政治家の力を人気で測ろうとすると、二階俊博という政治家は、ひどく分かりにくい存在になる。テレビ映りのよさを武器にした政治家ではない。演説によって大衆を熱狂させるタイプでもなく、国民的人気を背負って総理大臣の座を目指したわけでもない。それどころか、中国との近い関係をめぐっては保守層の一部から厳しく批判され、道路整備や国土強靱化への積極的な関与からは、利益誘導型政治の象徴のように語られることもあった。新型コロナウイルス感染症の流行期には、旅行業界との長い関係にも批判的な視線が向けられた。そして晩年には政治資金をめぐる問題が直撃し、2024年3月、次の衆議院選挙に立候補しないことを表明するに至った。
ところが、その二階は2016年8月3日から2021年10月1日まで、1886日にわたって自由民主党(自民党)の幹事長を務めた。これは歴代最長の在任記録である。安倍晋三政権から菅義偉政権へと総理大臣が交代しても、二階は党の中枢に残った。1983年の初当選から2021年の衆議院選挙まで、当選回数は13回に達している。
なぜ、これほど批判を受けながら、長期間にわたって権力の中心にいられたのだろうか。この問いを解くには、「二階はなぜ人気があったのか」と考えるだけでは足りない。そもそも全国的な批判の大きさと、地元選挙区での支持、党内での政治的影響力は、それぞれ異なるものである。全国世論調査によって二階個人の人気を長期間測定した一貫したデータがあるわけでもなく、批判的な報道の多さだけで国民全体からの評価を数値化することはできない。それでも、二階の長期的な政治的影響力を説明するうえで重要な視点がある。それは、大衆に広く好かれることと、政治組織の内部で必要とされることは、必ずしも一致しないという点である。
権力は、拍手の大きさだけでは測れない
民主政治では、選挙に勝つことが権力への入口になる。しかし、議員になった後の力関係は、得票数や世論調査の数字だけでは決まらない。選挙区の候補者を誰にするのか。党内の対立をどう収めるのか。地方組織から上がってきた要求をどこへ運ぶのか。政権が危機に直面したとき、誰が異なる派閥の間を調整するのか。選挙で苦戦している議員を誰が支えるのか。政府と党の意思がずれたとき、誰が合意できる着地点を探すのか。こうした仕事は国会中継にはほとんど映らないが、政党を運営するうえでは重要な役割を担っている。
政治組織は、演説する人間だけでは動かない。政策を立案する能力、選挙に勝つ能力、議会で多数派を形成する能力に加えて、異なる利害を調整し、対立する者同士の間に入り、合意形成を可能にする能力が必要になる。政治家の影響力は、こうした複数の能力がどのように組み合わされるかによって変わる。
二階の政治経歴は、この見えにくい権力の働きを考える材料になる。1993年に自民党を離れた二階は、新生党、新進党、自由党、保守党、保守新党と、政党再編の時代を渡り歩いた。2003年には保守新党が自民党へ合流する形で、約10年ぶりに自民党へ戻った。日本の政党政治が大きく変動した時期に、複数の政治組織で活動したという経験を持っている。
こうした政党遍歴は、必ずしも政治的な強みになるわけではない。所属政党を変えることは、有権者から政治理念の一貫性を問われる原因にもなる。しかし別の角度から見れば、異なる政治組織の意思決定や内部事情を知り、以前は対立していた政治家とも関係を持つ機会を得たとも考えられる。
その経験から何を学んだのかは、本人の内面に属するため断定できない。ただ、後の派閥運営や政権内での行動を考えると、一度の対立によって政治的な人間関係を完全に断ち切らず、状況に応じて協力関係を形成する姿勢は、二階の政治的特徴を理解する一つの手掛かりになる。政治の世界では、今日の敵が永久に敵であるとは限らない。選挙では対立した相手が、数年後には連立相手や政策上の協力者になることもある。政党再編を経験した二階の経歴は、そうした政治の流動性を理解するうえで重要である。
二階派は、わずか3人から独力で拡大したわけではない
二階の権力を「派閥の領袖だったから」と説明することはできる。しかし、それだけでは十分ではない。さらに、二階派の成長過程を正確に見ると、単純な派閥拡大とは異なる特徴が浮かび上がる。
2003年に自民党へ戻った二階は、旧保守新党系の議員らを中心に「新しい波」という政治グループを形成した。しかし、その勢力は決して大きくなかった。2009年の衆議院選挙で自民党が政権を失うと、所属する衆議院議員は二階を含めて3人にまで減少した。
ここで重要なのは、その後の経緯である。二階は、この3人の集団を独力で拡大し続けたわけではない。2009年11月、伊吹文明が率いる既存の派閥「志帥会」に合流し、会長代行に就任した。2012年12月に伊吹が衆議院議長となって派閥を離れると、二階はその指導的地位を引き継ぎ、2013年に志帥会会長となった。
つまり、二階派の形成には、少数グループの維持、既存派閥への合流、指導権の継承、その後の勢力拡大という複数の段階があった。2020年には47人を擁し、岸田派と並ぶ自民党内第4派閥となったが、それは2009年の3人から全員を新たに集めた結果ではない。
この違いは、二階の政治的能力を評価するうえで重要である。巨大派閥を最初から相続したわけでも、完全に独立した小集団を47人まで育てたわけでもない。少数派になったときには他の集団と結びつき、既存の政治組織の中に足場を確保し、その後に指導権を継承して勢力を拡大したのである。
こうした経緯は、二階の政治力が単純な人数の獲得能力だけでは説明できないことを示唆している。自らの立場が弱い時期には他の組織と協力し、影響力を持てる位置を確保する。その後、党内の人間関係や政治的な機会を利用して組織を拡大するという過程は、政治的な適応能力の一例として理解できる。
もっとも、派閥の拡大を二階個人の能力だけに帰することはできない。所属議員の判断、他派閥の状況、党内人事、選挙結果など、複数の要因が作用しているからである。それでも、政治的環境の変化に合わせて組織上の位置を変えながら影響力を維持したという事実は、二階の長期的な政治活動を特徴付けている。
二階の力は「城」よりも「交差点」に近かったのか
社会ネットワーク研究には、ブローカー(broker・異なる個人や集団を仲介する主体)という考え方がある。ネットワークの中で影響力を持つ人物は、必ずしも最も多くの知人を持つ人物ではない。互いに直接つながっていない集団の間に位置し、情報交換や交渉の経路になる人物が、重要な役割を果たす場合がある。
これを数学的に捉える考え方の一つが、媒介中心性(betweenness centrality・他者同士を結ぶ最短経路上に、特定の主体がどの程度位置しているかを表す指標)である。例えば、互いに直接交流していない四つの集団があり、その間の連絡が一人の仲介者を経由している場合、その人物は情報伝達や交渉において重要な位置を占める。逆に、各集団が直接連絡を取り合えるようになれば、その仲介者への依存は小さくなる可能性がある。
この考え方を二階政治に当てはめると、その権力は巨大な城というより、複数の道路が交わる交通量の多い交差点に近かったという仮説が成り立つ。交差点そのものは目的地ではないが、別の場所へ移動するために多くの人がそこを通らなければならないのであれば、交差点には独自の価値が生まれる。
二階も、派閥、地方組織、業界団体、政府、他の政治勢力との間に複数の接点を持っていた。こうした関係が政治的な情報や交渉の経路になっていたとすれば、単純な派閥人数以上の影響力を発揮できた可能性がある。
ただし、ここには重要な留保が必要である。二階個人の政治的人脈を網羅したデータを用いて媒介中心性を計算したわけではなく、その数値が他の政治家より高かったと実証したものでもない。また、媒介中心性が高いことと、実際に人事や政策を決定できることは同じではない。政治権力には、制度上の権限、相手からの信頼、資金や組織への接点、交渉能力なども作用する。
したがって、二階を「交差点」に例えるのは、権力構造を理解するための理論的な説明であり、測定によって確定した結論ではない。それでも、最大派閥の領袖ではなかった二階が長期間にわたり党内の中枢に位置した理由を考えるうえで、集団間の仲介という視点には一定の説明力がある。
幹事長という地位が、人的ネットワークの価値を高めた
二階に大きな制度的権限を与えたのが、2016年8月の自民党幹事長就任だった。自民党の党則では、幹事長は総裁を補佐し、党務を執行すると定められている。幹事長は総裁の意向や党内の意思決定機関と無関係に、党のすべてを単独で決定できるわけではない。しかし、党務の執行責任者として、選挙、組織運営、人事、資金管理、地方組織との連絡などに関わる重要な地位である。
この役職の特徴は、決定に関わる権限だけでなく、多くの政治情報が集まりやすいことにある。どの選挙区で候補者の調整が難航しているのか。どの地方組織が支援を求めているのか。どの議員が党執行部の方針に不満を持っているのか。複数の派閥が対立したとき、どのような条件で合意が成立し得るのか。幹事長は、こうした情報に接する機会を持ちやすい。
政治組織における権力には、命令する力だけでなく、情報を把握し、交渉の場を設定し、意思決定に影響する力もある。相談が集まれば、党内の問題や人間関係に関する情報を得やすくなる。そこで調整を成立させれば、さらに信頼や協力関係が生まれる可能性がある。
この点で、二階の政治力を「幹事長になったから強くなった」と一方向だけで説明するのは適切ではない。長年の政治活動によって蓄積した人脈や党内での地位が幹事長就任の背景となり、幹事長という役職がさらに情報や調整への接点を増やしたという、相互に強め合う関係が考えられる。
もっとも、この関係には逆因果の問題がある。政治力が強いから幹事長に選ばれたのか、幹事長になったことで政治力が強まったのか、それぞれの影響を厳密に分離することは難しい。二階の就任前後の党内調整への関与や政治的影響力を数量化した比較データがなければ、役職による効果の大きさまでは確定できない。
それでも、長年の人的関係と幹事長の制度的な地位が結びついたことは、二階が長期間にわたって党の中心に位置した理由を考えるうえで、重要な要素である。
「総理にならない実力者」という位置
二階政治には、もう一つ特徴的な点があった。大きな政治的影響力を持ちながら、自らが自民党総裁となって総理大臣を目指す動きは、政治活動の中心にはならなかったことである。
ここで、二階が最初から総理を目指さない戦略を意識的に選んでいたと断定することはできない。総裁を目指すための政治的条件が整っていなかった可能性もあるし、本人の政治的関心や年齢、派閥規模などが影響した可能性もある。いずれにしても、確認できない本人の意図を前提に説明することは慎重であるべきだろう。
しかし、客観的に確認できることがある。二階は安倍晋三と総裁職を直接争う立場には立たず、安倍政権下で長期間幹事長を務めた。また、2020年に安倍が退陣した際にも、自ら総裁選挙に立候補するのではなく、菅義偉を支持する側に回った。
政治組織では、最高指導者の座を直接争う人物と、その座を争わず組織運営や多数派形成を担う人物とでは、指導者との利害関係が異なる。有力な競争相手は将来の指導者になり得る一方、組織運営を担う実力者は、指導者にとって政権を維持するための協力者になり得る。
二階の長期在任についても、こうした位置関係は無視できない。ただし、安倍が二階をどのように評価していたのか、なぜ長期にわたって幹事長に起用したのかを、外部から単一の理由で断定することはできない。選挙、派閥間の均衡、党内人事、政権運営上の必要性などが関係していたと考えるのが慎重である。
重要なのは、総理大臣にならなければ政治的影響力を持てないわけではないという点である。政権の最高責任者ではなくても、党組織の運営や人事、選挙、派閥間の調整に関わることで、別の種類の権力を持つことは可能である。二階は、そのような権力のあり方を示した政治家の一人だった。
地方政治では「何を語ったか」だけでは評価されない
全国的な政治論争から二階を見ると、古い利益誘導型政治の象徴のように映ることがある。しかし、地方の有権者が国会議員を評価する際には、全国的な政治課題だけでなく、地域の具体的な課題への対応も判断材料となる。
二階は長年にわたり、道路、港湾、防災、観光、国土強靱化などの政策分野に関与してきた。紀伊半島の道路整備や地震防災対策をはじめ、地元の社会基盤に関係する事業を政治活動の重要な課題としてきたことは、本人の活動記録や関連する政策資料から確認できる。2013年には、防災・減災等に資する国土強靱化基本法など、複数の防災関係法案の提出にも関わっている。
ただし、政治家本人が掲げる実績と、その政治家が実際に生み出した政策効果は区別しなければならない。道路や港湾の整備には、政府の計画、財政状況、自治体の要望、行政機関による調査、他の国会議員の活動など、多数の要因が作用する。事業が実現したという事実だけで、その成果を特定の政治家一人に帰属させることはできない。
また、公共事業の推進そのものが不当な利益誘導を意味するわけでもない。必要な社会基盤を整備することは、国や自治体の正当な政策課題である。問題になるのは、事業の必要性、費用対効果、地域間の公平性、意思決定の透明性などが十分に検討されていたかどうかである。
例えば、道路整備の効果を評価するのであれば、移動時間の短縮、災害時の代替経路、救急搬送の改善、地域産業への影響などを調べる必要がある。一方で、建設費や維持管理費、交通需要の見通し、人口減少に伴う将来の利用状況も考慮しなければならない。こうした政策効果の検証と、政治家が事業実現に果たした役割の検証は、本来別々に行うべきものである。
それでも、地方の有権者にとって、中央政府や関係省庁との交渉力を持つ政治家が重要な存在になり得ることは理解できる。地域の政策課題を国政へ伝え、必要な制度や予算の実現を求めることも、国会議員に期待される役割の一つだからである。
実際、二階が最後に立候補した2021年10月の衆議院選挙では、和歌山3区で10万2834票を獲得し、得票率69.3%で当選した。2位の日本共産党候補は2万692票、得票率14.0%であり、得票差は8万2142票、得票率の差は約55.3ポイントに達していた。
ただし、69.3%という数字は有効投票に占める割合であって、選挙区の有権者全体に占める支持割合ではない。同選挙区の投票率は62.32%であり、二階の得票数を有権者数約25万人で割ると約41.1%になる。これは二階への積極的な支持者の割合を正確に示したものではないが、得票率だけを見て有権者の約7割が支持していたと解釈することは適切ではない。
さらに、この選挙結果から「公共事業を持ってきたから69.3%を獲得した」と結論することもできない。長年の現職としての知名度、自民党の組織力、後援会、地域の政党支持構造、対立候補の顔ぶれなど、多数の要因が作用しているためである。
重要なのは、全国的な報道による評価と、地元選挙区での候補者評価が異なり得るという構造である。国会議員は全国民による一つの人気投票で選ばれるわけではなく、それぞれの選挙区で有権者の判断を受ける。二階が長く議席を維持した背景には、こうした小選挙区政治の制度的特徴もあったと考えられる。
「中国に近い」という批判は、外交上の人的経路という側面も持つ
二階を語るとき、中国との関係を避けることはできない。象徴的なのが2015年の日中観光文化交流団である。二階は総勢3162人に及ぶ訪中団の名誉団長として中国を訪れた。北京の人民大会堂では習近平国家主席が出席する交流行事が開かれ、二階自身もあいさつした。当時、二階は全国旅行業協会の会長を務めており、観光業界との関係を背景に大規模な人的交流を進めていた。
このような長年の日中交流を背景に、二階はしばしば「親中派」と呼ばれ、その姿勢が政治的批判の対象になった。中国政府に対してどこまで厳しい態度を取るべきか、安全保障上の懸念と経済交流をどのように両立させるのかは、日本外交における現実の政策課題である。
したがって、中国との関係を維持してきたという理由だけで二階の外交姿勢を肯定することも、交流を行ったという事実だけで不適切だったと決め付けることも適切ではない。評価には、具体的な外交案件や政策上の成果、日本の国益への影響を検討する必要がある。
ただし、外交関係が悪化した際にも、政府間交渉以外の人的な連絡経路が意味を持つ場合はある。相手国の政治関係者と長期的な関係を維持してきた人物は、少なくとも潜在的には、対話を継続するための経路となり得る。
二階の中国との関係も、こうした外交資源としての側面から考えることができる。ただし、人的な経路が存在することと、それによって具体的な外交成果が生まれたことは同じではない。2015年の訪中団の規模だけでは、日中関係をどの程度改善したのかを証明できない。また、中国との関係が国内政治における二階の地位をどれほど強めたのかについても、明確な因果関係を示す資料は十分ではない。
それでも、一部の有権者から政治的な弱点とみなされる対外関係が、別の局面では外交上の連絡経路として評価され得るという構造は存在する。二階政治では、批判される理由と、政治的な資源になり得る理由が、同じ人的関係から生まれていた可能性がある。
2020年、二階の政治技術が鮮明に現れた
二階の党内での影響力を考えるうえで、2020年の自民党総裁選挙は重要な事例である。2020年8月、安倍晋三が辞意を表明すると、後継総裁をめぐる動きが一気に始まった。当時、二階派は47人であり、自民党内の最大派閥ではなかった。しかし、8月31日に二階派が菅義偉支持を決めると、その後、最大派閥の細田派や麻生派など、有力派閥が相次いで菅支持へ動いた。
この経過から、二階派の早期支持が総裁選挙の流れを形成する一要素になった可能性は考えられる。政治では、単純な人数だけでなく、いつ支持を表明するかも重要だからである。複数の派閥が情勢を見極めている段階では、ある派閥の支持表明が他の派閥にとって新しい情報になる。誰が有力候補なのか、どの候補を支持すれば党内で有利な立場を確保できるのかを判断する際、他の政治勢力の動向が参考にされることは十分に考えられる。
ただし、二階派が動いたから他の派閥も動いたと、時系列だけで断定することはできない。各派閥が菅の官房長官としての実績や安倍政権との継続性、選挙での勝算などを独自に判断した可能性もある。二階の動きと他派閥の判断には共通の政治的背景が存在していたとも考えられる。
さらに、この総裁選挙では、選出制度そのものが重要だった。2020年の総裁選挙は、通常の党員・党友による全国的な投票を含む方式ではなく、党大会に代わる両院議員総会によって実施された。投票権は党所属国会議員394人と、47都道府県連の代表各3人、合計141人に与えられ、計535票の枠組みで行われた。
つまり、投票権の約73.6%を国会議員が占める仕組みだった。一般党員からの支持だけでなく、国会議員や派閥の動向が選挙結果に強く反映されやすい構造である。地方組織でも予備選などは行われたが、各都道府県に割り当てられた票数は3票に限られていた。
選挙結果は、有効投票534票のうち、菅が377票、岸田文雄が89票、石破茂が68票だった。菅は有効投票の約70.6%を獲得して当選した。
ここで、二階派47人の規模を数理的に考えてみる。47人は国会議員394人の約11.9%に相当する。仮に二階派の47人全員が菅に投票したとしても、それだけで377票を説明することはできない。実際の得票377票から47票を差し引いても330票が残り、他の派閥や国会議員、地方組織からの幅広い支持が菅の当選に寄与していたことは明らかである。
もっとも、この計算は、他の投票行動が変化しないと仮定した単純な比較である。二階派が支持を表明しなかった場合、他の派閥の判断や得票配分まで同じだったとは限らない。したがって、この数字から二階派の早期支持に影響がなかったと結論することもできない。
最も慎重な説明は、二階派単独で菅を当選させたわけではないが、早期の支持表明が党内の期待形成や支持勢力の調整に影響した可能性がある、というものである。菅が自民党総裁となり、総理大臣に就任すると、二階は幹事長に留任した。この結果、安倍政権から菅政権への移行を経ても、二階は党運営の中心的地位を維持した。
この時期、二階は「キングメーカー」と呼ばれるほどの影響力を持つ政治家として扱われた。しかし、その力を他派閥に一方的に命令する能力と理解するのは適切ではない。むしろ、党内の政治情勢を読み、早い段階で支持を明確にし、複数の勢力が合意し得る方向を形成する能力に特徴があったと考えられる。
2020年の総裁選挙は、二階の政治力を派閥の人数だけで説明することの難しさと同時に、幹事長という地位、党内ネットワーク、総裁選挙の制度が組み合わさって影響力を形成する仕組みを示す事例だった。
二階の長期在任には、本人以外の条件も作用していた
ただし、二階の長期的な権力を本人の調整能力だけで説明すると、重要な点を見落とす。第一に、幹事長という役職は、本人の意思だけで維持できるものではない。自民党の党則では、幹事長は総務会の承認を受けて総裁が決定する。したがって、二階が長期間幹事長に在任できたことには、安倍や菅をはじめとする総裁側の判断が関わっていた。
第二に、自民党内の派閥構造や政権運営上の利害が存在する。総裁は党内の各勢力との関係を調整する必要があり、幹事長の選任も、そのような党内政治と無関係ではない。二階が必要とされたとしても、その必要性は党内の勢力関係や政権の状況によって変化する。
第三に、政治的な仲介能力がある人物なら誰でも長期的な権力を維持できるわけではない。同じように派閥間の調整や選挙支援を重視しながら、選挙に敗れたり、党内人事で影響力を失ったりした政治家も存在する。長く生き残った二階だけを対象に分析すると、その成功を生んだ特徴を過大評価する生存者バイアスに陥る危険がある。
二階の特徴が本当に例外的だったのかを検証するためには、同時代の自民党有力政治家と比較し、幹事長在任期間、派閥規模、当選回数、役職歴、党内での調整への関与などを調べる必要がある。この記事が示す説明は、二階個人の能力を実証的に数量化したものではない。確認できる経歴や政治行動を基礎に、党内制度や政治学の理論から長期的な影響力の形成過程を説明する仮説として位置付けるのが適切である。
2021年、制度的な権力を失う転換点が訪れた
二階の影響力がどのように形成されたのかを考えるなら、それがどのように弱まったのかも検討しなければならない。重要な転換点は、2024年の不出馬表明だけではない。その前の2021年に、二階は長く務めてきた自民党幹事長の地位を失っている。
2021年9月の自民党総裁選挙では岸田文雄が当選し、10月1日に党役員人事が行われた。幹事長には甘利明が就任し、二階の1886日に及ぶ在任は終了した。これによって二階は、党務の執行責任者という制度上の地位を失った。
岸田は総裁選挙において、党役員の任期に上限を設ける改革方針も打ち出していた。長期在任の是非が党運営上の論点となっていたことは、二階の地位を考えるうえで無視できない。ただし、幹事長交代の理由を二階への反発だけで説明するのは適切ではなく、新総裁による党運営体制の構築や人事上の判断なども考慮する必要がある。
ここには、政治権力の性質を理解するための重要な論点がある。二階が長年蓄積した人脈は、幹事長を退任したからといって突然消滅するものではない。しかし、党務を執行する正式な権限や、選挙、人事、組織運営に関する情報が集まる制度的な地位は失われる。個人的な人脈が残っていても、役職を通じて得られる政治的資源は変化するのである。
これは、幹事長への就任が政治的影響力を強めるという仮説の反対側に当たる。役職と人脈が相互に政治力を高めていたのであれば、役職を失うことによって、その循環の一部が弱まる可能性がある。もちろん、2021年以降の二階の影響力が実際にどの程度低下したのかを数量的に測定したわけではない。ただ、制度的な地位を失ったことは確認できる事実であり、長期的な権力の変化を考えるうえで、2021年は重要な区切りだった。
「必要とされる政治」は、同時に不信も生む
ここまで見ると、二階政治には一定の組織的な合理性があったことが分かる。しかし、その強さを生み出した仕組みには、政治的な不信を招き得る側面も存在していた。
人的関係を通じた調整を重視すれば、正式な会議や公開資料だけでは意思決定の過程が分かりにくくなる。地域の要望を中央政府へ届ける政治を重視すれば、政治的影響力の強い地域ほど有利になるのではないかという疑問が生まれる。業界団体との長い関係を政策形成に利用すれば、専門知識や現場の情報を得られる一方で、特定業界の利益が過度に優先されていないかという問題も生じる。
こうした関係が存在すること自体は、直ちに不正を意味するわけではない。民主政治において政党、地方組織、業界団体、行政機関、国会議員が意見交換や調整を行うことは一般的であり、必要な場合も多い。
しかし、政策決定の公平性や透明性を確保するためには、誰がどのような要望を出し、何を根拠に決定が行われ、どのような利益や負担が生じたのかを検証できる仕組みが必要になる。調整能力が高くても、その過程が外部から検証できなければ、政治的な不信を生む可能性がある。
つまり、二階が持っていたと考えられる政治的な調整能力は、党内では組織運営上の価値を持ち得る一方、国民に対する説明責任や政策決定の透明性という観点からは、厳しい検証を受けるべきものでもあった。その緊張関係が強く表れたのが、自民党派閥の政治資金問題である。
政治資金問題では、刑事責任と政治的責任を分ける必要がある
自民党派閥の政治資金事件では、二階派「志帥会」の元会計責任者が、2022年までの5年間に約2億6400万円の政治資金パーティー収入や、約1億1600万円の支出を政治資金収支報告書に記載しなかったとして、政治資金規正法違反の罪に問われた。
元会計責任者は起訴内容を認め、2024年9月10日、東京地方裁判所から禁錮2年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。裁判所は、長年にわたる会計処理によって収支の実態が報告書に反映されず、政治資金の流れが国民から見えなくなっていたことなどを重く評価した。
ただし、この事件における元会計責任者の刑事責任と、二階本人の刑事責任は明確に区別しなければならない。二階自身も派閥の政治資金をめぐって刑事告発されたが、東京地方検察庁特別捜査部は2024年7月、本人について嫌疑なしとして不起訴処分とした。したがって、会計責任者に有罪判決が出たことをもって、二階本人にも犯罪が成立したかのように記述することはできない。
さらに、これとは別に、自民党和歌山県連の政治資金収支報告書の不記載をめぐる事件もあった。県連会長だった二階らに対する告発について、和歌山地方検察庁はいったん不起訴処分としたが、2025年に和歌山検察審査会が不起訴不当と議決した。
その後、和歌山地検は再捜査を行い、2019年分と2020年分については2026年2月、2021年分と2022年分については同年10月2日に改めて不起訴処分とした。2021年分と2022年分について、二階本人は事実を認定するに足りる証拠が認められなかったとして、嫌疑なしと判断されている。
この和歌山県連の問題は、二階派の元会計責任者が有罪判決を受けた事件とは別のものである。対象となる政治団体や告発内容、検察による判断を混同しないことが重要である。また、不起訴処分がされたことと、政治的な説明責任をどう評価するかは、別の問題である。政治資金の管理に関わる組織の責任者が、どのような監督体制を構築し、問題が明らかになった際にどのような説明を行ったのかについては、刑事司法の判断とは別に政治的な評価が成立し得る。
二階は2024年3月、次の衆議院選挙には立候補しないことを表明し、自らの政治責任にも言及した。ただし、その判断には年齢、世代交代、党内情勢など、複数の事情が関係していた可能性があり、政治資金問題だけを唯一の理由と断定することは避けるべきである。
それでも、長年にわたって政治的影響力を維持してきた二階が、晩年に政治資金をめぐる問題と説明責任を強く問われる立場になったことは、政治的な調整能力だけでは権力を維持できないことを示す出来事だった。
2024年の後継候補敗北が示したもの
二階の政治的影響力の変化を考えるうえで、2024年の衆議院選挙も重要である。和歌山県では、衆議院小選挙区の区割り改定によって選挙区数が3から2に削減された。従来の和歌山3区はなくなり、選挙区の区域も大きく変更された。
2024年10月27日の衆議院選挙では、再編された和歌山2区から、二階俊博の三男である二階伸康が自民党公認候補として立候補した。しかし、無所属で立候補した世耕弘成に敗れた。得票数は、世耕が10万1739票、二階伸康が7万1114票で、得票差は3万625票だった。得票率は世耕が44.0%、二階伸康が30.8%である。
この結果から、二階俊博本人が持っていた選挙基盤が、後継候補に自動的に引き継がれるわけではなかったことが分かる。ただし、2021年の和歌山3区と2024年の和歌山2区では選挙区の区域が異なるうえ、対立候補の知名度や政治経歴、選挙時の党内情勢も違う。したがって、俊博本人の2021年の得票率69.3%と、伸康の2024年の30.8%を単純に比較して、二階の地盤がその差だけ衰退したと判断することはできない。
また、二階伸康の敗北を、父親である俊博の政治力が完全に失われた証拠とみなすこともできない。選挙はあくまで個々の候補者、対立候補、選挙区の状況、政治的争点などによって結果が変わるからである。
それでも、ここには政治学的に興味深い問題がある。長年にわたって形成された個人後援会や政治的人脈、地元組織との関係は、血縁関係によってそのまま継承されるとは限らない。政治的な信頼や支持は、候補者自身の経験、能力、評価によっても左右される。二階が築いてきた政治的資源には、組織として継続する部分と、本人の経験や人間関係に強く依存する部分があったと考えられる。後継候補の選挙結果は、そうした個人的な政治資源の継承が必ずしも容易ではないことを示唆している。
二階政治を一つの成功物語として説明してよいのか
ここまでの事実から、二階の長期的な影響力には、強固な選挙基盤、長い議員経験、派閥の指導的地位、幹事長としての制度的権限、地方政策への関与、業界との関係、外交上の人的接点など、複数の要因が作用していたと考えられる。しかし、これらの要因がそれぞれどの程度の影響を与えたのかを、現在確認できる資料だけで正確に数値化することは難しい。
例えば、長い議員経験が人脈を増やした可能性がある一方、政治的人脈が選挙での再選を助け、その結果として議員経験が長くなった可能性もある。幹事長就任が政治力を強めた一方、もともと政治力があったから幹事長に選ばれたとも考えられる。これらは互いに独立した要因ではなく、影響し合っている可能性が高い。
また、二階と似た政治手法を取った他の政治家を比較せず、長く権力を維持した二階だけを詳しく分析すると、成功した人物に共通する特徴と、成功の原因となった特徴を混同する危険もある。
本来、より厳密な実証研究を行うなら、同時代の政治家について、選挙成績、派閥規模、党内役職、組織間の人的関係、政権交代時の地位の変化などを比較する必要がある。さらに、幹事長就任前後や退任後の影響力を測定できれば、制度的な地位の効果と個人的な人脈の効果をある程度区別できる可能性がある。
ただし、政治における人的関係の多くは非公開であり、単純に知人の数を調べれば政治権力を測定できるわけではない。誰と接点を持っているかだけでなく、その関係を通じてどのような交渉が成立し、どのような意思決定に影響したのかまで把握しなければならない。
したがって、二階の長期的な影響力を、調整能力という一つの原因だけで説明するのは適切ではない。むしろ、選挙制度、党内組織、政治的な人間関係、幹事長の権限、政治情勢の変化が互いに作用した結果として理解する方が、歴史的事実にも政治学の理論にも整合する。
二階を長く権力の中心に残したものは何だったのか
二階俊博という政治家を「古い政治家」の一言で片付けるのは簡単である。確かに、彼が得意としたと考えられる政治手法には、昭和以来の自民党政治を思わせる部分が多い。人に会い、対立した相手とも関係を完全には切らず、選挙で困っている政治家を支える。地方の要求を中央政府へ届け、業界団体との関係を維持し、外交関係が難しくなれば別の連絡経路を探す。派閥間の対立が起きたときには、互いに受け入れられる合意点を探る。こうした行動は、政治組織の内部では一定の実務的な価値を持ち得る。
一方で、その政治手法は透明性や公平性、説明責任を重視する現代の政治観と緊張する場合がある。人的関係を通じて問題が解決されるとしても、その判断が公共の利益にかなっているかどうかは、別途検証されなければならない。
二階政治の特徴は、この二つの側面が同時に存在していたことにある。党内での調整能力は、政権運営にとって有用な資源となり得る。しかし、その調整過程が外部から見えにくければ、国民の不信を招く可能性もある。地方の要望を政策に反映する力は、地域の有権者から評価され得る。しかし、地域間の公平性や公共投資の効率性については別の検証が必要になる。業界や外国の政治関係者との長い人脈は、情報や交渉の経路となり得る一方、その関係が政策判断にどのような影響を与えたのかについて説明責任が生じる。
そして、こうした能力や人間関係があっても、政治権力を無期限に維持できるわけではない。2021年の幹事長退任によって制度上の地位は変化し、2024年には次の衆議院選挙への不出馬を表明した。同年の後継候補の選挙結果も、本人が築いた政治的基盤の継承が容易ではないことを示した。
二階の長い政治人生から読み取れるのは、政治権力が単なる人気や派閥人数だけで決まるものではないということである。もちろん、選挙で支持されることは民主政治の基本であり、その重要性が小さくなるわけではない。しかし、選挙で議席を得た後の政治組織では、異なる勢力を調整し、情報を集め、合意を形成し、制度上の役職を通じて意思決定に関与する能力も、政治的影響力を左右する。
二階は、最も人気のある政治家でも、常に最大派閥を率いる政治家でもなかった。それでも、党内の重要な組織や人間関係の接点に位置し、長期にわたって幹事長という制度的な地位を維持した。ただし、その状態が続いた理由を二階個人の能力だけに求めることはできない。安倍や菅による党運営上の判断、他派閥の利害、党内の選挙制度、地元での支持基盤など、本人を取り巻く政治構造も大きく関係していた。
そう考えると、最後に残る問いは「なぜ二階だけが生き残ったのか」というものではないのかもしれない。より重要なのは、自民党内の権力調整、選挙、地方政治、業界団体、外交上の人的関係が複雑に結びつく政治構造の中で、なぜ二階のような政治家が長期にわたって必要とされる地位を維持できたのか、という問いである。
二階俊博を理解することは、一人の老練な政治家の経歴を振り返るだけではない。選挙によって得られる民主的な正統性と、政党組織の内部で形成される政治的影響力が、どのような関係にあるのかを考えることでもある。そして、その権力が個人の能力だけではなく、役職、組織、制度、周囲の政治情勢によって支えられているのであれば、それらの条件が変化したときには、長年の実力者であっても影響力を失い得る。
二階の政治人生が示しているのは、人気とは異なる場所で政治権力が形成される仕組みだけではない。その権力が何によって支えられ、どのような条件で維持され、そして何が変わると失われていくのかという、政党政治そのものの構造なのである。

