戦後81年~「戦後100年」「戦後120年」
~平和を願うだけでも、軍事力だけでもない。戦争を遠ざける条件を現実から考える
2026年8月15日、日本は1945年の終戦から81年を迎えた。
「戦後81年」という言葉には、少し不思議な響きがある。
戦争が終わってから81年間が経過したという意味である一方、「戦後」という言葉を使い続けている限り、日本はまだ1945年から続く時間の中にいることになる。
しかし、それは必ずしも否定的な意味ではない。
戦後100年となる2045年にも「戦後」と呼び、戦後120年となる2065年にも「戦後」と呼ぶことができるなら、それは少なくとも、その間に日本が新しい戦争によって時代を区切られなかったことを意味する。
理想を言えば、戦後150年、200年と、「戦後」が終わらない社会であってよい。
もちろん、未来に戦争が起きないことを保証する方法は存在しない。
国家間の戦争は、一国民の善意だけで決まるものではない。国際政治、軍事力、領土問題、資源、経済、安全保障上の認識、国内政治、同盟関係、偶発的衝突、指導者の意思決定など、多数の要因が絡み合って発生する。
したがって、「平和を願えば戦争は起こらない」という説明は現実的ではない。
反対に、「十分な軍事力さえ持てば戦争は起こらない」と断定することもできない。
令和の日本人にできることを考えるなら、この二つの単純化から離れる必要がある。
必要なのは、戦争が起きる確率をゼロだと考えることではなく、
戦争へ進む条件を一つずつ減らし、平和が継続する条件を一つずつ増やしていくことである。
それは派手な行動ではない。
民主主義、外交、防衛、教育、歴史認識、情報、経済、国際協力という社会の仕組みを、毎日の政治と生活の中で正常に機能させ続けることである。
81年間の平和を「自然に続いた時間」と考えない
1945年から2026年まで、日本が再び大規模な戦争の当事国にならずに81年間を積み重ねてきたことには、一つだけの原因があるわけではない。
日本国憲法第9条は、日本国民が国際平和を希求し、国際紛争を解決する手段として戦争と武力による威嚇または武力の行使を永久に放棄すると定めている。これは現在も日本の憲法上の基本原則である。
しかし、日本の戦後の安全が憲法だけによって成立してきたと証明することもできない。
日本には自衛隊が存在し、日米安全保障体制があり、日本政府は防衛力と同盟による抑止を安全保障政策の重要な構成要素としてきた。さらに外交、国際連合、経済関係、国際協力、東アジアにおける力関係など、複数の条件が同時に作用してきた。外務省も現在の安全保障政策を、日米同盟だけでなく、多層的な安全保障協力や平和で安定した国際社会への取組を含む構造として位置付けている。
つまり、戦後81年を、
「憲法があったから平和だった」
とも、
「軍事力があったから平和だった」
とも、一つの要因だけで説明することは科学的ではない。
現実に近いのは、
法制度、民主主義、外交、防衛、同盟、経済、国際秩序、そして戦争を避けようとする社会的規範が複合して現在までの状態を形成してきた
と考えることである。
だからこそ、そのどれか一つだけを守れば戦後100年が保証されるわけでもない。
2026年の世界は、平和が自動的に続く環境ではない
戦後81年を迎える日本から世界を見ると、平和を楽観できる状況ではない。
SIPRI(Stockholm International Peace Research Institute・ストックホルム国際平和研究所)は2026年版年鑑で、国家が核兵器を国力の手段として重視する傾向が強まり、誤算やエスカレーションの危険も高まっていると指摘している。
世界の軍事支出も増えている。SIPRIの集計では2025年の世界の軍事支出は実質2.9%増の2兆8,870億ドルとなり、11年連続で増加した。2016年から2025年までの10年間では41%増えている。
日本政府も、日本周辺の安全保障環境について厳しい認識を示し、防衛力の強化を進めている。
この状況を前にして、「日本だけが平和を願えば大丈夫だ」と考えることはできない。
しかし同時に、世界が危険だから軍事力を際限なく増やせば安全になるとも限らない。
防衛力には、攻撃を思いとどまらせる抑止という考え方がある。
一方で、相手国がその軍備増強を脅威と受け取り、自らも軍備を増やせば、安全保障上の競争が強まる可能性がある。核兵器をめぐってSIPRIが指摘しているのも、まさに抑止とエスカレーションの両方を考えなければならない現在の難しさである。
平和政策に必要なのは、
「防衛か平和か」
という二者択一ではない。
防衛が必要な部分では必要性と規模を検証しながら備え、同時に、その防衛力を実際に使用しなくて済む外交環境を作ること
である。
戦争を防ぐことが目的なら、軍事力を使用して勝つ能力だけでなく、そもそも使用する状況を作らない能力も同じように重要になる。
外交は「仲の良い国と付き合うこと」だけではない
平和を維持するための外交というと、友好国との関係を深めることが想像されやすい。
もちろんそれも重要である。
しかし、本当に戦争を防ぐために重要なのは、意見の合わない国、利害の対立する国、場合によっては安全保障上の脅威と認識している国とも意思疎通の経路を失わないことである。
国際連合憲章は加盟国に国際紛争を平和的手段によって解決することを求め、第33条では交渉、仲介、調停、司法的解決など複数の方法を示している。
外交は、相手を好きになることではない。
相手国の政策を支持することでもない。
対立が存在するとき、それを戦争以外の方法で処理する技術である。
戦後100年を迎えるためには、日本社会が「対話すること」と「譲歩すること」を混同しないことも重要だろう。
外交交渉を行うことは、相手国の主張を認めることではない。
むしろ対立しているからこそ交渉する。
電話がつながること、外交官が会えること、首脳同士が話せること、軍同士が偶発的な衝突を避ける連絡手段を持つこと。
こうした地味な仕組みが、重大な誤解を戦争へ発展させないための安全装置になる。
戦争を防ぐには「相手を理解すること」と「相手を信じること」を分ける
平和について考えると、ときに「相互理解」が強調される。
ただし、安全保障では相手を理解することと、相手を信頼することは同じではない。
相手国の歴史、政策決定の仕組み、安全保障上の不安、国内世論、軍事ドクトリンなどを知ることは、相手の政策に賛成することではない。
むしろ正確に理解しなければ、相手の行動を誤読する。
国家間の危機では、
「相手もこちらと同じように考えるはずだ」
という思い込みが危険になる。
令和の日本人に必要な国際理解とは、外国に好意を持つことだけではなく、
自分たちとは異なる歴史、利益、恐怖、合理性を持つ主体として他国を見る能力
である。
敵対国について学ぶことほど、安全保障では重要な場合がある。
戦争の記憶を残す意味は「罪を永久に背負わせること」ではない
戦後81年になると、戦争を直接経験した世代は急速に少なくなる。
ここで歴史教育について難しい問題が生じる。
戦争の歴史を伝えることは、現在の日本人に過去の日本人と同じ責任を負わせることではない。
2026年に生きる子どもが、1940年代の国家政策に責任を負うことはできない。
しかし、
過去の政策がどのような意思決定の積み重ねで戦争へ進み、何が人々に起きたのかを知ること
には、現在的意味がある。
歴史を学ぶ目的を「誰を悪者にするか」に置くと、世代が変わるほど反発が起こりやすい。
重要なのは、
なぜ外交が失敗したのか。
なぜ軍事行動が拡大したのか。
なぜ反対意見が政策を止められなかったのか。
情報はどのように国民へ伝えられたのか。
政治指導者はどのような判断をしたのか。
戦場だけでなく、民間人に何が起きたのか。
そこから意思決定の仕組みを学ぶことである。
歴史を記憶する目的は、過去を永遠に裁き続けることではなく、
未来の判断材料を失わないこと
にある。
広島市が現在も毎年8月6日に平和記念式典を行い、原爆死没者を追悼するとともに核兵器廃絶と恒久平和を訴えていることも、記憶を現在の問題につなぐ一つの社会的仕組みである。2026年にも式典と平和宣言が行われた。
民主主義を正常に動かすことも平和政策である
戦争というと外交官や自衛隊の仕事に見える。
しかし、国家として軍事力をどのように保有し、どのような条件で使用し、どの国と協力し、どの程度の予算を投入するかは政治によって決められる。
つまり安全保障政策の最終的な統制には民主主義が関係する。
ここで令和の日本人にできる最も現実的な行動の一つが、政治を政策として見ることである。
安全保障政策について、
「平和を訴えているから正しい」
とも、
「防衛力を強化しているから現実的だ」
とも即断しない。
どのような脅威を想定しているのか。
その可能性はどの程度なのか。
提案する政策によって本当にその危険が減るのか。
費用はいくらかかるのか。
別の政策は存在しないのか。
外交への影響はどうか。
緊張を下げる効果と上げる効果のどちらが大きいのか。
失敗した場合の出口はあるのか。
こうした問いを与党にも野党にも同じように向けることが必要である。
平和主義とは、何も考えずに「戦争反対」と言い続けることではない。
安全保障政策を考えることもまた、直ちに軍事主義を意味しない。
戦争を回避するという共通目的に対して、どの手段がより効果的で、副作用が少ないかを検証すること
が民主社会の仕事である。
SNS時代には「戦争の前の情報」を扱う能力が重要になる
令和には、昭和とは異なる問題がある。
SNS(Social Networking Service・交流サイト)によって、政府、政治家、軍事組織、報道機関、専門家、一般市民、外国政府までが同じ情報空間で発信するようになった。
これは、市民が一次情報へ近づけるという大きな利点を持つ。
同時に、誤情報、切り抜き、古い映像、偽画像、感情的な投稿も高速で拡散できる。
国際的な緊張が高まったとき、
「○○国が攻撃を開始した」
「政府が隠している」
「この映像が証拠だ」
という情報が流れても、それだけで事実とは限らない。
令和の市民にできる平和への貢献の一つは、意外なほど小さい。
確認できない情報を、確認できないまま拡散しないことである。
投稿者は誰なのか。
映像はいつ撮影されたのか。
政府や公的機関の発表と一致するか。
複数の独立した報道機関が確認しているか。
元資料は存在するか。
戦争や危機の際には、情報そのものが政策判断や世論に影響する。
情報を慎重に扱うことは、単なるインターネット上のマナーではない。
民主主義社会の危機管理の一部である。
平和とは「何もしない状態」ではない
「平和」という言葉には、静かな印象がある。
しかし、国家レベルの平和は必ずしも静的な状態ではない。
外交交渉が行われる。
自衛隊が訓練する。
海上保安機関が警戒する。
国際会議が開催される。
経済制裁が議論される。
条約が交渉される。
選挙が行われる。
国会で予算が審議される。
研究者が安全保障政策を分析する。
報道機関が政府の説明を検証する。
学校や博物館が歴史を伝える。
こうした活動が続いた結果として、戦争を回避できる可能性が高まる。
日本は国際平和協力の制度も持ち、国際連合平和維持活動、人道的救援、国際的な選挙監視などへ参加できる仕組みを整えてきた。
平和は「何もしなかった結果」ではなく、
多数の制度と人間が毎日動き続けた結果として維持される状態
と考えた方が現実に近い。
戦後100年を迎える2045年
2045年。
戦後100年である。
その年に現在61歳の人は80歳前後になり、2026年に生まれた子どもは19歳になる。
その世代にとって、1945年は100年前の歴史になる。
第一次世界大戦が現在の私たちにとって遠い歴史になっているように、太平洋戦争も次第に「直接知る人がいない歴史」へ移っていく。
そのとき重要になるのは、記憶の量ではなく質である。
「戦争は悲惨だった」という言葉だけでは、世代を越えて十分な知識を伝えることは難しい。
なぜ戦争が始まったのか。
なぜ途中で止められなかったのか。
外交、軍事、政治、経済、報道、世論がどのように関係していたのか。
日本だけでなく、アジア、米国、欧州では何が起きていたのか。
そこまで理解できて初めて、歴史は現在の政策判断へ接続する。
戦争体験者がいなくなった社会では、
記憶を証言から制度へ移すこと
が必要になる。
公文書、映像、証言録、博物館、研究、教育がその役割を担う。
そして戦後120年、2065年へ
2065年、日本が戦後120年を迎えたとする。
そのとき、「戦後」という表現に違和感を持つ人もいるだろう。
120年前の出来事をいつまで引きずるのか、と考える人もいるかもしれない。
しかし、「戦後」を続けるという言葉を別の意味で考えることもできる。
過去に縛られ続けるという意味ではなく、
新しい戦争によって歴史を区切らない
という意味である。
戦後120年まで続いたなら、その120年間に日本の政治思想も、安全保障制度も、国際環境も大きく変わっているだろう。
憲法の姿が現在と同じかどうかさえ分からない。
しかし一つだけ共有できる目標がある。
政策や制度が変わったとしても、
日本社会の目的が「次の戦争に勝つこと」ではなく、「次の戦争を可能な限り起こさないこと」であり続けること
である。
もちろん、他国から武力攻撃を受ける可能性まで日本だけで消すことはできない。
だから防衛という問題から逃れることもできない。
同時に、軍事力によってすべての安全を購入することもできない。
戦後100年、120年を目指す政策は、この現実の間に存在する。
令和の日本人にできること
結局、一人の日本人が世界の戦争を止めることはできない。
首相でも、日本一国だけでも、世界から戦争をなくすことはできない。
だからといって個人に何もできないわけではない。
政策を感情ではなく事実で判断する。
選挙で安全保障政策も確認する。
異なる立場の意見を読む。
戦争の歴史を敵味方だけで整理しない。
確認できない情報を拡散しない。
外国を国家全体、民族全体として敵視しない。
同時に安全保障上の現実的なリスクからも目をそらさない。
政治家が軍事力を強化すると言えば理由と費用を問い、削減すると言えばその安全保障上の根拠を問う。
外交を行えば何を守り何を譲ったのかを確認し、対立すれば対話の経路が残されているかを見る。
こうした市民社会は、戦争を絶対に防ぐ保証にはならない。
しかし、
戦争へ向かう誤った意思決定を発見し、修正できる可能性を高める。
ここに民主主義の大きな意味がある。
終戦の日を「過去を見る日」だけにしない
8月15日は、戦争で亡くなった人々を追悼する日である。
政府も1982年の閣議決定に基づいて8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、2026年にも政府主催の全国戦没者追悼式を開催する。
しかし、この日にはもう一つの見方ができる。
1945年から何年経過したかを数えるだけではなく、
次の1年を戦後のまま終わらせるために何が必要なのかを確認する日
とすることである。
2026年から2045年までは19年しかない。
戦後100年は、遠い未来ではない。
2065年の戦後120年も、現在生きている多くの子どもたちが普通に経験し得る時代である。
その人たちが8月15日に、
「今年で戦後120年になった」
と言える日本であるために必要なのは、壮大な理念だけではない。
外交を続けること。
必要な安全保障を冷静に考えること。
国際法を尊重すること。
民主主義を機能させること。
歴史を検証可能な形で残すこと。
異論を排除しないこと。
誤情報に流されないこと。
政治を敵と味方だけで考えないこと。
そして、戦争という極端な手段へ至る前に問題を解決できる制度を何度でも修理することである。
戦後81年という数字は、完成した平和の証明ではない。
81年間続いてきた状態を示しているにすぎない。
だからこそ価値がある。
平和とは、一度達成すれば保存されるものではない。
毎年更新される記録である。
2026年8月15日の日本に必要なのは、
「もう81年間戦争をしなかった」
と過去形で誇ることだけではない。
82年目も戦後にする。
そして83年目も戦後にする。
それを積み重ねて2045年を戦後100年にし、2065年を戦後120年にする。
さらにその先も、「戦後」という言葉を過去の戦争から数え続けられる社会であること。
戦争のない戦後を永遠に続けるという願いを現実の政策へ翻訳するなら、それはおそらく、
戦争をしないと誓うことと、戦争を避けられる制度を不断に作り続けることを、同時に行う
ということなのである。

