地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

 「派閥政治をなくせば、日本の政治はもっと良くなる」。そう言われると、ほとんど反論の余地がないようにも聞こえる。派閥という言葉には、政策を競い合う議員集団というより、料亭での密談、総裁選の票読み、派閥順送りの人事、そして政治資金をめぐる不透明な関係といった、いささか古びた永田町の風景が重なっているからだ。自由民主党の派閥による政治資金収支報告書の不記載問題が大きく表面化した後では、なおさら「派閥をなくす」という言葉そのものが政治改革を意味するようになった。

 実際、自由民主党(以下、自民党)は2024年以降、従来型の派閥から資金と人事の機能を切り離す改革を進めてきた。政治資金制度についても、政党などが議員個人に資金を渡し、その後の実際の使途を十分に把握・開示しない従来型の政策活動費を廃止するため、渡切りの方法による経費支出を禁止する改正政治資金規正法が2026年1月1日に施行された。ただし、政治活動に伴う資金の支出が一律に禁止されたわけではなく、資金の追跡可能性に関する課題がすべて解消したわけでもない。制度上は、長く続いた「派閥ありき」の政治から離れるための改革が進められているといえる。

 ところが、政治というものは看板を外しただけでは終わらない。2026年に入ると、解散した旧派閥の議員たちが再び会合を重ねる動きが目立つようになった。旧二階派の議員を中心に新たな政策研究会が発足し、旧派閥を通じた人脈の再結集が見られる一方、解散しなかった麻生派は同年2月の衆議院選挙後に新人らを加え、当時の所属議員数が60人に達した。さらに9月には、新たな政策研究会が所属議員の希望する役職を聞き取り、首相への推薦を検討していると報じられた。これらの動きだけで旧来の派閥政治が全面的に復活したと断定することはできないが、派閥から切り離したはずの機能が別の形で現れる可能性を考えさせる出来事である。

 そもそも派閥とは、誰かが意図的に発明した日本政治の悪習だったのだろうか。それとも、日本の選挙制度や政党組織、人事制度が長い時間をかけて生み出した一つの合理的な帰結だったのだろうか。この違いを考えないまま派閥の善悪だけを論じても、派閥が消えた後に何が現れるのかまでは見えてこない。

派閥を育てたのは「同じ党の候補との競争」だった

 自民党の派閥を理解するには、1994年の政治改革以前まで時計を戻す必要がある。当時の衆議院選挙では中選挙区制が採用され、一つの選挙区から複数の議員が選ばれていたため、自民党は同じ選挙区に複数の候補者を立てることが珍しくなかった。その結果、自民党候補にとって最も手ごわい競争相手が野党候補ではなく、同じ自民党の別の候補になるという、現在から見ると不思議な政治状況が生まれていた。

 同じ党なのだから、政党名も大まかな政策も共通している。それでも有権者には自分の名前を書いてもらわなければならない。そこで候補者は個人後援会をつくり、地域との結びつきを強め、自ら選挙資金を集めると同時に、中央政界では選挙や資金、人事で支えてくれる有力政治家を必要とした。こうした環境の中で派閥は強くなり、領袖は所属議員を支え、所属議員は総裁選などで領袖を支えるという交換関係が発達していった。派閥は単なる親睦団体ではなく、議員の政治活動を支える組織としての機能を持つようになったのである。

 もっとも、派閥そのものを中選挙区制が一から生み出したと考えるのは正確ではない。自民党は1955年、自由党と日本民主党が合同して誕生した政党であり、結党以前から政治家同士の人脈や系列は存在していた。ただ、中選挙区制が党内競争を強め、それらの人脈を資金・選挙・人事を伴う強固な組織へ発達させる重要な条件になったと考えるのが、より実態に近い。

 その構造を大きく変えたのが1994年の選挙制度改革だった。小選挙区比例代表並立制が導入され、1996年には新制度による最初の衆議院選挙が実施された。一つの小選挙区から一人しか当選しない仕組みが中心になれば、同じ政党から複数候補が競争する場面は大幅に減る。政治学の研究でも、制度改革後には派閥が候補者公認に及ぼす影響力が弱まり、党執行部の公認権が相対的に重要になったことが指摘されている。一方、派閥による党内役職の配分や人事調整の機能は短期間で消滅したわけではなく、派閥は役割を変えながら残った。つまり派閥は、選挙制度が一つ変われば消えてしまうほど単純な組織ではなかったのである。

派閥をなくすことと、派閥の仕事をなくすことは違う

 会社から営業部という名称を消しても、商品を売る仕事までなくなるわけではない。誰かが営業をしなければ会社が回らないように、政治組織でも名称をなくしただけでは消えない機能がある。数百人の国会議員を抱える巨大政党で、すべての議員が党首と直接相談し、すべての政策について全員で同時に議論することなど現実にはできないため、情報を集める人、意見をまとめる人、新人を育てる人、政策分野ごとの専門家を結びつける人が必要になる。

 興味深いことに、この問題を認識しているのは派閥の機能を研究する政治学者だけではない。自民党が2026年5月に公表した「ガバナンス体制に関する報告書」でも、従来の派閥が情報共有、人材育成、意見集約、意思疎通の一部を担ってきたことを認め、その機能を党組織としてどのように代替するかを課題として挙げている。さらに同報告書は、権限を単純に中央へ集めることが改革ではなく、「集権」と「分権」の均衡が必要だとしている。これは、自民党自身が「派閥を消した後にも組織として残る問題」があることを認めているに等しい。

 ただし、派閥の代替制度がまったく用意されていないわけではない。自民党では候補者の公募、人材データベース、女性議員の育成制度、経験豊富な議員などが助言するメンター制度、人事に関するオンライン希望調査などが進められている。同報告書も、こうした取り組みに一定の進展を認める一方、制度としての定着や実効性にはなお課題があるとしている。したがって、問うべきなのは代替制度の有無だけではなく、それらが旧派閥の担っていた機能をどの程度、公平で透明な形で引き継いでいるかである。

 派閥改革の本当の問題は、派閥という部屋を閉鎖することではなく、その部屋で行われていた仕事をこれから誰が引き受けるのかという点にある。人材育成を党本部が担うのか、政策研究会が担うのか、地方組織が担うのかによって、同じ「派閥廃止」でも出来上がる政党の姿は違ってくる。

政治資金をめぐる法律と、党内ルールは別のもの

 派閥改革を考えるうえでは、国の法律による規制と、政党が自ら定める内部規範を区別する必要がある。2026年1月1日に施行された政治資金規正法の改正は、政治団体の役職員や構成員に対し、使途を精算しないまま資金を渡す従来型の支出方法を禁止するものである。政治資金の収支を実態に即して記載することも求められているが、これによって政治資金の不透明性がすべてなくなったと考えるのは早い。

 一方、自民党が2024年以降に進めた派閥改革は、政策集団が資金集めや人事への組織的な働きかけを行わないようにする党内改革である。自民党のガバナンスコードは政党内部の行動規範であり、政治家同士が政策研究会をつくることそのものを、国の法律によって一律に禁止するものではない。政治団体としての届出が必要かどうかも、集団の名称だけで決まるのではなく、実際の活動目的や内容などによって判断される。

 この違いを無視すると、「派閥をなくすと言ったのに議員が再び集まっているから違法だ」という誤解も、「政治団体として届け出ていないから法律や制度とは無関係だ」という誤解も生まれる。問題は、集団が存在しているかどうかだけではなく、その集団が実際にどのような活動を行い、政治資金や人事、候補者公認などにどう関与しているかという点にある。

2026年の再結集は、何を意味しているのか

 2026年に入ってからの自民党内の動きは、派閥の解散と政治家同士の連携の消滅が同じではないことを示している。2月19日には、解散せずに存続していた麻生派が衆議院選挙後の例会を開き、新人ら18人の加入によって所属議員が60人になったと報じられた。これは同日時点の人数であり、その後も変わらないことを意味するわけではないが、旧来型の派閥組織が完全に姿を消したわけではないことを示す具体例である。

 4月2日には、旧二階派の議員を中心に、武田良太元総務大臣を会長とする「総合安全保障研究会」が発足し、初会合には国会議員22人が出席した。研究会は外交や防衛に限らず、食料、エネルギー、国土の強靱化などを対象として政策研究を進め、議員立法につなげることを目指すと説明している。また、武田氏は従来の派閥とは異なる運営を目指し、政治資金規正法上の政治団体として届け出る考えはないと表明した。こうした政策研究そのものは、議員が共同して立法活動を行うための自然な取り組みと評価することもできる。

 しかし、同年9月には、この研究会が所属議員の希望する役職を聞き取り、武田氏が首相へ直接推薦する考えであると報じられた。自民党が5月のガバナンス報告書で、政策集団からの組織的な人事要望を引き続き受け付けない方針を明示していたことを考えれば、これは見過ごせない動きである。もっとも、人事への関与を検討したこと、実際に組織的な推薦を行ったこと、その推薦が人事決定に影響したことは、それぞれ異なる。報道された事実だけを根拠に、旧来の派閥人事が復活したと断定することはできない。

 重要なのは、政策研究会という新しい形をとりながらも、人事や政治的影響力をめぐる機能が再び集団に結びつく可能性が具体的に表れたという点である。かつての派閥と同じ機能を持つのか、それとも政策活動を中心とした緩やかな議員集団として定着するのかは、名称や設立時の説明だけで判断することはできない。実際の活動、資金の流れ、人事への働きかけ、総裁選での行動などを継続して確認する必要がある。

派閥が弱くなると、党執行部は相対的に強くなりやすい

 派閥政治には明らかな弊害があった。能力や専門性より派閥の順番が優先される人事、総裁選をめぐる数合わせ、資金を通じた上下関係が政治への不信を招いてきたことは否定しにくい。それなら派閥が弱くなれば、政治家は派閥領袖の束縛から解放され、能力だけで評価されるようになるのではないかと考えたくなる。

 ところが、政治的な権限は、ある組織が弱くなったからといって自動的に消滅するわけではない。小選挙区では主要政党から原則として一人の候補者が公認されるため、現職議員にとって党の公認を得られるかどうかは政治生命に直結する。候補者公認、選挙支援、党内ポスト、人事といった政治的資源に党執行部が強い影響力を持ち、その一方で派閥の力が弱まれば、議員一人一人が自由になるとは限らず、むしろ党執行部への依存が高まる可能性がある。

 政治学の研究でも、1994年の選挙制度改革後には、派閥が候補者公認に及ぼす影響力が低下する一方、党指導部の公認決定への影響が相対的に強まったことが指摘されている。ただし、この変化を小選挙区制だけで説明することはできない。政党交付金の導入、政治資金制度の変化、候補者選定の仕組み、政党組織の運営方法など、複数の要因が重なっている。また、党総裁と党執行部は完全に同じ存在ではなく、執行部を構成する政治家自身が旧派閥の人脈や支持基盤を持っている場合もある。

 そのため、派閥改革の結果を「派閥から総裁への権力移動」とだけ説明するのも単純すぎる。派閥が弱体化しても、それまで派閥が担ってきた公認、人事、選挙支援などの機能まで消滅するとは限らない。党執行部に集約されるものもあれば、地方組織や新たな議員グループに移るものもあり、党全体の制度として再構築されるものもあるだろう。改革の効果を考えるときには、単に派閥の影響力が低下したかどうかではなく、政治的資源の配分と意思決定の仕組みがどのように変わったのかを検証する必要がある。

 ただし、党執行部の権限が強まることが、必ず政治の質の低下につながるわけでもない。責任を負う主体が明確になり、選挙で示した政策を実行しやすくなれば、有権者が政権の成果を評価しやすくなる面もある。問題は権限の集中そのものではなく、集中した権限に対して説明責任があり、異論や監視が適切に働き、誤った意思決定を修正できるかどうかである。

派閥は権力の源泉であると同時に、権力を割る装置でもあった

 派閥を考えるうえで難しいのは、派閥が一方では権力を生み出しながら、別の面では権力の集中を抑えていたことである。複数の派閥が競争する自民党では、総裁や首相であっても党内のすべてを自由に決められるわけではなく、他派閥との調整を必要とした。これは政策決定を遅らせ、人事を複雑にする原因になった一方で、党執行部への権力集中を抑える内部的な牽制として作用する場面もあった。

 もちろん、これをそのまま「派閥は民主主義を守っていた」と美化することはできない。有権者から見えないところで少数の派閥幹部が大臣ポストや党役職を調整するのであれば、それは透明な民主的統制とは別のものである。また、複数の派閥が存在していても、それぞれが競争するとは限らず、互いに利益を交換しながら既存の権力構造を維持することもあり得る。派閥の存在だけで権力分散や民主的な監視が保証されるわけではない。

 それでも、「派閥を弱めること」と「権力を分散させること」が同じではないという点は重要である。派閥を解体した結果、一か所に権限が集中するのであれば、政治の透明性や意思決定の質が自動的に向上するわけではない。一方、党本部が明確な基準に基づいて人事や公認を決定し、地方組織や所属議員の意見を反映させる制度が整えば、従来の派閥政治より公正な運営に近づく可能性もある。

 政治に必要なのは速度だけでも、権力を分散させることだけでもない。強い執行部は政策決定を速め、選挙で掲げた政策を実行しやすくする一方、内部から異論が出にくくなれば、間違った政策へ進んだときにブレーキを踏む仕組みまで弱くなる可能性がある。政治制度を考えるときには、「誰が決めるか」と同時に「誰が止められるか」、そして「その判断について誰が責任を負うか」を見なければならないのである。

本当に注意すべきなのは、表札のない政治集団かもしれない

 さらに厄介なのは、人間関係には解散届がないことである。何十年も同じ派閥に所属してきた政治家同士には、先輩と後輩、師弟、同期、選挙支援、政策分野などを通じた関係が残っているため、「今日で派閥を解散します」と宣言した翌日から互いが無関係な政治家になるわけではない。

 2026年に旧派閥を基盤とした政策研究会や会合が再び目立つようになっていることは、その意味で興味深い。現在のところ、それらがすべて旧来の派閥と同じように政治資金を集め、人事を要求し、総裁選の票を一括して動かす組織になっていると証明されたわけではない。しかし、人間関係に基づく政治集団そのものが、派閥解散によって消滅したわけでもないことは見えてきている。

 ここには別の問題もある。以前の派閥政治では、「この議員は何派に所属し、領袖は誰で、所属議員は何人なのか」という粗いながらも権力地図を見ることができた。ところが政治団体としての派閥が消え、実際の政治的連携が食事会、勉強会、政策研究会、同期会などの緩やかな人間関係へ移れば、誰と誰が継続的に協力し、誰が人事や政策に影響を及ぼしているのかを外部から把握しにくくなる可能性がある。

 もっとも、公式な派閥であれば透明で、非公式な議員グループであれば不透明だという単純な話でもない。正式な政治団体として届出を行っていても、内部の意思決定や政治的な取引が十分に公開されるとは限らない。反対に、政策研究を中心とし、資金や人事への不透明な関与を持たない議員グループであれば、旧来の派閥より問題が少なくなる可能性もある。

 したがって、非公式な政治集団の方が旧派閥より危険だと現時点で断定することはできない。その判断には、構成員の関係、資金の授受、人事への働きかけ、政策決定における影響力などの実証データが必要である。ただし、「組織をなくせば透明になる」とも限らないという仮説は、今後の自民党政治を見るうえで重要である。表札を外したことで建物まで消えたと思っていたら、実際には入口だけが分かりにくくなっていたということも、政治の世界では起こり得るからだ。

なぜ政治家は、再び集団をつくろうとするのか

 そもそも、政治家が集団を形成する理由は、政治学だけでなく、経済学やゲーム理論からも説明できる。政治家がある集団に参加する場合、情報共有、政策立案、選挙協力、人脈形成、人事上の機会などの利益が得られる可能性がある。一方で、活動に必要な時間や費用、集団の方針に従うことによる自由の制約、評判上のリスクなどの負担も生じる。政治家が参加による利益を負担より大きいと判断すれば、集団に所属する誘因が生まれる。

 派閥から資金や人事の機能を切り離す改革は、こうした利益の一部を減らす効果を持つと考えられる。しかし、政策実現のために仲間を集める必要性や、議員同士が情報を交換する利益まで消えるわけではない。仮に資金や人事への関与が厳格に禁止されたとしても、共同で政策を提案する利益が十分に大きければ、政治家は新たな集団を形成する可能性がある。

 ただし、これは派閥が必ず復活するという意味ではない。集団に所属する利益が小さくなり、特定の有力者に従属する負担が大きくなれば、組織的な結びつきが弱まることもある。また、党本部や地方組織が情報共有、人材育成、政策形成を十分に担うようになれば、派閥的な集団を必要とする理由そのものが減る可能性もある。政治家が集団をつくる誘因が残ることと、旧来の派閥政治がそのまま復活することは、区別して考える必要がある。

 それでも、数百人の議員が限られた役職や政治的影響力を競い、同時に政策実現のために協力するという基本的な環境が続くかぎり、何らかの政治的集団が形成されることは不自然ではない。三人が情報交換を始め、五人で定期的に会い、十人で特定の政策を共同提案するようになれば、そこにはすでに政治的なネットワークがある。その集団が健全な政策研究組織になるのか、不透明な資金や人事を扱う集団になるのかは、形成された後の活動と、それを規律する制度によって変わってくる。

派閥改革の効果は、数字で確かめられるのか

 派閥改革の評価で難しいのは、「派閥がなくなった」という事実は比較的確認しやすくても、「政治が良くなった」という結果を客観的に測定することは容易ではないという点である。政治の質には、資金の透明性、人事の公平性、政策形成能力、意思決定の速さ、党内で異論を認める程度、有権者への説明責任など、異なる側面が含まれている。一つの指標が改善しても、別の指標が悪化する可能性がある。

 例えば、派閥が弱くなった結果として権力が集中したかどうかを調べる場合、経済学で市場集中度の測定に用いられるハーフィンダール・ハーシュマン指数の考え方を参考にできる。この指数は、各主体が占める割合をそれぞれ二乗して合計するもので、特定の主体への集中が強まるほど数値が大きくなる。仮に四つの集団が権限を25%ずつ持つとすれば指数は0.25であるのに対し、一つの集団が55%、残り三つが15%ずつを持つとすれば0.37となる。この例では後者の方が権限の集中度は高い。ただし、これは考え方を示すための仮定であり、実際の自民党の権力集中度を計算したものではない。

 現実の政治では、公認、人事、資金配分、政策形成などの権限が同じ政治家や集団に集中しているとは限らないため、一つの数字で測定すること自体に限界がある。それでも、党内役職の配分、旧派閥出身者の登用率、総裁選での投票傾向、政治資金の流れ、候補者公認における党本部と地方組織の関与などを継続して調べれば、改革前後の変化を一定程度把握することは可能だろう。

 さらに重要なのは、改革前後の変化が確認されたとしても、そのすべてを派閥改革の成果や弊害とみなすことはできないという点である。選挙によって新人議員が増えれば人事構成は変わり、首相の政治的影響力や党内の勢力関係が変われば、役職配分や政策決定も変化する。政治資金の流れも、法律改正、監督体制、報告制度、政治家自身の行動変化など複数の要因によって左右される。派閥改革そのものの効果を検証するには、これらの要因を可能な範囲で区別しなければならない。

 現在確認できるのは、制度改革が行われ、旧派閥の再結集や新たな人事関与の動きが報じられているという事実である。それだけで政治が以前より清潔になったとも、反対に不透明になったとも結論づけることはできない。改革の成否を判断するには、継続的な統計分析と、個々の意思決定過程を確認する実証的な調査が必要なのである。

悪かったのは「集まること」なのか、それとも集団に与えられた権力なのか

 ここまで考えると、改革の対象そのものが少し違って見えてくる。政治家が集まること自体を問題にする必要はない。同じ政策に関心を持つ議員が研究会をつくり、新人議員が経験者から国会運営を学び、ある総裁候補を支持する政治家同士が連携することは、議会政治ではむしろ自然な行為である。議員が互いに協力し、意見を交換することまで抑制すれば、政策形成に必要な情報や経験の共有が難しくなる可能性もある。

 問うべきなのは、その集団が何を握っているのかである。政治資金を不透明に動かせるのか、人数を背景に大臣や党役職を要求できるのか、候補者公認に影響を与えられるのか、若手議員の昇進や選挙支援を事実上左右できるのか、そして誰がどの意思決定にどのように関与したのかを外部から確認できるのかという問題こそが重要になる。

 こう考えれば、派閥改革の核心は「政治家を集団から解放すること」ではなく、「集団形成そのものと、資金・人事・公認という権力資源を切り分けること」にある。政策を研究する集団は存在してもよいが、その集団への所属が大臣就任や党内昇進の事実上の交換条件になってはならない。若手を育成する仕組みも、特定の有力者への忠誠ではなく、党全体の制度として公正に利用できる方が望ましい。資金についても、誰から入り、何に使われたのかを追跡できる仕組みを強くする方が、政治家同士が集まる行為そのものを問題視するより制度として筋が通っている。

 もっとも、集団が人事や公認への影響力をまったく持たない状態を実現することも容易ではない。政策に詳しい議員が専門性のある人物を役職に推薦したり、複数の議員が特定の候補者を支持したりすることまで否定すれば、通常の政治的な意思表明との区別が難しくなるからだ。重要なのは、専門性に基づく推薦や公開された政治的支持と、集団への所属や忠誠を対価とする不透明な人事取引を区別することである。

派閥は日本政治の原因であると同時に、制度の結果でもあった

 政治改革では、目に見えるものを原因だと思い込みやすい。政治とカネの問題が起これば派閥をなくそうと考え、世襲議員が多ければ世襲そのものを禁止したくなり、政治家が長く在職すれば多選を制限すればよいと思ってしまう。しかし制度を変えるときには、その現象を生み出している一段奥の構造まで見なければ、形を変えた同じ問題が再び現れる。

 政治家には選挙があり、公認があり、政治資金が必要で、党内人事があり、大臣や委員長への昇進があり、総裁選もある。しかも数百人の議員が一つの政党に所属しながら、限られた役職と政治的影響力を競っている。この条件が続くかぎり、政治家には他の政治家と連携し、ある程度まとまった集団をつくる誘因が残る。派閥はこうした環境の中で形成され、選挙制度や政党組織の変化に合わせて役割を変えてきた。

 だからといって、派閥が自然に形成されたから容認すべきだという結論にはならない。制度によって生まれた組織であっても、不透明な資金管理や不公正な人事を行えば、その行為は厳しく問われなければならない。一方で、組織を解散させるだけで同じ問題が再発しないと考えるのも合理的ではない。改革の対象は目に見える集団だけではなく、その集団に不透明な権限や利益が集中する仕組みである。

 その意味で、派閥改革を自民党内部だけの特殊な問題として考える必要もない。どの政党でも、一定以上の規模になれば議員間の情報共有、人材育成、政策調整、候補者選定、役職配分が必要になる。集団形成の誘因は政党の思想や立場だけで決まるものではなく、議員数、選挙制度、組織構造、政治的資源の配分によって左右される。自民党の派閥改革を検証することは、日本の政党組織全体のあり方を考えることにもつながる。

派閥のない政治が、きれいな政治とは限らない

 派閥を弱めることで改善できる問題は確かにある。派閥単位での不透明な資金集めを防ぎ、所属派閥の順番だけで大臣や党役職が回ってくる慣行を弱められれば、政治家の専門性や能力を重視する余地は広がる。候補者公募や人材育成の制度が適切に運用されれば、従来の人脈に依存しない新しい政治家が登場する機会も増える可能性がある。それだけでも改革には意味がある。

 しかし、派閥がなくなった空間を党執行部だけが埋めれば権力が中央へ集中する可能性があり、旧派閥の人脈が非公式な集団として残れば権力関係がかえって見えにくくなる可能性もある。さらに、人材育成や意見集約まで一緒に失われれば、巨大政党を動かす組織能力そのものが落ちるかもしれない。反対に、党全体の共通制度や地方組織の役割が強まれば、従来より公平で効率的な政党運営に近づく可能性もある。派閥をなくしたという一つの事実だけから、政治が良くなったか悪くなったかを判断することはできないのである。

 それなら、派閥改革の成否を何で測ればよいのだろう。見るべきなのは派閥の数ではなく、政治資金を以前より追跡できるようになったのか、人事の理由を以前より説明できるようになったのか、若手議員が特定の有力者に従属しなくても育つ仕組みが機能しているのか、党内で異論を唱えた議員が不合理な不利益を受けない仕組みがあるのか、そして誰がどのような過程で政策や人事の意思決定に関与したのかを有権者が以前より理解できるようになったのか、という変化である。

 こうした指標を継続して確認することができれば、派閥改革の効果は政治家の説明や報道の印象だけに頼らず、一定の客観性をもって評価できるようになる。ただし、そのためには公表される政治資金の情報や人事の選定基準が十分でなければならず、制度を整えることと、制度が実際に機能することを区別する必要がある。

 派閥という名前を永田町から消すことはできるかもしれない。しかし、政治家から人間関係を消すことはできない。人が集まれば関係が生まれ、関係が続けば集団が生まれ、集団が形成されればそこには何らかの政治的影響力が生まれる。その力そのものを消そうとするより、どこに力があり、誰が使い、誰が利益を得て、間違ったときに誰が責任を負うのかを見えるようにする方が、民主政治の制度設計としては現実的である。

 そう考えると、「派閥をなくせば日本政治は良くなるのか」という問いへの答えは、単純な「はい」でも「いいえ」でもない。派閥をなくすことで改善する問題はあるが、改革の本当の成否は、その後に資金、人事、公認、情報、人材育成という政治的資源がどこへ移り、それを誰が監視できるようになるかによって決まる。

 古い派閥の看板が永田町から消えたところで、政治改革は完成しない。むしろ重要なのはその後であり、空席になったはずの椅子に誰が座るのか、あるいは椅子そのものが別の部屋へ移されるのかを見なければならない。派閥政治の終わりを論じるなら、派閥が消えた瞬間ではなく、その後にどのような権力地図が描かれ、政治資金の透明性や人事の公平性、政策形成の質が実際にどう変化したのかを検証すべきなのである。

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