平成の時代、日本地図から多くの市町村名が消えた。
昨日まで町だった場所が、翌日から隣の市の一部になる。役場の看板が替わり、住所の表記が変わり、長く親しまれてきた町の名前が行政区画から姿を消していった。人口減少と財政難に備えるためには、小さな自治体が一つになり、役場も議会も行政組織もまとめた方が効率的だという考え方が、その背景にあった。
いわゆる「平成の大合併」である。
しかし、人口減少がさらに進んだ現在、私たちはもう一度、少し違う問いを立ててもよいのではないだろうか。
町そのものをなくさなくても、仕事だけを一緒にすることはできないのか。
結論からいえば、それはできる。
しかも地方自治の制度には、複数の市町村が行政事務を共同で処理するための仕組みが、すでにいくつも用意されている。消防、ごみ処理、介護認定、斎場、水道、救急、情報システムなど、住民から見れば一つの自治体が行っているように見える仕事であっても、実際には複数自治体が協力して運営している例は珍しくない。
ここに、人口減少時代の地方自治を考える重要な手掛かりがある。
「町を残すこと」と「仕事を全部自分でやること」は同じではない
人口五千人の町と人口五万人の市があるとする。
人口は十倍違う。しかし行政に必要な仕事が十分の一になるわけではない。
住民票を発行しなければならない。税金を計算しなければならない。生活保護や障害福祉、介護、子育て、道路、上下水道、防災、選挙、戸籍、建築、農業、環境問題にも対応しなければならない。
人口が少ないからといって、「今年から税務はやめます」「建築行政はありません」というわけにはいかないのである。
ここに小規模自治体の難しさがある。
人口が減るほど職員数を減らさなければ財政負担は重くなる。しかし職員を減らしすぎれば、一人の職員がいくつもの分野を担当することになる。しかも行政の仕事は以前より単純になっているわけではない。福祉制度は複雑になり、災害対応は高度化し、情報システムや個人情報保護への対応も求められる。
町役場の建物は残っていても、その中で専門的な行政を動かす人間が足りなくなる。
人口減少時代に起きる問題は、役場が突然消えることよりも、むしろこちらの方が現実的なのである。
ならば発想を逆にすればよい。
自治体という単位は残しながら、一つの町だけでは維持しにくい仕事を、周辺自治体と一緒に行えばよいのである。
実は消防も、ごみ処理も、すでに「町の外」で行われている
私たちは行政というものを、町役場の中だけで完結する仕事のように考えがちである。
けれども実際の地方行政を眺めてみると、自治体の境界を越えて処理されている仕事はかなり多い。
分かりやすいのが消防である。
小さな町がそれぞれ消防本部を持ち、それぞれ高価な消防車や救急車をそろえ、それぞれ指令センターを運営するより、複数自治体が共同で消防組織を持つ方が合理的な場合がある。
ごみ処理施設も同じだ。
焼却場は、人口千人だから人口十万人の自治体の百分の一の大きさで造ればよい、という施設ではない。ある程度の設備規模が必要であり、建設にも維持にも専門職員にも費用がかかる。そこで複数自治体が共同して処理施設を持つ。
火葬場、し尿処理、介護認定審査、救急医療などでも、似た構造が現れる。
つまり日本の地方行政は、すでに部分的には「自治体の形」と「行政サービスを提供する範囲」が一致していない。
町境という線は地図には描かれている。しかし、ごみ収集車も救急車も医療圏も、人々の日常生活も、その線をそれほど律儀には守っていないのである。
合併とは、会社そのものを一つにするようなものだ
市町村合併を企業にたとえるなら、二つの会社が一つの会社になることに近い。
経理部だけ共同にするのではない。会社名も経営者も組織もまとめ、新しい一社になる。
確かに効率化できる部分は大きい。
市長や町長は一人になる。議会も一つになる。総務、財政、人事などの部門も統合できる。規模が大きくなれば専門職員を置きやすくなる可能性もある。
しかし、それと引き換えに失うものもある。
役場が遠くなることがある。地域ごとの事情が行政に届きにくくなることもある。そして何より、それまで独立した自治体として持っていた意思決定の単位そのものがなくなる。
人口千人の町にも、百年近い歴史があるかもしれない。
海辺の町と山間の町では、同じ人口であっても産業も災害リスクも交通事情も違う。観光を重視したい町もあれば、農業や福祉を重視したい町もある。
行政効率だけを考えるなら、大きな自治体ほど有利に見える。しかし地方自治とは、単なる事務処理会社ではない。
「この地域をどうしたいか」を住民が決める仕組みでもある。
そこで、自治体そのものは残しながら、必要な行政機能だけを共同化するという考え方が重要になる。
「役場を共有する」のではなく、「専門能力を共有する」
これからの共同化で本当に重要なのは、建物を一緒に使うことではない。
人材を共有することである。
たとえば人口数千人規模の自治体が、それぞれ高度な情報システムの専門職員を何人も雇うことは難しい。建築、土木、福祉、法務といった専門分野でも同じ問題が起こる。
人口が減っていく社会で、すべての自治体がすべての専門家を一式そろえるという行政モデルには限界がある。
ところが五つの自治体が共同すれば事情は変わる。
一自治体では一人も雇えなかった専門職を、広域で数人配置できるかもしれない。職員同士で経験を共有でき、担当者が一人しかいないため休めないという状況も緩和できる。
これは単なる経費削減ではない。
むしろ小さな自治体が行政の質を維持するための仕組みである。
人口減少社会では、「何人の職員を減らせるか」だけを考えて共同化すると失敗する可能性がある。必要なのは、一つの自治体だけでは持てなくなった専門能力を、地域全体でどう維持するかという視点なのである。
では、何でも共同化すればよいのか
ここで話は少し複雑になる。
行政を共同化できるからといって、すべてを共同化すればよいわけではない。
ごみ処理施設のように、住民が毎日その施設を訪れる必要のないサービスなら広域化しやすい。
消防指令センターも、広域化による効果が比較的分かりやすい。
しかし福祉相談となると事情が違う。
生活に困った人、高齢者、障害のある人、子育てに悩む家庭が相談する窓口まで何十キロも離れた場所に集約されれば、行政効率は上がっても住民にとっては不便になる。
行政には、「大きくした方が効率的な仕事」と「住民の近くに残した方がよい仕事」があるのである。
この二つを区別しなければならない。
たとえば、裏側の計算や情報システムは共同化しながら、住民が相談する窓口は各町に残すことも考えられる。
いわば、舞台裏は一つにしても、玄関は町ごとに残す。
人口減少社会の行政共同化とは、本来そのような設計であるべきだろう。
問題は「誰が決めるのか」である
共同化には、効率とは別の難しさもある。
三つの市町村が一緒に仕事をするとしよう。
人口十万人の市と、人口一万人の町と、人口三千人の村が参加していた場合、三自治体の意見を完全に同じ重さで扱うべきだろうか。
人口に比例して決めれば、大きな市の意見が強くなる。
一自治体一票なら、小さな自治体の影響力が相対的に大きくなる。
施設をどこに造るのか。費用をどう負担するのか。職員をどこに置くのか。サービス水準をどこまで統一するのか。
共同化すると、このような問題が必ず現れる。
地方自治には奇妙な性質がある。
一人で仕事をすれば自由だが、費用が高くなる。
一緒に仕事をすれば安くできるかもしれないが、今度は相談しなければ何も決められなくなる。
これは行政だけの問題ではない。共同生活そのものが持つ宿命である。
だから広域行政を考えるときには、「共同化すれば効率化できる」という一行で終わらせてはいけない。
共同化とは、費用を分け合う仕組みであると同時に、決定権を分け合う仕組みでもある。
これから消えるのは市町村ではなく、「全部入りの役場」かもしれない
これまで日本では、小さな自治体であっても、できるだけ多くの行政機能を一つの役場の中に持つことが当然だと考えられてきた。
しかし人口が減り、職員の採用も難しくなる社会では、その前提そのものを変える必要がある。
町長も議会も役場も残る。
住民票も地域福祉の相談窓口も町内に残る。
一方で、消防、情報システム、専門職、施設管理、税務の一部などは周辺自治体と共同で運営する。
そうなれば、市町村という存在は今より少し違うものになる。
自治体は「行政サービスをすべて自分で生産する組織」ではなく、「地域として何を必要とするかを決め、必要に応じて周辺自治体と共同でサービスを提供する組織」へ変わっていく。
これは民間企業でいえば、すべての業務を社内に抱える経営から、重要な意思決定は自社で行いながら、共通業務を共同化する経営への変化に近い。
市町村の独立性を守ることと、行政をすべて自前で行うことは、本来別の問題なのである。
平成の次に来るのは「合併」ではなく「接続」なのかもしれない
平成の大合併は、自治体そのものを大きくすることで行政能力を維持しようとした。
人口がさらに減っていく令和の地方に、同じ方法だけで対応できるとは限らない。
隣町と一つにならなくてもよい。
町の名前も、議会も、地域の意思決定も残すことができる。
その代わり、消防は一緒にする。専門職は共有する。情報システムも共同で使う。大規模な公共施設は地域全体で配置する。
そう考えると、将来の地方自治の地図は、現在の市町村境界だけでは表現できなくなる。
行政区域の地図の上に、消防の区域、医療の区域、交通の区域、ごみ処理の区域、福祉の区域が幾重にも重なる。
町は残っている。
しかし行政は、町境を越えて動いている。
その姿は、一見すると複雑である。けれども人々の実際の生活を考えてみれば、それほど不自然ではない。
私たちは隣町の病院へ行き、隣の市のスーパーで買い物をし、自治体境を越えて働いている。救急車に乗ったとき、市町村境を越えたからといって急に生活圏が途切れるわけでもない。
むしろ行政の方が、ようやく人間の生活圏に近づいていくと考えることもできる。
人口が減ったから町を消す。
その二者択一だけが地方自治の未来ではない。
町を残しながら、できる仕事は一緒にする。そして地域ごとに残すべき仕事だけは、住民の近くに残す。
これから問われるのは、「この町を隣町と合併させるべきか」という問題だけではない。
もっと細かく、そして現実的な問いである。
この仕事は、本当にこの町だけで行わなければならないのか。
人口減少時代の地方自治は、その問いから組み直した方がよいのかもしれない。

