地域政経

九条レオンの地域から社会と政治・経済のこれからを考える

人口が減れば、自治体の職員も減っていく。それ自体は、それほど不思議な話ではない。住民が5万人から3万人になれば、役場も同じ人数の職員を抱え続ける必要はないように見えるからだ。

ところが、行政という仕事は人口に比例して小さくできるものばかりではない。

住民が半分になっても道路が半分になるわけではなく、橋が半分になるわけでもない。水道管や下水道管も、住民票を発行する制度も、税を徴収する仕組みも、災害が起きたときの対応も残る。人口減少社会で自治体に起きる本当の問題は、仕事の量が減る速度より、その仕事を担う人が減る速度のほうが速くなることである。

では、自治体職員が減っていったとき、何から維持できなくなるのだろうか。

おそらく最初に姿を消すのは、住民票の発行でも、税金の徴収でもない。もっと目立たず、普段は役所の存在さえ意識しないところから、行政の余力が失われていく。

役所の窓口が最初になくなるとは限らない

自治体の仕事というと、役所の窓口を思い浮かべる人は多い。住民票を取り、転入届を出し、税金や国民健康保険について相談する。職員が減れば、まず窓口が維持できなくなるようにも思える。

しかし、実際にはこの分野は比較的人員削減に耐えやすい。

現在、国は地方自治体の基幹業務システムの統一・標準化を進めており、住民基本台帳、地方税、介護保険、国民健康保険、生活保護、障害者福祉など20業務が標準化の対象になっている。目的の一つは、情報システムに費やす人的・財政的負担を減らし、職員を住民への直接的なサービスや企画業務へ振り向けることである。オンライン申請の普及も、この方向にある。

つまり、単純な申請や証明書発行のように、手続きが定型化されている仕事ほど、デジタル化や共同処理によって人数の減少を吸収しやすい。

もちろん、高齢者への窓口支援など、人が必要な部分まで消えるわけではない。それでも「一件の住民票を発行するために、その自治体だけの高度な専門家が必要」という仕事ではない。

問題になるのは、その反対側にある仕事である。

最初に苦しくなるのは「専門家が一人いないと動かない仕事」

道路に異常が見つかったとする。

単に穴が開いているだけなら補修を発注すればよいように見えるが、現実の行政ではそう簡単ではない。現場を確認し、危険度を判断し、工事方法を検討し、予算を確保し、設計や積算を行い、施工業者と調整し、完成した工事を検査する必要がある。

そこには土木の知識を持った職員が必要になる。

ところが、この人材がすでに薄くなっている。

国土交通省の資料では、1996年度から2024年度までに市区町村全体の職員数が約16%減少したのに対し、土木部門の職員数は約26%減少している。さらに、全国のおよそ半数の市区町村では技術系職員が5人以下である。別の国土交通省資料では、2023年時点で土木技師・建築技師が一人もいない自治体が435団体とされている。

ここに、人口減少時代の行政サービスを考える重要なヒントがある。

行政は「職員が100人から90人になったからサービスも一律に10%低下する」という仕組みではない。100人の中から土木技師が3人から2人になり、2人から1人になり、最後の1人が退職した瞬間、それまで自治体内部で完結していた機能が突然成立しなくなることがある。

人数の問題であると同時に、専門性の問題なのである。

道路や橋は、壊れてから問題になるのではない

こうした専門職不足の影響は、ある朝突然、道路が閉鎖されるという形で始まるとは限らない。

最初に起きるのは、おそらく「優先順位をつける行政」である。

以前なら年に何度も巡回していた道路を見る回数を減らす。小さな補修は翌年度へ送る。利用者の少ない施設への投資を先送りする。橋の点検で問題が見つかっても、緊急性の高いものから対応する。

その一つ一つは合理的な判断である。

ところが、それが10年続くと地域の姿が変わる。

人口の多い中心部では道路も施設も維持されるが、利用者の少ない地区では修繕までの期間が延びる。同じ自治体の中でも、行政サービスの密度に少しずつ差が生まれる。

人口減少によって最初に起きるのは、行政サービスの「消滅」ではなく、行政サービスの「粗密化」なのかもしれない。

そして、この変化は住民から見えにくい。

役場は開いている。住民票も取れる。ごみも収集されている。それでも町のどこかでは、橋の補修が一年延び、道路の草刈り回数が減り、水路の点検間隔が長くなっている。

行政機能は、ある日突然なくなるのではなく、少しずつ薄くなっていく。

次に苦しくなるのは「現場へ行かなければできない仕事」

デジタル化には大きな効果があるが、自治体の仕事をすべてデジタル化できるわけではない。

住民票はオンラインで処理できても、崩れかけた道路をオンラインで直すことはできない。

倒木が道路をふさいだら誰かが現場へ行かなければならない。大雨で側溝があふれたら現場を確認しなければならない。空き家が倒壊しそうなら建物を見る必要がある。高齢者の生活状況を確認する必要があれば、電話や画面だけでは判断できないこともある。

ここには、行政サービスのもう一つの境界線がある。

「情報を処理する行政」は少人数化しやすいが、「現実の地域を管理する行政」は少人数化しにくいのである。

人口減少が進む地方ほど、この矛盾は大きくなる。住民は減るのに自治体の面積は縮まらないからだ。

10平方キロメートルの町で人口が半分になっても、管理する土地が5平方キロメートルになるわけではない。道路、水路、山林との境界、公共施設、海岸、河川など、行政が関係する空間はほぼそのまま残る。

人口密度が低下するとは、一人の職員が担当しなければならない「地域の広さ」が相対的に大きくなることでもある。

災害対応は、普段の職員不足を一気に表面化させる

平常時には何とか回っている自治体でも、台風や豪雨、大規模地震が発生すると状況は変わる。

行政職員には通常業務とは別に災害対応が発生する。避難所を開設し、道路の被害を調べ、住民からの問い合わせに応じ、断水や停電の状況を把握し、国や都道府県との連絡を行い、被害認定や罹災証明にも対応しなければならない。

普段100の仕事を100人で処理している組織なら、一時的に120の仕事が来ても何とか対応できるかもしれない。

しかし、100の仕事を70人でぎりぎり処理する組織に、突然120の仕事が来れば事情は違う。

人口減少地域で恐ろしいのは、平常時の行政サービスが維持されているように見えるため、組織の「余白」がどれほど失われているのか住民から分かりにくいことである。

自治体職員の減少問題は、単なる窓口待ち時間の問題ではない。

災害時に行政がどこまで同時に動けるかという、地域の安全性そのものにかかわっている。

福祉行政は「なくなる」のではなく、一人あたりの負担が重くなる

一方で、人口減少社会では、住民が減るからといって福祉行政の需要まで同じように減るとは限らない。

むしろ、高齢化によって介護、生活支援、認知症、孤立、成年後見、身寄りのない高齢者への対応など、一件あたりの判断が難しい案件が増える可能性がある。

この仕事は住民票発行のように完全には定型化できない。

同じ「高齢者一人暮らし」でも、家族関係、所得、健康状態、認知機能、住宅環境、近隣との関係によって必要な支援は違うからだ。

したがって福祉分野では、サービスそのものが突然なくなるというより、一人の職員が担当する案件が増え、相談から対応までの時間が長くなるという形で職員不足が現れやすい。

ここでも行政サービスは「あるか、ないか」では測れない。

同じ制度が残っていても、相談員が十分にいる自治体と、少人数で多数の案件を抱える自治体では、実際に住民が受ける行政サービスの質は同じとは限らない。

「最初に維持できなくなるサービス」を一つに決めることはできない

では結局、自治体職員が減ったとき、最初に維持できなくなる行政サービスは何なのか。

全国共通で「これ」と一つに決めることは難しい。

ただし、弱くなりやすい行政には共通した特徴がある。

処理件数が少なくても一定数の専門職を必要とし、現場へ出る必要があり、機械的な標準化が難しく、しかも事故や災害が起きたときには即時に判断しなければならない仕事である。

道路、橋、上下水道、建築、防災、福祉などがその典型になる。

反対に、全国で制度が共通していて、処理方法を標準化しやすく、デジタル化や外部との共同処理が可能な業務は、比較的長く維持しやすい。

この違いを考えると、将来の自治体行政は「すべての仕事を現在の形のまま少人数で続ける」方向には進みにくい。

むしろ、何をその自治体が自分で担い、何を周辺自治体や都道府県と共同化し、何を民間に委託し、何をデジタル化するのかという再設計が避けられなくなる。

合併しなくても「役所の中身」は共同化されていく

人口が減れば市町村合併をすればよい、という考え方もある。

しかし、自治体を合併しなくても行政機能を共同化することはできる。

例えば、専門職を複数自治体で共有したり、一部の事務を広域組織で処理したり、都道府県が技術的支援を行ったりする方法がある。情報システムについても、約1,800の地方公共団体がそれぞれ独自に開発・保有する方式から、標準化された仕組みを利用する方向へ政策は動いている。

ここで重要なのは、「自治体を残すこと」と「自治体がすべての行政能力を自前で持つこと」は別問題だということである。

町長も議会も役場も残っている。しかし道路行政の専門機能は周辺自治体と共有する。情報システムは共通化する。高度な建築審査は広域で担う。

そうした自治体が今後増えても不思議ではない。

行政区域は残りながら、行政機能だけが広域化するのである。

人口ではなく「職員構成」を見なければ自治体の将来は分からない

地方自治体について語るとき、私たちは人口を見る。

人口3万人、1万人、5000人という数字は分かりやすいからだ。

しかし、本当に行政を維持できるかを考えるなら、人口だけでは十分ではない。

職員が何人いるのか。その中に土木、建築、保健、福祉、情報といった専門職が何人いるのか。50歳代の職員が退職したあと、代わりになる若手が採用できているのか。一人しかいない専門職が休職したり退職したりしたとき、その仕事を誰が引き継ぐのか。

こちらのほうが、地域の将来を考えるうえでは重要な数字になっていく。

人口1万人でも専門職を確保し、周辺自治体と業務を共同化し、デジタル化によって定型業務を効率化できれば行政を維持できる可能性はある。

反対に、人口がそれより多くても、専門職を採用できず、業務を職員個人の経験に依存していれば、特定の行政機能が先に弱くなることはあり得る。

人口規模だけから「何人以下なら自治体は維持できない」と線を引くのが難しい理由も、ここにある。

最後まで役場は残っていても、行政は以前と同じではない

人口減少社会で起きる行政の縮小は、役場が閉鎖されるところから始まるのではないだろう。

役場は最後まで残る可能性が高い。

住民票も発行され、税金も徴収され、ホームページには行政サービスの一覧が掲載され続ける。

それでも、その裏側では道路を見回る回数が減り、専門職一人の担当範囲が広がり、福祉相談の案件が積み重なり、災害時に応援へ回せる職員が少なくなっていく。

行政サービスが失われるとは、「制度の名前がなくなること」だけではない。

同じ制度が存在していても、対応までの日数が長くなり、現場へ行ける回数が減り、予防的な仕事より緊急対応が優先されるようになれば、その行政サービスはすでに以前とは違うものになっている。

だから人口減少地域を見るとき、役所が存在するかどうかだけを見ても十分ではない。

見るべきなのは、その役所に「地域で何か起きたとき、実際に動ける人が何人残っているか」である。

人口減少後の地方自治を左右するのは、役場という建物を残せるかどうかではない。

その建物の中に、地域を動かす知識と経験を持つ人を残せるかどうかなのである。

そして日本の地方自治は今、「住民が何人まで減れば維持できないのか」という問題から、「少なくなる職員で、どの行政機能をどこまで自前で持ち続けるのか」という、もう一段難しい問題へ入り始めている。

参考資料

本稿では、国土交通省による市区町村の職員数・土木系技術職員に関する資料、およびデジタル庁による地方公共団体の基幹業務システム統一・標準化に関する公表資料を参照した。国土交通省は、自治体のインフラ管理体制について、技術系職員の減少と人的制約への対応を重要課題として示している。またデジタル庁は、主要20業務のシステム標準化によって人的・財政的負担を軽減し、職員を住民への直接的サービスなどへ振り向ける方向を示している。

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平成の時代、日本地図から多くの市町村名が消えた。

昨日まで町だった場所が、翌日から隣の市の一部になる。役場の看板が替わり、住所の表記が変わり、長く親しまれてきた町の名前が行政区画から姿を消していった。人口減少と財政難に備えるためには、小さな自治体が一つになり、役場も議会も行政組織もまとめた方が効率的だという考え方が、その背景にあった。

いわゆる「平成の大合併」である。

しかし、人口減少がさらに進んだ現在、私たちはもう一度、少し違う問いを立ててもよいのではないだろうか。

町そのものをなくさなくても、仕事だけを一緒にすることはできないのか。

結論からいえば、それはできる。

しかも地方自治の制度には、複数の市町村が行政事務を共同で処理するための仕組みが、すでにいくつも用意されている。消防、ごみ処理、介護認定、斎場、水道、救急、情報システムなど、住民から見れば一つの自治体が行っているように見える仕事であっても、実際には複数自治体が協力して運営している例は珍しくない。

ここに、人口減少時代の地方自治を考える重要な手掛かりがある。

「町を残すこと」と「仕事を全部自分でやること」は同じではない

人口五千人の町と人口五万人の市があるとする。

人口は十倍違う。しかし行政に必要な仕事が十分の一になるわけではない。

住民票を発行しなければならない。税金を計算しなければならない。生活保護や障害福祉、介護、子育て、道路、上下水道、防災、選挙、戸籍、建築、農業、環境問題にも対応しなければならない。

人口が少ないからといって、「今年から税務はやめます」「建築行政はありません」というわけにはいかないのである。

ここに小規模自治体の難しさがある。

人口が減るほど職員数を減らさなければ財政負担は重くなる。しかし職員を減らしすぎれば、一人の職員がいくつもの分野を担当することになる。しかも行政の仕事は以前より単純になっているわけではない。福祉制度は複雑になり、災害対応は高度化し、情報システムや個人情報保護への対応も求められる。

町役場の建物は残っていても、その中で専門的な行政を動かす人間が足りなくなる。

人口減少時代に起きる問題は、役場が突然消えることよりも、むしろこちらの方が現実的なのである。

ならば発想を逆にすればよい。

自治体という単位は残しながら、一つの町だけでは維持しにくい仕事を、周辺自治体と一緒に行えばよいのである。

実は消防も、ごみ処理も、すでに「町の外」で行われている

私たちは行政というものを、町役場の中だけで完結する仕事のように考えがちである。

けれども実際の地方行政を眺めてみると、自治体の境界を越えて処理されている仕事はかなり多い。

分かりやすいのが消防である。

小さな町がそれぞれ消防本部を持ち、それぞれ高価な消防車や救急車をそろえ、それぞれ指令センターを運営するより、複数自治体が共同で消防組織を持つ方が合理的な場合がある。

ごみ処理施設も同じだ。

焼却場は、人口千人だから人口十万人の自治体の百分の一の大きさで造ればよい、という施設ではない。ある程度の設備規模が必要であり、建設にも維持にも専門職員にも費用がかかる。そこで複数自治体が共同して処理施設を持つ。

火葬場、し尿処理、介護認定審査、救急医療などでも、似た構造が現れる。

つまり日本の地方行政は、すでに部分的には「自治体の形」と「行政サービスを提供する範囲」が一致していない。

町境という線は地図には描かれている。しかし、ごみ収集車も救急車も医療圏も、人々の日常生活も、その線をそれほど律儀には守っていないのである。

合併とは、会社そのものを一つにするようなものだ

市町村合併を企業にたとえるなら、二つの会社が一つの会社になることに近い。

経理部だけ共同にするのではない。会社名も経営者も組織もまとめ、新しい一社になる。

確かに効率化できる部分は大きい。

市長や町長は一人になる。議会も一つになる。総務、財政、人事などの部門も統合できる。規模が大きくなれば専門職員を置きやすくなる可能性もある。

しかし、それと引き換えに失うものもある。

役場が遠くなることがある。地域ごとの事情が行政に届きにくくなることもある。そして何より、それまで独立した自治体として持っていた意思決定の単位そのものがなくなる。

人口千人の町にも、百年近い歴史があるかもしれない。

海辺の町と山間の町では、同じ人口であっても産業も災害リスクも交通事情も違う。観光を重視したい町もあれば、農業や福祉を重視したい町もある。

行政効率だけを考えるなら、大きな自治体ほど有利に見える。しかし地方自治とは、単なる事務処理会社ではない。

「この地域をどうしたいか」を住民が決める仕組みでもある。

そこで、自治体そのものは残しながら、必要な行政機能だけを共同化するという考え方が重要になる。

「役場を共有する」のではなく、「専門能力を共有する」

これからの共同化で本当に重要なのは、建物を一緒に使うことではない。

人材を共有することである。

たとえば人口数千人規模の自治体が、それぞれ高度な情報システムの専門職員を何人も雇うことは難しい。建築、土木、福祉、法務といった専門分野でも同じ問題が起こる。

人口が減っていく社会で、すべての自治体がすべての専門家を一式そろえるという行政モデルには限界がある。

ところが五つの自治体が共同すれば事情は変わる。

一自治体では一人も雇えなかった専門職を、広域で数人配置できるかもしれない。職員同士で経験を共有でき、担当者が一人しかいないため休めないという状況も緩和できる。

これは単なる経費削減ではない。

むしろ小さな自治体が行政の質を維持するための仕組みである。

人口減少社会では、「何人の職員を減らせるか」だけを考えて共同化すると失敗する可能性がある。必要なのは、一つの自治体だけでは持てなくなった専門能力を、地域全体でどう維持するかという視点なのである。

では、何でも共同化すればよいのか

ここで話は少し複雑になる。

行政を共同化できるからといって、すべてを共同化すればよいわけではない。

ごみ処理施設のように、住民が毎日その施設を訪れる必要のないサービスなら広域化しやすい。

消防指令センターも、広域化による効果が比較的分かりやすい。

しかし福祉相談となると事情が違う。

生活に困った人、高齢者、障害のある人、子育てに悩む家庭が相談する窓口まで何十キロも離れた場所に集約されれば、行政効率は上がっても住民にとっては不便になる。

行政には、「大きくした方が効率的な仕事」と「住民の近くに残した方がよい仕事」があるのである。

この二つを区別しなければならない。

たとえば、裏側の計算や情報システムは共同化しながら、住民が相談する窓口は各町に残すことも考えられる。

いわば、舞台裏は一つにしても、玄関は町ごとに残す。

人口減少社会の行政共同化とは、本来そのような設計であるべきだろう。

問題は「誰が決めるのか」である

共同化には、効率とは別の難しさもある。

三つの市町村が一緒に仕事をするとしよう。

人口十万人の市と、人口一万人の町と、人口三千人の村が参加していた場合、三自治体の意見を完全に同じ重さで扱うべきだろうか。

人口に比例して決めれば、大きな市の意見が強くなる。

一自治体一票なら、小さな自治体の影響力が相対的に大きくなる。

施設をどこに造るのか。費用をどう負担するのか。職員をどこに置くのか。サービス水準をどこまで統一するのか。

共同化すると、このような問題が必ず現れる。

地方自治には奇妙な性質がある。

一人で仕事をすれば自由だが、費用が高くなる。

一緒に仕事をすれば安くできるかもしれないが、今度は相談しなければ何も決められなくなる。

これは行政だけの問題ではない。共同生活そのものが持つ宿命である。

だから広域行政を考えるときには、「共同化すれば効率化できる」という一行で終わらせてはいけない。

共同化とは、費用を分け合う仕組みであると同時に、決定権を分け合う仕組みでもある。

これから消えるのは市町村ではなく、「全部入りの役場」かもしれない

これまで日本では、小さな自治体であっても、できるだけ多くの行政機能を一つの役場の中に持つことが当然だと考えられてきた。

しかし人口が減り、職員の採用も難しくなる社会では、その前提そのものを変える必要がある。

町長も議会も役場も残る。

住民票も地域福祉の相談窓口も町内に残る。

一方で、消防、情報システム、専門職、施設管理、税務の一部などは周辺自治体と共同で運営する。

そうなれば、市町村という存在は今より少し違うものになる。

自治体は「行政サービスをすべて自分で生産する組織」ではなく、「地域として何を必要とするかを決め、必要に応じて周辺自治体と共同でサービスを提供する組織」へ変わっていく。

これは民間企業でいえば、すべての業務を社内に抱える経営から、重要な意思決定は自社で行いながら、共通業務を共同化する経営への変化に近い。

市町村の独立性を守ることと、行政をすべて自前で行うことは、本来別の問題なのである。

平成の次に来るのは「合併」ではなく「接続」なのかもしれない

平成の大合併は、自治体そのものを大きくすることで行政能力を維持しようとした。

人口がさらに減っていく令和の地方に、同じ方法だけで対応できるとは限らない。

隣町と一つにならなくてもよい。

町の名前も、議会も、地域の意思決定も残すことができる。

その代わり、消防は一緒にする。専門職は共有する。情報システムも共同で使う。大規模な公共施設は地域全体で配置する。

そう考えると、将来の地方自治の地図は、現在の市町村境界だけでは表現できなくなる。

行政区域の地図の上に、消防の区域、医療の区域、交通の区域、ごみ処理の区域、福祉の区域が幾重にも重なる。

町は残っている。

しかし行政は、町境を越えて動いている。

その姿は、一見すると複雑である。けれども人々の実際の生活を考えてみれば、それほど不自然ではない。

私たちは隣町の病院へ行き、隣の市のスーパーで買い物をし、自治体境を越えて働いている。救急車に乗ったとき、市町村境を越えたからといって急に生活圏が途切れるわけでもない。

むしろ行政の方が、ようやく人間の生活圏に近づいていくと考えることもできる。

人口が減ったから町を消す。

その二者択一だけが地方自治の未来ではない。

町を残しながら、できる仕事は一緒にする。そして地域ごとに残すべき仕事だけは、住民の近くに残す。

これから問われるのは、「この町を隣町と合併させるべきか」という問題だけではない。

もっと細かく、そして現実的な問いである。

この仕事は、本当にこの町だけで行わなければならないのか。

人口減少時代の地方自治は、その問いから組み直した方がよいのかもしれない。

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