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久米宏と古舘伊知郎は「夜10時のニュース」をどう変えたのか

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『ニュースステーション』と『報道ステーション』、二人のキャスターを事実とデータから比較する

 1985年から2004年まで『ニュースステーション』の中心にいた久米宏と、2004年から2016年まで『報道ステーション』のメインキャスターを務めた古舘伊知郎。二人はいずれもテレビ朝日の平日夜10時前後という、日本の民放テレビにおける重要な報道時間帯を長期間担った人物である。

 ただし、二人が同じ時期に同じ時間帯で競い合ってニュースを伝えていたわけではない。『ニュースステーション』は1985年10月7日に始まり、2004年3月26日に終了した。久米宏はその全期間を通じて中心的キャスターを務め、その約10日後の2004年4月5日には後継番組として『報道ステーション』が始まり、古舘伊知郎が2016年3月31日まで約12年間メインキャスターを担当した。

 したがって、この二人を比較する意味は、同じニュースを同時刻に伝えた二人の優劣を競わせることではなく、ほぼ同じ放送枠を前後して約30年間支えた二つの報道スタイルを比較することにある。久米宏と古舘伊知郎では出発点も、ニュースとの向き合い方も、視聴者との距離の取り方も異なっていたが、その違いをたどることで、日本のテレビニュースが1980年代から2010年代にかけてどのように変化したのかも見えてくる。

久米宏と古舘伊知郎は、そもそも出発点が違う

 久米宏と古舘伊知郎は、いずれも新聞社やテレビ局の報道記者としてニュース取材を専門に始めた人物ではない。久米は1967年にTBSへ入社し、『ぴったし カン・カン』『ザ・ベストテン』など、報道以外の生放送番組や情報・音楽番組を通じて司会能力を磨いた。1979年にTBSを退社してフリーとなり、1985年から『ニュースステーション』を担当している。

 一方の古舘伊知郎は1977年にテレビ朝日へ入社し、プロレス、大相撲、ボクシングなどのスポーツ実況を担当した。その後フリーとなり、F1(Formula One・自動車レース世界選手権)、トーク番組、NHK紅白歌合戦など幅広い番組で実況や司会を経験している。

 この経歴の違いは、その後の報道スタイルを考えるうえで重要である。久米は、生放送番組の中で出演者や情報を整理しながら番組全体を進める司会者としての経験が長く、古舘は、目の前で起きている出来事を瞬時に言葉へ変換する実況者としての能力を磨いてきた。ただし、古舘について「プロレス実況で培った能力が、そのままニュース報道能力を生み出した」と因果関係まで断定することはできない。より正確には、実況や生放送で培った即時的な言語化能力が、『報道ステーション』での進行やコメントにも生かされた可能性が高いと考えるのが妥当である。

久米宏が変えたのは、ニュースそのものより「ニュースの見せ方」だった

 『ニュースステーション』が始まった1985年当時、テレビニュースは現在とはかなり異なる形式が主流だった。テレビ朝日が後年紹介した同番組のコンセプトは「中学生でもわかるニュース」であり、この言葉には、番組が目指していた方向性がよく表れている。

 ただし、ここで注意したいのは、久米宏一人が新しいニュース番組の形式を作ったわけではないという点である。番組はテレビ朝日のプロデューサー、記者、ディレクター、制作スタッフ、外部制作陣など多くの関係者によって作られており、久米はその中心的な表現者だった。したがって、『ニュースステーション』の革新性は、制作陣による企画・編集と久米の司会・表現能力が組み合わさった結果と考える方が正確である。

 番組では、図表、模型、映像、会話形式、現場中継などを組み合わせ、政治、経済、国際問題といった複雑なテーマを、専門家や行政機関だけが使う言葉から、一般視聴者が理解しやすい言葉へ変換する工夫が積極的に行われた。重要なのは、単にニュースを簡単にしたことではなく、ニュースを理解するために必要な前提や背景を番組側が整理し、それを視聴者の側まで運んできたことである。

 この意味で久米宏は、単なるニュース解説者というより、「視聴者がニュースを理解するための入り口を作るキャスター」だったと考えることができる。何を取り上げるのか、どの順番で見せるのか、どの程度の情報量にするのか、どの映像や図表を組み合わせるのかという編集・構成の発想が、久米時代の大きな特徴だった。

 複雑な制度問題について政治家や官僚の発言をそのまま流すのではなく、「それは結局、生活者にとってどういう意味なのか」という位置まで話を引き戻す方法は、後年の池上彰氏に代表される解説型報道とも共通する。ただし、久米宏が池上彰型の解説を直接生み出したという歴史的な因果関係が確認されているわけではなく、あくまでニュースを一般視聴者向けに翻訳するという方法に共通点があると見るのが適切である。

古舘伊知郎は「ニュースへの反応」を番組の一部にした

 『報道ステーション』開始時、制作側は古舘について、原稿や台本に完全に依存するのではなく、その場でコメントしながら社会問題に向き合う番組を作るという方向性を示していた。古舘自身も、報道の専門家としてではなく、生活者の目線からニュースを見る姿勢を強調していた。

 ここには久米時代とは異なる特徴がある。あくまで分析上のモデルとして整理すれば、久米型では「出来事を整理し、番組として構成してから視聴者へ提示する」という流れが比較的強かったのに対し、古舘型では「出来事を提示し、それに対する疑問や違和感をキャスター自身が言葉にしていく」という要素がより前面に出た。

 古舘の特徴は、目の前の出来事から「何が重要なのか」「どこに違和感があるのか」「何を問い直すべきなのか」を短時間で抽出し、それを言葉として提示できる点にあったと考えられる。ニュース速報、災害、選挙、政治家の記者会見など、リアルタイム性が高い場面では、この即時的な言語化能力が特に効果を発揮する。

 一方で、即時性と検証性の間には構造的な緊張関係がある。十分な資料を確認してから発言すれば正確性は高まりやすいが、その場でコメントする即時性は失われる。反対に、出来事を見ながらすぐに意見を言えば臨場感は高まるものの、情報不足による誤認、判断の先走り、確認された事実と個人的な評価との混同が起こりやすくなる。

 これは古舘個人だけの問題ではなく、現在のテレビ、動画配信、インターネットのライブ報道にも共通する問題である。古舘時代の『報道ステーション』は、この即時性を大きな魅力にした一方で、その分だけキャスターの発言そのものが検証や批判の対象になりやすい番組でもあった。

視聴率だけでは二人の能力を比較できない

 数字から見ると、『ニュースステーション』と『報道ステーション』はいずれも長期間にわたり高い視聴実績を残している。『ニュースステーション』は全4,795回の平均世帯視聴率が関東地区で14.4%、古舘伊知郎時代の『報道ステーション』は2016年3月31日の最終回までの全3,024回について平均13.1%だったとされる。途中の2015年12月時点では13.2%という数字が報じられているため、資料によって13.2%と記載されることがあるが、全期間を比較する場合は13.1%を用いる方が適切である。

項目 久米宏時代 古舘伊知郎時代
番組 ニュースステーション 報道ステーション
主担当期間 1985~2004年 2004~2016年
担当期間 約18年半 約12年
平均世帯視聴率 約14.4% 約13.1%
主な放送時間帯 平日22時台 平日21時54分頃~
放送回数 4,795回 約3,024回

 両者の平均世帯視聴率の差は1.3ポイントであり、久米時代の14.4%を基準にすると約9%の差になる。しかし、この数字から「久米宏の方が約9%優れたキャスターだった」と判断することはできない。視聴率はキャスター個人の能力を測定する実験値ではなく、重大事件の有無、曜日、裏番組、スポーツ中継、テレビ全体の視聴時間、人口構成、インターネットの普及など多くの要因が組み合わさった結果だからである。

 さらに、久米宏が担当した1985年から2004年と、古舘伊知郎が担当した2004年から2016年では、情報環境そのものが大きく異なる。久米時代の前半には、現在のようなスマートフォン、SNS(交流サイト)、動画配信サービスは存在せず、テレビ、新聞、ラジオがニュースを知る主要な手段だった。それに対して古舘時代、とりわけ2010年代にはインターネットとスマートフォンが急速に普及し、ニュースサイトやSNS、動画から直接情報を得る人が増えている。

 だからといって、「時代が違うのだから古舘時代の13.1%は久米時代の14.4%より実質的に価値が高い」と結論づけることもできない。厳密に比較するなら、テレビ全体の視聴率、同時間帯の競合番組、年代別視聴率、ニュースの重要度などを統計的に調整する必要があり、単純な平均値だけでは能力差まで推定できないからである。

 なお、古舘時代には最高世帯視聴率33.0%という数字もあるが、これは2013年3月8日のWBC(World Baseball Classic・野球の国際大会)台湾戦に関連した放送であり、通常のニュースだけを放送した回とは条件が異なる。そのため、33.0%という数字そのものは誤りではないが、古舘のニュースキャスターとしての人気や能力を示す代表値として扱うのは適切ではない。

 視聴率は、番組がどの程度の世帯に届いていたのかを見る重要な指標ではあるが、信頼度、満足度、好感度、キャスターへの支持率そのものではない。したがって、「高い視聴者支持を得た」というより、「高い視聴実績を残した」と表現する方が、統計的には正確である。

キャスターが意見を言うことと「偏向報道」は同じではない

 久米宏も古舘伊知郎も、ニュース原稿を読み上げるだけのキャスターではなく、自分自身の疑問や評価を番組の中で示した。久米の場合は短いコメント、皮肉、表情などで立場を示すことがあり、古舘の場合は比較的長い言葉で自分の考えや違和感を説明する場面が目立った。そのため、古舘時代の方がキャスター個人の意見が視聴者に意識されやすかった可能性はある。

 しかし、キャスターが意見を述べたという事実だけで、それを直ちに「偏向報道」と判断することはできない。放送法第4条では、放送事業者に対して政治的公平、報道における事実の尊重、意見が対立している問題についてできるだけ多角的に論点を明らかにすることなどを求めている。したがって重要なのは、キャスターが意見を述べたかどうかだけではなく、番組全体として事実が正確に提示されているか、異なる立場が適切に扱われているか、どこまでが確認された事実で、どこからが評価や解釈なのかを視聴者が区別できるかという点である。

 2009年には、BPO(放送倫理・番組向上機構)に寄せられた視聴者意見として、『報道ステーション』で古舘がコメンテーターに意見を求める際の発言が誘導的ではないかという趣旨の指摘が掲載された。ただし、これはBPO自身が放送倫理違反と判断した事例ではなく、あくまで寄せられた視聴者意見である。

 その一方で、古舘時代にはBPOによる正式な放送倫理違反の判断もある。2014年9月10日の『報道ステーション』では、川内原子力発電所に関する報道をめぐって事実誤認と不適切な編集が問題となり、BPOの放送倫理検証委員会は2015年、客観性と正確性を欠いたとして放送倫理違反があったと判断した。ただし、BPOは担当者が意図的に事実をねじ曲げた、あるいは恣意的・作為的に編集したとまでは認定せず、過失による問題と判断している。

 久米時代にも重要な報道上の問題があった。1999年の所沢ダイオキシン報道では、埼玉県所沢市周辺の農産物とダイオキシン汚染を結び付ける形で受け止められ、生産者側がテレビ朝日に損害賠償を求める訴訟を起こした。一審、二審ではテレビ朝日側が勝訴したが、2003年に最高裁判所が二審判決を破棄して東京高等裁判所へ差し戻し、その後2004年、テレビ朝日側が放送内容の一部に不適切な点があり、所沢産野菜の安全性に疑いを生じさせたことなどについて謝罪し、1,000万円を支払うことで和解している。

 この二つの事例は、久米時代と古舘時代の双方に、報道の正確性と編集のあり方を問われる局面があったことを示している。所沢ダイオキシン報道では、複雑な科学情報を強い印象を伴う形で単純化した場合に視聴者の認識や生産者の社会的評価へどれほど大きな影響を与えるかが問題となり、川内原発報道では、事実確認と映像・発言の編集をどこまで正確に行うかが問われた。

 これは「久米型は危険だった」「古舘型は危険だった」という単純な話ではなく、分かりやすさにも、即時性にも、それぞれ別の種類の報道上のリスクが存在することを示している。

二人の最大の違いは、視聴者との位置関係にあった

 二人の違いを最も簡潔に整理するなら、久米宏は「視聴者の側からニュースを見る」キャスターであり、古舘伊知郎は「視聴者の前でニュースについて考える」キャスターだったと表現することができる。

 久米の場合、「これは一体どういうことなのか」という一般視聴者の疑問を番組全体の構成によって解きほぐし、複雑なニュースを理解できる形へ変換していく傾向が強かった。それに対して古舘の場合は、「この出来事をどう受け止めればよいのか」「何が問題なのか」という疑問や違和感を、自分自身の言葉でその場で表現していく傾向が目立った。

 質問の仕方についても、客観的にどちらが優れていたかを判定できる十分なデータは存在しない。科学的に比較するのであれば、質問数、再質問率、回答回避後の追質問率、質問と回答の論理的整合性、質問時間などを大量の放送映像から抽出し、定量的に分析する必要がある。

 質的に見るなら、久米は視聴者が疑問に感じそうな点を短く問いかける場面が多く、古舘は相手の発言を受けてその場で言葉を組み直し、追加質問やコメントにつなげる場面が多かった。また、田原総一朗のように質問と再質問によって相手の論理を追及する形式とも、二人は異なる。そのため便宜的には、田原総一朗を追及型、久米宏を視聴者代弁型、古舘伊知郎を即時反応型と整理することはできるが、これは能力の上下ではなく、番組の中で果たした役割の違いである。

 古舘は番組枠としては久米の後継者だったが、久米型の報道をそのまま受け継いだわけではない。『報道ステーション』開始時、古舘自身は報道の専門家ではなく生活者の目線からニュースを見る存在として番組に臨む姿勢を示しており、テレビ朝日も久米宏のコピーを作るのではなく、古舘伊知郎という別の話者を中心に夜のニュース番組を再設計したと見る方が実態に近い。

 結果として古舘時代の『報道ステーション』は約12年間継続し、全期間平均13.1%の世帯視聴率を記録した。これは久米より優れていた、あるいは劣っていたという意味ではなく、極めて存在感の大きかった前任者の後を受け、別の番組名と別の表現方法で長期間番組を維持したという事実そのものに意味がある。

約30年間続いた「夜10時ニュース」と、現在の報道に残された課題

 『ニュースステーション』と古舘時代の『報道ステーション』を合わせると、テレビ朝日は約30年間にわたり、平日夜10時前後に大型ニュース番組を継続してきた。ただし、「久米と古舘が日本人に夜10時にニュースを見る習慣を作った」とまで断定するのは強すぎる。この時間帯にはNHKやTBSをはじめ他局にも報道番組があり、夜のニュース視聴習慣はテレビ業界全体の編成によって形成された側面があるからである。

 より正確には、テレビ朝日が平日夜10時前後を民放ニュースの主要な放送枠の一つとして長期間維持し、その中で久米宏と古舘伊知郎が異なる方法によって番組文化を形成した、と考えるのが適切である。

 二人の特徴を能力の点数として表すことは難しい。「分かりやすさ」を比較するなら視聴者理解度、専門用語数、図表使用数、説明時間、情報量などのデータが必要になり、「質問力」「編集力」「即興力」についても同様に客観的な測定指標が必要になる。そのため、「非常に高い」「高い」といった採点を行うより、番組の中で目立った機能として整理する方が妥当である。

観点 久米宏 古舘伊知郎
主な背景 生放送司会・情報番組 スポーツ実況・司会
番組で目立った機能 編集・構成・視聴者への翻訳 即時的な反応・言語化
視聴者との位置関係 視聴者側から問い直す 視聴者の前で考える
コメントの特徴 短い皮肉・疑問・反応 比較的長い説明・評価
特徴が出やすい場面 複雑な制度・政治・経済の整理 生中継・速報・会見
構造的な課題 単純化による誤認の危険 即時評価と事実の混同
代表的な報道上の問題 所沢ダイオキシン報道 川内原発報道
担当期間 約18年半 約12年

 現在のメディア環境では、久米型と古舘型のどちらか一方だけでは十分ではない。ニュース速報そのものはスマートフォンへ瞬時に届き、テレビが単に「何が起きたか」を知らせるだけの価値は以前より相対的に低下している。そのため、現在のテレビ報道には、久米宏に象徴される「複雑な情報を理解可能な構造へ編集する能力」と、古舘伊知郎に象徴される「出来事の重要性や違和感をその場で言語化する能力」の両方が必要になる。

 ただし、現在ではさらに重要な第三の条件がある。それが「検証可能性」である。キャスターが強い意見を述べるのであれば根拠となる資料や数字を示し、解説を行うのであれば、どこまでが確認された事実で、どこからが分析や推測なのかを明確にする。専門家の意見を紹介する場合には、その見解が専門家の間でどの程度共有されているのか、異論が存在するのか、不確実性がどの程度あるのかまで説明することが求められる。

 さらに、可能であれば視聴者自身が統計、法律、行政資料、研究論文などの原資料を確認できる仕組みを用意することが、現在の報道には必要である。

結論~久米宏はニュースの「見方」を作り、古舘伊知郎はニュースへの「反応」を言葉にした

 久米宏と古舘伊知郎は、同じニュースを同時に競い合った二人ではなく、テレビ朝日の平日夜10時前後という一つの報道枠を、前後して約30年間支えた二人である。

 久米宏は、「ニュースをどう見れば理解できるのか」という方法を番組全体の構成によって提示し、複雑な社会問題を一般視聴者が理解できる形へ変換する報道スタイルの定着に大きな役割を果たした。一方の古舘伊知郎は、「ニュースを見たとき、何に違和感を持ち、何を疑問として言葉にするのか」という過程を前面に出し、キャスター自身の反応や思考を番組の一部として見せるスタイルを約12年間続けた。

 両者とも、ニュース原稿を正確に読むだけのキャスターではなかった。その存在感がテレビニュースを身近で分かりやすいものにした一方で、キャスター自身の発言や個性がニュースそのもの以上に注目されるという問題も生み出した。また、久米時代の所沢ダイオキシン報道と古舘時代の川内原発報道が示すように、分かりやすさにも即時性にも、それぞれ異なる種類の誤りが入り込む余地がある。

 現在のテレビ報道が久米宏から継承できるのは、複雑な社会問題を一般市民が理解できる形へ変換する技術であり、古舘伊知郎から継承できるのは、出来事をそのまま通過させず、何が問題なのかを言葉にする技術である。そして、二人の時代からさらに進めるべきなのは、その説明や評価を視聴者自身が原資料によって確かめられる報道である。

 「分かりやすいニュース」と「考えさせるニュース」に、「検証できるニュース」を加えること。それが、『ニュースステーション』と『報道ステーション』という二つの長期報道番組を振り返ったとき、現在のテレビ報道に残されている重要な課題ではないだろうか。

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