一定の評価が可能なのは、調査方法に関する実務知識と、官邸内の情報共有体制の運営に関する部分である。

 過去の政治活動や政治資金の流れを確認し、疑問点を候補者本人に照会するという方法は、合理的な調査の基本に沿っている。また、首相秘書官と官邸連絡室の参事官が連携する仕組みを整えていたことからは、個人的な政治経験だけではなく、行政組織の情報を活用しようとする運営上の工夫も確認できる。

 しかし、実務知識や組織運営の経験があることと、調査の精度が高かったことは別である。実際に問題のある候補者を何人発見できたのか、発見した問題をどのように評価したのか、首相に何を報告したのか、調査結果によって任命が見送られた事例が存在するのかについては、十分な資料がそろっていない。

 大島氏の600万円問題は、その限界を具体的に示している。候補者本人は任命前に問題を認識していたと答弁しているが、その情報が飯島氏へ伝わったかどうかは確認できない。これを飯島氏の調査能力不足と結論づけるのは早計であり、反対に、飯島氏の優れた身体検査によって小泉政権では政治資金問題を防げていたと評価することも、実際に発生した辞任事例と整合しない。

 また、政治家の身体検査では、問題を発見する能力だけでなく、不確実な情報を適切に扱う能力も重要になる。疑惑に関する情報を入手したとしても、その出所が明確なのか、複数の独立した資料で確認できるのか、当事者の説明に矛盾があるのかを判断する必要がある。根拠の乏しい噂を確定した事実として扱えば、不適切な人事判断につながる可能性があるからである。

 この点では、調査で何を発見したかと同じくらい、何を確認できなかったのかを正確に報告できることが重要になる。候補者の適格性を単純に問題あり、問題なしと分類するのではなく、確認された事実、未確認の情報、法的な問題、政治的な懸念を区別して首相へ伝える仕組みが求められる。

 飯島氏が実際にそのような区分で調査結果を報告していたかどうかは分からない。ただし、公開情報を重視するという本人の説明は、特別な人脈や非公開情報の有無だけではなく、確認できる資料をどれほど丁寧に扱うかが重要であるという、身体検査の基本的な考え方を示している。

10.600万円の謎は、首相官邸の人事管理に何を問いかけるのか

 2001年4月に発足した小泉政権は、2006年9月まで続いた。その間、飯島勲氏は首席総理秘書官として首相を支え、官邸の情報共有や日程管理を担う重要人物だった。後年には閣僚候補の身体検査について具体的な方法を説明しており、その内容からは、政治家の過去の活動や資金管理を資料に基づいて確認するという実務的な考え方を読み取ることができる。

 しかし、実際の身体検査でどれほどの問題を発見できたのか、候補者の任命を見送る判断にどの程度の影響を与えたのかについては、明らかになっていない部分が多い。人事調査の対象者、使用した資料、調査結果の報告方法、任命を見送った理由などが確認できなければ、飯島氏個人の能力を客観的な数値で評価することは難しい。

 その意味で、2003年の大島理森農林水産大臣の辞任は、単なる政治資金疑惑の一例ではない。候補者本人が任命前から問題を認識していたことが国会答弁によって確認できる一方、その情報が首相官邸にどのように伝わったのかという重要な過程が見えてこないからである。

 政治家が問題を抱えていたことと、首相秘書官がその問題を発見できなかったことは、同じ事実ではない。さらに、秘書官が問題を発見していたとしても、それを首相へ報告したかどうか、首相がその報告をどう評価したかによって、人事判断の意味は変わってくる。

 飯島氏が使っていたという鉛筆の予定表を思い浮かべると、首相官邸の仕事の一端が見えてくる。政治の日程は変わり、会議の順番も変わり、予定していた判断を変更しなければならないこともある。鉛筆で書かれた予定は消して書き直せるが、政治家が過去に何を行い、どのような資金を受け取り、誰と関係を持っていたのかという事実そのものを、後から書き換えることはできない。

 首相秘書官に求められるのは、その書き換えられない事実をできる限り正確に把握し、首相が判断するための材料として整理することである。しかし、情報が公開されていなければ発見は難しく、公開されていても見落とす可能性があり、把握した情報が必ずしも人事判断に反映されるとは限らない。

 飯島氏の身体検査を検証することで見えてくるのは、有能な秘書官がいれば閣僚の不祥事をすべて防げるという単純な構図ではない。公開情報の限界、政治家本人への確認の難しさ、官邸内の情報共有、そして首相自身の任命判断が重なり合う、政治人事の複雑な仕組みである。

 2002年9月30日、大島理森氏を農林水産大臣に任命した時点で、小泉官邸は600万円問題について何を知っていたのだろうか。飯島勲氏はどのような資料を確認し、どのような情報を首相に伝えていたのだろうか。今回確認した公開資料だけでは、この問いに確定的な答えを出すことはできない。

 だが、答えが出ないからといって、調査能力の評価を諦める必要はない。何が記録によって確認でき、何が当事者の説明にとどまり、何が未解明なのかを区別することで、政治人事の実態を少しずつ明らかにすることはできる。

 閣僚の身体検査で本当に問われるべきなのは、秘書官がどれほど多くの情報を持っていたかということだけではない。問題となる情報を正確に見極め、それを首相へ届け、任命の判断に適切に反映できる仕組みが存在したかどうかである。

 そして、どれほど優れた調査体制が整っていたとしても、最後に誰を大臣に任命するかを決めるのは首相自身である。飯島勲氏の調査能力を検証することは、同時に、小泉純一郎首相が閣僚人事において何を重視し、どのように判断していたのかを問い直すことでもある。

 八戸市の大型店撤退問題から始まった600万円をめぐる国会質疑は、20年以上を経た現在も、政治家の身体検査とは何のために行われ、誰がその結果に責任を持つべきなのかという、容易には答えの出ない問いを残している。

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