地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

 町の政治を知ろうと思えば、まず町役場を見ることになる。町長がいて、議会があり、予算書や条例が公開され、議事録を読めば誰が何を発言したのかも分かる。選挙になれば候補者の名前も得票数も数字として残り、誰が住民から正式な権限を託されたのかはかなり明確である。民主主義とは、権力の所在をできるだけ見えるようにする仕組みでもあるから、ここまでは分かりやすい。

 ところが、一つの町に長く暮らしていると、その制度上の地図だけでは説明しにくい場面に出会うことがある。「この話は、まずあの人に伝えておいた方がいい」「役場に直接話すより、あの人から話してもらった方が伝わりやすい」といった会話である。その「あの人」は町長でも議員でも役場職員でもなく、現在は自治会長ですらないかもしれない。それでも地域の事情に詳しく、さまざまな人とつながり、困り事が起きれば相談を受け、何かを始めようとすれば自然に名前が挙がる。

 こうした人物を、私たちはしばしば「有力者」と呼ぶ。しかし、その言葉から、町長や議員を裏から操る秘密の支配者を想像すると、本質を見誤る。地方政治を考えるうえで面白いのは、正式な権力とは別に、人間関係や信用、情報、仲介によって生じる影響力があり、その二つが重なる場所で町の意思決定が進むことがある、という点なのである。

町長と議会には「決定する権力」がある

 最初にはっきりさせておかなければならないのは、町長や議員の権力が形式だけのものではないということである。地方自治では、首長と議会議員を住民がそれぞれ直接選ぶ二元代表制が採られており、首長は自治体の行政を執行し、議会は条例や予算などについて議決し、行政を監視する役割を担う。道路を整備するにも、公共施設を建てるにも、福祉事業を始めるにも、公費を支出する以上は正式な制度と手続きを通らなければならない。

 したがって、選挙に出ていない人物が電話一本で予算を成立させたり、条例を書き換えたりするわけではない。少なくとも制度上の最終決定権という意味では、町長と議会が中心にいるという理解は変わらない。

 しかし、政治を「最後に誰が決めたか」という一点だけから見ると、その決定が生まれるまでの過程が見えなくなる。町には数え切れないほどの要望や不満や提案が存在するが、そのすべてが役場に届き、そのすべてが議会で議論されるわけではない。ある問題は行政へ伝わり、別の問題は伝わらない。ある要望には役場が早く反応し、別の要望は長く放置される。その違いがどこで生まれるのかを考えると、正式な決定権とは別の種類の力が見えてくる。

 政治学では、誰が最終的に決定したかだけでなく、「そもそも何を政治的な問題として取り上げるのか」を左右する力が重要だと考えられてきた。これを議題設定力と呼ぶなら、町長や議会が「決める力」を持っている一方で、町のさまざまな人々は「何を決める問題にするのか」に影響することがある。

 表に現れる政治は採決の瞬間だが、そのずっと前から政治は始まっている。

「有力者」という肩書はどこにもない

 面白いことに、「有力者」という正式な役職は存在しない。選挙管理委員会が認定するわけでもなく、辞令も任期もなければ、町役場の組織図にも載らない。それでも、ある地域では「この人は顔が広い」「この問題ならこの人に聞けば分かる」と認識されている人物がいる。

 その影響力を単純に財産や家柄だけで説明するのは難しい。もちろん、地域によっては地主、大きな事業者、旧家などが歴史的に強い発言力を持ってきた場合もあるだろう。しかし、現代の地域社会で人を動かす力を考えるなら、より重要なのは、その人がどれだけ多くの人や組織の間をつないでいるかである。

 長年商売をしてきた人なら、多くの住民を客として知っているかもしれない。自治会、商工団体、祭礼、防災活動、学校関係などに長く関わってきた人なら、役場職員、地域団体、事業者、住民のそれぞれと接点を持っている可能性がある。冠婚葬祭や地域行事を通じて人間関係を蓄積し、「この問題なら誰に相談すればよいか」を知っている人もいる。

 こうした力は、社会学では人間関係そのものを一種の資源として考えることができる。政治的な有力者や組織とのつながりを「関係的資源」として捉える研究もあり、影響力は個人の能力や財産だけでなく、誰と誰につながっているかによって生まれることがある。

 人口統計にも資産台帳にも、この種類の力は簡単には表れない。しかし、地域社会では「あの人を通せば話が早い」という信用が積み重なり、結果として人と人の間に立つ人物へ相談や情報が集まっていく。

 命令するから強いのではない。人が集まるから強くなるのである。

「人間関係が集中する場所」に立つ人

 社会ネットワークの考え方を使うと、この現象はさらに分かりやすい。人間関係を点と線で描いたとすれば、全員が同じ位置にいるわけではなく、異なる集団の間をつないでいる人物が現れる。商店街の人々とも付き合いがあり、自治会とも関係があり、行政とも話ができ、移住者のグループとも接点を持つ人物がいれば、その人を経由して多くの情報が行き来することになる。

 社会ネットワーク分析には、異なる人や集団の間にどれほど位置しているかを見る「媒介中心性」という考え方がある。現実の町の有力者をそのまま数式で決められるわけではないが、「有力者とは人間関係が集中した場所にいる人物である」という見方には、一定の理論的な裏付けがある。

 この視点に立つと、町の有力者は必ずしも一人ではないことにも気づく。商業について影響力を持つ人物と、福祉に詳しい人物は違うかもしれない。祭りでは中心人物でも、行政政策についてはほとんど発言力を持たない人もいる。ある地区では頼られている人物が、隣の地区ではほとんど知られていないこともある。

 つまり「この町を動かしている人は誰か」という問いそのものが、少し乱暴なのである。より正確には、「どの問題について、誰が誰をつなぐ位置にいるのか」と考えた方がよい。

小さな町だから有力者が生まれる、とは限らない

 地方政治を論じるとき、「人口の少ない町では有力者が強く、大都市ではそうではない」と単純化するのも危険である。大都市にも企業、業界団体、地域団体、専門職、メディアなど、政治や行政へ影響を与える多くの主体が存在する。

 ただし、人口規模の小さな地域や、人の移動が比較的少ない地域では、一人の人間を複数の関係で知ることが起こりやすい。取引先だった人物が自治会でも一緒になり、子どもの学校でも顔を合わせ、祭礼では同じ実行委員になり、選挙になれば候補者とも知り合いだった、という関係である。

 ここで重要なのは、人口の少なさそのものよりも、人間関係がどれほど重なっているかである。人口が少なくても住民の入れ替わりが激しく、地域組織への参加が少なければ、人間関係は必ずしも密にならない。一方、人口規模が比較的大きくても、長期間同じ地域で生活し、複数の地域組織へ参加する人が多ければ、関係は重なりやすい。

 したがって、「人口が少ないから有力者が生まれる」という一本道の説明より、地域の歴史、人口移動、産業構造、住宅所有、地域組織への参加、世代構成などが重なった結果として、特定の人物や団体へ人間関係が集中する場合がある、と考える方が現実に近い。

行政にとっても「話の分かる人」は便利である

 ここから問題は少し複雑になる。

 役場が地域住民一人一人と日常的に話をすることは現実には難しい。住民の考えは一様ではなく、行政職員の時間にも限りがあるため、防災、環境美化、地域行事、福祉、広報などを進めるとき、自治会や地域団体を通して住民へ情報を伝えたり、地域側から事情を聞いたりする場面が生まれる。

 日本の自治会や町内会は、単なる親睦団体ではなく、地域によって程度の差はあるものの、行政と住民との接点として機能してきた。災害時に地域の事情を知っている人がいること、高齢者や困窮世帯について行政だけでは把握しきれない情報を地域側が持っていること、行政が新しい施策を説明するときに住民との橋渡しをする人がいることには、現実的な利点がある。

 したがって、行政が地域事情に詳しい人物や団体と継続的な関係を持つこと自体を、直ちに癒着や古い地方政治と決めつけることはできない。制度だけでは拾えない情報を、人間関係が補完している面があるからである。

 しかし、便利な仕組みほど固定化したときに問題が生まれる。

「住民の声」は、誰の声なのか

 ある地区について行政が意見を聞きたいとする。そこで、長年その地区で活動している自治会役員や地域団体の代表へ相談する。相手は地域事情に詳しく、多くの住民を知っているから、行政にとっては合理的な方法である。

 ところが、その人物の意見が、いつの間にか「地域の意見」に変わったとき、問題が生じる。

 百人が暮らしている地区で、一人の人物が「この地域ではみんなそう思っています」と話しても、科学的に見れば、それだけで百人全員の意見を代表しているとはいえない。本人が意図的に話を誇張しているとは限らず、自分の周囲で日常的に接している人々の意見を、そのまま地域全体の意見だと認識している可能性もある。

 ここには、統計学でいう選択バイアスに似た問題がある。地域活動に積極的に参加する人だけから意見を聞けば、得られるのは「地域活動に参加する人々の意見」であって、「住民全体の意見」と一致するとは限らないからである。

 高齢者には高齢者の人間関係があり、商店主には商店主の世界があり、昔から住んでいる人には昔からの住民同士のネットワークがある。その一方で、移住してきたばかりの人、自治会へ加入していない人、仕事で昼間町にいない人、地域活動へ参加する時間のない子育て世帯、そもそも政治や地域活動について発言しない人もいる。

 行政が効率よく住民の意見を知ろうと代表者を立てるほど、その代表者につながっていない住民の声が見えにくくなる可能性がある。この矛盾は、地域民主主義を考えるうえでかなり重要である。

本当に影響力のある人は、よく発言する人とは限らない

 権力を観察するとき、私たちは目立つ人物を見てしまう。会議で長く発言する人、行政へ何度も要望する人、議員へ頻繁に相談する人は分かりやすい。しかし、影響力は必ずしも発言回数と同じではない。

 本人が何も言っていなくても、「この案について、あの人はどう思うだろう」と周囲が気にしているなら、そこにはすでに影響力が存在する。

 これは政治権力を考えるうえで興味深い現象である。誰かに命令された後で行動を変えるだけが権力ではなく、相手の反応をあらかじめ予想して、自分から行動を変えることもあるからだ。

 例えば、地域で何か新しい事業を始める人が「まず○○さんへ挨拶しておこう」と考え、地域行事を変えようとする人が「先に○○さんへ説明した方がいい」と考え、行政側まで「この件は地域の○○さんへ事前に話した方がよい」と判断するようになれば、その人物は正式な決定者ではなくても、意思決定過程の一つの通過点になっている。

 しかし、この種類の影響力は記録に残りにくい。町長が予算案を提出すれば公文書に残り、議員が質問すれば議事録に残り、選挙なら得票数も記録されるが、「先にあの人へ相談しておこう」と考えたことは通常どこにも記録されない。

 地域の「見えない権力」が見えにくいのは、それが秘密裏に行使されているからとは限らない。日常の判断や人間関係の中に溶け込んでいるため、制度の記録だけでは観察しにくいのである。

有力者がいることと、民主主義が壊れていることは同じではない

 ここまで読めば、有力者という存在そのものが民主主義に反するように見えるかもしれない。しかし、人間社会から非公式な影響力を完全になくすことはできないし、なくすべきだとも限らない。

 長年地域活動を続けてきた人が信頼され、地域事情について詳しい人の意見に重みが生まれるのは自然なことである。経験を積んだ人と、昨日その町へ来た人とでは、地域について持っている情報量が同じとは限らない。災害、防災、福祉、土地利用などでは、長年の経験が実際に役立つこともある。

 問題は、影響力の存在そのものではなく、その影響力へ他の人が挑戦できなくなったときに生じる。

 行政が何年も同じ人物だけを地域の窓口として扱い、地域団体でも同じ人々だけが意思決定に参加し、新しく入ってきた住民が意見を述べる経路がほとんどない状態になれば、地域社会の経験を生かす仕組みは、少しずつ閉鎖的な仕組みに変わっていく。

 さらに、「政策に反対すること」と「地域に協力しないこと」が同じ意味で受け取られるようになれば、本来は別であるはずの人間関係と政策判断が混ざり始める。

 異論を述べれば人間関係まで悪くなると感じる社会では、人は発言する前に自分で言葉を飲み込むようになる。そのとき政治は、議会の採決よりずっと前の段階ですでに狭くなっている。

 民主主義に必要なのは、すべての人が同じ影響力を持つことではない。強い意見を持つ人にも異論を唱えられ、従来とは違う人が新しい担い手になれ、これまで地域活動に関わってこなかった人にも参加する入口が開かれていることの方が重要である。

移住者から見ると、町には二つの地図がある

 地方へ移住した人が戸惑う理由の一つも、この正式な制度と非公式な人間関係の違いにあるのかもしれない。

 町役場のホームページを見れば、町長の名前も議員の名前も分かり、役場の組織図も委員会の構成も確認できる。しかし実際に生活を始めると、それとは別の地図が存在していることに気づく。

 誰と誰が昔から付き合いがあるのか、地域行事を実際に動かしているのは誰なのか、商工関係なら誰が詳しいのか、防災なら誰に聞けばよいのか、行政と地域の両方を知っているのは誰なのかといった情報は、公式サイトにはほとんど掲載されていない。

 昔から住んでいる人には当然の知識でも、新しく来た人には見えない。

 この情報格差が「地方は閉鎖的だ」という感覚を生むことがある。ただし、すべてを排他性だけで説明するのも正確ではない。長年かけて形成された信用のネットワークに、新しく来た人がまだつながっていないだけの場合もあるからである。

 それでも、公共的な意思決定に関わる部分については、「時間がたてば分かる」で済ませない方がよい。誰が参加できるのか、地域団体の代表はどのように選ばれるのか、行政へ意見を伝える方法は何通りあるのかを見えるようにすることは、古くからの住民と新しく来た住民の双方にとって利益になる。

 伝統を残すことと、入口を閉じることは同じではない。

昔ながらの「有力者」を支えた環境は変わりつつある

 もう一つ注意すべきなのは、地域の影響力の構造が固定されたものではないということである。

 自治会や町内会の加入率は長期的に低下傾向を示す地域があり、人口移動の増加、職業構造の変化、生活時間の多様化などによって、かつてのように多くの住民が同じ地域団体へ参加することが難しくなっている。また、政治家や行政自身がインターネットを通じて住民へ直接情報を届けるようになり、地域の中間的な人物を経由しなくても意見や情報を交換できる場面が増えている。

 ただし、これを根拠に「昔の有力者は消えた」と結論づけることはできない。地域団体への参加が減れば、人間関係の中心人物の影響力も必ず弱くなるとは限らず、逆に参加者が減った結果として、少数の担い手へ仕事や情報が集中する可能性もある。

 したがって、より慎重にいえば、昔ながらの有力者を支えてきた社会環境が変化し、それに伴って地域の影響力の形も変わりつつある、と考えるのが妥当だろう。

 さらに現在では、地域内で百人とつながっている人物だけでなく、インターネット上で地域内外の何千人へ情報を届ける人物も現れる。顔の見える人間関係を束ねる従来型の影響力と、画面を通して人々の認識を変える新しい影響力が、同じ地域の中で並存する時代になっている。

 前者には地域事情を深く知っている強みがあり、同時に人間関係が閉じやすいという弱点がある。後者には従来の地域組織につながっていない人の声を可視化できる可能性がある一方、地域外の人々まで巻き込んだ感情的な議論が急速に広がる危険もある。

 地方政治の「見えない影響力」は、なくなったというより、その姿が変わっていると考えた方がよさそうである。

「有力者」を科学的に見ることはできるのか

 では、町の有力者を感覚ではなく、もう少し客観的に捉えることはできるだろうか。

 単に「町で有名な人は誰ですか」と尋ねるだけでは不十分である。誰かが有力者だと評判になっていることと、その人が実際の意思決定に影響していることは同じではないからだ。

 むしろ、行政や議員、地域団体との接触がどの程度あるのか、異なる組織をどれほど結びつけているのか、地域の人々から相談を受ける頻度はどの程度か、地域の問題を行政へ伝える役割をどれだけ果たしているのか、その問題が実際に行政や議会で取り上げられたのか、といった行動を見る必要がある。

 こうして考えると、「有力者」という曖昧な言葉は、少しずつ分析可能な対象へ変わっていく。

 面白いのは、そこまで調べた結果、町の人々が「一番の有力者」と考えていた人物が、実際には政策過程でそれほど大きな役割を果たしていない可能性もあることである。逆に、目立った肩書もなく、会議でほとんど発言しない人物が、異なる集団をつなぐことで重要な役割を果たしていることも考えられる。

 権力を科学的に見るということは、「黒幕」を探すことではない。人と情報と意思決定が、どのような経路を通っているのかを確かめることである。

町の権力を見るなら、「誰が決めたか」の一歩前を見る

 地域政治の記事では、議会で誰が賛成し、誰が反対したのかを追うことが多い。それはもちろん重要である。しかし、その一歩前へ戻って、「なぜこの問題が議会で扱われることになったのか」を考えると、違う町の姿が見えてくる。

 その問題を最初に役場へ伝えたのは誰だったのか、行政は地域事情を誰から聞いたのか、議員へ相談した人は誰だったのか、賛成する人だけでなく反対する人にも発言する機会があったのか、そして、そもそも声を上げなかった多数の住民はどう考えていたのか。

 こうした問いを重ねていくと、町の政治は町長と議員だけによってできているわけでも、特定の「有力者」がすべてを動かしているわけでもないことが分かってくる。

 むしろ、その中間にある。

 商業について人をつなぐ人がいて、福祉について詳しい人がいて、自治会で人をまとめる人がいて、行政との橋渡しをする人がいる。同じ人物が複数の役割を持つ場合もあれば、それぞれ異なる人物が担っている場合もある。

 町の影響力は、一人の人物が所有するものというより、人と人の関係の中を移動するものとして見た方が理解しやすい。

選挙に出ない人々のところから、政治が始まることがある

 選挙の日、住民は町長と議員を選び、その結果によって正式な権限を持つ人物が決まる。この仕組みが地方民主主義の中心であることは変わらない。

 しかし町の政治は、選挙の日だけに存在しているわけではない。地域の困り事を聞く人がいて、それを誰かへ伝える人がいる。行政と住民の間をつなぐ人がいて、地域行事を何十年も支えてきた人がいる。誰かの相談に応じ続けた結果、本人が望んだわけでもないのに、多くの情報と信用が集まる人物もいる。

 そこには善意も利害もあり、献身も自己利益もあるだろう。長年の経験が地域を助けることもあれば、古い人間関係が新しい考えを入りにくくすることもある。

 それらをすべて「利権」と呼べば現実を単純化しすぎるし、反対にすべてを「地域の絆」と呼べば問題を見落とす。

 地方政治の興味深さは、その中間にある。

 役場の組織図には名前がなく、選挙公報にも載っていない。それでも、ある問題が起きると自然に相談が集まる人物がいるなら、「この人が町を支配している」と考えるのではなく、まず「なぜこの人のところに人と情報が集まるのだろう」と考えてみる。

 そこには、その町が長い時間をかけてつくってきた信用、人間関係、産業、歴史、人口移動、地域組織のあり方が凝縮されている。

 町で本当に影響力を持っているのは町長なのか、議員なのか、それとも選挙に出ない有力者なのかという問いに、一人の名前で答えることはできない。

 町長と議会には、制度によって与えられた「決定する権力」がある。その外側には、人をつなぎ、情報を運び、問題を行政へ伝え、ときには何を政治的な議題にするのかに影響する力がある。そして、現実の地域政治は、おそらくその二つが交わる場所で動いている。

 だから議会で何かが決まったとき、採決結果だけを見るのではなく、ほんの少し時間を巻き戻してみるとよい。

 「この話は、最初に誰のところから始まったのだろう」。

 その問いを持った瞬間、選挙結果や役場の組織図だけでは見えなかった、もう一つの町の政治が姿を現し始める。

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政治の権力者という言葉から、多くの人が思い浮かべるのは首相か、自民党幹事長だろう。衆議院で当選を重ね、総裁選挙を戦い、テレビカメラの前で政策を語り、最後には首相官邸へ入る。それが日本政治における「大物政治家」の分かりやすい姿である。

青木幹雄は、その典型から奇妙なほど外れていた。国政では一貫して参議院議員であり、首相になったことも自民党総裁になったこともない。全国的な人気を競った政治家でもなければ、強烈な演説によって世論を動かした政治家でもない。それにもかかわらず、1990年代末から2000年代の自民党政治をたどると、重要な局面のかなり深いところに青木の名前が現れる。

やがて彼には「参院のドン」という呼び名が付いた。

この言葉だけを聞けば、古い自民党にいた一人のボス政治家の物語に見える。しかし、それでは青木幹雄という人物の面白さを半分も説明できない。青木の力は、単純に派閥の人数を持っていたからでも、参議院議員を命令で従わせていたからでもなかった。参議院という制度、自民党参院組織の独自性、竹下派以来の人的関係、選挙と人事に関する情報、そして衆議院と参議院、官邸と党をつなぐ調整能力が、一人の政治家のところで重なった。その結果、首相でも幹事長でもない人物が、首相でさえ無視できない存在になったのである。

青木幹雄を読むことは、政治の権力が必ずしも一番高い椅子に座っている者だけのものではないことを知ることでもある。そしてそれは、参議院の政治的意味があらためて問われている2026年の日本政治を考えるうえでも、決して過去の話ではない。

竹下登のそばで見た「人を動かす政治」

青木幹雄は1934年、島根県に生まれた。竹下登の秘書を務め、島根県議会議員を経て、1986年の参議院選挙で初当選した。青木の政治人生を考えるうえで、竹下との関係は避けて通れない。

竹下は、強烈な理念を掲げて党内を二分する政治家ではなかった。相手が何を求めているのかを読み、対立する政治家の間に入って妥協点を探し、人間関係の機微まで含めて巨大な自民党を動かしていく。後の時代から見れば古い派閥政治に映るかもしれないが、当時の自民党を運営するうえでは、そうした調整能力そのものが重要な政治技術だった。

青木は、その政治のすぐ近くにいた。もちろん、竹下のそばにいたことだけを理由に、青木が後の調整能力を獲得したと断定することはできない。それでも、青木がその後、政策理念を大声で主張する政治家ではなく、人間関係の間をつなぐ政治家として頭角を現したことを考えれば、竹下政治の環境が彼の政治観に影響を与えたと見るのは不自然ではない。

政治家の力を役職表だけで測ると、こうした人物は見えなくなる。組織にはしばしば、正式な最高責任者とは別に、「この人に話を通しておかなければ物事が進まない」という人物が生まれる。人事の事情を知り、組織内の感情や利害を知り、誰と誰を結び付ければ案件が動くのかを理解している人物である。情報と相談がその人物のところを通過するようになれば、組織図に書かれた肩書以上の権力が生まれる。

青木が後に築いたのは、まさにこの種類の政治力だった。自分自身が首相になる必要はない。人事や選挙、法案、派閥間の調整が行われる場所に入り、その複雑な関係を結び直す役割を担えば、首相になる政治家とは別の種類の権力を持つことができる。青木は舞台の中央に立ち続ける政治家というより、舞台と舞台をつなぐ通路を押さえる政治家だった。

そもそも参議院はそれほど弱いのか

ここで素朴な疑問が生まれる。それほど政治力があるなら、なぜ青木は衆議院へ行かなかったのだろうか。

日本では首相指名や予算、条約などについて衆議院の優越が認められており、首相を目指す政治家のほとんども衆議院議員である。そのため、参議院はどうしても「二番目の議院」のように見えやすい。しかし、この見方では日本の二院制を正確には理解できない。

日本国憲法第59条では、通常の法律案は原則として衆議院と参議院の双方の可決を必要とする。参議院が否決した法律案を衆議院だけで成立させるには、出席議員の3分の2以上による再可決が必要である。政権与党が衆議院で過半数を持つことと、3分の2を持つこととの間には大きな隔たりがあるため、参議院で多数を確保できなければ、政府は法案ごとに何らかの調整を迫られる。

つまり参議院は、首相をつくる力では衆議院より弱いが、首相が進めようとする政策を止めたり、修正を迫ったりする力については決して軽い存在ではない。権力とは、自分が命令できることだけを意味するわけではない。「自分の同意がなければ相手が困る」という位置に立つこともまた、権力なのである。

しかも参議院には衆議院のような解散がない。首相が参議院の多数派を気に入らないからといって、議員全員を選挙へ送り返すことはできず、半数ずつ改選される議員は6年間の任期を持つ。この制度のため、自民党政権にとって参院自民党は、衆議院側の単なる下部組織にはならなかった。独自の選挙事情と人事慣行を持ち、独自の院内秩序を形成する政治集団として発達したのである。

そこをまとめる人物には、本人の資質とは別に、制度そのものが政治的価値を与える。青木の権力を「とにかく顔が利く人物だった」という人物論だけで説明できない理由は、ここにある。

小渕政権で舞台裏から官邸へ

青木が全国政治の表舞台へ現れたのは、小渕恵三政権だった。1999年10月、小渕首相は青木を内閣官房長官に起用する。参議院議員である青木が、首相官邸の中枢である官房長官になったのである。

二人を結び付けていたのは、竹下登だった。竹下派という巨大な政治集団の中で、小渕と青木は長い時間を共有しており、政策だけではなく、人間として誰を信用できるのかという感覚まで含めた関係が形成されていたと考えられる。

そして2000年4月、小渕首相が病に倒れる。小渕内閣は総辞職し、官房長官だった青木は内閣総理大臣臨時代理となった。その後、森喜朗が首相に指名されるが、この政権移行の過程で大きな批判を浴びたのが、後に「5人組」と呼ばれた自民党有力者による協議だった。

青木、森喜朗、野中広務、亀井静香、村上正邦らが協議し、森後継の流れが形成されたとされる。ただし、会合が最初から後継首相を決める目的だったのか、どの時点で森後継が具体化したのかについては、当事者の説明にも違いがある。「5人が密室で森を首相に決めた」と単純化するのは、歴史的経緯をやや粗くしてしまう。

それでも、この場に青木がいたこと自体には大きな意味がある。首相交代という自民党政治最大級の局面で、参議院議員である青木が最高幹部の協議に加わっていたからである。竹下派を知り、官邸を知り、参議院を知り、衆議院側の実力者とも直接話ができる。青木はこの時点ですでに、複数の政治空間をまたぐ人物になっていた。

「参院のドン」は参議院を支配していたのか

青木はその後、参院自民党の中心へ戻り、参院幹事長などを経て、2004年から自民党参議院議員会長を務めた。このころから「参院のドン」という呼び名が定着していった。

しかし、この言葉は青木の実像を少し誤解させる。「ドン」と聞けば、参議院議員を命令一つで動かしていた人物のように感じられるが、実際の政治はそれほど単純ではなかった。

青木の強さは、議員を恐怖で服従させることではなく、多くの議員が青木との関係を必要とする仕組みを持っていたことにあった。参議院議員にとって6年ごとの選挙は政治生命そのものであり、その過程では公認、組織票、業界団体との関係、党や政府の人事などが複雑に絡み合う。こうした事情を把握し、その調整に深く関与できる人物は、それだけで大きな政治資源を持つことになる。

しかも青木は、参議院内部だけに人脈を持っていたわけではなかった。衆議院側の派閥幹部や首相官邸とも話のできる回路があり、参議院側の事情を官邸へ伝える一方、官邸側の事情を参議院へ持ち帰ることができた。参議院、衆議院、派閥、官邸という別々の世界の間に立つことで、青木自身の政治的価値が高まっていったのである。

社会ネットワーク論の概念を借りるなら、青木の位置は、異なる集団同士を結び付ける「媒介者」として理解することができる。ただし、これはあくまで説明モデルであって、当時の議員間関係をすべてデータ化して社会ネットワーク分析を行った結果ではない。それでも、青木を単なる参議院のボスと見るより、複数の政治集団をつなぐ結節点と考えた方が、彼の影響力ははるかに理解しやすい。

青木は参議院という島の王だったのではない。複数の島を結ぶ橋を管理する人物だったのである。

小泉純一郎でさえ、その橋を壊せなかった

青木の政治力を最も鮮明にしたのは、皮肉にも旧来の自民党政治を壊すと宣言した小泉純一郎だった。

2001年、小泉は「自民党をぶっ壊す」と訴えて総裁となり、派閥均衡型の人事を崩し、首相官邸の主導力を高めていった。その政治手法は、竹下や青木に代表される調整型政治とは対極にあるように見えた。

それでも小泉は、参院自民党の存在を消すことはできなかった。衆議院側で派閥人事を大胆に崩しても、参議院側には独自の秩序があり、その秩序との調整が必要だった。これは小泉が青木個人に服従していたという意味ではない。どれほど強い首相であっても、参議院という制度を消すことはできず、参院自民党が独自の政治集団である以上、そこをまとめる人物との交渉を避けることはできなかったということである。

その構造が劇的に表れたのが、2005年の郵政民営化だった。

小泉が政治生命を懸けた郵政民営化法案は衆議院を通過したが、8月8日の参議院本会議では賛成108、反対125で否決された。自民党からも22人が反対し、青木自身は賛成票を投じている。

この事件は、青木の力と限界を同時に示した。「参院のドン」である青木が賛成しても、自民党参議院議員の大量造反を止めることはできなかった。つまり青木は参議院を完全に支配していたわけではなく、通常の人事や選挙、国会運営において非常に大きな調整力を持っていた人物と理解するのが正確である。

ところが、青木個人の限界が明らかになった一方で、参議院そのものの力は逆に証明された。国民的人気を持ち、自民党総裁であり首相でもあった小泉でさえ、参議院によって最重要法案を一度止められたからである。小泉はその直後、衆議院を解散し、後に本人も国会で、このような解散は「異例中の異例」だったと認めている。

首相でさえ参議院を消すことはできない。だからこそ、参議院をまとめられる人物には大きな政治力が生まれるのである。

首相を目指さなかったことも、青木には有利だったのか

青木にはもう一つ特徴があった。自ら首相の座を争う政治家ではなかったことである。

自民党の衆議院側では、実力者たちは最終的に総裁・首相という一つしかない椅子を争う。普段は同じ派閥にいても、総裁選挙になれば競争相手になり得る。それに対して、首相候補ではない参議院の有力者は、その競争から少し外れた位置にいる。

そのため青木は、衆議院側の実力者にとって、自分の地位を直接奪う相手ではなく、相談や仲介を依頼できる人物になりやすかった可能性がある。ただし、これを青木の権力の決定的原因と断定することはできない。重要なのは、首相候補ではなかったという位置が、仲介者としての役割と矛盾せず、むしろその役割を果たしやすい条件の一つになっていたと考えられることである。

青木が強かった理由は、結局のところ単一ではない。参議院の制度的権限と参院自民党の組織的自律性が土台にあり、そこへ人事や選挙への関与、竹下派以来の人脈、官邸との連絡、本人の調整能力が重なった。どれか一つだけで「参院のドン」が生まれたのではなく、複数の条件が同じ人物のところで重なったことが、青木幹雄という政治現象を生み出したのである。

そして2026年、高市早苗は青木の政治から何を学ぶのか

青木幹雄を昔話の中へ戻してしまえば、この人物をいま読む意味は半減する。

2026年の高市早苗政権は、衆議院で圧倒的な議席を持つ一方、参議院ではそれとは全く異なる政治環境に置かれている。衆議院で巨大な多数を持っているからといって、参議院で同じように政策が通るわけではない。参議院には参議院の選挙によって形成された多数派があり、その政治的正統性は衆議院の議席数によって消えるものではないからである。

ここで高市政権に対して憂慮すべきなのは、本人が明確に「参議院を軽視する」と宣言したかどうかではない。そうした内心まで事実として断定することはできないし、政治的批判ほど事実との区別を慎重にしなければならない。

しかし、もし衆議院で得た巨大な多数を背景に、参議院を政策実現の途中にある面倒な障害物程度に扱う政治姿勢が強まるなら、それは制度論として極めて危うい。高市首相の国会出席をめぐって参議院側から批判が出ていることも、単なる出席回数の問題として片付けるのではなく、政権と第二院との関係という観点から考える必要がある。

衆議院で多数を持たないから参議院と話し合うのではない。参議院が、衆議院とは別の選挙によって選ばれた独立した議院だから話し合わなければならないのである。

2005年、小泉純一郎は非常に強い首相だった。それでも郵政民営化法案は参議院で止まった。2026年の政権が衆議院でどれだけ多くの議席を持っていても、参議院の一票を消すことはできない。

高市政権がこの重みを理解せず、衆議院での圧倒的多数を万能の政治資本と錯覚するようなことがあれば、それは青木幹雄の時代から政治が進歩したことを意味しない。むしろ、二院制を運営する政治技術の一部を失ったというべきだろう。

もちろん、青木型政治そのものを理想化する必要もない。彼が得意とした非公式な調整や派閥的人間関係には、意思決定が国民から見えにくくなるという重大な問題があった。しかし少なくとも青木は、参議院には参議院独自の論理があり、それを無視して衆議院側の都合だけで政治を動かそうとすれば、いずれどこかで行き詰まることを知っていた。

その意味で、青木から学ぶべきなのは古い派閥政治そのものではない。異なる民意を持つ二つの議院を、どうすれば一つの政治として動かせるのかという感覚なのである。

青木が握っていたのは「接続」だった

2007年の参議院選挙で自民党が大敗すると、青木は参議院議員会長を辞任し、2010年には参議院選挙への出馬を見送って政界を引退した。しかし、その後もしばらく自民党内で影響力が残ったことは、青木の力が役職だけに由来していたのではないことを示している。

長い政治生活の中で青木が蓄積していたのは、人と人との関係についての膨大な記憶だった。政治家同士の信頼や対立、選挙事情、支持団体とのつながり、人事の経緯などは、議員を辞職した瞬間に消えるものではない。誰に話を持っていけば物事が動くのかを知っている人物は、役職がなくなっても一定の価値を持ち続ける。

ここまで見てくると、「参院のドン」という呼び名も少し違って見えてくる。

青木が支配していたのは、参議院そのものではなかった。

彼が握っていたのは、政治の「接続」だった。

「参議院議員でありながら」ではなく「参議院議員だったから」

最初の問いへ戻ろう。

なぜ青木幹雄は、参議院議員でありながら自民党政治を動かすことができたのか。

ここまで考えると、この問いには最初から少し偏見が含まれていたことに気付く。「参議院議員でありながら」という言葉には、政治の本流は衆議院にあり、参議院議員が大きな力を持つのは例外だという前提があるからだ。

青木の場合、それを逆に考えた方が実態に近い。

青木幹雄は、参議院議員でありながら強かったのではない。ある意味では、参議院議員だったからこそ強くなった。

首相を生み出す衆議院とは別の場所に、首相が無視できない政治集団が存在する。そこには解散がなく、独自の人事と選挙があり、通常の法律案を止めることのできる制度的な力がある。そして、その政治集団をまとめながら、衆議院の派閥とも首相官邸とも地方政治とも話のできる人物が現れた。それが青木幹雄だった。

もちろん、青木型政治には民主政治から見て重大な問題もあった。「5人組」に象徴されるように、有力者同士の非公式な話し合いによって国家の重大な意思決定が進むなら、その過程は国民から見えにくくなる。青木を評価することと、そうした政治手法を肯定することは別の問題である。

それでも、青木の政治力がどこから生まれたのかを考える意味は残る。彼は制度を知り、人間関係を知り、それぞれが直接にはつながらない場所で自分が媒介者になることで力を得た。

政治では、目立つ人物が必ずしも最も重要な人物とは限らない。首相が政策を掲げ、幹事長が党を動かし、国会議員が採決する。その背後では、それぞれの利害を結び付け、対立する者同士を同じテーブルに着かせる役割が必要になる。青木幹雄は長い間、その役割を担っていた。

首相官邸の正面玄関に立っていたわけではない。テレビカメラの中央にいたわけでもない。それでも政治家たちが目的地へ向かう途中には、青木のいる細い廊下を通らなければならない場面があった。

その廊下の一つが、参議院だった。

「参院のドン」という呼び名が教えてくれるのは、一人の老人が参議院を支配していたという単純な物語ではない。民主政治の権力は、必ずしも一番高い椅子だけに存在するわけではないということである。

そして2026年、衆議院で巨大な多数を持つ政権ほど、そのことを忘れてはならない。

小泉純一郎ですら、参議院で止まった。

青木幹雄は、その重みをよく知っていた。

参議院を軽く見る政治がもしあるとすれば、それが軽く見ているのは単なる一つの議院ではない。異なる選挙で形成された二つの民意をあえて並立させ、政治を少し不便にすることで権力を抑制しようとする、日本の二院制そのものなのである。

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