地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

同じ自民党でも、首相が変われば政治の「見え方」は変わる

 大平正芳が首相に就任したのは1978年12月、中曽根康弘が首相になったのは1982年11月であり、わずか4年ほどしか離れておらず、どちらも自民党を率いた首相だったが、2人の政治を振り返ると、政策の中身だけでなく、それを国民の前にどのように置くかという点にも興味深い違いが見えてくる。

 大平を象徴するのは「文化の時代」「田園都市国家」「環太平洋連帯」「総合安全保障」といった言葉であり、中曽根の場合には「戦後政治の総決算」、行政改革、教育改革、国鉄改革といった言葉が強く記憶されているが、この違いを「大平は理念だけを語り、中曽根は実行だけを重視した」と単純に分けることはできず、大平も具体的な政策を語り、中曽根も長期的な国家像を語っていた。

 それでも2人の言葉を読み比べると、政策を国民に理解してもらうために、どこから話を始めるのかには違いがあり、大平には時代そのものをどう理解するかという大きな視点から政策へ降りていく傾向がある一方、中曽根には複数の改革を一つの政治的な方向として束ね、政権が何を変えようとしているのかを前面に出す傾向があった。その違いを追っていくと、政治とは政策を決定する仕事であると同時に、その政策にどのような意味を与えて国民へ届けるかという仕事でもあることが見えてくる。

大平正芳は、まず「今はどんな時代なのか」から語った

 1979年1月25日の施政方針演説で、大平は個々の政策を並べる前に、まず自分の「時代認識」を語り、戦後30年以上にわたって日本は経済的な豊かさを求め、大きな成果を上げてきたものの、その一方で自然と人間との調和、自由と責任の均衡、生きがいといったものに十分な注意を払ってこなかったのではないかと問いかけ、経済中心の時代から文化を重視する時代へ移りつつあるという認識を示した。

 ここで注目したいのは、大平が政策を説明する際、最初から「これを実施する」と個別政策へ入るのではなく、「日本社会はいま歴史のどの位置にいるのか」という大きな地図を先に描いていることであり、高度経済成長を終えた日本は、欧米へ追いつくという明治以来の明確な目標を失いつつあり、その先で何を豊かさと考えるのかを改めて考えなければならないという時代認識から、「文化の時代」や「田園都市国家」という構想が導かれていった。

 だからといって、大平の政治が抽象的な理念だけで終わっていたわけではなく、1980年の施政方針演説では、田園都市国家の具体化として、都市の緑化、地域の文化施設、指導的人材の育成、地域産業の振興、就業機会の確保などにも踏み込んでいた。つまり、理念を語ってから具体策へ進むのであって、具体策が存在しなかったわけではなく、この順序こそ大平の政策の伝え方を考えるうえで重要なのである。

9つの政策研究グループは「広報組織」ではなかった

 大平政権を特徴づけるものとして、首相就任後につくられた9つの政策研究グループがあり、「文化の時代」「田園都市構想」「家庭基盤充実」「総合安全保障」「環太平洋連帯」などを研究するグループが設けられ、学者、有識者、各省庁の中堅官僚など延べ約200人の専門家が参加した。

 ただし、ここは注意して理解する必要があり、これらの研究グループは、大平の政策を国民へ宣伝するための広報組織ではなく、制度的には大平首相の私的な政策諮問機関だったため、研究会の存在そのものを「大平は専門家を通して国民へ政策を伝えた証拠」と考えるのは正確ではない。むしろ重要なのは、大平がまず「文化の時代」「田園都市国家」「総合安全保障」といった大きな理念を提示し、その理念を専門家による研究によって深化させ、政策へ具体化しようとした点にある。

 しかも各研究グループには相当程度の自主性が認められ、一内閣の期間を超えて21世紀の日本を考えるよう求められていたことから、首相が完成した答えを専門家に追認させるというより、政治が解かなければならない大きな問題を設定し、その答えを複数の知見から探ろうとする姿勢が見える。

 この意味で大平の政治的な言葉は、「答え」というより「思考の入口」として働く場合が多く、「田園都市国家」と聞いただけでは、それが具体的にどのような社会なのかは完全には分からないものの、その言葉の奥へ進むと、都市と農村、経済と文化、中央と地方、個人と家庭といった複数の問題がつながってくる。大平の言葉には、政策を短く単純化してしまうよりも、複雑な問題を複雑なまま考えようとする性格があった。

中曽根康弘は、多くの改革を一つの物語に束ねた

 中曽根康弘の政治を見ると別の特徴が浮かび上がり、中曽根も行政、財政、教育、安全保障など幅広い問題を扱った政治家で、単純なスローガンだけで政策を動かしたわけではないが、それらを国民の目から見える一つの政治的方向へまとめる能力は非常に目立っていた。

 その代表が「戦後政治の総決算」という言葉であり、この表現だけを切り取れば、戦後日本そのものを否定する意味にも聞こえるが、中曽根自身は1984年の国会答弁で、戦後の平和、民主主義、平等、経済的繁栄などの成果を否定するものではないと説明している。そのうえで、長い年月の中で制度に生じた問題を見直していくという考え方を示し、後には行政改革、財政改革、教育改革、税制改革などを「戦後政治の総決算」という共通した枠の中に置いて語っている。

 ここに中曽根の特徴があり、行政改革、財政改革、教育改革は、本来それぞれ異なる制度、異なる利害関係者、異なる専門知識を必要とする政策で、細部まで説明すれば国民にとって極めて複雑な話になるものの、「戦後政治の総決算」という大きな物語を置くと、それぞれの改革が「戦後につくられた仕組みを、この時代に合わせて見直す」という一つの方向を持っているように見えてくる。

 つまり中曽根は、複雑な政策を単純化したというより、ばらばらに見える政策に共通する政治的意味を与えたのであり、その方法によって、国民は個々の制度改正の細部を知らなくても、「この政権は何を変えようとしているのか」という輪郭をつかみやすくなった。

国鉄改革では「改革する対象」が国民から見えやすかった

 その違いが具体的に現れたものの一つが国鉄改革であり、国鉄問題には巨額の債務、経営効率、労使関係、地域交通、地方路線など多くの論点が絡んでいたため、本来なら極めて専門的で複雑な政策課題だった。

 しかし中曽根政権では、その複雑な問題が「国鉄をどう改革するか」という明確な政治課題として国民の前に現れ、最終的には分割・民営化という具体的な制度変更につながり、中曽根自身も1986年の国会で、全国一元的な公社制度による問題を挙げ、民間的な経営手法を導入することなどを民営・分割化の理由として説明している。

 この政策についてどのように評価するかは別問題であり、ここで重要なのは政策の賛否ではなく伝達構造で、非常に複雑な制度問題であっても、「何を変えるのか」「どの方向へ変えるのか」が見える形に整理され、首相自身がその意味を説明するという点に、大きな理念を提示してそこから政策を具体化していく大平とは、重心の置き場所の違いが見えてくる。

中曽根が強く意識した「テレビという政治空間」

 この違いを考えるとき、テレビも無視できないが、「大平の時代にはテレビがなく、中曽根の時代になって突然テレビ政治が始まった」ということではなく、大平の時代にもテレビはすでに日本社会に広く普及しており、政治家もテレビを利用していたため、テレビという媒体の存在だけで2人の違いを説明することはできない。

 違いを見るとすれば、中曽根がテレビを首相自身の政治的メッセージを国民へ直接届ける空間としてかなり積極的に利用した点であり、その象徴的な例が1985年4月9日のテレビ出演だった。当時、日本とアメリカの貿易摩擦が深刻になるなか、中曽根は全国放送のテレビに出演して外国製品をもっと購入するよう国民へ直接呼びかけ、当時の海外報道によれば説明には図表まで使われており、首相自身が政策の必要性を家庭のテレビ画面から説明する姿は注目を集めた。

 ここには、政策広報の担い手として首相本人が前面に出る政治の姿が見え、官僚が制度を説明し、与党が国会で政策を審議し、新聞がそれを報道するだけではなく、首相自身が国民へ語りかけることで、政策と首相個人の姿が結びついていく。後の日本政治では珍しくない光景だが、中曽根時代には、こうした首相中心の政治コミュニケーションが目立つようになった。

 したがって、「テレビが大平と中曽根を分けた」とまで断定するのは正確ではなく、より慎重に言えば、中曽根は既に存在していたテレビという政治空間を、大平以上に首相自身のメッセージを運ぶための政治的資源として活用した、と考えるのが妥当である。

「考える大平」と「動かす中曽根」だけでは単純すぎる

 ここまで比較すると、大平を「考えるための言葉」、中曽根を「動かすための言葉」と表現したくなるが、この対比も完全な二分法にしてしまうと実像をゆがめる。

 大平は哲学的な構想を語るだけではなく、田園都市国家について地域産業や住宅、文化施設など具体的な政策まで示していた一方、中曽根も改革を叫ぶだけではなく、「戦後政治の総決算」が何を意味するのかを国会で繰り返し説明していたため、2人の違いは「理念か実行か」「抽象か具体か」という単純な対立ではない。

 より正確に表現するなら、大平にはまず時代認識や国家像を示し、そこから政策を導いていく傾向があり、中曽根には複数の政策を一つの改革物語として束ね、その方向を首相自身の言葉と姿によって国民に見せる傾向があった、と考えるのがよいだろう。

 前者では、国民は「これから日本社会をどのようなものにするのか」という大きな問いから政策を見ることになり、後者では「この政権は何を変えようとしているのか」という方向から個々の政策を見ることになるため、同じ自民党政権でも、政策を見るために国民へ渡された地図の描き方が違っていたのである。

ただし、2人だけで日本政治全体を説明することはできない

 ここでもう一つ注意しておかなければならないのは、大平と中曽根を比較すると確かに興味深い違いが現れるものの、わずか2人の首相を比べただけで、「日本政治は大平型から中曽根型へ変化した」と統計的に証明することはできないという点である。

 そもそも2人は首相在任期間も違えば、直面した政策課題も異なり、大平政権の時代には第2次石油危機や財政問題などがあり、中曽根政権では行政改革、国鉄改革、日米貿易摩擦などが大きな政治課題となった。扱う問題が異なれば、それを説明する方法も変化する可能性があるため、2人の伝え方の違いをすべて個人の性格だけに帰すことはできない。

 厳密に差を検証するなら、2人の施政方針演説、所信表明演説、国会答弁、記者会見、テレビ出演などを大量に集め、「文化」「社会」「調和」「改革」「実行」といった語彙の頻度、文章の長さ、国民への直接的な呼びかけ、政策固有名詞の割合などを数値化する必要があり、それを行って初めて、「大平の言葉は中曽根より理念的だった」「中曽根の言葉はより改革志向だった」という仮説を統計的に検証できる。

 したがって、本稿で論じているのは統計的に証明された法則ではなく、本人の演説や国会答弁、政策形成の仕組み、当時のメディア利用などから読み取ることのできる歴史的な傾向であり、その限界を認めたうえで比較する方が、かえって2人の違いは鮮明になる。

同じ自民党首相でも、国民に渡した「政治の地図」が違った

 大平正芳と中曽根康弘の違いを、単に「静かな大平、派手な中曽根」という人物評だけで片づけてしまうと、政治史として最も興味深い部分を見落としてしまう。

 大平が国民に示したのは、「経済成長を遂げた日本は、この先どのような社会をつくるのか」という大きな地図であり、その地図には文化、地域、家庭、国際社会、安全保障といった複数の道が描かれ、それぞれを専門家による政策研究によって掘り下げようとしたため、国民に渡されたのは目的地だけを書いた案内板ではなく、これから進む土地そのものを考えるための地図だったと言える。

 一方、中曽根が強く示したのは、「この国のどこを変えようとしているのか」という改革の方向であり、行政、財政、教育、国鉄といった異なる問題を一つの政治的物語へまとめ、さらにテレビという媒体も活用しながら首相本人がその方向を説明することで、政策と首相の姿が結びつき、国民から見た政権の輪郭がより明確になる。

 どちらの方法が優れているかという問題ではなく、政治には簡単な言葉に還元してしまえば本質を失う問題がある一方で、複雑な制度をそのまま説明していては国民に方向が伝わらないという問題もあるため、大平の政治には社会の複雑さを抱えたまま長い時間軸で考えようとする側面があり、中曽根の政治にはその複雑さを政治的な方向へまとめ、国民から見える形にしようとする側面があった。

政治家を知るには「何をしたか」だけでなく「どう意味づけたか」を見る

 首相の歴史を調べるとき、成立した法律、予算、外交成果、選挙結果を追うことはもちろん重要だが、それだけでは政治の一部しか見えてこない。同じ政策でも、それを「日本の未来を考える問題」として国民に示すのか、「いま変えなければならない改革」として示すのかによって、人々が受け取る政治の姿は変わるからである。

 大平正芳は、高度経済成長を終えた日本が次に何を目指すのかという時代認識を語り、その先に「文化の時代」や「田園都市国家」を置いた一方、中曽根康弘は、戦後につくられてきた制度をどのように見直すのかという方向を「戦後政治の総決算」という大きな政治的物語へまとめ、行政改革や国鉄改革などへ結びつけた。

 わずか数年を隔てた同じ自民党の2人の首相を並べると、違って見えるのは政策だけではなく、政治家が国民の前に政策を置くとき、何を最初に語り、何を一つの言葉にまとめ、誰の姿を通してその意味を伝えるのかという方法も違っていたのである。

 政治とは、制度をつくることだけではなく、複雑な現実の中から何を問題として取り出し、その問題にどのような名前をつけ、国民にどのような物語として示すのかという仕事でもある。大平正芳と中曽根康弘を比較すると、政策の歴史の背後に、もう一つの戦後政治史~「首相は政策をどのような言葉に変えて国民へ届けてきたのか」という歴史が見えてくる。

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 先に結論を言えば、官房長官がときとして首相以上の存在感を持って見えるのは、官房長官のほうが首相より大きな権限を持っているからではない。首相が政府の最終的な政治判断を担う「頂点」だとすれば、官房長官は、省庁から集まる情報、政策調整、危機対応、首相への報告、そして社会への情報発信が交差する「結節点」にいるからである。つまり、首相が「決断する権力」を代表するのに対し、官房長官は政府という巨大組織を日常的に動かす「つなぐ力」を強く持つ。そのうえ平日には原則として午前と午後の二度、記者会見を行うため、国民から見た可視性も極めて高い。この制度上の位置と日常的な露出が重なることで、官房長官が首相以上に政府の中心人物であるかのように見える場面が生まれる。

 日本政治を眺めていると、この構造がときおり鮮明に姿を現す。国の行政を率いる中心人物は内閣総理大臣であるはずなのに、日々のニュースでは官房長官のほうが何度も画面に現れ、外交問題から経済政策、災害、閣僚の発言、政府内の不祥事に至るまで、ほとんどあらゆる出来事について記者から質問を受けているため、政治を継続的に見ている人ほど、「実際に政府の中心で動いているのはこちらなのではないか」と感じる瞬間がある。

 しかし、制度上の関係は明確である。日本国憲法第72条は、内閣総理大臣が内閣を代表し、行政各部を指揮監督すると定め、内閣法も首相が閣議を主宰し、閣議で決定された方針に基づいて行政各部を指揮監督する仕組みを置いている。さらに首相には国務大臣を任命し、罷免する権限があるため、官房長官が首相より制度的に上位に立つわけではない。

 それにもかかわらず、官房長官が首相に匹敵するほど大きな存在に見える場合があるのは、政治権力が単純な上下関係だけでは説明できないからである。巨大な組織を実際に動かすためには、最終決定をする人物だけではなく、情報を集め、部門間の利害を調整し、判断材料を整理し、決定された方針を組織の外へ伝える人物が必要になる。官房長官は、まさにそうした複数の流れが交差する場所に置かれている。

首相が「頂点」なら、官房長官は「交差点」である

 政府には財務省、外務省、厚生労働省、経済産業省、防衛省をはじめ、それぞれ異なる専門性と組織目的を持つ行政機関が存在するが、現代の政策課題の多くは一つの省庁だけでは処理できない。物価上昇への対策を考えるだけでも、財政、金融、エネルギー、産業、社会保障が関係し、大規模災害が起これば警察、消防、自衛隊、国土交通行政、自治体などが同時に動かなければならず、安全保障上の事態では外交、防衛、経済、情報が一つの問題の中に入り込んでくる。

 ところが、それぞれの省庁にはそれぞれの立場があるため、専門組織を並べただけで政府全体が自然に一つの方向へ進むとは限らない。そこで重要になるのが内閣官房であり、内閣法第12条は、内閣の重要政策についての企画・立案と総合調整に加え、行政各部の施策を統一するための企画・立案と総合調整を内閣官房の仕事として定めている。そして第13条は、官房長官がその内閣官房の事務を統轄すると規定している。

 この仕組みを考えると、官房長官の力が少し違った姿で見えてくる。首相が政府という組織の頂点に位置するのに対して、官房長官は複数の行政機関の線が交差する場所に近く、政治学や行政学でも、省庁を横断する政策課題では総合調整機能が重要になることが指摘されてきた。中央省庁再編も、縦割り行政の限界に対応し、官邸や内閣の総合調整力を高めることを重要な目的の一つとして進められた。

 会社にたとえるなら、首相は単純に最高経営責任者に相当すると考えられるが、官房長官を単なる広報担当者と考えると実態を見誤る。複数部門から情報を受け取り、部門同士の問題を整理し、経営トップの判断を支え、その判断を組織全体へ伝え、さらに外部からの質問にも答える役割が重なっていると考えたほうが近く、官房長官という職務の政治的な重さは、この複数の機能が一つの地点に集まるところから生じている。

官房長官は「政府が日常的に話す場所」に立っている

 官房長官の存在感をさらに大きくしているのが、記者会見である。首相官邸によれば、官房長官の定例記者会見は原則として月曜日から金曜日まで、午前と午後の二回行われるため、通常の一週間を単純化すれば最大で約10回、記者の前に立つ機会が制度的に用意されていることになる。ただし、休日、国会日程、出張、政治日程などによって実際の回数は変わるため、「年間に必ず何百回会見する」と固定的な数字に置き換えることは適切ではない。

 それでも、この頻度は政治的な「可視性」を考えるうえで大きな意味を持つ。首相は重要政策の発表、外交、国会、選挙、危機対応など、国家として重要な局面で強く前面に出るのに対し、官房長官は政府の日常的な出来事について継続的に質問を受ける立場にあるため、政治の大きな方向を示す首相に対して、官房長官は「今日、政府は何を考えているのか」を説明する人物として国民の前に現れ続ける。

 政府も過去の国会答弁で、官房長官の記者会見について、国民や国際社会に向けて政府として情報発信を行うことを主な目的としていると説明している。ただし、ここには重要な注意点があり、官房長官が記者会見で語ったすべての発言を、一律に政府の公式見解とみなすことができるわけではないことも政府自身が答弁しているため、官房長官会見は「すべての発言が政府公式見解になる場所」というより、「政府として継続的な情報発信が行われる重要な場所」と理解するほうが正確である。

「何度も見る人」は、本当に大きく見えるのか

 ここで一つ、政治制度だけでは説明できない問題が現れる。官房長官が毎日のようにテレビやインターネットのニュースに登場すること自体が、その人物を政府の中心人物として認識させる可能性はないのだろうか。

 心理学には、同じ対象に繰り返し接触することで、その対象への認知や評価が変化する「単純接触効果」と呼ばれる現象が知られている。政治を対象とした研究でも、架空の政治家の名前をニュース上で繰り返し目にした参加者が、その後の模擬的な選択で頻繁に目にした人物を選びやすくなったという実験結果が報告されており、少なくとも「反復的な露出が人物認知に影響を及ぼし得る」という考え方には実験的な根拠がある。

 ただし、この研究結果をそのまま日本の官房長官に当てはめて、「会見が多いから首相より重要に感じられる」と断定することはできない。報道内容が肯定的なのか否定的なのか、すでに人物がどれだけ知られているのか、視聴者が政治にどの程度関心を持っているのかによって効果は変わり得るため、官房長官の頻繁なメディア露出は存在感を高める一因になり得るものの、それだけで存在感を説明できるわけではない。

 それでも、首相が国家の重要な局面で強く現れるのに対し、官房長官が平日の午前と午後というリズムで繰り返し登場することは、両者の「見え方」を異なるものにする。首相は政治の頂点として見え、官房長官は政府の日常そのものとして見えるため、この違いが、ときとして官房長官のほうが政府運営の中心にいるような印象を生み出す可能性がある。

権力を「順位」ではなく「ネットワーク」で見る

 官房長官の立場を数理的に考えるなら、政治権力を一本の序列として考えるよりも、複数の組織を結ぶネットワークとして考えたほうが理解しやすい。政府の中には省庁、大臣、官僚組織、首相官邸、与党など多数の主体が存在し、その間を情報、指示、相談、政策案が絶えず行き来しているため、「一番上にいる人物」と「多くの経路が通過する人物」は必ずしも同じではない。

 ネットワーク分析では、単に多くの相手と接続しているかだけでなく、異なる集団同士をどれだけ仲介しているかという位置も重要になる。この考え方を政府に当てはめると、官房長官は財務、外交、安全保障、社会保障など異なる政策領域の間を結ぶ位置に置かれやすく、ある省庁と別の省庁、官僚組織と政治家、政府内部と報道機関の間で、情報の通り道になる可能性が高い。

 ただし、ネットワークの中心に位置することと、最終的な決定権を持つことは同じではない。内閣官房がどれだけ多くの情報を集め、省庁間の調整を行ったとしても、首相には閣議を主宰し、行政各部を指揮監督し、国務大臣を任免する制度的権限があり、政策の最終的な政治責任も首相と内閣が負うことになる。したがって、「首相より官房長官の権力が強い」という結論ではなく、「権力には階層上の権限とは別に、情報や調整の経路から生まれる影響力がある」と理解するほうが正確である。

危機になるほど「交差点」の価値は高くなる

 平時には見えにくい調整機能も、大規模災害、重大事故、感染症、安全保障上の緊張などが発生すると、その重要性が急速に高まる。危機時には、一つの省庁だけが正確に動いても政府全体として十分ではなく、異なる機関から入ってくる情報を整理し、重複や矛盾を調整しながら、首相や関係閣僚が判断できる状態をつくらなければならない。

 内閣法は、内閣官房に内閣危機管理監を置き、国民の生命、身体、財産に重大な被害が生じ、または生じるおそれがある緊急事態への対処を危機管理として位置付けている。また、内閣官房には関係行政機関から情報を集約し、省庁横断的な分析や調整を行う機能も置かれており、危機が一省庁の範囲を越えるほど、官邸を中心とした情報集約と調整の必要性は高くなる。

 ただし、「危機が深刻になるほど官房長官のテレビ出演が必ず増える」といった関係まで統計的に証明されているわけではない。これを科学的に確認するには、過去の大規模災害や安全保障上の事件について、発生前後の官房長官と首相の報道回数、テレビ出演時間、新聞記事での言及数などを長期間にわたって比較する必要があるため、ここで言えるのは、危機時に内閣官房の調整機能が重要になる制度的理由が存在し、その結果として官房長官が前面に出やすい条件が生まれる、というところまでである。

本当の力は、記者会見の後ろ側にある

 官房長官を理解するとき、テレビに映る記者会見だけを見ていては職務の半分しか見えない。むしろ政治的に重要なのは、カメラのない場所で、省庁の意見がぶつかり、政策案が修正され、関係者の意向が調整され、最終的に首相へ上げるべき問題が整理されていく過程である。

 巨大な政府組織では、首相自身がすべての政策について各省庁との細かな調整を行うことは現実的ではない。個々の省庁には担当大臣と官僚組織があり、その上で省庁を越える問題について内閣官房などが調整機能を果たすことによって、首相はより重要な政治判断に集中することができる。この意味で官房長官の役割は、首相に代わって国を支配することではなく、首相が判断できる政府をつくることに近い。

 「決める人」と「決められる状態をつくる人」は同じではない。ある政策についてどの情報が重要なのか、どの省庁の利害が衝突しているのか、どこまで調整すれば政治判断が可能になるのかという作業は、最終決定そのものほど目立たないが、巨大組織では欠かすことのできない仕事であり、その過程に深く関与できる立場は、法律上の命令権だけでは測ることのできない影響力を持ち得る。

 情報が集まる場所には相談も集まり、相談が集まる場所にはさらに情報が集まる。こうした循環が続けば、官房長官という役職の周囲には一種の「情報の重力」が生まれるが、それは官房長官が首相より強いことを意味するのではなく、巨大組織では情報を結び付ける位置そのものが一つの力になることを意味している。

同じ官房長官でも、存在感は同じではない

 もっとも、この構造が存在するからといって、歴代の官房長官がすべて同程度の影響力を持つわけではない。官房長官の実際の政治的な重さは、首相との信頼関係、与党内での人間関係、官僚組織との接点、政策調整をどこまで任されているか、危機時の情報処理能力などによって変化するため、役職だけを見て実質的な力を機械的に推定することはできない。

 首相が官房長官に多くの調整を委ねる政権では、官房長官が政策形成の早い段階から関与しやすくなる一方、首相自身が細部まで政策調整を行う場合や、別の有力閣僚、首相補佐官、党幹部などが大きな役割を担う場合には、同じ官房長官という肩書でも影響力の分布は変わる。このため「官房長官は常に政権のナンバー二である」と固定的に考えるより、誰と誰の間に情報が流れ、誰が何を調整し、首相が誰に何を任せているのかを見る必要がある。

「決断する権力」と「つなぐ権力」

 政治を見るとき、私たちは無意識のうちに「誰が一番偉いのか」という一本の順位表をつくりたくなるが、現実の権力はそれほど単純ではない。最終決定をする力、予算を動かす力、人事を決める力、情報を集める力、異なる組織を調整する力、そして政府の考えを社会へ伝える力は、それぞれ別の経路から生まれる。

 首相が象徴するのは、最終的な政治判断と責任を引き受ける「決断する権力」である。それに対して官房長官の特徴は、省庁、官僚、閣僚、首相、報道機関といった異なる主体の間に位置し、それらを結び付ける「つなぐ力」にある。この二つは競合するものではなく、むしろ首相が強い政治的リーダーシップを発揮するためにも、複雑な政府組織をつなぐ調整機能が必要になる。

 だから官房長官が、ときとして首相以上の存在感を示しているように見えるとしても、それを「本当は官房長官のほうが権力者だから」と説明するのは正確ではない。そこに見えているのは、現代国家が一人の指導者だけで動く組織ではなく、多数の専門組織を情報と調整によって結び合わせながら動く巨大なネットワークだという事実である。

 首相が船の進路を最終的に決める船長だとすれば、官房長官は、機関室、通信室、航海士、甲板から届く情報を整理し、船長の判断を船内へ伝え、外から飛んでくる問いにも応答しながら、船全体がばらばらにならないようにする人物に近い。船長より上にいるわけではないが、海が荒れ、情報が錯綜し、複数の部署を同時に動かさなければならない状況になるほど、その場所に立つ人物の姿は大きく見えてくる。

 次にニュースで官房長官の記者会見を見るとき、注目すべきなのは、その人物が首相より目立っているかどうかだけではない。その背後でどの省庁から情報が集まり、何が調整され、どの問題が政治判断を必要とし、どの内容が政府から社会への情報発信として示されているのかを考えてみると、記者会見の演台の向こう側に、日本政府という巨大組織の神経網が浮かび上がってくる。官房長官という役職が興味深いのは、一人の政治家の強さを映しているからではなく、政治において「権力とは何か」が、肩書や順位だけでは決まらないことを最もよく見せてくれる場所だからである。

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