リベラル文庫(九条レオン)

物語の境界を越えて、新しい世界へ。

島田幸夫(九条レオン)

島田幸夫

 祭りの準備は、だいたい三つの段階で進む。 一つ目は「今年もやるぞ」という気合い。 二つ目は「去年もやったし」という油断。 三つ目は「今年は何か変えたい」という争い。  島田幸夫が好きなのは、二つ目と三つ目の間だった。 油断と争いの隙間には、必ず『段取り』が入り込める。段取りが入ると、誰が主役かが入れ替わる。

 今年の祭りは、例年と違った。 港の古い倉庫が「観光防災センター」に化けたばかりで、町はそのセンターを見せびらかしたくて仕方がない。新しい靴を履いた子どもみたいな顔をしている。しかも、その靴ひもを結んだのが島田だ。誰も言わないが、みんな分かっている。 役場は言った。 「落成式と、祭りを合同にしませんか」  合同。便利な言葉だ。 合同と言えば、予算も人も混ぜられる。混ぜると責任が薄まり、薄まると島田の居場所が広がる。

 島田はにこやかに頷いた。 「いいですね。祭りは『人が勝手に集まる』ですから」 役場係長は、その言い方に救われた顔をした。 彼は救われる顔が上手い。救われる顔が上手い人間は、だいたい判子も上手い。

センターが「祭りの入口」になる日  祭りの会議は、商工会の二階で開かれた。 座卓に、役場、観光協会、旅館組合、漁協、消防団、露店連合の古参、そして警備会社の社長までいる。第2章で『釣れた』老舗社長だ。鼻先に「安全」の二文字をぶら下げると、すぐ寄ってくる。

 島田は最後に入ってきた。 遅れても怒られない。政治家のスーツは、時間にも免罪符がついている。  島田は部屋を見回し、まず『泣きそうな人』を探した。 会議に泣きそうな人がいるとき、話は動く。泣きそうな人は、争いの火に水をかけたいからだ。

 泣きそうだったのは、露店連合の古参だった。 髭が濃く、声が大きい。普段は泣かない顔だが、今年は泣きそうだった。理由は簡単で、センターができたことで、祭りの『入口』が変わる気配がしている。

 島田は、まず笑わせた。 「皆さん、今年の祭りは、例年より『困らない』祭りになります」 困らない。第1章からの合言葉だ。  誰も反対できない。 「迷子の場所が分かる。救護の場所が分かる。雨が降っても逃げ場がある。 そして——トイレが分かる」  ここで全員が一度笑った。 トイレは強い。人間は理念では動かないが、トイレでは動く。 島田はそこで、センターの写真を一枚出した。  玄関に大きく書かれた「観光防災センター」の看板。見栄えがいい。金の匂いがする。 「今年は、センターを祭りの案内所にしましょう。 迷子も救護も、落とし物も、全部ここ。 シャトルバスも、ここ発着にしましょう」

 役場係長の目が輝いた。 『全部ここ』は、管理が楽になる。管理が楽になると、責任が軽くなる。責任が軽くなると胃が救われる。係長の胃は政治でできている。

 観光協会会長も頷く。 センターが目立てば、会長の顔も立つ。顔が立つと、会長の拍手が増える。拍手が増えると、島田の勝ちも増える。  露店連合の古参だけが、腕を組んだ。 「先生、それだと人の流れが変わる。 うちの露店の場所も変わるだろ」 正論だ。 正論は強い。だから島田は、正論を『もっと強い正論』で包む。  島田は優しい声に変えた。 「その通りです。人の流れは変わります。 だからこそ、今年は『安全』を基準に動線を引き直しましょう」 安全。 これも反対しにくい。反対した瞬間、「危険が好きなの?」になる。  島田は続ける。 「ベビーカーが通れる幅。救急車が入れる幅。 転んだ人を起こせる余白。 ——これ、全部『祭りを守る』ことです」

 露店古参の目が泳いだ。 守る、という言葉に弱い。守ると言われると、自分が壊しているみたいになる。誰も壊したくない。特に、伝統を自称する人間は。

 ここで老舗警備社長が、待ってましたとばかりに手を挙げた。 「安全のためには警備員が必要です。 誘導、規制、見回り、救護補助——今年は増やした方がいい」

 言い方が上手い。 『増やした方がいい』は、『増やさないと危ない』の婉曲表現だ。 警備社長は見積書を太らせる言語を持っている。  漁協の親方がぼそっと言う。 「警備員増えると、金は誰が出すんだ」

 島田はすぐ答えない。 ここは『間』だ。間は魔法だ。 一秒。二秒。 その沈黙で、全員が勝手に「島田先生が何とかする」と思う。  島田はにこやかに言った。 「そこは、センターの運営と一体で考えましょう。 祭りの日だけの話じゃない。  この町は『いつでも困らない』が売りになります」 『売りになります』  この一言で、観光協会会長と旅館組合幹部が完全に落ちた。 売りになるなら、金が動く。金が動けば、彼らの出番だ。

 露店古参は、反対できなくなった。 反対すると『売り』を潰す人になるからだ。 島田は心の中で鈴を鳴らした。 ——導線、取れた。

露店の場所取り会議は、だいたい人間性が出る  次の議題は、露店の配置だった。 露店の配置は、町の縮図だ。 一等地は早い者勝ちではない。声が大きい者勝ちでもない。 段取りがある者勝ちだ。

 露店古参が地図を広げた。 赤いペンで「ここが焼きそば」「ここが金魚すくい」「ここがビール」と、例年の配置を書き込んでいる。  島田は、その地図を見て、まず一言。 「いい地図ですね」 褒める。褒めると守りが緩む。 守りが緩むと、地図が手から離れる。  島田は続ける。 「ただ、今年は『ベビーカー動線』が必要です。 ここを少し広げましょう」 露店古参が言う。 「そこは、うちの一番の場所だ」  島田は頷き、さらに優しく言った。 「だからこそ、そこを『見せ場』にしましょう。 伝統の露店が、町の安全を守る。 ——それ、めちゃくちゃ格好いいです」  古参が、なぜか黙った。 『格好いい』と言われると、男は弱い。 特に、格好よさで生きてきた男は。

 旅館組合幹部が口を挟む。 「じゃあ、そこに案内板を立てましょう。 『この露店は安全動線に協力しています』って」  観光協会会長がすぐ乗る。 「SNS用に写真も撮れますね!」

 露店古参は、逃げ道を失った。 協力しないと、SNSの敵になる。観光地の敵は、SNSの敵だ。 そしてSNSの敵は、だいたい次の年に誰も助けてくれない。

 島田は、地図の端を軽くトントン叩いた。 「あと、ここ。センター前の通り。 ここは『回遊』を生む場所です」 回遊。 また便利な言葉が出た。回遊と書けば、予算が生まれる。 回遊を理由に、露店配置も交通規制も変えられる。

 島田はさらっと言った。 「センター前は『子ども向け』にしましょう。 迷子が出てもセンターが近い。救護も近い。 親御さんが安心すると滞在時間が伸びる」

 旅館組合幹部が頷く。滞在時間は売上だ。 観光協会会長が頷く。滞在時間は成果だ。 警備社長が頷く。滞在時間は警備時間だ。

 露店古参が言う。 「子ども向けって、うちのビールはどうする」  島田は、にこやかに言った。 「ビールは、もう少し奥にしましょう。 大人は奥へ行ける。子どもはセンターへ戻れる。 ——それが『困らない導線』です」

 全員が「なるほど…」と言った。 誰も、本当に理解していない。  だが理解していないときほど、人は「なるほど」と言う。 『なるほど』は、降伏の合図でもある。 島田は、また鈴を鳴らした。 ——露店、取れた。 消防団が出す『現実』を、島田は抱きしめて利用する  消防団のリーダーが言った。 「救急動線、これじゃ足りません。 人が詰まったら担架が通れない」  現実だ。 現実は、政治家にとって危険でもあり、便利でもある。 危険なのは、現実が『言い訳できない』から。 便利なのは、現実が『反対できない』から。

 島田はここで、演説の技を使った。 反対しない。むしろ全力で賛成する。 「素晴らしい指摘です。 現場の声が一番正しい」  消防団が一瞬、誇らしげになる。 誇らしげになると、人は島田に協力したくなる。これが政治。

 島田は続ける。 「だから救急動線は、ここを広げましょう。 その代わり、警備を厚くします。 現場が困らないように」

 老舗警備社長が、ほぼ反射で言った。 「安全のためです」  島田は心の中で笑った。 『安全のためです』は、見積書を太らせる呪文だ。 呪文を唱えると、金が増える。金が増えると、票が増える。  役場係長が小声で言った。 「予算…足りますかね…」  島田は係長の肩を軽く叩いた。 肩を叩くのは、保証のふりだ。 「足りるように、組みます」 『組みます』  政治家は数字を言わない。数字は責任になるから。 『組む』は責任になりにくい。だが、なぜか安心する。

火種屋YouTuber、屋台で串を持ったまま突撃する  祭り前夜、町に異変が起きた。 YouTuberが「今年の祭り、露店利権だ!」というサムネイルを出したのだ。  サムネイルには、露店地図が赤丸だらけで写っている。 どうやって入手したのか。 入手ルートは簡単だ。町は噂でできている。紙一枚が、海より速く回る。

 役場係長が顔面蒼白で島田に電話した。 「先生…動画、出ました…」  島田は穏やかに答えた。 「いいですね」  係長が泣きそうになる。 「え、よくないですよ!」  島田は笑った。 「よくないことほど、こちらが整って見えるチャンスです」

 祭り当日。 YouTuberは屋台の串焼きを片手に、センター前に現れた。 カメラを回しながら叫ぶ。 「見てください!これが『センター導線』! 露店の配置、変わってます!誰が得したんですか!?島田先生!!」  群衆がざわつく。 ここで島田が出て行くと、絵になる。 島田は絵を作るのが上手い。絵を作ると、相手が勝手に負ける。  島田はセンター前の仮設ステージに上がった。 マイクを取る。表情は穏やか。 声はよく通る。祭りのざわめきを、すっと裂く声だ。 「皆さん、今日は来てくれてありがとうございます」 それだけで拍手が起きる。 拍手は、島田の通貨だ。

 島田は続けた。 「今、『利権』という言葉が聞こえました。 疑うのは、悪いことじゃありません。 むしろ、疑う町は強い」

YouTuberが「ほらね?」という顔をする。  島田はここで、決め手を出す。 「だから、ここで宣言します。 祭りの導線と出店配置、来年は—— 抽選と公開会議で決めます」  群衆が「おお…」とどよめいた。 抽選。公開。 公平っぽい。透明っぽい。正義っぽい。 そして何より、今すぐ揉めない。

 YouTuberが慌てた。 「いや、今年の話を…」 島田はにこやかに言った。 「今年は安全のために変えました。 来年は、あなたの目の前で決めます。 あなたも参加してください」 『あなたも参加』  これを言われた瞬間、YouTuberは弱い。 参加すると責任が生まれる。責任が生まれると叩けなくなる。 叩けなくなると伸びない。伸びないと飯が食えない。

 群衆が拍手した。 YouTuberの串焼きが、途中で冷めた。  島田は、さらに甘い言葉をかけた。 「あなたが疑ってくれたから、町が強くなります」

 YouTuberは何も言えず、カメラを下げた。 彼は負けたのではない。 勝てる場所を奪われたのだ。

祭りは大成功。鈴はスタンプで鳴る  祭りは盛り上がった。 センター前は子どもで溢れ、迷子が出てもすぐ戻り、救護も早かった。  旅館組合は「滞在時間が伸びた」と喜び、観光協会は「回遊性が上がった」と成果を語り、役場係長は胃薬を飲まずに済んだ。

 消防団リーダーが言った。 「今年、担架通れたな」  その一言は現場の勲章だ。 島田はそれを聞いて、また勝った気になった。  老舗警備社長は、満足そうに見積書の束を抱えていた。 『安全のためです』を唱え続けた結果だ。  夜、片付けが始まった頃。 露店古参が島田に近づいてきた。 「先生…まあ、悪くなかった。 うちの売上も…思ったより落ちなかった」  島田は笑った。 「古参が守ったからです」 古参が照れた。 照れた瞬間、島田の票が増えた。

そのとき、祭りの通行許可証に朱肉のスタンプが押される音がした。 パンッ。 小さな音だ。 だが、島田には鈴に聞こえた。  通行許可証のスタンプは、権限の音だ。 権限があるところに、金が集まる。 金が集まるところに、選挙が集まる。

 島田はポケットの紙片を指で折った。 今日の一文が書いてある。 「本日、午後四時に『ここ』で、鈴が一回だけ鳴ります」  鈴は鳴った。 投票箱の底ではない。 祭りの太鼓でもない。

 通行許可証の朱肉の上で鳴った。 島田は、海風を吸い込んで思った。 ——海の次は、外から来る人の『言葉』を握らないとね。  多言語案内。広告枠。データ。スポンサー。 観光防災センターは、ただの避難所では終わらない。 終わらせないのが島田の仕事だ。

 ステージの照明が落ち、祭りの灯りが一つずつ消える。 最後に残ったのはセンターの看板灯だった。 「観光防災センター」  その光は、遠くから見ると『希望』に見える。 近くで見ると『予算』に見える。 島田はどちらにも見えるように、笑顔を作れる男だった。 Copyright © 2026 Kujo Leon. All rights reserved.